人は、
自分のことを理解していません。
それは、本当に多くの人達と向き合い続けた中での
私の現場での実感です。
いえ、私だって、自分のことを
理解できていません。
私は、「セルフコーチング」というものについて
本当に探究をし続けてきました。
ある意味、毎日24時間、セルフコーチングについて
考え、探究し続けている、と言っても
決して言い過ぎではありません。
セルフコーチングとは
自分と向き合うことです。
自分としっかり向き合うことによって
自分の中にある「本当の答え」を
見出します。
そのセルフコーチング力を、
いかにすれば高めることができるか?
を探究し続けてきました。
そんな私でも、
何日も答えの見出せなかったことを、
私以外の別の人と5分くらい話すだけで
えっ?とびっくりするくらい意外な答えを
見つけることが、今だにあります。
私自身が見つけられなかった答えを
人から指摘されることもあります。
その度に思うのです。
本当に人っていうのは、
自分のことがわからないのだな、と。
いえ、ひょっとすると
「自分のことをわからないように、
わざと創られている」のが
私達人間ではないか、
それは、私達人間にとって、
とても大事な要素なのではないか、
とさえ思います。
ですから私はよくお伝えします。
「自分のことをわかったつもりに
ならない方がよいですよ」
と。
「自分のことは自分が一番理解できない」
くらいに思っていた方がいいですよ、
と。
しかしそれを受け入れた途端に、
人生は、より楽しいものになります。
「自分」という理解不能な存在と
ずっと寄り添い続けるのが人生。
その、面白さを実感できるように
なるのではないでしょうか。
エンティティとは、
自分のことを理解できない、という意味では
最後まで理解不能のものの一つ
かも知れません。
エンティティは
誰にでも、あります。
私はコーチングをしていて、
クライアントさんからエンティティを受け取らない
日は、ほぼありません。
例えば、
もの凄く、人を大事にされている人の
コーチングをすると、決まって、
人に対する恨みや憎しみや
人を陥れてやろう、という意図に基づいた
エンティティを受け取ります。
かと言って、
その人の「人を大事にする」というのが
嘘である、ということではありません。
その人は、本当に
人を大事にされているのです。
でも、エンティティは
その真逆のものが発生したりします。
これがある意味、
私達人間の面白さなのかも知れません。
木村さんと弓江さんの二人コーチング。
その場で、
木村さんが、西畑さんからもらったエンティティと
向き合っている場面に戻りましょう。
どうやら、木村さんの肩から背中にかけて
西畑さんのエンティティが
張り付いているようです。
そのエンティティに意識を向けた時、
木村さんはそれを
「西畑が私にしがみついている」
と表現しました。
「その、しがみついている西畑さんは
何か喋っていますか?」
と私が問うと、
木村さんは言われました。
「お前を引きずり落としてやる。
そう西畑のエンティティは言っています。」
つづく
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