チームパフォーマンスコーチ

自分の幸せをもっと考えよう

 

毎日、笑顔で

いたいですか?

 

と、

問われれば、

多くの人が

Yes

と答えるだろう。

 

しかし、

どうすれば

本当に毎日、

笑顔でい続けられるか?

真剣に考えている

人は

あまり多くないのでは。

 

この仕事を

始めた20年以上前から

この印象は

さして変わっていない。

 

もっとみんな

自分の幸せについて

真剣になればいいのに、

と思う。

 

・・・・・・

 

真剣さの第一歩は

考えることだ。

 

しかしそれを

している人は

少ない。

 

例えば、

 

「あなたは本当は

何が好きですか?」

 

という質問をして、

すぐにその人自身の

真本音だと思われる

スッキリした答えを

返してくる人は

 

極めて

稀なのだ。

 

なぜもっと

考えないのだろう?

 

なぜもっと

自分自身に

意識を向けないのだろう?

 

なぜもっと

自分の人生の幸せを

探求しないのだろう?

 

と、

単純にいつも

思う。

 

みんな

惰性で

生きているのか。

 

そうなってしまっているのが

今の社会なのか。

 

でも、

そんなのは嫌だ、

そんな社会であって

ほしくないし、

そんな人生で

終わりたくない、

と、みんな

思っているだろう。

 

もっとその気持ちに

素直になれば

いいのに。

 

その気持ちに

向き合う気力すら

もう

湧かないのか?

 

諦めて

しまっているのか?

 

・・・・・・

 

死ぬときに

「あぁ、いい人生だった」

思いたい。

 

・・・という気持ちを、

私はいろんな人達から

聴いた。

 

じゃあそのためには、

今日という一日を

いい一日だった、と

思える一日にすることが

基本であると、

私は思う。

 

幸せな一日一日が

幸せな人生を

創り上げていく。

 

それが当たり前だと

思うのだけど、

どうだろう?

 

今日という一日が

幸せになるために、

何ができるか?

 

一日の満足度を

上げるために、

自分は

何をし、

何をしないように

すればいいのか?

 

自分は

何かを変える必要が

あるのだろうか?

 

などなど、

もっともっと

自問自答するといい。

 

あなたの人生は

あなたの人生

なのだから。

 

つづく

 

さぁ、決めよう

 

これまで

どうしても

答えの出せなかった

ことの

 

答えを

出そう。

 

もう、

決めよう。

 

決断を

するのだ。

 

一つの答えを

明確に決めて、

それ以外の選択肢を

完全に「断つ」のだ。

 

もう、

これに関しては

一生、

答えを変えることはない、

 

決めるのだ。

 

それができれば、

次のステージに

あなたは進める。

 

人生は

大きく先に

進む。

 

進化もする。

 

決断には

決断の

タイミングがある。

 

今は

絶好のチャンスだ。

 

今、私達は

潮目にいるのだから。

 

・・・・・・

 

どうしても

決断できない場合は、

 

その勇気が

出ない場合は、

 

「今回は諦めよう」

しっかり決めよう。

 

諦めても

人生が終わるわけでは

ない。

 

ただ、

もう一度「やり直し」を

するだけ。

 

次の潮目が来るまで

同じステージで

さらに経験を

積むことになる。

 

それもまた

人生だ。

 

次のステージに

進むか?

進まないか?

 

あなたの人生だ。

 

しっかり

自覚して

自分で決めよう。

 

つづく

 

ここは自力で進んでください

 

コーチというお仕事を

する上で、

最も大切なことは

何ですか?

 

というご質問を

いただくことがある。

 

もちろん

様々な視点から

様々な答えがある

のだが、

 

そんな時に

私がよくお答えするのは、

 

「サポートしては

ならない時に、

決してサポートしないこと」

 

ということだ。

 

私はこれを

本当に大切にしている。

 

人は、

自力で進まねば

ならない時が

ある。

 

人からの

サポートを

受けてはならない

時がある。

 

その見極めは

残念ながら

本人がすることは

とても難しい。

 

コーチである私が

せねばならないことだと

思っている。

 

だから私は

コーチングのご依頼を

お断りすることが

時々ある。

 

