進化

その空虚感はどこから来るのか

『超加速』

・・・それは、新たな自分との出会いです。

 

しかし「新たな自分」と言っても

別物の自分になるわけではありません。

 

「本来の自分」を取り戻す、

ということです。

(→前回記事)

 

ではなぜ私達は、

そこまでして、「超加速」をしようと

するのか?

 

なぜそこまでして

「本来の自分」を取り戻そうと

するのか?

 

まず最も単純な答えは、

それこそが、幸せだからです。

 

私達は、「本来の自分」を取り戻すために

生まれてきた、と言っても過言ではありません。

 

そのためにわざわざ、

「本来ではない自分」として

ここにいます。

 

わざと「本来ではない自分」として現れ、

「本来の自分」に戻っていく。

それをすることで、

「本来の自分」を進化させることが

できるのです。

 

その「進化」こそが、

私達の根本的な欲求であり、

本能の中心に位置するものです。

 

「人間は進化のために存在する」

と言い切っても良いのではないか、と

私は多くの方々と徹底的に向き合う中で、

そして自分自身と徹底的に向き合うことで

知ることができました。

 

「進化の過程にいる」という実感を得ることで、

私達は「根本的な幸せ」を

感じることができます。

 

何かが足りない。

どうしても空虚感が拭えない。

どれだけ現実が幸せな状態になっても

満たされない。

・・・それらはすべて

「進化」の実感がないからです。

 

「進化」の実感がないことで、

私達は生きる意味を見失いなす。

虚脱感や虚しさに

苛まれるのです。

 

単純なことなのです。

 

ですから、2018年以降は、

皆が一気に「本来の自分」を取り戻し、

進化を遂げ、

進化した自分としてさらに先に進もう、

・・・そう考えています。

そしてそのために、

今、何をすれば良いか?

の答えが、私達の真本音の意思です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

その問いを常に、

自分自身に投げ続けることです。

 

「思考する」のではなく、

「自問自答する」のです。

 

つまり、

頭の中で理論的な答えを無理に

見つけるのではなく、

・自分に問いを投げ続け、

・自然に浮かぶ答えに

・素直に動く

のです。

 

さて、

私達はなぜ、「超加速」しようと

しているのか?

その答えは、

他にもあります。

 

つづく

 

無理をしない、とは、勇気を出すこと

私達一人一人の真本音は、

自分の進化のために

次はどのような一歩を進めば良いか?

という「最善の一歩」を

常に私達に教えてくれます。

(→前回記事)

 

「最善」とは、「現実的」ということでも

あります。

 

つまり、

決して無理をしません。

 

無理をしないということは、

自分の現時点の能力を使えば、

必ず道を開くことができる

ということです。

 

ところが。

 

真本音で判断する一歩が

わかったとしても、

その一歩を踏み出せない人が

多いのです。

 

なぜならその「一歩」は

かなりの勇気を必要とする場合が

あるからです。

 

つまり、

真本音では「できる」「やれる」と判断しても、

顕在意識では「できないのではないか」と

思ってしまうのです。

 

そこで、

「怖いかもしれないけど、

勇気をもって真本音の選択通りに

動いてみてください」

と後押しするのが私のサポートです。

 

実際に、

そのクライアントさんがもし勇気を奮って

真本音通りの一歩を進んだら、

必ず道は開くのです。

それどころか、

一度その経験をすると、

自分が感じていたその「怖さ」が

どうでもよくなってしまいます。

 

「なんだ、こんな簡単なことだったのか」

と思えます。

 

そりゃそうです。

私達の真本音は

「簡単にできること」

しか選択しないからです。

 

しかし逆に言えば、

そういった「やれば簡単にできること」を

「できない」と思い込み、

「やらない」状態で生き続けている人が

実に多いということです。

 

それこそ、宝の持ち腐れです。

 

宝の持ち腐れをしている人達が

チームや組織を組めば、

もちろんですが、

宝の持ち腐れのチームしかできません。

 

でも同じメンバーが

宝の持ち腐れをやめて、

真本音で進み始めたら、

そのチームの進み方は本質的に

変化します。

 

成果も根本的に変わって来ます。

 

要するに、キーワードは、

 

『真本音に素直になる』

 

であり、そのためには

 

『真本音度合いを高める』

 

のです。

 

それにより、

 

『進化のスピードが加速する』

 

ようになり、結果として

 

『みんな幸せを感じながら進む』

 

という状態に入ります。

 

そうなると、成果が出るのは

あまりにも当たり前のことになります。

 

いついかなる時にも

どんな組織やチームや個人に対しても、

私は以上の基本軸に沿った

サポートをします。

 

これを外すことは

あまりにも不自然であることを

実感しているからです。

 

不自然に成果を出しても

人は疲弊します。

 

疲弊すれば、

長続きしません。

 

進めば進むほど、

加速すれば加速するほど、

パワーが高まるのが

自然の摂理です。

 

ビジネスでこそ、

自然の摂理を大事にしたい、

いや、大事にすべきであると

私は考えています。

 

人が集まり、

組織が成り立ちます。

そして、

組織が集まり、

社会が成り立ちます。

 

すべては、

「人」が原点です。

 

一人一人が

自然の摂理に基づいた

自然の道を進むことが、

社会全体の自然な進化に繋がるのは

当然のことであると、

私は考えています。

 

今、自分は、次の一歩を

どう進むのか?

 

それを自らの真本音で決める

その一つ一つが、

「社会」を左右するのです。

 

つづく

 

加速すればするほど、楽になる

私達人間は誰もが、

「進化をしたい」という本能を持っていますが、

自分が望む進化スピードを実現している人は

ほぼ、いません。

(→前回記事)

 

本当はグングン前に進みたいのに、

思うように進めない、

もしくは、進むことを恐れてしまい

躊躇している自分がいる、

・・・ほぼすべての人がその状態です。

 

私達には「加速」が必要です。

 

しかしどうすればよいのか?

誰もわかっていません。

 

私がコーチとして活動してきた

この21〜2年間は、

その方策を探求し続けてきたという

言い方もできます。

 

もちろん、今も探求中です。

 

ただ、一つ明確にわかっていることが

あります。

 

真本音度合いを高めることが

すべての基本にあるということです。

 

私達人間の揺るがぬ心、真本音とは、

私達の存在意義であり本能の中枢を成す

「進化欲求」に対して非常に素直です。

 

進化のためにどうすればよいか?

