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大地から
天に向けて、
足元から
頭上に向けて、
強大なエネルギーが
流れ続けている。
・・・という感覚を
今、得ている人は
いるだろうか?
もし
それを感じるならば、
ここしばらくの
間は、
そのエネルギーの
流れを
意識し続け、
その流れに
自分を委ねて
みるといい。
下から上への
流れは、
自分自身の
「変身」
を
スムーズにしてくれる。
身も心も
大きく脱皮する
「変身」。
正確に言えば、
変身のスタート
ということに
なるが。
次々に
自分が本来の自分
に向けて
変貌を遂げ続ける
そのスタートと
しての
今。
そこにいる人は
多い。
エネルギーは
自分だけのもので
賄う必要はない。
自然の放つ
エネルギーを
活用せよ。
今は、
先に進むことが
肝心だ。
つづく
自分の本当の
志を
知らずして、
そのまま生きるも
それもまた
人間、
であるが、
自分の本当の
志とは何か?
という問いは
ずっと大事に
していてほしいな。
あえて
「志」
という言葉を使った
のは、
何となく今回は
この言葉を
強く使いたいから。
志とは
大きいことを成せ、
ということでは
ない。
大小は
関係ない。
だいたい、
大小、という視点
そのものが
意味を成さない。
志とは
評価をされるもの
ではない。
その人の
ものだ。
その人自身
だ。
どうしても
自分の人生を
使って
成し遂げたいもの
だ。
それがなければ
我々は
「人間」をやらない。
ここに
生まれてはいない。
志とは
強いもの。
しかしその「強い」
とは、
他者が評価するもの
ではなく、
自分にとって
「強い」ものだ。
自分の命の
エネルギーを
ダイレクトに
強めてくれるものだ。
それが何か?
を
ずっと自身に
問い続けてほしいな。
静かな心
で。
落ち着いて。
今こそ。
この
毎日にこそ。
つづく
「問い」とは
自分の意識の
一点
を定めるもの。
今、どこに
焦点を当てながら
生きるべきか?
を
定めるもの。
良い人生を
送る、
とは
良い問いを
自身に投げ続ける、
ということだ。
今回は
単純な問いを
一つ皆さんに
投げよう。
「今年中に
絶対に
やり遂げなければならない
と
決めていることは
何だろう?」
今、皆さんの
すでに
頭の中にある答え
ではない答えを
見つけ出そう。
私達は
無意識に決めている
ことがある。
その多くには
「期限」がある。
「今年中」という
期限を持った
何かを
皆さんはお持ちだ、
きっと。
まだ見つけて
ない答えも
あるだろう。
今のうちに
それを自覚し、
この12月を
充実させよう。
つづく
人生の展開
というのは
予測しない方が
いい。
予測をすれば
狭めてしまう。
予測をすれば
縛ってしまう。
人生を。
自分を。
と、
私は考える。
意志は
必要だ。
意志をもって
生きることは。
でも、
予測は
必要ない。
私の考えだ。
目の前の
現実に
茫然とする。
目の前の
現実に
大きく揺れる。
そんなことは
人間として
当然だし、
私も今でも
しょっちゅうあること。
揺れるのは
生きている
証拠だ。
でもその一方で
何があっても
揺れていない
静かな自分も
いる。
その両面が
人であり、
その両面が
自分である。
そして、
私が私でしか
わからないこと
もある。
本当は
人は自分のことは
すべて
知っている。
でも
知らないまま
生きている。
顕在意識では。
明確なのに
不明瞭な
私達。
それでいい。
それだから
こそ、
生きている意味
がある。
目の前の
揺れる現実を
ありありと
見つめよう。
感じよう。
向き合おう。
そこに
すべての答えは
ある。
答えは
あるが、
その答えが
わかるとは
限らない。
でも、
向き合うことで
それをしっかり
受け止める
自分は
その瞬間に
確かに
結実するのだ。
わからなくても
いい。
ただ、
その瞬間にしか
結実できない
自分を
結実させる。
それが
私達の為すべき
ことだ。
人生も、
自分という人間も、
不明瞭な
ままだ。
でも、
明確なのだ。
すべては。
だから、
そのまま
進めばいい。
つづく
たくさんの
小さな花々の咲く
野原に、
身を
横たえている。
仰向けになり、
ただ真っ青な
空を見つめている。
凝視するように。
挑むように。
すると、
大地を感じたまま
意識は
空の青に
吸い込まれていく。
空と
一つになる。
空から
大地を観る。
そこに
私がいる。
横たわった
私の体がある。
彼は
立ち上がれるのか?
