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人には、
自力で
突破できること
と、
自力では
突破できないこと
がある。
その判断が
とても重要だが、
ここが難しい。
この判断が
つくようになる
だけで、
チームや組織は
圧倒的に
成長できる。
調和できる。
逆に言えば、
自力突破
すべきところで
他者の助けを
借りてしまう、
もしくは、
他者の助けを
借りながら
協力すべきところで
自力突破しようと
してしまう、
それにより
一体どれだけの
混乱が
起きていることか。
よく私は
「自律」
という言葉を
使うが、
自律できている
人は、
この判断が
実に的確だ。
特に、
リーダー的立ち位置
の人達には
必須の力だと
思うのだが。
私達人間は
皆、
協力し合うように
できている。
協力し合わなければ
道が開かないように
なっている。
しかし
協力ポイントを
間違えたまま
放置している
組織やチームは
多い。
一部の人間が
引っ張れば、
社会に貢献できる
時代は
とうに終わっている。
これからは
全員が
自走しなければ、
本質的な
社会貢献は
チームとしては
成り立たない。
チーム(組織)
としての
活躍度合いは、
自律度合いと
直結する。
やはり・・・、
チーム(組織)を
丸ごと
サポートできる
コーチ的存在は
必要だ。
最近また
ヒシヒシと
感じる。
本格的な
コーチ養成を
再び始めようか・・・。
つづく
人が大きく脱皮を
しようとする時、
二つのパターンが
ある。
一つは、
本人がサポートを
求めるパターン。
もう一つは、
本人が自力で
脱皮しようとする
パターン。
今の時代、
圧倒的に
前者が多い。
ある意味、
そのために私は
コーチというお仕事を
させていただいている
とも言える。
ところが、
たま〜に
後者のパターンが
ある。
それを感じ取った
場合、
私はご本人には
そういったことは
一切お伝えせずに、
しばらく
コーチングを中断し、
ご本人を
放っておく。
たとえその時期に
ご本人から
サポートのご依頼が
入ったとしても、
適当に
受け流す。笑
1ヶ月くらいで
それが済む場合も
あるし、
何ヶ月かかかる
こともある。
今日は、実は
そんなクライアントさんが
お二人もいた。
お二人ともに
1ヶ月半くらいぶりに
お会いしたが、
お二人とも
見事に
脱皮されていた。
しかも
かなりかなり
大きく大変な
脱皮だ。
しかし
お二人とも
まったく自覚が
ないので、
私は何もお伝えせず
黙っておいた。
そのうち
必要があれば、
いつか
今のことを振り返りながら
お伝えすることも
あるかもしれない。
いずれにしても、
私からしてみれば、
大いなる感動
である。
秘かに心の中で
嬉し泣きした。
あ〜Aさんが
Aさんになった!
という
悦びだ。
コーチとしての
最大の悦びの
一つだろうな。
こういう時は、
Aさんとの関わり方を
大きく変化させる
ことが
できるケースもあり、
恐らく今回は
そのパターンだろう。
きっと私は
このお二人と共に
これから
何かを生み出すの
だろうな。
クライアントとコーチ
という関係性
そのものが
ここから
脱皮していくの
だろうな。
つづく
私はコーチとして、
最低限のサポート
しかしない、
と
決めている。
しかもその
最低限のサポート
とは、
私自身が決める
のではなく、
その人の真本音が
決めることだ。
・・・・・・
その人は、
今、
片膝をついている。
目を瞑り、
両手を合わせ、
祈りの姿勢のまま
動かない。
じっとしたまま
もう
何日も
動かない。
私はその人の
強い意志を
知っている。
人生を
超加速させようと
決意していることも、
その覚悟を
すでに持ち合わせている
ことも
知っている。
だからこそ
私は
慎重にその人に
問うている。
今は
私のサポートが
必要ですか?
と。
その人は
無言のまま、
しかし
とても明瞭な意志を
言葉ではなく
ダイレクトに
伝えてきた。
「何もしないで
ください」
と。
「今は自力で
すべてをやります」
と。
では私は
何もしませんね。
と
その人に告げ、
私はその人から
離れた。
・・・・・・
人生とは
自力で進むものだ。
しかし、
自力で進むために
どうしても
サポートが必要になる
ときがある。
「自力で進む
ためのサポート」
私は
これしかしないと
決めている。
これしかしない
のが、
コーチであると
思っている。
その人との
約束であると
思っている。
つづく
コーチというお仕事を
する上で、
最も大切なことは
何ですか?
