チームパフォーマンスコーチ

もうすぐ

 

湖に

雨が降っている。

 

ポツリポツリ

と。

 

風も少し

ある。

 

小さな舟。

 

それに乗り、

私は

揺れている。

 

霧が

かかっている。

 

周りのすべては

ボンヤリと

墨絵のように。

 

風に委ねつつ

舟は

少しずつ進む。

 

私が意識

しているのは、

 

雨の感覚

のみ。

 

凍えるくらいに

寒いはずだが、

 

今はそれを

感じない。

 

目を閉じた

まま、

 

委ねている。

 

進め。

 

世界よ。

 

進め。

 

祈りの

ように、

 

瞬きの

ように。

 

私にできる

唯一の

こと。

 

こうして

ここに

浮かんでいる。

 

祈って

いる。

 

進め。

 

私を閉ざす

ものに、

私は

抗わない。

 

どこに

流れようと、

 

構わない。

 

守るべきもの

さえ、

今は

守らない。

 

ただ、

待つ。

 

祈る。

 

もうすぐだ、

わかる。

 

つづく

 

わかりやすいな

 

進む人

進まない人

二極化は

 

ここに来て

ますます

激しくなったな。

 

進まない人は

頑として

進まない。

 

どんな「きっかけ」

が来たとしても

頑として。

 

二極化する

ということは

不安定化する

ということでもある。

 

が、

私はこれは

良いことだな、

と思うのだ。

 

わかりやすい

から。

 

思えば、

これまでは

ごまかしの効く

時代だった

わけだ。

 

進むフリを

しているだけで、

進む人の中に

紛れ込むことが

容易にできた。

 

今はもう

無理だな。

 

実に

わかりやすい。

 

だから私も

どこにエネルギーを

集中すれば良いか、

明確にわかるように

なった。

 

その明確さ

素直になればいい。

 

私は

進む。

 

さらに

グングンと。

 

そして

進む人との

つながりを

さらに広げ、

深めていくよ。

 

つづく

 

光の想い

 

小さな光が

ポツンと

灯る。

 

とても小さいが

とても力が

ある。

 

今にも消えそう

だが、

きっと永続的に

この光は

在り続けるのだろう。

 

わずかな光

でも、

 

それが在る

のと

無い

のでは

本質的に異なる

日々となる。

 

光とはそもそも

強い

弱い

は関係ない。

 

在る

無い

かだ。

 

一時的

永続的

かだ。

 

たとえわずかな

光でも

そこに意識を

向け続ければ、

 

その深さに

気づくだろう。

 

同じ色に

見えて、

でもその色は

時間と共に

ほんの少しずつ

変化を続けている。

 

時々、

点滅することも

ある。

 

しかし決して

消えることは

ない。

 

私の光。

 

あなたの光。

 

私達の光。

 

あなたと共に

いることで、

私はこの光に

気づくことが

できたのだ。

 

そして、

光を本気で

育てようと

思えた。

 

人生を

本気で生きよう

思えたんだ。

 

自分

という存在が

虚構では

ないことを、

 

初めて

知ることが

できたんだ。

 

実在する

私。

 

実在する

光。

 

私は

この光の想い

応えてみたい。

 

つづく

 

これが強さか

 

阿鼻叫喚

という言葉が

一番、ピンとくる。

 

まるで

断末魔のような

叫び。

 

悪いことでは

ない。

 

それだけ

必死なのだ。

 

精神的な余裕

などという

悠長な次元には

もういない。

 

生きることだけ

で必死。

 

それでも

進む。

 

これが

人の本能という

ものなのか。

 

ほんのわずかな

ミスも

もはや許されない。

 

一歩も

間違えられない。

 

なのに

視界はほぼほぼ

なく、

 

こうなったらもう

自分自身に

委ねるしかない。

 

こんなに

恐ろしい目に

遭いながらも

 

それでも

まだ

進むのか。

 

あなたは。

 

人は

弱い。

 

確かに

その通り。

 

でも

この姿を

見よ。

 

逞しいとは

言わない。

 

言えない。

 

でも

これこそが

強さでは

ないか。

 

こんなに

弱々しくても

それでも

進もうとする

意志。

 

ひょっとして

弱いからこそ

生まれるのか。

 

その意志は。

 

なんという

尊さ。

 

人の

本来の姿

か。

 

この弱さの

中の

強さこそ。

 

つづく

 

落ち着いて考えよう

 

温泉にでも

浸かっているような

穏やかな感覚で、

 

次の問いを

自分自身に投げてみよう。

 

・・・

 

私は

本当は

何をしたいのだろう?