と
少し心配になる。
彼が好きで
やっていることだ、
と
少しあきれる。
彼の好きに
させてやろう、
と
少しあきらめる。
大地は
空に包まれて
いる。
が、
大地は
自分は大地であると
主張してやまない。
それでいい。
分離しなければ
できないことが
ある。
そのために
ここにいるの
だから。
横たわっていた
彼が
突如として
立ち上がる。
おいおい、
勝手に
立ち上がるなよ。
俺はまだ
ここにいるのだぞ。
しゃーねーなぁ、
と
急いで戻ることにする。
立ち上がった
視点。
足元に
花々が見える。
大地にちゃんと
足はついている。
これでいい。
私は、
今の私は
この大地と共に
進むのだ。
つづく
人間、
本当に真剣に
前に進もうとすると、
逆に、
何かに強く
執着してしまうことが
ある。
本当はそれは
自分では
もうとっくに
手放したつもりに
なっていたもの。
でも
本気で進み始めたら、
ほんのわずかに
残っていた
「心残り」
が、
強い執着として復活
してしまう。
そんなことが
ある。
多くの場合、
それは無意識に
行われるので、
前に進む自分の
推進力を、
その
目に見えない執着が
強烈に妨害する。
凄まじいまでの
葛藤を
起こすこともある。
それがあまりに
ひどい場合は、
体を壊すことさえ
ある。
しかし、
やっぱりそれも
人間。
人間としての
心の作用の
一つだ。
適切に対応すれば
いい。
対応の仕方は
基本通り。
つまりは、
自分が何に執着
しているか?を
素直に
見つめること。
執着を取らなければ、
とか
自分を変えなければ、
とか
そういったことは
必要はなく、
ただ、今、
起きていることを
その葛藤を
あるがままに
見つめるだけ。
じっと
見つめるだけ。
それだけで、
前に進もうとしている
自分の本気の
エネルギーが、
愛のエネルギー
となって
自分自身のその
葛藤に
注ぎ込まれる。
執着は
自然に浄化される。
執着するのは
人間らしさの
一つだ。
一つ一つの
執着を
自ら
愛すればいい。
つづく
人生に
疲れてしまうと、
エネルギーも
湧いてこない
ものさ。
安心するが
いい。
人間は
そうなるよ。
もともと人生とは
疲れるものでは
ないか。
それを知っている
のが
我々ではないか。
疲れるものを
疲れる、と
感じるのは
とても
健康的だと
思わないか。
休めよ。
心をさ。
心を
休めてあげなよ。
休日をとっても
難しいよ、
その疲れは。
物理的な
時間をとっても
なかなか
取れないだろう。
そういう
疲れだ。
心を
休めるんだ。
そのための
最も簡単な方法は
好きなことに
集中する
ことさ。
例えば、
漫画が好きなら
漫画を読みまくる
とか。
何かに夢中に
なることで
心は
休まるんだ。
休めて
あげなよ。
ちょっと
酷使しすぎだろう。
心はね、
そんなに強い
ものではない。
誰の心も。
私?
私だって
当然あるよ。
人生、疲れたなぁ、
もう、やめたいなぁ、
・・・なんて、
数えきれないよ。
今?
今だって
あるよ、当然。
そりゃ
がんばってる
からさ。
疲れるの
当たり前だろ。
それが
人間だろ。
心に
栄養を与えて
あげなよ。
自分のことだぜ。
心は
ちゃんと
守って
やるもんだよ。
つづく
静かに流れる
川がある。
その流れに
身を任せて
みる。
緩やかに
下流に向かう。
それ自体は
とても
心地が良い。
でも
もの足りない。
かと言って
自分で泳ぐ
気にはならない。
私は
その川から
出た。
自らの足で
歩いて
別の流れを
探す。
いくつもの
流れと
出会いながら。
しかし
今一つ、
これ!
というものがない。
皆、流れ方が
遅いのだ。
そのスピード感でも
それはそれで
良いか・・・、
とは思うのだが、
でもやっぱり
私に必要なのは
スピードだ。
体験したことの
ない
スピードだ。
それを
探す。
そのうちに、
今のこの世の中には
私の求める
速さの流れは
存在しないのだと
気づいた。
それは実に
悲しい気づきで
あったが、
その事実がわかった
ことは
大きかった。
その
スピードある流れは
自分で
創り出すしかない。
自分で
歩くのではない。
走るのでもない。
あくまでも
必要なのは
流れ
だ。
なぜなら
流れとは、
私がいなくなっても
残るものだから。
私の体験したことの
ないスピードは
この世も体験した
ことのないものだった。
であれば
創ろう。
そう決めたのが
6年前だ。
もうそろそろか。
流れは、
その源泉は、
できた。
あとは
どこまでスピードを
高められるか?
