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私達には全員、
必ず、
人生を終える
瞬間が来る。
その時に、
「あぁ、いい人生だった」
と思いたい。
・・・という願いを
持っている人は
多い。
それは
尊い願いだと
思う。
私はこの願いを
二十歳前後の時に
持った。
しかし、
あるカリスマ経営者に
その話をしたら、
「そんなのは
願いではない」
と一笑された。
「願いとは
もっと具体的な
ものだ」
と。
「人生の目的は
もっと具体的な
ものだ」
と。
彼の言いたいことは
今はよくわかる。
「いい人生だった」
と最期に言える
ためには、
具体的な目的を
持ち、
具体的な行動を
起こすこと。
それなくして
「いい人生だった」
と、心から言える満足感は
得られないように
人間はできている、
と。
そう。
私達は
「具体化」
を望んでいる。
具体化とは
「カタチ」だ。
『願いをカタチにする』
こと。
これが人生だと
思う。
20代前半に
私は彼からの
アドバイスを受けて
ラッキーだったと
思っている。
彼の言葉を
聴いた瞬間に私は
旅に出ることを
決めた。
当時の私は
彼に対して
「見とれよ!」
という憤慨の気持ちで
いっぱいになったが、
それもまた
彼の意図した
ものだったのだろう。
おかげで私は
人生の逸脱を
始めることができ、
それは
今日まで続いている。
何のために
生きるか?
具体的な目的は
何か?
そのために
今日は何をするか?
新たに
何を始めるか?
・・・常に
私の中には上記の
「問い」がある。
毎日、
この問いと
向き合い続けた
この約30年だった。
あなたにも
あなたの中に
重要な問いが
存在しているはずだ。
それをまずは
見つけてほしい。
そしてその問いと
毎日毎日
欠かさずに
向き合い続けて
ほしい。
答えはすぐに
出なくてもいい。
とりあえずの
答えになっても
いい。
とにかく
毎日、新鮮な気持ちで
その問いと
向き合い続けて
ほしい。
これもまた
セルフコーチングの
基本の一つだ。
つづく
朝、目覚めた時、
あなたは
どう起きる?
私はね、
まずは必ず自分に
問うんだ。
「今すぐに
起きる?」
って。
「すぐ起きる」
と返ってきたら、
すぐに布団を
出る。
でも多くの場合、
「もう少しこのままで
いる」
と返ってくる。
その場合、
私はそのまま
布団の中にいる。
そうするとたまに
二度寝してしまう
こともあるが、
それでも
構わない。
で、
ちょっと時間が
経った時に、
また同じことを
問う。
「どうする?
もう起きるか?」
と。
これを
繰り返す。
何度か繰り返す
うちに、
「うん、いいよ。
すぐ起きよう」
という返事が
返ってくる。
その瞬間に
バッと
布団を跳ね除けるんだ。
すると、
実に気持ちよく
起き上がれる。
そのままの勢いで
一日を始められる。
実に
気持ちよく、
しかも
スムーズだ。
一日の始まりが
気持ちよいと、
一日すべてが
気持ちよくなる。
これも
セルフコーチング法の
一つだよ。
つづく
今、
あなたの心の中心に
「滝」
があるとする。
イメージを
してみてほしい。
その「滝」は
どのようなもの
だろうか?
水量は
どうだろうか?
落ちる水の
勢いは
どうだろうか?
高さは?
嶮しさは?
音は?
滝壺の様子は?
・・・どうだろうか。
次に今度は
その滝の中に
入り込んでみよう。
自分自身が
水と一体化しよう。
水となって
落ちて行くとき、
どのような感覚を
得るだろうか?
その水の
純度は?
濁り具合は?
スピードは?
落ち方は
スッキリしているか?
いろいろなものに
ぶつかりながら
淀みながら
落ちて行くのか?
落ちる時間は?
長く感じるか?
一瞬に感じるか?
滝壺に落ちた後は、
穏やかになるか?
それとも、
どんどん不安定に
なるか?
滝壺の水と
なった後に、
自然に湧いてくる
感情は?
エネルギーは
満ちてくる?
それとも、
奪われていく?
そして。
その滝そのもの
その自然そのもの
全体と
一つになった時、
あなたは
何を感じる?
・・・・・・
心の中心の「滝」を
体験した時、
自分にとってそれが
居心地の良いものか?
そうではないか?
・・・は、
今のあなたの「生き方」
をそのまま
表していている。
「生き方」に
正解、不正解、
はない。
ただ、
あなた自身にとって
それが
納得いっているかどうか?
あなた自身が
本当に望む生き方が
できているかどうか?
がある。
望む生き方が
できている人は、
本来の魅力が
溢れているだろう。
結果として
様々な「現実」が
開かれて行く。
その逆は、
やはり辛い日々と
なるだろう。
「滝」を体験した時、
ここの部分は
気持ちいいけど、
ここは気持ち悪い、
というように、
部分部分によって
印象が異なる場合は、
それは一体
何を意味しているのだろう?
