私は、

真面目な人にほど、

「もっと不真面目で

いいよ」

と伝えるし、

 

不真面目な人には、

「もっと真面目に

やれ」

と言う。

 

矛盾しているように

思う?

 

矛盾していないんだな、

これが。

 

・・・・・・

 

「真面目」

って、いろんな捉え方が

あるけど、

私は

 

「与えられた一つの枠を

壊さずに、

その枠を守りながら

がんばり続ける」

 

という風に

考えている。

 

不真面目な人は

第一、

この「枠」を守らない。

 

「こうしろ」と言っても

その通りにしない。

 

例えば、

朝は8時から仕事だ、

という決まり事があっても

それを守らない。

 

とか、

 

ちゃんと人には挨拶しような、

と注意しても

まったく守らない。

 

とか。

 

人に枠を与える意味は、

一つには

「基本をしっかりする」

というのがある。

 

基本や基礎が

しっかりするからこそ、

その人は良い方向に

伸びていく。

 

地盤がしっかり

していないと、

ちゃんとした家が

建たないのと同じだ。

 

不真面目な人の多くは、

地盤がフニャフニャにも

関わらずに、

自分勝手に

自己満足の家ばかりを

建てようとする。

 

しかしどんな家を

建てても、

地盤が緩いから

安心して住むことすら

できない。

 

それでは

誰も喜ばない。

 

だから

「真面目にやれ」

と言う。

 

一方、

真面目な人の多くは、

基本や基礎はできてるけど、

いつまで経っても

自ら「枠」を壊そうとしない。

 

与えられた枠から

出ようとしない。

 

だから、

その人が本来持っている

独創性のようなものが

生まれない。

 

そういう人の創る家は

いつまで経っても

つまらない。

 

遊び心もない。

 

安心して住むことは

できるかもしれないが、

それ以上の魅力が

ないのだ。

 

だから、

そういつまでも

枠に捕らわれずに、

たまには

「もっと不真面目で

いいよ」

と伝えるのだ。

 

大事なのは

真面目か

不真面目か

ではない。

 

両方できること

だ。

 

ここは真面目に。

でも、

ここは不真面目に。

 

・・・と

自ら選択できる

ことだ。

 

「真面目」と「不真面目」

という表現に

もし抵抗があるなら、

次のように

言い換えてもいい。

 

「基本に忠実」

「望みのままに」

だ。

 

・・・・・・

 

基本を修得する

努力もせずに

「望みのままにやりたい」

と思っている人が

多過ぎはしないか。

 

本当に望みのままに

やりたいのなら、

もっとちゃんと

勉強せい。

 

努力せいよ。

 

一方で、

勉強と努力をして

そこで満足してしまっている

人も

多過ぎないか。

 

せっかく基礎が

あるんだから、

もっと

好きにやれよ。

 

冒険しろよな。

 

自分の望みに

素直になろうな。

 

つづく