 

そのために来年は

何をしようか?

 

そのために

今年中に

何を完了させておこうか?

 

・・・

 

落ち着いて

静かな心で、

 

でも

 

本気で

発想してみよう。

 

つづく

 

何か?

 

破竹の勢いで

何か

が伸びていく。

 

何だろう?

 

何か、だ。

 

もし今、

その何か、が

わかってしまうと、

 

ひょっとすると

私は

泣き崩れるかも

しれない。

 

それくらいに

嬉しいもの

のような気がする。

 

もうちょい

取っておこうか。

 

クリスマス

だけど。

 

もうちょい。

 

お正月くらい

までの

楽しみに。

 

つづく

 

大雨に晒されながら

 

自分の中から

余分なものを

落とすために、

 

時には

ザーザー振りの

雨の中に

 

身を晒さねば

ならない。

 

傘をさしても

意味をなさない

くらいの。

 

開き直り。

 

傘を捨て

体を広げ、

 

痛いほどの

雨に

身を任す。

 

好きなように

しろ。

 

なるように

なれ。

 

自分を超えた

何かに

自分のすべてを

晒す。

 

そうなった時に

初めて

 

削ぎ落とせる

何か

がある。

 

これまで

ずっと

大事にしてきた

何か。

 

こだわり

続けた

何か。

 

それが落とされて

ようやく

そこで

わかるのだ。

 

その

何か

によって、

 

自分は

縛られていた

と。

 

狭い自分で

あったと。

 

その途端に、

大雨だと

思っていたものが、

 

高原の微風

変わる。

 

燦々と照る

太陽の

もとでの。

 

大雨は

自分で創り出す

もの。

 

それこそが

現象。

 

現象は

映し出された

自分自身

でしかない。

 

反映。

 

自分の。

 

すべては

自分だ。

 

自分が

反映されている

だけだ。

 

ただ、

それを頭で

わかっても

意味がない。

 

私達に必要

なのは、

 

大雨に自分を

晒す

覚悟だ。

 

つづく

 

愚かだろう

 

自分のことを

愚かだと

知ることは

とても大事だ。

 

自分の愚かさが

見えていない人は

知らないうちに

愚かな振る舞いを

してしまう。

 

見えていない

のは

本人だけ。

 

周りはみんな

「愚かだな」

その人を内心、

馬鹿にする。

 

そういった

状況は

どの会社にも

どこにでも

ある。

 

何をもって

愚かか、

ということは

とりあえず

置くとして、

 

人間は皆、

愚かだ。

 

愚かな振る舞いの

多い人か

少ない人か

の違いは、

 

自分の愚かさを

どれだけ

認めているか

の違いだ。

 

極論か?

 

そうでもない

私は思うよ。

 

「あなたは

ここが愚かだ」

 

という

フィードバックを

私はこれまで

数え切れないくらいの

クライアントさん達に

してきた。

 

その度に

心が痛んだ。

 

辛いことを

伝えるからということも

あるが、

 

伝えながらも

自分自身の愚かさが、

その傷が、

疼くんだ。

 

本当は

自分で気づいて

ほしい。

 

でも

気づけないのも

また

人間なんだな。

 

だからどうしても

伝えなければ

ならない時が

ある。

 

自分のことは

さておいて。

 

愚かさを

認められぬ

弱さ。

 

これもまた

人間。

 

認められなくても

受け止められ

なくても、

 

それでも

あえて

伝えなければ

ならないから

 

心を痛めながら

伝える。

 

もしこの痛みが

なくなったら、

私自身が

本当に愚かだと

いうことだろう。

 

つづく

 

自由かどうかは

 

本当に自由な

自分になろう

すればするほど、

 

それを阻害し、

縛りくる存在が

 

自分自身である

 

ということが

よくわかる。

 

自由とは

何か?

自分で定義し、

 

その定義によって

自分を

縛る。

 

望む自由を

自分で設定し、

 

その設定によって

自分を

縛る。

 

やっと自由に

なれた!

思った瞬間から

 

その自由に

縛られている。

 

自由とは

どこにもない

ではないか。

 

思うのだが、

しかし

 

そういった

諸々の外にこそ

 

自由はある。

 

つまり、

自由とは

我々には自覚

できないもの

なのかもしれない。

 

私の経験のみ

にはなるが、

 

側から見ていて

本当に自由だな

と感じる人は、

自分のことを

「自由だ」

とは語らない。

 

自由かどうか、

という

もうその次元に

いないのだ。

 

「私は自由です」

と語る人には逆に、

私はよく

不自由を覚えた。

 

ひるがえって、

今の私は

自由なのだろうか?

