チームパフォーマンスコーチ

今度こそ

夜は明ける
ものだな。

碧い夜の
もとを

行方知れずの
列車で
走り続け、

そのまま
闇に堕ちるのかと
不安に
かられ始めた
ところで、

向こうの方から
夜が
白んできた。

途端に
線路の軋む
音が
この耳に
伝わり出す。

生きている
実感。

これから
生きる実感。

間に合った!
とは
到底言えない。

あまりに
多くの犠牲と
悲しみがあった。

絶望とは
言いたくないが、

人の心として
そう落ちることも
仕方なかろう。

しかしそれでも
なお
夜は明けるのだ。

これを
先人達は
希望
と呼んだのか。

希望
というには
あまりに
切なすぎるが。

これから
夜が明けて
この暗い世界を
忘れる頃、

私は
同じ過ちを
忘れずに
いられるだろうか?

今度はもっと
マシな進み方が
できるだろうか?

もっと
毅然と道を
選べるだろうか?

もう
決して来ないと
諦めていた
朝が、

もうすぐ・・・。

何度も
思ったに違いない
決意を

今また
ここで。

今度こそ・・・。

つづく

二つに分かれたな

両掌で掬った
水の中に
地球が観える。

水の中で
元気そうだが、

水の中で
自分を癒している
ようだ。

疲れたな。

しかし一つ
山場は越えたよ。

今はゆっくり
休むことだ。

今度ばかりは
内側から
崩壊しそうだったな。

人間の心
というのは、
弱いものだ。

強いエネルギーに
弱いのだ。

エネルギー過多に
なると
すぐに内側から
崩壊してしまう。

脆弱な私達の
心。

それを綿密に
守りながら
私達は生きている。

とりあえず
地球に元気が
戻ったのは、
何よりも
ホッとする。

私達は
二つに分かれた。

進む者と
進まない者に。

進む世界と
進まない世界に。

もちろん
その二つは
自由に行き来できるし、

ちゃんと
繋がっている。

だから
二つと言っても
一つのまま
なんだが。

まぁ、でも
分かれたものは
簡単には
戻らないわなぁ。


地球は少し
寂しそうだ。

私もちょっと
悲しい。

でも、
今はそれを
よしとしようでは
ないか。

分かれては
また
くっつきながら、

私達は
進化するのだから。

それが
摂理なのだから。

つづく

すべての力を

一点集中、

すべき時。

今は、

それだけに。

他には

一切の
力を

使わずに。

それのみの
ために

自分の全ての
力を

使うべき。

人生において

そんな時期は
ある。

それが
今では?

つづく

悦びの源とは

人の中心は
祈りだな。

この仕事を
ずっと続けながら、

20数年経っても
変わらない
私の印象、実感。

よく私は
「願い」という表現を
使うが、

実は
「祈り」の方が
よりしっくりくる。

祈りとは
進化とイコールだし、

本当の中心にある
祈りとは

言葉では
表現し得ないもの。

祈りが
カタチとして
現れたものが

人間
ではないかな、
と。

・・・

人がもし
自分の本来の
祈りを

感覚として

思い出し始めたら、

それがその人の
本来の人生の
始まりである。

その人生とは

不明瞭

から
始まる。

祈りとは、
不明瞭を
生み出すもの。

これまで
明瞭であると
思い込んできた
あらゆるものが、

実は
明瞭なものなど
一つもなく、

実は
すべてが不明瞭の
ままに
私は生きてきたんだ、

気づいて
しまう。

それを私達は
また
本能的な恐怖として
既に知っているので、

自分の祈りに
触れないように
触れないように
して
生きてきた。

不明瞭への
恐れが、

本来の自分と
向き合うことを
阻害し続けてきた。

しかし、

不明瞭とは
明瞭を
生み出すものだ。

不明瞭とは

問い

そのものだ。

不明瞭とは

「?」

この「?」と
向き合い続ける
ことで、

それが本来の
人生の始まり
そのものであるが、

ある時ある瞬間に
私達は、

真の明瞭

に行き着く。

しかしながら、
真の明瞭は
次の不明瞭を
生み、

その「?」と
向き合うことで、
さらに次の
明瞭を得る。

この繰り返しが
私達に
人生における
真の充実を
与えてくれる。

私は
私の人生を
生きている!

