チームパフォーマンスコーチ

人間本来の強み

ゆっくりと
動いていく。

土台が。

大地
そのものが。

ゆっくりだが
インパクトは
大き過ぎる。

大地そのものが
動くのだからね。

世界が
根底から変わる
ということだ。

表面だけが
激しく動く
よりも、

数千倍も
キツいことだ。

怖いことだ。

しかしもう
止まらない。

それが
自然の摂理
だからね。

その
動く大地に
乗っかっている
我々はもう、

右往左往しても
意味がない。

大地が
動いているんだ。

我々はもう
開き直ろう。

泰然自若として
すべてを
受け入れよう。

ただし、

やることは
やるぜ。

大地が動こうが、
槍が降ろうが、

やることは
やるぜ。

そんな
仲間達。

強いな。

大地よりも
強いのか?

人というのは
凄いな。

人の意志は。

同じ方向を
向く。

目的を
決める。

一緒に行くと
決める。

完全に
決める。

同じ人間だが
所詮は
他人だ。

自分以外の
存在だ。

しかし
だからこそ
だ。

だからこそ
こんなにも
一つになれるんだ。

異なる存在
としての
私達。

それが
「決める」と
こんなに
揺るがない。

弱いはずの
人間の
強み。

本来の
強み。

つづく

それが仲間だ

人の心は
もともと
揺らめくものだ。

揺れ
があるのが
当たり前だし、

健康だ。

ただ、
その揺れを
受け止める
自分自身と、

周りに
仲間がいて
くれるかどうか?

仲間の存在は
やはり
ありがたい。

揺れを
揺れとして
そのままで
いいじゃん、

お互いに
認め合う。

お互いの
反応本音を
そのまま
認め合う。

その
存在を。

たくさん
揺れる。

それで
いい。

たくさん
揺れる
時ほど、

一緒に
いよう。

そんな
仲間達。

強いね。

揺れることが
へっちゃらに
なれば、

どのような
状態でも

することは
ただ一つ。

自分一人
としても
チームと
しても。

することは
変わらない。

決めている
ことを
決めている
通りに
ただ
やるだけ。

つづく

組織変革6人組

一人と一人が
調和し、

さらに
一人と一人が
調和する。

そんな
二人組が
合わさり、

調和のシナジー

生まれる。

そこにまた
人が
引き寄せられる。

6人組。

もしくは、
6人組+1人
のチーム。

強い。

いったん
深いレベルの
絆が発生すると
もう、

揺らぐことが
ない。

その場に
いるだけで、

進化が
始まる。

進化が
当たり前。

その当たり前の
上に
さらに
新たなエネルギーが
発生し、
重なり、
渦を巻く。

それが
周りに波及、
伝播していく。

6人組。

もしくは、
6人組+1人
のチーム。

これを
私は創りたい。

組織の中で
これを
どれだけ
創り出せるか?

しかし
たった一つでも
これができれば、

組織は
根底から
変革を始める。

つづく

満月の問い

心の中に
満月を
思い浮かべ、

それを
じっと見つめ、

心が
底の方から
鎮まったな、


思えたところで
自分に
問うてほしい。

「私は今、丸か?」

「◯」

つまり
真ん丸か?

・・・と。

本質部分の
話だ。

本質が本当に
「◯」ならば、

存分に
尖ることが
できる。

本質が
「◯」でなければ、
結果的に
自分は自分を
躊躇する。

本当の力は
出せないんだ。

今は
大事な時だ。

ここからの
歩みは特に。

私は今、
「◯」か?

そうでないと
感じたら、
至急、

大至急、

その原因を
自分自身に
問い、

その原因を
解決しよう。

大至急。

つづく

鈍感の強さなど

表面上の
痛みであれば
大したことは
ないのだが、

表面上の
痛みほど
痛い。

深刻な傷
ほど
痛みが麻痺する
ものだ。

痛い
痛い
痛い!


