前向き

前向きじゃなくていいからさ

 

人生に

混乱はつきものだ。

 

混乱には

二つある。

 

不調和による

混乱と、

 

調和による

混乱だ。

 

調和による混乱は

必要不可欠な

もの。

 

それがあるからこそ、

その後に

より次元の高い

調和が実現される。

 

ただ、

 

不調和による混乱

だろうと、

調和による混乱

だろうと、

 

対し方は

同じだ。

 

混乱をしっかりと

見つめること。

 

混乱としっかり

向き合うこと。

 

そして、

混乱を楽しもうと

することだ。

 

・・・・・・

 

「楽しもう」

という言い方を

すると、

 

「前向きな生き方」

が必要なのだな、

 

という印象を

持つかもしれない。

 

しかし実は

そうではない。

 

ちょっと語弊があると

いけないのだが、

私は、

・前向きか

・後ろ向きか

という視点は

ほとんど意味がない

と思っている。

 

どっちでもいい

と思っている。

 

人間なのだから、

前向きになる時も

あれば、

後ろ向きな時も

ある。

 

いや、

正確に言えば、

どんな事象を前にしても、

私達の心の中には、

・前向きな心

・後ろ向きな心

両方発生する。

 

「両方発生」するのだがら、

どっちでもいいじゃないか、

と思うのだ。

乱暴に言えば。

 

だから

さらに乱暴に言えば、

 

「私はどんな時も

物事を前向きに

捉えます!」

 

とか

 

「前向きであることが

一番です!」

 

という言葉を

聴くと、

不自然さを感じて

しまう。

 

そんなに無理をしなくても

いいじゃないか、

思うことが多い。

 

前向きな心の

裏には、

間違いなく

後ろ向きな心が

存在している。

 

前か

後ろか

の違いに過ぎない。

 

だいぶ乱暴な言い方

だけどね。

 

そしてここが大事だが、

本来の生き方とは、

 

前向きと

後ろ向きを

超えたところにこそ

存在する。

 

それが

真本音の生き方

であり、

 

私達の真本音とは

前向きも

後ろ向きも

超えた次元に

存在している。

 

・・・・・・

 

「楽しもう」

という言葉の

本来の意味は、

 

「味わおう」

 

に似ている。

 

つまりは

「あるがままに

感じよう」

ということだ。

 

これができると

私達の心には

エネルギーが

発生する。

 

「あるがままに感じる」

とは、

「現実を大事にする」

のと

イコールだ。

 

これができることで

私達の心のエネルギーは

高まるように

できている。

 

それが

人間の心だ。

 

・・・・・・

 

というわけで、

混乱から

逃げてはいけない。

 

逃げたい気持ちは

あってもいいし、

 

後ろ向きな気持ちは

どれだけ膨らんでも

一向に構わない。

 

でも

逃げてはならない。

 

しっかりと

あるがままに

味わおう。

 

すると、

心は楽になる。

 

そして、

不調和による

混乱だろうと、

 

調和による

混乱だろうと、

 

その向こうに

必ず

新たな調和が

始まるんだよ。

 

つづく

 

前向き、前向き、って言うけどさぁ・・・

 

誤解を恐れずに

言うならば、

 

私は

「自己肯定」

という言葉がどうも

しっくりこない。

 

もちろん、

その意味は知っているし、

重要さもわかっている。

 

なくてはならないもの

だということも。

 

しかしどうしても

「肯定」

という言葉に

ひっかかる。

 

「肯定」という

言葉の裏には必ず、

「否定」が

セットだからだ。

 

自分を否定し続けていた

人が、

 

それではいけない。

自分をもっと

肯定しなければ。

 

と、決意して、

自己イメージを変え、

人生を新たに

歩み始める姿は

何度も目にしてきた。

 

しかし私は

「自己肯定」を

唱える人達には

どうしても

不安定さを感じてしまう。

 