を最も大切にしています。

 

しかもそれは理想論ではありません。

 

自分の進化のために、

今の現実に対して、

自分は何をすればよいのか?

を極めて現実的に判断します。

 

その洞察力は

神秘的ですらあります。

 

逆に言えば、

私達人間は誰もが凄い洞察力を

もともと持っているということです。

 

しかしその洞察力は、

真本音度合いが高まらないと

発揮されません。

 

そして、

真本音度合いが高まり、

その洞察によって出された「次の一歩」を

踏み出し続ければ、

私達は必ず、周りと調和します。

 

先ほど書きました通り、

真本音とは極めて現実的な判断をしますので、

真本音で動くことで、

不必要な混乱や混沌は争いや諍いは

激減します。

そこには、必要な試行錯誤が必要なタイミングで

起こるだけです。

 

結果として、その一歩一歩は

進化に対しての最速の道となります。

 

それは「理想」ではありませんが、

「最善」です。

 

つまり、今できる最善、最速の道を

私達の真本音は選択するのです。

 

ですからそういった意味でも、

私は、クライアントさんの真本音度合いを

高めることを、コーチングの要諦としています。

 

そして「脱皮」とは、

そういった真本音度合いの高まった人達が

引き起こす「現実」です。

 

「脱皮」を起こすことで、

ステージが一気に変化します。

 

それは喩えて言えば、

今まで地面を歩いていた自分が、

突然、東京スカイツリーの展望台に

登ったようなものです。

突然に視界が変わります。

今まで見えていなかったものが

見えるようになります。

 

いえ、

本当に大きな脱皮をした場合は、

もっと凄い変化があります。

東京スカイツリーどころか、場合によっては

飛行機の視点とか、成層圏の視点とか、

地球を見降ろす宇宙の視点まで

行ってしまうかもしれません。

 

脱皮とは、それくらいに劇的な

変化があることなのですが、

しかし、本人の顕在意識はその変化に

気づいていません。

 

気づいていないのだけれども、

しかし、視界そのものは

これまでとはまったく比べ物にならないほどに

広がっているのです。

 

ですから、本人の気づかないところで

発想そのものが大きく変化します。

本人は気づいていないのに、

周りから見ると驚くべき発想を

生み出す時があるのです。

 

しかしそれは私達人間にとっては

実に自然な振る舞いです。

 

なぜなら私達は

それだけ大きな進化を望んでいるからです。

でも今のところ、どれだけ脱皮をしても

まだまだ私達の望む進化スピードには

追いつけません。

 

本当に望む進化スピードに

もし追いつくことができたとしたら、

私達人類はとてつもなく素晴らしい世界を

創ることができるでしょう。

 

話があまりに大きくなり過ぎますと

現実味がなくなってしまいますが、

私達誰もにできるのは、

自分自身の「次の一歩」を決めること。

 

その「次の一歩」を

真本音で決めることです。

 

それを粛々と続けることで、

私達は本来私達の望む進化スピードに

近づいていけるでしょう。

 

そのためのサポートが

私のサポートです。

 

そしてそういったサポートのできる人を

私は増やしていきたいのです。

 

真本音で生きること、

進化を加速させること、

それは、決して難しいことではありません。

 

むしろ、それは

最も楽な道のりです。

 

最も自分が自然体になり、

最も自分が自分らしくなり、

最も人間としての幸せを感じることのできる

明るく楽しい道なのです。

 

つづく

 

人の影響力は、ここで決まる

人が人に与える影響力の大きさ

というのは、どこで決まると思いますか?

 

能力ですか?

 

経験ですか?

 

人格ですか?

 

生き方ですか?

 

立場ですか?

 

役割ですか?

 

個性ですか?

 

それらすべては確かに

重要な要素です。

 

しかし私は、

人が人に与える影響度を左右している

要素として、超重要なものとして、

 

「その人の成長度」

 

があると、いつも実感しています。

 

「成長」とは

このブログでも申し上げている通り、

単なる「膨張」ではなく、

「進化」のことを指します。

 

現時点における力の大きさよりも

今、その人がどれだけ日々進化しているか?

によって、私達人間は

本質的な影響を受けます。

 

なぜなら、私達人間の根本欲求は、

・・・つまり、本能の中心にあるものは

「進化」だからです。

 

私達は本能的に

「進化」しているものに対して

畏敬の念を覚えます。

 

どこまで進化したか?ではなく、

どれだけの勢いで進化し続けているか?

に畏敬の念を覚えるのです。

 

それは、

本能的な信頼

です。

 

本能的な信頼を感じる人の言葉は

私達の心、というよりも

魂に響きます。

 

ですから私はいつも

コーチを目指す人達に言い続けています。

 

「クライアントさん以上に

コーチが進化をし続けなさい」

と。

 

クライアントさんの進化スピードよりも

遅い進化スピードのコーチは

クライアントさんに良い影響は

起こせないのです。

 

そういった意味で、人のサポートというのは

非常に厳しいものです。

 

サポートされる側よりも

サポートする側の進化の度合いが

高くなくては、

本質的なサポートができないからです。

 

このように書くと、恐らく多くの人は

うわっ、進化というのは大変そうだ、

そんなのは自分には無理だ、

と思われるかもしれません。

 

しかし先ほども書きました通り、

進化とは人間の本能の中枢です。

 

ということは、

進化とはとても

「気持ちいいもの」

なのです。

 

「進化」とは

安定です。

 

「進化」とは

安心です。

 

止まっている方が安定したり

安心できるのではありません。

 

人は、進化し続けている時こそが

最も安定し、安心できるのです。

 

ですから、

進化し続けている人は

端から見れば

「あの人、凄いなぁ」となりますが、

本人にとってはまったく

凄いことをしているという認識は

ありません。

 

むしろ、自然体で淡々と

普通に毎日を生きているだけであり、

それが最も幸せであり

安定・安心であるのです。

 

そういったことを

クライアントさん以上にコーチは

実感として知っていることが

重要です。

 

私ももうすぐ50歳ですので、

さすがに最近は年下のクライアントさんが

増えてきましたが、

以前は、私のクライアントさんは

10歳も20歳も年上の方ばかりでした。

 