泣きわめくことが
できるなら、
まだ健康的だ。

私達にはちゃんと
泣きわめく
という
機能がついている。

その機能を
しっかり使えば
いい。

問題は
それすらできない
時だ。

そういった人達と
私は向き合う
ことにしている。

傷の振動は
奥深い。

ずっと
揺れ続けて
いる。

しかしそれが
表面まで
伝わってこない
のだ。

だから本人は
私は平穏だ、

思い込んでいる。

まったくもって
そうじゃない。

やばいだろ。

まずいだろ。

そのままじゃ
心が
壊れるだろ。

魂まで
壊れそうだぞ。

私は内心、
冷や汗を流しながら
必死に対応する
のだが、

本人は
のほほん
としている。

それが
恨めしくさえ
なるのだが、

昔は確かに
私も
同じ風だったと
思えば、

人間だ、
しゃーない!

とは
思える。

が、しかし
それにしても
自分のことだ、
もっと自分で
気づけよ!

ド突きたくなる。

もっと
自分を
大事にせーよ!

痛みに
敏感であれ。

これからの
時代は特に。

鈍感の強さ
など
ここからは
通用しない。

自分の弱さを
知る者だけが、

間違いなく
道を刻める。

突破口を
見つけられるんだ。

つづく

魂の悦ぶ視点

地球全体
という
視点を持つことで

初めて
浮上する発想
がある。

しかもその、

地球全体
という
視点が
「向いている」
人がいる。

「地球全体」
という視点こそが
その人の
等身大の発想を
呼び起こす
という
タイプの人だ。

そういう人が
増えている。

時代の流れ
ということも
あるだろうが
それ以上に、

本質的に
「向いている」
のだ。

つまりは
その視点による
「何か」

人生において
為そう、と
決めている人、

そして
そういった約束を
自分自身と
交わしている人。

ところが
面白いことに、
そういう人ほど
妙に
謙虚だ。

「地球全体」
なんて、
そんな大それた
考えなんて
自分にはおこがましい
と。

でも私は
思うのだけど、

そういった
謙虚さは、

要らない
よ。

それよりも
粛々と
自分自身との
約束を
果たそうとして
ほしい。

でもでも、
身の回りの
こそすら
私はしっかりできない
のに、
「地球」・・・なんて。

そう、
その通り。

だから
身の回りのことから
ちゃんと
やっていこう。

しっかりと
地に足をつけて。

そして
その一歩一歩と
「地球全体」の視点を
いつも
結ぶことが
大切だ。

私達は「地球」に
立っているじゃ
ないか。

「地球」を
感じながら、
今の一歩を
生きるんだ。

すると
あなたの
魂が
悦ぶだろ?

つづく

観えなくなってる

あなたの
目を
遮っている
ものは何?

あなたの
視界を
狭めている
ものは何?

どんな枠に
知らず知らずに
ドップリと

捕らえられて
しまっている
のだろう?

人は
自由では
ないよ。

どれだけ
本人が
私は自由だ!

叫んでいたと
しても。

窮屈さに
麻痺をしている
だけのことさ。

それが人間、

諦めてしまうことも
できる、
と言えば
できる。

が、いいのか?
それで本当に。

私達が
自分に課した
約束は、

このような
状況の中で
あっても

真に自由に
なること

では
なかったか?

その強い
意志に基づいて
生まれて
きたのに、

やはりみんな
忘れちまうんだ。

なかったことに
してしまうんだ。

あぁこの人も
自分との約束を
忘れてしまってる。

あぁこの人もか。

あの人もか・・・。

結局は
それが最も
悲しかったことかな。

かく言う私自身も
ずっと
忘れて
いたのだけどね。

やはり、

人と向き合う
ことかな。

人と向き合い
続けることで、

「他者」という
存在を通じて、

私達は
なんとなく
自分自身の
約束を
思い出し始めるんだ。

自分探し?

内観?