ここからが
実験であり
未開の領域だ。
つづく
確かに今の私は
変化をし始めて
いる。
それが如実に
現れるのは、
習慣の変化
だ。
具体的にここで
書くつもりは
ないが、
自分の変化を
素直に
自分自身が
尊重するための
最も簡単な方法が
習慣の変化
だと
気づいた。
これまで
当たり前のように
続けてきたことを
やめてみる。
その代わりに
別の習慣を
始めてみる。
ただ
それだけのこと。
これで
私は自分の変化
を
自分で素直に
認めた。
そして、
もとの私に戻ろう
とは
つゆほども
思わなくなったのだ。
面白いものだ。
そしてこの
習慣の変化は
私自身の気づかない
ところで、
価値観も
変化させるかも
しれないね。
つづく
何もない
がらんどうの
世界に
翼の感覚も
繋がりの感覚も
忘れた状態で
まるで
ツルンとした
何の引っ掛かりもない
裸の姿で
私達は
生まれてきたのだ。
あまりの
手応えのなさ。
その最初の
虚無の
感じが
言いようのない
孤独感を
心に刻む。
それが
人生の始まり
だ。
誰もが
辛さから
始まった。
そして
辛さと共に
生きる。
自我として。
だから
悲しいのも
寂しいのも
当たり前だろう。
それを
抑え込む必要が
どこにある。
心が震えるのは
普通ではないか。
だから
太陽の暖かさが
身に沁みる。
特に
寒い日の
陽だまりは。
目を瞑り、
光を感じ、
暖かさに委ねる。
その感覚は
本来は私達が
当たり前のように
持ち合わせていた
もの。
だから
身に沁みる。
その光に
頼ればよいでは
ないか。
あらゆるものが
私達を
支えようとして
くれている。
本来の感覚を
失った
私達を。
もっと
甘えればよい
ではないか。
心を
何とかしようと
するな。
感覚を
ごまかそうと
するな。
そのままの
自分が
そのままの
自分だ。
そのままの
世界が
そのままの
世界だ。
そのままで
いい。
私達は
そのまま
進めるのだ。
つづく
決めている
ことがある。
自分が何を
決めているか?
それを
自覚するだけだ。
自覚したら
粛々と
実行する。
それだけの
ことだろう。
もちろん
心は
揺れ動くものだ。
そのまま
揺れ動かして
おけばいい。
何も
手を加えず、
そのままに、
ありのままに。
ここで変に
手を加えるから
おかしなことに
なる。
慌てて
必要のない行動を
起こすから
余計に混乱する。
決めたことを
決めた通りに
行なうだけ。
そのシンプルさに
戻るだけ。
世界全体は
揺れている。
だからと言って
自分まで
揺れる必要は
ない。
世界が揺れ
自分の心も
揺れているなら、
そのまま
揺らしておけば
いい。
ただ、
決めていることを
粛々と
するだけ。
そりゃ
未来は不安
だろう。
どうなるか
わからんだろう。
予測したって
わからんもんは
わからんだろう。
ただ、
自分が
決めていることは
わかるはずだ。
わからない
ことはない。
自分で
決めていること
だから。
静かに自らに
問い続けよう。
そう言えば、
私の仕事仲間から
良い話を聴いた。
考える人は
多いけど、
考え続ける人は
ほとんどいない、
のだそうだ。
確かに。
問う人は
多いけど
問い続ける人は
ほとんどいない
のだろう。
自分の決めている
ことが
わからない?
それは
問い続けて
いないだけだ。
考え続けて
いないだけだ。
わかるはずさ。
わかったら
あとは
やるだけだ。
つづく
多分、
ここを下って
行くのだ。
徐々に
沈んでいく。
わかっては
いる、
最初から。
その覚悟で
ここまで来たから。
しかし
人として当然の
ことであるが、
言いようのない
ざわめきが
心の中心に
踊る。
私も人間だな、
と
小さく笑う。
下るのは
怖い。
健康的な
ことだ。
小さな波の
音にさえ、
少しビクッと
する。
下るのは
怖い。
波長も段々と
確かに
下っている。
これまで
わかっていたことが
徐々に
わからなくなる。
これまで
つながっていた
存在達が
徐々に
別物になっていく。
徐々に
分かれ、
徐々に
孤独になっていく。
この感覚は
久しぶりだ。
この感覚から
今回も
始めねば
ならない。
ここに
降りなければ、
何も
変えられないのだ。
徐々に、
グッと心に
力を入れないと
立っていられなく
なってきた。
皆、ここでは
弱くなるはずだ。
私もすでに
弱い。
人間は
弱い。
でも、
それでも
なんとか
生きていく。
今を
生きる。
それは
変わらない。
遥か上には、
何となくであるが、
ちゃんと
戻る回廊は
その存在を
感じることはできる。
これだけは
忘れないように。
この感覚
だけは。
ちゃんと
戻るために
頑張るのだから。
そう。
頑張らねば
ならないの
だから。
つづく
何者かの
存在が目の前に
あり、
その存在と
対峙することで
目の前の
現実に対して
初めて見えてくる
ものがある。
自分の目とは
異なる何かからの
目線によるのだろう。
その
異なる何か
とは
何か?という問いは
ひとまず横に置き、
これまでの自分とは
まったく矛盾する
その気づきを
今の私は
とても大事に
している。
生まれ変わる
とは、
物事の見方が
変わる
ということでもある。
その変化を
自覚した場合、
そこで
過去の自分を
持ち出し、
今、ここで感じている
気づきの数々を
否定してしまうのは
あまりにも
もったいないことだ。
変化した自分を
素直に
受け入れる。
生まれ変わった
自分を
素直に受け入れる。
その素直さこそ
生きる覚悟
ではないか。
変化を
受容する意志。
これしか
自分を前に
進めさせる原動力は
ない。
変化は
怖くないのか?