しかも経営者が多かったものですから、

人生経験も、経営経験も

私以上の人達ばかりでした。

 

本当に素直に尊敬できる方達が

多かったです。

 

そんな方々をクライアントさんにするわけですから、

私にできることはただ一つ。

クライアントさん以上のスピードで

自分自身が成長(進化)すること

でした。

 

もちろんそれは

勝った負けた、

ということではありません。

 

でも私は、

自分の進化スピードを加速

し続けました。

 

加速して、加速して、加速して・・・。

 

その中で初めて知ったのです。

 

どれだけ加速しても、

まだ足りない、と。

 

まだ自分は満足できない、と。

 

まだ、自分が本来望んでいる

進化スピードには程遠い、と。

 

それは、

私個人だけに当てはまることでは

ありません。

 

すべての人が、

自分の進化スピードは

まだ遅過ぎる、という

ジレンマを持っていると

ある時に気づいたのです。

 

その時から私のコーチングの

テーマの一つが決まりました。

 

どんなクライアントさんにも

当てはまるテーマです。

 

それは、

「その人の望む進化スピードまで上げる」

ということです。

 

すべての人が、

自分の進化スピードに

満足していないのです。

 

本当に満足している人とは、

現時点ではまだ一人もお会いしたことが

ありません。

 

それだけ私達人間は、

「進化」したい存在なのです。

 

今のスピードは

気持ち悪いのです。

 

もっと気持ちよく

なりたいのです。

 

だからこそ、です。

 

だからこそ、

コーチは、クライアントさん以上の

スピードで

進化し続けることが必要であると、

私は思います。

 

クライアントさん以上に

気持ちのよい人生を送るのが、

コーチの必須条件です。

 

つづく

 

本当は、自力で脱皮できればいいんだけど・・・

「脱皮」とは、

大きく「進化」すること。

 

そして「進化」とは、

より「自由」になることです。

 

ですから「脱皮」をすればするほど、

私達は、何かから開放されます。

人としての根本的な幸せを

感じるようになります。

 

しかし「脱皮」そのものについては

不安定さと恐怖心が

伴います。

 

これをたった一人で

乗り越えることのできる人は

なかなかいません。

 

通常は、

「今、自分は脱皮しようとしている」という

自覚はありません。

「脱皮」そのものの概念すら

ないでしょう。

 

何もわからない状態です。

 

ですから、

突如として襲ってくる不安定さと恐怖心を

何とか消そうとするのが

ほとんどの人です。

 

そしてそのための手立てを打ちます。

それにより実際に

不安定さと恐怖心を減退させることも

あるでしょう。

 

しかし、それをしてしまうと

「脱皮」は完了できません。

 

「脱皮」のチャンスを逸し、

「脱皮」をしないままに人生を進む

ということになります。

 

それはそれで一つの人生

かもしれません。

 

しかし、

脱皮のチャンスを逸し、脱皮せずに進む

というのは、

脱皮のチャンス以前の自分に比べて

苦しさが増します。

 

なぜならその人は

「なぜ、脱皮をきちんとしないんだ!」

と自分で自分を責め続けるように

なるからです。

 

もちろんそれは無意識に行われることですから

本人は認識していません。

しかし明らかに

以前よりもその人は人生における苦しみが増し、

その苦しみに耐えながら生きる

ということになります。

 

脱皮のチャンスを逸してしまったことによる

苦しみ。

 

これは私達が想像する以上に大きな

ものです。

 

できれば私はすべての人が、

この苦しみを味わわずに人生を

進ませる、

つまりは、きちんと脱皮を続ける人生を生きる、

・・・そんな状態になればいいなと

思っています。

 

極端に言えば、

それができるだけで、

世界はもっと平和になるのではないかと

私は思います。

 

脱皮には

的確なサポートが必要です。

 

本当は、サポートなしでも行ければ

よいのですが、

現在の世の中においては、

どうしても、サポートが必要です。

 

それが、コーチの存在意義の一つである

と私は思っています。

 

多くの人が健全に脱皮を続け、

世の中の次元がもう少し高まれば、

自力で脱皮できる人の割合も

もっと高まるのではないかと思います。

 

そうなるためにも、

今はコーチが、的確なサポート役が

必要なのだと思います。

 

木村さんと弓江さんは今、

二人コーチングのその場で、

自らの脱皮を完了させようとしています。

 

まずは、弓江さんが

今まさに脱皮しようとしています。

 

実在レベルの表現を使えば、

弓江さんは、これまでの古い皮をほぼ

脱ぎ捨て、

その皮は今、

左足に絡まっている状態です。

 

そしてその皮に意識を向けると、

それは、

「私の“正義”ですね」

と、弓江さんは自覚しました。

(→前回記事)

 

通常のコーチングでは、

「では弓江さん、その“正義”とは

具体的にどういったものですか?」

というような質問をするかもしれません。

 

しかし、脱皮時においては、

あえてそれ以上のことは訊きません。

“正義”という言葉に反映される

あらゆるもの、

というくらいのザクッとした認識で

充分なのです。

 

理屈では脱皮できません。

顕在意識はあまり

働かさない方が良いのです。

 

「弓江さん、

その左足に絡まっている“正義”を、

完全に取り去ることはできますか?」

 

弓江さんはしばらくの間、

左足に意識を向けていましたが、

「う〜ん、難しいですね。

どうしても取り払えません」

と、苦しそうに言いました。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

すると彼女は、

面白いことを言いました。

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「えっ? 私ですか?」

と、木村さんは少しびっくりした表情。

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

つづく

 

人の性は、時として気合となって現れる

「進化」には

「揺らぎ」がつきものです。

 

太陽に黒点があるように、

あらゆる物事に「完成」はありません。

 

なぜなら

「完成」とは

「衰退」の始まりだからです。

 

「完成」した途端に、

それは「進むこと」を止めます。

「完成」なので、

当然そうなります。

 

しかし私達人間の本能は、

止まることを極度に嫌がります。

「進むこと」こそが人間の本質であり、

人間の存在する意味なのですから

当然です。

 

ですから私達は本能的に

「完成」を最も嫌います。

 

必ずどこかに「綻び」を残しておき、

その綻びの不安定さを原動力に

次の進化へとつなげます。

 