残念ながら
それでは
見つからないんだよ。

内側には
何もなし。

外と繋がる
ことで
初めて
そこに答えは
浮上するんだ。

向き合おう。

もっと。

人と。

本当に。

その人を
介して、

自分の枠が
観えてくるよ。

つづく

ヤツの招き

遠くに光る
そいつの
正体が

やっと
わかったんだ。

あの
点滅する
やつさ。

まるで
警告のように。

実際、私は
ずっと
警告だと
思ってたんだ。

だから
そいつが光る
度に
緊張もしたさ。

しかし
違ったんだよ。

警告どころか、
そいつは
私を
ずっと
呼び寄せて
いたんだ。

招いて
いたんだよ。

でもそれは
「こっちへ来い」
ということでは
ない。

もちろん
「向こうへ行け」
でもない。

言わば、

「祝福」

のような
感じさ。

よくやった!
とか
おめでとう!
とか。

そういった
類のメッセージ
さ。

異常に
点滅することが
あるんだ。

それは
天から
降りてきてるんだ。

軸が、ね。

軸が
大地を
貫く。

そんな時、
点滅する。

そして
大地と軸の
“十”字がさ、

すべて
なんだ。

“十”とは、
私のことだ。

本来のね。

だから
行くことに
したんだ。

発進。

自分を
発しながら
進むんだ。

ようやく
「オープン」
だよ。

それをヤツは
招いてたのさ。

つづく

ただ、いるだけなのに

その人が
中心にいる
だけで、

なぜか
物事が上手く
回るようになる。

そんな人が
いる。

それは
スキルやテクニック、
つまりは
能力的なもの
によるのではなく、

その人自身の
在り方
による。

真本音度が
高まることで、
そういった力

・・・つまりは
存在そのもの
の力、
と言ってもいい、

そんな力を
発現するようになる
タイプの人が
いる。

その人は
チームや組織の
リーダーで
ある必要はない。

そういった
具体的な役割を
担う必要はないし、

実際に皆を
引っ張ろうと
する必要も
ない。

ただ、
そこにいる
こと。

そこに
ずっと
存在し続ける
こと。

それで
すべてが調和を
始める。

ただ、
そんな人でも
「中心」から
外れると途端に
その力を失う。

同じ人とは
思えないような
存在感のなさに
なる。

「中心」
であるかどうかは、
その人自身の
意識による。

つまり、
その人本人が
「ここでは私が
中心だ」
と、
ある意味の覚悟を
持っているかどうか
だ。

リーダーじゃ
なくてもいい。
しかし、
そういった覚悟が
あること。

私は
組織サポートに
おいて、
そういったタイプの
人を見つけることを
一つの重要な目的と
いつも
している。

そういった人が
見つかれば、
その人をとにかく
活かしまくる。

ご本人の
真本音度を
まずは高める
サポートをし、

その人に
「中心の喜び」
を体感していただき、

あとは
その人の意志に
基づいて
組織に風穴を
開けていく。

私が
「要」(かなめ)
と呼ぶ人の
一つのカタチ。

人には
いろんな力が
あるんだよ。

つづく

人が嫌いだった

「味わう」
という
言葉が最近、

フッと
奥の方から
浮上してきた。

とはいえ、
この言葉は
ずっとずっと
私が
無意識に
呟き続けてきた
言葉だとも
わかる。

特に、
人と向き合って
いる時。

コーチングや
研修や。

ちなみに
最近の私は
自分がクライアントさんと
向き合う時間を
「コーチング」とは
呼ばなくなった。

「指導の時間」

呼ぶようになった。

が、
本質は何も
変わらない。

ただ、
私のしてきたことは
「コーチング」という
名を借りた
「指導」であったと
気づいただけの
ことだ。

それはともかく、
その
指導の時間にこそ、
私は無意識に
ずっと
その言葉を
呟き続けてきた、

ということに
気がついた。

「味わう」

私は、
人生を味わって
いる。

人を
味わっている。

場を
味わっている。

時間を
味わっている。

人と向き合う
時は
最もそれが自然に
できていた。

最近は、
一人の時間でも
この言葉が
浮上し、

一人の時間でも
まるで
人と向き合っている
ような
感覚になる。

味わえば
味わうほど、

私はどこに
いても

人を
感じるのだ。

そして
それが
幸せで
しょうがない。

なるほど、

私は
こんなにも
人が好きだったのか、

今更ながらに
気がついた。

私の人生の
始まりは、

自分が
嫌いだった。

大嫌い
だった。

幼少の
物心ついた時から、
自分の顔を
鏡で見るたびに

吐きそうに
なっていた。

気持ち悪い
と思っていた。

そして
同じくらいに
人を
嫌いだった。

そんな人生の
始まり
だったのに、

何とかなる
もんだな、
人間は。

つづく

消えてしまわぬように

夢ではないか?

