進む

人間だからね

 

進めば

なんとかなる。

 

進んでいさえ

すれば。

 

どれだけ時間が

かかろうとも、

 

いずれは

目的地に

到着できる。

 

私が昔、

登山で学んだ

あまりに当たり前の

ことだ。

 

人生にも

同じことが言える。

 

人それぞれ

ペースはあるだろう。

 

どんなペースにせよ、

進むことが

大切だ。

 

進むのが

人間だから。

 

「たまには

進まない人生も

いいだろう」

 

とは

言うなかれ。

 

それがどんなに

ひどい現実や

心への影響を

起こすかを、

 

私は散々

観てきた。

 

自分のことでは

ないのに、

何度も泣いた。

 

「進む」という

祈りのような意志を

カタチにしたのが

 

「人間」という

存在だ。

 

それを拒絶することは

人間であることを

やめようとする

行為なんだ。

 

だから結局

その人自身が

最も傷つくことに

なる。

 

もうそういうのは

観たくないな。

本当に。

 

・・・・・・

 

今の私はもはや

「コーチ」ではない。

 

「コーチ」という

役割はできるし、

これからも

し続けるが、

 

もはや

「コーチ」という

存在ではない。

 

「コーチ」という

能力を持っている

だけだ。

 

だから、

進まない人への

対応の仕方も

これからは

随分と変わるような

気がする。

 

・・・・・・

 

新たな私の

新たな探究テーマが

心の奥底から

浮上した。

 

『一書在』

 

・・・意味わからんでしょ。

 

読み方も意味も

誰にもまだ言えない。

 

でも

これが出たことで

パーッと

目の前の世界が

開けた。

 

これでまた

私は加速できる。

 

やはり

進むのは楽しい。

 

人間だからね。

 

みんな

同じはずだ。

 

つづく

 

進むチャンスだ

 

加速感。

 

・・・とあえて

表現しようか。

 

これ、

今、あなたは

感じているだろうか?

 

まっすぐ

前を向いて、

 

目を閉じて、

 

そして、

目の前に

自分の人生の道が

まっすぐに

伸びているイメージを

してほしい。

 

未来の方向に

目を向けた時、

 

あぁ今、自分は

この道を

確かに進んで

いるなぁ。

 

しかも今、

かなりの加速を

しているなぁ。

 

素直に感じる

だろうか。

 

こんな単純な

方法で、

今の自分が

ちゃんと進んでいるか

どうかを

確かめることができる。

 

それくらいに

今は、

前に向かう潮流と

なっている。

 

流れに

乗るといい。

 

そして

そのままの勢いで

本来の自分の

望むスピードまで

 

加速を

してしまうと

いい。

 

今は

チャンスなんだよ。

 

今後の

何十年かの未来に

影響を与えるくらいの

 

チャンスなんだよ。

 

つづく

 

今が進むときだ

 

よし、

進めるか。

 

・・・と

淀みゼロ、

何の迷いもなく

そう思える

瞬間がある。

 

その時こそ、

進む

チャンスだ。

 

私はこの「感覚」を

とてつもなく

大事にしている。

 

逆に言えば、

この感覚が

なければ、

進まない。

 

もしくは、

ゆっくりしか

進まない、

ことにしている。

 

私の特技は

何か?

問われたら、

 

ひょっとすると

「待つ」

ことかも

しれない。

 

私は

ほぼほぼ

待っている。

 

「その時」

が来るのを。

 

待てるかどうか?

 

その後の展開を

大きく左右することを

いやというほど

体験したからだ。

 

「待つ」

ことと

「進む」

こと。

 

この二つの

メリハリを

つける。

 

中途半端は

極力

排除することに

している。

 

・・・・・・

 

結局、

 

待つか進むか?

