新しい自分を

受け入れる

度量を持とう。

 

しかしそれは

言うは易し、

行うは難し。

 

ほとんどの人が

新しい自分を

怖がる。

 

いや、

新しい自分そのものを

怖がるというよりも、

 

自分の変化を

怖がる。

 

その変化が

根本的であれば

あるほど。

 

それはしょうがない

ことかもしれない。

 

しかしその勇気を

持つ者は、

本人からしてみれば

まるで別人に

なるかのように

変化する。

 

しかし

側から客観的に

みれば、

その変化は

実に自然だ。

 

それは

変化というよりも

深化。

 

よりその人らしさが

滲み出る。

 

あぁ自然体に

なれたんだね。

 

・・・という

フィードバックになる。

 

側からみれば

そうなんだけど、

本人にしてみれば、

これまでの自分が

完全に破壊されたかの

ような、

そんなある種の

喪失感がある。

 

私がだいぶ前に

この最初の体験を

した時、

 

私は

落ち込まない私に

なってしまった。

 

それ以前の私は

ほんの些細なことを

気に留め、

すぐに悪い方へ

悪い方へと

物事の展開を考え、

 

・・・考え、というより

妄想しまくり、

 

一人で勝手に

落ち込んで

一人で勝手に

疲弊していた。

 

実際には

そのような不安なことは

起きないのに、

 

それは後になれば

いつも何事も

なかったのに、

 

それでも不安に

陥り、

心は疲れ果て、

いつも鬱々として

過ごしていた。

 

不安の中に

いる自分。

 

それが通常の

私であり、

 

それが私自身の

本質だった。

 

・・・と思っていた。

 

しかしそれが

ある時、一気に

変化した。

 

変化後の私は

落ち込まなくなった。

 

不安に

苛まれなくなった。

 

もちろん、

普通に安は出る。

 

そりゃそうだ。

現実世界で

生きているから。

 

でも、どうしても

妄想に入れなく

なった。

 

大抵のことでは

落ち込まなくなった。

 

落ち込もうと

思っても

どうしても

落ち込めないのだ。

 

だから私は

必死に努力して

妄想をし、

 

必死に努力をして

落ち込もうと

したんだ。

 

今から考えると

笑える話だが、

それくらいに人間というは

これまでの自分に

固執するらしい。

 

不安にならないと

不安なのだ。

 

落ち込まないと

落ち着かないのだ。

 

そんな状態が

ずっと続いて、

 

しかし

どれだけ努力しても

確固たる心の大地が

あり、

 

落ち込もうと思っても

落ち込めない。

 

不安になろうと

思っても、

どうしても心が

満ちてしまう。

 

エネルギーが

湧いてきてしまう。

 

ということが

続き、

ある時にとうとう、

 

あきらめた。

 

あぁもう私は

変わってしまったんだな、

と。

 

もうしょうがない。

無駄な悪あがきは

やめようかな、

と。

 

本当にあきらめた。

 

で、急にそこから

楽になった。

 

こんな感じ。

 

私達は、

どんなにひどい自分でも

これまでの自分に

執着する。

 

変わりたく

ないのだ。

 

でもそれは

あきらめた方が

いい。

 

あなたはもう

変わり始めて

いるから。

 

本来の自分に

向かってね。

 

つづく