思ったが、
現実だった。

私は
現実を
生きていた。

しかし
夢のような
実感のなさ
がある。

しかし
確かに私は
ここにいる。

こうやって
今、
手に取っている
ものを
ちゃんと
感じている。

がしかし、
この
実感のなさ。

五感のすべてが
薄い感じ。

淡く儚く
幻のよう。

でも確かに
ここは
現実だ。

私は
日常を
生きている。

最近、
こうなる頻度が
増えたように
思う。

私の中で
カッと
エネルギーが
高まる時が
ある。

それは
一瞬のこと
だが、

内側からの
そのエネルギーに
私自身が
満たされると、

そうなる。

すべてが
薄くなるのだ。

あまりの
薄さに
私自身がこのまま
消えてしまうのでは
ないか、

危惧することも
ある。

そしてやはり
思うのだ。

この世は
儚いか。

何かのきっかけで
すぐに
消えてしまいそうな
弱さ。

だから
そうならないように
丁寧に
誠実に。

細心の
注意を払って。

エネルギーは
出せばいい
というものでは
ない。

エネルギーは
現実を
消す。

それでは
元も子もない。

すべてを活かす
ために
ここにいるのに、

消しては
なるものか。

エネルギーは
出せば良い
というものでは
ない。

エネルギーコントロール
の力こそ
私達には
必要なこと。

エネルギーは
出せば良い
というものでは
ない。

つづく

願いがあるだろう

夜景が
見える。

その一つ一つ

光に

人の人生が
ある。

人生が
見える。

その一つ一つ

光に

その人の
願いがある。

自分の
願いだ。

まずは
自分が
大事にしなけりゃ。

願い
とは、

人生の指針
であり、

自分との
約束であり、

自分の生きる
支えとも
なる。

願いに素直に
ならずして、

何に
素直になる?

自分に素直に
生きずして、

何のための
人生?

たまたま
生まれたのでは
ない。

私達は
必然的に
ここにいる。

理由が
ある。

必ず。

素直な願いは
その理由に
直結するもの。

人生には
意味がある。

それを
見つけようと
せずして、

何のために
生きればいい?

真剣になる
とは
願いに
素直になること。

願いに
素直になる
とは

自分を
愛すること。

自分を愛する
ことで
人はようやく

人を本気で
愛することが
できるんだ。

つづく

何をする

さて、
何をする?

ここから
だよ。

気づいて
いないの?
まだ。

あなたは
変化しただろ。

決心が
生まれた
だろ。

それを
覚悟
とも言うんだ。

決めている
自分が
いるだろ。

その心の
中心核にさ。

もう、
揺るがない
だろ。

だから

これまでと
同じ場所で
迷ったり
悩んだり
する必要は
ないし、

その時間も
ない。

一気呵成
だ。

進めるよ。

何を
する?