特に多いのが、

以前のクライアントさん

から、

「もう一度、コーチングを

お願いします」

と言われる時だ。

 

もちろん、

サポートさせていただくことが

最善のこともある。

 

しかし、

私のコーチングをご卒業

された方は、

基本的にはもう

私のコーチングは

必要ない。

 

どれだけ

苦しくても、

どれだけ

混乱しても、

ちゃんと自らの力で

道を開く力を

すでにお持ちだからだ。

 

真本音で生きる

ということの本質を

もう

会得しているからだ。

 

もし今、

かつてないような

混乱に見舞われていたと

しても、

 

それは、

自らの真本音が

自らに

与えているもの。

 

次のステージ進むために

自らに

課しているもの。

 

そこは

自力で行かねば

ならない。

 

自力で行かねば

先はない。

 

同じ場所を

堂々巡りするだけだ。

 

それをわかっていて

サポートをしてしまう

というような

ひどいことを

私はどうしても

することができない。

 

コーチとして

というよりも、

人として

することができない。

 

・・・・・・

 

手を差し伸べては

ならない時に

 

手を差し伸べて

しまったら、

 

私はその時点で

コーチを

辞めるだろうな。

 

つづく

 

一つの決意

 

恐らく、

これまでの私の

仕事の仕方を

このまましていれば、

 

私は幸せな人生を

送り続けることが

できるだろう。

 

これまで通り、

良い方々と出会い、

良いお客様に恵まれ、

良い仕事をし、

 

大変なことも

たくさんあるだろうが、

それ以上に幸せな瞬間を

多く味わい、

 

満足して人生を

終えることが

できるだろう。

 

ある意味、

私流の仕事の仕方は

確立できた。

 

いろんな試行錯誤を

経て、

「こうすればいいんだ」

というものは

かなり確立できた。

 

普通であれば、

大満足

である。

 

が・・・。

 

この延長線上での

道のりを

私の真本音は

望んでいない。

 

私は

これまでずっと

培って来た

ここまでの道から

 

逸脱したい

 

のだ。

 

これまで

体験したことのない

 

新たな世界

 

に突入したいのだ。

 

なぜなら、

それをしなければ、

私は

私の人生の目的も

意味も意義も

達成できないからだ。

 

あと27年。

 

私は現役で

い続ける。

 

27年後までに

実現すべきこと

(したいことでもある)

がある。

 

ビジョンがある。

 

これまでの道のりは

そのビジョンに向かう

ためのものだったが、

 

ここで

新たな段階に

入らねばならない。

 

これまでの道から

大きく

飛び出なければ

ならないのだ。

 

これまでも

ヒリヒリして来た

人生だったが、

 

これからの

ヒリヒリは

かなり次元の異なる

ものとなるだろうな。

 

そんな新たな

旅に

これから入っていこう

かと思っている。

 

つづく

 

ニヤニヤ見られてる

 

今、

私の体の中心

(心の中心、と言ってもいい)

に、

 

青い火柱が

立っている。

 

火柱とは言え、

メラメラとした感覚は

皆無で、

 

むしろ、

静けさや落ち着きを

感じさせる。

 

ずっと以前から

ここにあったような

気もするが、

 

つい最近

できた気もする。

 

ただそれは

重要なことではなく、

 

それよりも、

その火柱が私に

静かに語りかけてくる

メッセージに

耳を傾けたい。

 

・・・・・・

 

火柱の中に

入ってみると、

 

そこには

仲間達がいる。

 

皆、静かに

笑っている。

 

仲間達は

私を見ながら

言うのだ。

 

もう

大丈夫じゃ

ないっすかね。

 

・・・と。

 

何が大丈夫?

