チームパフォーマンスコーチ

ここで我慢さ

新たな世界に
入るのは

怖いことかい?

その世界には
見たことのない
存在が

あまたいる。

知らない、
未経験、
・・・ということを
私達は本能的に
拒絶する。

抵抗し、
体が強張る。

そこをだね、

我慢するのさ。

我慢、だ。

人間は
我慢が
ある程度できる
生き物だ。

その力は
こういう時に
使うといい、

と私は思う。

未知の世界

向き合う。

心と体が
硬直しても。

堂々と
胸を張って
向き合う。

開き直る。

我慢して。

こんな時に
こそ、

真本音は
一気に
発動するもんさ。

つづく

日記のコツ

日記を書く時に、
一つ
大事なことがある。

それは、

「今日は
主観的に書くか、
客観的に書くか」


決めることだ。

自分自身に
問うて、
しっかり決める。

その上で
書き出せば、

とても良い
振り返りができる。

と共に、
書きながら
良い気づきが
得られる。

これもまた
セルフコーチングの
一つ。

ご参考までに。

つづく

100%の目

あー、その目は
100%の目
だな。

その目と
出会えると、
ホッとするよ。

もうあなたは
あなたの人生を
生きるんだね。

覚悟は
できているんだね。

だからもう
何も説明は
いらないよ。

私は
応援するだけだ。

人間、
心は揺らぐだろう。

落ち込んだり
弱くなったり
するだろう。

でも
人間であり続けること
それ自体も
全部引き受けて、

全部わかった上で
進もうとしている。

そういう
目だよ。

あなたはもう
大丈夫だ。

そんなあなた
だからこそ、
私達は
協力し合えるんだ。

つづく

耕し続けてきたが

自分の巨大さを
知らずに
私達は
生きている。

自分の巨大さを
知れば、
本当はもっと楽に
進めるのに。

お前は
小さい人間だ。
お前は
小さい人間だ。

・・・と
教え込まれ
続けながら、
私達は人生を
進める。

結果、
自分を見失う。

もうそういった
時代を
終わらせようと、

私なりの志を
持ったのが
21年前だ。

以来、本当にたくさんの
人達と
向き合うことが
できた。

でも
まったく足りない。

時代はほとんど
何も変わっていない
ように見える。
表面的には。

だが、
21年も粛々と
続ければ、
良いこともある。

耕して
耕して
耕し続けた
大地が、

一気に生命の芽を
放ち始めた。

愚直にやってきて
よかったな、

思う。

エネルギーを
高め、
放つ。

充分に
高まらなければ
一切、放たない。

準備が整う
までは。

その地道な
進み方を
続けてよかったな、
と、

最近は毎日
思えているよ。

つづく

もうこれは結論だろう

結局、

その人を
解き放つ

というのが
私のサポートなんだな、

改めてしみじみ。

ちゃんと
解き放てば、

人と人は
丁寧に
調和していく。

・・・ということを
いやというほど
体験・経験した。

それしか
ないのだ、

それ以外は
ないのだ、

迷いながらも
何度も
試行錯誤しながらも、

時には
回り道をしながらも、

結局は
その答えに
たどり着いた。

そんな
54年の人生だった。

だからやはり
解き放つ。

私のやることは
それだな。

つづく

意思の込め方

一つ一つの
自分の意思を
丁寧に
確認するといい。

日常に
おいて。

ほんの些細な
行動、振る舞いの
一つ一つに

私達は無意識に
心の声を
呟いている。

例えば、
椅子から立ち上がる
時には、

「さぁ、立とう」

というように。

無意識に
呟き、
その呟きに即して
実際の行動に
移している。

だからまず、
その一つ一つの
心の声に
意識を向けてみよう。

すると、
自分の意思が
込められている心の声

そうでない心の声
の区別が
徐々についてくる。

そうしたら、
できるだけ自分の
意思を込めた
心の声を
増やすといい。

その度合いが
高まれば、
自己コントロール力も
高まっていく。

それを通じて、
だんだんと
自分自身への
理解も深まる。

そうか、私は
こんな時に
こんな心の声を
呟いていたんだ。
しかも、
こんな時には
こんな意思が働き、
あんな時には
思ったより意思は
入ってないんだな。

・・・という具合だ。

そして
意思と言っても
様々ある。

自分の
本当に大切にしたい
意思を
増やしていく。

