「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

この唐突な私の問いに、二人は

えっ?という顔をされました。

(→前回記事)

 

弓江さんが口を開きました。

 

「多分、もうちょっと前に同じ問いを

私が受けていたら、

前芝は、人のことが好きです、

と答えていたと思います。」

 

「でも今は違うと?」

 

「はい。

前芝に対する印象が、私はかなり

変わった気がします。

極端な言い方になってしまいますが、

彼は、人が嫌いなのではないかと

今は思ってしまいます。」

 

「なぜ、彼は人が嫌いなのでしょう?」

 

「恐らく、自分のことが

嫌いなのではないかと・・・。」

 

「でも、彼自身はそのことに

気づいていないわけですね。

自分が自分を嫌っていることに

フタをしている・・・。」

 

「はい、そう思うと、

いろいろと合点のいくことがあります。」

 

「例えば?」

 

「いつも彼は明るい雰囲気なのですが、

ふとした瞬間に、暗さが漂うことが

あるのです。

ちょっとした表情に現れるんです。

険しさとか、深刻さとか。

これまで別段、それを私は気にして

いませんでしたが、

今は、そこに違和感を覚えます。」

 

「なるほど。」

 

「それから、ミーティング時や報告を受ける時に

彼の意見が、ちょっとおかしくなることが

あるのです。」

 

「おかしくなる?」

 

「はい。上手く説明できませんが、

本質とズレズレの意見が突然、

彼の口から出ることがあるのです。

そんな時は一瞬、

なんで今ここでそんなことを言うのだろう?とか

なんでそんなに話をズラすのだろう?とか

少し私はイライラすることもあります。」

 

「なぜズレるのでしょう?」

 

「これも想像ですが、

恐らく彼は、人から叱られるのが

とてもいやなのだと思います。

叱られないための無難な意見を言おうとして

的外れになるのだと思います。」

 

ここまでの弓江さんのその分析は

私もかなりしっくり来るものがありました。

 

人は、何かを避けるためにものを言ったり、

何かを誤魔化すための意見や、

その場しのぎの刹那的なやりとりをすると、

ほぼ必ず、「的外れ」になります。

 

意識が相手に向かわないからです。

上手くこの場をやり過ごそうとする

自分自身の意図にばかり

意識が向くからです。

 

そう考えると、どうやら前芝さんは

人からの評価を気にし過ぎる傾向に

あるのかもしれません。

 

そしてこの傾向は、

本来の自分を包み隠して、

自分を演じることをする人ほど

顕著に現れます。

 

かなりひどい言い方をすれば、

見せかけの自分で生きる人は、

見せかけのコミュニケーションを取ってしまう、

ということになります。

 

実は、前芝さんだけでなく、

一見、いつも明るい雰囲気や

素直さを出している人の中にこそ、

そういったタイプの人がいることを、

私は数多く見てきました。

 

そしてそのタイプの人は概して、

非常に濃いストレスを内面に抱えている

可能性があります。

 

私は、次の問いを

投げました。

 

「では、前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

木村さんも弓江さんも

しばらくじっと考えていましたが、

二人はほぼ同時に

同じことを言いました。

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

つづく