自分は

たった一枚の

葉っぱだ。

 

くらいに

自分を捉えた方が

良い時がある。

 

一枚の

力のない葉っぱが

水に流されていく。

 

最初は

小さな小さな

沢の流れだったのが、

 

しだいにその沢は

様々な沢と

合流しながら

太く大きくなっていく。

 

ある時は

激しく、

ある時は

緩やかに。

 

ある時は

まっすぐ、

ある時は

曲がりくねりながら。

 

濁流に

呑まれたり、

岩にぶつかったり。

 

様々な体験を

重ねながらも、

 

しかし決して

葉っぱは

川下から川上へは

流れない。

 

重力の法則に則り、

川上から川下へ

流れ続け、

 

やがては

海へと至る。

 

それが

人生であると

私は捉えている。

 

もちろん。

 

川や水の流れに

依存する

のとは違う。

 

川や水の流れの

真理に目を向け、

 

そこに確かに

流れが実在することを

知り、見つめ、

 

その流れに乗る

ことこそが

自分自身の

本分であるという

 

それもまた

真理であることを

知り、

 

その通りに

流れていく。

 

これこそが

「自律」の本質で

あると

私は思っている。

 

流れに乗る

覚悟。

 

流れに委ねる

覚悟。

 

実は、

流れそのものが

自分自身である

という真理を

そのままに受け入れる

覚悟。

 

これが

「自律」だ。

 

だから私は

時々、

 

あえて自分を

葉っぱのように

捉えることにしている。

 

何の力もない

葉っぱ。

 

ただ、

委ねることしか

できない

葉っぱ。

 

しかし、

その世界のすべてが、

 

委ねるその

世界そのものが、

 

自分自身である

ということを

よく知っている葉っぱ。

 

そんなイメージで

一日を過ごすのも

悪くない。

 

つづく