それが私達人間のみならず、

すべての自然の摂理です。

 

ところが、その一方で

私達は「完成」を望みますから、

(「完成」を望まなければ「進化」はしませんから)

ある時ある瞬間に、

「完成できた」

と思い込むことがあります。

 

それにより、

これまでの歩みが一気に止まり、

急速に「停滞」から「衰退」に向かう、

ということが頻繁に起きてしまいます。

 

「完成した」と思い込むことを私は

「傲慢」

と表現することがありますが、

急速に「進化」することで逆に

「傲慢」になってしまうというものも、

私達人間の性の一つであると思っています。

 

ですから、コーチの役割の一つは、

「傲慢」からの開放です。

「傲慢」ではなく、「真摯」に進化に向かうこと。

それこそが、私達人間の本能レベルでの

喜びであるということ。

それを日常の取り組みにおいて

実感していただくこと。

そのためのサポートが

コーチングであると私は考えています。

 

木村さんと弓江さんの

二人コーチングを私は再び

行ないました。

(→前回記事)

 

それは、

私の側から見れば、

「チームの活性化戦略を見出す」

という目的がありましたが、

お二人から見れば、

「さらなる進化のための

綻び(揺らぎ)を見出す」

という目的もありました。

 

お二人は今、

急速な「進化」を望んでいます。

今こそ、大きくブレイクスルーする時。

今こそ、脱皮する時。

・・・そうお考えです。

 

ですから、その脱皮の端緒としての

二人コーチングでもありました。

 

前回の二人コーチングから

約1ヶ月ぶり。

 

お二人はかなり、

気合いが入っていました。

 

それはとても

素晴らしいことです。

 

しかし、気合いが入っている場合、

私はそれを「抜く」ことを

大切にしています。

 

気合いは大切ですが、

気合いは時には

「脱皮」を妨げます。

 

気合いとは

「意図」だからです。

 

私達は「意図」を持つことで、

自分の「意図」の範疇でしか

成長できなくなります。

 

私達の「進化」とはもっと

ドラスティックです。

 

意図を超えたところで、

真の「進化」は行われます。

 

まずは二人を

二人の「気合」から解放

しなければなりません。

 

私はあえて、お二人に

二人コーチングの冒頭で

強烈な一言をお伝えしました。

 

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

嘘ではありません。

本当にそうだったので、

その通りに申し上げたのです。

 

つづく

 

試行錯誤のない「順調」はない

「物事が順調に進む」

とは、私は

「順調に試行錯誤ができている状態」

であると考えています。

 

試行錯誤には、

・意味のある試行錯誤と

・無意味な試行錯誤

があります。

 

無意味な試行錯誤とは、ほとんどの場合

その人が自己満足で繰り返している

試行錯誤です。

それを繰り返したところで、

何の進化も発展もありません。

 

進化発展があったと、

本人が自己満足するだけです。

 

逆に言えば、

物事の進化と発展のためには、必ず

意味のある試行錯誤が

存在しています。

 

よく、

「真本音で進めば物事がスムーズに進む」

と、私は書かせていただいていますが、

その真の意味は、

「意味のある試行錯誤を続けることができる」

ということです。

 

つまり、結果だけでなく

そこに至るまでの過程(プロセス)も

私達の真本音は大事にしているということです。

 

そういった意味で、

木村さんと弓江さんの新規事業プロジェクトは

意味のある試行錯誤を続けた

と言えます。

 

それを私は確信したのです。

ですから、

 

「新規事業プロジェクトは

ここまで順調だったということです。

実は、何の問題もなかったのです。

そして、ここまで順調だったからこそ、

この場があるのです。」

 

・・・と申しました。

(→前回記事)

 

特に木村さんは、失敗もありましたが、

順調にここまで進んできたということです。

その失敗こそが、必要な試行錯誤だった

ということです。

 

まぁ、そういう「失敗」は

「失敗」とは言いませんが。

 

そして・・・。

 

新規事業プロジェクトは順調にきたからこそ、

壁にぶち当たったのです。

 

順調に来なければ決して遭遇しない

壁まで来たのです。

 

その壁を、一言で表現すれば、

 

『脱皮の壁』

 

となります。

 

人も組織も、

比例直線的には成長(進化)しません。

 

人や組織の成長(進化)とは、

階段状に進みます。

つまり、

緩やかな勾配で進み、

ある時に、階段をステップアップするための

段差にぶち当たります。

 

段差にぶち当たったら、

それを乗り越えなければなりません。

しかし、

それを乗り越えることができれば、

1ランク、ステージがアップします。

 

これまでの延長線上にはない、

新たな次元と視界と能力が

開けます。

 

この段差にたどり着くためには、

しっかりと意味のある試行錯誤を

繰り返さなければなりません。

 

これをちゃんとして来たので、

新規事業プロジェクトは今、

「段差」の下にいるのです。

 

そして、これから「段差」を乗り越えるのですが、

「段差」とは非常に怖いものです。

怖いが故に、人も組織も

この時点では、非常に不安定になるのです。

 

今、新規事業プロジェクトチームは

その不安定さが出始めている状態なのです。

 

以上のことを、

私は木村さんと弓江さんに

ご説明しました。

 

木村さんが言われました。

 

「では、その不安定さを

なくすための方策が必要なのですね?」

 

「いえ、逆なんです。

こういう時は、もっともっと不安定さを

自らに与えた方が良いのです。」

 

つづく

 

この人のことは、あきらめよう

木村さんは、西畑さんのエンティティを

受けていた。

(→前回記事)

 

それがわかった私は西畑さんと面談

しました。

 

彼としっかり向き合うのは初めてでした。

 

向き合った瞬間、

「あぁこれは、ダメだ」

と思いました。

 

彼は、エンティティの塊でした。

 

しかし以前に、彼を遠くから見たときには

このような印象はありませんでした。

 

恐らく、彼自身に何かが起こり、

エンティティを大量発生させる彼に

なってしまったのでしょう。

 

彼の目は澄んでいました。

 

まっすぐに私を見てきます。

 

その姿勢は、一見、

とてもまっすぐで、素直で、前向きです。

 

しかし、エンティティいっぱいの人は

それらがすべて、どことなく、

ウソっぽい

のです。

 

残念ながら、一般の人はその区別が

なかなかつかないようです。

この区別がつくようになれば、

どんなに良いだろうか、と私は思います。

 

私は西畑さんに、

普段はどのような役割をされているのか?

