チームパフォーマンスコーチ

感性低下

ピンッ!


閃いた瞬間を
逃さない。

逃さない力。

これこそを
伸ばそう。

自分の中に
実は
大量に発生している

ピンッ!

これを
いかにちゃんと
拾い上げるか?

人生は決まる。

もちろん、

心の中で
雲がいっぱい
立ち込めていたら、

ピンッ!

には
気づけるはずはない。

でも、
雲がなくても
気づけない人は
多いのだ。

感性そのもの

低下している。

これが
我々現代人の
特徴だ。

ここを
何とかしたい。

これも
私の望みであり、
テーマだ。

つづく

力を抜く精進

時には、

気合を入れて
進まなければ
ならないことが
ある。

が、

そこで
本当に気合が
入るかどうかは、

普段、
力を抜いて生きているか
どうかに
懸かっている。

本当に
必要なところのみに
力を込める。

なかなかそれは
難しいことだが、

そういう生き方を
しようと
決めて、

日々、精進する
しかない。

そう、
これは
精進だ。

力を抜く、
というのは
精進するくらいの
真剣さで臨まないと

できるように
ならない。

力を入れ続ける
のは
誰だってできる、
自己満足で
あれば。

余分なところで
力を入れて
疲れてしまう。

肝心なところで
力が出ない。

誰もが
陥ること。

力を抜いて
生きる、

のは
サボっているのでは
ないか、

捉える人は多い。

だから
精進なんだ。

力を抜く
訓練。

力を抜く
特訓。

こういうことを
本当は
子供の頃からちゃんと
教えた方が良いと
思うのは、

私だけだろうか。

つづく

やめた

さぁ、どうしようか?

空を見上げた。

今が、

ここが、

決めどころ
だと
今、わかった。

ずっと
迷ってきた。

まだ
決めるタイミングでは
ないと
わかっていたから、

あえて
答えを出さずに
いた。

でも、

一つのコーチングが
終わり、

お客様の
オフィスを出て、

空を
見上げたら、

もう秋の気配の
濃厚な
青空と、

ポカポカ浮かぶ
丸い白い雲たち。

一つの雲が
二つに
分離しようと
していた。

眺めていると
徐々に
二つになり、

離れていく。

二つの雲
となった
その合間の空。

それを
見たときに、

あぁ今が
決めどころだ

わかったんだ。

さぁ、
どうしようか?

もう
答えは出るんだな。

いや、
出ているんだな。

それを
直視するか。

・・・

よし、
もう、
やめよう。

やめることに
決めた。

私にとって
それは
とてもとても
大事なものだけど、

もう
手放すと
決めた。

スッキリ。

つづく

いてぇ

すっ転んだ。

痛かった。

でも
すぐに
起き上がった。

起き上がったら
痛みを
忘れた。

で、
また

すっ転んだ。

それでいい。

それが人生だ。


私は思って
生きてきたが、

すっ転ぶこと
自体を
目的として
そこで楽しみ
過ぎている人も
多いのではないか。

それはそれで
一つの経験かも
しれないが、

もう
その「遊び」からは
卒業しては
どうかな?

ここからは、

すっ転ぶ
ことよりも、

グングン前に
進むこと。

最短の道を。

最大のスピードで。

そして
今からは、
最大の加速だ。

心配しなくても
これからも
すっ転ぶところでは
すっ転ぶだろう。

だからもう
前に進むこと
のみ
考えてはどうだろう?

一時的では
なく、

持続的に、

永続的に、

前に進むことを。

もうその
ステージだし、

そういった
時代だよ。

つづく

自然の摂理だろ

水滴は
上から下に
落ちていく。

決して、
下から上に
落ちることはない。

自然の
摂理。

上から下に
落ちる水滴を、

どのようにして
下から上に
落ちるようにするか?


考えるよりも、

上から下に
落ちるという
摂理をそのまま
大切にして、

上から下に
落ちる水滴を
どう活かすか?を
考えた方が

よほど自然だし、
理に適っている。

ところが
多くの人達が、

いかに
下から上に落とすか?
ばかりを
考えていないか?
今の世の中。

摂理への
反発。

反抗。

それを私は
傲慢
と感じるが
どうかな?