という
内側から
湧き上がるような
悦びとは、

ここから
くるものだ。

祈りは
不明瞭を生み、

不明瞭は
明瞭を生む。

自分の祈りに
素直になれば
いい。

つづく

中心は安定

台風の渦が
激しくても、

その中心は
静かなものなので、

常に
中心にいよう。

周りが
どれだけ混乱
していても、

「私が全ての
中心である」

という
意識で、

すべてを
あるがままに
観察していよう。

無闇に
動く必要はない。

対策が
わからなければ
観察だけで
充分だ。

しっかり
観ていれば、

初めの一手


わかる瞬間が
くる。

中心に
いるからこそ。

中心とは
安定だから。

皆、
中心にいることを
恐れるが、

中心とは
安定だ。

環境の中心。

出来事の中心。

人間関係の中心。

自分の人生に
おいては、

すべて、
自分自身が
中心。

それが
摂理。

つづく

まずはやめよう

天空から
自分を眺めると、

とても小っぽけな
私が

右往左往
している。

まっすぐ行けば
良いものを、

右に行ったり
左に行ったり、

逆走したり、
転んだり。

相当に
余分なことを
やっているな、と

初めてわかった。

自分をどう
変えるか?

よりも

余分なことを
一つずつでも
やめていく、

それだけ
なのだな、と。

そこは
単純な発見
だったな。

・・・

あなたが
やめたいことは
何?

本当は
すぐにでも
やめたいことは?

・・・

とはいえ、
やめたいから
と言って
すぐにやめられるなら

それほど簡単な
ことはない。

しかし、

やめたいことを
しっかり自覚し、

まずは

「やめよう!」


決めること。

一瞬でも
100%の気持ちで
決めること。

それによって
私達は余分なものを
一つずつ
手放すことが
できる。

自己変革とは、
そういった一つ一つの
積み重ねだ。

まずは、
一つから。

まずは、
やめたいこと
から。

つづく

実在の問い

問いがたくさん
出てくるな。

こういう時は
きっと

もうすでに
とても大事なことを

私は
掴んでいる。

重要な指針
として。

答えとして。

・・・

山の向こうに
あるものは
何だろう?

大海原の彼方に
観える
あの炎は
何だろう?

鈴の音が
風の最中に
聴こえるが、
何を伝えている?

ゆっくりと
天から地表に
降り立とうとしている
存在があるが、
あれの影響とは?

大勢の人々の
ざわめきがあるが、
皆、何を同じように
呟いている?

中心核と
中心核の
融合により、
今、私は新たに
何を望み始めている?

