共に主だ

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嵐の中にいる時は、

私達は

不安になる。

 

心の中にも

嵐が吹き荒れる。

 

穏やかに

晴れた日であれば、

私達も

穏やかでいられる。

 

私達は

環境に左右されながら

生きている。

 

私達の心は

環境にモロに

影響され、

 

環境に反応するように

動く。

 

環境が「主」で

私達は「従」

なのだろうか。

 

私達が

「主」となることは

ないのだろうか。

 

私達は

揺れる。

 

揺れるように

できている。

 

心は

揺れる。

 

揺れるように

できている。

 

それを

揺れないように

しよう!

思うこと自体が

不自然だ。

 

揺れるように

できているならば、

 

揺らしとけば

いい。

 

環境に対して

「従」であるならば、

 

それで

良いではないか。

 

それらの

事実と、

 

どうやらそれは

摂理であることを、

 

真正面から

すべて

受け入れれば、

 

それによって

私達人間は

初めて

「主」

となれるようだ。

 

ただし

「主」

とはなれるが、

「従」

は何も無し。

 

実は

すべてが

「主」であったのだ。

 

ということが

腑に落ちると、

 

強い。

 

実に強く

生きることが

できる。

 

心?

揺れれば

いいじゃないか。

 

受け入れれば、

 

その心の中心に

何があっても

揺るがない部分が

あることを、

 

その事実に

初めて

気がつくことが

できる。

 

事実を

受け止めなければ、

 

まだ観えていなかった

事実に

気づくこともない。

 

事実を

受け入れる強さが

 

自分の

本当の強さまで

導いてくれる。

 

私とあなたは

どっちが

「主」だ?

 

どっちも

「主」だ。

 

じゃあ

共に何をする?

 

つづく

 

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