チームパフォーマンスコーチ

問う、問う、問う

 

自分自身の

エネルギーを

どう有効活用するか?

 

と言うことは、

 

時間を

どう有効活用するか?

 

ほぼイコール

だ。

 

つまり、

 

「タイミング」

 

だ。

 

人生も仕事も

タイミングで決まる、

 

と言っていい。

 

極端ではない。

 

真本音度合いが

高まる、

 

というのも、

それにより

人生のあらゆる場面

における

タイミングが合う

ようになってくる。

 

という効果が

まずはとても大きい。

 

つまりもっと

具体的に言えば、

 

『今、何をするか?』

 

を明確にすること。

 

そして

 

『今、何をしないか?』

 

を明確にすること。

 

これは

セルフコーチングの

基本中の基本でもある。

 

単純に言えば、

上記二つの問いを

常に

丁寧に

自分自身に

問い続けることだ。

 

私はこれを

一日中ずっと

やり続けている。

 

だから

ひょっとすると

一日で何十回、何百回

問うているかも

しれない。

 

問いというのは

面白いもので、

 

いつもいつも

問うていると、

 

「問う前に

答えが浮かび上がる」

 

ようになる。

 

それが要するに

「直観」

というやつだが、

 

直観とは

本来は

問い

が誘発させるものだ。

 

大事なのは、

頭で考えるのでは

ない、

ということだ。

 

自分自身が

まるで他人のように

 

自分自身に

問うていくのだ。

 

問うて、

 

答えが浮かび上がる

のを

 

待つ、

 

のだ。

 

これを丁寧に

やるだけで、

 

スッキリと

「今」

を大事にできるし、

 

今、やることに

集中できる。

 

それにより、

自分のエネルギーが

有効活用できる。

 

だから

エネルギーに

ゆとりが生まれる。

 

そして

いつも元気な状態と

なる。

 

すべては、

地道な

問いから、だ。

 

何でも

地道さが大事

なんだよな、結局。

 

つづく

 

何もしない瞬間を

 

今は、

「変化」

という言葉がピッタリ

くるような

世の中の潮流だ。

 

現象的にも

そうだが、

実在的にも

そう。

 

自分自身を

大きく変えたり、

 

自分のやってきた

ことを

大きく変えたり、

 

もしくは、

「超」がつくくらいの

加速をしたり。

 

様々な挑戦を

しやすい潮流だ。

 

こんな時こそ

大切にしたいのが、

 

「何もしない時間」

 

だ。

 

何もせず、

じっと自分自身と

純粋に

向き合う時間だ。

 

数分でいいので、

一日の内に

何度もそんな時間を

取り入れるといい。

 

一つの仕事が

終わるたびに

そんな時間を

とるといい。

 

自分の心を

見つめ、

 

自分の原点を

見つめる。

 

自分は

本当は、

 

本来は、

 

何のために

何にがんばろうと

しているのか?

 

自分の

「本来」を

 

思い出す時間。

 

それを

頻繁に取り入れ

ながら、

 

ちゃんと

「自分」

を持ちながら、

 

変化

加速

 

をしていこう。

 

つづく

 

すぐに!

 

人間、

諦めが肝心だ。

 

もちろん

良い意味で

言っている。

 

諦めることで

新たな何かが

起こる。

 

諦めることで

新たな何かが

手に入る。

 

諦めることで

自分自身が

脱皮する。

 

しかし、

本来は諦めると

良いのに、

そこに執着してしまう

ことで、

先に進めない人は

残念ながら多い。

 

だから一つ

しっかりと

仮定してみよう。

 

「私は今、

脱皮をしようと

している」

 

と。

 

その仮定の

上で、

自分自身に

問うてみよう。

 

「私は今、

何を諦めるべきか?」

 

と。

 

答えが浮かんだら、

 

それを

手放そう!

 

すぐに。

 

一刻も早く。

 

もう迷っている

時間はない。

 

つづく

 

変わる

 

これまでの

自分の生き方を

変えてみる、

 

というのは

かなり勇気の要る

ことだ。

 

でも

その衝動に

駆られている人は

今、多いのではないか。

 

もし

あなたがそうであれば、

 

私はぜひ、

いっそのこと根本的に

これまでとは別の

生き方(行き方)に

挑戦してみることを

お勧めする。

 

生き方を変える

と言っても、

それは

 

選択肢が増える

 

ということだ。

 

これまで

Aという生き方しか

できなかった人が

 

Bという生き方も

できるようになり、

 

つまりは、

AもBもできるように

なり、

自由度が増える

ということだ。

 

でも本当に

そうなるためには

一度は、

 

Aを捨ててしまわないと

いけない。

 

それくらいの

覚悟で

Bで生きなければ、

 

Bは自分のもの

にはならない。

 

だから

生き方を変える

には、

中途半端は

ダメだ。

 

とことん

やっちまえ!

 

と言いたい。

 

私は

人間の美しさの

一つは

「変化」

にあると思っている。

 

覚悟を持って

変化をし続ける人。

 

そういう人には

一種独特の

空気感が漂う。

 

そして、

変化をすれば

するほど、

 

その奥に

その人独自の

揺るがないものも

また

顔を出す。

 

揺るがないものが

あるからこそ

私達は

思いっきり

変化できるのだ。

 

覚悟を持ち

根本的に

変わろうとする。

 

だからこそ

揺るがぬものが

毅然と姿を

現す。

 

しかし多くの場合、

本人は

そこに気づいていない。

 

本人は

それよりも

変わり続けようと

する

その衝動に素直だ。

 

変わり続ける

ことの

揺るがなさ。

 

そんな時

その人は

最大の魅力と

美しさを

 

発現している。

 

つづく

 

全力の加速

 

さらに

加速をしてみよう。

 

たとえ

現時点で最高速を

出していたとしても。

 

さらに

加速をしてみよう。

 

それは

未知の領域だろう。

 

これまでの経験の

活かされない

領域。

 

そこに

突入してみないか。

 

自分の範疇で

成長できるのは

当たり前。

 

しかしそれだけでは

私達人間は

物足りないのだ。

 

だから

未知へ未知へ

と向かう。

 

これもまた

一つの本能。

 