というご質問を
いただくことがある。
もちろん
様々な視点から
様々な答えがある
のだが、
そんな時に
私がよくお答えするのは、
「サポートしては
ならない時に、
決してサポートしないこと」
ということだ。
私はこれを
本当に大切にしている。
人は、
自力で進まねば
ならない時が
ある。
人からの
サポートを
受けてはならない
時がある。
その見極めは
残念ながら
本人がすることは
とても難しい。
コーチである私が
せねばならないことだと
思っている。
だから私は
コーチングのご依頼を
お断りすることが
時々ある。
特に多いのが、
以前のクライアントさん
から、
「もう一度、コーチングを
お願いします」
と言われる時だ。
もちろん、
サポートさせていただくことが
最善のこともある。
しかし、
私のコーチングをご卒業
された方は、
基本的にはもう
私のコーチングは
必要ない。
どれだけ
苦しくても、
どれだけ
混乱しても、
ちゃんと自らの力で
道を開く力を
すでにお持ちだからだ。
真本音で生きる
ということの本質を
もう
会得しているからだ。
もし今、
かつてないような
混乱に見舞われていたと
しても、
それは、
自らの真本音が
自らに
与えているもの。
次のステージ進むために
自らに
課しているもの。
そこは
自力で行かねば
ならない。
自力で行かねば
先はない。
同じ場所を
堂々巡りするだけだ。
それをわかっていて
サポートをしてしまう
というような
ひどいことを
私はどうしても
することができない。
コーチとして
というよりも、
人として
することができない。
・・・・・・
手を差し伸べては
ならない時に
手を差し伸べて
しまったら、
私はその時点で
コーチを
辞めるだろうな。
つづく
人は誰しも
心の中に
「断崖絶壁」
を持っている。
それを
下から
見上げている。
それは目の前に
垂直に
そそり立っている。
その向こうには
透き通るような
青空。
あぁここを
登りたいなぁ。
でもこんな絶壁、
どうやって
登ればいいんだろう?
もしこの壁に
取り付けば、
怖いだろうなぁ。
必死に途中まで
よじ登っても、
きっとどこかで
体力の限界がきて、
落ちちゃうんだろうなぁ。
この絶壁の
向こうには行きたいけど、
行くのは
怖いなぁ。
・・・やはり
多くの人が
そう思うだろう。
そして残念ながら、
その絶壁に
取り付くことすら
せずに、
あきらめて
道を戻ってしまう
人もいる。
それはその人の
自由ではあるが、
しかしその人は
その「絶壁」を
見てしまった。
一度それを
見てしまうと、
脳裏に完全に
焼き付いてしまう。
そして
その向こうにある
新たな世界への
憧憬と、
その壁から逃げてしまった
自分自身への
罪悪感が
一生つきまとうことに
なる。
実はこれは
かなり
きつい。
一度見てしまったものを
見なかったことに
するのは
無理なのだ。
だから私は
いつもお勧めする。
その壁、
ぜひよじ登って
ください、
と。
それも、
真正面から
小細工なしに、
登ってください
と。
・・・・・・
実は、
心の中では
登れない「絶壁」は
ない。
そもそも
登れない「絶壁」は
目の前に
現れない。
登る準備が
整ったからこそ、
現れるのがその
「断崖絶壁」
だ。
つまり、
真正面から真剣に
取り組めば、
100%登ることは
できるのだ。
しかしそこには
怖さが
つきまとう。
強烈な不安が
襲ってくる。
でもそれは
当たり前のことだ、
断崖絶壁
なんだから。
「コーチ」の仕事とは、
この
「断崖絶壁」の前まで
その人を
連れてくることだ、
と私は強く
思う。
ただしその「絶壁」を
登るのは
その人自身であり、
その人の
自力である。
そこは決して
コーチは、
サポートしては
ならない。
そこをサポートしては、
その時点でもう
その人は
「断崖絶壁」から
逃げたことになる。
しかし、
ここをサポートしたり、
ヘルプしてしまう
コーチが
後を絶たないのは
どういうことか。
それはともかくとして、
「断崖絶壁」の前まで
来たその人を、
私は時には
冷たく突き放す。
これは
子どもの育成にも
通じるものだ。
・・・・・・
「断崖絶壁」を
登り切ることを
私は
「脱皮」
と呼んでいる。
その壁を
登ることで、
私達は様々なものを