問えば、

 

正直、

よくわからん。

 

どっちでも

いい。

 

・・・と

思うようになった

ので、

ひょっとすると

自由に

近づいているの

かもね。

 

ただし、

 

やはり私の

探究テーマは

「自由」

だ。

 

自由とは何か?

人生の

実践現場を通じて

探究し続けたい。

 

その意志は

変わらない。

 

この意志は

自由にさせておいて

あげたい。

 

つづく

 

この一歩だ

 

自己開放の

最後の一歩は、

 

誰も

助けてくれない。

 

自己開放

とは、

一種の「死」であり、

同時に

「誕生」でもある。

 

その境界は

誰も助けて

くれない。

 

助けたくとも

助けられない。

 

これは

人間の宿命

だ。

 

だから

境界を超える

その一歩は、

 

自ら

勇気を振り絞る

しかない。

 

足が震えて

進めない

そんな現実が

目の前に

あるだろう。

 

その現実に

立ち向かう

そのこと自体が

 

その

一歩だ。

 

開放のためには

立ち向かえ。

 

つづく

 

年内開放

 

私の場合、

発想はまず

光となって

現れる。

 

光をキャッチ

すると、

そこに意識を

向ける。

 

何の思考も

働かせず、

 

何の解釈も

せず。

 

ただ光と

向かい合ううちに、

自然に

光と一つに

なっている。

 

すると

思い出すような

感覚で

 

発想が生まれる。

 

今、

私の中に

黒い光がある。

 

黒いので

光ってはいないのだが、

それはどうしても

黒い光

としか表現し得ない。

 

少し苦しめな

感覚のある

光だが、

そこに意識を

向けてみる。

 

そこには

黒い炎があり、

それがまるで

私を包むような

印象だ。

 

炎の根元に

何かがあり、

近づいてみると、

 

そこには

さらに黒い塊が。

 

意識を向けた

瞬間、

私はその塊と

一体化した。

 

カチコチの

その塊は、

 

崩壊

 

したがっている。

 

バラバラになり

自ら消失

したがっている。

 

どうやらその中には、

単なる「発想」

ではなく、

 

「新たな私」が

いるようだ。

 

なるほど。

 

私はまた

私自身を開放しようと

しているわけだ。

 

最近ずっと

エネルギー不足

だったが、

やっとその理由が

わかったよ。

 

年内だな。

 

今年のうちに

私は私を

開放させる。

 

なんとか

いけそうだ。

 

しかし

今回も

ギリギリだな。

 

つづく

 

苦しい進み方だ

 

私の中から

極度の苦しみが

抜けていく。

 

この苦しみは、

 

あぁ

あの人の

ものだ。

 

あの人から

受け取った

もの。

 

すごい

力み。

 

もっと力を

抜けば

いいのに。

 

余分な

力を抜くだけで

この苦しみからは

解放される

のに。

 

でも

力を抜く

ということこそ、

 

力を抜けない

人にしてみれば

最大の

難関。

 

私も昔は

そうだったな。

 

9割以上は

余分な

力を込めていた。

 

余分な力み

によって

エネルギーを

大量消費

していたな。

 

道を開くには、

エネルギーが

足りなさすぎた。

 

でもそれは

自分が余分な

消費をしていた

からだ。

 

本当は

充分なパワーは

自分に備わって

いたのにな。

 

本当に必要な

力だけ

入れれば

よかった。

 

そうすれば

もっと楽な

人生だった。

 

力みは

混乱を呼ぶ。

 

混乱によって

またさらに

力む。

 

そこから

出られると

いいな、

あの人も。

 

つづく

 

そりゃぼやくよ

 

見上げる目標が

あまりにも

高い時、

 

進む意欲すら

失われる

ときがある。

 

それも

人間だ。

 

私の目標も

あまりに

高く、

 

到達までは

永遠の時間が

必要な気がする。

 

いつもそう思う。

 

でもそれを

あと25年で

やり遂げねば

ならない。

 

「ならない」

と言っても、

 

自分で自分に

約束をしている

だけなんだが。

 

あと25年も

ある、

とは

どうしても

思えない。

 

一日一日

焦ってばかり

いる。

 

その一方で、

そうやって

焦りまくる自分を

観察して

楽しんでもいる。

 

人間やってる

じゃないか、

と。

 

まったく

腹が立つ。笑

 

この世で

必死になっている

私の身にも

なってみろ、

 

じっと私を

見つめる

私自身に言う。

 

どれだけ

不満を言っても、

私をじっと

見つめる私は、

 

いつも

ニコニコ

(ニヤニヤ?)