私が今、
とろうとしている
この行動は、

この判断は、

摂理に適って
いるのだろうか?


問うことは
とても大事では
ないかな。

無理なことで
努力するよりも、

もっと
自然に流れれば
良いではないか。

自然の摂理は
私達の敵ではない。

私達自身が
摂理の中で
生まれたのだから。

摂理と共に
生きる。

摂理と共に
成長する。

・・・当たり前の
ことだと
思うんだがなぁ。

つづく

能力の育て方

自分の中に
生まれた
新たな能力を

どう使おうか?


少し悩んでいる。

能力とは
道具のような
ものだ。

道具は
使い方によって
生きも死にも
する。

どうせなら
しっかりと
生かせたい。

活かせたい。

新たな能力の
開花は、

最初は
ほんのわずかな
小さな芽から
始まる。

大切に
慎重に
育てなければ
ならない。

ある瞬間から
それは
グングンと
茎を伸ばすのだが、

その段階に
至るまでが
大変だ。

最初が
肝心。

最初の
使い方、

活用の仕方で
すべてが
決まると言っていい。

そのためにも
まずは
「観察」を
してみよう。

この能力を
どんな場面で
どのように使えば、

この能力は
喜ぶか?

それを
観察するのだ。

まったく本当に
子どもの育成と
同じだ。

こんな時
コーチがいて
くれたらなぁ、
とも
思うが、

まぁ、
これをセルフコーチング
で行なうのも
また、

私にとっては
大事なステップだ。

能力は、

雑に扱っては
ならない。

丁寧に
誠実に。

能力にも
意志がある。

能力の意志を
尊重する。

能力そのものと
語り合いながら

育てる
ものなんだ。

つづく

超不安定だろ

現実の世界で
生きれば、

その現実に
揺らされる。

でも、

今のあなたの
その不安定さは、

現実によって
揺らされている
わけではない。

根本が
不安定なのだ。

もともとその
不安定さが
あるところへ、

目の前に
今の現実が
きた。

だから本当は
現実から
受けている影響は
些細なもの。

それは
自らの根本的な
不安定さを
知るための

きっかけに
過ぎない。

じゃあなぜ、
根本的に
不安定なのか?

それは
もう
わかるだろ。

そう、

脱皮
しているからだ。

むしろ
もうそれは
終わった。

出口を
出たんだ。

顕在意識レベル
での
その不安定さは、

その
合図だ。

無事に
出口を出たぞ、
と。

じゃあ
どうすればいい?

委ねれば
いいんだ。

自分自身に
委ねる。

自分が自分を
連れて行って
くれる。

新たな世界の
道の
始め方を

教えて
くれる。

脱皮したら、

次は、
力を抜く。

力んでいる
その自分を

脱ぐんだ。

つづく

意図してまでも混乱を

あえて
混乱させる

ということが
大切な時がある。

他人に
対しても、

自分に
対しても。

混乱させないと
見つからない
答えがある。

混乱させないと
突破できない
壁がある。

混乱させないと
外せない
癖がある。

新たな自分や
新たな状況を
創り出すために

意図的に
混乱させる

くらいの
ことをする。

怖いことだ。

混乱は。

でも、
混乱の楽しさを
知る、
というのも
人生の醍醐味の
一つだ。

よくよく考えると
私の場合、

安定している
よりも
混乱期の方が

これまでの
人生、
圧倒的に長い
かも。

混乱していても
安定していても
関係なく、
次の一歩を
着実に踏み出せる
自分に
なれると楽だね。

そのためにも、
まずは

混乱を
混乱である


素直に受け止められる
自分になること。

混乱に
蓋をせず。

意図的に
混乱させなくても
良いから、

まずは混乱を
受け止めよう。

そして
それに委ねる
ことに
挑戦してみよう。

そこからだね。

つづく

直観はどこから

よく、
「発想が降りてくる」
という
表現を使う人が
いる。

実はこれ、

私はあまり
実感がない。

私の場合は、
あくまでも直観は、

自分の中から
湧いてくる

感覚なのだ。

しかも
本当に深い直観
は、

「思い出す感覚」

だ。

例えば、
スマホをどこかに
置き忘れて
しまった。

どこだろう?


