真本音で束縛する

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右と左から
ガッシリと
身体を
固定されたような
窮屈さ。

本当は、
もう少し
右往左往
したいのだが、

この道を
この方角に
一寸のズレも
許さずに

今は
進まねば
ならない、と。

今ここで
少しでも
ズレてしまえば、

ここでの
僅かなズレの
蓄積が、

将来的には
致命傷と
なる。

だから
ここは
身体を
寸分違わず、

しっかりと
縛りつけ

水平に
垂直に
間違いなく
進む。

そんな無茶な、

いつも思う。

でもたまに
そうなる。

自分で自分を
そのように
縛るのだ。
真本音で。

真本音とは、
本来は
自由の象徴だ。

真本音で
生きれば
生きるほど、
私達は
開放される。

毎日を
自由に
生きる。

という状態に
感覚的に
入れる。

たとえ
環境的な
縛りがあっても。

つまり
どのような
環境においても

自由な自分
として
現実に向かい、
道を開く。

それが
真本音。

つまりは
実在の自分の
意思。

ところが
その実在の
意思が

どのような
環境においても
自分を
縛りつけることが
ある。

真本音で
進んでいるのに
窮屈だ。

そのような
ことは
特例だが、

たまに
ある。

道が
ないのだ。

そこしか。

選択肢が
本当に
ないのだ。

そこしか。

今のこの
世界は
そういった意味で

こんなにも
ひん曲がって
いるのかと
びっくりする。

そこまで
難しい世界
なのか、と。

そう、
なのだ。

私達の
この世界は
現象レベルで
見るならば、

落ちるところまで
落ちた。

だから
普通では
進めない。

しょうがない。

今は
自分を
縛ろう。
真本音で。

それにより
現実に

正確な

風穴を
空けよう。

真本音で。

まったく
我慢の
世の中だ。

つづく

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