 

の判断力が

一気に

高まるのだと

思う。

「真本音度合いを

高める」

ということは。

 

真本音度合いが

高まれば、

自らの

真本音からの

メッセージが

 

「直観」

 

という形で

届く。

 

真本音は、

つながっている。

 

自分の

真本音と、

他者の

真本音。

 

深い次元では

つながっている。

 

その「つながり」

からの

直観が来る。

 

その直観によって

「今だ」

「今、進む時だ」

わかれば、

 

あらゆる調和の

中で

進むことが

できる。

 

そして

その際には

自分の中では

 

一切の

迷いがなくなっている。

 

そして、

「現実」すらも

よーく

観えて来る。

 

・・・・・・

 

今、

進む時だ。

 

直観する人が

ここから

一気に増えると

 

私は

直観している。

 

ここから

脱皮し、

 

そこから

一気に

進む。

 

そんな人が

たくさんいる。

 

ぜひ、

自らの

その意志と

 

直観に、

 

素直に

動いてほしい。

 

つづく

 

応援しています!

 

進む人

進むない人

差は

開くばかりだ。

 

結局

どうするか?は

本人しだい。

 

他者がサポート

することは

もちろんできるが、

 

サポートは

あくまでも

サポート。

 

肝心の一歩は

本人の意志

によって

すべてが決まる。

 

ここまで来て

どうして

止まってしまうのだろう、

 

何度、私は

泣きじゃくったことか。

 

とはいえ、

今日はそんなことを

メインに書きたい

わけではない。

 

・・・・・・

 

今日、私が

本当に書きたい

のは、

 

進む人への

応援歌だ。

 

しかし。

 

進む人達は、

実は

そんなことは

望んでいない。

 

なぜなら

「進むことが

当然だ」

思っているから。

 

だから

普通に淡々と

進んでいる。

 

しかも

超加速している。

 

でも本人は

至って普通だ。

 

普通の状態の

人に

応援歌も何も

ないだろう、と

思う。

 

応援してるよ!

と言っても、

 

「何のこと?」

 

と返ってくる

だけだ。

 

でもさ。

 

私だって

人間だ。

 

応援したくも

なるよ。

 

だって

あなた方の

その歩みと

走りは、

 

あまりにも

素敵だから。

 

・・・・・・

 

私の周り

だけか?

 

素敵な人が

増えた。

 

本当に

増えた。

 

世の中、

捨てたもんじゃ

ないんだな、

つくづく思う

毎日だ。

 

ただ。

 

やはり

本番は

ここからだ。

 

素敵な人は

増えたが、

 

まだ

それだけだ。

 

何もまだ

私達は

成していない。

 

本当に

ここからの

一歩一歩だ。

 

すべてが

決まるのは。

 

・・・・・・

 

応援歌の

つもりが、

何も応援に

なっていないのだが、

 

それでも私は

常に

応援しています。

 

もちろん、

私自身も

最大速で

進みます。

 

共に

楽しみながら

進みましょう。

 

つづく

 

上手くやろうなんてすんな

 

どうせ進むなら、

自分らしく

進んでほしい。

 

どうせ挑戦するなら、

自分らしく

挑戦してほしい。

 

良い結果を

望むのは

当然のこと。

 

わざと失敗する

必要はないが、

 

上手く手際よく

ぶつからずに

進もうとは

しないでほしい。

 

長い目で見れば、

 

どれだけ

ぶつかったか?

 

どれだけ

転んだか?

 

どれだけ

痛い思いをしたか?

 

によって

本物かどうかが

決まってくる。

 

もちろん

経験すればよい

というものでも

ない。

 

未経験者は

経験者には

勝てない、

などと

古いことを言うつもりも

ない。

 

だが、

君の真本音が

望んでいる経験が

ある。

 

それがあることで、

超加速できるんだ。

 

真本音が望む

経験は

存分にしよう。

 

恐れてもいい。

 

間違ってもいい。

 

挫けてもいい。

 

でも、

自分が真に

自分自身に必要だと

思っている経験は

 

存分にしよう。

 

未熟だからこそ、

できる経験があり、

 

未熟だからこそ、

得られることがあり、

 

未熟だからこそ、

開拓できるものが

ある。

 

そう。

 

人生は

開拓だ。

 

年を重ねても

開拓し続けることに

変わりはない。

 

であれば、

全力で開拓する

という経験を、

 

その気持ちの

良さを、

 

今のうちに

知った方がいい。

 

人生は

開拓だ。

 

どのレベルに

いるか?

ではない。

 

どれだけ

開拓できたか?