つづく

言葉を遺す

海岸の
岩の上に
立ち、

広大な
海を
みる。

そして
待つ。

ただ
ひたすらに
待つ。

次の
「言葉」

くるのを。

「言葉」

私の中には
ない。

私の中に
あるのは
単なる
執着の集積
だ。

私はそれを
よく
知っている。

だから
執着の集積
から
強引に
言葉を選ぶ
ことはしない、
絶対に。

どれだけ
時間が
かかろうが、

どれだけ
沈黙が
続こうが、

ただ
ひたすらに
待つ。

今ここに
本当に
必要な
「言葉」

ある。

今この人に
遺すべき
「言葉」

ある。

それは
今ここにしか
こない。

過去にも
未来にも
永遠に
こない。


にしか
こない、
今の
「言葉」。

待つのが
私の
役割。

そして
そいつが
きたら
それを
そのまま
この人に

あるがまま

伝え
遺すのが

私の
役割。

つづく

人が割れたら

パカっと
割れた。

その人が
割れた。

すると
中から
ブラックホールが
現れた。

すべてを
吸い尽くす
ブラックホール。

しかし、

すべてを
愛し尽くす
ブラックホール。

そこだけは
特異点。

すべてを
特異点に
引きずり寄せる。

穏やかな
顔の

激しい
ブラックホール。

これこそ
人の
無限の
エネルギーか。

つづく

今の流れは

今、
発想し得る

最も高い
目標


本気で目指そう。

これまでは
できなかった
ことが、

急に
できるように
なる。

そんな
流れだ。

もちろん、
一歩一歩では
上手くいかない
ことは
多々あるだろう。

しかし

視線の先を
その目標に
定めれば、

これまでとは
異なる
展開になるはず。

そんな
流れだよ。

つづく

細胞が開く・閉じる

細胞が
閉じる。

細胞が
開く。

人間には
そういうことが
ある。

開いている
時と
閉じている
時は

まるで
別人みたいだ。

私達の多くは、
それを
エネルギー調整の
ために行なう。

今、
エネルギーを
出せない時、

出しては
ならない時、

私達は
細胞を閉じる。

その場合、
どうしても
その人本来の
空気感は
薄れる。

つまり、
本来の魅力が
伝わりづらい
状態となる。

逆に、

エネルギーを
全開にしても
良い時、

内側からの
エネルギーに
満ちている時は、

私達は
細胞を開き、

その人の
本来の空気感が
出る。

本来の魅力が
感覚として
周りに伝わる。

真本音度合いが
高まれば、

私達はその
「調整」を
真本音で行なう。

今、
自分は、
どれだけ
開けば良いか?


都度都度
丁寧に
決めるのだ。

もちろんそれは
無意識レベルの
話だ。

自分が
本来の魅力を
どこまで出せるか?
については、

だから、

真本音に
任せてしまおう。

私達にできる
ことは、

自分の真本音の
生き方を

粛々と
誠実に
実践し続けること
のみ。

つづく

希望はあるか

希望の光が
あると言うなら、

それをいつも
見つめていたい。

希望の光が
導いてくれるなら、

その導きの通りに
進んでいたい。

しかし
人生はそのようには
いかない。

すべての決断は
自らが
下さなければ
ならない。

希望は
自らの行動を
もって
自ら創り出さねば
ならない。

特に
未知の領域では
何も見えない。

人間が
入って良いものか
どうかすら
わからない。

経験が
ない。

これまでの
経験則が
まったく通用しない。

でも
闇雲に進むわけにも
いかない。

じゃあ
どうする?

わからない。

知恵を絞る
しかない。

経験を超えた
知恵を。

人は
経験を
超えられるか?