・・・

こんな感じで
一見すると
訳がわからないような
問いが、

私の場合は
多いが、

答えの多くは
とてもシンプル。

そして
それらはさらに
重要な気づきへと
導いてくれる。

実在の
問い。

実在からの
投げかけ。

そして
メッセージ。

答えはこの世に
満ちている。

つづく

「交差」点に立て

縦の線と
横の線の
交わるところ。

そこに
私達はいる。

人間が
いる。

縦と横の
交差。

これが
人間の本質。

そして
この世の中も
現実のレベルで
縦の線と
横の線で
出来上がっている。

ところが、
その
「交差」の場所に
いない人が
ほとんどだ。

だから
不調和が起こる。

不必要な
混乱が起こる。

本来は、
「交差」では
ない場所にいると、

それだけで
気持ち悪い
ものなのだが、

その感覚が
麻痺して
しまっている。

私のサポート
とは、
要するに

その気持ち悪さに
敏感になること

なのかもしれない。

そうすれば
放っておいても
その人は
「交差」の場所に
い続けることになる。

そんな人は
周りに調和を
もたらし、

そういった人達が
増えることで、
社会全体の
調和性が高まる。

多くの人が
常に意識できている
のは、
横の線、だ。

もっとみんなが
縦の線、を
意識できるように
なるといい。

可能であれば、

その人が
縦の線
そのものとなること。

縦の線
そのものになれる人
は、

必然的に
横の線、そのものにも
なれる。

縦と横、
両方の線、そのものに
なり、

その上で、

「交差」の一点に
自分を置く。

自分の個性を
置く。

自分の力を
置く。

みんながそうなると
すごいよなぁ。

つづく

超重要な問い

そろそろ
良いタイミングだ。

自分の知り合いを
すべて
列挙してみよう。

紙に書き出して
みよう。

古い知り合いも
全部だ。

人生で出会った
人達全部。

全部書き出す。

全部吐き出す。

これをやり切ると
スイッチが
変わる。

この知り合い
リストを
眺めてみよう。

ふと直観的に
会いたくなる人が
いるだろう。

「誰にいつ
会おうか?」

・・・この問い。

今はこの問いが
超重要だ。

そしてその
答えを素直に出し、

会いに行って
みよう。

ここからの人生での
重要な「始まり」と
なるだろう。

・・・などと
重くは考えず、
気軽に行くのが
いいよ。

つづく

クライアントじゃない

何かが
溶けていっている
のがわかった。

凝固していた
何かが。

表情が、
ピンボケするような
感じで
崩れていく。

ガチガチ
していたものが
溶け、
柔らかな眼差しが
その向こうから
現れた。

それがあなたの
本当の
顔だ。

本当の顔に
なった時、
初めてその人の
本当の個性が
目を覚ます。

これまでとは
真逆のものが
多い。

こんなの
私では
ない、

最初は
思うかもしれないが、
それこそまさしく

あなただ。

本来の。

照れるような
くすぐったいような、

何とも言えない
感覚と共に、

新たなその人、
本来のその人と
出会う。

再会のような
感覚だが。

さて、
ここからは
早い。
速い。

阿吽の呼吸の
ような
キャッチボール。

必要な時に
必要な刺激
のみを
与え続ける。
お互いに。

必然的なペースで
必然的なものが
生み出されていく。

もはや
コーチ・クライアント
ではない。

パートナーだ。

あなたと私の
本来の関係だ。

つづく

真本音の時代に入り10年

とにかく、
無事に8月1日を
迎えられたことに
ホッとしている。

ちょうど10年前の
今、

いわゆる
私が
「真本音の時代」
と呼んでいる時代に
私達は
突入することができた。

それ以前を
「反応本音の時代」
と呼んでもいた。

川の水が
川下から川上へと
流れるという
不自然な時代から、

川の水が
自然の摂理通り
川上から川下へと
流れる時代へ。

その明確な
節目が、
ちょうど10年前の
今なのだった。

当時の私は
45歳。

それまでの私の
45年の人生は、
この節目を
きちんと越えること、
だった。

そのために
生まれ、
そのために
生きた、
とも言える。

そういった意味で、
10年前に
私は私の人生の
大事な目的は一つ
達成できたと
言える。

ところが、
そこからこそが
本当に大変だったのだ。

真本音の時代に
突入してからの
この10年が。

逆流から
順流へ。

そう変化したからと
いって、
すぐにすべてが
順調に流れるわけでは
ない。

むしろ、
流れが真逆に
なることで、
予想を超える混乱と
混沌が起きた。

真本音の時代に
入った直後の私は、

「これで、
実在が現象化する
世の中になれた!」


喜び勇んだ。

ところが、
当初は何も
変わらなかった。

実在のレベルで
順流となっても、

それがすぐには
現象化しない。

それほどまでに
この世の中は
実在と現象が
断絶、分離、乖離
しているのか、と

愕然とした。

ではどうすれば
良いか?

試行錯誤を始め、

当時の言葉で
言えば、

「現象を実在化する」

しかない
という結論に至った。

つまり、
この世の実在と現象を
繋ぐために、

実在と現象を
一致させるために、

現象の私達
(顕在意識の私達)
が、
強引にでも
現象を実在に繋げる、

ということを
するしかない、と。

2013年からの
試行錯誤とは、
一言で言えば
そういうことであった。

どうすれば
「現象を実在化する」
ことができるのか?

誰も答えを
知らなかった。

だから一つ一つ
試行錯誤するしか
ない。

しかしそこから
数年で
かなり前進することが
できた。

これで一気に
実在と現象を繋ぎ、

「実在が現象化する」

という
本来の状態に
私達は戻ることができる!