考え続け、

ふと、
「あっ、あそこだ!」

思い出す。

あの感覚に
近い。

つまり、
過去を思い出す
のと
まったく同様の
感覚だ。

未来への
直観なのに
過去を思い出す
感覚。

だから
その直観が
湧いた時点でもう

迷いがない。

そうに違いない
という
過去の事実と
まったく同じ
捉え方だから。

で、
スマホを取りに
行くのと同じ感覚で、

その直観通りに
行動する。

何の抵抗も
なく。

そんな感じだ。

とはいえ、
直観の湧き方は
人それぞれ
だろう。

私の直観は
どこからくるか?

という風に
意識を向けてみるのも
いいね。

つづく

願いの変化

今のあなたの
エネルギーの湧き所

どこだろう?

現実レベルの
話ではなく、
内面的な
湧き所だ。

つまり、

体の内部の
どこから
あなたのエネルギーは
湧いてくるのだろう?

それを
改めて特定すると
いい。

今、
あなたは
大きな変換期に
ある。

エネルギーの
湧き所も
変化するはずだ。

そこをしっかり
特定し、

いつも意識
しよう。

さて、

そしてもし
余裕があるなら、

その湧き所の
中心には
何があるか?


見つめてみよう。

多くの場合
それは
強烈な願い
だったりする。

湧き所が
変化するという
ことは、

願いも
変化しているかも。

進化している
かも。

それをしっかり
確認してみよう。

つづく

すべてを失った

コトリ

何かが
落ちる気配。

本当に
小さな
何かだ、それは。

にも関わらず、

その気配の
ほんの次の
瞬間、

すべてが
変わって
しまった。

正確に言えば、
すべてが変わった
ような
圧倒的な感覚が
あった。

すると、

つい先程まで
当たり前のように
目指してきた
ものが、

急にどうでも
よくなった。

つい先程まで
大切に守り続けて
きたもの達が、

急に意味を
成さなくなった。

スーッと
自分が消えて
いく。

何もわからなく
なる。

大地が
消える感覚。

何もなくなる
感覚。

ただ
喪失感のみ
残った。

・・・

これは決して
怖いことでは
ない。

一気に
次のステージに
ジャンプした
までのこと。

何も失って
いないし、

何も加わっても
いない。

ただ、

ステージが
変わったのだ。

今はまだ
何もない感覚
だろう。

すべてを
失った喪失感
だろう。

でも
それ自体を
そのままに。

あるがままに。

そうするのが
一番の
早道。

見せかけの
やりがいや、

見せかけの
夢や、

見せかけの
喜びを

持ってくる必要は
ない。

「私」
である必要も
ないのだ。

そのままで。

あるがままで。

何もない
ままで。

つづく

毎日やっていること

私は今、
ちゃんと姿勢正しく
毅然と
立てているか?

私は今、
ちゃんと大地に
両足をつけているか?

私は今、
ちゃんと
向くべき方向を
向いているか?

私は今、
ちゃんと
目指す青空を
広く深く
眺めているか?

私は今、
ちゃんと
今ここにある世界を
味わっているか?

私は今、
ちゃんと次の一歩を
自らの意思で
踏み出しているか?

私は今、
ちゃんと自分の決めた
スピードで
進んでいるか?

私は今、
ちゃんと
関わる人達すべてに
意識を向けているか?

私は今、
ちゃんと
余分なことは
手放しているか?

私は今、
ちゃんと
自分自身でいるか?

私は今、
ちゃんと
以上の問いに
スッキリ気持ちよく
YES!
と答えられるか?