と、
自己分析してみるといい。
例えば、
水と一体化すること自体は
気持ちいいけど、
落ち方が
気持ち悪い、とか。
なぜ気持ち悪いの
だろうか?
と
自分自身に問うて
みるといい。
そうか、
スピードが
緩すぎるんだな。
もっと私は
速く進みたいのだな、
・・・などのように
自分自身の
「意志」と「現実」という
視点から
自己分析してみると
いい。
「滝」を
イメージするのは、
客観的に自分自身を
捉えるため。
いつもとは
ちょっと違った視点で
自分と向き合うのも
セルフコーチングの
一つの形だ。
つづく
私達は
子どもの頃に持っていた
自由な発想を
いつの間にか
忘れてしまう。
でも
「自由発想」
というのは
人間としてとても
大事なことだと
思うんだ。
なぜなら、
今この世にある
多くのものは
「自由発想」から
生まれたから。
常識的な固い頭からは
新たなものは
生まれない。
私達の創造性の
源は
「自由発想」なのでは
ないか。
・・・・・・
私達は
「地球」という星に
住んでいるが、
もし、
私達の中に
「地球」があると
したら、
自分の体の中の
どこにあるだろう?
ここかな?と
自然に思える場所を
特定し、
そこに意識を
向けてみよう。
すると、
「地球」が
観えてくるはずだ。
「地球」が
観えたら、
挨拶をしてみよう。
あなたは「地球」に
最初に
なんて声をかけたい?
私は、
「いつもお疲れ様!」
かな。
そして
「地球」に何か
メッセージを贈ろう。
あなたは
どんなメッセージ?
私は
そうだな、・・・
「無理すんなよ」
かな。(笑)
ちょっと最近の「地球」、
無理し過ぎのような
気がするんだよね。
「もっと自然でいいよ」
と、
メッセージしたいな。
では、
次に「地球」に何を
問うてみたい?
私は、
そうだな、・・・
「これから生まれてくる
子ども達に
あなたは何を
メッセージしたい?」
と問おうかな。
問いが浮かんだら、
実際に「地球」にそれを
投げてみるといい。
私がその問いを
投げたら、
「地球」から次のような答えが
返ってきたよ。
「無理すんな」
・・・だって。(笑)
「ゆっくり呼吸をして、
心を落ち着かせ、
無理のない自分として
自由に生きてほしい」
・・・と。
なんか、すごく
共感。
子ども達だけでなく、
大人達にも
そうしてほしいな、
私は。
よし。
そんなところを
ポイントに置きながら、
今日のコーチングを
していこうかな。
・・・・・・
「地球」との
対話。
これも
自由発想のやり方の
一つ。
自問自答、
セルフコーチングの
やり方の一つだ。
私達は皆、
地球人。
「地球」は
私達を自由に
してくれるよ。
つづく
私たちの心の中には
様々な自分
がいる。
ある意味、
多重人格者である。
みんな。
ただ、
健康的な人は皆、
心の中で
すべての自分が
ある程度の「ミーティング」を
しており、
今は
誰の意見を
どう生かすか?
を
ある程度しっかりと決めて、
その選ばれた意見に
基づき、
行動を起こしている。
そういった意味では
私達の心は
組織と同じだ。
心が本当に
整っている人とは、
その「ミーティング」が
円滑に進む人だ。
つまりは、
様々な自分達が
ちゃんと一致団結して
「最善の答えを出そう」
と
みんなで協力している
状態だ。
これも
組織と同じ。
一致団結する組織が
強いのと同じように、
一致団結する心は
安定しているし、
力強い。
逆に言えば、
心の中の様々な自分同士が
足を引っ張り合ったり、
いがみ合ったり、
争い続けていると、
心は疲弊する。
決断も
しづらい。
常に最善の答えに
たどり着かずに、
「迷いながら」
「葛藤しながら」
行動し続けることになる。
・・・・・・
良い組織に
良いリーダーがいるのと
同様に、
良い心には
良いリーダーが
存在する。
様々な自分達のすべてが
「このリーダーなら
信頼できるな」
と
素直に思えるリーダーが
存在する。
そのリーダーは
どのような状況下に
おいても、
揺るがなく、
常に毅然とし、
常に泰然とし、
常に、
安定感を持って
現実と向かい合い、
最善の判断を
下すことができる。
リーダー以外の
心達は、
そのリーダーの決断に
従い、
その方向に向かって
全員、
協力体制を敷いていく。
普段は
様々な考えや、
様々な方向性を持つ
自分達が、
リーダーの決断に対しては
素直に受け取り、
それぞれの個性を
活かし合いながら
力を合わせ、
相乗効果を発揮する。
その、
「心の中のリーダー」
のことを私は
『真本音』
と呼んでいる。
・・・・・・
誰の心にも
真本音は必ず
ある。
しかし、
それに気づいていない
人は多い。
自ら真本音に
気づき、
自ら真本音を
尊重することで、
その人の真本音は
一気に活性化し、
先頭に立つようになる。
しかし、
その人自らが
自身の真本音を
大切にしなければ、
真本音は
