感覚を取り戻そう

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今のこの一瞬

の中に、

永遠が存在する。

 

・・・言葉で書くと

どうしてもこうなって

しまうのだが、

 

この言葉を

感覚として

捉えてほしい。

 

私達には

この「感覚」が

あるはずだ。

 

この「感覚」を

思い出している時、

私達は

あらゆる判断が

観える。

 

すべてを知っている

自分を思い出す。

これも

「感覚」として。

 

すると、

次の自分の一歩

について、

あらゆる迷いや惑いが

なくなる。

 

その一歩は

ただの「一歩」

となる。

 

純粋な

「一歩」となる。

 

「一歩」以上のものではなく、

「一歩」以下のものでも

なくなる。

 

その「一歩」は

「一歩」ではあるのだが、

 

「全体」でもある。

 

「すべて」でもある。

 

だからこそ

完全に調和をする。

 

理屈で捉えると

訳がわからなくなるかも

しれないが、

 

これを「感覚」として

わかっている私達が

確かにここにいる。

 

それが

真実だ。

 

・・・・・・

 

今のこの一瞬が

永遠に続けば

いいのに。

 

と願ったことは

ないだろうか?

 

私はしょっちゅう

ある。

 

それ自体が

幸せなことだが、

 

しかしそれがもう

願いではなく

真実であることを

一方で、私達は

よくわかっている。

 

何度も言うが、

これは理屈では

ない。

 

この「感覚」を

日常の中で

いかに思い出し続けるか?

 

・・・だ。

 

これを私は恐らく、

もうすぐ52年になろうとする

この人生で、

探究し続けた。

 

言葉で表現すれば

実に難しいが、

 

これを「感覚」として

捉えることができるように

なれば、

 

実に

簡単なことだ。

 

簡単過ぎて

難しいのだ。

 

今、ようやくにして

よくわかるのは、

 

これは、

探究するものでは

なかった。

 

これは、

あまりに当たり前の

こと。

 

ただ、

思い出すだけの

ことだったのだ。

 

だから私は

その「思い出し方」を

 

私のすべてのサポートの

根幹に

置いているんだ。

 

つづく

 

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