と
問われれば
もちろん怖いことも
多いが、
でもやはり
変化こそが
人間だ。
進化こそが
人間だ。
変化・進化を
カタチにしたものが
人間なのだから、
それを拒むのは
人間をやめるのと
イコールだ。
まぁそんなことを
思いながらも
目の前の何者かを
見つめてみる。
そいつは
笑っているが、
明らかに
私ではない。
私ではないが、
やはりこれも
私なのだろう。
新たな私
というには
あまりに他人感が
凄いが、
う〜む、
まぁ
一生懸命、
受け入れようじゃないか。
つづく
断絶、境界、転換・・・
と
いろんな表現が
あるが、
どれも今ひとつ
的を射ていない。
でも、
そんなようなもの
の前兆がある。
その直前に
いる。
この独特の
感覚。
こんな時は
あらゆる意図を
手放し、
ただ
この感覚のみに
気を向ける。
まるで
噛み締めるかの
ように。
心の中には
風が吹き、
それが段々と
強くなる。
遥か彼方
なのか、
ほんの目の前
なのか。
その
断絶の如きもの
が
強く私にアピールを
する。
私を越えよ、
と。
それでも私は
意図しない。
自らは
動こうとしない。
越えてほしくば、
越えさせよ。
と
かなり挑発的な
言葉を返す。
しかし言葉は
挑発的だが、
心は軽やかに
笑ってもいる。
阿吽の呼吸、
というものが
恐らくここから
始まる。
断絶の如きもの
は
私自身であり、
私自身はまさに
断絶の如きもの
でもある。
それをよく
お互いに理解
し合っている
わけだ。
やってみせよ、
と
また挑発して
笑う。
風は既に
台風の域を
超えている。
もうそろそろ
行かねばなるまい。
それはわかって
いるのだが、
やはり私は
待つ。
ただ、感覚のみに
気を向けて。
生まれ変わる、
とは
意図して行なう
ものでは
ないのだよ。
つづく
新たな何かが
誕生する、
というのは
実に
激しい現象だ。
そこには
表面的には決して
わからないが
確かに存在する
エネルギーの激しい
ぶつかり合いと
融合が
ある。
私達が
ビッグバン
というように
象徴して表現している
ものがあるように、
それは
あくまでも3次元的表現
なのだが、
得体の知れぬ
畏れを
私達は誰もが
知っている。
人類は
当たり前のように
子どもを
産み続けてきたが、
その一つ一つが
ビッグバンに
相当するほどの
エネルギーの
ぶつかり合いと
融合に
満ちている。
私達はそうした
神秘の中で
生きている。
人間という存在
そのものも
神秘だ。
私達が持つ
心。
これは一体
なんだ?
と
私なぞはよく
思う。
心があるのが
当たり前のように
私達は
生きているのだが。
心は
なぜ、歪むのか?
なぜ、
揺れ動き、
そこに
幸せとか、不幸せとか
そういった
解釈や感覚までが
あり、
一喜一憂
右往左往
試行錯誤
ばかりをするのか?
それが
人間である。
人生である。
と
当然のように
私達は捉えるのだが。
一人の人と
向かい合っている
時に、
私はあまりの
神秘さに
人間という存在の
広さと深さと
混沌さに
呆然とする。
いったい私は
何と対峙している
のだろうか、
と。
目の前の
これ
は何なのだろうか、
と。
激しいエネルギーの
ぶつかり合いと
融合によって
ここ
に存在している
これ。
これは
何?
これは
あなた?
それとも
私?
・・・と
頭がクラクラ
してくる。
「自分」という
存在が
不思議ではないかい?
「自分」や「人」を
見つめ、
クラクラしないかい?
私はするなぁ。
いつも。
今、
私の中では
またもや、
ぶつかり合いと
融合が
起きているよ。
つづく
これは
私自身だ。
・・・と
思えるくらいに
大切なものが
誰にもあるだろう。
これは
私自身だ、
と
思えるもの。
それを
あえて、
これは
私ではない。
大切なもの
ではあるが、
これは私とは
別物
別存在
である。
・・・と、
自分自身から
分離させてみる、
ということが
必要な時が
ある。
今は
その時期じゃないか?