あえて先頭に立つことを
しようとはしない。
「私は真本音を大事に
生きていく」
と
本人が明確に決め、
その覚悟を持つことで、
その人の真本音は
ようやく
重い腰を上げ、
本気になって
自分が中心となり
進んでいくのだ。
そう。
真本音は
放っておいたら
働いてくれない。
覚悟を持たねば
先頭に出ない。
そのように
決めているのも
私達すべての人達の
真本音の共通の
特徴だ。
・・・・・・
だから私は
まず最初に必ず、
その人の真本音の
願いの一つを
見つけ出し、
言語化するセッションを
行なう。
言語化することで
常に意識をし、
真本音を尊重した
日々を
徐々に創り出していく。
体験を通じて
「真本音を大切にした
人生は楽しい!」
と知り、
その人自らが
真本音度合いを高めていく
ことを
サポートする。
そしてある時
ある瞬間に、
その人自身が
覚悟を決める。
「私は真本音の道を
進もう」
と。
そこからその人の
真本音は
心の先頭に立つ。
それにより、
人生は大きく
展開していく。
・・・これが私のサポートの
初期段階であり、
私の推奨する
セルフコーチングとは、
そのための
方法論だ。
その方法論を、
できるだけ多くの人に
正しく正確に
お伝えしたいと
思っている。
つづく
その人の
人生の選択は
その人の
ものだ。
誰が何と言おうと、
その人の
人生は
その人が決める。
それは
当たり前のことだし、
それを
尊重すべきなのも
わかってはいるが、
やはり、
少なくとも、
光の方向に
進んでほしいな、
と
私は願う。
光に輝く
方向だ。
その人自身が
真本音で望む
方向だ。
しかしそれと
真逆の方向へ
進もうとする
人がいる。
ちょ、ちょ、ちょっと
待って!
と、
ついつい私は
止めたくなる。
通常、
コーチとしては
止めては
ならないかもしれないが、
でも
人として私は
ついつい
止めたくなる。
・・・・・・
悩むことは
大事だ。
悩んで悩んで
悩んで。
真剣に悩み尽くして
答えを出すことは
とても意義があるし
それこそが
人生だ。
だが、
悩みながら
答えを出しては
ならない。
悩む頭で
答えを選んでは
ならない。
それは大抵の場合、
後悔を
呼ぶ。
本来の答えは、
悩みながら
出すものではなく、
悩んだ末に
スッキリと
「浮上」するもの
だ。
そう。
本来の答えは
その人の中に
ある。
その人の
真本音が
最初っから
決めている。
最初っから
決めているその
答えを
見つけるために、
私達は
悩むのだ。
だから、
悩んだ末に
浮上する答えと、
悩みながら
決める答えは
根本的に
違うんだ。
・・・・・・
真本音度合いを
なぜ
高める必要が
あるか。
それは、
真剣に悩んで
スッキリ
答えを浮上させる。
・・・そのプロセスを
「最短」に
するためだ。
とも言える。
人生を
急いでいる人は
今、
多い。
それだけ
人生で多くのことを
成し遂げようと
している。
最初から
そう決めている。
だから
急いで進もうと
本能的に
思う。
それが結果として
焦りを生み、
悩んだまま頭で
答えを出し、
本来とは異なる
道に行き、
その後、強い後悔に
苛まれる。
それも人生だし、
その試行錯誤も
必要だ、
という考え方も
あるが、
今のこの世の中に
いる我々の多くは、
その試行錯誤は
望んでいない。
それよりも
良い悩み方を
しながら、
最短で道を進み、
自分の人生の
目的を
何としてでも
果たす。
という
願いの強さを
持っている。
だからこそ
私は思うのだ。
これからの時代こそ
真本音度合いの
アップが
必要だと。
自分自身の
真本音と
反応本音の
区別をつけられる
自分になることが
必須であると。
つづく
目の前に
船がある。
船と言っても、
ボートのように
小さい。
しかも
よく見ると、
泥でできているのでは
ないか、
と
思うくらいに
不安定で弱々しい。
こんな船で
荒海に飛び出せば、
一発で
沈んでしまいそうだ。
命の保証は
ない。
普通であれば
こんな船、
絶対に乗りたくない
のだが、
でも、
私の魂が
「ここに乗るのが
私だ」
と
ほざいてやがる。笑
・・・こんな場合
私はどうするかと
言うと、
迷うことなく
その船に乗る。
たとえ沈んでも
恐らく
(本当に、恐らくだが)
後悔はしない。
・・・・・・
目の前に
船がある。
今度は
「超」がつくような
豪華客船だ。
最新型だ。
遊ぶ施設も
充実してそうだ。
毎日、
美味しい料理も
満喫できそうだ。
快適な日々が
過ごせそうだ。
こんな船で
世界一周できたら
さぞかし楽しいだろうなぁ、
と思う。
そんな人生
いいなぁ、
と思う。
でも、
私の魂が、
「この船には
乗らない」
と言えば、
私は決して
乗らない。
多分、
(本当に、多分だが)
後悔はしない。
・・・・・・
これを
「真本音で生きる」
と
私は呼んでいる。
真本音で生きる
とは、