自分の願いに
つながる意思を
増やしていく。

そんな意思を
尊重した
心の声を
増やしていく。

これを通じて、
真本音度は
高まっていく。

願いと行動が
より深く
結びついていく。

以上のような
ことを、
日々、
日常生活の中でこそ、

ほんの些細な
行動の中でこそ

やり続けると
いい。

つづく

じっと待ち、一気に進む

夜明けだ。

・・・と、
ホッとする。

やっと
日が昇る。

そうすれば
ここも
暖かくなるだろう。

夜明け前なのに、
まるで
世が明けたかのように
振る舞うことは
できない。

暗闇を
「明るい」
とは言えない。

暗いものは
暗い。

見えないものは
見えない。

怖いものは
怖い。

自分を騙す
必要はない。

あるがままに
状況を捉え、

あるがままに
感じれば
いい。

それをしなければ、
夜明けを待つ
という
選択ができない。

私達には、
待たねばならない
時がある。

自分では
どうしようもない
世の中の摂理があり、

潮流があり、

タイミングがある。

それを
じっと待つ。

潮流の変わり目

見極める。

そんな進み方
も大切だ。

私達の真本音
は、
決して
無茶をしない。

自分自身を
常に
じっと観つめ、

状況を
現実を
じっと観つめ、

自分も
状況・現実も
両方を
大切にする。

自分と現実の
コラボ。

それが人生。

それを
最もよくわかっている
のが、
自分自身の
真本音だ。

つまりは、
最善を尽くす。

自分の
理想通りに
進めるのではない。

最善の一歩

丁寧に
歩み続ける。

そして、
絶妙のタイミング、
チャンスに、

一気に
進むんだ。

つづく

死ぬだろうな、と悟りかけた時

大荒れの
海を
船が
漂っている。

今にも
転覆しそうだ。

あぁあれに
私は
乗っているのだな。

生きるか死ぬか
という
状況にいるのだな。


よくわかる。

近づいてみると、
そこにいる私は
もはや
船の操縦は
諦めたようだ。

それどころか
立っていることすら
できない。

必死に船に
しがみついて
いる。

自力では
どうしようもない。

人事を超えた
状態。

なるように
しかならない
状態。

そうか
だから私は今、
ここから
すべてを眺める
ようになれたのか。

自分を真に
客観的に眺める
ためには、
これほどまでに
追い込まれないと
いけないのか?

しかしせっかくの
機会なので、
私は私を
よく観察してやろう。

もしこの後、
奇跡的に
生き延びることが
できたとして、

今のこの状態を
記憶している
可能性は少ないが。

この航海は
最初から
難しいものだと
わかっていた。

誰も理解して
くれなかった。

それでも私は
何かに
取り憑かれたように
この航海に
出発した。

そして案の定、
こんな目に
遭っている。

自業自得だな、
と思う。

他の誰をも
連れてこなくて
よかった。

犠牲は
私一人でいい。

しかしこの
自己満足とも言える
航海で、
自業自得で
死んだとして、

いったいそれに
何の意味が
あるのだろう?

誰も
喜ばないし、
私自身も
これで本当に
後悔なく人生を
終えることができるのか?

いったい何を
やっているんだろう?

どうしてここまで?

と、
必死に船にしがみついている
私に私は
問うた。

するとなんと、
必死のはずの
私が
私の方を向いた。

意識してか
無意識にか、

まっすぐ
私の方に
目を向けるのだ。

何を
信じているのだ?
この男は。。。

と、
私は呆然と
した。

ここにいるのは
誰だ?

本当に
私なのか?

私は
何者なのか?

お前、
そのまま
見ていろ。

・・・と
その目は
語っていた。

自力の作用
しない状況。

もう何も
できない状況。

委ねるしか
ない状況。

その中で
まっすぐに
何かを見つめている。

その時、私は
初めて、

自分を
信じる気持ちに
なれたんだ。

つづく

願いは抱くもの

近くに
あるようで、

遠くに
見える。

遠くに
あるようで、

本当は
とても近くに
存在している。

私達の
「願い」
とは、
そういったものだ。

願いを叶える
のは
遠い気がするが、

実は
今ここの一歩一歩に
その願いを
込めることができる。

願いとは
願っているからこそ
願いであり、

それは
心の中心に
在り続けることにこそ
意味がある。

願いが
叶うかどうか?