脱ぎ捨てるのだ。
手放す
のだ。
そして
壁の上に
たどり着けば、
実に
スッキリ爽やかな
自分になっている。
しかも
壁の上には
実に爽やかな
世界が広がっている。
自力で
登るからこその
その悦び。
これを味わうために
人生とは
あるのではないか、
とすら
私は思うのだ。
この悦びを
サポートさせて
いただくのが
「コーチ」という
役割だ。
そしてそのためには
「コーチ」自身が
いくつもの
絶壁を
自ら乗り越え続けている
必要がある。
・・・・・・
自らの
超えるべき
断崖絶壁を
乗り越える
サポートを
する。
これが、
個人においても
組織においても
「コーチング」の
本質であると
私は考える。
そして、
あぁこの人(組織)はもう、
サポートなどなくても、
自力で次々に
「断崖絶壁」を
乗り越えて行けるだろうな。
と思えた時点で
私はその人(組織)から
離れて行く。
離れなければ
ならない。
この
引き際も
実に大事で
ある。
いや、
ちょっと極端に言えば、
引き際を
外さない人こそが、
本来の「コーチ」だと
私は
思うのだ。
つづく
「脱皮」とは、
大きく「進化」すること。
そして「進化」とは、
より「自由」になることです。
ですから「脱皮」をすればするほど、
私達は、何かから開放されます。
人としての根本的な幸せを
感じるようになります。
しかし「脱皮」そのものについては
不安定さと恐怖心が
伴います。
これをたった一人で
乗り越えることのできる人は
なかなかいません。
通常は、
「今、自分は脱皮しようとしている」という
自覚はありません。
「脱皮」そのものの概念すら
ないでしょう。
何もわからない状態です。
ですから、
突如として襲ってくる不安定さと恐怖心を
何とか消そうとするのが
ほとんどの人です。
そしてそのための手立てを打ちます。
それにより実際に
不安定さと恐怖心を減退させることも
あるでしょう。
しかし、それをしてしまうと
「脱皮」は完了できません。
「脱皮」のチャンスを逸し、
「脱皮」をしないままに人生を進む
ということになります。
それはそれで一つの人生
かもしれません。
しかし、
脱皮のチャンスを逸し、脱皮せずに進む
というのは、
脱皮のチャンス以前の自分に比べて
苦しさが増します。
なぜならその人は
「なぜ、脱皮をきちんとしないんだ!」
と自分で自分を責め続けるように
なるからです。
もちろんそれは無意識に行われることですから
本人は認識していません。
しかし明らかに
以前よりもその人は人生における苦しみが増し、
その苦しみに耐えながら生きる
ということになります。
脱皮のチャンスを逸してしまったことによる
苦しみ。
これは私達が想像する以上に大きな
ものです。
できれば私はすべての人が、
この苦しみを味わわずに人生を
進ませる、
つまりは、きちんと脱皮を続ける人生を生きる、
・・・そんな状態になればいいなと
思っています。
極端に言えば、
それができるだけで、
世界はもっと平和になるのではないかと
私は思います。
脱皮には
的確なサポートが必要です。
本当は、サポートなしでも行ければ
よいのですが、
現在の世の中においては、
どうしても、サポートが必要です。
それが、コーチの存在意義の一つである
と私は思っています。
多くの人が健全に脱皮を続け、
世の中の次元がもう少し高まれば、
自力で脱皮できる人の割合も
もっと高まるのではないかと思います。
そうなるためにも、
今はコーチが、的確なサポート役が
必要なのだと思います。
木村さんと弓江さんは今、
二人コーチングのその場で、
自らの脱皮を完了させようとしています。
まずは、弓江さんが
今まさに脱皮しようとしています。
実在レベルの表現を使えば、
弓江さんは、これまでの古い皮をほぼ
脱ぎ捨て、
その皮は今、
左足に絡まっている状態です。
そしてその皮に意識を向けると、
それは、
「私の“正義”ですね」
と、弓江さんは自覚しました。
(→前回記事)
通常のコーチングでは、
「では弓江さん、その“正義”とは
具体的にどういったものですか?」
というような質問をするかもしれません。
しかし、脱皮時においては、
あえてそれ以上のことは訊きません。
“正義”という言葉に反映される
あらゆるもの、
というくらいのザクッとした認識で