その本能に

素直になって

みるのもよいよ。

 

未知の領域に

いる時の

自分は、

 

まるで自分では

ないみたいだ。

 

無我夢中なのだが、

どこか

静かにすべてを

俯瞰している。

 

その独特な

感覚は、

 

新しい自分を

発見する喜びも

伴いながら、

 

私達の全身に

行き渡る。

 

これもまた

人が手に入れられる

幸せの一つだ。

 

加速に

躊躇はいらない。

 

躊躇をすれば

逆に不安定になる。

 

手加減なしに

全力で

加速してしまおう。

 

つづく

 

時間だな

 

時折、私は

目を瞑り、

 

時間の流れ

 

のみに意識を向ける

ことがある。

 

それ以外の

ことは

何も考えない。

 

「時間」とのみ

ここにある、

という状態になる。

 

すると、

とても落ち着く。

 

命とは

時間だな、

 

とも思う。

 

私達は

「時間」に拘束されて

人生を始め、

 

それは

人生の終わりまで

続く。

 

拘束を

拘束と捉えていると

ちょっと辛い。

 

しかし別に

無理な捉え方に

変換する必要もない。

 

拘束されているなら

自ら進んで

拘束されようでは

ないか、と

ちょっと開き直ってみる。

 

どうせなら

俺は

君(時間)のことを

もっと理解してやろう、

開き直ってみる。

 

すると

何やら不思議な

感覚になる。

 

なんで

「時間」なんてものが

あるんだ?

 

という

問いが浮かぶ。

 

それを

「時間」そのものに

問うてみる。

 

何で君がいるの?

 

と。

 

面白い答えが

返ってきた。

 

そりゃ

君が望んだからだ。

 

・・・と。

 

この拘束は

君が望んだんじゃ

ないか。

 

・・・と。

 

お〜そうか。

 

・・・と

その答えを素直に

受け取ると、

 

何故だか

「今この瞬間」

愛おしくなってきた。

 

よし、じゃあ

仕事にかかるか。

 

・・・と

心がリセットできた。

 

「時間」とは

向き合ってみる

ものだな。

 

つづく

 

心の針治療

 

思えば、

私のサポート

というのは、

 

心に針治療をする

 

ような

ものかもしれない。

 

そう言えば

15、6年も前だが、

 

私は日々、多くの方々と

向き合い過ぎて

体を壊してしまったことが

ある。

 

当時は私自身が

まだまだ無数の

自分を阻害する反応本音

のパターンを持っており、

それだけでも苦しいのに、

 

そこの上に

たくさんの人達の

エンティティを受け取って

いた。

 

しかもその時はまだ

「エンティティ」というものを

私は知らなかったので

私自身が一体何に

苦しんでいるのかも

わかり切っていなかった。

 

そんな状態で

毎日、研修も多く、

何十人、何百人という

人達と向き合い続けたので、

 

ついに自律神経が

まいってしまった。

 

ものが食べられなく

なった。

 

どうだろう?

 

確か一日に

小さなお茶碗に

ごはんを3分の1くらい

しか食べられなくなった。

 

それ以上食べると

途端に下してしまうのだ。

 

かなりげっそり

痩せてしまったし、

お客様からも

すごく心配していただいた。

 

にも関わらず、

私は仕事を減らすことを

まったくしなかった。

 

でも何とかしなければ

ならない。

 

と思った私は

針治療に通うように

なった。

 

そのおかげで

体調は少しずつ改善

した。

 

針治療は本来は

痛くないものの

ようだが、

 

私の場合、時たま

ひどく痛みを覚えた。

 

今から思えば、

それは体の痛み

というよりも

心の痛みだった。

 

針治療は

体に針を刺すので

見た目、ちょっと怖い。

 

だから

あえて自分から進んで

それに取り組む人は

あまりいないのかも

しれない。

 

私のサポートも

同様で、

 

私のサポートは

心に針を打つようなもの

かもしれない。

 

だから

最初は結構な人が

怖がる。

 

もちろん

「怖い」と実際に

言う人はいないが、

 

怖がっているのが

よくわかる。

 

そんな場合、

私は最初から

針治療には入らない。

 

怖くないですよ。

というのを

わかっていただくのと、

 

その人が

針治療を受けられる

だけの覚悟を持てる

状態まで持っていく。

 

実はそこまで行くのに

時間がかかる。

 

逆に言えば、

そこまで行けば

あとはとても楽かも。

 

やはり、

真本音度合いの

低めの人達は、

私の「心の針治療」を

無性に怖がる。

 

最初から

真本音度合いの高めの

人達は

何故だか最初から

とても喜んで、

自らブスブスと自分の心に

針を突き刺す。笑

 

で、そういう人は

あっという間に

数々の成果を

上げていく。

 

一つ言えるのは、

みんな、

今の時代は

針治療が必要なのだと

いうことだ。

 

みんな、

本当の意味での健康

とは言えない。

 

どんな人も。

 

残念ながら

それが今の世の中だ。

 

もちろん

自分だけのせいでは

ない。

 

環境の原因も

大きいだろう。

 

しかし

今の世の中において

現実を変えていくのは

 

それができるのは

 

本人だけだ。

 

自分で自分を

本質的に鍛え、

ちゃんと自らの道を

創っていけるだけの

 

たくましい自分創り

 

もやはり、

本人が進んで

するしかないのだな、と

日々、思っている。

 

つづく

 

荒れてもいい

 

心が荒れていたら、

行動も荒れ、

 

心が静かであれば、

行動も静かになる。

 

・・・という人生から

脱け出よう。

 

自分の心の状態が

自分の行動を

・・・つまりは

自分の人生を

左右する。

 

・・・という人生から

脱け出よう。

 

そんなこと

できるの?