実感できたのが
2017年の3月。

ところが、
その約1ヶ月後に、
実在レベルでも
現象レベルでも
とんでもないことが
起きた。

詳しく書くことは
できないが、

それまでずっと
培ってきた
すべてのことが
ほぼ一瞬で、消えた。

私は人生においての
最大の挫折と
悲しみの中に落ちた。

もう
私自身の人生の目的も
使命もすべて
捨てようと、
一度は、決めた。

しかし何とか、
そこから
また
這い上がり始める
ことができた。

詳細は
書かないけどね。

もう一度、
ゼロから
始めよう。

ヒョロヒョロに
なりながらも、
ゆっくりと
また
歩き始めた。

それが
2017年8月頃。

このブログは
そこから
書き始めた。

自分の
もう一度最初からの
歩みを
しっかり続ける
ために、
ここからは毎日
ブログを書こうと
決め、

今日で
2,185日目になる。

私の人生は
もう一度、
そこから始まった
とも言える。

もちろん
それ以前から
深く繋がり続けている人は
いらっしゃる。

しかし、今の私と共に
進む繋がりのほとんどは、
そこから後での
出会いによる。

“出会い”に私は
救われた、とも
言える。

実在の繋がり。

現象の繋がり。

私は
“人”によって
救われた。

そして今、
ようやく、

2017年3月当時の
「手応え」と「実感」が
蘇った。

当時とは
比べものにならない
安定感のもとで。

この状態で、
真本音の時代突入
から
ちょうど10年を
迎えられたことは

素直に
嬉しい。

10年の節目、

やはり私が想像
していた以上に、

その意味は
深く重いようだ。

順流の時代。

その「流れ」は
ここから一気に

開花する。

私は
私達は
それに
乗っていく。

つづく

今のままの今じゃ

密度。

時間に
密度が
あるならば、

これまでの
その濃さでは

もう
つまらない。

まるで
固体のような
ギュウギュウの
時間の中を

自由に
駆け巡りたい。

「今」

「すべて」

含まれるならば、

すべての
「すべて」

すべての
「今」

感じ続けたい。

思えば
これが私の
これまでの人生に
おける
一つの夢だった。

「すべて」
と共に
生きることのできる
私になる。
「今」この瞬間に。

これが
叶うならば、

私は私の
すべきことを
ようやく
実現可能!

言い切れる気がする。

ここにある
この
豆粒のような
小さな
「今」。

掌にそえて、
小さく
震えている。

この
弱々しい「今」を
鍛える。

もっと
密度の濃いもの
に。

その鍛え方を
ようやく
見つけたんだ。

つづく

操られる

まるで
操られるように

自分を
操る。

主がどこに
あるのか、
わからなくなる。

それでも
構わない。

自分を超えた
場所で
生きたいのだ。

自分という
範疇に
いたくないのだ。

自由で
いたいのだ。

自己イメージ
という
解釈を
創り上げ、

その中で
生きる。

その窮屈さ。

もういいだろう。

そこから
出ても。

もう充分
だろう。

自分、に
こだわるのも。

自分という
枠を
超えようとすると、

人間では
なくなってしまう
不安感がくる。

が、
本当は
それこそが本来の
人間の姿では
ないか。

本来の自分
ではないか。

この世の中は
もちろん
限界だらけだが、

だから自分を
閉じ込めなければ
ならない、
とは
ならないはずだ。

むしろ、
限界の中だから
こそ、
自己開放が
起こるのではないか。

限界の中で
自由になる。

その時、私達は
真に限界を
超越する。

限界を超越した
私達は
限界の中でも
自由に生きることが
できる。

自由と限界
とは
相反するものでは
ない。

むしろそれは
共存、
というよりも
融け合う
もの。

融け合い
一つに
戻るもの。

だから私は
自分を操る。

操る自分に
操られる。

つづく

あと3日

今日を入れて
あと3日で、

7月が終わる。

実在レベルでの
大きな節目を
迎える。

私達の人生の
大きな節目
でもある。

手放すべきものは
手放せたかい?

完了させるべきことは
完了できたかい?

決めるべきことは
決断できたかい?

やり残したことは
ないかい?