「否定」を

「肯定」に

変えただけだからだ。

 

それは

「解釈」の変化

「視点」の変化

に過ぎない。

 

次元が

同じなのだ。

 

同様に、

「物事を肯定的に

捉えよう」

という人にも私は

不安定さを感じてしまう。

 

「物事を

肯定的に捉える」

のと

「物事を

否定的に捉える」

のは、

同じ次元だからだ。

 

同じ次元に

いるうちは、

「どっちが正しいか?」

という

闘いに過ぎない。

 

だから、

自己肯定に

努力している人が、

それでも

大きな失敗をしてしまうと、

途端に

自己否定に戻ってしまう。

 

「私には

素晴らしいところが

あるんだ」

と、努力して

思っていても、

それを覆す出来事が

あれば、

「やっぱり私は

ダメだった」

となるのだ。

 

「素晴らしいか」

「ダメか」

のせめぎ合い。

 

そこにいるうちは、

本質は

何も変わらないのだ。

 

安定度合いは

何も

変わらないのだ。

 

・・・・・・

 

「私は前向きに

生きることを

信条としています」

 

という人がいれば、

 

「後ろ向きな気持ちが

あるのが

人間の当たり前の

姿ですよ」

 

と私は伝える。

 

すると、

多くの人達が

とてもホッとした

お顔になる。

 

どんな心があっても

いいじゃないか。

それが

人間なんだから。

 

というメッセージを

これまでは私は

何千人、何万人の

人達に

伝え続けて来ただろうか。

 

「前向きか」

「後ろ向きか」

という世界から

解放されて初めて

人は、

自分自身の本当の

人生の道を

歩み始める。

 

どんな自分も

愛せるように

なるからだ。

 

「愛」とは、

「前向きさ」では

ない。

 

「人を愛する」

とは

「前向きに生きる」

ことではないのだ。

 

「前向き」も

「後ろ向き」も

どっちでもいいじゃん、

というところに

愛はある。

 

そこかしこに

すべてに

愛はあり、

それを知るものが

本当に

人を愛せるのだ。

 

・・・・・・

 

そんな話をした時に

ピンと来ない人が

いる。

 

そんな人は

コーチをやっては

ならない。

 

それよりも

もっと自分自身の人生に

真剣になった方が

よい。

 

自分と向き合うことに

真剣になった方が

よい。

 

これも誤解を恐れずに

言ってしまえば、

残念ながら今の日本には

「にわかコーチ」

が多い。

 

自分の人生と

自分自身と、

しっかりと向き合うことも

せずに、

人をサポートする

からだ。

 

それをもって

「私は人を愛する人生を

進んでいる」

と言う人もいるが、

それは残念ながら

「自己愛」

だ。

 

本当の愛

ではない。

 

そして残念ながら、

そういった人ほど、

「前向きに生きる」

ことが大切だ、と

口を酸っぱくして

言い続ける傾向にある。

 

ひどいことを

言うようだが、

なぜこうもはっきり

言えるかと言えば、

かつての私自身が

そうだったからだ。

 

おかげさまで

だから私はよく

叩かれた。

 

どこで叩かれたかと

言うと、

企業様で、だ。

 

自己愛の頃から

私は

企業のコーチを

していた。

 

企業のコーチを

する、というのは

自己満足のレベルでは

済まされない。

 

だから

自己満足、自己愛レベルの

コーチは

叩かれることに

なるだろう。

 

どれだけ叩かれても

どれだけ失敗しても、

それでもくじけずに

進み続ける。

 

私は、

人を、組織を、

サポートし続けるのだ、と

進み続ける。

 

その中でこそ、

自己愛から

本当の愛への

自己変革が

成される。

 

その成長度合いと

加速度合いが

人や組織に、良い影響を

与える。

 

「完璧な私になってから

私はコーチを始めます」

 

とか

 

「もっと成長してから

私は本格的にコーチ活動を

始めます」

 