何を大事にお仕事をされているのか?

などを訊きました。

 

とても前向きな返事が返ってきました。

 

木村さんのことをどう思います?

西畑さんにとっての木村さんはどういった存在です?

とも訊きました。

 

「同志だと思っています。」

 

そう言った西畑さんは、

木村さんの素晴らしさを並べ立てました。

 

しかし、私の心には

彼の言葉のたった一つも

入ってきませんでした。

 

「これは、いかん。」

 

と私は思いました。

 

と同時に、本当にすべての合点が

いきました。

 

木村さんが真本音度合いを高めつつも、

どうしてもある一線を超えられない理由は、

西畑さんでした。

 

彼が、木村さんの足を

引っ張っていたのです。

 

西畑さん自身は、

その自覚がありません。

 

彼のエンティティが

それをしていたのです。

 

実は、

こういった例が、本当に本当に

多いです。

 

とても言葉は悪いのですが、

西畑さんから私は

「進化する意欲」

を、まったく感じませんでした。

 

進化、とは人の本能の根本にあるものです。

それを彼は、

打ち消しています。

 

進化する気持ちをすべて打ち消し、

進化しているフリをする。

前向きなフリをする。

素直なフリをする。

協調するフリをする。

 

それが彼でした。

 

本当に言葉が汚くて申し訳ないのですが、

それが事実でした。

 

残念ながら、現時点では

私は西畑さんを変えることはほぼ無理である

と感じました。

 

もちろん、すべての人には可能性があります。

きちんと真本音度合いを高めれば、

進化への道を歩み始めるでしょう。

 

しかし、彼に対して無理にそれをするよりも

もっと効果的な道があるように思いました。

 

西畑さん自身を変えようとするよりも、

木村さん自身をもっと強くする。

木村さんの次元をもっと高める。

 

その結果、その影響によって

西畑さんが変わっていく。

 

それが、最も自然な順番であり、

最も楽な道であると

私は思いました。

 

コーチとは、このように

最も楽な道を見出し示す存在

だと私は思っています。

 

ですから私は、現時点では、

西畑さんのことを

「あきらめました」。

 

この、「あきらめる」ことも

とても重要です。

 

何を「あきらめて」

何にパワーを注ぐか?

 

その選択こそが命です。

 

私はすべてを木村さんと弓江さんに

お話しすることにしました。

 

二人を同時にコーチングする

道を選んだのです。

 

つづく

 

そのこだわりは、「あなた」ではない

自分の今いる場所が、

無限に広がる世界であると感じても、

それは決して無限ではありません。

 

その世界そのものが、

一つの「枠」です。

 

そこには限界と境界があります。

 

私達が、今いる世界の中で進化を続ければ、

必ずその「枠」の存在を感じるようになります。

これまで無限だと思っていた世界なのに、

窮屈さを感じるようになるのです。

 

それは、「枠」を壊す前兆です。

 

刻一刻と私達は進化を続け、

自らは大きく大きくなっていきます。

 

そして自分自身が「枠」いっぱいに

広がります。

 

広がるけれど、すぐには「枠」は

壊れません。

ですからどんどん窮屈さが増していきます。

 

窮屈さが苦しみを生みます。

 

その苦しみを、素直に

認識することこそが大切です。

 

私達は、その苦しみに打ち勝つかのように、

内側から「枠」を壊します。

 

私達が本気で「壊そう」と決めた場合にのみ、

「枠」は壊れます。

 

見事に「枠」が壊れれば、

私達は急に「開放感」と「自由」を得ます。

そこには、

無限の世界が広がっているのです。

 

その無限の世界で、

私達はさらにさらに進化を続け、大きくなります。

 

これまで自分が入っていた「枠」は

信じられないほど小さかったことが

わかります。

 

自分が大きくなるにつれ、

その「枠」はどんどん小さくなり、

しまいには、砂粒くらいになり、やがて

見えなくなります。

 

それくらいの勢いで私達は

大きくなっていきます。

 

無限の世界の中で、

大きくなって行くのです。

 

・・・が。

 

その「無限」だと思っていた世界においても

またもや「枠」の存在を感じるようになります。

 

だんだん窮屈さが生まれ、

その新たな「枠」の中でギュウギュウ詰めと

なります。

 

そしてまたその「枠」を

私達は、内側から壊します。

 

・・・その連続です。

 

これが、私達人間の「自然」な人生です。

進化の人生です。

 

いったいそれはいつまで続くのか?

 

そんな疑問が湧きますが、

それは、それこそ無限に続きます。

 

じゃあいつになったら私達は

達成感を感じるのか?

幸福感を感じるのか?

 

その答えは、

「今この瞬間に」

です。

 

進化とは、過程(プロセス)では

ありません。

進化とは、

それ自体が目的です。

 

本当の進化を続けるならば、

毎日毎日が達成感と完了感と

幸福感に満たされます。

 

それが、

真本音で生きる、ということです。

 

一つの「枠」を壊すことを

『脱皮』と呼んでいます。

 

それは、一つ、次元を高めることでも

あります。

 

脱皮をし、次元を高めると、

私達が、これまでの「枠」の中でこだわっていたことが

本当に些細なことに感じられます。

 

AかBか?

とずっと悩んできたことが、

 

「どっちでもいいじゃん」

となります。

 

逆に言えば、

もし今、AかBか? で悩んでいたとしたら、

「どっちでもいいじゃん」

と呟いてみると、案外、面白いです。

 

これまでとは少し違う、

一つ次元の高いところからの発想が

生まれるかもしれません。

(→前回記事)

 

ところで、

ちょっと話は変わりますが、

皆さんは、「自分らしさ」って

何だと思いますか?

