解釈を超えてゆこう

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人が変化を始める時、

その変化が大きければ

大きいほど、

その兆しは

微小です。

 

変化の最初の芽。

 

それは

あまりにも小さく、

ほとんどの人が

その芽の存在に

気づきません。

 

もちろん

一番気づかないのは

本人です。

 

そして

せっかくの芽を

知らずに

踏みつけてしまう

ケースも多いです。

 

地中から、

チョンと

ほんのわずかだけ

頭を出したその芽に

どれだけ気づけるか?

 

これが

コーチとして

最も重要な力の

一つです。

 

・・・・・・

 

人はどうしても

悪いところ、

不足しているところ、

間違っているところ

などに

目が行きがちです。

 

ですからよく

「肯定的にその人を

見ましょう」

と言われます。

 

「その人の良いところを

見つけましょう」

とも言われます。

 

もちろんそういった

視点は大事ですが、

あくまでもそれは

視点の一つとして

大事なのです。

 

実はですね。

 

私は、

人を無理に肯定的に

見ることを

あまりお勧めしていません。

 

なぜなら、

肯定も否定も

「解釈」だからです。

 

見る側の

解釈。

 

それは

良いか悪いかの違い

だけで、

次元は同じです。

 

ですから、

いくら頑張って

人を肯定的に見ても、

心の中では

否定的な印象も同居し、

ただその否定的な

自分の意見にフタをするだけ

という状態となります。

 

これまでも

申し上げてきた通り、

心にフタをすると

ろくなことにはなりません。

 

「本当はAさんのここの

部分がいやだ」

という心にフタをしながら、

「Aさんって、こういうところが

素晴らしいよね」

とAさんに伝えても、

むしろ、

フタをしている否定的な印象が

空気感となって現れ、

Aさんに伝わります。

 

すると

Aさんはこう思います。

 

「この人、口ばっかだな」

とか

「なんかこの人

嫌味ったらしいな」

と。

 

これでは

意味がありませんね。

 

・・・・・・

 

私がお勧めするのは

 

「あるがままに

その人を観る」

 

ということです。

 

こう書くと、

とても難しいように

思われるかもしれません。

 

でも実は

これが最も楽ですし、

慣れれば最も

簡単です。

 

実は、

肯定的に人を見よう

とする人ほど、

その人の本質的な魅力に

気づくことができません。

 

なぜならあくまでも

自分の解釈でしか

その人を見ていないから。

肝心な部分が

観えなくなるのです。

 

解釈を超えた

・・・というよりも

解釈を手放した見方

(つまり、「観方」)

が大切で、

それができると

その人の素敵な箇所に

どんどん気づけますし、

先ほど書きました

「変化の芽」

も観逃さなくなります。

 

そして私は、

コーチだけでなく、

すべての人が

「人をあるがままに観る」

ことができるようになると

いいなぁ、と

心底、願っています。

 

はっきり言って

それだけで

世の中は平和になるかも

しれません。

 

人と人との

ぶつかり合いとは、

解釈のぶつかり合いでしか

ないですからね。

 

今はそこを

超えていくことを

私達は求められているのでは

ないでしょうか。

 

つづく

 

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