自分の心に素直に
生きるのとは
ちょっと違う。
余計に難しくなるかも
しれないが、
あえて言えば、
自分の魂の意志
に素直に生きる
ということだ。
心と魂の違いに
ついては、
あえてここでは
触れないが、
この違いを
区別できることは
人生において
とても有意義だ。
・・・・・・
これは、
心を置き去りにする
生き方、
というわけでは
ない。
なぜなら、
魂の意志通りに
生きれば、
結果として
必ず、
どっかのタイミングで、
心も満足する
からだ。
逆に言えば、
どれだけその時の
心が望んだとしても、
それが
魂の意志とは異なる
選択であれば、
心は後で
必ず
苦しくなる。
心と魂は
分離しているのだが、
しかし
根底では
つながっている。
心にエネルギーを
与えているのは
魂だ。
魂の意志とは
別の生き方をすれば、
エネルギーは間違いなく
減退する。
だから、
自分自身の魂の意志を
ちゃんと
自分で知る必要が
ある。
・・・・・・
私の推奨する
セルフコーチングとは、
この、
魂と心の
区別をつける力を
身につけることに
直結する。
魂と心の意志の
区別をしながら生きる
状態になるための
自分との向き合い方
だ。
言葉を換えれば、
真本音と反応本音
の区別をつける
ために行なうのが
私の推奨する
セルフコーチングだ。
今の世の中は
この区別がないために
混乱している。
区別がないから
人生も混乱する。
区別をつければ、
すべてが
調和を始める。
単純なこと
なんだ。
区別は
大人も子どもも
誰もがつけられるように
なる。
ただ、みんな
そのやり方を知らない
だけだ。
知らないのであれば、
ちゃんと伝えていこう。
今の私の活動の
ほぼすべては、
これに尽きるかな。
つづく
以前の私の講座の
受講生さんで、
「喜び」
という言葉と
「悦び」
という言葉を
区別されていた人が
いた。
「喜び」とは
心の喜びのこと。
「悦び」とは
魂の喜びのこと。
だそうだ。
この区別、
私もとても大切だと
思っている。
この区別が
もっとつくようになれば、
人生はもっともっと
豊かなものに
なるのではないか。
・・・・・・
この仕事をしていると、
魂がジンジンと
悦ぶ瞬間が
ほぼ
毎日のようにある。
それが実に
気持ちが良い。
しかもそれは
特別な出来事だけに
起こることではない。
私が、
「悦び」を実感できる
ようになってから
初めて知ることが
できたのは、
「一日の始まり」
と
「一日の終わり」
に
私達人間は
言いようのない悦びを
得ている、
という事実だ。
始まりと
終わりに
私達の魂は
打ち震えるのだ。
ひょっとすると、
この悦びを
定期的に得続けるが
ために、
「一日」というのは
あるのではないか、
とすら、
私は思うことがある。
ところが、
この悦びを
素直に感じ取っている
人がいったい、
どれだけいるだろうか。
今の社会では。
・・・・・・
富士山など、
山に登って
ご来光を拝む時、
ほとんどの人は
独特の喜びや
感動を得ていると
思う。
あれはもちろん
太陽や大自然の美しさを
目の当たりにした
感動もあるだろうが、
あれこそ私は
本質的には、
「始まりの悦び」
を感じているのだと
思う。
このように皆、本当は
「悦び」は感じられる
はずなのに、
日常にどっぷりと
浸かってしまうと、
それを
忘れてしまう。
これは
実にもったいない
ことだと
思わないか?
・・・・・・
私の推奨する
セルフコーチング法は、
この「悦び」を
取り戻していく方法
とも言える。
普段、
本当は感じているのに
感じられていない
麻痺してしまっている
私達の心を、
正常に戻していく。
そのために必要なのが、
『リブート』
だ。
つまりは
「再起動」。
心を再起動させる
やり方と力を
身につけていく。
一昨日の記事で
「リブート」には
二つの意味がある、
と書かせていただいたが、
(→【やっと動画を撮り終えました】)
二つ目の意味
とは、
「毎日のリブート」
だ。
本当は、
一日の終わりと
次の一日の始まりは、
私達にとっては
「リブート」
するというとても
重要な意味がある。
しかしそれが
きちんとできていない。
だから、
始まりと終わりの
「悦び」も
感じ取ることが
できない。
だから、
本来の
エネルギーも
湧いてこない。
昨日書かせていただいた
エネルギー管理も
できなくなる。
(→【自分のエネルギー管理を】)
だから私は
「リブート」の
具体的な方法を
皆さんがきちんと知る
必要があると
思っている。
それを
お伝えしたい。
これができると、
いつでもどこでも
「リブート」できる
私達になれる。
それをしっかり
正しく練習する場
としての講座を
開きたいと思っている。
つづく
ある一面から言えば、
人生とは
自分自身の
エネルギー管理である、
と私は
思っている。
自分のエネルギーを
何に対して
どう使うか?
