日本一高い山は

富士山であることは

誰もが知っていると

思いますが、

日本で2番目に

高い山は

ご存知ですか?

 

それは

南アルプスにある

「北岳」

と呼ばれている山です。

 

白峰三山の一つ

で、

南アルプスの中では

最もメジャーですが、

南アルプスそのものが

どちらかと言えば

玄人向きの山々なので、

山登りに興味のない人に

とっては

北岳? 何それ?

名前、地味じゃね?

くらいでしょうね。

 

実はわたくし、

学生の頃からこの

北岳が大好きで、

就職活動の面接などで

「尊敬する人は?」

と問われたら、

「北岳です」

と答えたくらい。笑

 

この山は

見る角度によって

まったく別人のような

雰囲気の違いを

醸し出すのです。

 

ある角度から見れば

鋭く険しく、

ある角度から見れば

哲人的で深く、

またある角度から見れば

王者のような貫禄と

大きさで。

 

どの角度から見ても

とても気品があり、

かと言ってツンと

澄ましているわけでなく、

気さくさと明るさと

あたたかさがあり、

しかし反面、

父親のような厳しさも

あり、

かつ、母性も感じる

という。

 

その魅力を言い出すと

キリがない、

相変わらず。笑

 

富士山はもう

別次元の存在のように

感じますが、

北岳は

私からすると

「この世の世界での

最高の形の一つ」

に見えます。

 

とてもとても

単なる「山」とは思えず、

私は彼をずっと

「人」として感じ、

「人」として

対峙してきました。

 

白峰三山のすぐ東に

鳳凰三山という山が

あるのですが、

冬山でそこを登った時に

そこから見えた

北岳が

あまりに神秘的で、

それが私と彼との

出会いで、

以後、雪のない時期には

一人で鳳凰三山に登り、

誰もいないある山頂で、

一人ずーっと北岳と

対峙し続けたりしました。

 

それはまさしく

「山と語り合う」

時間でした。

もちろん言葉は

ありません。

 

でも確かに

私は北岳と

語り合っていました。

 

今から思えば、

これが私の

セルフコーチングの

始まりでした。

 

・・・・・・

 

大自然。

 

山登りと出会い、

私は自然というものが

どれくらい圧倒的か

ということを

体感しました。

 

あれは

北岳ではなかったのですが、

南アルプスの南部の

山々を

一人でテントを担いで

ずっと縦走したことが

ありました。

 

南アルプスの南部は

夏山の最盛期を外せば、

当時はあまり人もおらず、

ある日私は

だだっ広い広場のような

場所に

たった一人でテントを

張っていました。

 

その夕方。

 

猛烈な雷雨に

遭いました。

 

いや、

雷雨という生易しい

ものではありませんでした。

 

標高は

3000m近く。

 

まるで台風のような

猛烈な雨。

 

雷雲の中に恐らく

そのまま入って

しまったのでしょう。

 

空で雷が鳴る

のではなく、

雷そのものの中に

いる、

という状態に

なりました。

 

周りは

誰もいません。

私だけ。

 

テントはあっという間に

池の中に浮かんだ

ような状態に。

 

宇宙全体が

猛り狂っているかのような

雷鳴と雷光の中で

私は

「神様、助けてください!」

テントの中で水に

浸かりながら土下座をし、

頭の上で拝むように

両手を合わせながら、

叫び続けていました。

 

その状態が

約1時間続きました。

 

今でもよく

生きていたなと

思います。

 

あんな体験に

見舞われると、

人間という存在が

大自然の中では

いかに小っぽけなものか

を、

いやがうえでも

感じざるを得ません。

 

と同時に、

私を死なせずに

生かしておいてくれた

大自然に感謝と同時に

私には何かこの世の中で

すべきことがあるのでは

ないか?

という「自然な」問いが

湧いてきました。

 

大自然の中の

小っぽけな自分。

 

でもそんな

小っぽけな自分だからこそ

自然の一部の

自分だからこそ、

できることが

あるのではないか?

 

自分の人生を

真剣に考えるきっかけは

山々が

私にくれました。

 

・・・・・・

 

そう言えば今、

思い出しました。

 

初めて冬山で

南アルプスに入った

19歳なりたての山行。

 

北岳と対峙する

鳳凰三山の稜線で

私は滑落したのでした。

 

そこは

アイスバーンの

斜面でした。

 

ピキピキの

アイスバーン。

 

ツルッツルでした。

 

確か、

山仲間の一人が、

休憩時に

お茶のティーパックを

地面に落としたんです。

 

すると、

拾おうとした1秒後には

そのティーパックは

遥か彼方まで

滑り落ちているという、

そんなところで、

私は転んだのです。

 

荷物(ザック)は約30kg

ありました。

転んだ瞬間、

ピッケル(冬山用の杖)が

私の手から離れました。

 

私はピキピキの

アイスバーンの上に

見事な仰向けになり、

アイスバーンの上を

滑り出したのです。

 

冬山やったことのある

人であれば、

それがいかに絶望的な

状態かは

おわかりになると

思います。

 

実際にその場にいた

私の山仲間の目にも

その瞬間

「絶望」の文字が

浮かんだそうです。

 

私の滑るその先には

崖がありました。

 

恐らくその崖は

数十メートル以上の

規模があったと思います。

そこから落ちたら

一巻の終わりです。

 

私はアイスバーンの

上で、

自分の体を止める

あらゆる手段を

失っていました。

 

ところが。

 

なぜか、

崖まであと2〜3mという

ところで、

私の体はピタリと止まった

のです。

 

なぜ止まったのかは

いまだによく

わかりません。

 

その日、たまたま

私がテントを持ち運ぶ

担当でした。

 

そのため私の

アタックザックには

荷物が入り切らず、

ナップザックを上に

くくりつけていました。

 

そのナップザックが

引っかかってくれた

という見方もあります。

 

でも、

あのアイスバーンです。

 

それくらいのことで

止まるのだろうか?

と。

 

私はその時、

素直に

大自然に感謝

することにしました。

 

すぐそばで

見守ってくれていた

北岳に

感謝することに

しました。

 

本当はあそこで

終わっていた

私の人生。

 

大自然は

私の人生に

何らかの意味づけを

してくれた。

 

と、私は捉えることに

しました。

 

思えばあの時から

私は北岳が

好きになったのかも

しれません。

 

・・・・・・

 

今の私には

よくわかります。

 

この世に存在する

あらゆるものは

「人」

の意識の反映です。

 

「実在」が

「現象」となって

現れたもの。

 

北岳のあの

佇まいは、

私の心の中に

実在としてあった

「こうありたい」

「こんな自分になりたい」

という真本音の願いを

「カタチ」として

表現してくれた

最初に出会った「友」

だったのだな、と。

 

つづく