自己理解

本来の自分を知りたくば

 

自分のことを

もっと深く

知りたい!

 

という若者と

本当によく出会える

ようになった。

 

皆、勇敢だ。

 

多少、すっ転んでも

いいと

思っている。

 

だから

躊躇なく行動する。

 

そう。

 

自己理解を

深めたければ

行動するしかない。

 

止まっている自分は

決して

本来の自分では

ない。

 

止まったまま

あーだこーだ

考えていても

何の発見もない、

 

というのが

私達人間だ。

 

ただし、

ただ闇雲に行動

しても

意味はない。

 

本当にやりたい

ことを

本当にやりたい

ように

やる。

 

のだ。。

 

そのためには

本当にやりたいこと

が何か?

常に真剣でいることだ。

 

今、浮かんだ

この発想は

本当にやりたいことか?

 

今、やろうとしている

この行動は

本当にやりたいことか?

 

とにかく

真剣にそこを

見つめる。

 

そしてもし

わからなければ、

やってしまえばいい。

 

そこで

止まるのでは

なく。

 

本当にやりたいことを

やろうという

強い意志のもとでの

行動であれば、

 

多少、間違っていても

必ず何かを

得るだろう。

 

すっ転んでも、

痛くても、

ただ痛いだけでなく、

次につながるヒントは

得られるだろう。

 

ちょっと乱暴に

言えば、

 

周りに合わせた

行動では、

どれだけ行動しても

自己理解が進む

ことはない。

 

だってそれは

自分の意思では

ないから。

 

意思のないところに

得るものは

ない。

決して。

 

意思に基づいた

行動。

 

その連続の向こう

にしか、

本来の自分は

いない。

 

つづく

 

自己理解のための習慣

 

ゆっくりと

何かを語りたい

ときがある。

 

何を語りたい

のかは

わからない。

 

でも、

何かを語りたい。

 

そういったときは、

私はすぐに

パソコンに向かう。

 

文章を

書き始める。

 

頭では

書かない。

 

手、のみで

書く。

 

すると

面白いように

手が

スラスラと文章を

書き進める。

 

手が書いた文章を

後から

目が追い、

頭が追う。

 

そして

それを面白がる。

 

これも一種の

セルフコーチングの

やり方であり、

 

ある意味、最も

初心者向けの

方法だ。

 

できればこれを

毎日、

一日の終わりに

行なうと良い。

 

日記を

頭ではなく、

手で書くようなものだ。

 

とは言え、

毎日、

何か語りたいことがあるな、

という感覚に

なるわけではないだろう。

 

しかしそれでも

毎日、手に書かせて

いると、

 

毎日、一日の終わりには

何かしら

手が書けるようになる。

 

習慣化というのは

面白いものだ。

 

我々現代人は、

 

あまりにも

自分自身の内面を

理解せずにいる。

 

頭の中で

考えていることのみが

自分であると

思い込んでいる。

 

もっと

しっかりと自分を

理解しようとした方が

良い。

 

でないと、

本当に自分の人生を

自分として生きていることに

ならないのではないかな。

 

手で書く、というのは

習慣化するには

とてもオススメの

やり方だ。

 

つづく

 

あなたは自分と出会えてますか?

いつも私が申し上げること

ですが、

私達が存在している

この3次元の世界は、

すべてが分離している

世界です。

 

分離すればするほど、

次元は下がるわけですが、

分離がいけない

ということではありません。

 

分離をしているからこそ

得られるものは

多いです。

 

学べることも

多いです。

 

例えば、

私とAさんは

別人です。

お互いに分離した存在です。

 

しかし

Aさんと向かい合っていますと、

ある瞬間に

「あっ、一つになれたな」

とわかるタイミングが

きます。

 

そうなると

その時点から

Aさんとのコミュニケーションは

極めて楽になります。

 

Aさんの意図や、

言わんとしていることや、

意図を超えた願いとか、

そういった

「あらゆるものが」

まるで手に取るかのように

わかるようになります。

 