 

実は、ほとんどの人が

反応本音レベルの思考と行動のパターン

を「自分らしさ」であると勘違いされています。

 

それはあくまでも

「よく現れるパターン」であって、

真の「自分らしさ」ではありません。

 

自分の「こだわり」を自分らしさであると

思い込んでいる人も多いです。

 

しかし、真の「自分らしさ」とは

その「こだわり」をすべて手放した時にこそ

発現します。

 

「AではなくてBである」

・・・これが「こだわり」の一つの形です。

 

ですから、「こだわりを手放す」とは、

「AでもBでも、どっちでもいいじゃん」

となることを言います。

 

しかし、一つのこだわりを手放せば、

その奥から、次のこだわりが現れます。

例えば、

「CではなくDである」

というように。

 

これをさらに手放します。

つまり、

「CでもDでも、どっちでもいいじゃん」

と。

 

するとその奥から、

さらに次のこだわりが姿を現します。

 

そしてまたそれを手放します。

・・・・・

 

これを続けて、すべての「こだわり」を

手放したとします。

しかしそれでも最後に残るものがあります。

 

その最後の最後に残ったもの。

それこそが、真の「自分らしさ」の大本です。

 

つまり、

「どっちでもいいじゃん」を

突き詰めれば、

真の自分らしさに、行き着きます。

 

「どっちでもいいじゃん」とは、

強烈な一言なのです。

 

つづく

 

自信家になったら、危険信号

私達人間の真本音は、

自分自身に「的確な枠」をはめることを

大切にしています。

(→前回記事)

 

「無限の可能性」を発揮できないように、

わざと仕向けます。

 

自分に制限をかけます。

ストッパーをかけます。

 

その制限とストッパーに縛られる中で、

私達は、もがきます。

しかしその「もがき」は

非常に重要な「もがき」であり「試行錯誤」となります。

 

そしてその「もがき」の結果、

自ら「枠」を壊す瞬間がやってきます。

 

私はそれを

『脱皮』

と呼んでいます。

 

人は『脱皮』をすると、

ステージが一つ上がります。

次元が一つ上がります。

通常の成長(進化)とはレベルの違う

変化が起きます。

そして、まるで生まれ変わったかのように

新たな自分となります。

 

しかしその新たな自分とは、

これまでとは別人になるのではなく、

本来の自分に「一気に近づく」ということです。

 

人の成長(進化)とは

比例直線のように上がっていくわけではありません。

「階段状」に上がっていきます。

 

緩やかな進化の段階と、

一気にステップアップする段階と。

 

そのステップアップこそが、『脱皮』の瞬間です。

 

無限のステップアップをするために、

私達の真本音は、

今のステップに必要な「枠」を

自分自身に与えるのです。

 

ところが・・・。

 

この「枠」のはめ方を間違えると、

『脱皮』の瞬間は永遠にやってきません。

 

「枠」は

大き過ぎても、小さ過ぎても

ダメなのです。

 

自分にとって的確な枠をはめることこそが

重要であり、

それができているかどうか?を客観的に

観察するのがコーチの役割の一つです。

 

木村さんは、これが下手でした。

 

彼はもともと、自信家でした。

しかしその自信は、不安の裏返しでもありました。

 

俺が一番だ。

 

ということを証明するために、

常に自信のある自分を「演出」する必要が

ありました。

 

俺が一番、

・・・でなきゃ立っていられなかった、

のです。

 

そういった自信は、非常に不安定で、

何か一つのきっかけがあるとすぐに木村さんは

自信喪失状態に入りました。

 

すると今度は、

引きこもりに近い精神状態となり、

非常にウジウジとしながら

必要な行動を何もしなくなってしまいます。

 

物事が上手く行き出すと、自信家になり、

物事が頓挫すると、引きこもる。

これを繰り返していました。

 

このように、

「自信家」と「引きこもり」は表裏の関係にあり、

この二つを行ったり来たりするパターンの人は

かなり多いです。

 

そしてこういったパターンを持った人は一様に

自分自身への「枠のはめ方」が

下手です。

 

つまりは、

自信家の時は、枠を大きくし過ぎて、

引きこもりの時は、枠を小さくし過ぎるのです。

 

木村さんのその「下手さ」によって、

彼は、脱皮のチャンスを何度も逃しました。

 

しかしそれでも、彼は脱皮し続ける彼に

なっていくのですが。

最初の頃は大変でした。

 

彼はある日突然、私に向かって

「私はプロのコーチになります」

と宣言されたのです。

 

つづく

 

自分の可能性は無限? それはハッタリです

このブログをお読みいただいている皆さんは、

自分自身の可能性について

考えたことがあるでしょうか?

 

恐らく、「ある」と答えられる人が

ほとんどだと思います。

 

では、「可能性」とは何でしょうか?

 

可能性とは、無限でしょうか?

それとも、有限でしょうか?

 

今回は、

可能性とは「有限」です、

というお話です。

 

現在このブログでは、

木村さんストーリーをご紹介しています。

(→前回記事)

 

彼はこの後、すごい活躍をすることに

なるのですが、

その彼の活躍の「本質」をお伝えするためには、

その前提として、

どうしても明らかにしておかねばならないことが

いくつかあります。

 

その第1回目が今回である、

という位置付けです。

 

それが、

「可能性とは有限である」

ということなのですが、

ただ、その「有限」の意味が重要です。

 

「有限」という言葉を辞書で調べますと、

「限度・限界のあること」

とあります。

 

私達人間は、自分自身に対して

限度と限界を設ける

という特性を持っています。

 

必ず、自分自身を「枠」にはめるのです。

常に、

今の自分に見合った限度と限界を設定

するのです。

 

これは、私達の真本音の意図です。

 

ですので、よく

「私の可能性は無限です!」

といった言葉を使う人がいますが、

その言葉を放つその人自身の空気感には必ず

不自然・無理

が伴います。

 

つまりは、

ハッタリでそう言っている

ように感じ取れます。

実際に

ハッタリに過ぎません。

 

私達の真本音は、

自分自身に限度と限界を設けることを

非常に大事にしているからです。

 

なぜ限度と限界を設けることを大事にするか?

と言いますと、それは、

自分自身の無限の可能性を発現するため

なんです。

 

なんか、変な言い方になってますが、

これが本質です。

 

つまり、私達人間は、

その時その時の自分に対して的確な限度と限界を

設定することで、結果的に

自分自身を無限に進化させることができる

・・・ということになります。

 

ですから、

今の自分は、自分自身にどのような限度と限界を

設定しているか?