答えられたら、
さぁ
今日も一日を
始めよう。

つづく

決めて断つ

私の背後、

かなり
後ろの方に、


がある。

広大な
海。

水平線。

その向こうに
夕陽が
沈もうとしている。

後ろ髪を
引かれる。

あの世界に
留まって
いたかったな、
と。

それもまた
人生だろう。

居心地の良い
世界で
一生を終える。

それもまた
幸せなのだろうか。

でも私は
それを自ら
手放した。

躊躇なく。

後ろ髪を
引かれるのは、

私もまた
人間だから。

人間らしい
心の現れ。

迷い、乱れ、
後悔、・・・

そんなのは
当たり前だろう。

人間なのだから。

それでも
やはり
自分が信じた方向に

勇気を持って
歩を進める。

すべてを
選択する、

ということは
できない。

選べる道

たった一つ。

どちらの道も
少しずつ、

とやってしまったら
それこそ
すべてがダメになる。

すべてが
衰退し、
崩壊していく。

最も苦しい
進み方だ。

決断。

一つを決め、
他のすべてを
断つ。

これが
人間である私達が
すること。

人間の
使命だ。

私達は
決断するために
生きている。

私達は
決断するために
生まれてきた。

つづく

君は誰だ

誰かに
何かを
頼まれている
気がする。

実際に
そういうことが
あったわけでは
ない。

でも、
誰かから
必死に
何かを頼まれている。

何だろう?


耳を澄ます。

聴こえない。

目を開く。

何も見えない。

これは
自分の五感に
頼っているから
ダメなんだな。

いったん
五感の電源を
落とす。

すると
実在をそのまま
感じ取ることが
できる。

「よろしくお願いします。
強引に私を後ろから
押してください。」

・・・あえて言葉に
すれば
そのような意識が
ずっと私に
向かってきている。

誰かとは
誰だ?

何となく
わかる気がするが、

今はここまで。

きっと
その誰かは、
実際にその人と
お会いした瞬間に
わかるだろう。

そうしたら、

リクエスト
通り、

強く押そう。

つづく

始まりの予兆

私の後頭部、
よりさらに
上の方に、

キラキラ
光りながら
クルクル
回っている

球体がある。

シルバーに
輝きながら。

惑星の
ように。

あれは何だ?

意識を向ける
と、

大勢の人々の
存在を感じる。

あぁ、
地球のような
ものか。

でも、
地球とは
ちょっと違う。

まだまだ
小さい。

そして
まだまだ光が
弱い。

でも本質的には
今の地球よりも
よほど、
光り輝いている。

回転速度は
どんどん
速まっているようだ。

そうか、

また何かを
私は始めるのか。

それは多くの
仲間達を
呼びそうだ。

回転する球が
私のもとに
降りてきた。

ちょい待ってな。

もう少ししたら
私の中に
入ってもらおう。

それまで
もうちょっと。

つづく

なぜこの状況に

黙々と
一つのことに
集中する。

粛々と。

あえて、
他のことは
いっさい
手放してしまう。

一時的に
せよ。

今の私は
「これ」
しかやらない。

今は
「これ」
をやることが
私の人生であり、

「これ」
をやるのが
私という人間だ。

「私=これ」
だ。

「私の人生=これ」
だ。

・・・という
くらいに。

徹底的に
そういった生き方を
するという
ステージを

私達の真本音は
自らに用意する
ことがある。

場合によっては
「これ」に
集中するために、
自分をかなり
状況的に追い込む
ことすらある。

「これ」に
集中せねば、
もう生きていけない、
というくらいに。

もし
自分が状況的に
追い込まれている
のであれば、

自分自身に
問うてみると
いい。

今のこの状況は、

・自らの真本音によって
意味があってもたらされて
いるものか?

それとも

・自らの真本音を無視
してしまったことで
起きてしまっていることか?