泣いても
笑っても
あと3日。

後悔の
ないように。

つづく

断ち切れないなら

断ち切れない。

強力な
ゴムのように、
張り付いている。

何を
どうやっても
断ち切れない。

そんな場合は、

切る、ことを
諦めるしかない。

張り付くゴム
そのものを、

愛するしか
ない。

愛すれば
浄化される
かどうか、


わからない。

浄化を
目的としては
ならない。

ただ、
愛する。

愛の意識を
向ける。

愛のエネルギーを
向ける。

それ自体を
目的とする。

すると、
何らかの
変容が起こる。

それにより
結果的に
わかることがある。

ゴムのように
張り付いていた
それは、

執着では
なかった、
・・・とか。

それには
想像以上に深い
意味があった、
・・・とか。

まぁ、
わからない
けどね。

そういった
意味を最初から
考えるのではなく、

断ち切れない
ものは、

徹底的に
愛す。

中途半端だから
見えないことも
あるんだ。

断つ、

愛す、
か。

どちらにしても
徹底的に。

つづく

いじけ虫へ

こんなに明るい
場所なのに、

暗く
閉ざされている。

いじけ虫。

ウジウジと
いじけ続ける。

光が
眩しすぎる。

だから
目を閉じた
まま。

耳を塞ぎ、

感受性の
すべても
閉ざしたまま。

決して
その狭い世界から
出ようとしない。

もう
くさってしまった
から。

人間、
一度くさると、
そうそう簡単には
出られない。

もう一生、
このままで
いい。

とすら
思う。

もう、人生に
疲れたのだ。

生きていく
こと自体に。

だから
誰に何を言われても、

もう絶対に
耳を貸さない。

頑なに
自分を閉ざす。

いじけ虫。

・・・

いじけ虫の
世界の中に
入ると、

何となく
守られている
感覚がある。

なるほど、

これがあるからこそ
出られなく
なるんだな。

しかも世界は
奥に奥に
続いているから、

外部から強引に
近づけば、

さらに奥へ
奥へと
逃げてしまう。

逃げることのみ
俊敏だ。

・・・

これまで
何度も何度も
私自身が
いじけ虫になった。

その都度、
何度も
自分の中では
我が人生を
捨てた。

捨てたのに
なぜだか
今は
ここにいる。

なぜあの世界から
抜け出せたかは、
わからない。

誰かに
救ってもらえたのか
とも思うのだが、

ちょっと
違うようだ。

・・・

ある時から
私は、

いじけようと
思っても
いじけられなく
なった。

その
寂しかったこと!

その
不安だったこと!

まるで
逃げる場所を
失ったように。

夢の中で、
かつてのいじけ虫の
私と会った。

彼は
何も見ていなかった。

目の前に
私がいるのに、
それに
気づいていなかった。

私は彼の
背中に
手を当てたのだが、

無反応だった。

・・・

心の中に
台風があった。

凄まじい勢いで、
心のすべてを
壊そうとしていた。

台風に呑まれ、
必死に
逃げた。

逃げることに
俊敏ないじけ虫も、

台風には
かなわなかった。

その台風は
自ら起こしたもの
だったから。

他者が与えた
ものではなく。

・・・

いじけ虫。

今、
私の目の前で
いじけているあなたを
見ていて、

やっと
わかったよ。

台風とは
唯一の
救いだった。

あなたは
台風を創り出そうと
しているのだな。

それは
キツいことだが、

それしか
ないのだな。

私に
あなたの台風を
創ることは
できないが、

台風の創り方
なら
わかるよ。

必要なら、
教えようか?

つづく

風の合図

止まっている。

静かに。

鼓動すらも。

目を閉じ、

耳のみに
神経を向けながら。

ほんのわずかな
風の音をも
聴き逃すまい、と。

世の中は
まるで
影絵のように

止まったまま。

ところが、

フッと、
まずは私の
胸の奥が
揺れた。

風はないの
だが、

恐らく
風の前兆では
ないか。

私は胸の
奥に
蝋燭を灯す。

すると、
小さく
その炎が
揺らめいた。

耳には
何も聴こえない。

このような
本当に些細な
始まり、なのか。

と、
驚き、半ば
あきれつつも、

私は大急ぎで
駆け出した。

たとえ、
0.0000000001だと
しても、

ゼロからの
変化としては
とてつもなく大きな
こと。

55年も
待ったのだ。

この風を
逃してたまるか。

つづく

風船の決意

子どもの頃の、

ついつい
手を離してしまった
風船が、

ぷかぷかと
空に浮かび、
上がっていく。

帰ってきてよ!
と叫んでも、
どんどん小さく
なっていく。

自分の大切な
ものが
自分の手を離れ、

消えていく。

あの体験、

喪失感を、
ふと、思い出す。

風船は
どこまで行って
しまったのかな?

いつまで
空中を
飛び続けたのかな?

最後は、
どうなったのかな?