を理解することが、「超」がつくほど重要です。

 

ここを誤ると、

物事の進展が、極めて遅くなります。

 

私達は、自分自身が設定している限度と限界に

即した生き方や、目標設定の仕方をする

ことが大切なのです。

 

つまり、「限度と限界」とは

私達人間にとって、無限の進化を持続するためには

なくてはならないもの

なのです。

 

ですから、次の問いがとても重要であり、かつ

必要です。

 

「私は今、どのような限度と限界を

自分自身に設定しているだろうか?」

 

そして、

 

「私は今、どういった限度と限界の枠の中で

物事の発想をすることが必要だろうか?」

 

という問いです。

 

わかりやすく喩えるならば、

例えば、2歳の幼児がいたとして、

その子に、

「君には無限の可能性があるから

自由に自分のやりたいことを発想して

行動しなさい」

と言っても、危険極まりないし、第一、

本人には意味がわからない

ということです。

 

ですから私達はその2歳の子に枠をはめます。

例えば、公園にその子を連れて行き、

「この公園の中は安全だから、

好きなことをしてもいいよ」

と伝えます。

 

その子は、公園という守られた枠の中で、

自由に遊び、その遊びを通じて、

自分の意志を育てて行きます。

 

要するに、そういうことです。

 

私達の真本音とは、喩えて言えば、

自分自身の「親」であり、「師匠」と言ってもいいかな、

と思うことがあります。

もちろん、真本音とは「本来の自分自身」であるのですが、

「本来の自分」と「今の自分」が

あまりにもかけ離れている場合は、

それは「親」であり「師匠」である、と捉えた方が

受け取りやすくなるケースが多いのです。

 

真本音という「親」「師匠」は、

私達自身を最速で、しかも、一歩一歩着実に

育てようとしています。

 

そのためには、

最初からいきなり、「無限」を提示し、

何の枠もない中で、「自由にしてごらん」とは

決してしないものです。

 

きちんと的確な「枠」を設定し、

その「枠」の中で自分を育て上げ、

その「枠」での「自由」を手に入れたら、

その「枠」を壊し、

さらに大きな「枠」を設定し、その中での

「自由」を学ばせる。

 

・・・そんなことをするのです。

 

ですから、

私達人間に必要なのは、

「的確な枠」

であり、それを最もよくわかっているのが、

私達自身の真本音

だということになります。

 

逆に言えば、

その人は今、的確な枠の中にいるだろうか?

という視点でその人を観察し、

枠が小さ過ぎれば、その枠を外し、もっと大きな枠を設定する、

枠が大き過ぎれば、もっと小さな枠の中にあえて入れる、

というサポートが必要です。

 

そういった的確なサポートができる人こそが、

「コーチ」だと思うのです。

 

特に私は、木村さんにはその視点を

大事にしていました。

 

なぜなら、彼は

「枠設定」

が非常に苦手だったからです。

 

つづく

 

あなたは進んでいますか? 止まっていますか?

進む人は心地がいい。

 

私はいつもそう感じます。

 

どれだけ未熟であってもいい。

どれだけ能力がなくてもいい。

どれだけ弱くてもいい。

どれだけバランスが悪くてもいい。

どれだけ尖っていても、どれだけ凹んでいても、

どんな状態でもいいのです。

 

どのような人でもあっても

進む意志さえあれば、

私は、その人と向き合いたい。

 

その人と共に進みたい。

 

そう思います。

 

「進む」とは、「進化」ということです。

 

私はあえて、「進化」と「成長」という二つの言葉を

区別しています。

「成長」という言葉には、様々な意味が

含まれてしまうからです。

 

例えば企業で言えば、

売上や利益や事業規模が年々増加していくことが

「成長」と表現されますが、

私は、その中身をいつも大切にしています。

 

そこに「進化」はあるのだろうか?と。

 

どれだけ事業規模が大きくなっても

そこに「進化」がなければ、私はただの

「膨張」

であると思っています。

 

個人であれば、

どれだけその人の能力が高まったとしても、

そこに「進化」がなれば、ただの「能力の膨張」に

過ぎません。

 

「膨張」することを私は

「進化」だとは思いませんし、

それを「進んでいること」だとも思いません。

 

むしろ「膨張」だけで満足している人を私は

「止まっている人」と見ます。

「止まっている組織」と見ます。

 

「進化」とは、

次元を上げていくことを言います。

 

次元については、改めて詳細に書かせていただくことに

なると思いますが、

次元を上げるために最も直接的な影響を持つのが

「真本音度合いを上げる」ことです。

 

つまりは、

自らの真本音を大切に生きる

ことは、「進化」への最短の道です。

 

私は、

能力を高めるだけのコーチングはしません。

「進化」を拒絶している人のサポートは

しません。

そう決めて、これまでやってまいりました。

 

何のために、「進化」するのだろうか?

「進化」の先に何があるのだろうか?

 

そんな疑問も浮かんだことがありました。

 

もちろん「進化の先」はあります。

そこで手に入れられる「現実」はあります。

 

しかしそれよりも、

「進化」とは、それ自体が「目的」なのです。

 

つまり、私達人間は

「進化を目的として生きている存在」なのです。

 

「進化そのものに喜びを感じる存在」

それが、人間です。

 

人間としての自然な姿は

「進化すること」です。

 

その自然な目的に素直になっている人は

一緒にいて、とても癒されます。

一緒にいて、心地よいのです。

 

進む人は心地がいい。

 

・・・それは、私だけでなく、すべて人が心の根底で

本能的に感じることです。

人は、そういう人と「共に進みたい」と思います。

 

進化への欲求。

進化という本能。

 

そういった、私達すべての人間が持ち合わせている

大切なものに、

素直に、敏感に、そして大胆に

立ち向かっていく人を増やす。

 

それが、私がコーチをさせていただいている

重要な目的(願い)の一つです。

 

コーチングをしていれば、もちろん

クライアントさんが、立ち止まってしまうことはあります。

 

挫折もあります。

 

立ち直れなくなることもあります。

 

それでも「進もう」という根本的な意志を

その人が持ち続けているうちは、

何とでもなりますし、

とことんまでサポートすることは可能です。

 

「私は、私がこんなにもダメダメな人間だとは

思ってもいませんでした。

こんな私でも、何とかなるのでしょうか?」

 

コーチングをしていますと、

そんな問いを受けることがあります。

 