このどちらか。

ここをしっかり
直観的に判別し、

もし前者であれば、
今のこの状況の
本当の意味を
考え、
向き合うといい。

そして
「これ」
に完全集中する。

無我夢中に
なる。

これによって
新たな自分、
つまりは
本来の自分が

また一つ
目を覚ます。

つづく

天と地と私の意思

私の場合、

自分の中に
中心軸がある

というよりも、

中心軸の中に
私がいる。

天と地を
結ぶ、

太い光の
柱があり、

その中に
私の全身全霊が
入っている。

中心軸に
すべてを
委ねているのだが、

しかし
私は一つ一つ

自分の意思

大切にしている。

中心軸が
いくら太くても、

いくら
畏れるほどに
大きくても、

この世で
生きているのは
私だ。

私の心であり
体だ。

中心軸に
任せるのではなく、

私は私の
意思で生きる。

すべて
自己責任だ。

だからこそ
逆に、

中心軸は
より活き活きと
光り輝く。

天と地を
結ぶその姿に

神秘性も
増す。

やはり
畏れすら抱きながら、

しかし私は
自分の意思で
そこに入り、

自分の意思で
この世を
生きる。

つづく

原点のみになる

いつも私は
自分の

原点

に戻る。

一つの仕事を
終えたら、

すぐに。

じっと
目を閉じて

自分の全意識を
原点に
戻す。

原点
そのもの
となる。

私は
なぜ生まれて
きたか?

私は
なぜここに
いるのか?

私は
どこに向かって
いるのか?

そのすべての
答えの
場所に。

そこで、

これまで
自分が培ってきた
あらゆるものを

愛し

慈しみ

抱いた
上で、

手放す。

消散させるのだ。

すると
すべてから
自由になる。

原点のみの
私になれる。

その状態で
目を開き、

次の仕事に
向かう。

すると
これまで培った
すべてのものが、

自由の世界

から、
今の私を
助けてくれる。

原点のみと
なった
私を。

つづく

もっと成長を

成長意欲、

ということに
関しては

私自身
とても高いものを
持っている
気がする。

これだけは
昔から
誰よりも高くあろうと
してきた。

人を育成する
というお仕事を
四半世紀以上
続けさせていただいて
いるが、

もし自分の
成長意欲が
クライアントさんよりも
低くなったら
この仕事を辞めよう

ずっと決めてきた。

今も
同様だ。

最近は私も
年齢を重ねたため、

20代の若い人達を
中心に
ある意味、
「指導する」
という場面が
多くなってきたが、

しかしそれでも
彼らよりも自分の
成長意欲が
低いなぁ、と感じたら、

その時点で
私は
すべてを辞める。

それくらい
私には
すべきこと
したいこと
がある。

私が現役として
最大の力を
発揮できるのは、

恐らくあと
24年。

時間が
短過ぎる。

24年で
どこまで行けるか?

実は、
まだ誰にも
話したことはないが、

新たな夢も
出てきた。

もうそれを実現すると
決めた。

でも
時間が足りない。

今の私では
到底実現不可能。

だから
もっと
成長せねば。

焦りと共に、
自分の意欲に
自分で驚いたりも
しているが、

この自分の
意欲に
誠実に応えていきたい

願っているんだ。

つづく

誠実な仕事とは

竹内さんは
いつも直観のみで
動いているように
見えますが、

段取りとか
準備とかは
されないのですか?

・・・と
時々、訊かれる。

やはり
そう見えるのか。

確かに私は
自分の直観を
大切にしているし、

思考と直観
ということで言えば、
明らかに
直観に素直に
従っている。

思考レベルでは
おいおいちょっと待てよ!
と、
心の中で自分に
投げかけながらも、

自分の思考が
恐れ慄くような
直観的な動きを
とることもある。

だがしかし、

それをできる状態に
持っていくためにも

準備と段取り

は、
とても丁寧に
行なっているのです。

例えば
コーチング。

私は次の日の
クライアントさんとの
コーチングを、
必ず前日のうちに

行なってしまう、

のだ。

つまりは
そのクライアントさんの
これまでの状況を
振り返り、

クライアントさんに
意識を向け
今の「感覚」を
読み取った上で、

目の前に
そのクライアントさんが
まるでいるかのように
して、
実際にコーチング
するのだ。

私の中で
完全に納得するまで
それを行なう。

で、
何かがカチッと
はまるまで、
それを続ける。

そして
完了感が出たら
終了だ。

その上で
次の日に実際に
クライアントさんと
向き合うので、

その時点では
あらゆる準備が
整っている。

そしてその場では
私は
自分が準備したことを
すべて
手放す。

準備ができている
安心感と、
手放した
自由さ、と。

この二つをしっかり
感じ取っているから
こそ、

目の前のクライアントさんに
全意識を
集中できる。

直観とは
その状態の中で初めて
生まれるもの。

だから私は
確信を持って
自分の直観に
素直になれる。

私はこれを
「誠実さ」
「真摯さ」
と呼んでいる。

すべての仕事に
対して、

いや、
仕事だけじゃないな、

すべての物事に
対して、

誠実であること
真摯であること。

それは
準備から
始まる。

つづく

中心軸は変化できた?