もちろん
超えられる。

でなければ、
人類の歴史は
このようには
進んでこなかった。

もちろん
良い歴史だったとは
言い難い部分も
多いのだが。

それでも
「未知」に向かう
ことこそが
人間の存在する
意義だと
私は思う。

未知の中でも
最大の「未知」に
向かうのが、
ここからの
私達の進む時代だ。

希望を
持たなければ
希望は
ゼロだ。

誰も
何も
してくれない。

私達が
自分で
やるしかない。

そう決めて
ここまで
来たんだ。

希望の光は
見えなくとも、

希望を抱いて
進む。

光がなくとも
それができるのが
また
私達人間の
凄いところさ。

つづく

細胞の喜ぶ出会い

まだ
出会っても
いないのに、

もう
出会ってる感
がある。

すでに
一緒にいる感
がある。

その感覚が
ふと湧いた時、

私はそれを
とても大切にする。

常に
その感覚を
味わいながら、

一日を
過ごす。

すると多くの
場合、

出会いはすぐに
くる。

あぁ、あなただったな、

その瞬間に
すぐに
謎が解ける。

私の人生に
とって
とても大事な
人達。

彼らが
いるのと
いないとでは、

人生展開が
根本的に
変わる人達。

出会う前から
繋がっている
人達。

もう、
私達の場合、

心が
というよりも、

細胞が
すべてを
知っている。

心の反応の
前に、

細胞が
湧き立っている。

こういった
感性を養い、

実際に
良い出会いが
現れるかどうかは、

日々の
自分自身の
生き方
による。

それ以外は
ない。

ちゃんと
生きよう。

やることを
日々、
ちゃんと
やろう。

そうすれば、
恩恵のような
プレゼントとして、

その出会いは
くる。

つづく

良いことにならんぞ

この方向に
進めば、
決して
良いことには
ならない。

そう
わかっていて
しかし、
その方向に
動いてしまう。

動きながら
もう
最初の一歩目から
後悔が
始まるのに、

それなのに
ますます
勢いを増して
進んでしまう。

真本音度合いが
高まっている
のに、
そのように
なることがある。

そういった
場合は
もう
諦めるしかない。

自分に
委ねるしか
ない。

自分の
顕在意識を
超えて、
自分の真本音が
自分を
動かしている
のだ。

特に
直観は、
自分の思惑を
大きく超える。

自分のこと
なのに
自分で制御が
効かなくなる。

真本音度合いが
高まっている
が故に
起こる一つの
現象だ。

正直に
言うが、

私はそのような
ことが
今は毎日のように
起きている。

だからもう
慣れた。

昔はそんな
自分に
随分と抗ったが、

抗っても
仕方ない、と

散々体験を
繰り返しながら
思うように
なった。

人間は
馬鹿にならない。

自分は
馬鹿にならない。

こういう時
私は

自分とは何者ぞ?


いつも思う。

半ば、
驚嘆しながらも。

この方向に
進めば、
決して
良いことには
ならない。

むしろ
そう思う自分が
出る時こそ
人生の醍醐味が
あると、
今は思う。

自分は
自分を
超えられない。

真本音の
自分こそが
本来の
自分なのだから。

つづく

調和の大原則

調和のための
大原則。

それは、

調和のため
には

「期限」

が必要だ
ということ。

「いつまでに
これをやる」

「いつ
これをやる」

と、
完全に
決めること。

期限が
あって
初めて、
そこに向かって
あらゆることが
調和を始める。

「いつか
やれればいいや」

「期限なしで
自由にやればいい」


言っている内は
何も
調和しない。

この
3次元の世界
における
大原則だ。

期限

決め、

本気で
その達成に
取り組むこと。

単純で
当たり前の
ことだけどね。

つづく

これまで通りに

表面上は
混乱。

中身は
安定。

現象は
混沌。

実在は
完成。

・・・今後
ますます
そのような
状態が
高まり、
深まる。

目の前の
混乱
混沌

目を奪われる
必要はない。

ただ、
よく観察を
すること。

少し
離れた
場所から。

飛び火は
ない。

ちゃんと
自らが
真本音で
生きているなら。

すべき
ことは

これまで
以上に

明確に
現れる。

すべきこと

真本音の
想いを込めて

一つずつ
丁寧に。

これまで
やってきた
こと、
そのものだ。

これまでは
練習。

ここからは
本番。

しかし
我々自身は
何も
変わらない。

そのまま
行けば
いい。

ここからは
自らの
在り方
生き方

すべてが
決まる。

つづく

遠過ぎるだろ

長い道が
続いている。

視界は
広い。

遠くまで
見渡せる。

遥か先に
陽炎のように
都市が
浮かぶ。

ゆらめいて
いる。

遠いなぁ。

と、
つぶやく。

いったい
どれだけ
歩き続ければ
良いのか?

気が遠くなる。

足元に
目を落とす。

一歩
また一歩

確かに進んで
いる。

しかし
陽炎のような
あの
遠い都市は
ちっとも
近づかない。

もう
やめて
しまおうか。

とも
思うのだが、
私の足は
止まることは
ない。

一歩
また一歩

進み続ける。

私達には
それをするしか
ないでは
ないか。

止まれば
もう
そこで
終わりさ。

わかって
いる。

だから
止まらないんだ。

私達の
人生は、

間に合うのか?