 

と思われるかも

しれないが、

 

そんなこと

できるんだ。

 

誰もが。

 

もちろん

心を無くす

ということではない。

 

むしろ逆だ。

 

心を本当に

大切にするんだ。

 

心が荒れると、

その「荒れ」を

止めようとしてしまう。

 

まずは

それをやめる。

 

荒れている心を

そのまま

大切にする。

 

そのためには、

荒れている心を

そのまま

観察するんだ。

 

もしくは

そのまま

「感じる」。

 

それをすると

一見、とても苦しい

ような気もするが、

 

「荒れ」から

逃げよう逃げよう

とか

「荒れ」を

無くそう無くそう

とするから

余計に苦しくなる。

 

むしろ逆に

自ら積極的に

その「荒れ」を

あるがままに

見つめよう、

感じよう、

するんだ。

 

すると、

ある時はその「荒れ」は

スーッと抜けて

いくし、

 

ある時は「荒れ」は

そのまま残るけど、

その「荒れ」から

少し距離を置いた状態に

なれる。

 

こういったことに

慣れていくと、

 

だんだんと

どんな「荒れ」が来ても、

 

すべての「荒れ」が

愛おしくなってくる。

 

まぁすべて

自分の心だからね。

 

自分の心の状態の

すべてを

常に慈しみを持った

眼差しで見つめ、

感じることが

できるようになる。

 

すると

だんだんと

どんな「荒れ」が

来ても、

へっちゃらになってくる。

 

「荒れ」は

そのままに。

 

あるがままに。

 

しかし

どんな「荒れ」が

あっても、

自らの次の行動は

落ち着いた状態で

しっかりと

真本音で決める

ことができるようになる。

 

すると

自分の行動に

関してはもう

「自由自在」だ。

 

そこからだ。

 

人生が本当に

面白くなるのは。

 

つづく

 

継続力だよ

 

物事が

花開くかどうかは、

 

「継続」

にかかっている。

 

ほとんどが

そうではないか。

 

極端に言えば、

ちゃんと継続さえ

すれば、

何らかの成果は

必ず出る。

 

しかも

もしその「継続」を

真本音で望んでいたら、

 

そこで育まれた

芽は

ある時ある瞬間に

一気に開花し、

 

次の次元へと

進む。

 

つまりは

進化を始める。

 

でもやはり

その場合でも

「継続」は必要だ。

 

私は

真面目さとは、

継続すること

だと思っている。

 

物事を真面目に

継続させる人は

結局は強い。

 

・・・・・・

 

今日から一つ、

 

毎日

継続することを

新たに決めると

いい。

 

ちょっとした

努力が

必要なこと。

 

無意識でも

継続できること

ではなく、

 

あえて、

意図的に

ちょっと努力しなければ

ならないことが

お勧めだ。

 

それを、

一日置きとか

1週間に一度とか

ではなく、

 

毎日

必ず続けるのだ。

 

土日も

関係ない。

 

毎日

自分の中で

完了感が出るまで

続ける。

 

すると

それがちゃんと

できることで、

それは一つの

達成感と共に

自信にもつながる。

 

自分は

継続できる人間だ。

 

という自己イメージは

とても大事だ。

 

これがあるのと

ないのとでは、

人生において

手に入れられる

成果の量が

圧倒的に変わってくる。

 

継続力は

これからの時代

こそ、

必要となってくる。

 

継続力のある

自分を、

 

それこそ

継続的に育てる

べきだ。

 

つづく

 

両方大事にする

 

自分自身の流れ

世の中の流れ

無理に一致させる

必要はない。

 

むしろ

その違いこそが、

その人の個性を

育む。

 

違いをなくそう

とするのではなく、

 

その違いを

大切に育てながら

世の中と調和を

しようとする。

 

それが

生きることの

醍醐味だ。

 

個性を

なくす方向に

あるのは、

 

自分自身の中の

自分への

反乱だ。

 

心の中が

戦争状態になる。

 

たくさんの葛藤の

渦となる。

 

その混乱の中で

必死に生きる

ことになるのだが、

 

混乱の中で必死に

生きるその

パターンが

 

「自分の個性である」

 

と思い込む

ことになる。

 

しかしそれは

その人の本来の

個性ではない。

 

混乱の中で

生じた

生き方の癖に

過ぎないのだ。

 

自分の流れは

自分が

大事にする。

 

とはいえ

世の中の流れも

大事にしようと

する。

 

両方

大事にしようと

する。

 

「世の中」を

「組織」とか

「会社」と

言い換えても

同じだ。

 

会社の中で

自らの個性を

潰すのではなく、

 

自分の個性を

自分が大事にし

 

会社の個性も

大事にし

 

両方大事に

しようとする。

 

もちろん

すぐに調和は

起こらないかも

しれない。

 

それでも

両方、大事に

しようとする。

 

別々のもの、

 

違ったもの、

 

別々さと

違いを

大事にしながら、

 

両方を

活かそうとする

ことこそ、

 

私達人間が

できる

最大の強みの一つ

であり、

 

これが

新たな次元への

架け橋となる。

 

別々を

紡ぐことで

次元は

高まるのだ。

 

自分か、

自分以外の

どちらをとるか?

ではない。

 

両方を

大事に

紡ぐ。

 

自分も

世界も

両方大事にし

紡ぐ。

 

これが

人間の創造性の

源だ。

 

つづく

 

自分で決める

 

洞窟の中に

いる間は、

 

それがどれだけ

真っ暗闇でも

 

私達はそこに

いることが

当たり前になって

しまう。

 

暗闇に目が

慣れていれば、

そこでもいろいろな

ものが見え、

 

ちゃんと暮らせる。

 

もちろん

暗闇の中でも

幸せはある。

 

むしろ

暗闇の中でしか

見出せないような

幸せもあるだろう。

 

しかし、

 

突如として

出口が見え、

 

光が見え、

 

それがかなり

大きく近づいて

くると、

 

自分は

なんと暗い中に

いたのか。

 

自分は

どうしてあんな中で

満足して

いたのか。

 

という

気分になる。

 

もし実際に

出口から

外に出ることができ、

 

その開放感!

 

あたたかさ!

 

すべてが見える

喜び!

 

世界の広さ!

 

爽快さ!

 

全身で感じ取った

ならば、

 

なぜ私は

もっと早く出口に

向かわなかったのだろうか

自分自身を

呪うかもしれない。

 

洞窟の中。

 

洞窟の外。

 

どちらも

人生だ。

 

どちらにいるかも

その人の

選択だ。

 

もし

洞窟の外に

最初からいれば、

 

洞窟の中の世界など

知る由もないだろう。

 

洞窟にわざわざ

入ろうなどとは

一生思わないだろう。

 

いや、

洞窟の存在すら

知らないままかも

しれない。

 

洞窟の中の人生。

 

洞窟の外の人生。

 

どちらが

素晴らしいか?