次のステージに
向かうためにも。
一体化
していたものを
分離する、
というのは
非常に悲しいこと、
寂しいことである
ケースが多いが、
あえて
それをすることで
初めてわかる
価値もある。
それを
捨てるわけでは
ない。
関わり方を
変えるわけだ。
それが
自分を変える
ということでも
ある。
本来の
方向にね。
つづく
ある方のコーチングを
していて、
その方は
非常に男性的な
人なのだが、
かなり強烈な
女性のイメージが
出た。
女性のイメージ
というよりも
女性性
と言った方がいいか。
思いもよらぬ
場所から
急に芽が出た感じ。
そんなところに
種を蒔いていたんだな、
と
びっくりするような
開花の仕方。
これまで
あらゆることを
引っ張ってきており、
ビジネスにおいても
そのリーダーシップで
たくさんの実績を
残しているその方が、
極北とも言える
女性性を
発揮し始めた。
なんと・・・!
と
私は心の中で
つぶやき、
だからやっぱり
人間は面白いんだな。
と
改めて感嘆の想い
がジワジワきた。
直後、
その方は
こう言われたのだ。
私はもう
リーダーをやらない。
・・・と。
皆の中心に立ち、
皆の注目を浴びて
皆を導いていく
という在り方を
もうやめるのだ、と。
それよりも
中心から少し外れた
場所から、
皆が進むサポートを
したい、と。
180度、
個性が入れ替わった
ような、
これまでの個性が
実は単なる「服」で、
それを一気に
脱ぎ捨ててしまった
ような。
目の前にいる
その方は、
私の知っている
その方なのだが、
表情と雰囲気が
瞬間的に
別人になった。
目から
放たれるエネルギーも
その質が
180度転換したようだ。
まるで慈母の
ような、
受容の眼差し。
人の脱皮や
変換は、
一瞬で起こる。
0.00・・・何秒かの
一瞬で
人生が転換される。
その方は
一瞬で、
別人のように
生まれ変わった。
でももちろん
それは
別人ではなく、
本来の個性の一つだ。
個性は
突然に姿を
現す。
人生は
突然に転換
する。
人は
変わるのだ。
自らの
意志により。
つづく
時々、
自分自身を
傍観
してみるといい。
傍観
という言葉は
よくないかも
知れないが。
自分自身の
すべてを
手放し、
まるで他人の
ように
自分を見つめ、
まるで他人の
ように
すべての責任から
離れてみる。
その状態でしか
生まれない
発想は、
確かにある。
その状態でしか
得られない
自分自身への
気づきは
確かにある。
まるで
他人のように、
この人は
今、
何者だ?
この人は
今、
何をやっている?
この人は
今、
何をしたがっている?
・・・等々。
果たして
今の生き方で
良いのかな?
本当に
今のまま進んで
良いのかな?
傍観者の
視点。
無責任の
視点。
いつもとは
異なる場所から
いつもとは
異なる距離から
見つめる自分は
本当にちゃんと
生きているかな?
つづく
今日も大きな
塊を
受け取った。
心の塊
だ。
重い。
それを
いつもの通り
そのまま
あるがままに
感じ取る。
悲しみ、だ。
悲しみの
塊だ。
深くて重い
悲しみ達。
人間というのは
ここまで深く
悲しむことが
できるのか、と
改めて
こちらも悲しくなる。
これだけの
深さだ。
きっと本人は
この自分の悲しみに
蓋をしているのだろう。
この心は
本当はその人の
ものだ。
私がこうして
受け取るべきもの
ではない。
もっと自分の心と
向き合えば
いいのに。
ちゃんと向き合い、
ちゃんと感じ、
悲しいなら
悲しい、と
感じ、
しっかりとその
事実通りに
感じ尽くせば、
もっと簡単に
進めるのに。
多くの人は、
前に進むために
前に進もうとしない
心達に
蓋をする。
それが
最善だと
思い込んでいる。
違う。
断じて違う。
すべての心は
その人のもの
であり、
すべての心は
ちゃんとここにある
「存在」だ。
「存在」は
存在しているのだから、
ちゃんと
見つめ、感じ取る
ことだ。
これができるから
こそ、
現実と向き合える。
現実と向き合わねば、
前に進むことなど
できるわけがない。
一つ一つの心と、
自分の心と、
丁寧に向き合えば、
楽に進めるのだ。
私達人間は、
そうなっているのだ。
自分の心から
逃げては
ならない。
逃げれば
余計に苦しくなる。
逃げれば
余計に
進めなくなる。
もう私達には
止まっている時間は
ないのだ。
つづく
出口だな、
と思う。
一つの出口
だな。
これを見つける
のに、
いったいこれまで
どれだけの
時間と労力を
費やしてきたことか。
まぁでも
それが人生、
それが
人間の為すこと
か。
出口が
近づけば、
まるで吸引口に
吸い込まれるように
進んでいく。
出口に