という人もいるが、

それも自己満足であり

自己愛だ。

 

叩かれて、叩かれて、

それでも真剣に

自分と人に向き合い続ける。

 

その現場でしか

得られないものが

ある。

 

というか、

それしかない。

 

それが人生だ。

 

そんなこともわからず、

そんなところから

逃げてしまう人は、

コーチをやっては

ならない。

 

私はやはり、

本物のコーチを

育成したい。

 

真剣な

コーチを。

 

つづく

 

前向きとか後ろ向きとか、気にするな

「誰の真本音も

前向きなのですか?」

 

よく、そうご質問いただきます。

 

確かに皆さんの真本音出しをすると、

言葉としては前向きなものが

出ます。

 

しかし実は真本音とは、

前向きとか後ろ向きとか、

そういった次元にはないものです。

 

前向き・後ろ向き、

プラス指向・マイナス指向

といったものは、

私達の反応本音レベルの「解釈」に

過ぎません。

 

ですから、

「前向きに生きています!」

ということを強く語る人ほど、

その前向きな心の裏側に

(その人曰くの)後ろ向きな気持ち達が

潜んでいます。

 

前向きな心と、後ろ向きな心が

せめぎ合っています。

 

その結果、

前向きな心がわずかでも勝てば、

その人は前向きな行動を

とります。

 

逆に、

後ろ向きな心がわずかでも勝てば、

その人は後ろ向きな行動を

とります。

 

どちらにしても

勝った・負けた

の世界です。

 

どちらが勝っても負けても、

正直言いまして、

大差はありません。

 

前向きと後ろ向きの「葛藤」が

存在し続けていますので、

その葛藤によって

パワーが大量に奪われ続けてしまいます。

 

葛藤とは引っ張り合い、

綱引きと同じだからです。

 

ですので、その人は

疲弊し続けています。

 

疲弊した状態で

どれだけ前向きに生きようとしても

その前向きさは

たかが知れているのです。

 

私達の真本音は

そのような疲れる生き方は

望んでいません。

 

真本音で生きるとは、

自己統合へと続く道です。

 

つまりは、

自分の心と魂のすべてのパワーが

一つの方向に

結集されます。

そこに、

葛藤も引っ張り合いも

ありません。

 

常にエネルギーが満ち足りた

状態となるのです。

 

そういった状態になると

私達人間は、

前向きとか後ろ向きとか

そんなことはどうでもよくなります。

 

そんなことを気にするよりも、

自分の人生の願い、

自分の人生の目的、

自分の人生のミッション

などに楽しく向かっていこうと

自然に思います。

その結果、

自分も周りも幸せ度合いが

必然的に高まります。

 

「いやぁ、今日は俺、

全然やる気出ないなぁ。

サボりたくてしょうがないよ」

と言いながら、笑える人。

 

そう笑いながらも、

自分が決めている行動を

いつもの通りにしっかりと

実践する人。

 

意識の次元が高まれば、

誰もがそうなります。

 

心の状態がどうのこうの、

ということは

関係なくなるのです。

 

そうなるともう

自由です。

 

そしてそうなると逆に、

心の動きの一つ一つを

楽しめるようになります。

 

どのような心があっても、

すべての心を

愛せるようになります。

 

それが本当の

自己承認です。

 

次元が高まったとしても、

低い次元の心が

消えるわけではありません。

 

高い次元から低い次元まで、

あらゆる意識が存在するのが、

私達人間です。

 

私はそこに

人間の神秘と尊厳を

感じます。

 

高くても低くても

すべての自分を愛せる。

それこそが、

高い次元の意識です。

 

そしてそういった意識は

心配しなくても

すべての人の中に

すでに存在しています。

ただそれが

眠ったままの人が多い

というだけのこと。

 

何度も同じことを

書いてしまいますが、

そういった眠ったままの次元の自分を

呼び覚ます一番の近道が、

自らの真本音に素直に生きる、

ということなのです。

 

