足取りが変わったな

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やはり

思った通りだ。

 

皆の足取りが

明らかに

これまでとは

違う。

 

すべての人に

ずっと存在していた

足枷が、

ようやく

取れたのだな、

とわかる。

 

その足枷には

深い意味があり、

これまでは

その足枷が

あったが故に

我々は

道を間違わずに

来れた。

 

しかしそれは

逆に言えば、

 

足枷がなければ

いられない

我々であった、

 

ということだ。

 

しかし

それが外れた。

 

我々は

自由になったのか?

 

・・・・・・

 

世界では

様々なことが

起きている。

 

いろんなところで

二極化も

進んでいる。

 

ある一面からだけで

物事の判断を

することは

かなり危険な社会

となっている。

 

今、自分がいる

この場所から

のみ

世界を見ては

ならない。

 

世界は

複雑化し

わかりづらく

なっている。

 

しかし

その反面、

 

あまりに

シンプルな本質が

時々、

とてもわかりやすく

露呈する。

 

そして、

シンプルに生きる

人ほど、

多面性を

柔軟性を

持ち発揮しやすい

世の中にも

なれている。

 

こんな時は

恐れずに

いろんなことを

やればいい。

 

一見、

意味のないような

関係のないような

様々な物事が、

 

様々な選択が、

 

すべて

本質では

一つに

つながっているから。

 

・・・・・・

 

勇気のないことを

恐れる必要は

ない。

 

勇気を

待っている

必要もない。

 

ただあるのは、

次の一歩

だけだ。

 

自分の中では

すでにわかっている

次の一歩を

 

そのまま

素直に

踏み出すだけだ。

 

今日、

それをすれば、

明日も、

それをすれば

いい。

 

ただそれだけの

ことだ。

 

・・・・・・

 

行く手に

何が待ち受けるか?

 

と視点を

広げれば、

 

観えることと

観えないこと

がある。

 

たとえ

観えなくても

止まる必要は

ない。

 

観える景色を

観ればよいし、

 

観えない景色も

その存在を

信じればいい。

 

ビジョンが

わからないことを

進まない理由に

してはならない。

 

かといって、

ビジョンを見つける

ことを

あきらめても

ならない。

 

過去を悔やむ

ことを

進めない理由に

してはならない。

 

かといって、

過去はきちんと

悔やむこと。

 

悔やみ続ける

こと。

 

それが、必ず

未来のビジョンに

つながるから。

 

・・・・・・

 

要するに、

一言で

言えば、

 

『進め』

 

というだけの

ことなんだけど。

 

もう、

進め。

 

もう、

足枷は

ないはずだ。

 

何もね。

 

もし

足枷を感じる

なら、

 

それは

幻だ。

 

もう

理由は

いらない。

 

やるか

やらぬか

 

それだけ

だね。

 

つづく

 

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