私は同じ
地面に立ったまま、

想像するしか
ない。

想像するのだが、
私の中では
今でもあの風船は、

飛び続けている。

心の中に
残る思い出は、

その時の
映像のまま、

残り続ける。

永遠に。

あれから
50年近く経ち、

あの時の風船が
私に
語りかけてきた。

あれから
私は
あなたをずっと
空から見守り
続けてきたよ。

あの時、あなたは
決心したはずだ。

僕は
どこにも
飛んでいかない、

僕は
ずっと
ここに居続けよう、

とね。

そして
50年、
居続けたね。

何度も
飛んで行きそうには
なりながらも。

そうだね。

確かにあの時
私は
決心したよ。

あの時に
覚悟を決めた
のかもしれない。

ここ
で頑張ることを
ね。

あと
23年だね。

そうだね、
あと
23年だな。

短いね。

あぁ、
短いな。

できるかな。

やってやるさ。

つづく

行うは易し

ずっと
自分の踊りを
続けてきた。

自分の踊り
であることを
大切にしてきた。

そここそを
自分の拠り所と
してきた。

にも関わらず、

もはや踊ることが
できなくなる。

踊ろうと思っても
力が出なくなる。

道が閉ざされる
感じがする。

・・・ならば、
それは
自分の踊りでは
なかった
ということだ。

本当の踊りは
別にある。

それを
事実として
受け止めるのは
非常に
キツいことだ。

これまで
やり続けてきた
ことが、
すべて無意味である、
無価値である、

認めるような
ものだから。

しかし
そうではない。

これまで
ずっと
とことん
やり続けたが
故に、

自分の踊りでは
なかった
ということが
わかったんだ。

これは
とてつもなく
大きな一歩。

またゼロから
始めるなんて
無理。

そんな気力は
もう出ない。


思うかもしれないが、
人間は
そのようには
できていない。

自分の踊りでは
なかった。

・・・と
正面から
受け止める人には

その内側から
これまで
体験したことのない
パワーが
漲ってくる。

それこそが、
自分の本当の
踊りへと

導いて
くれるんだ。

一言で言えば、

“ゼロに戻る覚悟”。

言うは易し、
行うは難し、

だが、

実際に
行ってみれば、
思ったよりは
易し、
だ。

つづく

些細なことか?

顕微鏡で
観察するように、

物事の本質を
細かに
観る。

これまで
見ようとしなかった
細部まで、
とことん。

ミクロの見方は、
全体から見続ける
マクロの視点による
発想を、

根底から
覆すことがある。

細かなことなど
どうでもいい。

瑣末なことには
こだわるな。

という考え方も
あるが、

やはり私は
両方大事だと
思う。

ある人の
ほんの些細な
振る舞い。

例えば、
ちょっとした
一言。

ちょっとした
表情。

ちょっとした
空気感。

フッとよぎる
違和感。

・・・そういった
一瞬の小さな
現象に、

物事の本質の
すべてが
反映していることが
あるのだ。

自分自身に
対しても
そう。

自分のちょっとした
心の揺らぎ。

ほんのわずかな
感覚。
一瞬の。

そこにしっかり
目を留めよう。

そして
しっかりじっくりと
観察するのだ。

まるで
顕微鏡で
覗くように。

結構、
怖いだろ。

でも、
必要なことだ。

私達は
生きているの
だから。

一点に
全体は
現れる。

全体は常に
そのように
サインを
送り続けている。

ふと、

気になる
その一点を

観察せよ。

つづく

全力で投げる恐怖

緩めのボールを
投げてみる。

緩めにバウンド
してくる。

今度はかなり
強く投げてみる。

凄まじい強さで
バウンドする。

強く投げれば
投げるほど、

その2乗倍に
なるかと
思うくらいの

想定外の
激しさで
返ってくる。

こうなると
もう、
強く投げることに
恐れを抱いて
しまう。

自分の投げた
ボールを
自分で
受け止めることが
できるという
自信がなくなる。

そこをだね。

それでも
思い切って
投げてみて
ほしいのだよ。

受け取れなく
なるのを
覚悟でね。

これをしなければ、
自分の
本当の
力は

開花しない
のだよ。

もはや、
自分の範疇での
動きでは、

どうにも
進めない。

その進み方
では、
満足できない、

間に合わない。

だから
怖さを超えて、

全力以上で

投げてみる。

これでもう
自分が倒れたら
しょうがない、

という
意気で。

行けそうかい?

それが
あなたが本来
望んでいる
進み方なんだけどね。

つづく

マグマの湧く距離を

自分の中に
マグマのような
強烈なエネルギーが
新たに
湧き出ている、

ということに
自分で気づける
人は
本当に稀だ。

だから
側から観た上で
フィードバックしなければ
ならない。

それは
未熟、ということでは
なく、

人間とは
そのようにできている
と言った方が良い

私は思う。

自分では
自分のことが
わからない。

特に、
進化・成長という
視点では。

だからこそ
お互いが共に
向き合い、
切磋琢磨する。

お互いの
関わりの中で
進化・成長を
確かめ合う。

それが
人間本来の
在り方なのだろう。

私とは何か?

という
根本的問いに
関しても
同様。

その答えは、

他者を通じて
こそ、
初めて
観えてくる。

つまり
自己理解とは、
他者との関わりを
通じてこそ
成される。

だからこそ、
共に真剣に
進化・成長を
望む人と
進みたい。

自分が
誰とどのように
関わるか?

ちゃんと
選んだほうが
良い。

誰ともっと
近づき、

誰ともっと
離れるか?