つづく

 

勢いに任せた前向きさから脱することこそ重要

葛藤を伴った前向きさ。

 

それは非常に不安定なものです。

(→前回記事)

 

常に前向きであろうと頑張り過ぎる人ほど、

私は注意をします。

その前向きさに合わせて物事を進めれば、

多くの場合、どこかで無理と不調和が生じるからです。

 

これを、

反応本音レベルの前向きさ、

と言います。

 

それに対して、

真本音レベルの前向きさ、

というものがあるのですが、しかし実はこれは

あまり的確な表現ではありません。

 

なぜなら真本音に素直に生きている人は、

自分が前向きかどうか、

なんてことは眼中にないからです。

 

前向きだろうが、後ろ向きだろうが、

今自分のすることは、今する。

ただそれだけのことだからです。

 

その姿を周りの人達が見ると、

「あの人はなんであんなにいつも前向きなんだ?」

という印象になるだけのことです。

 

真本音で生きるとは、

本人にとってはとてつもなく自然な状態です。

 

私のコーチングは、まずはクライアントさんが

そのような状態になる(・・・というよりも「戻る」)ことを

大切にしています。

 

単に勢いに任せて目標設定やコミットメントをして

勢いに任せて突き進む、ということを

私は、極力止めます。

 

勢い任せの前進ではなく、

本当に真本音に根ざした前進であれば、

そのクライアントさんの天然の魅力や個性や力が

発現し始めます。

 

木村さんの天然の力は

『創造力』

です。

(→前々回記事)

 

そしてその創造力とは、

『調和力』

を伴ったものです。

(→前回記事)

 

調和力という言葉は聞き慣れないと思います。

これも私の造語になるのでしょうか。

いつ間にか企業現場で自然に使うように

なっていました。

 

調和力を持った人は凄いです。

 

その人は特に何もしなくても、

その人がその場にいると明らかに

そこにいる人達の調和度合い(調和性)が高まるのです。

 

単純に言えば、例えば、

その人がいなければ言い争いになりそうな議題でも

穏やかにコミュニケーションが進んでいきます。

それだけでなく、

一人一人が個別で考えても決して出てこないような

斬新で本質的なアイデアが、

その場で生み出されるようになります。

 

調和力を持った人が、

そこにいるかいないか?

その違いだけ、でです。

 

ですので、私は組織コーチングをする場合、

その組織の中で調和力を持ち合わせている人を

いつも探します。

そしてその人の調和力を引き出すコーチングを

します。

そしてその人を、要(かなめ)として活用しながら

組織活性化を推進します。

 

その方が何倍も効果が違ってくるからです。

 

つまり調和力とは、

その人の存在そのものが発揮する

独特の力です。

 

木村さんにはそれがあったのです。

 

しかも木村さんの場合は、

その調和力という土台の上で、

新たな道を創り出していく逞しさ(創造力)も

ありました。

 

彼はもともと自信家の個性を前面に出していましたが、

実はその「自信家ぶり」自体は決して悪いことではないのです。

彼のその自信の根元にあったのは、

自分は新たな道を切り開いていける、という確信から

来るものだったのです。

 

しかし反応本音のみで生きていた彼は、

自己保身のために、その自信家ぶりを発揮して

いました。

それにより周りからの信頼を減らしていたのですから、

非常に勿体ない個性の使い方をしていたわけです。

 

要するに、

真本音で生きれば、自分の個性は

良い発揮の仕方をするわけです。

しかし真本音度合いを下げることで、

自分の個性を、自分を下げる方向に使ってしまう。

・・・そういった場面をこれまで私は

本当に数え切れないくらいに見てきました。

 

つくづく「勿体ない」の一言なんですよね。

 

木村さんの上司である平井さんは

こういった彼の特性を何となく掴んでいました。

だから、

「木村が真本音度合いを高めれば

必ず凄いことになる」という確信を持ち、

私に木村さんのコーチングを依頼されました。

 