充分なのです。
理屈では脱皮できません。
顕在意識はあまり
働かさない方が良いのです。
「弓江さん、
その左足に絡まっている“正義”を、
完全に取り去ることはできますか?」
弓江さんはしばらくの間、
左足に意識を向けていましたが、
「う〜ん、難しいですね。
どうしても取り払えません」
と、苦しそうに言いました。
「どうすれば、
取り払えそうですかね?」
すると彼女は、
面白いことを言いました。
「木村リーダーに
取ってもらおうかな。」
「えっ? 私ですか?」
と、木村さんは少しびっくりした表情。
「わかりました。
それはなかなか良いアイデアですね。
では木村さんに取ってもらいましょう。」
つづく
新規事業プロジェクトチームの
縮小が正式決定しました。
(→前回記事)
そして間もなく・・・。
私は木村さんに呼ばれました。
「一つお願いしたいことが
あるのです。」
「なんですか?」
「もう一歩深く、
私達をサポートいただけませんか?」
「もう一歩深く、ですか?」
「はい。
ここまでは、私や弓江をサポートして
いただきましたが、
これからは、私のチームそのものを
サポートしていただきたいのです。」
「そう思われた理由を
教えていただけますか?」
「私はこのプロジェクトを必ず
目標達成させたいのです。
しかし残念ながら、メンバーは半分に
縮小することになりました。
しかし私は残されたメンバーが
ポテンシャルをしっかりと発揮できれば
必ず達成できると思っています。
そのためのサポートをお願いしたいのです。」
私は木村さんの中に、
わずかですが、淀みを感じました。
「今、木村さんがおっしゃったのは、
確かに木村さんの望んでいることだ思いますが、
それは私がいなくても、
自力でできるのではありませんか?
もしくは、これまでと同じように
木村さんのみへのサポートでも
可能ではありませんか?」
少し木村さんの目が揺れました。
「木村さん、
真本音でお答えください。
新規事業プロジェクトは、
木村さんの自力で目標達成は難しいですか?」
直観的に木村さんは答えました。
「弓江とも協力しながら行けば、
大丈夫だと思います。」
今度は、スッキリ伝わってきました。
「ですよね。
では、私に対するご要望が、
他にあるのでは?」
木村さんはじっと私の目を
見つめてきました。
こういう時の木村さんは、
間違いなく真本音度合いが
高まっています。
フッと、心地よい風が
吹いた気がしました。
「あっそうか。
たけうちさんにご要望があります。」
「何です?」
彼はニッコリと笑いました。
「新規事業プロジェクトは、
メンバーが半分になったことにより、
私は生産性が何倍にも上がると確信しています。
そして、少なくとも当初の目標の
1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。
でもそのためには、
全員がもっと加速的に成長する必要があります。
私も含めて。
たけうちさんの言われている脱皮は、
これから始まるんだと思います。
全員が、一人一人が、きちんと脱皮しなければ
このチームの脱皮は完成しません。
たけうちさん、至急、我々の脱皮を
サポートしてください。
一刻も早く、脱皮した我々として、
私は、1.5倍の数値を達成します。
それが、我社の未来にとってとても大事だと
思いますし、
私の人生にも、皆の人生にも大事な
転換点です。」
要約すると、そのような内容を
彼は呟くように私に伝えました。
その一言一言が、
私の胸に沁み渡りました。
「いいでしょう。
そういうことでしたら、やりましょう。
平井さんはご存知ですか?」
「はい、平井からはすでに
たけうちさんがもう一歩深く関わることについては
了解を取っています。」
「では、今からすぐに
二人で平井さんのところに行きましょう。」
私は木村さんと共に、
すぐに平井さんにお会いしました。
そしてその場で、
今、木村さんが宣言されたことを
そのまま木村さんの口から
平井さんに伝えてもらいました。
平井さんは真剣な表情で、
「わかった。任せるよ。」
と言われました。
「たけうちさん、お願いします。」
と平井さんは神妙な顔で言われましたが、
私は彼が今にも
笑い出しそうなのを必死でこらえているのが
よくわかり、
私も、つい笑い出しそうになりました。
つづく