人と向き合って

いる時に

いつも感じるのは、

 

言いようのない

幸福感だ。

 

実はそれは

誰と向き合っていても

同じだ。

 

例えば、

私のことを否定したり

非難する人と

向き合っていたとしても、

 

やはり

同じ幸福感を得る。

 

それは私が

人格者だから

ということでは

ない。

 

それが

「向き合う」

ということの

素晴らしさなのだ。

 

しかし恐らく

こういったことを

書くと、

 

「私には

よくわかりません。

たけうちさんだから

わかるんでしょ。」

 

と思う人も

多いだろうなぁ。

 

でもね。

 

はっきり言うと、

それは

違う。

 

もしこの幸福感を

得られないと

したら、

 

まだ「向き合い方」が

中途半端なんだ。

 

かといって

「幸福感を得るために

私はちゃんと人と

向き合おう」

とは

思わないでね。

 

そのような意図を

持てば持つほど、

向き合い方は

中途半端になって

いく。

 

良い向き合い方の

ポイントは

たったの二つだ。

 

一つは、

 

自分の意識を

しっかり相手に

向け続けること。

 

相手の表情や

息遣いや空気感

などが、

よ〜くわかるくらいに

意識を向け続ける

こと。

 

相手から

何を言われようが、

どんな会話になろうが、

それだけは

やめないこと、だ。

 

もう一つは、

 

自分の心の動きは

自由にしておく

こと。

 

つまりは、

心の中では

どんな心の声が

出ても、

どんな気持ちが

湧いても、

構わないんだ。

 

しっかり向き合う

ためには、

無心にならねば、

 

とか

 

心を白紙状態に

したり、

心の淀みを

無くして

純粋な自分でいよう、

 

などと

思わないことだ。

 

だってそんなの

無理だろう。

 

心の中は

何を考えていても

いいんだ。

 

と、それくらい

自分の心を自由に

しておく。

 

ただ、

意識のみを

相手にずっと

向け続けるんだ。

 

たったこれだけ。

 

これを本当に

しっかり

やってみてほしい。

 

実は私達は、

自分の嫌いな人や

苦手な人には

これを

やらない。

 

そりゃそうだ。

嫌いなんだから。

 

でも、

そんな人にこそ、

勇気を持って

やってみてほしい。

 

すると、

何かが大きく

変わると思うよ。

 

そして

「あるがまま」に

人を観る、

というのが

少しわかるかも

しれないね。

 

まぁこれも

意図しないで

ほしいけど。

 

面白いことに、

長年連れ添った

夫婦や家族ほど、

 

こういったことが

疎かになっている

ケースが

極めて多い。

 

身近な人、

大切な人には、

当たり前に

こういったことを

し続けたいね。

 

「向き合いたい」

というのは、

人の根源的な

本能の一つだと

私は

思っている。

 

人と向き合わない

人は、

どんどん心が

荒んでいく。

 

人と向き合う人は

常に

何かが満たされる。

 

だから

向き合おう。

 

ちゃんとね。

 

つづく