 

あなたの

「中心軸」に

意識を向けよう。

 

あなたの

「中心軸」は

また大きな変化(進化)

を遂げているはずだ。

 

おへその奥の

体の中心と

 

頭のてっぺんの

中心を

 

結ぶと、

それが中心軸と

なる。

 

あなたのその

中心軸を

見つめてみよう。

 

これまでと

どのような変化が

あるだろうか?

 

基本的に

私達の中心軸の

本質は

 

不変だ。

 

ただ、

その時その時で

その本質を大切にした

「テーマ」が

ある。

 

「テーマ」は

自分自身のステージと

共に

変化する。

 

今のあなたの

テーマは

何だろう?

 

中心軸を

じっと見つめ、

中心軸に

問いかけてみよう。

 

テーマとは

乗り越えるべき

もの。

 

それは

目標であったり、

乗り越えるべき壁で

あったり、

 

人それぞれ

だが、

 

いずれにしても

これから私達が

最も

意識を注ぎ続けるべき

もの。

 

エネルギーを

集中すべきこと。

 

それをしっかり

自覚した上で

進もう。

 

進化した

中心軸と共に。

 

つづく

 

育みたい?

 

「育む」

という言葉を

聴くと、

 

あなたは

何を思い出す

だろうか?

 

人とは

何かを「育む」

生き物だ。

 

育むことで

自分が育つ、

 

というのが

私達だ。

 

今、あなたは

何を育んでいますか?

 

問われた時に、

 

「何もない」

という答えが出る場合、

 

その人の人生は

とても空虚な

はずだ。

 

真剣に

育むものがある

幸せ。

 

それは誰もが

知っている

本能的な幸せだ。

 

さて、

 

ここからもし

新たなステージに

入るとしたら、

 

そのステージでは

あなたは

何を、

育みたい?

 

何を育むステージ

としたい?

 

これもまた

今、

とても大切な問い。

 

つづく

 

大切にしているか

 

誰にも

自分にとって

大切なものがある。

 

大切なものを

大切に

し続ける。

 

という

当たり前のことを

まずは

やろう!

という意志を持とう。

 

その上で、

 

ではそれを

大切にするとは

具体的に

どうすれば良いのか?

 

しっかりと

考えよう。

 

大抵、私達は

視野が狭い。

 

大切にする

と言っても

非常に狭い視野で

 

固定観念的に

 

狭く大切にしている

だけだ。

 

それをあえて

「独りよがり」

と表現してもいい。

 

大切なものを

独りよがりに

大切にし続けている

のが

私達の性だ。

 

本当に

大切にしたいなら、

大切な仕方を

進化させ続けることが

 

本当に大切に

している

ということ。

 

それは

固定観念化した

自分を

壊し続けることでも

ある。

 

つまり

何かを大切にする

とは、

とても大変なこと

なんだ。

 

でもそれでも

大切にし続けるから

こそ、

 

そういう生き方が

できている時こそ、

 

私達は

生きている実感

得られるんだ。

 

つづく

 

追い風は吹いているか

 

ゆっくり着実に

進む時と、

 

多少乱暴でも

全速力で進む時と、

 

人生には

二つの時期がある。

 

今は

どちらだろうか?

あなたの場合。

 

自分の背中に

意識を向けてみて、

 

今、追い風を

感じているかどうか?

 

追い風が

背に当たっているか

どうか?

