なんだ、つまらないな

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私の仕事は

人の苦しみを受け取る

仕事である。

 

と書くと、

自己犠牲のように

思われるかもしれないな。

 

でも、

自己犠牲ではない。

 

自己犠牲ではないが、

確かに

苦しい。

 

今日も、ある人の

コーチングをしていたが、

その人の持つ苦しみを

そのまますべて受け取り、

私は

あまりの苦しみに

意識を失いそうになった。

 

しかしおかげで

そのコーチングで

何をすべきか?を

知ることができ、

 

その通りのことを

することで

その人は苦しみから

解放され、

同時に私も解放された。

 

しかも面白いことに、

その苦しみは

その人本人には

自覚のなかったものだ。

 

自覚がないのに

確かに苦しんでいる。

 

多くの人が

その状態だ。

 

自分の苦しみを

そのまま

苦しめるようになるというのは

なんと健康的なことか、

ということを

私はこの仕事を通じて

知った。

 

潜在的にせよ、

その人は確かに

苦しんでおり、

その同じ苦しみを

私はそのまま感じ取る。

 

それだけを見れば

なんと苦しい仕事か、

とも思うが、

しかしその後の「解放」も

共に感じ合うことが

できる。

 

それはその人にとっては

「本来の自分」に戻る

大切なステップであり、

「本来の自分」に

一歩戻ることが

人としての「最大の幸せ感」の

一つでもある。

 

その「最大の幸せ感」を

私もそのまま

感じることができる、

ということで言えば、

この仕事は

なんと幸せな仕事か、

とも言える。

 

・・・・・・

 

ところで、

「本来の自分」に戻る、

と私達は

どうなるだろうか。

 

今日の別のクライアントさんは

まさしく「本来の自分」に

戻れた直後の状態だった。

 

どんな感じですか?

 

と私が問うと、

 

「それがまったく

普通なんですよね。

ただ淡々としています」

 

というお答えだった。

 

そう、

そうなのだ。

 

私達は「本来」を

取り戻すと、

まったくもって

「普通」

となる。

 

これを

 

『凡』

 

という。

 

平凡の「凡」である。

 

辞書を引けば、

「すぐれ劣りのないこと。

目立つ点のないこと。

ありふれていること。」

などとある。

 

一般的には

つまらない

というイメージがあるだろう。

 

実際に

当の本人は「本来の自分」に

戻ると、

かなりその「つまらない」という

感覚に近いものとなる。

 

しかし実は

その本質は

一般的な「つまらない」とは

まったく異なるものだ。

 

その「つまらない」とは、

言葉を換えれば、

 

「やろうと思えば

何でもできてつまらない」

 

という意味での

「つまらない」なのだ。

 

実はこれも言葉にすると

ちょっと違和感があるが、

これに近い。

 

不安も恐れもあるし、

実際に自分の能力だって

変わっていないが、

しかし

「やろうと思えば

何でもできるし、

自分が望むことは

すべてその通りに叶っていくな」

ということを

「思い出している」のだ。

 

「自然の摂理」を

理屈ではなく「実感」として

思い出している。

 

だから、

「なんだ、つまらないな」

となる。

 

自分の中に

喜びもある。

悲しみもある。

苦しみもある。

嘆きもある。

怒りもある。

憤りもある。

望みもある。

願いもある。

祈りもある。

 

すべてが

ただ、

ある。

 

そのまま、

ある。

 

なんだ。

すべて「そのまま」では

ないか。

 

ということが

そのままわかるのだ。

 

この状態は

さらに言葉を換えれば、

 

「完全に自由になれた」

 

状態でもある。

 

私達は

完全なる自由を手に入れると

「つまらないな」

となるのだ。

 

さらに

実感としてわかるのは、

自分の中にある

無限のエネルギーの

存在だ。

 

正確に言えば、

宇宙全てのエネルギーが

自分と共にある

という実感だ。

 

なんだ。

いつでも無限のエネルギーが

ここにあるじゃないか。

「つまらないな」

という感じだ。

 

これらを一言で

表現すれば

 

『凡』

 

となる。

 

そしてこれが

「本来の自分を取り戻した」

状態であり、

 

私のサポートの目的の

第一段階は

これである。

 

すべてのクライアントさんが

まずはこの状態にまで

戻ること。

 

それが

「第一段階」

だ。

 

つまり、

これができて初めて

私達は

「スタートラインに立てた」

ということになる。

 

・・・・・・

 

なんだ、自分は

何でもできるじゃないか。

 

思い出した時点が

スタートライン。

 

人生の本番は

ここからだ。

 

何でもできるのだから、

何をするか?

自ら決める必要が

ある。

 

何でもできることが

わかっている状態で

道を決める。

 

実はこれこそが

最も難しいことの一つ

だ。

 

本当は

ここからこそが

「コーチング」の

スタートだ。

 

ちょいと

長くなったな。

 

この話、

続けようと思えば

永遠に書き続けられるけど、

 

この続きは、

またその気になったらね。

 

つづく

 

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