しているばかりだ。

 

まったく

人の気も

知らないで・・・、

 

また

私自身にぼやく。

 

人間。

 

この面白き

心と

存在よ。

 

つづく

 

重ね着しすぎ

 

真の成長

とは、

 

自分を開放

 

していくことだ。

 

余分な服を

脱ぎ捨てて

いくようなもの。

 

しかし、逆に

服を重ね着

している人は

多い。

 

たくさんの

理論武装を

して、

 

服どころか

鎧までかぶり、

 

これで

強くなった

 

自己満足する。

 

重ね着を

すればするほど

身動きは

取りづらくなり、

 

環境の暑さや

寒さにも

対応できなくなり、

 

弱くなる。

 

それが

私達人間。

 

裸になれば

なるほど、

強くなる。

 

身軽になり、

どこへでも

行けるように

なる。

 

もしかすると

空まで

飛べるかも。

 

服を脱ぎ捨てる

ことで

進化は進む。

 

それが

真実。

 

つまりそれは

自分自身を

 

信じる

 

という成長でも

ある。

 

さぁ、今のこの

自分の選択は、

 

服を着込む

ことになるのか、

 

服を脱ぎ捨てる

ことになるのか、

 

・・・という視点を

持つことを

強くお勧めするよ。

 

つづく

 

竜巻後の覚悟

 

凄い竜巻が

心の中にある。

 

それが

幾重にも

分離した。

 

分離したら

離れていった。

 

全ての竜巻が

遠ざかる。

 

遠く遠くへ。

 

そして

見えなくなった。

 

後に残るのは

静寂。

 

そして

ポツンと佇む

自分。

 

一見、

孤独。

 

確かに

孤独。

 

でも

全ては

きれいに

払い落とされた。

 

青空が

見える。

 

微かな

風はある。

 

竜巻が

帰ってくる恐れ

もあるが、

 

でも

どうでもいいや。

 

帰ってくるなら

来ればいい。

 

私はもう

あらゆる竜巻を

受容することに

する。

 

巻き込まれて

自分が死んで

しまっても、

その時はその時さ。

 

竜巻への

恐れから

この場所を

逃げるのはもう

よそう。

 

ここは

私の選んだ

大地だ。

 

私が決めた

大地だ。

 

この世界を

私そのものと

していくのだ。

 

竜巻も

私だ。

 

全てが

私自身だ。

 

つづく

 

答えを自覚しよう

 

一つの問い

がある。

 

その問いは

とても答えづらい

かもしれない。

 

しかしそれを

わかって上で、

 

強引にでも

 

答えを出さねば

ならない時がある。

 

そんな問いを

一つ

ここに。

 

・・・

 

私は今、

誰から離れよう?

 

・・・

 

今、ちゃんと答えを

見つけ、

しっかりと行動する

ことで、

 

新たな道が

開くんだ。

 

つづく

 

自然の力を借りよう

 

大地から

天に向けて、

 

足元から

頭上に向けて、

 

強大なエネルギーが

流れ続けている。

 

・・・という感覚を

今、得ている人は

いるだろうか?

 

もし

それを感じるならば、

ここしばらくの

間は、

 

そのエネルギーの

流れを

意識し続け、

 

その流れに

自分を委ねて

みるといい。

 

下から上への

流れは、

自分自身の

「変身」

スムーズにしてくれる。

 

身も心も

大きく脱皮する

「変身」。

 

正確に言えば、

変身のスタート

ということに

なるが。

 

次々に

自分が本来の自分

に向けて

変貌を遂げ続ける

 

そのスタートと

しての

今。

 

そこにいる人は

多い。

 

エネルギーは

自分だけのもので

賄う必要はない。

 

自然の放つ

エネルギーを

活用せよ。

 

今は、

先に進むことが

肝心だ。

 

つづく

 

志があるんだよ

 

自分の本当の

志を

知らずして、

そのまま生きるも

それもまた

人間、

 

であるが、

 

自分の本当の

志とは何か?