吸い込まれるような
引力が働く。
何故これまでは
この引力に
気づかなかったのか、
と
逆に不思議に思う
くらいであるが、
本当の答えは
ずっと
目の前に
あったんだな。
目の前に
当たり前のように
在り続けたもの。
まるで
空気のような
存在。
あまりに
大切だけど、
あまりに
在るのが当たり前過ぎて
いつの間にか
ずっと気づかずに
いたもの。
実はそこにこそ、
出口に
一気に近づく
ヒントがあったのだ。
こういうものか。
こういうもの
なんだな。
人間の為すこと
は。
ただ、
出口が見つかったから
ということで
いい気になっている
場合ではない。
出口を出る
ということは
その瞬間から
次のステージだ。
これもまた
人生。
ここからこそ
気を引き締める
べき時だ。
ヒリヒリする
新たなステージの
スタートだ。
つづく
それが誰か
は
わからないままに、
目の前に
その人の気配を
感じ、
必要を感じ
その人と一つに
なってみた。
その人はまだまだ
エネルギーの
開花度合いは
低いようだ。
今、現時点では。
何かあれば
フッと
消えてしまいそうな
パワー。
一つになるだけで
消えてしまいそう。
でもその人は
「私には
やることがある」
と
何かを
決めているようだ。
でも
それをするには
パワーが足りなさ
過ぎる。
どんな形でも
良いから、
このパワー不足を
補いたい。
どんな形でも
良いから、
その、すべきことを
成し遂げたい。
どんな形でも
良いから・・・。
という悲しみとさえ
受け取れるような
深い意志がある。
あなたは
誰ですか?
なぜ
私のところに
来たのですか?
そう問うている
うちに、
その人のエネルギーも
存在も
消えてしまった。
何も
わからないままだ。
私に何か
できることが
あるのだろうか?
そもそも
いったい誰だろう?
誰か
わからない
人の意志。
この世には
たくさんの意志が
漂っている。
それが
果たされないままに。
意志を果たせる
世の中になると
いいな、と、
こんな時は
いつも思う。
そのためにも
人は
もっともっと
強くならねば。
人が
世の中を変える
しか
ないのだから。
つづく
つい先程、
初めて気づいた
のだが。
私の左半身と
後ろ側に
「壁」のようなものが
存在していた。
分厚い壁。
その壁の存在を
感じると、
とても息が詰まる。
この「息が詰まる」
という感覚を、
実はこの2ヶ月ほど、
ずっと
何となくであるが
感じ続けていた。
その正体が
わからなかったのだが、
やっと先程
わかった、
壁がここにあったのだ
と。
それがわかる
ということはつまり、
その壁がもう取れる
ということだな。
と、
意識し始めたら
途端に
壁が浄化され始めた。
だんだんと
消えていく。
消えながらも
これがいかに自分自身に
とって
重いものであり
息の詰まるもので
あったか
ということをかなり激しく
自覚した。
なんで
こんなことを・・・。
と思ったが、
理由はすぐに
わかった。
壁が消えると同時に
凄まじい風
を感じたのだ。
「追い風」だ。
あぁなーるほど。
この「追い風」を
感じたくなかった
のだな。
これを感じると
すぐにでも
この風に乗り、
「出航」したくなって
しまう。
ガンガンに
前に進みたく
なってしまう。
こう見えて
気が短いので。
行ける!と
思ったら
すぐに超加速して
しまうので。
そんな自分を
よくわかっているので
私は私に
この「追い風」を
隠し続けた。
皆の準備が
整うまで。
ということは
みんな
もう、
準備完了なのかな?
出発しちゃって
良いのかな?
つづく
自分の器を
小さく見過ぎな
人が
多いように思う。
私は
こんなもん
だから。
と。
本当にそうか?
無理に大きな
ビジョンを描く
必要はないが、
本当に
自分をそのように
決定してしまって
良いものだろうか。
自分に対して
失礼ではないか。
とさえ
思うことがある。
あるがままに
向き合えば
わかる。
目の前の
その人の
深い想いが。
それは誰もに
あるし、
大概は
眠っている。
眠っているが
鼓動はいつも
感じるんだよな。
その鼓動に
素直に生きれば、
この人は
どんなに幸せに
なるだろうか、と
本当によく思う。
とは言え、
それを安直に
伝えることはしない。
伝えても
意味がない、
というか
伝えることで
遠のいてしまう。
人に言われる
ことじゃないよな、
ということが
私達には多いね。
せめて、
自分の器を、
自分の願いを、
勝手に自分で
決めつけないで
ほしいなぁ。
これまでの
経験に基づいて
過去の自分が
すべての真実で
あるかのように、
未来も
こうだろう、
と。
まずはそこから
外せるといいね。
今、
本当は
どう思う?
今、
本当は
どうしたい?