だ。

 

それにより

人生の満足度は

決まってくる。

 

だから、

行け。

 

私も、

行く。

 

共に

進もう。

 

つづく

 

これまでは準備に過ぎない

 

進む人。

進まない人。

 

その差が

またさらに

顕著になった。

 

この一ヶ月での

ことだ。

 

進まない人は

本当に

止まってしまった。

 

恐らく、

テコでも動かない

つもりなのだろう。

 

進む人は

サポートがなくても

勝手に

進んで行く。

誰もが、

最大加速を

楽しんでいる。

 

進めば

楽し。

止まれば

苦し。

 

という

これ以上ない

くらいに

シンプルな原則が

あるのだが、

それが

あまりにも見事に

現れてきている。

 

・・・・・・

 

私自身も

またさらに

加速しようと

思っている。

 

今、

一年前の手帳を

見てみたのだが、

 

この一年で

随分と

加速を続けてきた。

 

一年前の自分が

とてものんびり

しているように

感じられる。

 

だが恐らく、

一年後の自分が

今の自分を

振り返ると、

 

「止まっていたのでは

ないか」

 

と思うくらいの

加速を、

これからしてみようかな

思っている。

 

・・・・・・

 

これまでの

自分は、

準備段階の

自分であった。

 

これからが

本番だ。

 

・・・と

毎年思っている

気がする。笑

 

が、

私はそれでいい

とも思う。

 

これまでは

準備段階に

過ぎなかったんだ、

と思えるくらいの

加速を

続ければいい。

 

そこにこそ、

人としての

本質的な悦び

がある。

 

人生、丸51年。

今日から、

52年目の日々が

始まる。

 

つづく

 

どうする?

 

あなたは

進みますか?

進みませんか?

 

と、

2月に入ってから

ほぼ毎日のように

人に問うている

気がする。

 

その

人生の大事な

選択肢の前にいる

人ばかりだ。

 

進む

には勇気が

要る。

 

進む

とは、

これまでの自分の

範疇を

超えること

だからだ。

 

自分の築いた

世界の中に

安住することは

楽だろう。

 

しかし

本当は

楽ではない。

 

安住すれば

するほど、

心は

不安定になり、

 

その不安定さを

隠すために

自分自身に

不自然な元気さを

与えようとする。

 

その連続で

どんどん心は

弱まり、

そのうちに

身体まで

弱っていく。

 

そうならない

ことを

祈りながらも、

 

私は

今日も問うた。

 

あなたは

進みますか?

進みませんか?

 

もう

この判断は

本人しだいだ。

 

他者の

関与できる

ところではない。

 

だから

祈るしかない。

 

この人が

進む勇気を

出せますように。

 

そんな毎日が

続いている。

 

つづく

 

その道ではないよ

 

無理矢理に

進むことは

良くない。

 

川が

川上から川下へ

流れていくように、

 

自然の摂理に

沿って

流れて行けば

いい。

 

普通に

流れればいいのに、

私達はついつい

余分なことをする。

 

時には

川下から川上へ

上ろうとしてしまう。

 

当然、

それには困難が

伴う。

 

その困難を

越えることが

成長である、

と考える向きも

あるが、

 

どうしても

私にはそれは

自己満足に

見えてしまう。

 

ちゃんと自然に

流れて行けば、

その流れに

乗ることで

発生する

「進むための課題」

が来る。

 

自然に流れる

からこそ、

 

進むからこそ、

 

目の前に

立ちはだかる

課題が来る。

 

どうも

その課題から

逃げるために、

あえて

川下から川上へ

向かい、

 

「俺は

すごいだろ」

 

「俺は

頑張っているだろ」

 

「俺は

挑戦しているだろ」

 

とやっている

人が多いのが

現実ではないだろうか。

 

あなたのその

悩みや課題は、

あなたが今、

本当に取り組む

ものなのか?

 

それが

あなたの人生

であり、

 

あなたの

真本音の願い

なのか?

