美しい混乱

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混乱には、

 

美しい混乱と

そうでない混乱が

ある。

 

そうでない混乱

とは、

 

自分自身が

「混乱である」

と認めていない

混乱である。

 

もしくは、

その混乱から

目を逸らし続けている

混乱、

 

もしくは、

その混乱から

逃げよう逃げようと

し続けている

混乱である。

 

つまり、

混乱そのものは

変わらないのだが、

 

その混乱を

美しくするも

そうでなくするも

 

その本人

である。

 

混乱を混乱と

受け止め、

 

これは自分の

人生である、

 

と引き受ければ、

その時点で、

 

「自分」は

その「混乱」の

「中心」

に立てる。

 

中心に立てば、

すべてを混乱を

静かに

見つめることが

できる。

 

すると、

混乱にも

一つ一つの「粒」が

あり、

 

それはまるで

原子や分子のようで

 

それらの一つ一つが

「混乱」という

一つの現象を

形創っており、

 

それはそれで

一つの美しさを

放つものである

ということが

感覚的に

わかる。

 

そうしたら、

自分はその混乱に

どう関われば良いか?

 

が観えてくる。

 

全体像は

観えなくても、

 

まずはどの原子(分子)

から

どう関われば良いか?

瞬時にわかる。

 

そしてそこから

一つずつ

「混乱」に「影響」を

与えていく。

 

その連続によって

ある時に

出口が観える。

 

ひょっとすると

そこまでは

何ヶ月も

何年もかかるかも

しれない。

 

でも、

出口が観えるはずだ、

どこかで

わかっている。

 

それはずっと

「中心」に立てている

からであり、

 

無意識的にも

ずっとその「美しさ」を

感じ続けていられる

からである。

 

出口が見つかれば

一気に向かう。

 

するとそこに

次の次元への

扉がある。

 

これまでとは

次元の異なる

創造がある。

 

その人にしか

生み出せないものが

 

この世の中に

一つ

 

生まれるのである。

 

つづく

 

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