人生の
終わりまでに
あそこまで
本当に
たどり着けるのか?

わからない。

でも、
今は
一歩を
進むしか
ないではないか。

では、

目はどこを
向く?

一歩先に
向けていようか。

次の一歩のみに
意識を向けて

その一歩一歩を
楽しむように
着実に
進むのが
最も良さそうだ。

確かにね。

だが、
それは
わかるのだが、

でも
私は
やっぱり
あの都市を
見続けるよ。

進んでいる感

ないし、

あまりの遠さに
気も遠くなるの
だが、

でも
私の目は
あそこに
向き続ける。

意地っ張り
か?

いや、

その進み方
こそが
私だと
思うから。

つづく

激しく来るよ

上昇している
と思ったら、
急降下。

急降下している
と思ったら、
急上昇。

その中間は
ないものか、

思うのだが、

ない。

中途半端は、

ない。

垂直上昇

垂直降下。

この
極めてシンプルな
状況の変化。

これから
私達が
迎えなければ
ならないのは、

そういった
「現実」だ。

これまでとは
比べものに
ならぬ、
激しい進み行き。

そこに
果敢に飛び込む
ことを
求められている。

いや、
求められ、
それに応える
ということではなく、

否が応でも
そうせざるを
得なくなる。

厳しい時代
だ。

が、
もうずっと
わかっていた
ことだ。

それこそ、
生まれた
時から。

その覚悟を
養うための
これまでの
人生だったでは
ないか。

望むところだ。

楽しみだ。

これくらいの
意気で、
迎えよう。

激しい展開に
対して、
こちらも激しく
対応する
必要は
ない。

私達は
落ち着けばいい。

落ち着いて
じっくり
観る。

その
現実を。

あたふたすれば
観えなくなる。

じっくり
本質を
掴む。

そして、
一点突破。

中心核を
打つ。

そのような
現実の
開き方。

私達が
すべきことだ。

ずっと
養ってきた
ことだ。

つづく

孤独になろう

たった一人に
なる、

という時間を
私は
とても大切に
している。

その時間は
本当に
たった一人に
なる。

現実的
にも、
実在的
にも。

自分と世界
とも
引き離す。

完全なる
一人。

完全なる
孤独。

そうすることで
私は
私自身に
戻る。

いや、

私、をも
忘れる。

ただの
最初の
存在、となる。

感覚だけ
だけどね。

それにより
心底から
リラックスできる。

リセット
できる。

すると、
あらゆるすべての
人達に対して、
感謝の気持ちが
湧いてくる。

完全なる
孤独になって
初めて、

みんなとは
しっかり
繋がっているのだな、

わかる。

人生は、
メリハリが
大事だね。

孤独は嫌だ、
という人も
多いけど、

一度
やってみると
良いかもよ。

つづく

それは幻の山だ

山がいくつも
あった。

本当は
回避すれば
良いものを、

一つ一つを
いちいち
ちゃんと登った。

当然だが、

登れば
降りる。

せっかく
登ったのに。

頂上まで
登れば、
それなりの
満足はある。

が、
下らなければ
ならない、
それがまた
辛かった。

日の差す
頂上から、
暗闇の
谷へ。

しかし
それもちゃんと
やろうと
思った。

やりきろう、
と。

いくつも
山を
越えたが、

どれもが
越えたら
消えた。

山だと
思っていた
ものが、
実はそこには
何もなかった。

あの
頂上での
輝きの時間も
幻だったのか。

しかし
その瞬間は
ずっと
私の胸の中で
輝き続けている。

山は
ない。

わかっている
が、
それでも
目の前に
山は、
見える。

なら、
登る。

ない、と
わかっていても
登る。

そう
決めたんだ。

これは
回り道の
人生なのか?