 

という問いは

ずっと大事に

していてほしいな。

 

あえて

「志」

という言葉を使った

のは、

 

何となく今回は

この言葉を

強く使いたいから。

 

志とは

大きいことを成せ、

ということでは

ない。

 

大小は

関係ない。

 

だいたい、

大小、という視点

そのものが

意味を成さない。

 

志とは

評価をされるもの

ではない。

 

その人の

ものだ。

 

その人自身

だ。

 

どうしても

自分の人生を

使って

成し遂げたいもの

だ。

 

それがなければ

我々は

「人間」をやらない。

 

ここに

生まれてはいない。

 

志とは

強いもの。

 

しかしその「強い」

とは、

他者が評価するもの

ではなく、

 

自分にとって

「強い」ものだ。

 

自分の命の

エネルギーを

ダイレクトに

強めてくれるものだ。

 

それが何か?

 

ずっと自身に

問い続けてほしいな。

 

静かな心

で。

 

落ち着いて。

 

今こそ。

 

この

毎日にこそ。

 

つづく

 

単純で大事な問い

 

「問い」とは

自分の意識の

一点

を定めるもの。

 

今、どこに

焦点を当てながら

生きるべきか?

定めるもの。

 

良い人生を

送る、

 

とは

 

良い問いを

自身に投げ続ける、

 

ということだ。

 

今回は

単純な問いを

一つ皆さんに

投げよう。

 

 

「今年中に

絶対に

やり遂げなければならない

決めていることは

何だろう?」

 

 

今、皆さんの

すでに

頭の中にある答え

ではない答えを

 

見つけ出そう。

 

私達は

無意識に決めている

ことがある。

 

その多くには

「期限」がある。

 

「今年中」という

期限を持った

何かを

皆さんはお持ちだ、

きっと。

 

まだ見つけて

ない答えも

あるだろう。

 

今のうちに

それを自覚し、

 

この12月を

充実させよう。

 

つづく

 

明瞭でなくていい

 

人生の展開

というのは

予測しない方が

いい。

 

予測をすれば

狭めてしまう。

 

予測をすれば

縛ってしまう。

 

人生を。

 

自分を。

 

と、

私は考える。

 

意志は

必要だ。

 

意志をもって

生きることは。

 

でも、

予測は

必要ない。

 

私の考えだ。

 

目の前の

現実に

茫然とする。

 

目の前の

現実に

大きく揺れる。

 

そんなことは

人間として

当然だし、

私も今でも

しょっちゅうあること。

 

揺れるのは

生きている

証拠だ。

 

でもその一方で

何があっても

揺れていない

静かな自分も

いる。

 

その両面が

人であり、

その両面が

自分である。

 

そして、

 

私が私でしか

わからないこと

もある。

 

本当は

人は自分のことは

すべて

知っている。

 

でも

知らないまま

生きている。

顕在意識では。

 

明確なのに

不明瞭な

私達。

 

それでいい。

 

それだから

こそ、

生きている意味

がある。

 

目の前の

揺れる現実を

 

ありありと

 

見つめよう。

感じよう。

向き合おう。

 

そこに

すべての答えは

ある。

 

答えは

あるが、

その答えが

わかるとは

限らない。

 

でも、

向き合うことで

それをしっかり

受け止める

自分は

 

その瞬間に

確かに

結実するのだ。

 

わからなくても

いい。

 

ただ、

その瞬間にしか

結実できない

自分を

 

結実させる。

 

それが

私達の為すべき

ことだ。

 

人生も、

自分という人間も、

不明瞭な

ままだ。

 

でも、

明確なのだ。

すべては。

 

だから、

 

そのまま

進めばいい。

 

つづく

 

立ち上がれたな

 

たくさんの

小さな花々の咲く

野原に、

身を

横たえている。

 

仰向けになり、

ただ真っ青な

空を見つめている。

 

凝視するように。

 

挑むように。

 

すると、

大地を感じたまま

意識は

空の青に

吸い込まれていく。

 

空と

一つになる。

 

空から

大地を観る。

 

そこに

私がいる。

 

横たわった

私の体がある。

 

彼は

立ち上がれるのか?