しっかり
自分で
決めよう。

人生の調和の
ためには、

まずは、

人との
調和。

そのためには、
人との距離の
調和を
丁寧に決めること。

今、
至急に必要な
こと。

つづく

崩れ去りそうか

すべてが
崩れ去るような
感覚が来たら、

チャンスだ。

すべてが
崩れ去るままに
任せるといい。

委ねると
いい。

何も残らない、

となる恐怖が
あると思うが、

私達人間は

にはならない。

むしろ
崩れ去るものへの
執着によって、

自分で自家製の

を自分の中に
創り出してしまうのが
私達だ。

私達は
私達自身が創り出す

に、恐怖心を
抱いているわけだ。

これも人間の
一つの宿命かも
しれないが、

今はそこに
こだわっている
暇はない。

先に進まねば
ならない時だ。

一気呵成に。

すべてが
崩れ去る感覚は、
そのために
必須なもの。

むしろ
スムーズに自分は
進めているのだと
いう証、

くらいに
捉えるといい。

崩れ去る恐怖
よりも
進もうとする
悦びを
感知できる自分に
なろう。

すべてが崩れ去る
感覚は
今後の人生において
頻繁に
訪れるだろう。

それ自体を
楽しめる自分に
なれば、

強いよ。

つづく

ヒントはある

真っ暗な
雲の中から

一筋の
光が差し込む。

光の示す
地面の一点。

その印を
見逃すな。

それは
わずかなヒント
かもしれないが、

間違いなく
未来へと
自らを導いて
くれるもの。

雲に巻かれる
ことに
慣れてしまうと、

私達は
光を恐れる
ようになる。

本当はそこに
光が
差し込んでいるのに、

目を塞いで
しまう。

明るさが
怖い。

一点が
見えてしまうのが
怖い。

見えてしまえば
進まなければ
ならないから。

どれだけ
雲に巻かれても、

慣れてしまえば
そこが
コンフォートゾーン
となる。

まぁこのままで
いればいいや、
と。

慣れる、
というのは人間の
大きな力の
一つであるが、

本当に
慣れてしまって
良いのか?
今の状況に。

・・・と、
しっかり自分に
問わねばならない。

常にヒントは
ある。

自分が自分に
示してくれる。

ヒントを
見つめる。

しっかりと。

目を
逸らさずに。

今、最も
必要なことだ。

つづく

違和感ばかりだ

始めなければ
ならない
ことがある。

・・・という
焦りと共に

私は人生を
生き続けてきた
ように
今となって
思う。

そして実際、
いろんなことを
始めて
きたが、

そのどれもが
今一つ
しっくりこない。

どうして
しっくりこない
のだろう?

という問いと
向き合い、

また次の
何かを
始める。

その
繰り返し。

そうしている
うちに、
だんだんと
しっくりこなさ

減ってきた。

違和感が
減ってきた。

そして
ある時から、

ほぼ

合致できているな

思えるように
なった。

が、
やはり

ほぼ

なのだ。

現時点で、
私は
私の為してきた
ことの
すべてに対して

違和感を
抱いている。

こんな書き方
をすれば
誤解を生むと
思うので、

念のために
書いておくが、

少なくとも
私自身が
真本音で生きる
ようになってからは、

私は
私自身のすべての
選択と行動と

始めたこと

について
完全に満足
している。

間違ったことは
していないし、
もちろん
後悔もない。

特に
現在進行形の
活動のすべては

深い悦びと共に
進めている。

・・・という
前提の上での

違和感

だ。

つまりこれを
“真本音の違和感”
とでも
命名しようか。

この違和感
こそが
私のここからの
宝物となる。

これまでの
私自身への
違和感。

今の私への
違和感。

これらすべてを
私は
引き受ける。

だからこそ
次のステージ、

8月から先


進める。

この違和感こそが
大いなる
ヒントだ。

つづく

今、超重要な問い

何となく
薄々わかっては
いたが、

やはりそうか。

この7月は
非常に大事だ。

7月31日と
8月1日の間に

とても大きな
節目がある。

実在レベルでの
話だが。

この節目を
しっかり越える
ために、

今は次の問いが
超重要だ。

・・・

この7月末
までに、

何をやり遂げる?

何を手放す?