よりも、

その願いを抱いた
自分として
今ここで生きる
のだ。

よくこんな声を
いただく。

「私の願いは
仕事とは関係ないので・・・」

と。

関係あるかないか、

関係ない。

人生において
その願いを
堂々と抱き続けている
存在として、

仕事に向かえば
いい。

それこそが
本来の自分
ではないか。

つづく

私が中心なんだ

真本音度が
高まると、

自分が
中心にいる

という
感覚が高まる。

すべての
中心。

世界の
中心。

万物の
中心。

・・・そのように
感じ取ることは
傲慢ではない。

すべては
自分を中心に
まわっているのだ。

これを
理屈ではなく
感覚で
知ることができると、

それは
真の自律への
大切な一歩となる。

この
「中心感覚」
とでも言うもの、

これがないままに
「俺が中心だ」
とやってしまう人は
単なる傲慢に
なってしまう。

それは
自分自身への
言い聞かせに
過ぎない。

「中心感覚」
はもっと
自然なものだ。

そしてそれを
知ることで、

私達は自分の
一挙手一投足に
「つながり」を
求め始める。

つながり感
とか
一体感
とか。

自分と
自分以外のすべての
存在を
感じ取りながら、

今ここで
自分は何を
すれば良いか?

丁寧に
自分の意思として
決めるようになる。

だからこそ
その一歩は
周りに波及する。

真に影響力の
高い人とは
こういう人だ。

「まずは自分」
と、よく言われるが、
本当にそうだ。

まずは自分の
生き方を、
大切にしよう。

真本音の生き方
を。

その積み重ね
によって
「中心意識」は
自然に発動するから。

つづく

開いているか閉じているか

自分自身が
開いているか、
閉じているか、

ということに
敏感になれると
いいね。

閉じている時は
当然のことながら、
なかなか
物事が調和しない。

思惑通りに
物事が進む必要は
ないが、

それでも
起こるべきことが
起こらない時は、

やはり多くは
自分自身に問題が
あると
認識した方がいい。

その時に、
自分は閉じていない
だろうか?
と、
その視点からの
チェックが効くと
いい。

そして
閉じていたなら、
自分を開く。

それだけの
こと。

・・・なのだが、
この単純なことが
できるようになる
ためには、

自分が
開いている状態


よく知っておく
必要がある。

そして
そのためには、
まずは
常に自分が
開いていよう
という意志を持ち、
生活を続ける必要が
ある。

人間、皆、
開いている時は
意識が
外に外に向かう。

現実に
向かう。

自分以外の
あらゆる存在が
よく
観えている。

あるがままを
見つめることが
できる。

だから、
それを意図的に
行なうのだ。

常に意識を
外に向け続け、

自分以外の
あらゆる存在に
視線を向ける。

あらゆる存在を
・・・物も人も、
あるがままに
観察しようとする。

それを
一日中続ける。

これをすることで、
自分が
開いている
という状態を
体験すると共に、

自分が
閉じている状態
との区別が
つくようになってくる。

そうなると
逆に、

今は
開いていよう。

今は
閉じていよう。

・・・というように
自分で自分を
コントロールできるように
なる。

これが
「自律」の基本だ。

仕事が始まると
なかなかそういった練習は
できづらいので、

時間にもゆとりのある
今こそ、
ぜひ練習してみてほしいな。

つづく

自分という存在感

広い視野から、

例えば
大空から

大地を
眺める。

世界を
眺める。

そして
その中に
「自分」
の姿を見つける。

自分は今、
どこにいて
何をしているのか?

大空の視点
で見つめる。

それを
本当に真剣に
毎日、
いつ何時も
やり続けると、

自分なんて
小さな存在だな、
などとは
到底言えなくなる。

自分という
存在の
世界に与える
影響について、

しみじみと
実感できる。

もちろんそれは
あらゆる人に
言えること。

皆、
自分の存在感
について
卑下し過ぎている。

もっと
真剣に
客観的に
自分を
深く
見つめ続けよう。

そんな一年に
してほしいな。

つづく

今年の理念は?

明けまして
おめでとう
ございます。

本年も
よろしくお願い
申し上げます。

今年は
どんな理念で
一年を過ごしますか?

私はですね、
今年は

『罅ぜる』

です。

さて、
なんて読む
でしょう?