 

・・・・・・

 

自然に流れる

というのは

楽なことであるが、

 

しかし

楽なことでは

ない。

 

「進む」

という意味では

楽に進めるので

あるが、

 

いつも言うように、

人間とは

「進化を望む」

生き物だ。

 

進化のために

乗り越える壁を

私達は

自ら自分に

課す。

 

それが

楽ではない。

 

楽だったら

課題とは

言えないから。

 

しかし。

 

楽ではないが、

それとしっかりと

真正面から

向き合えば、

 

それに

真正面から

取り組めば、

 

その一歩一歩

魂に満ちるような

充実感が

生まれる。

 

それを感じながら

日々、進むことは

とても

楽である。

 

楽では

ないけど、

とても

楽。

 

という状態に

入る。

 

「進む」

とは

「安定」

である。

 

自転車が

前に進んでこそ

安定するように、

 

前に進むことで

感じることのできる

安定こそを

私達は皆、

求めている。

 

・・・・・・

 

進めば進むほど、

不安定さを

感じる

その方向に、

 

本来の

道はない。

 

それは

あなたの進む

道ではない。

 

もっと

安定を

求めればいい。

 

ただしその

安定は、

止まることによる

安定ではない。

 

進もうと

決意することだけで

安定感を得る、

その道だ。

 

川下から

川上へ進もうと

している人は、

自分を

偽っている。

 

本当は

その道は違う、

とわかっているのに

自分を偽り

その道に進もうと

する。

 

もう一度

言おう。

 

あなたの

その道は

あなたの

道ではない。

 

もっと

あなたには

安定の道が

あるはずだ。

 

もっと

ぐんぐんと

進める道が

あるはずだ。

 

もう、

自己満足の

進み方をするには

もったいない

時代に入った。

 

これからは

川の流れが

とことん速くなる。

 

早くその流れに

乗ることだ。

 

あなたの

人生の流れ

だ。

 

それを

つかむことだ。

 

そのためには、

本当は

あなた自身が

よくわかっている

あなた自身の

真の課題に、

 

勇気を持って

向き合うことだ。

 

つづく

 

足取りが変わったな

 

やはり

思った通りだ。

 

皆の足取りが

明らかに

これまでとは

違う。

 

すべての人に

ずっと存在していた

足枷が、

ようやく

取れたのだな、

とわかる。

 

その足枷には

深い意味があり、

これまでは

その足枷が

あったが故に

我々は

道を間違わずに

来れた。

 

しかしそれは

逆に言えば、

 

足枷がなければ

いられない

我々であった、

 

ということだ。

 

しかし

それが外れた。

 

我々は

自由になったのか?

 

・・・・・・

 

世界では

様々なことが

起きている。

 

いろんなところで

二極化も

進んでいる。

 

ある一面からだけで

物事の判断を

することは

かなり危険な社会

となっている。

 

今、自分がいる

この場所から

のみ

世界を見ては

ならない。

 

世界は

複雑化し

わかりづらく

なっている。

 

しかし

その反面、

 

あまりに

シンプルな本質が

時々、

とてもわかりやすく

露呈する。

 

そして、

シンプルに生きる

人ほど、

多面性を

柔軟性を

持ち発揮しやすい

世の中にも

なれている。

 

こんな時は

恐れずに

いろんなことを

やればいい。

 

一見、

意味のないような

関係のないような

様々な物事が、

 

様々な選択が、

 

すべて

本質では

一つに

つながっているから。

 

・・・・・・

 

勇気のないことを

恐れる必要は

ない。

 

勇気を

待っている

必要もない。

 

ただあるのは、

次の一歩

だけだ。

 

自分の中では

すでにわかっている

次の一歩を

 

そのまま

素直に

踏み出すだけだ。

 

今日、

それをすれば、

明日も、

それをすれば

いい。

 

ただそれだけの

ことだ。

 

・・・・・・

 

行く手に

何が待ち受けるか?

 

と視点を

広げれば、

 

観えることと

観えないこと

がある。

 

たとえ

観えなくても

止まる必要は

ない。

 

観える景色を

観ればよいし、

 

観えない景色も

その存在を

信じればいい。

 

ビジョンが

わからないことを

進まない理由に

してはならない。

 

かといって、

ビジョンを見つける

ことを

あきらめても

ならない。

 

過去を悔やむ

ことを

進めない理由に

してはならない。

 

かといって、

過去はきちんと

悔やむこと。

 

悔やみ続ける

こと。

 

それが、必ず

未来のビジョンに

つながるから。

 

・・・・・・

 

要するに、

一言で

言えば、

 

『進め』

 

というだけの

ことなんだけど。

 

もう、

進め。

 