これまでフタをしていた自分と向き合ったり、

進化しようと思っても、どうしてもその行動が取れなかったり、

いろんな場面で、その言葉を聴いてきました。

 

木村さんもその一人でした。

(→前回記事)

 

実は、木村さんは平井さん以上に大変な

クライアントさんでした。

 

自分の真本音を意識して行動を変えようとしても

どうしても、自分の許容量を超える現実が来ると、

以前の「心と行動のクセ」が出てしまいます。

 

その「クセ」を直したとしても、

さらに別の「クセ」が顔を出す。

 

その繰り返しをしました。

 

そしてついにある時に、

「たけうちさん、

せっかくずっとコーチングしていただいているのに、

自分はずっとダメな自分が出てしまいます。

本当に申し訳ない。

私がこんなにダメダメ人間だとは思いませんでした。

私はこのようにコーチングを受けるだけの価値が

あるのでしょうか?」

と言われたのです。

 

私は逆に問いました。

 

「木村さんは、進化したいですか?」

 

即座に答えが返ってきました。

 

「したいです。」

 

「木村さんは、どんな時も自分の本当の願いを大事にした

行動の取れる木村さんになりたいですか?」

 

「なりたいです。」

 

「でしょ?

その木村さんの想いは、ずっと伝わってきていますよ。

それがあるうちは、大丈夫です。

今は、心の中に余分なものがいっぱいあり、

それが木村さんの生き方を阻害していますが、

木村さんのその想いがあれば、

それらを一つ一つ乗り越えていけますから。」

 

木村さんは、気づいていないのです。

どれだけ自分が変わったか、ということを。

 

どれだけ彼を見る周りの目線が

変わってきているか、ということを。

 

あえてそこには触れず、

私はただ、木村さんに、ある一つの「現実」が

訪れるのを待ちました。

 

そしてそれは、必然的に訪れたのです。

 

つづく

 

強みは見つからないもの?

私達人間の強みとは、

本来どういったものでしょうか。

 

それを明らかにするために、

まずどうしても触れなければならないのが、

私達人間の本能についてです。

 

私が企業現場において常に実感することですが、

私達人間の本能の中心に存在するのは

「進化への欲求」

ではないでしょうか。

 

いえ、それを言えば恐らく、

それは私達人間のみならず、宇宙のあらゆるものが

「進化への欲求」に基づいて存在している

というのが真実かも知れません。

 

「自然の摂理」という言葉がありますが、

その中心は進化であり、

すべてのものは進化への過程の中にある。

・・・と私は多くの方々と向き合う中でいつしか

確信するようになりました。

 

あまり話を大きくしすぎると

わかりづらくなってしまいますので端的に言えば、

私達人間は生まれた時から皆、

先天的に成長意欲を持っています。

 

例えば、

できなかったことができるようになる

のがとても嬉しいですね。

それは生まれたばかりの幼い頃から

私達の中には脈々と存在しています。

 

ただしあえて私は

「成長」という言葉と「進化」という言葉を

使い分けています。

その使い分けにつきましては、

今回のテーマとは少し外れますので、

また改めて書かせていただきます。

 

さて、

「人間の本能の中心は進化欲求である」

ということを言えば、ひょっとすると

何割かの人は反論したくなるかも知れません。

 

いやいや、人間はそんな素晴らしいものでは

ないよ、と。

 

私も一方では、そういった見方もしています。

 

ただ事実として私がとても面白いと思うのは、

「人間の本能の中心は進化欲求である」

という見方をしながら人と向き合うと、

その人の強みの伸び具合いが

明らかに違ってくる、ということです。

 

「この人は進化したがっている」

という考えを中心に、人をサポートするのです。

 

たったそれだけのことで、

その人の「強み」が非常に見つかりやすく

なるからです。

 

多くの場合、

人の強みとは「ありありとわかる」ものでは

ありません。

もちろんそういったわかりやすい強みもありますが、

その人の「天性の強み」とは、

ほんの些細なところに、ほんのわずかだけ

芽をのぞかせるものです。

 

その、わずかな芽を、ほとんどの人達は

見逃しています。

 

もちろん本人も気づきません。

 

わずかな芽に気づくためには、

「みんな進化したがってるんだ」という視点を

当たり前のように持ちながら、

人々を観察した時のみ、なのです。

 

そう考えますと、

私達人間の強みとは、本来どういったものか?

の一つの答えがわかります。

 

私達人間の強みとは、

「他者に見つけてもらわないとわからないもの」

であり、それは

「この人には強みが必ず存在している

と信じる者にしか見つけられないもの」

である、ということです。

 

むしろ、安易に強みを見つけたつもりになると、

その強みは本来の強みとはズレていることが多く、

それによりその人の進化はかなり遅くなって

しまうのです。

 

この件につきましては、

もう少し具体例を交えてお話を続けます。

 

次回に続きます。

『混乱した方がいい』

あえて、
混乱の中に飛び込めるか?

これが、
チームパフォーマンスコーチを
できる人とできない人の
重要な境目になります。

個人の人生にも
組織の道のりにも
混乱はつきものです。

ただし混乱とは、
飛び込むべき混乱と、
飛び込んではならない混乱が
あります。

必要な混乱と
不必要な混乱が
あるわけです。

まずはその見極めが
できること。

必要な混乱から逃げれば、
その後にもっと大きな混乱が
待っています。

不必要な混乱に取り組めば、
その混乱はさらに次の混乱を
呼び起こします。

必要な混乱とは、
「進化」と「調和」のための
重要なステップです。

それは避けては
なりません。

現実面でも
心の面でも
大いに混乱しましょう。

混乱とは、
わけがわからなくなってこそ
意味があるものです。

だから、
上手く混乱の乗り切ろう
などとは思わないことです。

その時点で、
逃げいてることと同じ
になります。

しっかり混乱そのものを
受け入れて、
しっかりと我を忘れて、
そこで初めて
見えて来るもの
気づけること
があります。

それを手に入れた瞬間に、
混乱は急速に
収まります。

これも自然の摂理です。

こういった摂理をよくわかり、
ちゃんと混乱すべきときに
混乱できるように、
個人にも組織にも
サポートをし続ける。

それが、
チームパフォーマンスの
重要な役割の一つです。

つづく