興味があれば
お調べください。

自分自身も
人も
事業も、

すべてこのために
進めてまいります。

つづく

本当の経験とは

節目を迎える
手前で
私がいつも
大切にしていること
は、

しっかり
「振り返る」こと
だ。

過去は
振り返らない、
などと
言っていては
ならない。

私は
「経験」
とは
振り返りをしっかり
するからこその
「経験」
だと思っている。

振り返りをしない
経験は
経験ではなく、
単なる「体験」だと
思う。

体験は体験なりに
得るものは
あるだろうが、

真本音レベル
で、
次につながる
「何か」
をしっかりと自覚する
には、

「経験」が
必要だ。

そしてその経験とは、
振り返りが
伴ってこその
もの。

私はまず、
一日一日を
しっかりと
振り返る。

まるですべてを
体験し直す
感じで。

もう一度、
同じ一日を
過ごすような
感じで。

それをしながらも
自分から離れた
第3者としての
客観的な目線で、

一日を過ごしている
自分自身と
そこに展開された
現実を

あるがままに
観察するのだ。

それをした時に
初めて、

深い次元からの
気づきが
得られる。

それをもとに
さらに
セルフコーチングを
続ける。

これを毎日
丁寧に続ける、
という習慣があり、

その上で、

3ヶ月、とか
半年、とか
一年、とかの
節目をまた
節目として大切に
する。

例えば
一年の節目であれば、
その一年を、
私は
体験し直すのだ。

ただしそれは
頭は使わない。

体ごと
過去(一年前)戻り、
直観的な体験の仕直し
をする。

そして
直観的な観察を
する。

これをすると、
そんなに時間を
かけずに、

一年の振り返りと
気づきを
得られる。

こういった技を
使えるようになるには、

まずは
一日一日の
振り返りから。

皆さんも
2023年から、
それを始めてみては
いかがだろう?

つづく

宿命というやつさ

石が、
岩のような
大きな石が、

いくつも
いくつも

ガンガンと
ぶつかってくる。

真正面から。

それを
受け続けるのは
億劫だ。

第一、
体も心も
もたんだろ。

なぜ私が・・・?

という
思いも
あるだろ。

人間
だからな。

それでも
やらないかん
ときが
ある。

面倒な
石ばかりだが、

一つ一つを
受け止める
ばかりでなく、

愛さなければ
ならない
ときが
ある。

できるか?

・・・
できるか?

訊かれれば、

できない、
としか
言いようがない。

じゃあ、
逃げるか?