もう、

足枷は

ないはずだ。

 

何もね。

 

もし

足枷を感じる

なら、

 

それは

幻だ。

 

もう

理由は

いらない。

 

やるか

やらぬか

 

それだけ

だね。

 

つづく

 

進む人と進めない人の違いは

 

「進む人」

ぜひ、

自分を癒して

ほしい。

 

「進む」とは

常に全力を出し続ける

ことでは

ない。

 

本当の「進む」

とは

「永続的に進む」

ということ。

 

であれば、

・どこで全力を尽くし

・どこで休むか

しっかり決めること。

 

それを

見極めること。

 

それができて

初めて

「進む」

ことができる。

 

・・・・・・

 

「進もうとしない」

人は、

私は基本的には

コーチングしない。

 

もちろん、

組織の場合は

別であるが。

 

ほとんどの組織には

「進もうとしない」人が

いる。

 

そういった人達も

「進む」状態に

しなければならないのが

私の仕事だ。

 

だが、

そんな場合でも

まずは私は

「進もうとする人」を

サポートする。

 

「進もうとする人」が

実際に

ぐんぐん進み始める

ことで、

「進もうとしない人」が

「進んでみようかな」

に変化することを

知っているからだ。

 

そういった意味では

やはり、

私は

「進もうとする人」を

サポートする。

 

・・・・・・

 

「進もうとする」が

進めない、

 

という人にとっては、

恐らく私のコーチングは

かなり厳しいもの

だろう。

 

ある時は

「コーチング」を超えて

「指導」したりも

する。

 

まるで上司にように

「やれ!」

とやるときもある。

 

私のコーチングは

ある意味、

「怖い時間」

かもしれない。

 

しかし反対に、

「進む人」

にとっては、

私のコーチングは

「癒しの時間」

になっているようだ。

 

私との

コーチングの時間で

自分を癒し、

 

自分を

リセットし、

 

自分のエネルギーの

源を取り戻し、

 

そして、

「現場」へと

戻っていく。

 

私のコーチングを

受けることで、

「現場」での

気づきが

何十倍にも深まり、

 

そして、

「現場」における

自分の指針が

何十倍にも

明確になる。

 

こういうコーチングは

コーチである私も

実に楽しい。

 

いつも

クライアントさんと

笑い合いながら、

真本音の

コミュニケーションが

取れるからだ。

 

こういった

コーチングのできる

クライアントさんを

増やしていくのも

私の目標の

一つだ。

 

・・・・・・

 

「たけうちさんと

一緒にいると、

何か見透かされている

気がして

怖いんです」

 

と、

よく言われる。

 

それを言う

ということは、

その人は何かを

「誤魔化している」

証拠だ。

 

人生の現場において

何かを

誤魔化しながら

生きているのだ。

 

ただし、

人間誰しも

「誤魔化し」は

あるもんだ。

 

誤魔化している

ことを、

「誤魔化しているんだ」

と自ら認めること

が、

スタートかな。

 

何を

誤魔化しているか?

 

は、

その人の今の

最大のテーマと

なる。

 

誤魔化している人を

私が嫌う

ことはない。

 

それよりも、

その「誤魔化し」を

しっかりと

見つめ、

向き合うことを

するとよい。

 

そのための

サポートを、

といつも思っているので、

そういった人にとっては

私のコーチングは

「怖い時間」

なのだろう。

 

自分と向き合う

ことを

恐れる人は、

いつも私に対して

逃げ腰だし、

 

実際に

逃げて行ってしまう

人もいる。

 

私が

大きな悲しみを

感じる瞬間だ。

 

・・・・・・

 

そりゃ、

人はみんな

誤魔化しがあるよ。

 

でも、

その誤魔化しに

思い切って

目を向けよう。

 

誤魔化しと

向き合うことが、

自分と向き合う

第一歩だ。

 

もし本気で

「進もう」

とするならば、

まずは

自分の誤魔化しを

自分で

受け入れることかな。

 

そこからが

スタートだ。

 

つづく

 

まずは誰をサポートするか?