これをしっかりと
決めていくことが、
自分自身の
望む人生を創り出して
いくことだ。
そこでとても
大事な視点は、
「エネルギーとは
有限である」
という事実だ。
いやいや、
人のエネルギーは
無限ですよ、
と
言われる人も
いるかもしれない。
もちろんある面から
言えば、
そう言えることも
わかるが、
それでは
自分自身の
エネルギー管理は
できない。
太陽光発電を
イメージしてもらうと
わかりやすいと思うが、
太陽のエネルギーは
無限だとしても、
それを実際に活用できる
エネルギー量は
限られている。
つまり、
本質的には
人のエネルギーは
無限かもしれないが、
しかし、
今ここで
実際に使える
自分自身のエネルギー量は
限られているのだ。
・・・・・・
大量のエネルギーを
使うためには、
大量のエネルギーを
使えるだけの
「自分」
にならねばならない。
自分のあまりの
エネルギーの高さに
自分自身が呑まれ、
自分を失い、
本来望む人生とは
真逆の人生を送っている人は
実はとても多い。
「エネルギー」
と
「今の自分」
の
バランスが悪い
わけだ。
エネルギー管理が
できていない
典型的な例の
一つだ。
だから
エネルギーは
高ければいい、
というわけではない。
「今の自分」
に見合ったエネルギー量が
あり、
それをしっかりと
管理することで、
逆に、
徐々に自分の活用できる
エネルギー量も
増えてくる。
そして当然であるが、
たくさんのエネルギーを
活用できる自分に
なればなるほど、
人や世の中に対して
影響力の大きな
ことができるようになる。
もちろん、
大きな影響を与える
人生ほど素晴らしい、
というわけではない。
やはり
その人にはその人の
人生のミッションがあり、
人生の目的があり、
それを実現するための
ちょうど良いエネルギー量
がある。
それができている人
のことを
私は
『等身大の自分』
と
呼んでいるが、
本当の意味での
等身大の自分として
生きている人は
エネルギー管理が
ちゃんとできている
ということだ。
・・・・・・
逆も言える。
今、自分が
活用できるエネルギー量は
どれくらいか?
をしっかりと
認識することによって
今、できること
今、すべきこと
を明確にして、
それを日々、丁寧に
し続けることで、
徐々に
自身の人生の道を
見出していくこともできる。
私の場合は
どちらかと言えば、
こちらのパターンの人生
だったかもしれない。
その時その時の
自分の出せる
エネルギー量を
最大活用し続けるうちに、
今の仕事と出会い、
そして
今のスタイルを確立した。
そして、
私が本当に人生の
ミッションやビジョンを
明確にできたのは、
ほんの8年前だ。
もちろん
それまでにも方向性は
わかっていたが、
30年後のビジョン
というように
明確に目指すものが
わかったのは
つい最近だ。
しかしそれで
よかった。
というよりも
私にとっては
それが最善だった、
と思う。
・・・・・・
今、自分の出せる
エネルギー量を
ちゃんと把握できている
人は、
極めて
少ない。
大半の人は、
自分の出せる
エネルギー量を
見くびっている。
本当はもっと
出せるのに、
「自分の最大は
まぁ、こんなものだ」
と
小さく思い込んで
いる。
それも実に
もったいない話だ。
私の推奨する
セルフコーチングは、
この、
自分自身の
エネルギー管理の技術
とも
言えるかな。
つづく
セルフコーチング系の
講座を
開催しようと思っている。
そのための準備に
以前から入っていたが、
苦戦していた。
何を中心に打ち出し、
どうメッセージすれば、
この講座で出会うべき
人達と
出会えるのか?
が、どうしても
不明確だったから。
でも、
やっとそれが明確に
なり、
今日、動画を撮り終えた。
やっと
完了感が出た。
プロデューサーの
牧村氏とも、
やっと共に
笑い合うことができた。
・・・・・・
その中心となる
コンセプトを
一言で表せば、
『リブート』
となる。
「再起動」という
意味だ。
この言葉自体は
以前から
顕在化していたが、
これをもとに
何をどのように
メッセージすればよいか?
に
手間取った。
でもようやく
腑に落ちた。
・・・・・・
今回、私達が打ち出す
「リブート」には
二つの意味がある。
一つは、
「人生のリブート」。
そう。
人生をリブートしたい
と思っている人が、
最近はやたらと
増えている
実感がある。
気をつけたいのは、
「リセット」
ではなく、あくまでも
「リブート」
だということだ。
「リセット」と言うと、
何となくであるが、
すべてを一度、
消してしまったり
まっさらにしてしまったり、
これまで培ったものを
捨ててしまったり、
・・・と、
かなりの勇気を
要するイメージとなる。
しかし
「リブート」とは
単なる再起動だ。
例えば、
パソコンを再起動
したからと言って、
これまでのデータや
アプリが
消えてしまうわけではない。
これまで培ったものは
ちゃんと残っているのだが、
しかし、
再起動することで、
フリーズしていたものが
治ったり、
滞っていたものが
解消されたり、
心が新たに
なったり、
次のステップや
次のステージに進む
きっかけとなったりする。
私はよく
仕事に疲れたり
発想が滞ったりすると、
いったん
パソコンの電源を
落とし、
仕事の発想も
止め、
空を見上げながら
散歩をしたり、
電車に乗ったり
しながら
気分転換をする。
少しそれをするだけで、
何かが
シャンと
もとの場所に戻り、
これまでとは
まったく異なる
新たな発想が浮かび、
止まっていた
あらゆるものがまた
動き出したりする。
そんな
イメージだ。
人生で
そんなことをしたい
と思っている人が
今、明らかに
増えている。
本当にこのままの
自分で良いのか?