そして、彼の天然の力が発揮され始めたのを見て、

すかさず、木村さんに「環境」を与えたのです。

それが、新規事業プロジェクトのリーダーという

立場です。

 

平井さんのマネジメントは「見事!」と

言うほかありません。

 

さて、話をもとに戻しますが、

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を

平井さんから指示された時の木村さんは、

なぜ自分が?と疑問に思い、それを断ろうとしました。

 

そのタイミングで私のコーチングがありました。

 

私は木村さんに、なぜ平井さんが

木村さんをリーダーにしようとしたか?の理由を

詳細に説明しました。

 

調和力と創造力のお話も当然しました。

 

木村さんは、非常に恐縮されました。

「私のことを買いかぶり過ぎだと思うんです。

平井も、たけうちさんも」

と彼は言いました。

 

真本音度合いを高めることで

妙に謙虚になる人は、結構います。

恐らく、

これまでの自分の「芯のなさ」を知ってしまった故だと

思います。

 

ですから、謙虚になること自体は悪いことでは

ありません。

しかしだからと言って、

行動まで謙虚になる必要はありません。

 

本質的な謙虚になった人ほど、

大胆な行動をとっていただくことが

成果に結びつきます。

 

その環境を与えられる、という「現実」を

私は待っていました。

 

謙虚になった木村さんが、

目の前の「現実」に対して大胆に向かっていく。

 

これが、私のコーチングサポートの

次のステップでした。

 

つづく

 

前向き、と言うけれど、本当は後ろ向きの反動でしょ?

私達の心の中には、「作用・反作用の法則」が

成り立っています。

 

例えば、

自信満々な自分が心の中に存在している場合、

そのもう一歩奥には、自信のない自分が

必ずいます。

 

自分の自信のなさや不安を搔き消すために、

あえて自信のある自分を創り出している、

という人が非常に多くいます。

 

一般的に言われる「過信」状態ですが、

過信しやすいのは、自信のなさの現れとも

言えるのです。

 

これが反応本音の特徴です。

 

反応本音とは多くの場合、

相反する心がセットで存在し、

その相反する心同士が常に「引っ張り合っている」

という状態になっています。

 

例えば、

前向きな心の裏側には、ほぼ必ず

後ろ向きな心が隠れています。

人の意見に迎合しようとする心の裏側には、ほぼ必ず

その人に対する不満感が隠れています。

 

それらの相反する心は引っ張り合っているので、

疲れます。

 

引っ張り合いとは、綱引きです。

 

運動会で行われる綱引きを

もし一日中行なっているとしたら、

相当な体力を消耗します。

しかし、

心の中では常にそれをしている人が

多いのです。

 

ですから私は、

ただやみくもに「前向きに生きよう」

と言われる人を注意深く観察します。

そういった人ほど、

後ろ向きな心にフタをして見ないようにし、

しかし本人の知らないところで

前向きな心と後ろ向きな心が綱引きをしている

可能性が高いからです。

 

このような綱引きのことを一般的には

「葛藤」

と言います。

 

葛藤の多さによって

心の疲労度合いが決まります。

 

葛藤の多い人は

常に心が疲れ、

その疲れている状態がその人にとっての

「普通の状態」

となります。

 

疲れているのが「当たり前」の状態と

なってしまうのです。

 

私達が、反応本音のみで生きていると、

以上のような、葛藤と疲労を非常に起こしやすくなります。

 

木村さんの場合、

常に彼は、「自分の方が凄いんだ」ということを

皆にアピールするパターンを無意識に行なっていました。

そのため、自分以上の素晴らしい意見を持った人に対して、

自分の経験を傘に着て、それらを潰しにかかっていました。

 

その一方で、

そんなことをして自分はなんて愚かな人間なんだ

という罪悪感も常にその裏側で発生させていたのです。

 