 

進もうとする人。

 

進もうとしない人。

 

この二極化が

激しくなって久しい

ですが、

 

恐らく10月からは

さらに激しく

なるでしょう。

 

進もうとしない人は

進もうとする人の

足を引っ張る度合いを

高めるでしょう。

 

進もうとする人は、

これまで以上に

パワーを高め、

足を引っ張られても

ますます平気に

なっていくでしょう。

 

すると、

進もうとしない人は

ますますクサってしまい、

心を閉ざして

しまうでしょう。

 

ますます

進まなくなり、

孤独になって

いくでしょう。

 

そういった人達が

一人もいなくなってほしい

と私は願いますが、

現実はなかなか

そうはいきません。

 

・・・・・・

 

進もうとしない人を

進むようにサポート

することは

極めて困難です。

 

なぜなら

進むかどうかは、

最後は本人が

決めることですから。

 

刺激やきっかけを

他者が与えることは

できても、

最後は本人が

決めます。

 

本人が

「進まない」と

決めたならば、

その人は頑として

動きません。

 

超能力を使っても

無理でしょう。

 

人間は

そのようにできています。

 

ただ・・・、

 

本人に進む意志が

あるにも関わらず、

進めない人も多いです。

 

本当は

ほとんどがこの

パターンです。

 

今は進んでいなくとも、

本人に

本当の意志があるならば、

何とかなります。

 

そういった人には

他者からのサポートも

効きます。

時間はかかるかも

しれませんが。

 

・・・・・・

 

組織のサポートにおいては、

この

①進もうとして進む人

②進もうと思っても進めない人

③進もうとしない人

の3つの区別をつけることが

重要です。

 

そしてまずは、

①の人を徹底的にサポート

します。

 

一般的には

①にはもうサポートは

必要ない、と

思われがちですが、

まったく逆です。

 

①の人にこそ

サポートが必要です。

特にこれからの時代は。

 

①の人達が

これまで以上に凄いパワーを

持ち、

これまで以上の加速を

始めることで、

組織全体には大きな

インパクトが起こります。

 

それにより

組織そのものが

パワーを高めます。

 

それにより、

②の人達が自然に

進めるようになったり

するのです。

全員ではありませんが。

 

ひょっとすると、

③の人が②に変化する

可能性も出てきます。

 

これが

組織サポートの

基本です。

 

・・・・・・

 

私はまずは

①の人達に、

徹底的に

セルフコーチングの力と

真本音コミュニケーションの

力を

身につけてもらいたいです。

 

すると、

その人自身はもとより、

組織全体の次元が

高まり始めます。

 

①の人が次々に

増え始め、

その人数が全体の

1割を超えると、組織は

脱皮を繰り返すようになり、

変質します。

 

その状態を

引き起こすのが

私の役割です。

 

そしてこれは

組織だけでなく、

社会においても

同様のことが言える

のではないかと

私は思っています。

 

そういった意味で

私は

私と同じことのできる

コーチを

増やしたい。

 

そう強く

願います。

 

それは

「人」だけでなく、

「組織」にも影響を

与えられる

コーチです。

 

そんなコーチ育成の

動きを、

再びとっていこうかなと

考えています。

 

つづく

 

人の成長意欲を見くびってはならない

「前に向かって

進みましょう!」

 

とよく言われますし、

私もよくそんな

言い方をします。

 

しかし実はそれは

何の特別なことでも

ありません。

 

私達人間は

もともと

「前に向かって進む」

存在です。

 

そのように

出来上がっている

生き物です。

 

よくマグロが

「泳ぎ続けないと死ぬ」

と言われますが、

人間も同じです、

本質的には。

 

止まると

死んでしまうのです。

 

まずは

魂が死にます。

 

「死ぬ」というと

ちょっと語弊が

あるかな。

 

「死に体になる」

と言った方が

良いと思います。

 

魂が死に体になると、

次に心も

死に体になります。

 

すると

その次は体に

影響が及びます。

 

とても残念で

悲しいことですが、

このように

魂が死に体になっている人が

多いのが

この世の中の特徴です。

 

止まってしまって

いるのです。

 

進んでいないから

です。

 

それを

「進む状態にする」

のが

私のサポートの本質

です。

 

・・・・・・

 

進まなければ

ならないの?