まずは
ここから。
今の想いを
自分自身の想いを
素直に
理解するところから。
つづく
遠くを見渡す。
世の中全体を
見渡す。
現象のレベル
ではなく
実在のレベルで。
ようやく
静かになった
ようだ。
ここのところ
随分と
荒れていた。
荒れていた
と言っても、
数年前に比べれば、
その荒れ具合は
あくまで
表面的なものだ。
しかし
表面的であるが
故に
痛いよな。
私達人間は、
一つの傾向として
表面的痛さにばかり
目が向かう。
根本的痛さという
ものがあるならば、
本当はそこにこそ
意識を向けなければ
ならないが。
深い痛さ
には気づかない。
あまりに
深過ぎるが故。
痛過ぎるが故に
麻痺をする。
麻痺をすれば
「ない」ものと
同じだ。
痛くなければ
いいじゃん、と。
それこそが
実在レベルでの
根本的な荒廃を
起こしてきたのだがね。
今回も
本当はそこが
本質的原因だが、
でもまぁそれでも
良い治まり方は
できたようだ。
心の奥の奥に
意識を向けて
ほしい。
そして次に、
心の外の外に
意識を向けて
ほしい。
世界全体に
意識を向けて
ほしい。
ようやく戻ってきた
静けさが
感じ取れるかな?
現象レベルの
話じゃないよ。
実在レベルだよ。
実在レベルが
鎮まれば、
逆に
現象レベルが
荒れるかもしれない。
混乱が
あるかも。
日常生活において
もね。
でもその混乱は
静けさを
取り戻した故のもの。
つまりは
好転反応。
必要なもの。
調和への
ステップだ。
ちゃんと向き合い、
一つ一つ
丁寧に対応しよう。
つづく
もういつでも
生まれることが
できる。
そういうもの
がある。
ここ何日間か
ずっと大事に
抱いている。
中身は未だに
わからない。
わからないが
よく
わかっている。
いつでも
それは生まれる。
私が合図さえ
すれば。
私はその時を
待っている。
じっと
待っている。
あともう少し。
多分、
あと数日。
ここは我慢。
このために
楽しみは
後にとっておく
という
性格を創ったでは
ないか。
ここは我慢。
じっと待つ。
呼吸を整えて
落ち着いて
待つ。
つづく
真一文字に
進む
龍がいる。
その龍を
私はいつも遠くから
眺めている
だけだった。
特に何の
感慨もなく。
ただ、
今は、
龍と一つになろう
という気持ちが
起こり、
一つとなって
みた。
それで
わかったことだが、
なるほど
龍は、
最もエネルギーの高い
方向へと
進んでいるのだ。
エネルギーの
波が、
激しい波が、
真正面から
襲いかかってくる
その方向へ。
それはまるで
激しい水流に
逆行するかのようだ。
気を抜けば
進むどころか
押し戻される。
押し戻される
どころか
粉々にされる。
そのような
抵抗に
真正面から
向かい続けているのだ。
確かにこれでは
誰もが
龍のカタチに
ならざるを得ないだろう。
全身を一直線に
伸ばし、
ただ正面突破のように
突進することにのみ、
全神経を
集中させる。
常に
エネルギー最大の
方に向かうので、
それはいつ終わるとも
知れない。
永遠の逆流。
しかし
龍の役目とは
この永遠の流れを
遡ることなのだ。
龍は
もだえる。
しかし
一直線は
崩さない。
まっすぐに
立ち向かい
続ける。
この
エネルギー最大の
方向にしか
「答え」は
ないから。
人は
龍になるために
自分を鍛える。
準備ができれば
龍になる。
垂直に昇る
龍になる。
つづく
未知の領域
への穴が
ポッカリと
開いている。
しかし
その穴の手前には
激しい滝がある。
あの滝に
突入せねば、
あのポッカリの
中身を
知ることはない。
あの向こうに
あるはずの
新たな世界を
知ることはない。
しかし
あの滝に入れば、
一瞬で
呑み込まれるだろう。
さて、
どうする?
そんな時
私は、
ポッカリの穴
と
対峙する。
ただじっと
意識をそこに
向け続ける。
何も思考せず
何も解釈せず
ただ
あるがままに
向かい合う。
すると、
そのポッカリが
私を
呼んでいるのか
いないのか、
が
感覚でわかる。
呼んでいるのだ
と
わかれば、
私はその瞬間に
迷いなく
飛び込んでいる
だろう。
呼んでいない
と
わかれば、
もちろん行かない。
迷う場合は?