人の意見を自分が潰せば潰すほど、

自分を責める自分が増殖する。

 

そういったことを続けるうちに、

彼の心はどんどん疲弊していきました。

 

人は、心が疲弊すると「深刻」になります。

ドヨ〜ンとした重い空気感を発するようになります。

それがまた、周りの人達に

「この人は居心地が悪い」

という印象を与えます。

 

その印象によって、彼に対して反発心を持つ人が

増えてしまう。

そんな悪循環が起きていました。

 

しかし木村さんが人生理念を見つけ、

真本音に素直に生きるようになり、

それらのパターンは瞬く間に減少しました。

 

もちろん木村さんには上記以外にも

反応本音のパターンがいくつかありましたから、

完全に真本音で生きる、という状態には程遠かったのですが、

それでも、一つ、また一つ、とパターンを改善することで

木村さんは彼の放つ空気感を大きく変えたのです。

(→前回記事)

 

私はこれまで多くの企業で、

「あの人はもう変わらない」

という諦めの声を、非常にたくさん聴いてきました。

 

人間、諦めると、何もしなくなります。

みんなが諦めてしまった人でも

「もしその人が変わったら、組織は素晴らしく良くなるだろう」

と思える人がいたら、私はその人に真っ先に

向き合うようにしました。

 

その人が変わらないのには、

その人なりの理由があります。

その人なりの強い信念があるのです。

それを尊重しながらも、その人と向き合い続け、

その人の真本音度合いを高めることで、

「えっ? なんであの人、こんなに変わったの?」

とびっくりされることが数え切れないほどありました。

 

人が変わることに対して

人は敏感です。

 

「あの人は嫌い」と一度思ってしまった人は

一生嫌いなままだ、と思われがちですが、

私が企業現場で実感したことは、

それとはまったく逆の現実でした。

 

変な言い方ですが、

「出来の悪い人ほど、もしその人が本当に変われば、

皆は賞賛したり、感動する」

という結果の方を、私は多く見てきました。

 

以前のブログにも書きましたが、

「進化」とは、人の本能です。

「進化」そのものを、人は望んでいます。

表面上だけの進化ではなく、本当の進化を目の当たりにすれば、

人は自然に感動するものである、

というのは、私の実感です。

 

ですから、

木村さんが変わり始めた時も、

その影響は極めて大きかったのです。

 

何度も言いますが、

表面上の変化だけではダメです。

例えば、行動が変わった、というレベルではダメです。

しかし、

空気感とか、その人の在り方そのものからの変化を感じることで

人は、感動を覚えるのです。

 

木村さんと一緒に仕事をしていた人達の声を集めると、

木村さんが変わったところで最も大きかったのは、

「一緒にいると、楽しく発想できるようになったんです」

ということでした。

 

これを私は、

『調和力』

と呼んでいます。

 

 

つづく

 

深刻になっても何も生まない

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

この問いにすぐに答えられる人は

稀です。

 

時々、すぐに答える人と出会いますが、

その答えは、大概、浅いです。

 

そんなに簡単に答えられる問いではないですね。

 

でも、

この問いに真摯に向き合うことは

本当に重要なことだと、

私はこの仕事を通じて、深く実感しています。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

答えがわからなくとも、

その答えを真摯に見つけようとする。

 

そういった人には、独特の空気感が

現れます。

 

その空気感をシンプルに表現すると、

「明るい」

「軽い」

「あたたかい」

となります。

 

逆に言えば、

その問いと真摯に向き合ってない人の空気感は、

「暗い」

「重い」

「冷たい」

となります。

 

人は、自分の人生と真摯に向き合う時に

本来の魅力を発揮します。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

その答えを見つけようとしている人は、

「真剣」です。

そして真剣な人は、

明るく、軽く、あたたかく

なります。

 

それは行動ベースの話ではなく、

空気感の話です。

 

自分の人生と向き合わない人は、

「深刻」になります。

深刻な人はすぐに、

暗く、重く、冷たく

なります。

 

あなたは、

真剣な人でしょうか?