訊かれれば、

逃げるわけには
いかない。

逃げるわけには
いかないし、
できるとも
思えない。

全部わかった
上で、

やるしか
ない。

やるしか
ないだろ。

選択肢
なし。

それが
宿命と
いうやつさ。

つづく

下を向くときもあるだろ

常に
上を向いて
生きることができれば、

それほど
良いことはない。

しかし
真剣に生きれば
生きるほど、

下を向きたくなる
時はあるよね。

そんな時は
下を向けば
いい。

どうせなら
徹底的に。

私もね、
下を下を、と
向いてきたよ。

とことん
俯き続けた
と言ってもいい。

だから
本当の
下の下が
どうなっているかを
知ることができた。

そして
上を向く
ということの
本質も知れた。

上だけが
いい。
下はダメ。

・・・そもそも
それこそ
偏屈というものだ。

どっちも
あるのが
人間。

どっちも
しっかり
向こう。

と言っても
意図的にできるもんじゃ
ないけどね。

そんな余裕は
ない。

いや、でもむしろ、
余裕などない方が
いい。

余裕がある
ということは
自分の範疇から
出ていない
ということ。

余裕なくなるのが
人生。

それこそが
生きている
ということ。

生きる、とは
下も向く。
上も向く。

どっちも味わう
ということだ。

逃げたいなら
逃げればいい。
その代わり、
徹底的に。

そうして初めて
逃げない、
というのがどういうことか、

よくわかるように
なる。

それをして
初めて、
いつ逃げても
いいか、
いつ逃げては
ならないか、

わかるようになる。

どんどん
経験すれば
いい。

ただし、
経験に縛られず、
いい気にならず、

それよりも
経験を経た
新たな自分として、

上も下も
両方大切にしながら
進もうよ。

つづく

その一言がすごい

一言、

あまり意味は
わからないのに

それでも
強烈に

浮かぶ言葉
がある。

そんな時、私は
とりあえず
それをそのまま

目の前の
その人に

伝えてみる。

こういった
場合、

意味が
わからなければ
わからないほど
いい。

意味がわかれば
こちらの解釈が
入ってしまうから。

だから、

よくわからない
のですけど、
今、浮かんだことを
そのまま言いますね、

という
前振りの上で、
私はそれを
ダイレクトに
伝える。

だいたいは、
ここから
そのコミュニケーションの
場は、
面白い方向
想定外の方向

進んでいく。

1on1の時も
複数人の時も
同じだ。

そんな時は
人生の醍醐味
人間関係の醍醐味

しみじみと感じるね。

人と人の
コミュニケーションは
元来、
もっと面白いものだ。

面白くしよう。。

そのためにも、
直観

コミュニケーションの
場こそ
大切にね。

つづく

別れの出会い

遥か彼方に
頂が
見えるが、

本当に
遥か彼方
だな。

途中の道は
霞んで見えない。

本当に
ここ
とつながって
いるのか?

あの霧の
中で
迷ってしまわないか?

でも
ここで、

この
世界で、

使えるのは
この
二本の足
のみだ。

地続きに
なっていることを
祈るよ。

さて、

ここで道は
二股に分かれて
いるようだね。

君は
どちらを行く?

右?

そうか、
私は左を
行こうかと
思っていたよ。

じゃあここで
さよなら
だね。

どうせ道は
どこかでまた
交差するだろうよ。

でも、
それはいつかな?

永遠の時間が
そこに
横たわっているのも
感じるよ。

でも、
それも
アリだ。

君は右に
行き、
私は左へ。

それによって
初めて
我々は

同じ道を
たどっている


言えるんだ。

ずっと
共に在る

言えるんだ。

君はますます
私を
感じるだろう。

私もますます
君をね。

さぁ、じゃあ
行こうか。

これで
お別れ、

・・・ではないな。

我々は
これから
本当に

出会うんだ。

つづく

疲れてるんだよ

脱け出せない
状態が
あるならば、

それは
エネルギー不足
のせいだ。

自分自身の
エネルギーを
高めることだ。

エネルギーを
高かめた上で

発想と実行を
しよう。

要するに
疲れてるんだ。

そんな時は
何も進まない。

疲れている
自分を
責めるなかれ。

とりあえず
自分を
癒そう。

自分に
パワーを
与えよう。

元気に
なってもらおう。

自分を
整え、

よし準備完了

なったところで、

もう一度、
ここに

この現実の
前に

戻ってこよう。

つづく

きっと叶うよ

あなたが
本当に
叶えたいことは
何だろう?

人生で、
本当に
叶えたいことは?