行かないよ。
じっと
向き合い、
あるがままを
感じ、
それで迷うなら
行かない。
と
決めている。
良いか悪いかは
わからないが、
私はそう
決めている。
そして、
どれだけ無謀だと
思われても、
「呼ばれているな」
と
直観できれば
行ってしまう。
それも
良いか悪いか
わからないけどね。
でも、
そう決めてるんだ。
つづく
自分自身の
電源を落とすと、
問い
だけが残る、
ことがある。
あとは
何もない。
ただ
暗い場所に
電源の落ちた
場所に
問い
だけが残る。
そういうのを
観ると、
人とは
問いだな、
と
思う。
問いを残し、
真の答えに
出会うまで
それは
決して消えることは
ない。
そういった
生き方、進み方を
するのは
やはり
人間だけだろうか。
いや、
私は時々、
場に問われる。
空間に問われる。
宇宙に問われる。
・・・こともある。
しかし、
そのように
問いを受けることが
できるのは、
その答えを
見つけるために
実際の試行錯誤を
するのは、
やはり
人間だけだろうか。
問うて、
試行錯誤し、
答えを見つけ出す。
このシンプルな
サイクル。
これは摂理か。
摂理に素直に
生きるとは、
「ここ」にある
問いを
素直に受け取る
ということか。
私は
問いであり、
問いを受ける
ものである。
・・・これはとても
しっくりくる。
しかし、
私は
答えるものである。
・・・というのは
しっくりこない、
というのは
どういうわけか。
自分自身の
電源を落とすと、
問いだけが
残る。
答えは
出そうにないな、
とわかれば、
私は
単なる
問いとして
今日を、明日を
生きるだろう。
簡単に
答えは
出さないよ。
出そうになっても
出させない。
なぜなら私は
問いだからさ。
今日も私は
皆さんに問い、
私自身に
問う。
「この場」にある
問いを
拾い出し
そのまま
素直に。
それが私だから
というよりも、
やはりそれが
人間だから。
つづく
24時間ごとに
生まれ出づるもの
がある。
ほぼ同じ
間隔で、
定期的に。
一日24時間
という
サイクル。
これは恐らく
私達が想像している
以上に
深い意味がある。
このサイクルを
掴むことこそ、
創造性の源となる
のではないか
と
最近はよく思うのだ。
一日の24時間を
一つの人生である
と
私は定義している。
一日が終わる
ということは、
一つの人生が
終わる、
と。
一日が始まる
ということは、
もう一つの新たな人生が
始まるのだ、
と。
今日という
人生においてしか
生まれ得ないものが
ある。
昨日の人生でも
明日の人生でも
決して
生まれ得ないもの。
それを
今日、きちんと
生み出すことができて
初めて、
明日、という人生も
調和から
始めることができる。
逆に言えば、
明日という人生
において
生み出すべきものは、
今日という人生
では、
生み出しては
ならない。
今日の人生には
今日の人生の役割
があり、
明日の人生には
明日の人生の役割
がある。
毎日、私達は
転生を繰り返し、
人生から人生へと
伝承・継承をし、
人生と人生を
紡ぎ続ける。
昨日の私と
今日の私と
明日の私は
別ものである。
ただ、
伝承・継承すべき
ものを持ち、
それぞれの自分を
紡いでいく。
・・・そんな風に
私は捉えているのだ。
この理屈、
・・・ではなく、感覚
によって
発生する「真剣さ」
がある。
今日という人生を
生ききるのだ
という
真剣さ、だ。
ここにしっかり
対峙をした時、
初めて得られる
「安楽」
がある。
「安心」
がある。
「安定」
があるのだ。
今日を
生ききる。
そして、
明日の自分に
繋ぐ。
明日の自分の
ために
今日、すべきことを
やり切る。
してはならない
ことは
決してやらない。
この真剣さが
人生を楽にする
という
ことなんだ。
つづく
自分であって
自分でないような
気がする発想の
その奇抜さを
以前の私は
深刻に捉え過ぎて
いた。
なんで
こんな発想を
するのだろう?
私らしくない・・・。
と。
そんなことは
どうでも良いでは
ないか。
たとえ、
どこかのタイミングで
どこかから自分に
インプットされただけの
ものを、
そのまま
横流しのように
アウトプットしたのだと
しても、
それが
自分の内側から
浮上するのであれば、
それが
誰の発想か?
などは
どうでもよく、
それよりも、
この発想がどうして
今ここで
浮かんで来たのだろう?
ということを
楽しめばいい。
私達の人生は
インプットと
アウトプットの
循環的連続によって
成り立っている。
人は
インプットし、
それを
忘れ、
忘れながらも
どこかの瞬間で
それを
アウトプットする。
しかもその時には
それにちょっと
自分の色が
加わっている。
そのアウトプットを
自分以外の誰かが
そこで
インプットするかも
しれない。
人から人へ
渡っていくそれらの
発想は、
いろんな色と
統合、融合されながらも
場合によっては
まったくの別物へと
変貌していく。
そういった
循環的連続が
そこかしこに存在し、
大きな目で
見ても、
そこかしこで
統合、融合されている。
それが
社会というもの
ではないか。
自分の中から
出てくるものの
正体を
深刻に突き止めることも
時には
必要だろうが、
それよりも、
今のこのタイミングで
紛れもなく
自分自身から
生まれ出る
ものを
一つ一つ
噛み締めながら
楽しもう。
これが、
人間を楽しむ
ということは
ないか。
つづく