モヤというか、
影というか、
正体不明の
何かが
発生すれば、
立ちどころに
察知する。
そして
それは何か?
を
可能な限り
早く
突き止める。
そういう
生き方を
もう
24年
続けている。
今となっては
当たり前の
ことだが、
それ以前の
私は
真逆だった。
どれだけ
間近に
暗闇があろうと、
ないもの
と
した。
見て見ぬ
ふり。
だから
あれだけ
私の人生は
苦しかった。
・・・・・・
今の若い
人達を
見ていると、
あまりに
あっけらかんと
自分を
見つめる。
羨ましく
なる。
私もこの
年齢から
こういうことが
できていればな、
と
いつも思う。
捩れ、
ひねくれ
の
重なり、
積み上げ。
その中で
私は完全に
自分を
失っていた。
気がつけば、
人の
言う通りに
生きていた。
私本人は
自分の意思だと
思い込んで
いたが。
時々、
そんなに
卑下しないで
くださいよ、
と
言われるが、
それは
その当時の
私を
知らないからね。
・・・・・・
もう、
私はいない。
いなくなって
しまった。
どこを
念入りに
探しても。
私が
「私」であると
認識していた
私だ。
本当に
どこにも
いなくなって
しまったよ。
もちろん
今が「本来」だと
わかるが、
ちょっと
寂しい気持ちも
ある。
今の私は
あらゆるものが
満たされている。
この
1分1秒が
幸せでならない。
ふと
気を抜けば
すぐに
嬉し涙が
こぼれそうになる。
それくらいに
幸せだ。
いつから
そうなれたのだろう?
と
よく思う。
答えは
もちろん
わかっている。
真本音で
生きるように
なってからだ。
・・・・・・
しかし、
真本音で生きる
ようになったら
すぐに
今のようになれた
わけではない。
何度も何度も
真本音の道から
外れそうに
なった。
そうならない
ために、
いつも自分の中の
モヤや影には
気を配った。
私は
他者に比べて
圧倒的に
モヤと影の多い
人間だったので。
だから
毎日の習慣
として
いつも丁寧に
自分を
整え続けた。
その結果
として、
ある時から
スーッと
あらゆることが
楽になってきた。
この体験が
あるからこそ、
確信を持って
私は
人をサポート
できる。
以前の私に
比べれば、
この人は
全然マシだ。
そう
思えるから
こそ。
変な表現
だが、
これが私の
自信だ。
・・・・・・
私に
観えているもの
を
知りたい、
と
最近は
よく言われる
ようになった。
ありがたい
ことだ。
今の私には
「実在」が
よく観える。
だから
物事の判断が
とても
楽だ。
しかしこれは
私特有の力
ではない。
私の力は
人の力。
すべての人が
最初から
持ち合わせている
もの。
私ですら
それを
発掘できた。
だから
誰もができる
はずだ。
本人の
意志がある
限り。
だから私は
意志ある人の
ところに
行く。
意志ある人は
どこまでも
サポートを
させていただく。
私には
自信が
あるからね。
つづく