ただし、

「わかる」といっても

それは言語化されたもの

ではなく、

あくまでも「感覚」

です。

 

感覚的に

「すべてをわかり合えた」

と思えるのです。

 

その状態は

しばらく続きます。

 

するとその時間は

実に創造性に富んだ

ものとなります。

 

直観や確信は

もちろん次々に

湧いてきますし、

今後の自分達の歩みにおける

大切なヒントを

見出せたりもします。

 

以前は私は

この状態を意図的に

創り出すことが

できませんでした。

 

でも今は

ほぼ毎回、この状態に

入れます。

 

とはいえ、

相手もいることですから

あくまでもAさんの心や

体の状態によって

対応を変えます。

 

Aさんの心が

反応本音やエンティティに

まみれてしまっているときは

「一つ」になるには

かなりのエネルギーを要しますので、

そういった場合は

あまり無理はしません。

 

大切なのはやはり、

まずは自分自身の

真本音度合いが高まること、

そして、

Aさんの真本音度合いが

高まること。

 

そうなればなるほど

簡単に

「一つ」になれます。

 

・・・・・・

 

相手と一つになれる

コミュニケーション。

 

これを私は

「真本音コミュニケーション」

と呼んでいますが、

この力をつけるための

最短の道が

セルフコーチング力を高める

ということなんです。

 

セルフコーチングというのは、

自分自身の様々な

心と向き合います。

 

それをまるで

他人のように

観察したり感じたり

対話をしたりします。

 

その客観性に慣れて

きましたら、

今度は、

客観的になれた自分に対して

「一つ」になることを

するのです。

 

えっ?どういうこと?

と思われるかもしれませんね。

 

自分の心と分離し、

客観性を高めた上で

また一つになる。

 

・・・じゃあ最初から

自分の心は自分なんだから、

一つなんだから、

わざわざそんなこと

しなくてもいいんじゃないの?

 

そう思われるかも

しれないですね。

 

でも、

違うんです。

 

最初から一つである自分自身の

心のままにいることと、

あえて分離して

また、意図的に一つになるのとでは

本質的にまったく

異なる状態になるのです。

 

なぜなら実は、

私達は本当は

最初は自分の心と

「一つ」になれているわけでは

ないからです。

 

「一つ」になっていると

思い込んでいますが、

実はそれは

「ズレて」います。

 

そう。

 

「ズレている」という表現が

最も正確です。

 

自分の心なのに

自分は心と

「ズレた」関係になっている

のです。

 

そのまま私達は

毎日を生きているのです。

 

ですので、

いったん分離し、

その上でしっかりと

「一つ」になる必要があります。

 

すると、

私達は私達自身の心を

「ありあり」と

感じ取り、理解することが

できるようになります。

 

あぁ私は、

こんなことを思っていたんだ、

こんなことを願っていたんだ、

こんなことで苦しんでいたんだ、

こんなことを喜んでいたんだ、

・・・というように

自分自身のことを、

初めて理解できるのです。

 

それを、

あるクライアントさんは

「自分とやっと出会えました」

と表現されました。

 

そうです。

 

私達の多くは、

まだ

「自分と出会っていない」

のです。

 

自分なのに

自分と出会わないままで

人生を進めているのです。

 

それって、

変ですよね。

 

健康な状態とは到底

言えません。

 

・・・・・・

 

以上のように、

セルフコーチングは

自分自身と

・分離したり

・一つになったり

を自由自在に織り交ぜながら

自己理解を進めます。

 

そしてその中で、

自分の

・真本音の意思と

・反応本音の意思を

区別します。

 

そして

・真本音の意思で動く

度合いを高めていきます。

 

それをすることで、

私達はより

「本来の自分らしく」

なれますし、

「自分の本当に望む人生」

を生きることが

できるようになるのです。

 

つづく

 

自己理解の第一歩は、心の声理解である

「自分の心に意識を向ける」

そのファーストステップは、

「今、自分が感じていること」に

意識を向けるということです。

(→前回記事)

 

「感じていること」とは、

自分の「感情」が生まれる

一歩手前の段階です。

 

私達は、

①何かを感じる

ことによって

②感情が生まれる

のです。

 

①がなければ

②はありません。

 

①も②も両方理解することが

自分を理解する

最も基本となります。

 

どんな①が来れば、

どんな②になるのか?