このまま
進んでいいのか?
この延長線上に
自分の未来は
あるのか?
自分は
何も変えなくて
良いのか?
今、手に入っている
この満足感で
本当に満足か?
本当にこの幸せが
私が望んでいる
幸せなのか?
本当に今の自分が
本当の自分なのか?
今の人生が
本当の人生なのか?
・・・そんな
根本的な問いや
モヤモヤが
どうしても浮上し、
それをそのまま
放置しておくことに
我慢がならなくなっている
人が、
明らかに増えている。
そんな人達が、
ちゃんと正しく自分と
向き合い、
自ら答えを出して
いく。
そんな講座を
開講したい
というのが私の
コンセプトだ。
・・・・・・
と同時に、
「リブート」には
もう一つの意味がある。
それはまた
明日書こうかな。
つづく
私はよく
セルフコーチングを
する。
つまりは、
自分に問うて
自分で答えを出す、
ということを
じっくりと落ち着いて
する。
それは
街中にあるカフェで
行なうし、
電車の中でも
行なう。
私の場合、
結構、雑踏が好きだ。
周りがガヤガヤしていて
人の気配があって、
いろんな「人生」が
私の周りに
溢れている状況が
良い。
電車に乗るときも、
ガラガラよりも
ある程度混み合って
いた方が良い。
そうだな。
一番いいのは、
座席がすべて埋まっていて、
立っている人が
チラホラいる。
これくらいが
ちょうどいい。
私はいつも電車では
立って
セルフコーチングをする。
・・・・・・
セルフコーチングを
するときは、
まずは、
自分の中に今、
「どんな問いがあるか?」
を探る。
探る、と言っても
頭で考えるわけではない。
自分自身の
「等身大」
を感じながら、
「無心」
になるのだ。
「ただそこに在るだけ」
という状態に
なる。
そして、
待つ。
ただ、
待つ。
すると、
私の中にある問いが
自然に
浮上してくる。
それはまさに
「浮上」
という言葉がピッタリだ。
別の表現を使えば、
「思い出す」
感覚に近い。
つまりは、
「問いを創り出している」
わけではないのだ。
「そこに在るものを
見つける」のだ。
あくまでも。
そういった問いが
見つかれば、
自動的に
「答え」もわかる。
なぜなら
「そこにある問い」には
必ず、
「最善の答え」がセットで
ついているからだ。
「最善の答え」がわかれば、
人生も仕事も
実に楽に
進むことができる。
・・・・・・
しかし
セルフコーチングの前提である
「等身大で無心になる」
というのが、
一般的には
難しいようだ。
これができるように
なるためには、
心の中の
状態管理ができなければ
ならない。
心がいつも
混沌・混乱していては
もしくは、騒がしい状態で
あっては
なかなか「無心」には
なれない。
じゃあどうすれば良いか?
と言うと、
これはやはり
「真本音度合いを上げる」
しかない。
真本音度合いの
高い人ほど、
心や魂は
静かになっていくからだ。
だから、
セルフコーチングのやり方を
お伝えする場合には、
まずはどうしても
真本音度合いの高め方を
お伝えしなければ
ならない。
真本音度合いが
高まらずして
良いセルフコーチングは
できないのだ。
と同時に、
良いセルフコーチングが
できることで
真本音度合いは
さらに高まっていく。
その好循環を
創り出すことが
重要だ。
・・・・・・・
というわけで、
そろそろ
セルフコーチングの講座を
再開しようかと
思っている。
11月くらいに
開講できると
いいかなぁ。
そこでは
真本音度合いの高め方
から
入っていくことになるだろう。
そのうち、
募集動画を創ると
思いますので、
ご興味ある人は
コメントください。
動画が出来上がりましたら、
お送りします。
つづく
直観を大事に
しよう。
と私はよく
言うのだが、
どうしてもそこに
自信の持てない人は
多いようだ。
直観か思考か?
となったら、
いつもの思考による答えを
選択してしまう。
以前も書いたが、
思考が悪いわけでは
ない。
むしろ、
思考をしっかりする人ほど
直観は生まれやすい。
しかし、
思考をしっかりする人ほど
直観のその根拠のなさと
奇抜さに
どうしてもついて
いけなくなってしまうのだ。
自分自身の発想
なのに。
・・・・・・
そこでお勧めなのが、
できることから
直観で動いてみる
ということだ。
大層なことで
なくていい。
例えば、
今日のお昼は
何を食べようか?
とか、
これから乗る電車は
何両目にしようか?