少し心配になる。

 

彼が好きで

やっていることだ、

少しあきれる。

 

彼の好きに

させてやろう、

少しあきらめる。

 

大地は

空に包まれて

いる。

 

が、

大地は

自分は大地であると

主張してやまない。

 

それでいい。

 

分離しなければ

できないことが

ある。

 

そのために

ここにいるの

だから。

 

横たわっていた

彼が

突如として

立ち上がる。

 

おいおい、

勝手に

立ち上がるなよ。

俺はまだ

ここにいるのだぞ。

 

しゃーねーなぁ、

急いで戻ることにする。

 

立ち上がった

視点。

 

足元に

花々が見える。

 

大地にちゃんと

足はついている。

 

これでいい。

 

私は、

今の私は

この大地と共に

進むのだ。

 

つづく

 

強い妨害だろう

 

人間、

本当に真剣に

前に進もうとすると、

 

逆に、

 

何かに強く

執着してしまうことが

ある。

 

本当はそれは

自分では

もうとっくに

手放したつもりに

なっていたもの。

 

でも

本気で進み始めたら、

ほんのわずかに

残っていた

「心残り」

が、

強い執着として復活

してしまう。

 

そんなことが

ある。

 

多くの場合、

それは無意識に

行われるので、

 

前に進む自分の

推進力を、

その

目に見えない執着が

強烈に妨害する。

 

凄まじいまでの

葛藤を

起こすこともある。

 

それがあまりに

ひどい場合は、

体を壊すことさえ

ある。

 

しかし、

 

やっぱりそれも

人間。

 

人間としての

心の作用の

一つだ。

 

適切に対応すれば

いい。

 

対応の仕方は

基本通り。

 

つまりは、

自分が何に執着

しているか?を

 

素直に

見つめること。

 

執着を取らなければ、

とか

自分を変えなければ、

とか

 

そういったことは

必要はなく、

 

ただ、今、

起きていることを

 

その葛藤を

 

あるがままに

見つめるだけ。

 

じっと

見つめるだけ。

 

それだけで、

前に進もうとしている

自分の本気の

エネルギーが、

 

愛のエネルギー

となって

 

自分自身のその

葛藤に

注ぎ込まれる。

 

執着は

自然に浄化される。

 

執着するのは

人間らしさの

一つだ。

 

一つ一つの

執着を

 

自ら

愛すればいい。

 

つづく

 

守ってやれよ

 

人生に

疲れてしまうと、

エネルギーも

湧いてこない

ものさ。

 

安心するが

いい。

 

人間は

そうなるよ。

 

もともと人生とは

疲れるものでは

ないか。

 

それを知っている

のが

我々ではないか。

 

疲れるものを

疲れる、と

感じるのは

 

とても

健康的だと

思わないか。

 

休めよ。

 

心をさ。

 

心を

休めてあげなよ。

 

休日をとっても

難しいよ、

その疲れは。

 

物理的な

時間をとっても

なかなか

取れないだろう。

 

そういう

疲れだ。

 

心を

休めるんだ。

 

そのための

最も簡単な方法は

 

好きなことに

集中する

 

ことさ。

 

例えば、

漫画が好きなら

漫画を読みまくる

とか。

 

何かに夢中に

なることで

 

心は

休まるんだ。

 

休めて

あげなよ。

 

ちょっと

酷使しすぎだろう。

 

心はね、

そんなに強い

ものではない。

 

誰の心も。

 

私?

 

私だって

当然あるよ。

 

人生、疲れたなぁ、

もう、やめたいなぁ、

・・・なんて、

数えきれないよ。

 

今?

 

今だって

あるよ、当然。

 

そりゃ

がんばってる

からさ。

 

疲れるの

当たり前だろ。

 

それが

人間だろ。

 

心に

栄養を与えて

あげなよ。

 

自分のことだぜ。

 

心は

ちゃんと

守って

やるもんだよ。

 

つづく

 

望むスピードを探して

 

静かに流れる

川がある。

 

その流れに

身を任せて

みる。

 

緩やかに

下流に向かう。

 

それ自体は

とても

心地が良い。

 

でも

もの足りない。

 

かと言って

自分で泳ぐ

気にはならない。

 

私は

その川から

出た。

 

自らの足で

歩いて

別の流れを

探す。

 

いくつもの

流れと

出会いながら。

 

しかし

今一つ、

これ!

というものがない。

 

皆、流れ方が

遅いのだ。

 

そのスピード感でも

それはそれで

良いか・・・、

とは思うのだが、

 

でもやっぱり

私に必要なのは

スピードだ。

 

体験したことの

ない

スピードだ。

 

それを

探す。

 

そのうちに、

今のこの世の中には

私の求める

速さの流れは

存在しないのだと

気づいた。

 

それは実に

悲しい気づきで

あったが、

その事実がわかった

ことは

大きかった。

 

その

スピードある流れは

自分で

創り出すしかない。

 

自分で

歩くのではない。

走るのでもない。

 

あくまでも

必要なのは

流れ

だ。

 

なぜなら

流れとは、

私がいなくなっても

残るものだから。

 

私の体験したことの

ないスピードは

この世も体験した

ことのないものだった。

 

であれば

創ろう。

 

そう決めたのが

6年前だ。

 

もうそろそろか。

 

流れは、

その源泉は、

できた。

 

あとは

どこまでスピードを

高められるか?