 

なんて、

疲れる存在なんだ、

人間は。

 

・・・と思われるかも

しれません。

 

しかし

誤解しないで

ください。

 

休憩してはならない

ということでは

ありません。

 

マグロだって

睡眠をとります。

 

睡眠をとりながら

進むそうです。

 

休憩と、

止まること、

は全く別のことです。

 

休憩を取りながらも

進むのです。

というよりも、

休憩をきちんと

とるからこそ、

より望むスピードで

私達は進めます。

 

そして

さらに言うならば、

進んでいる

その状態こそが、

私達にとっては

とても静かで

平穏で

安定して

安心できるのです。

 

リラックス

できるのです。

 

進むとは、

リラックスすることを

やめなさい

と言うことでは

ありません。

 

進むからこそ

落ち着いて

リラックスして

満たされて

自分らしく

自然体で

いられるのです。

 

それが

私達人間の

本質です。

 

なぜなら人間は

「進化の象徴」

そして

「進化という実在の反映」

だからです。

 

・・・・・・

 

「成長意欲を

持ちなさい」

とも

よく言われます。

 

いやいやいや、

人はもともと

成長意欲の権化

です。

 

もし

成長意欲が

減退しているならば、

それは

成長意欲を止めてしまう

何らかの阻害要因が

あるのです。

 

まぁもっとも

今のこの世の中は

その阻害要因に

溢れているわけですが。

 

私達は誰もが、

自然な状態に戻れば、

つまりは

自分を取り戻せば、

自然に成長意欲は

湧きますし、

前に進もうとします。

 

「前向きに生きろ!」

なんて

わざわざ言わなくても

よいのです。

 

前向きに生きようと

するのが

もともとの私達

だから。

 

それは

大人も子供も

変わりません。

 

人類全員に

言えることです。

 

その本質を

見誤ると、

人のサポートは

おかしなことになります。

 

・・・・・・

 

人には誰も

「真本音」があるんだ、

という真実を

知ることができ、

自分自身の真本音を

大切にし、

真本音度合いを

高めるようになってから、

私は

一つ大変に

驚いたことがあります。

 

それは

自分自身の

成長意欲の

あまりの高さに

です。

 

えっ?

俺はこんなにも

成長したいと

思ってるの?

 

と愕然とするくらいに

成長意欲が

高いのです。

 

今ですら、

よく愕然と

します。

 

もちろんこれは

私一人に限ったことでは

ありません。

 

私が自身に感じる

この意欲の高さは、

すべての人が

同じです。

 

すべての人が

自然体になれば

その意欲は

必然的に姿を

現します。

 

私のサポートとは

それをするだけの

こと、

という言い方もできます。

 

人が自然体に戻り、

自ら内包する

その成長意欲が

顕在化すれば、

あとは勝手に

その本人が

進んでいきます。

 

そこに

「意図」は

必要ありません。

 

むしろ

「意図」を

手放すことで、

その人は

次々に「想定外」の

凄いことを

成し遂げ続けます。

 

もしそういった

一人一人の集まる

組織であるならば、

その組織は

凄いことになります。

 

そして私は

そのように

組織が凄いことに

なっていくのを

傍から眺めるのが

人生の喜びです。

 

人って

やっぱり

本当に凄いんだなぁ。

 

組織って

本当に

凄まじいなぁ。

 

22年今の仕事を

続けていますが、

その感嘆と感激は

今もって

まったく衰えません。

 

というか、

今も日々、

高まり続けています。

 

・・・・・・

 

世の中全体の

潮流。

 

いろんな人々と

向き合っていますと、

そういったものを

ある瞬間に

実感します。

 

今の世の中の

潮流を

一言で表現すれば、

その

「成長意欲」

ということになると

私は感じています。

 

ひょっとすると

私達人類は、

人類史上例がないくらいに

今は

成長意欲が

高まっているのでは

ないでしょうか。

 

とさえ

思う瞬間が、

この5月に

頻発しました。

 

この感覚。

 

はっきり言って、

初めての体験ですし、

ワクワク、

というか

ゾワゾワします。

 

今、

私達人類は

何かを

始めようとしているのでは

ないでしょうか。

 

もしくは

新たなステージに

入ろうとしている、

いや、

入ったのでは

ないでしょうか。

 

ますます

毎日のお仕事が

楽しくなりそうです。

 

つづく

 

なぜ苦しい? その答えは、進まない、から

「進む人」と「進まない人」。

 

今、私達人間の傾向は、

この二つにクッキリと分かれています。

 

どれだけ意識の次元が高くても、

進まなくなってしまった人がいます。

 

逆に、どれだけ意識の次元が低く未熟でも

前に進もうとする人もいます。

 

今の自分がどのレベルにいるか?