 

などという視点は

私は必要ないし、

それは単なる

その人の解釈に過ぎない

と思う。

 

ただ一つ

思うのは、

 

人間である以上、

 

せっかくなので、

 

両方知る

と良いのではないか。

 

せっかく

人間なのだから。

 

両方知った人が、

私はあえて

洞窟の中で生きよう

決めるかもしれない。

 

実際に

そういう人も

確かにいる。

 

それはその人の

人生の道だ。

 

両方知った上で

自分で決める。

 

ちゃんと

自分で決める。

 

それが

人間ではないかな。

 

つづく

 

新たな自分

 

これまでの

あなたの

『中心核』

が消えて、

 

新たな「中心核」が

生まれたと

しよう。

 

これまでの「中心核」は

あなたの体の

どこにあり、

 

新たな「中心核」は

あなたの体の

どこに

生まれただろうか?

 

これまでの「中心核」は

どのような形を

しており、

 

新たな「中心核」は

どのような形だろうか?

 

これまでの「中心核」は

何を大切にしており、

 

新たな「中心核」は

何を大切にするの

だろうか?

 

これまでの「中心核」は

何を願い、

 

新たな「中心核」は

何を願うだろうか?

 

これまでの「中心核」

によるあなたは

何者で、

 

新たな「中心核」

によるあなたは

何者として

在るのだろうか?

 

最後に、

 

新たな「中心核」は

あなた自身に

何をメッセージ

しているだろうか?

 

中心核が

変わるということは

私達にとっては

かなり根本的な

変化なのだろう。

 

でも

怖がることも

焦ることもなく、

 

それすらも

楽しんで

進みたいものだ。

 

新たな自分を

楽しもう。

 

つづく

 

大事なメッセージ

 

この文章を

ご覧いただいている

皆さんへ、

 

今回はとても

重要なことを

一つ、お話しします。

 

 

「決意」

 

を一つ

決めてください。

 

それは

あなたがこれまで

一度も決意したことの

ないもの

 

であることが

重要です。

 

これまでの人生で

一度も

決めたことの

ないこと。

 

これまでのあなたの

視点の中には

なかったもの。

 

でも

それを決意することで

これからの

あなた人生の

「新たなステージ」

 

間違いなく

より良くなって

いくもの。

 

単純なことで

良いです。

 

壮大なことでも

いいし、

ほんの身近な

ことでもいいです。

 

とにかく、

それはあなたに

とって

新鮮なもので

あるところが重要です。

 

しっかり

考えて、

 

そして

完全に決めて

ください。

 

「決意」

ですからね。

 

ちなみに

私はもう

決めました。

 

教えませんが。笑

 

時間がかかっても

良いので、

 

しっかりと

あなただけの

「決意」を

明らかにしてください。

 

人に表明する

必要はなく、

 

あなたの中

だけで

決めれば良いですよ。

 

つづく

 

脱け出せそうだ

 

風穴が開いた。

 

という

気がする。

 

ずっと

開けたかった

穴だ。

 

言ってみれば、

 

52年かかった、

とも言える。

 

これまでも

何度も

「開いたかな?」

というのは

あった。

 

しかしその度に

いまいち

だった。

 

でも今度は

大丈夫かな?

 

思う。

 

これまでとは

感触が

違い過ぎる。

 

・・・・・・

 

実は、

風穴のその先の

世界は

観えている。

 

観えているのに

そこに行けない

という

もどかしさ。

 

それが

これまでずっと

続いた。

 

その感覚が

明らかに今、

消えようとしている。

 

ちょっと

寂しい気はするが。笑

 

・・・・・・

 

人が

育っている。

 

もちろんまだ

数は少ない。

 

でも

私が心から

信頼できる人達が、

 

ニョキニョキと

頭角を

現し始めた。

 

想いを

カタチに

し始めている。

 

実在と

現象が

一致してきた。

 

ついに。

 

・・・・・・

 

世の中の

混乱の

奥にあるものを

 

掴み始めている

人がいる。

 

奥を感じて

進むのか?

 

混乱に

呑まれるだけで

進むのか?

 

今後さらに

人生は大きく

変わってくるだろう。

 

つづく

 

現場で得たこと

 

私は

「現場」

を大事にしている。

 

もう四半世紀近く

「コーチ」の仕事を

しているが、

 

これだけは

ずっと大事に

し続けた。

 

どれだけ理論が

素晴らしくても、

どうしても

机上の空論

というのが

嫌だった。

 

だから

迷ったらいつも

「現場」で

人と向き合った。

 

昔の私は

反応本音がとても

ひどく、

エンティティも

ひどかったので、

 

心が非常に

不安定だった。

 

だからすぐに

自信をなくすし、

自分を見失うし、

 

仕事に出るのが

人と会うのが

とても怖くなった。

 

でも

そういう時こそ

私は勇気を奮って

人に会いに行った。

 

それだけは

昔の私を

褒めてやりたい。

 

内に籠ろうと

してしまう精神状態の

時こそ

 

私は必死に

外に向かった。

 

人と

向き合い続けた。

 

まだ「真本音」という

概念すら見つかって

いなかった頃だが、

 

その時から

私の人生理念は

「向き合う」

だった。

 

それをとにかく

実践し続けたので

今があるのだと

思う。

 

「向き合う」

というのは

人に力やエネルギーを

与えてくるのものだ。

 

恐らく、

生命力の源は

「向き合う」

という行為ではないか。

 

人と人は

「向き合う」生き物

だ。

 

「向き合う」ことを

前提に

創られているのでは

ないか、と

思えるほどだ。

 

組織でも

人間関係でも、

 

そこにいる人達と

向き合えているか

どうか?

 

すべては

そこに尽きる

よく「現場」で感じる。

 

だから私の

サポートの本質の一つは

 

いかに

そこにいる人達が

向き合える状態に

なるか?