・・・自分はそこに

どのようなパターンを

持っているのか?

 

それが自己理解の

基本だからです。

 

さて。

 

①に目を向けるようになると、

私達は実に様々なことを

一日の中で感じ取っていることに

驚くでしょう。

 

ほんの些細なことで

私達の心は

まるで風を受けた風船のように

揺れに揺れます。

 

私達の心は

揺れるようにできているのです。

 

それを

揺れていないふりをしたり、

揺れていることに麻痺したり

するのはまったくの

無意味です。

 

揺れをそのまま感じ取ること

こそが健康であり、

自分の心を強くする

一歩にもなります。

 

揺れている自分を

あるがままに見つめる

自分になることで、

直観力も大きく増します。

 

そのためにも、

①に敏感になれたら次は、

②に目を向けましょう。

 

つまり自分の感情と

向き合うのです。

 

ただしその感情とは、

激しいものばかりでは

ありません。

 

激しい感情は

わかりやすいです。

 

ものすごく怒りを感じたら、

誰もが自分は腹が立っている

とわかるでしょう。

 

そういった激しいものだけでなく、

ほんの些細な、

フッと現れては消えていくような

わずかな感情の動きにも

目を向けます。

 

その際に一つ、

重要なポイントがあります。

 

それは

『心の声』

です。

 

私達の感情には必ず

「心の声」が

セットでついてきます。

 

例えば、

Aさんの一言でムッとした場合、

怒りの感情と共に、

必ず何らかの「心の声」を

私達はつぶやいているはずです。

 

「なんてひどいことを言うんだ」

とか

「きつ過ぎる」

とか

「それを言わないでくれーーっ!」

とか。

 

時と場合でまったく異なる

「心の声」が発生するでしょう。

 

しかもその「心の声」は

さらに次の「心の声」を

呼び起こします。

 

例えば、

「Aの馬鹿野郎!」

とか

「こいつは大っ嫌いだ!」

とか

「殴ってやりたい!」

とか。

 

そしてさらに別の

「心の声」も続くかもしれません。

 

このように、

感情を理解するとは、

同時に、

「心の声」を理解することでも

あるのです。

 

逆に言えば、

自分の「心の声」に

意識を向けておけば、

自分の感情を理解することに

つながるケースも多いです。

 

私はよくコーチングの場で

「その時、どのような心の声を

つぶやいていましたか?」

という問いを投げます。

 

それを続けると、クライアントさんは

私がその問いを投げなくても

自分から「心の声」を

口にするようになります。

 

それができるということは

それだけ自分を客観的に

観れるようになってきた

ということでもありますし、

自己理解も進みます。

 

するとさらに私は

次のようなことも

クライアントさんにお勧めします。

 

それは、意図的に

自分で「心の声」をつぶやき、

「心の声」通りに行動する

ということです。

 

実はこれはいつも私達が

無意識にやっていることなのですが、

それを意図的に行なうと、

自己コントロール力が

格段に増すのです。

 

今日もたまたま

それを実践したクライアントさんの

コーチングだったのですが、

その方はそれをやってみて、

 

「すべての行動はこうやって

自分で決めていたんだということが

本当にわかりました。

私はすぐに人のせいにしたり、

辛いことがあると逃げようと

思っていましたが、

なんだ、すべて自分で決めて

行動していたんだ、という

当たり前のことに気づきました」

 

・・・という感想を

言われていました。

 

