自己

真っ白から

 

「自己」が

ストーンとある場所に

落ちていく。

 

落ちると言っても

決して悪い意味

ではない。

 

収まるべき場所に

収まるという

感じだ。

 

ストーンと

落ちたあとは、

トントントントン・・・と

軽やかに弾み、

 

そして

静かに落ち着く。

 

落ち着くところに

落ち着いた「自己」と

向き合ってみると、

 

なんとそれは

実に巨大だった。

 

真丸な球体の

「自己」。

 

まるで

地球のようだ。

 

ただ、まだ

色はない。

 

真っ白。

 

でも美しい。

 

「君はどうして

出来上がったんだ?」

 

訊いてみる。

 

すると、

その中に

吸い込まれた。

 

中に入ると

とても温かい。

 

しかしそれは

マグマのようだ。

 

温かいが

無尽蔵のエネルギーを

感じ、

ちょっと怖い気もする。

 

ちょっと怖いが、

まぁこれくらいじゃ

なけりゃな、

 

とも思う。

 

手に負えないくらいの

エネルギーがなきゃ、

成したいことも

成せないだろう。

 

手に負えないくらいの

自分でなきゃ、

人生、面白く

ないだろう。

 

人生を進めることで

この「自己」は

いったいどんな色に

染まっていくのだろう?

 

これだけ

エネルギーが高い

のだから、

きっとあちこち

ぶつかるのだろうな。

 

しょっちゅう転んで

痛がるけど、

きっと懲りずに

進み続けるのだろうな。

 

無尽蔵のエネルギー

だけど、

 

最初はちょっと

ずつ。

 

ちょっとずつ。

 

徐々に徐々に

開放をしていこう。

 

転びながら

方向を定め、

 

ぶつかりながら

誠実さを

学んでいこう。

 

とにかく何があっても

真剣さ、真摯さ

だけは

失わないように。

 

そんな人生が

いいな。

 

では、

さて、

 

生まれるとするか。

 

つづく

 

自我による発想など、たかが知れている

「自我」と「自己」の違いって、

わかります?

 

「自我」とは、

自分と他者、

自分と社会、

つまりは、自分と自分以外のすべてのもの

が分離しています。

すべてと分離した上での自分。

自分だけの自分、です。

 

「自己」とは、

他者との繋がり、

社会との繋がり、

あらゆるものとの繋がりの中における自分

です。

すべてとの繋がりを実感した上での自分。

全体の中の自分、です。

 

「自己実現」とは

ここからきている言葉です。

 

私達人間とは、

社会的生き物です。

 

繋がりを前提として

存在しています。

 

繋がりがなければ生きていけない

ということを前提として

生まれた存在です。

 

逆に言えば、

繋がりを通じて進化をしていこう

ということを前提として

生まれた存在です。

 

ところが、

繋がりを無視したり、

すべてから自分を分離させ、

自分だけが幸せになればいい

という想いのもとに行動を続けるケースが

あります。

 

ビジネスにおいても

それ以外においても。

 

概して、そういった人は

疲弊しています。

なぜなら、私達人間の本能や

存在意義に逆行した生き方だからです。

 

自分一人が幸せになるよりも、

自分も家族も幸せになる方が

私達からはパワーが生まれます。

 

大切な人を大切にしたいという気持ちは

私達の、繋がりを求める本能から

来るものです。

 

その本能を、

ビジネスの場でもそのまま発揮すればよい

と私は思っています。

 

その方が明らかに、

皆のエネルギーは高まります。

心の内側からパワーが自然発生するのです。

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチング。

(→前回記事)

 

お二人ともかなりの気合いが入って

いました。

しかしその気合いから私が感じ取ったのは

「周りとの分離感」でした。

 

つまり、自分だけの自分、

「自我」としての気合いだったのです。

 

これでは、いずれ必ず二人は疲弊します。

しかも、分離感の中では

不調和の発想しか生まれません。

 

これは実は

非常によくある現象です。

 

ひょっとすると、コーチによっては

この「気合いの入った状態」を

非常に良い状態である、

と認識し、コーチングを進めてしまうかも

知れません。

 

しかしそれでは、

一時的に良い結果は出せるかも知れませんが、

間違いなくそれは一過性のものとなります。

 

それは、不安定の始まりです。

 

不安定とは、

一時的に良くて、

その後に間違いなく「反動」が来る状態です。

そして一度、落ちて、

そこでまた「気合い」を入れて復活し、

結果を出すけれども

またその後、反動により落ちて、・・・

を繰り返します。

 

つまりそれこそが

反応本音レベルの人生、であり

反応本音レベルの仕事、です。

 

「それが人生だ」と

思っている人も多いようなのですが、

そこから私達は脱け出し

自由になることができるのです。

 

気合いの入った二人から

私が感じ取ったのは、分離感です。

私と二人も繋がっていませんし、

二人同士も繋がっていませんでした。

 

その状態で出て来る発想も行動も

たかが知れています。

 

彼らはもっと

素晴らしい現実を

生み出したいはずです。

 

ですから私は

彼らの「気合い」を

彼らから抜きました。

 

その「気合い」とは、

反応本音レベルの気合い。

 

それを抜けば、

真本音状態となります。

真本音状態となれば、

繋がりは自然発生します。

というよりも、

もともと私達は繋がっているのですから、

もともとある繋がりを、

あるがままに感じ取ることが

できるようになります。

 

その状態で物事を進めることこそが、

チームの、組織の、

本来の意味であると

私は思うのです。

 

つづく