 

である。

 

逆に言えば、

 

みんな、

 

向き合ってない。

 

形だけ向き合っている

という人が

多過ぎるのが

 

今の世の中の

大問題点だ。

 

今の世の中の

最重要課題は

 

「向き合う」

かもしれない。

 

私も人生において

様々な課題や

理念が

生まれた。

 

でも

最初の理念は

「向き合う」

出し、

最初の課題も

「向き合う」

だった。

 

そしてそれは

今もずっと

継続している。

 

一生のテーマ

だな。

 

つづく

 

自由・・・

 

まずは

 

『自由奔放』

 

を知ることだ。

 

自由奔放とは

どういうことか?

 

その本質を

知ることだ。

 

それがわかったら

自由奔放に

生きては

ならない。

 

次に行なうのは

 

『自由自在』

 

に生きることだ。

 

「自由自在」

とは、

「現実」をちゃんと

見つめ、

 

「現実」に合わせ、

 

「現実」の中で、

 

これだ!!

 

と、最も納得の行く

一歩を

踏み出し続ける

こと。

 

つまりは

自分自身を

自由にコントロール

する状態だ。

 

これができるには

「自由奔放」

を知らねば

ならない。

 

「自由奔放」

を知る者のみが

「自由自在」

に生きることが

できる。

 

その結果、

自分の本当に望む

方向に

 

現実を拓く

ことができる。

 

私達は

 

自由奔放に

生きるために

ここにいる

のではない。

 

私達は

 

自由自在に

生きるために

ここにいるんだ。

 

つづく

 

冒険かな

 

未開の地に

進んでいる

日々だな。

 

実感できる時が

ある。

 

実は今が

そうなのだが、

 

そんな時は

一日の内に起こる

様々な出来事が

なんだか

他人事のようだ。

 

つまりは

私の顕在意識が

常にボーッと

している状態で、

イマイチ

現実味がない。

 

常に私自身の

範疇を

超えてしまって

いるのだ。

 

通常はそういった

場合、

進むことに躊躇を

するのだろうし、

 

恐怖も感じるのが

人間なので、

どちらかと言えば

 

恐怖、という

感覚のおかげで

現実を実感できる

はずだが、

 

そういったものも

私は感じるのだけど

手放している状態に

してしまうので、

 

麻痺するのでは

なく

すべてを感じて

いるのだけど、

 

でもなんだが

自分の人生では

ないようだ。

 

まぁ、

赤ちゃんが

初めて目にするものに

夢中になって

いる感じかも。

 

容量オーバーで

すぐに眠ってしまう

あの感じかな。

 

要するに

起きているけど

容量オーバーで

眠っているのと同じ

状態なのだろうか。

 

ここのところの私は

そんな感じだ。

 

でも実は

こういう日々こそ

私は結構好きで、

 

私は私の

容量オーバーが

好きなようなのだ。

 

その時は

無我夢中なのだが、

気がつけば

自分の知らない

いろんな発想や

気づきが

手に入っている。

 

無我夢中で

進んで

しばらく経って

少し落ち着いて、

 

よくよく

見たら

 

手にたくさんの

宝物を掴んでいた、

という感じだ。

 

まぁこれを

「冒険」

と言うのかな。。

 

人間は

冒険が好きなんだな。

 

未知の領域。

 

未知の世界。

 

現象のレベル

だけではなく、

 

実在のレベル

でも、

そこに突入していく。

 

今はそれが

できる状態に

なれたということを

 

素直に喜ぼう。

 

つづく

 

発想の種

 

道を拓く力とは

何か?

 

問われたら、

 

様々な視点の

様々な答えが

あると思うが、

 

そのうちの重要な

一つとして、

私は

 

「自分自身の発想の

存在を知る力」

 

と答えるかな。

 

これ、

意味わかるかな?

 

私達の中に

生まれる

発想、って、

 

最初はほんの小さな

種みたいな

存在なんだよね。

 

まだ

「発想」にまで

なっていない。

 

言語化もできていないし、

イメージにも

なっていない。

 

最初は

ただの「感覚」でしか

ない。

 

「自分自身の発想の

存在を知る力」

とは、

 

その「感覚」を

掴む力ということだ。

 

つまりは、

 

あっ、

今、自分の中に

発想の種が生まれたぞ。

 

・・・と

感覚で掴む力だ。

 

これを研ぎ澄ますと

強い。

 

「感覚」の在処を

まずは心の中に

見出し、

 

その場所に

意識を向け、

 

イメージにも

言葉にもならない

その単なる「感覚」に

エネルギーを

与える。

 

そしてそれを

大事に大事に

育てるんだ。

 

するとその「感覚」は

だんだんと

実体を持ち始める。

 

最初はわずかな

存在感しかなかった

ものが、

だんだんと

そこにあるのが当たり前

くらいになってくる。

 

すると

そこに様々な刺激を

入れながら

それを育てる。

 

その刺激とは

「問いかけ」

だ。

 

「感覚」から始まる

その存在に

問いを投げていく。

 

するとその

「問い」を栄養に

しながら、

「感覚」は「実体」となり、

 

「実体」はしだいに、

一つのイメージや

アイデアと

なっていく。

 

そして

ある瞬間に必然的に

 

「気づき」

 

が来る。

 

あぁ、これをしよう!

 

こうすればいいんだ!

 

という

明確な発想となって

それは羽化する。

 

これが

道を拓いていく。

 

このように

「気づき」とは

必然的に育てられるものだ。

 

これをすることを

私は

セルフコーチングと

呼んでいる。

 

私達は

発想の宝庫だ。

 

しかし、

発想を自ら見つけ

育てることを

もっとした方がいい。

 

せっかく生まれようと

している発想だ。

 

生まれる直前から

生まれやすいように

手をかけるといい。

 

それが

セルフコーチングの

本質というものだ。

 

つづく

 

台風の渦のようだ

 

人は

本当の意味で

活性化すると、

 

まるで

台風の目のように

なる。

 

自分が中心となり

台風のような

強い風を

 

渦を

 

周りに

波及し始める。

 

周りの人達は

その渦の影響を

受ける。

 

そして

ちょっとした振る舞いや

判断を

その渦の影響下で

し続けることになる。

 

しかし

そのようなことは

もちろん

無意識レベルでの

話。

 

顕在意識では

渦を波及させている

当人も

もちろんそのような

自覚はないし、

 

影響を受けている

人達にも

自覚はない。

 

しかしその

渦を発し

渦を受け取る

という

このやりとりによって

 

その組織の

道が

大きく変わったり

する。

 

だから私は

組織活性化の

サポートをさせて

いただく場合、

 

今は誰が

渦の発生源か?