 

感覚的に知ろう。

 

あぁ自分には

今、

追い風が吹いている、

 

感じた場合は

 

全速力だ。

 

多少、乱暴でも

いい。

 

一気に突っ切る

ことが

今は大切だ。

 

突っ切ってから

いろいろ

振り返り反省すれば

いい。

 

こうして

全速力で進むから

こそ、

 

着実に進むべき

時期もまた

来るということだ。

 

全速力を出す

ためには、

 

顕在意識のレベル

では、

次のように

決めるといい。

 

「自分の300%を

出そう!」

 

これでちょうど

全速力くらいだ。

 

つづく

 

はっきりした答えを

 

人生には

節目がある。

 

節目の一つ一つ

において

私達は

はっきりと

決めなければならない。

 

・進むか?

・止まるか?

 

をである。

 

この言い方だと

「進む」が良くて

「止まる」のがいけない

という印象に

なってしまうかも知れない。

 

が、

そういうことでは

ない。

 

どちらも

正解。

 

どちらを選んでも

いい。

 

ただし、

心の中では

はっきりくっきりと

選ばなければ

ならない。

 

ここを

曖昧なままに

するから、

 

その後の道のりも

曖昧になり

不調和になる。

 

では、

「止まる」

とはどういうことか?

 

それは

現時点までで

得ることのできたものを

守るための人生

にする、

ということだ。

 

実は、

守る、と言っても

本当に止まってしまう

わけではない。

 

本当に止まったら

それは

「衰退」とイコールだ。

 

そうではなく、

これまでと同様の

進み方を継続する

ということだ。

 

これまで培ったものを

大切にしながら

ここまでの自分と

同様の自分として

進む、

ということ。

 

なら、最初から

そう書けよ、

と言われそうだが、

 

しかしそれをする

場合、

私達自身の「感覚」

とか「実感」としては

 

「止まる」

ということに

なるわけだ。

 

もっと言えば

「止まる」という認識に

なるくらいに

はっきりそう決めた方が

良い、ということ。

 

止まる=これまでのように進む

ということ。

 

さて、

次に「進む」について。

 

これは

「未知の領域に進む」

という意味だ。

 

これまでの進み方

をある意味

壊してでも、

さらに先の世界、先の世界

へと

突入していく、

ということ。

 

もちろんこれには

勇気が必要だ。

 

実は、私達人間に

とっては、

「未知の領域に進む」

ことこそ

「進む」

ということであり、

 

そうでない場合は

すべて

「止まる」ということ。

 

とはいえ

先ほども書いた通り、

どちらが良い悪い

ではない。

 

はっきりくっきりと

決めること。

 

今は、

そのタイミングだ。

 

あなたは

どうする?

 

私?

 

私は

「進む」と

決めている。

 

最初から。

 

死ぬまで

そうすると決めて

生まれてきた。

 

もう一度言う。

 

これが正しい

ということではない。

 

私はそう

決めているし、

その通り

素直に生きるだけ。

 

ただ、

 

今のこのタイミングで

もう一度、

はっきりくっきり

自分の中で

決め直したんだ。

 

つづく

 

ちゃんと守ろう

 

自分は何を

「守る」

のか?

 

という問いも

特に今は非常に

重要だ。

 

私達には誰にも

守るべきもの

守りたいもの

あるだろう。

 

それをしっかりと

「守っている」

実感できている時、

 

私達には

安らぎと楽しさが

湧く。

 

でもそれが

実感できないことで

不安や焦りが

来る。

 

私達は

人間だ。

 

守りたいものは

守ればいい。

 

そのためにも

まずは自分が

 

本当は

 

何を守りたいか?

 

をしっかりと

認識することでは

ないか。

 

ここを

不明確のままで

いたり、

 

自分で自分を

ごまかしたり、

 

だから

おかしくなる。

 

自分に素直で

いられなくなる。

 

ちゃんと

見つめよう。

 

自分は何を

「守る」

のか?

 

つづく

 

生まれた理由は

 

何のために

自分は

生まれてきたか?

 

という

問いは、

 

愚直に向き合えば

いい。

 

もちろん答えは

そう簡単には

わからない。

 

でも、

その問い

あるだろ?

 

いつも心の

どこかに

 

デンと

存在し続けて

いるだろ?