とか。
そのくらいの身近な
ところで、
まずは直観の通りに
動いてみよう。
そして
思考して出した選択と
直観による選択の
行動した時の違いを
体験するのだ。
体験してもし
ちょっとでも面白かったら、
もう少し冒険的なことで
直観に素直になってみる。
そうやって
直観で動く頻度を
徐々に上げていくとよい。
ただし。
思考をするのを
やめてください、
ということではないので
ご注意を。
何度も書くが、
しっかり思考する人ほど
直観は生まれやすい。
だから、
しっかり思考すれば
いい。
でも、
決めるときは
直観で決める。
そんなメリハリを
つければいい。
・・・・・・
これを続けると、
直観の出やすい時と
出にくい時の
違いがわかるように
なるだろう。
どんな時に
出やすく、
どんな時に
出にくいか?
その原因が
徐々にわかってくる
はずだ。
原因がわかれば
対策が打てる。
できるだけいつも
直観が生まれやすい
状態であるために
何をすればよいか?
その対策を
習慣化する。
これがお勧めだ。
・・・・・・
自分という人間の
神秘さ。
自分という人間の
深さ。
そして
自分という人間の
面白さ。
それらの片鱗は
直観と共に生きる
ことによって
現れる。
これは人生の面白さ
にも直結する。
同じ人生、
同じ時間、
同じ環境、
にいるのなら、
少しでもそれらを
楽しんでみたいと
思わないかい?
つづく
ちょっとした簡単な
自問自答を
してみよう。
単純に
自分自身に
この問いを投げてみよう。
「今、毎日、楽しい?」
まるで他者に
投げるように
自分に投げてみたら、
どんな答えが
浮かんでくるかな?
次に、
こう投げよう。
「今の毎日の楽しさは
100点満点で何点くらい?」
自然に浮かぶ数字を
自覚しよう。
例えば、
40点だったとして、
「0点ではなく
40点だと思えた理由は
何だろう?」
そして、
「100点ではなく
40点になってしまった
理由は何だろう?」
というように
順番に自問自答しよう。
浮かぶ答えは
すべて紙に書くと
いいかな。
書いているうちに
次の発想が
浮かぶことがあるから。
そして最後に、
「では、40点を少しでも
点数アップするために、
何をする?
何をしない?
何を変化させる?
何は変化させない?」
やはり紙に
どんどん書こう。
そして
「これをやってみよう!」
と自然に思えることが
あれば、
ぜひ実行してみよう。
簡単なセルフコーチング法
の一つでした。
つづく
言うまでもないことだが、
自由と無責任は
違う。
自由になるということは
その分だけ
責任を負うことでもある。
自分のすることは
ちゃんと自分で責任を
持つ、
というのが
自由の基本だ。
そんなことは充分に
わかっている
あなただからこそ、
あえて
伝えるんだ。
「もっと自由でいいよ」
・・・と。
責任を持つために
自分を抑える
のではなく、
その責任感のまま
もっと自分を
自由にしてほしい。
責任感のある
あなただからこそ
さらに自由になるのには
抵抗があるのかな?
でも、
あなたが自由に
なればなるほど、
周りも
自由になれる。
・・・イコール、
責任を持った
自律的な行動が
取れるように
なるんだ。
「自由」という言葉が
もしわかりづらいので
あれば、
あえて
「わがまま」
と言ってもいいよ。
あなたは
もっともっと
「わがまま」に
なってはどうだろう?
あなたの「わがまま」さは
周りを
本質的に
幸せにするんだよ。
・・・・・・
「自由」のための、
最も基本的な
自分自身への問い。
それは、
「今、私はここで
本当は何をしたいのだろう?」
今、
を大事にできる人が
人生のすべてを
大事にできる。
今、
を自由に生きる人が
人生を自由に
生きることができる。
今、
の自分にいかに
素直に
「動く」か?
自由とは、
行動が伴ってこその
もの。
心の中だけの
自由では、
意味がない、とは
言わないが、
それでは
不完全だ。
心の中の本当の想いと
行動を
一致させていくことが、
本来の自由だと
思わないかい?
つづく
随分前の話
なのだが、
「真本音」という概念に
気づき始めた頃、
私がいつも心の中で
呟いていた言葉がある。
「どうでもいいじゃん。
なるようになっていくから。」
だ。
当時の私は
「深刻」の塊だった。
心の中も
実際の人生においても
不調和の嵐だった。
それら一つ一つを
どのように越えていけば
よいのか?