・・・

やり遂げるべき
こと、

手放すべき
こと。

しっかり
完了感が出る
まで。

ここを疎かに
してしまえば、

もう一度、
やり直し
となる。

そう決めている
人が
多いのだ。

やり切れば
次のステージへ。

できなければ
やり直し。

とても
わかりやすい
節目。

あと
半月だ。

つづく

歩けなくなったら

道が影って
くると、

一人であることが
身に沁みた。

結局、
誰もいないじゃ
ないか、と。

この道を行く
のは、
私一人なんだな、
と。

そうなると、
跪くしかない。

倒れ込む
寸前。

立つ気力は
ない。

じっと地面を
見つめながら、

そのまま
待つんだ。

次の気力が
湧き上がるのを。

意識は
心臓の音にのみ
向ける。

余分なことは
もう
考えないようにする。

自分が生きている
証。

その一呼吸、
一呼吸にのみ。

私は確かに
ここにいる。

こうやって
跪いている。

歩けなく
なっている。

でも少なくとも
生きている。

生きようとは
している。

その気力は
潰えそうだが。

ポンっと、
私自身から
意識が離れる。

上の方から
自分を
見降ろす。

跪いている
小さな私。

あぁ、
可哀相に。

あんなに
ボロボロなのに
周りには
誰もいない。

助けてくれる人は
いないものか。

いないよな。

じゃあ、
自分で立つしか
ない。

気力がないなら
待つしかない。

そしてまた
私に
戻る。

戻ったら
孤独感が
溢れてくる。

苦しいな。

辛いな。

壊れそうだな。

でも
このまま。

何もしない。

ただ、
待つだけ。

「待つ」
というのは、
能力なんだよ。

待てるか
どうか。

ちゃんと待てば、
何とかなるさ。

もう、
前を見ることは
やめる。

足元だけで
いい。

足元の
砂粒を数える。

それで
いい。

そうやって
待つのだ。

「待つ」というのは
能力だ。

私の最大の
能力の一つだ。

抗わない。

無理に
動かない。

無理に
歩かない。

ただ、

今は待つ。

つづく

憧れだったよ

私の大好きな
あの人が
亡くなった。

私にとっては
憧れで
あり、

ファミリーでも
あり、

ある種の
師匠でもあり。

この世に
存在がある
という
そのことだけで、

私には
励みになった。

でももう、
いないんだな。

心には
ポッカリ
空虚があるよ。

でもやはり
ずっと
一緒にいるよ。

言葉にならない
語りかけ。

言葉にならない
キャッチボール。

ツーン、
トツ、トツ、
と。

私を
慰めてくれて
いるのか。

寂しいな。

しかし
こう言うと変だけど、
悲しみは
ないんだ。

それよりも
一種の
祝福感のような
ものがある。

あなたとの
繋がりだ。

ツーン、
トツ、トツ、
と。

耳の奥に
響くよ。

胸の内まで
伝わるよ。

あなたも
悲しんでは
いないようだ。

それは
何より。

ただ、
言葉のやりとりをね。

実際の声を
使ってね。

身近でね。

どんな会話に
なるか。

ここからの
私とさ。

ここからの
私だからこそさ。

ここからの
あなただからこそさ。

してみたかった
な。

同じものを
目指していた。

同じ目的で
生きていた。

まったく異なる
人生だった
けどね。

少なくとも
私は
あなたを見つめて
いた。

目の前にね。

常に
ね。

夢の中では
話をしてみよう。

それくらいは
いいだろ。

つづく

ずっと一緒にいたよ

その時、
風が吹いて
きたな。

一見、涼しい
けれど、
しかし
とてもあたたかい。

あたたかい
けれど、
ねっとりしている
わけではなく、

さらさら。

風に吹かれて
いるうちに、
意識がなくなる
ようだった。

ひょっとすると
眠っていたか。

会話に
あまり記憶が
ない。

それくらい
懐かしい感じ。

ずっと初めから
一緒にいた
感じ。

生まれた時
からね。

あまりに
自然だと
いるのかいないのか
よくわからなくなる。

その人も
私も。

別の存在
なのか、
実は、一つ
なのか、

よくわからなく
なる。

そのうちに
眠ってしまう。

もちろん
魂は起きている
のだが。

心が居心地
良過ぎてね。

いや、
逆か。

魂が
眠ってしまった
のかな。

風の波長は
よく知っている
それだ。

いつもの
それ。

ずっと
吹いていたよ。

この出会いの
前からね。

ずっと一緒に
いたよ。

ようやく
出会えたけどね。

つづく

小開花

ちょっとした
開花だ。

なんという
ことはない。

何がどう
変わったかも
わからない。

ただ、
一つ、
割れた。

暗黒のような
亀裂の
その向こうから、

何かが
出てきた。

開放・解放
された。

それが何かを
確かめる
間もなく、

それは
私に
溶け込んだ。

何も
変わらない。

しかし確かに
わずかに
開花した。

今は
何の評価も
判断も
解釈もなく、

このままで
いよう。

ちょっとした
開花。

しかし
重要な一歩。

つづく