見通す

見通せ

 

何が

どうあっても、

 

何が

起ころうとも、

 

自分の道は

一直線に

眼前から未来に向かって

 

伸びている。

 

その道そのものには

何らの障害も

ない。

 

もし障害が

現れたとしたら、

 

それは単に、

 

道を外れてしまった

からだ。

 

もとに

戻ればいい。

 

一本道に

戻ればいい。

 

・・・・・・

 

一本道に

立てている実感が

あるなら、

 

その先の

ずっと遠いところを

見つめてみよう。

 

現時点で届く

最も遠い未来に

意識を向けてみよう。

 

案外、単純なことに

それだけの

ことで

 

今、すべき

最も重要なことが

見つかるかも

しれない。

 

・・・・・・

 

今この瞬間に

意識を集中する

ことは

基本であるが、

 

ここからは

最も遠くの未来

にも

 

意識を

向け続けよう。

 

それは

遥か遠くかも

しれないが、

 

今、と

 

着実につながって

いる。

 

その実感は

日々、

増していくはずだ。

 

そして

そうすることで

さらに

遠くを見通せるように

なるはずだ。

 

・・・・・・

 

未来を

予測することなど

必要ない。

 

未来は

予測できない。

 

それがここからの

時代だ。

 

しかし、

 

未来を

見通す力は

 

我々には

 

最初から

備わっているんだよ。

 

つづく

 

先を考えすぎるな

 

「未来を見通す力」

人にはあるかどうか?

 

問われたら、

私は

 

「ある」

 

と断言する。

 

それは、

未来を「予測する」

ことでも

「予言する」

ことでもない。

 

ある時ある瞬間に

未来と

「完全につながる」

ことができる

という意味だ。

 

それは

理屈ではなく

「感覚として」。

 

あくまで「感覚」なので

未来がありありと

わかる(=顕在化する)

わけではない。

 

未来の映像が

見えるわけではない。

(まぁ、見える時も

あるだろうが。)

 

ただ、

一瞬、

つながる

のだ。

 

するとどうなるか、

というと、

 

今、ここで

 

自分がやろうと

していることが、

 

未来につながることか

どうか、

 

未来に道を開くことか

どうか、

 

「確信」として

わかるのだ。

 

そうしたらもう、

それだけで

充分だ。

 

私達は

未来を知る必要は

ない。

 

いつも言うことだが、

この3次元の世界は

未来がわからない

ことに

大きな意義がある。

 

「わからない」から

こそ

できることがある。

 

「わからない」から

こそ

進化できる。

 

そんな世界である

ことを前提にして、

 

しかしそれでも

一瞬、

「見通す」ことで

 

私達は

「今ここ」

における

「真の自分」と

 

「真の自分の

為すべきこと」

知ることができる。

 

そして

そこで生まれる

気づきは

 

無限の価値がある

私は思っている。

 

未来を見通す力

をつけるには、

 

真本音で

生きることだ。

 

「今ここ」で、

 

真本音で生き続ける

ことだ。

 

それ以外には

ない。

 

つづく