残念ながら、

危機感では

人は動かない。

 

余程、自分の生命に

直接の影響が

ない限りは。

 

もし

危機感で動ける

人がいたとしたら、

 

その人はもう

最初から

自律できている。

 

だが

多くの人はまだ

そうではない。

 

人は

危機感では

決して動かず、

 

「楽しさ」

で動き出す。

 

「ワクワク」

で動き出す。

 

これが

これまでの企業での

サポート現場で

私が幾度となく

実感したことだ。

 

よく

社長さんが

「社員と危機感を

共有したい」

と言われるが、

 

本当に残念ながら

無理だ。

 

危機感では

組織は

生まれ変われない。

 

誰かが

何とかしてくれる

と皆、

思っている。

 

・・・・・・

 

人は

依存する。

 

すぐに

人は

依存する。

 

常に

依存できる

対象を

探し求めている。

 

そして

それを見つけると、

 

それに

飛びつく。

 

そして

まるで寄生虫の

ように、

 

チュウチュウと

その対象から

血を吸い続ける。

 

血を

吸い尽くすと、

 

次の対象を

探す。

 

そういった

生き方をしている

人は多い。

 

しかしもちろん

本人に

その自覚はない。

 

・・・・・・

 

だから人間は

愚かだ。

 

ということを

言いたいわけでは

ない。

 

もちろん

愚かだし、

 

その愚かさは

誰にでもある。

 

当然

私にも。

 

人間の愚かさを

見つめる

ということは、

 

自分の愚かさを

見つめる

のとイコールだ。

 

人への悪口は

自分への悪口と

イコールだ。

 

私達人間に

例外はない。

 

皆、同じだ。

 

愚かな部分を

何とかしよう!

 

として

本当に何とか

なるのであれば

いいのだが、

 

何ともならん

のも

また私達人間だ。

 

人類は

同じ過ちを

これでもか、という

くらいに

繰り返してきた。

 

だから

存在する価値が

ない、

などと

言いたいわけではない。

 

私達はもっと

私達の愚かさを

見つめた方がいい。

 

それができている

人ほど、

 

真剣に

「楽しさ」を

見つけ出そうとする。

 

本能的に。

 

「楽しさ」とか

「ワクワク」は

 

理性ではない。

 

理屈でもない。

 

これは

本能だ。

 

そしてその本能は

自分の

愚かさを

きちんと見つめられる

人にこそ

浮上する。

 

自分の愚かさを

知る者は

 

自分の愚かさと

人の愚かさを

真摯に受け止めながらも

 

それが何とも

ならないことをまた

よく知り、

 

そして

愚かだからこそ

真剣に

未来に向かおうとする。

 

その指針として

浮上する

本能が

「楽しさ」だ。

 

だから、

 

愚かさを知る者

ほど、

 

軽やかだ。

 

明るい。

 

私は

そこにこそ、

 

人の凄みを

感じるね。

 

つづく