それとも

深刻な人でしょうか?

 

平井さんは、

深刻な人から、真剣な人へと

変化したのです。

それにより、

彼の醸し出す空気感が変わりました。

 

ただそれだけのことです。

(→前回記事)

 

では、「真剣」とはどういうことでしょうか?

 

これに対しては私は

明確な答えを持っています。

 

真剣とは、

「自分の真本音に素直に生きること」

です。

 

ということは、

「自分の真本音を無視して生きること」

により、人は深刻になっていきます。

 

真剣な人生は、

明るく、軽く、あたたかく

なっていきます。

 

深刻な人生は、

暗く、重く、冷たく

なっていきます。

 

自分が今この瞬間に創り上げている人生がそのまま

その人の空気感となって現れます。

 

ただそれだけのことです。

 

そして人は、

真剣に生きる自分を

喜びます。

 

深刻に生きる自分を

蔑みます。

 

自分を蔑み続けている人が

自分自身を本当の意味で信頼することは

不可能です。

 

そういった人は、

自分の中に「見たくない自分」が生まれると、

間違いなく、その自分にフタをします。

 

見たくない自分。

例えば、

怒りまくる自分、

人を憎む自分、

すぐに揺れる弱い自分、・・・。

 

そういった自分にフタをして、

見たい自分だけを見るようになります。

 

見たい自分。

例えば、

前向きな自分、

エネルギッシュで強い自分、

人を愛する自分、・・・。

 

見たい自分は居心地がいい。

見たくない自分は居心地が悪い。

だから、居心地の良い自分だけを承認します。

 

そして、

「私は何があっても前に向かうんだ」

と言います。

「私は、どんな時もプラス指向だ」

と言います。

そして明るい表情を作り、

元気を作り、

たくましさを作り、

進みます。

 

そして、

それができている自分に

自信を持ちます。

自分はすごいなぁと、

自信を持ちます。

 

しかしその自信とは裏腹に、

心の奥底ではどんどん不安が増します。

深刻さが増します。

 

自信のある自分だからこそ、

立っていられる。

でもこの自信がなくなってしまったら、

自分はどうなるのだろう?

・・・そんな深刻さが日々、増していきます。

 

何としてでも、

自信のある自分でなければならない。

この自信を失ってはならない。

そんな恐怖感が、心の奥底に

溜まり続けます。

 

その恐怖感を消すために、

さらに前向きな自分を作ります。

 

・・・そんな人が多過ぎる!

 

そんな人が世の中を牽引している。

 

その現実が、私はとても悲しいです。

 

自分の良き部分のみに光を当て、

自分の見たくない部分にはフタをする。

それを前向きとは、言えません。

 

本当の前向きとは、

自分のすべてを受け止めること。

自分のすべてを見つめること。

その上で、それでも前に向かおうとすること。

それが真の前向きだと私は思います。

 

そしてそういった人は例外なく、みんな

明るく、

軽く、

あたたかく、

なります。

 

もっともっと自分の心と

向き合えばいいのに。

 

もっともっと、あるがままの自分を

見つめればいいのに。

 

そうすれば、

もっと楽に進めるのに。

 

そうすれば、

もっと望む現実を創り出せるのに。

 

・・・私はそう思うのです。

 

人は本来、

真剣です。

 

真剣に生きることが

楽しいのです。

 

真剣に生きる楽しさを

思い出すだけのことだと

私は思うのです。

 

それが私のサポートのすべてです。

 

真剣になることの楽しさを

思い出せば、

人は皆、(・・・そうです、全員です)

びっくりするような行動を起こし、

現実を創り上げていきます。

 

そんな時私はいつも

人ってやっぱり凄いんだなぁ、

と感嘆します。

 

つづく