 

ここからが

実験であり

未開の領域だ。

 

つづく

 

変化に素直になるには

 

確かに今の私は

変化をし始めて

いる。

 

それが如実に

現れるのは、

 

習慣の変化

だ。

 

具体的にここで

書くつもりは

ないが、

 

自分の変化を

素直に

自分自身が

尊重するための

最も簡単な方法が

 

習慣の変化

だと

気づいた。

 

これまで

当たり前のように

続けてきたことを

やめてみる。

 

その代わりに

別の習慣を

始めてみる。

 

ただ

それだけのこと。

 

これで

私は自分の変化

自分で素直に

認めた。

 

そして、

もとの私に戻ろう

とは

つゆほども

思わなくなったのだ。

 

面白いものだ。

 

そしてこの

習慣の変化は

私自身の気づかない

ところで、

 

価値観も

変化させるかも

しれないね。

 

つづく

 

甘えればいい

 

何もない

がらんどうの

世界に

 

翼の感覚も

繋がりの感覚も

忘れた状態で

 

まるで

ツルンとした

何の引っ掛かりもない

裸の姿で

 

私達は

生まれてきたのだ。

 

あまりの

手応えのなさ。

 

その最初の

虚無の

感じが

 

言いようのない

孤独感を

心に刻む。

 

それが

人生の始まり

だ。

 

誰もが

辛さから

始まった。

 

そして

辛さと共に

生きる。

 

自我として。

 

だから

悲しいのも

寂しいのも

当たり前だろう。

 

それを

抑え込む必要が

どこにある。

 

心が震えるのは

普通ではないか。

 

だから

太陽の暖かさが

身に沁みる。

 

特に

寒い日の

陽だまりは。

 

目を瞑り、

光を感じ、

暖かさに委ねる。

 

その感覚は

本来は私達が

当たり前のように

持ち合わせていた

もの。

 

だから

身に沁みる。

 

その光に

頼ればよいでは

ないか。

 

あらゆるものが

私達を

支えようとして

くれている。

 

本来の感覚を

失った

私達を。

 

もっと

甘えればよい

ではないか。

 

心を

何とかしようと

するな。

 

感覚を

ごまかそうと

するな。

 

そのままの

自分が

そのままの

自分だ。

 

そのままの

世界が

そのままの

世界だ。

 

そのままで

いい。

 

私達は

そのまま

進めるのだ。

 

つづく

 

わかるはずさ

 

決めている

ことがある。

 

自分が何を

決めているか?

 

それを

自覚するだけだ。

 

自覚したら

粛々と

実行する。

 

それだけの

ことだろう。

 

もちろん

心は

揺れ動くものだ。

 

そのまま

揺れ動かして

おけばいい。

 

何も

手を加えず、

そのままに、

ありのままに。

 

ここで変に

手を加えるから

おかしなことに

なる。

 

慌てて

必要のない行動を

起こすから

余計に混乱する。

 

決めたことを

決めた通りに

行なうだけ。

 

そのシンプルさに

戻るだけ。

 

世界全体は

揺れている。

 

だからと言って

自分まで

揺れる必要は

ない。

 

世界が揺れ

自分の心も

揺れているなら、

 

そのまま

揺らしておけば

いい。

 

ただ、

決めていることを

粛々と

するだけ。

 

そりゃ

未来は不安

だろう。

 

どうなるか

わからんだろう。

 

予測したって

わからんもんは

わからんだろう。

 

ただ、

 

自分が

決めていることは

わかるはずだ。

 

わからない

ことはない。

 

自分で

決めていること

だから。

 

静かに自らに

問い続けよう。

 

そう言えば、

私の仕事仲間から

良い話を聴いた。

 

考える人は

多いけど、

考え続ける人は

ほとんどいない、

のだそうだ。

 

確かに。

 

問う人は

多いけど

問い続ける人は

ほとんどいない

のだろう。

 

自分の決めている

ことが

わからない?