ではなく、

進むか? 進まないか?

それこそが、とてつもなく重要であると

私は最近、強く実感しています。

 

人は、進む生き物です。

 

「進む」ということを一つの形として

現したものが、人であるとも言えます。

 

逆に言えば、

進まなくなった人は、もう人ではない、

人としての本質を捨ててしまっている、

と言っても、本当は言い過ぎではありません。

 

それを最もよく理解しているのが

私達の「本能」です。

 

私達の「本能」は、進むために存在しています。

ところが、

進むことを放棄してしまうことで、

私達は、本能的に、自分自身のことを

嫌います。

 

自分のことを嫌うことで

大量発生するのが

エンティティです。

 

「進む」と言ってもそれは

苦しいことではありません。

 

私達人間は、

川の流れに身を委ねているような

存在です。

 

流れに身を委ねれば、

自然に進んで行くのです。

 

むしろ、進むのを放棄するということは、

川の流れに逆らいながら、

その場に必死に留まろうとする行為です。

その方が間違いなく不自然ですし、

苦しいのです。

 

しかし、にも関わらず

止まってしまう人がいます。

 

本当は、進むことこそが気持ちが良いのに、

今の自分に執着しすぎてしまっているのです。

 

流れに逆らうことによって

大量発生するのが

エンティティです。

 

エンティティを大量発生させてしまった人は

そのエンティティが気持ち悪く、

エンティティを消そうとします。

 

自らのエンティティと戦うのです。

 

しかしエンティティとは、

消そうとしたり、戦おうとすることで

逆に反発するかのように増大します。

 

その負の循環から

抜け出せなくなります。

 

西畑さんはその状態にあり、

その西畑さんのエンティティを

木村さんは受け取ってしまっていました。

 

エンティティから解放されるための手段は

ただ一つ。

そのエンティティを、愛することです。

 

それにより、

エンティティは浄化されます。

 

以前にこのブログでも書かせていただきましたが、

「愛」とは行為ではありません。

 

「愛」とは、エネルギーそのものです。

 

分離しているものが、

一つになろうとするときに自然発生する

エネルギーです。

 

そのエネルギーは誰もが

持ち合わせています。

 

しかしそのエネルギーを実際に

発揮できるかどうかは、

その人が「進む」かどうか?によります。

 

進むのを放棄している人からは

愛というエネルギーは発せられません。

 

進む人は、それだけで

愛のエネルギーは出ます。

そして、

次元を高めれば高めるほど、

そのパワーは2次曲線的に増大します。

 

私は木村さんに、

「木村さん、

その西畑さんのエンティティを

愛せますか?」

と問いました。

(→前々回記事)

 

恐らく、二人コーチングの開始直後の木村さんなら

嫌がっていたでしょう。

 

しかし、弓江さんとの二人コーチングの時間を

過ごすことにより、

木村さんの真本音度合いは一気に

高まっていました。

 

ですから木村さんは何の躊躇もなく

言われました。

「愛せますよ」と。

 

であれば、あとは簡単です。

 

「木村さん、

木村さんの愛は、どこから出やすいと

思いますか?」

 

「・・・そうですね。

右手かな?」

 

「であれば、右手を背中か肩か、

最も苦しい部分に当てることはできますか?」

 

木村さんは左肩の辺りに右手を

当てました。

 

「ここだと思います。」

 

「では、右手から

愛のエネルギーをエンティティに

注いであげてください。」

 

「はい。」

 

ほんの20秒くらいでしょうか、

ふっと、木村さんの全身が軽くなった感覚が

私に伝わって来ました。

と同時に、

「もう終わった気がします」

と木村さん。

 

これでもう、エンティティは

浄化されました。

 

「木村さん、

気分はいかがですか?」

 

「なんか、

すごく全身が軽くなりました。

自由になれた感じがします。」

 

これにより、

木村さんの真本音度合いは

さらにアップしました。

 

つづく