無意識に行なっていることを

意識化するというのは、

自律性や主体性の一歩にも

なります。

 

では、・・・

 

ここまでのお話を

少しまとめます。

 

『直観力を高めるには』

というテーマで、

ここまで書かせていただいています。

 

直観力を高めるためには、

人間として普通の生き方をすることが大事。

普通の生き方とは、

まずは自分の心に意識を向けること。

意識を向けるとは、観る(観察する)、ということ。

まずは何を観ればよいかと言うと、

それは

・自分が今、感じていること

・それにより引き起こされる感情と心の声

である。

 

・・・ということになります。

 

実はこれは私の言うところの

「セルフコーチング」の基本でもあります。

 

そしてこの基本を実践するだけでも

直観力はアップし始めます。

 

しかし、本題は

まだまだこれからです。

ここまでは序章にしか

すぎません。

 

つづく

自分のことは決してわからない、・・・それが人間かも

人は、

自分のことを理解していません。

 

それは、本当に多くの人達と向き合い続けた中での

私の現場での実感です。

 

いえ、私だって、自分のことを

理解できていません。

 

私は、「セルフコーチング」というものについて

本当に探究をし続けてきました。

ある意味、毎日24時間、セルフコーチングについて

考え、探究し続けている、と言っても

決して言い過ぎではありません。

 

セルフコーチングとは

自分と向き合うことです。

 

自分としっかり向き合うことによって

自分の中にある「本当の答え」を

見出します。

 

そのセルフコーチング力を、

いかにすれば高めることができるか?

を探究し続けてきました。

 

そんな私でも、

何日も答えの見出せなかったことを、

私以外の別の人と5分くらい話すだけで

えっ?とびっくりするくらい意外な答えを

見つけることが、今だにあります。

 

私自身が見つけられなかった答えを

人から指摘されることもあります。

 

その度に思うのです。

 

本当に人っていうのは、

自分のことがわからないのだな、と。

 

いえ、ひょっとすると

「自分のことをわからないように、

わざと創られている」のが

私達人間ではないか、

それは、私達人間にとって、

とても大事な要素なのではないか、

とさえ思います。

 

ですから私はよくお伝えします。

「自分のことをわかったつもりに

ならない方がよいですよ」

と。

 

「自分のことは自分が一番理解できない」

くらいに思っていた方がいいですよ、

と。

 

しかしそれを受け入れた途端に、

人生は、より楽しいものになります。

 

「自分」という理解不能な存在と

ずっと寄り添い続けるのが人生。

その、面白さを実感できるように

なるのではないでしょうか。

 

エンティティとは、

自分のことを理解できない、という意味では

最後まで理解不能のものの一つ

かも知れません。

 

エンティティは

誰にでも、あります。

 

私はコーチングをしていて、

クライアントさんからエンティティを受け取らない

日は、ほぼありません。

 

例えば、

もの凄く、人を大事にされている人の

コーチングをすると、決まって、

人に対する恨みや憎しみや

人を陥れてやろう、という意図に基づいた

エンティティを受け取ります。

 

かと言って、

その人の「人を大事にする」というのが

嘘である、ということではありません。

その人は、本当に

人を大事にされているのです。

 

でも、エンティティは

その真逆のものが発生したりします。

 

これがある意味、

私達人間の面白さなのかも知れません。

 

木村さんと弓江さんの二人コーチング。

その場で、

木村さんが、西畑さんからもらったエンティティと

向き合っている場面に戻りましょう。

(→前回記事)

 

どうやら、木村さんの肩から背中にかけて

西畑さんのエンティティが

張り付いているようです。

 

そのエンティティに意識を向けた時、

木村さんはそれを

「西畑が私にしがみついている」

と表現しました。

 

「その、しがみついている西畑さんは

何か喋っていますか?」

 

と私が問うと、

木村さんは言われました。

 

「お前を引きずり落としてやる。

そう西畑のエンティティは言っています。」

 

つづく