 

それは

問い続けて

いないだけだ。

 

考え続けて

いないだけだ。

 

わかるはずさ。

 

わかったら

あとは

やるだけだ。

 

つづく

 

そこから始まった

 

多分、

ここを下って

行くのだ。

 

徐々に

沈んでいく。

 

わかっては

いる、

最初から。

 

その覚悟で

ここまで来たから。

 

しかし

人として当然の

ことであるが、

 

言いようのない

ざわめきが

心の中心に

踊る。

 

私も人間だな、

小さく笑う。

 

下るのは

怖い。

 

健康的な

ことだ。

 

小さな波の

音にさえ、

少しビクッと

する。

 

下るのは

怖い。

 

波長も段々と

確かに

下っている。

 

これまで

わかっていたことが

徐々に

わからなくなる。

 

これまで

つながっていた

存在達が

徐々に

別物になっていく。

 

徐々に

分かれ、

 

徐々に

孤独になっていく。

 

この感覚は

久しぶりだ。

 

この感覚から

今回も

始めねば

ならない。

 

ここに

降りなければ、

何も

変えられないのだ。

 

徐々に、

グッと心に

力を入れないと

立っていられなく

なってきた。

 

皆、ここでは

弱くなるはずだ。

 

私もすでに

弱い。

 

人間は

弱い。

 

でも、

それでも

なんとか

生きていく。

 

今を

生きる。

 

それは

変わらない。

 

遥か上には、

何となくであるが、

 

ちゃんと

戻る回廊は

その存在を

感じることはできる。

 

これだけは

忘れないように。

 

この感覚

だけは。

 

ちゃんと

戻るために

頑張るのだから。

 

そう。

 

頑張らねば

ならないの

だから。

 

つづく

 

他人じゃないか

 

何者かの

存在が目の前に

あり、

 

その存在と

対峙することで

 

目の前の

現実に対して

初めて見えてくる

ものがある。

 

自分の目とは

異なる何かからの

目線によるのだろう。

 

その

異なる何か

とは

何か?という問いは

ひとまず横に置き、

 

これまでの自分とは

まったく矛盾する

その気づきを

 

今の私は

とても大事に

している。

 

生まれ変わる

とは、

物事の見方が

変わる

ということでもある。

 

その変化を

自覚した場合、

 

そこで

過去の自分を

持ち出し、

今、ここで感じている

気づきの数々を

否定してしまうのは

あまりにも

もったいないことだ。

 

変化した自分を

素直に

受け入れる。

 

生まれ変わった

自分を

素直に受け入れる。

 

その素直さこそ

生きる覚悟

ではないか。

 

変化を

受容する意志。

 

これしか

自分を前に

進めさせる原動力は

ない。

 

変化は

怖くないのか?

問われれば

もちろん怖いことも

多いが、

 

でもやはり

変化こそが

人間だ。

 

進化こそが

人間だ。

 

変化・進化を

カタチにしたものが

人間なのだから、

それを拒むのは

人間をやめるのと

イコールだ。

 

まぁそんなことを

思いながらも

目の前の何者かを

見つめてみる。

 

そいつは

笑っているが、

明らかに

私ではない。

 

私ではないが、

やはりこれも

私なのだろう。

 

新たな私

というには

あまりに他人感が

凄いが、

 

う〜む、

まぁ

一生懸命、

受け入れようじゃないか。

 

つづく

 

生まれ変わるか?

 

断絶、境界、転換・・・

いろんな表現が

あるが、

どれも今ひとつ

的を射ていない。

 

でも、

そんなようなもの

の前兆がある。

 

その直前に

いる。

 

この独特の

感覚。

 

こんな時は

あらゆる意図を

手放し、

ただ

この感覚のみに

気を向ける。

 

まるで

噛み締めるかの

ように。

 

心の中には

風が吹き、

それが段々と

強くなる。

 

遥か彼方

なのか、

ほんの目の前

なのか。

 

その

断絶の如きもの

強く私にアピールを

する。

 

私を越えよ、

と。

 

それでも私は

意図しない。

 

自らは

動こうとしない。

 

越えてほしくば、

越えさせよ。

 

かなり挑発的な

言葉を返す。

 

しかし言葉は

挑発的だが、

心は軽やかに

笑ってもいる。

 

阿吽の呼吸、

 

というものが

恐らくここから

始まる。

 

断絶の如きもの

私自身であり、

 

私自身はまさに

断絶の如きもの

でもある。

 

それをよく

お互いに理解

し合っている

わけだ。

 

やってみせよ、

また挑発して

笑う。

 

風は既に

台風の域を

超えている。

 

もうそろそろ

行かねばなるまい。

 

それはわかって

いるのだが、

やはり私は

待つ。

 

ただ、感覚のみに

気を向けて。

 

生まれ変わる、

とは

意図して行なう

ものでは

ないのだよ。

 

つづく