 

そして

その渦の影響を

最も受けやすいのは

誰か?

 

明らかにすることを

自らの命題に

している。

 

そしてもしそれを

掴むことが出来たら、

 

その後のサポートは

とても楽になる。

 

私は、

渦の発生源に

なっている人のことを

その組織の

 

『要』(かなめ)

 

と呼んでいる。

 

つまり私の

サポートの本質とは、

 

・「要」を見つけ出し

・「要」の影響力を最善にする

 

ことにある。

 

それによって

次から次へと

「要」が生まれる。

 

そして

「要」がその組織の

1割以上に増えることで、

 

その組織は

根本的に脱皮を

始める。

 

と同時に

組織そのものに

「真本音」

が生まれる。

 

つまりは

組織に魂が

宿る。

 

するとそこから

その組織は

 

組織自体が

 

真本音の道を

歩むようになる。

 

その状態に

なれたところで

私はその組織から

離れていく。

 

もちろん

なかなか理想通りに

行かないことは

多い。

 

試行錯誤の

連続だ。

 

でもそれが

組織が

本来のその組織として

進化していくための

最短の道だと

 

数多くの現場が

教えてくれた。

 

そして

そういったサポートが

できる「コーチ」を

私は

育成したい。

 

組織に「要」が

いるのと同様に、

 

社会にも「要」が

いる。

 

社会の「要」を

サポートできる

「コーチ」を

育成したい。

 

つづく

 

ちゃんと休め

 

どれだけ疲労して

動けなくなっても、

 

いや、

そういう時だから

こそ、

 

私達は自分自身の

真本音に

意識を向けるといい。

 

真本音は

変わらずに

光り輝いている。

 

変わらずに

パワーを

解き放っている。

 

変わらずに

笑顔だ。

 

しかし

だからと言って、

自分自身に

無理強いはしない。

 

休みなよ。

 

・・・と

笑顔で語りかける。

 

大丈夫だよ。

 

・・・と。

 

私はちゃんと

やることを

やっている。

 

そういう疲労ならば、

ちゃんと癒える。

 

今はしっかり

休むことだ。

 

・・・と。

 

真本音は、

誰よりも「現実」を、

 

そこで起きている

ことを、

 

あるがままに

観る。

 

そして

その上で

私達に「最善」を

教えてくれる。

 

だから私は

安心して

休むことができる。

 

やること

やったら、

 

ちゃんと

休んで、

 

力を回復

させて、

 

また、

やることやろう。

 

一つ一つ

誠実に、

 

軽く、

明るく、

静かに、

笑顔で。

 

つづく

 

バランスとる?

 

バランスが

とれている。

 

・・・というのは

どういうことだろうか。

 

例えば、

ヤジロベエで言えば、

左と右がちょうど

50%ずつ、

均等になっている

状態だろうか。

 

いや、

そうとも言えない。

 

例えば、

右が10%で

左が90%でも、

絶妙なバランスをとる

こともできる。

 

側から見れば

ヘンテコな格好だが、

それでも

それはそれなりの

バランスであり

 

個性だ。

 

むしろ、

50%50%のバランス

よりも

そちらの方が

個性的で面白い。

 

人間も

同じことが言える。

 

その人には

その人なりの

バランスがあり、

 

それが

その人の個性だ。

 

よく

「バランスが大事だ」

という言葉を

使う人がいるが、

 

実は私は

この言葉、

あまり好きではない。

 

なぜなら

バランスをとろう

としている人で、

魅力的な人は

あまりいないからだ。

 

もちろん

私の主観だ。

 

でも、

バランスをとろう

とろう

とすることで

その人本来の魅力を

むしろ消してしまっている

ケースは

多いと思うんだ。

 

だから

極端に言えば、

 

バランスなんて

とろうとしない方が

いい。

 

・・・くらいに

言いたい。

 

バランスなんて

考えるから

おかしくなるんだ。

 

・・・くらい

言っちゃいたい。

 

それくらい

自由になった方が

結果的に

その人にしか

現せないバランスが

 

その人の

真の魅力として

 

表出すると

思うんだな。

 

みんなもっと

個性的で

あればいい。

 

個性を

際立たせると

いい。

 

その方が逆に、

社会も組織も

調和が生まれると

思うんだ。

 

真のバランスが

生まれると

思うんだ。

 

つづく

 

共に主だ

 

嵐の中にいる時は、

私達は

不安になる。

 

心の中にも

嵐が吹き荒れる。

 

穏やかに

晴れた日であれば、

私達も

穏やかでいられる。

 

私達は

環境に左右されながら

生きている。

 

私達の心は

環境にモロに

影響され、

 

環境に反応するように

動く。

 

環境が「主」で

私達は「従」

なのだろうか。

 

私達が

「主」となることは

ないのだろうか。

 

私達は

揺れる。

 

揺れるように

できている。

 

心は

揺れる。

 

揺れるように

できている。

 

それを

揺れないように

しよう!

思うこと自体が

不自然だ。

 

揺れるように

できているならば、

 

揺らしとけば

いい。

 

環境に対して

「従」であるならば、

 

それで

良いではないか。

 

それらの

事実と、

 

どうやらそれは

摂理であることを、

 

真正面から

すべて

受け入れれば、

 

それによって

私達人間は

初めて

「主」

となれるようだ。

 

ただし

「主」

とはなれるが、

「従」

は何も無し。

 

実は

すべてが

「主」であったのだ。

 

ということが

腑に落ちると、

 

強い。

 

実に強く

生きることが

できる。

 

心?

揺れれば

いいじゃないか。

 

受け入れれば、

 

その心の中心に

何があっても

揺るがない部分が

あることを、

 

その事実に

初めて

気がつくことが

できる。

 

事実を

受け止めなければ、

 

まだ観えていなかった

事実に

気づくこともない。

 

事実を

受け入れる強さが

 

自分の

本当の強さまで

導いてくれる。

 

私とあなたは

どっちが

「主」だ?