くっきり
はっきり

それを自覚しよう。

そして、

もしそれを
心のどこかで
ちょっとでも
諦めていたと
したら、

それらの気持ちは
横に置いて、

本気で
その実現を
祈ろう。

100%の
祈りだ。

それをすることで、
初めてその
祈りは、

あなた自身の
芯に
届く。

本当に叶えたい
ことは、

まずは
あなた自身の
芯に、

それをちゃんと
伝えることだね。

つづく

現象の一つ一つが

一つ、一つ、
現象が
起こる。

一つ、一つ、

丁寧に
観ていく。

感じる。

一つ、一つ、
・・・。

丁寧に
丁寧に。

この年に
なるとね、

結構、
あらゆる一瞬、
現象の一つ

妙に愛おしい
ものなんだ。

楽しむ
というよりも、
今は

味わう、

というか

抱く、

というか。

よしよし、と
一つ一つの
現象を
撫でさすっている
ような
感覚だ。

幼子を
愛でるように。

ひょっとすると
若い頃から
こんな生き方が
できると
もっと良かったのかな、

とも
思うけど、

まぁでもそれも
人間。

その時代
その時代の
進み方が
あるよね。

この世は
カタチの
集合体。

カタチは
すべて
永続はせず、

いつかは
崩れる。

今ここで
儚く消える
ものもある。

その一つ、一つ

愛でる。

愛でたい。

それが
人生を愛でる、

自分自身を
愛でる、

ということかな。

つづく

不安がいっぱい

未来は
わからない。

・・・というところに
この世の
意味がある。

ということは、

わからないが
故の
不安、モヤモヤ達。

これらの心にも
意味がある
ということだ。

不安を感じる
自分はダメ。

弱い自分は
ダメ。

という
思い自体は
持っても良いが、

そういった
モロモロのもの
すべてを含めて

どんな心が
あっても
いいんだ。

だから
あえて自分を
責め続ける
必要はない。

疲れる
だけだし。

不安であれば、
その不安を
しっかりと
感じ続けよう。

自ら意志を
持って
味わうくらいに。

我々は
人間だ。

人間として
生きる
ということは、

人間が故の
一つ一つの
現象を
味わうという
ことだ。

だから私は
苦しみも
徹底的に
味わい続けて
きた。

でも
苦しみだけじゃ
ないだろう。

もっと
様々な心達が

知らない
自分が

自分の中には
あるだろう。

一部だけを
味わうのでは
なく、

全体を
味わろうと
してみよう。

味わえば
味わうほど
深まる。

味わえば
味わうほど
さらに
未知なる自分が
顔を覗かせる。

その大いなる
不思議な
存在。

人間・・・。

人間として
生きるなら、

最後まで
人間として
生きよう。

つづく

確かなものがなくなったか

これまでの
自分の
一歩一歩が、

すべての
歩みが、

急に
幻のように
儚いものに
感じてしまう
ことがある。

懸命に
ここまで
来たのに。

それらに
意味は
あったのか?
と。

何かを得ながら
ここまで来たように
思ってきたが、
実は
何も得られて
いなかったのでは?

自分は
何も
成長できていない
のでは?

自分は
何もできない
ままの自分では?

・・・と。

確かだと
思ってきたことが
まったく
心許なくなって
しまう。

確かなものを
何一つ
感じ取れなく
なってしまう。

・・・そんな感覚が
急に浮上したら、

実はそれは
大きなチャンスだ。

ステップアップ
の。

ステージアップ
の。

脱皮の。

羽化の。

孵化の。

大きく変わろうと
しているんだ。

羽ばたこうと
しているんだ。

まずはそんな
自分を
褒めてあげよう。

確かなものを
確かなものだと
思い続けることは

実は、

愚かなことだ。

人間の
最大の愚かさの
一つだと
私は思っている。

確かなもの
など
どこにある?

という
目線は
とても大切だ。

ただそれを
探究し続ける
こと。

確かなものが
なくなって
しまっても、

それはどこかに
あるはずだ、

探し求め続ける
こと。

それが
自分自身を
次のステージに
導いてくれる。

そのためにも、

まずは
自分を
褒めよう。

自分を
真に
褒めよう。

自分自身に
パワーを
与えられる人こそが、

人に、
世の中に
パワーを
与えられるんだよ。

つづく

こんな感じの対話だ

なぁ、
伝えて
もらえないかなぁ。

何を?

もうちょい
がんばれよ、
と。

何を?

生きる
ことを。

生きてない
のか?

全然。

ただ呼吸を
しているだけだ。

自分が何者か?
まったく
わかっていない。

考えたことも
ないよ。

それは
ひどいな。

そうだろ?

でも
伝わるかな?

伝わらない
だろうな。

それでも
伝えるか?

そうして
くれるか。

何か、
ただ伝える
だけでなく、
良いキーワード
とか
問いとか、
ないかな?

う〜ん・・・。

君は
何に喜ぶんだ?

些末な
ことさ。

自分が
認められたか
認められないか
とか。

そんなことに
一喜一憂
してるよ、
毎日。

しょうがない
やつだな。

そう思うだろ?

疲れる生き方
だな。

その通りだ。
本当は
やることいっぱい
あるのに。

じゃあさ、
まずは
一つだけでも
いいから、
キーワードを
見つけ出そうよ。

できるかな?

わからないけど
ちょっと
頑張ってみるよ。

頼りに
なるねぇ。

上手くいくか
わからんけどね。

頼んます!

