操られる

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まるで
操られるように

自分を
操る。

主がどこに
あるのか、
わからなくなる。

それでも
構わない。

自分を超えた
場所で
生きたいのだ。

自分という
範疇に
いたくないのだ。

自由で
いたいのだ。

自己イメージ
という
解釈を
創り上げ、

その中で
生きる。

その窮屈さ。

もういいだろう。

そこから
出ても。

もう充分
だろう。

自分、に
こだわるのも。

自分という
枠を
超えようとすると、

人間では
なくなってしまう
不安感がくる。

が、
本当は
それこそが本来の
人間の姿では
ないか。

本来の自分
ではないか。

この世の中は
もちろん
限界だらけだが、

だから自分を
閉じ込めなければ
ならない、
とは
ならないはずだ。

むしろ、
限界の中だから
こそ、
自己開放が
起こるのではないか。

限界の中で
自由になる。

その時、私達は
真に限界を
超越する。

限界を超越した
私達は
限界の中でも
自由に生きることが
できる。

自由と限界
とは
相反するものでは
ない。

むしろそれは
共存、
というよりも
融け合う
もの。

融け合い
一つに
戻るもの。

だから私は
自分を操る。

操る自分に
操られる。

つづく

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