もうやってられない

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迫り来る
人がいて、

私の正面、
ホントに顔スレスレ
まで
詰め寄って、

何かを必死に
訴えてくる。

ガミガミ
している。

でもその声が
私には
なかなか
届かない。

もっと落ち着いて
喋ってほしい
のだけど。


伝えてみるが、

私のことは
意に介さず、
まったく自分の
ペースで
ガミガミを続ける。

しょうがないので
じっと
見つめ続ける。

すると何となく
伝わってくるものが
ある。

やはり
孤独
だ。

一人にしないで
くれ!

要するに
これを伝えたい
だけなのだ。

それにしては
話が長い。

一言で
本当の気持ちを
言えばいいのに、

まるで
言い訳のように
その「周辺の言葉達」を
使い続けて
いるのだろう。

残念ながら
そういった言葉達は
もう
私の耳には
入らなくなってしまった
ということなのだろうか。

人の痛み。

私自身のも含め、
私は私の人生で
それをあまりに
多く
浴び過ぎてきたのかも
しれない。

痛みがわからず
して、
人のサポートが
できるか!

というのが
私のポリシーだったし。

その人の痛みは
その人にしか
わからないのだが、

それを知りつつも、
必死になって
わかろう
感じよう
とし続けた。

結果、
その人から大量の
エンティティ(ストレス濃縮体)
を受け取るようになり、

本当に
苦しみ、痛むように
なった。

しかしひょっとすると
それが
人の依存に
繋がっていたのかも
しれない。

苦しみの
肩代わり。

痛みの
分かち合い。

これは本当は
愛とは
言わない。

自分の人生を
引き受けるとは、

自分のあらゆる
痛みを
引き受けるという
ことだから。

それを
助長することこそ
愛なのだから。

私はその
ガミガミの彼から
スーッと
離れた。

周辺の言葉のみを
使い、
言い訳のように
しながら
依存しようとする人には

もう
付き合わないことに
した。

この年齢になると、
人生のゴールが
ずっと
観え続けている。

あそこにちゃんと
たどり着くためには、

もう無駄なことは
やってられない。

私には
向き合わねば
ならない人達が

まだまだ
大量にいるのだから。

つづく

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