 

答えがわからない

からと言って

その問いと

向き合うのを

やめるのは

 

実は

辛いことだ。

 

それこそ

現実逃避の

一つだ。

 

答えがわからず

とも、

 

その問いと

向き合い続ければ、

ある出来事と

出会った

その瞬間、

 

まるで稲妻に

打たれたように

わかるんだ。

 

答えの

一端がね。

 

それは

「出来事」が

教えてくれる。

 

でも

常に問うて

いないと、

 

その「出来事」に

出会っても、

何も感じない

自分になってしまうんだ。

 

だから

問うこと。

 

問い続ける

こと。

 

その問いと

向き合い続ける

こと。

 

つづく

 

一問

 

たった

一問。

 

次の問いを

自分に

 

純粋に

 

投げ、

 

自分自身の

心と体の反応を

 

純粋に

 

見つめよう。

 

・・・

 

今、楽しいか?

 

・・・

 

シンプルな

ものを

 

投げられた

時こそ、

 

結構

本当の状態が

 

わかるもんだ。

 

つづく

 

時間が教えてくれる

 

1分1秒、

時は進む。

 

時間の流れ

そのものに

 

そのもの

だけに

 

意識を

しばらく

向けてみよう。

 

トツ、トツ、トツ、・・・

と時間は

紛れもなく

進んでいく。

 

当たり前の

ことだが、

 

止まることは

ない。

 

その歩みは

揺るがない。

 

澱みも偏りも

ない。

 

永遠に

同じペースで

進んでいく。

 

その

「時間」

という不滅の

存在に、

 

ただただ

意識を

向け続けよう。

 

何もせず、

何も考えず、

 

ただ

意識のみを

向け続けよう。

 

これは

一つの訓練でも

ある。

 

私はこれを

随分と

続けてきた。

 

すると

ある時から、

 

「時間」と

対話ができるように

なった。

 

対話と言っても

言葉のやりとりが

あるわけではない。

 

でも、

例えば、

 

今、自分が取り組んでいる

この仕事についての

重要な発想、

 

今はまだ

出てこない発想が、

 

「あと5分後には

浮かんでくるな」

 

わかるように

なったのだ。

 

つまり、

自分の直観が

いつ浮上するか?が

わかるようになった。

 

これは

「時間」が

教えてくれるのだ。

 

また、例えば、

 

Aさんには

いつ連絡を入れると

良いだろう?

 

Bさんには

いつお会いすれば

良いだろう?

 

Cさんとは

どのタイミングで

じっくり話し合えば

良いだろう?

 

などなども、

「時間」

が教えてくれるように

なった。

 

私はそれに

素直に

従っている。

 

おかげで随分と

現実が調和するように

なった。

 

一つ一つの物事の

タイミングが合い、

 

すべてがスムーズに

進ようになった。

 

「時間」

との対話。

 

「時間」

との向き合い。

 

皆さんもぜひ

やってみて。

 

つづく

 

感覚で生きる③

 

全身、全細胞の

反応に

意識を向ける

生き方。

 

これをすることで

自分の日々の

行動の一つ一つを

 

より気持ちの良いものへ

変換することが

できる。

 

それは取りも直さず、

周りの人達にとっても

気持ちの良い変換と

なるだろう。

 

体の感覚を

侮ってはならない。

 

体の感覚とは

それを一部だけでなく

全身しっかりと

感じ取るならば、

 

周りと調和する

方向へ

導いてくれるものだ。

 

さて、

 

これらを続けると

さらに良いことが。

 

それは

「未来」への

発想だ。

 

自分の未来を

描くときに、

 

体の反応が

 

その未来を

自分が本当に

望んでいるかどうか

教えてくれる。

 

自分にとって

無理のある未来

であれば、

 

体の細胞達が

違和感という

警笛を鳴らす。

 

本当に望む

未来とは、

 

自分の心

だけでなく、

 

全身が

全細胞が

喜ぶものだ。

 

そしてその

未来に向かうために

今を生きることで、

 

今の自分の

在り方そのものが、

 

全身が

全細胞が

喜ぶものに

近づいていく。

 

今この瞬間、

全細胞が常に

喜んでいる。

 

そんな日々。

 

これを

「幸せ」と言わずして

なんと言おう。

 

つづく