いや、
私にとっては
最短だ。

なぜなら、

そこに
山は
ないよ。


ちゃんと丁寧に
人に
伝えられるから。

登るなら、
本当に
そこに「在る」
山に
登ろう。

幻には
登るな。

幻に
登り続けてきた
私だからこそ、

伝えられる
ことがある。

つづく

ここまできたら

本当の意味で
芽生えたものが
伸びるのは
速い。

本当の芽

あるならば。

問題は、

その
本当の芽を
出すところまでが
長い。

私なんぞは
きっと、それを
50年以上かけて
やっているのだと
思う。

人生を
かけて
たった一つの
本当の芽を
生み出す。

きっと
それなりの
妥協点で
進んでいたら、
もっとたくさんの
芽が
発生していた
だろう。

それはそれで
幸せな人生
だったかも
しれない。

が、
でも
わかるのだ。

それでは
私は
決して満足
しない。

満足せぬまま
人生を
終えるのだと。

99%の満足感の
芽を
100とか1000とか
生み出すことが
できたとしても、

きっと私は
胸掻きむしるくらいに
後悔しながら
人生を終えるだろう。

たった一つで
いいから、
100%、自分自身が
これは
本物だ、
本当の芽だ!

満足できるものを。

もう、
こういう生き方
なのだから
しょうがない。

ここまで
きたら
このまま
最後まで行く。

つづく

ニョロニョロ

心の中を
ニョロニョロと
蠢くものが
あると、

気持ち悪い!


思いながら、
目を塞いで
しまう。

のだが、

ニョロニョロ
こそ
しっかり
見つめるといい。

それは
柔軟性の
塊だ。

どこにでも
忍び込み、

どこにでも
突破口を
開く。

自分には
ない
(自分の心
なのに)
視点からの

とんでもない
発想を
もたらす。

とんでもない
が故に、
通常は
拒絶感が出る
のだが、

そこを
ニョロニョロ
と、

楽しんで
実践してみると
いい。

幅が
広がるよ。

人間
としての。

気持ち悪い
ものには
2種類あって、

本当に
気持ち悪い
ものと、

未体験で、
あまりにも
視界外の
ものだからこそ、

訳がわからず
気持ち悪く
感じ取ってしまうもの、
がある。

後者は
ただ、
慣れないだけだ。

ニョロニョロは
面白いよ。

あなたの中にも
あるだろう?

つづく

あなたが大切にすべきこと

あなたの
エネルギーの
源泉は
何だろう?

今の
あなたの。

もし
今、あなたの
エネルギーが
枯渇しそうなら、

まずは
その源泉をこそ
最も
大切にすべきでは
ないだろうか。

その源泉は
人生を進める中で
変化するかも
しれない。

しかし、

今のあなたの
エネルギーの源泉は
それなのだ。

それを
大切にできるのは

今の
あなた自身

しかない。

それが
すべての
始まりだろ?

つづく

あなただったか

時々
あるのだが、

誰かが
私のそばに
じっと
立っている。

黙った
まま。

その気配
だけがある。

誰だか
わからない。

でもきっと
クライアントさんの
誰か、だ。

何か
伝えたいことが
あるならば、
きっと
そのような感覚は
わかるだろう。

でも
そうではない
らしい。

こういうケースの
場合は、
私はただ
放っておく。

きっと
何か
その人なりの
目的が
あるのだろう。

あえてそれを
問うことも
しない。

ただ、
放っておくが
意識は少しずつ
向け続ける。

実在の私と
実在のその人。

何らかの
コミュニケーションは
とっている
のだろう。

で、
実際に
そのクライアントさんと
現実レベルで
お会いすると、

だいたいは
その瞬間に
わかる。

あぁこの人
だったか、と。

そして
そのクライアントさんと
会話を始めると、
その目的も
わかってくる。

その目的は
様々なものだが、

最も多いケースは
「実は竹内さん、
私、これこれこういうことに
挑戦することに
しました」
と、

現実のレベルで
決意表明を
されるのだ。

そんな感じで
今日も
ある社長さんから、
新商品の開発を
頑張ってみようと
思う、
というお話があった。

決意を
固めるとき、

その人は
独特の
空気感と
エネルギーの流れを
発する。

それが
実在のレベルで
離れていても
伝わってくる。

こうやって
私達人間は、
見えないところで
影響を
与え合っているんだ。

つづく