 

どっちも

「主」だ。

 

じゃあ

共に何をする?

 

つづく

 

その力は使わなきゃ

 

私達には

「力が宿る」

ということが

実は時々、ある。

 

もともと先天的に

持っていたもので、

ずっと眠っていた力が

 

何かのきっかけで

一気に浮上する。

 

するとそれはまるで

宿ったかのような

印象となる。

 

しかし本当は

宿ったのではなく、

もともと才能として

あったものが

開花しただけのことだ。

 

自らの真本音に

素直に生きる人は

そういう体験が

何度も訪れる。

 

ところが。

 

せっかく花開いた

その才能を

使わずにいる人が

たまにいる。

 

その力を使う

ということは

イコール、

それ相応の挑戦をする

ということだ。

 

これまでの自分では

考えられなかった

挑戦をする、

ということだ。

 

だからそこで

怖気付いてしまい、

 

逃げてしまい、

 

せっかく花開いた

才能を

使わないままに

人生を送ってしまう。

 

実に

もったいない話だ。

 

だから私は

「コーチ」として、

 

そういった才能が

開花し始めた

クライアントさんには

半ば強引に

挑戦をさせることが

ある。

 

本当は「コーチ」とは

クライアントさんを

引っ張ることは

しないものであるが、

 

しかし

その人の真本音の

意志を尊重するために、

 

あえて

強引なことを

することもある。

 

もちろん

そんなことをせずとも

ご本人が自ら

挑戦できれば、

それに越したことはない。

 

才能は

使わなければ

意味がない。

 

せっかく自分自身との

約束を果たすために

あらかじめ

自分自身に備えた力だ。

 

必然的な

力だ。

 

それを

使いこなすことこそが

「自分らしさ」

の基本となる。

 

これまで

苦手だと思っていた

ことが、

ある時にふと、

「そうでもないかな」

と思えたら、

 

それは

あなたの才能の

開花の始まりかも

しれない。

 

であれば、

思い切って

試してほしい。

 

挑戦を

してみてほしい。

 

つづく

 

鏡となる

 

すべては

なるように

なっていく。

 

しかも、

何がどのように

なっていくかは、

 

私達自身が

本当はよく

わかっている。

 

わかっている

ことが

わかっている

ように

起こるだけ。

 

・・・高い次元の

意識からみれば、

そういうことだ。

 

しかし、

 

3次元のこの世界に

生きている

私達(の顕在意識)は、

 

何も

わからない。

 

1分先の未来さえ

わからない。

 

その

「わからない」

ことにこそ

価値がある。

 

「わからない」

からこそ

ここに生まれてきた

意味がある。

 

本当は

わかっているけど、

何も

わからない。

 

それが

私達人間だ。

 

人として生きる

とは、

 

わからないことを

わからないままに

生きる、

と言ってもいい。

 

人として生きる

とは、

 

本当はわかっている

自分自身を

信じて、

自分にすべてを

委ねるところまで

自己を成長させること、

とも言える。

 

まったくもって

おかしな存在だ、

人間とは。

 

目の前の

Aさんが

 

「YES」

 

と言った。

 

しかしそのほぼ

同じ瞬間に

Aさんの実在は

 

「NO」

 

と言った。

 

同じAさんなのに、

現象と実在から

まったく逆の答えを

投げられた。

 

じゃあいったい

私はどうすれば

いいんだ?

 

・・・と。

 

こんなことがほぼ

毎日続いている。

 

実在と現象の

不一致。

 

これが

この世界の

最大の問題だ。

 

とはいえ、

 

その問題を

引き受けながら

生きるのがまた

人間だ。

 

まったく

おかしな存在だ。

 

もっとみんなが

自分の真本音が

わかるといい。

 

だって

自分の真本音

なのだから。

 

実在と現象が

不一致を起こして

いる時に、

 

せめてその

違和感を

自覚できるように

なるといい。

 

せめてそのくらいの

健康は

取り戻したいものだ。

 

だから私は

鏡となる。

 

「コーチ」とは

鏡だ。

 

鏡が足りない。

 

今の世の中には

まったく足りない。

 

だから

鏡を増やしたい。

 

つづく

 

鎮めよう

 

目を閉じて、

静かに

じっと座ってみよう。

 

心が騒がしい

時は、

それ自体が

とても苦痛だ。

 

じっとして

いられない。

 

体が

ソワソワと動いて

しまうか、

 

心があーでもない

こーでもないと

様々な思考に

入ってしまうか。

 

もしそんな状態

であれば、

 

疲れている

証拠だ。

 

その状態では

残念ながら

良い判断や決断は

できない。

 

その状態での

選択は

必ず後悔を生む。

 

良い人生や

良い仕事を

続けるためには

 

自分自身の

状態管理は必須だ。

 

心身が健康で

あれば最高だが、

 

せめて

心だけでも

健康でありたい。

 

健康とは

静かなこと。

 

鎮まっている

状態。

 

そうなるためには

鎮まっていない

心の一つ一つを

 

あるがままに

見つめることだ。

 

何も評価せず、

何も判断せず、

何も解釈せず、

 

ただただ

一つ一つの心を

丁寧に観察する。

 

観察

だけでいい。

 

それ以上は

何もやらない。

 

「それ以上は

何もやらない」

という眼差しこそが

自分を癒してくれる。

 

最初は

時間がかかるかも

しれない。

 

でもそうやって

自分を鎮めたら、

 

静かな心の

底から、

 

自然に問いが

浮かぶはずだ。

 

その問いは

今の自分にとって

とても重要な

もの。

 

その問いの答えは

今の自分を

静かに変えて

くれる。

 

救ってくれる。

 

静かな中から

浮かぶ問いを

静かに迎えよう。

 

そして

静かに

答えを出そう。

 

これが

セルフコーチングの

基本だ。

 

つづく

 

頼りなくてもいい

 

あまりに

頼りない一歩だと

しても、

 

今の自分が

「この一歩だ」

と思うのなら、

 

その一歩を

進めばいい。

 