さっぱりわからなかった。
私は自分の身を守る
ために、
誤魔化し誤魔化し
生きていたように思う。
そのツケが
いつも私には
襲いかかっていた。
この人生から
抜け出ねばならない。
と、
当時の私なりに
必死に思った。
その中でたどり着いたのが、
上記の言葉だ。
とにかく私は
朝から晩まで
その言葉を
心の中で呟き続けた。
呟いた瞬間は
一瞬、心が楽になるのだが、
すぐに直後に
深刻さが襲って来た。
しかしそれでも私は
何かにすがるように
その言葉を
呟き続けた。
今から振り返れば、
その辺りから
私の人生はゆっくりと
変わり始めた。
不調和の人生から
調和の人生へと。
・・・・・・
上記の言葉が
なぜ当時の私の中に
浮かんだのか?は
当時はわからなかったが、
今はよくわかる。
それは、
私自身の真本音からの
プレゼントだった。
このように、
自分の真本音が
自分自身にプレゼントする
「メッセージ」がある。
自分から自分への
メッセージであり、
それを呟き続けることで、
まずは心が開かれ、
その結果として
しだいに現実が
開かれていく。
だから私はこの言葉を、
『心の鍵』
と名づけた。
心を開くための
鍵となるメッセージだから
だ。
心の鍵を常に
自分に向けて投げ続けることで、
非常に地道ではあるが、
結果として
最短で人生が
開かれていく。
これは私だけではなく、
これまでの私の
クライアントさんの多くも
体験されてきたことだ。
・・・・・・
私は
私自身に
何をメッセージしたいか?
を、
まずは真剣に
考えてみよう。
しかしそのメッセージは、
自分を縛るもので
あってはならない。
呟くことで、
ギュッと心が固まってしまう
ものであってはならない。
無理に自分を鼓舞する
ものであってもならない。
呟くことで、
全身の力が
一瞬でもいいから
フッと抜けるもの。
しかし、かと言って
単なるやさしい言葉では
なく、
力の抜けた自分が
次の一歩に自然に
向かえるような、
そんなきっかけになる
言葉だ。
それを真剣に
見つけてみよう。
「心の鍵」探しは、
私のコーチングサポートの
根幹の一つであるし、
私が推奨する
セルフコーチング法の
基本に来るものだ。
セルフコーチングとは、
「問い」
だけではない。
「メッセージ」も
重要な要素だ。
自分への
メッセージ。
毎日でも
考えてほしいな。
つづく
私達の心の中は
「答えの宝庫」
だ。
自分の知りたい答えは
ほぼほぼ
自分の心の中に
揃っている。
例えば、
人生において
「次の選択をどうするか?」
とか、
仕事において
「あのお客様にどう提案するか?」
とか。
もし、
明らかに新たな情報を
得なければ出ないような
答えについても、
「どのような情報を
どこから得ればよいか?」
という
答えにつながるための答え
をもう、持っている。
私達はそのように
心の中に存在する
「答え達」を
浮上させながら
生きている。
「浮上」というのは
「顕在化」ということだ。
眠っていたもの、
隠れていたものを
「明らかにする」
とか
「光を当て明確にする」
ということだ。
ところが。
「答え」はあるのに、
その「浮上」(顕在化)が
できない。
心の中に
せっかくあるものを
眠ったままにさせて
しまう。
しかも、
「答え」とは違う選択を
してしまう。
ということは
実によくある。
なぜ「浮上」できないのか?
なぜ「答え」はあるのに、
それに気づかないのか?
その原因は
たったの一点だ。
「質問力不足」
だ。
・・・・・・
「答え」を得るには
「問い」が要る。
「問い」がなければ
「答え」は出ない。
これが単純な
原理だ。
発想力のある人とは
質問力のある人
とも言える。
自分に的確な問いを
投げられる人だ。
私はコーチングにおいて、
ほぼほぼいつも
クライアントさんに
「今、あなたの中に
どんな問いがありますか?」
という問いを
投げる。
この問い。
まずはこれが
最も重要だ。
これを自分で自分に
投げるとよい。
「今、私の中には
どんな問いがあるだろうか?」
このたった一つの問いを
一日中、
私は自分に投げ続けている
と言っても過言ではない。
この問いを
投げ続けるだけで
人生は変わる、
と私は思っている。
全然大袈裟な話では
ない。
本当にそうだと
思っている。
これが
セルフコーチングの
基本だ。
・・・・・・
私達は皆、
「問い」と共に生きている。
人生とは
「問い」によって拓かれる。
自律している人と
そうでない人の違いは
自分自身にちゃんと
「問い」を投げられるかどうか?
だ。
全然大袈裟な話
ではない。
少なくとも私のクライアントさん
は皆、
「質問力」を高めることで、
ある意味それだけで
人生を変えている。
今後このブログでは、
オススメの問い
を随時ご紹介していこうかな、
と
思っている。
つづく
ちょっと
皆さんに
考えてもらおうかな。
もし
自分が自分の
コーチに
なったとして、
今の自分に
一番伝えたい
メッセージは何?
コーチとして
自分自身を
クライアントに
したとして、
そのクライアント
には
本当に心の底から
成長(進化)を
願っているとして、
自分に
一番伝えたい
メッセージは何?
そして、
自分に
一番問いかけたい
ことは何?
どんな問いを
大事にして
一日一日を
過ごしてもらいたいと
願う?
本当に
ゆっくりじっくりと
これを
考えてみてほしい。
「自分を大事に
する」
その第一歩は
これだと
私は
思うんだな。
そして
これが
セルフコーチングの
基本の基本。
これ、
本当に毎日
しっかりと
続けたら、
それだけで
人生より良くなると
思わないかい?
つづく