・・・

コーチング中の
実在との対話。

つづく

私の推進力

希望

ずっと

闇の中を
たった一人で

漂って
いる。

ポツネン
と。

それは
永遠を思わせる
孤独。

そこには
何もなく、

まるで、
すべてから
見捨てられた
ような、

深い
悲しみ。

見つけて
もらえない
悲しみ。

しかし
希望は
どこまでいっても
希望
という存在。

孤独の
闇であっても

光は
変わらず
輝き続ける。

このまま
本当に
永遠に
見つけ出されない
可能性は
高い。

しかし
ずっと
そこにいる、
ポツネンと。

消える
ことなく。

自らの
希望だ。

自らが
見つけて
あげねば。

すべての人
への
私の願い
であり、

私の人生の
推進力。

つづく

あなたの命と私の命と

炎が
小さくポッと
生まれたかと
思えば、

ポッと
消える。

消えたかと
思えば、

また別の場所に
生まれる。

連鎖。

炎の一つ一つは
別個の
もの。

だが、
それはまるで
永遠のリレーの
ように、

途切れることは
ない。

命とは
このように
続いていくものか。

私達は
命のリレーを
し続ける存在だ。

私の命を
高める
ということは、

私の命に
こだわらない
ということ。

私という命を
超える、
その勇気と
気概を持ち、

その上で

すべての力を
抜き、
大いなる流れに
委ねること。

すると
この命は
個人のものだが、

その土台の
永遠を
感じ、

なるほど、
これが
私か、
本当の、
私か・・・、
と。

これまで
些末とばかり
思い込んでいた
この小さな
存在を

ようやく
偉大なるものと
受け止めることが
できる
幸福へ。

分離している
からこそ
広がり続ける

という存在
達。

あなたの
ことだ。

それは
すべてであり、

たった一つの
こと。

こんな小さな
私だからこそ、
ここに
無限がある。

だから
進める。

命を
委ねながら。

静かに。

つづく

果てしない存在

目に見えている
この現実を

じっと
観よう。

それは
確かに
ここにある。

しかし
それは
淡い。

しかし
その淡さに
愕然としている
暇はない。

その儚さに
絶望している
暇はない。

もっと
自らの渾身の
想いを込めて

あるがままに
観つめよう。

観詰めよう。

すると
その

がわかる
はずだ。

その
奥にある
何ものか、


果てしなさ。

悲しみも
あれば

怒りも
あれば

やすらぎ

喜び

あらゆる
揺れが
そこには在り、

有る。

だが、
それで驚いて
いる
暇もないのだ。

さらに
その

を私達は

さらなる
果てしなさ
と共に

感じ取らねば
ならない。

それこそが
真実。

真理。

愛。

そして
さらに、
その奥を。

すると
自分が
何ものか、

誰もが
知るだろう。

あらゆる
現実の

その奥に

それは
あるのだから。

つづく

今こそこの問い

問い一つ。

本当は
やればできる
はずなのに、
ずっと
やれずにいる
ことは何?

・・・さて、
この問いは
今こそとても
大事。

なぜなら、
この答え、

今からは
絶対
やった方が
良いからね。

つづく

評価が怖かった

無駄なことは
極力
やめる。

無駄な行動、

無駄な振る舞い、

無駄な一言、

・・・。

ある時に、
私はそう決めた。

私にとって
それは
とても楽な
ことだった。

人の目を
気にして、

人からの
評価を
気にして、

良い人
とか
素晴らしい人
とか

そういった人物に
見られようという
気持ちが
私の中には
山のようにあり、

そう、
自己顕示、

という言葉が
ピッタリだな、

自己顕示の
ために
生きていた、

と言って
過言ではなかった。

で、
生きることに
疲れ果てた。

そして
あるきっかけから
真本音で
生きることに
決め、

ある程度
真本音度が
高まった時に、

自己顕示なんて
どうでもいいじゃん、


自然に思えた。

そして、
無駄なことは
すべてやめようと
思った。

そこからだな、

人生が本当に
楽になったのは。

そうしたら
逆に、
人間関係も
スムーズになり、

変な話だが、
周りからの評価も
自然に高まった
ようだ。

もちろん
今でも
評価を気にする
心はある。

でも
そんな自分が
可愛らしいなと
思える。

そして
評価のための
行動は、
振る舞いは、
一言は、

今は
一つも
ない。

たったの
一つも
出ない。

そんな自分が
また
気持ち良い。

やっと
自分で自分を
褒められるように
なった。

で、
気づいたんだ。

結局、
自分自身が
自分を
一番、評価して
なかったんだな、
とね。

つづく

理想通り行かないが

目の前に
障害があっても、

障害が
もしなかったとしたら、
自分は
何を望むのか?

自分の純粋な
希望を

自分が明確に
理解しよう。

「どうせ理想通り
には行かないから」

という声は
多いし、
実際その通り
なのだが、

自分の理想すら
自分が理解せず、

一体
どのような道が
開くと言うのか。

私達にできるのは
最善を尽くす
こと。

そして
最善とは、
理想と現実の
紡ぎ合いだ。

理想を
知らずして
最善は、ない。

理想を
知らない最善は、

単なる
妥協だ。

だから
まずは
純粋な想いを。

自分自身が
本当に
望むことを

しっかりと
見つめよう。

その上で
現実と
向き合うんだ。

つづく