頼りないとか

力強いとか

 

関係ない。

 

すべては

自分の意志だ。

 

私達は

頼りなさを

能力の視点から

感じることが多い。

 

自分には

そんな能力はない。

だから

頼りない、と。

 

そして、

能力をしっかりと

つけてから

一歩を踏み出そう、

する傾向がある。

 

しかし

それでは遅い。

 

しかも

それでは

その一歩の意味すら

失われる。

 

今のその

頼りない能力だから

こそ、

その一歩には

大いなる意味が

込められるんだ。

 

今の自分

だからこそ

その一歩に

価値が出るんだ。

 

だから

能力のみで

決めてはならない。

 

自分の意志

で判断しよう。

 

「意志」と

「能力」を

区別しよう。

 

そのためには

次の問いを

自分に投げれば

いい。

 

「もし私に

能力が充分にあれば、

この一歩を出したいと

素直に思うか?」

 

もしYES

であれば、

 

何としてでも

その一歩は

出すといいよ。

 

つづく

 

もう決めている目標

 

私達には

目標がある。

 

目標とは

もちろん、

 

実現したい未来

 

のこと。

 

ビジョンと

言ってもいい。

 

そしてその目標

には

「期限」

がついている。

 

いつまでに

こんな未来を

実現しよう!

 

私達は潜在意識的に

決めている。

 

そしてもし

それを

本当に実現できたら

 

私達は脱皮をし、

次のステージに

上がる。

 

期限までに

それができなかったら、

もう一度、

今のステージを

やり直す。

 

そのように私達は

潜在意識的に

決めている。

 

だから今回は

皆さんに問おう。

 

「あなたの

目標は何だ?」

 

「あなたは

いつまでに何を

実現しようと

決めている?」

 

まぁ、ありがちな

問いなのだけど、

 

大事なのは

これからこの目標を

決める、

ということではない

ということ。

 

もう

あなたの中で

すでに

決めている目標を

 

自覚する

 

ということだ。

 

上記の質問を

純粋に自分自身に

問い、

 

答えを待つと

いいね。

 

つづく

 

新しい世界に

 

いざ、

全力を出すべき

時に、

 

私達は本当に

全力を出せる

だろうか?

 

そもその

自分自身の全力を

わかっているの

だろうか?

 

すべての人には

ポテンシャルがあり、

しかしそれを

知らない、

もしくは

信じないままに

人生を進む人は

多い。

 

私達が本来の力を

発揮するためには、

 

未知の領域に

突入せねばならない。

 

これまでの枠を

超えた、

 

これまでの範疇を

逸脱した、

 

そんな領域に

飛び込んでこそ、

私達は私達の

隠されていた力を

目の当たりにする。

 

そしてしかも、

 

私達人間は

本能的には

未知の領域に

向かい続けたい

生き物だ。

 

だからこそ

文明は発展してきたし、

 

そこまで大仰な

話をしなくても、

 

赤ちゃんや幼ない子を

見ていれば、

よくわかる。

 

私達は皆、

同じことをしていれば

飽きてしまう。

 

そして

知らないことに

向かおうとする。

 

その本能は

赤ちゃんや幼ない子供達が

教えてくれる。

 

好奇心。

 

安心安全よりも

結局は

好奇心が

勝ってしまう。

 

それが人間だ。

 

そのように

できているのだから、

 

怖くても

進んでみよう。

行きたい方向に。

 

未知の領域に

向かう面白さを

思い出せば、

 

私達の人生は

もっと充実するし、

 

成長の喜び、

進化の喜び

に満ちた日々となる。

 

挑戦しよう。

 

あーだこーだと

言っていないで

 

その新しい世界に

突入しよう。

 

私達は

人間なのだから。

 

つづく

 

問いと共に進もう

 

自分自身への

問いを持つということは

 

とても人生を

豊かにしてくれる。

 

たとえすぐに答えが

出なくても、

 

問いを持ち続けるだけで

人生は豊かになる。

 

逆に言えば、

 

自分の人生を

豊かにしてくれるような

問いを持つといい。

 

あなたは

今後の人生を

どんな問いと共に

進めて行きたい?

 

 

ちなみに、

今の私が常に

持ち続けている問いは

こうだ。

 

「始まり」は

どうすれば

始まるか?

 

・・・変な問いだと

思うかな。

 

これ、

私の人生を

メッチャ豊かに

してくれる。

 

つづく

摂理に則る

 

地球には

重力があるので、

 

物は

上から下へ

落ちる。

 

下から上に

昇ることは、

普通ではあり得ない。

 

重力に従って

上から下へ。

 

これが

自然の摂理だ。

 

自然の摂理に

反したことを

やろうとすると

かなり苦労する。

 

自然の摂理に

則ったことをすれば

スムーズに進む。

 

これは

人生においても

ビジネスにおいても

同じこと。

 

今自分がやろうと

していることは、

自然の摂理に

則っているか、

それとも

反しているか。

 

こんな視点で

客観的に

チェックをしてみると

いい。

 

・・・・・・

 

会話もそう。

 

例えば、

Aさんに何か重要な

ことを伝えなければ

ならないとする。

 

それを、

自分だけのペースで

強引に

伝えてはならない。

 

伝えるべき「瞬間」が

必ずくる。

 

もしその「瞬間」が

来ないのであれば、

それは

伝えるべきことでは

なかったのだ。

 

あっ、今

伝えるべきなんだ、

ありありとわかった

その瞬間に

 

私はそれを

ダイレクトに伝える。

 

すると

その言葉はスッと

Aさんの中に

吸い込まれていく。

 

まるでそこに

重力があるかの

ように。

 

・・・・・・

 

このように

あらゆることに

「流れ」

はある。

 

「流れ」をつかむ

感受性が

私達には必要だ。

 

それはやはり

自分自身が

自然の摂理に則った

生き方を

普段からしているか

どうか。

 

そこで決まる。

 

自然の摂理に則った

生き方。

それが

真本音で生きる

ということだ。

 

だから人は

真本音で生きる

ようになると、

どんどん

余分な力が抜けていく。

 

そして

いざというときに

とんでもないパワーが

発現する。

 

それもまた

自然の摂理だと

思う。

 

つづく