 

と問うと、

 

ニヤニヤしながら

教えてくれない。

 

あぁそうか。

 

最近、なんかずっと

誰かから

ニヤニヤされながら

見られている感覚が

あったが、

 

このニヤニヤだ。

 

別に悪い感じは

なく、

いたずら小僧達が、

私の振る舞いを

楽しんでいるかの

ようだ。

 

・・・・・・

 

彼らのニヤニヤの

意味はわからないが、

 

火柱から出ると、

何か大事なメッセージを

受け取った

気がする。

 

ちょっと言葉に

してみようか。

 

んー、そうだな。

 

・・・

『もうすぐ始まるよ。

どうせあなたは

我を失うくらいに

楽しむだろうけど、

せっかくなんで

味わいながら

行きましょうよ。』

 

・・・かな。

 

意味はまったく

わからないが、

何か

すごくよくわかる。

 

多分、

ワクワクしすぎて

卒倒しそうなくらいの

私がいるのだろう。

 

それを見て、

みんなが

ニヤニヤしている。

 

まぁまぁ

落ち着いて、と。

 

青い火柱でも

見ながら、

落ち着いて、と。

 

じゃあまぁ、

そうするか。

 

あえて今は

何も考えないように

するが、

 

きっと

これまでの人生の

すべての意味が

わかるようなことが

 

これから

始まるのだと

思う。

 

つづく

 

焦って進めば遅くなる

 

ちょっと結果を焦り過ぎ

の人が

最近は多い気がする。

 

最速で進もうと

すること自体は良いけれど、

 

最速で進むことと

焦ることは

 

当然のことながら

まったく異なることだ。

 

真逆と言っていい。

 

焦れば焦るほど、

スピードは落ちていくから。

 

最速で進むために

必須のことは、

 

地に足をつけること。

 

未来を見つめることも

大事だが、

 

未来に続く

「今」

を大切にせねば

意味がない。

 

今自分の立っている

足元をしっかりと

見つめること。

 

そして、

 

地道に一つ一つ

誠実に一つ一つ

着実に一つ一つ

 

自分のすべきことを

ちゃんと丁寧に決め、

 

淀みなく決め、

 

それを

魂を込めて実行する

ことだ。

 

だいたいそれを

していると、

自然に

「習慣化」

ができる。

 

一見すると、

毎日同じルーティンを

回しているような

コツコツとしたことを

やるようになる。

 

そのコツコツが

大事だな。

 

一度に大きなことをして

大きな成果を

手に入れよう

 

としても、

この世ではそれは

なかなかに難しい。

 

こう見えて、

この3次元の世界は

実に

「反応の遅い」

世界だ。

 

鈍感で

打っても響かず、

暖簾に腕押しの

実に多い世界だ。

 

そこを生き、

しかもちゃんと道を

創るには、

 

コツコツ

やり続けること

こそが、

 

最速につながる可能性は

高い。

 

だから私がいつも

大事にしているし、

皆さんにも

お伝えし続けているのが、

 

真本音で

今日やろう、と思うことは

今日、必ずやり、

 

今日はやらない、と思うことは

今日は、やらない。

 

ほんの些細なことも

すべてそれで

決めていく

ということだ。

 

それにより、

自然にシンプルな

習慣もできる。

 

「スモールスタート」が

「ビッグウェイブ」に

つながるんだ。

 

つづく

 

これからの一本道のテーマは?

 

あなたは

海を見ている。

 

水平線の彼方から

今、

朝陽が昇った。

 

太陽の光が

赤く海を染めた。

 

陽が昇るにつれて、

あなたと太陽を

結ぶ

光の帯が海に映え、

 

それがやがて

一本道となった。

 

これから

新しい一日が

始まる。

 

新しい人生の

ステージが

始まる。

 

あなたと太陽を

結ぶ一本道は

 

本当の

一本道となった。

 

海の景色は

変わり、

 

あなたは

一本道に

佇んでいる。

 

あなたは

とても気持ちの良い

場所にいる。

 

その幸せを

存分に感じながら、

 

あなたの足元から

前に続く

その一本道に

 

名前を

つけてみよう。

 

その名前は、

これからのあなたの

人生の

テーマであれば、

尚のこと良い。

 

・・・・・・

 

私自身が上記を

行なったら、

 

とても意外な

名前が浮かんだ。

 

『慶を得る道』

 

だ。

 

喜び、ではなく、

慶、という文字が

浮かんだ。

 

珍しい。

 

しかも

私が何かをする

というよりも

私が「得る」ことが

大事だし、

 

その「得る」とは、

得るためにどうするか?

ということがテーマ

ではなく、

むしろ

「素直にいただく」

という意味らしい。

 

そう言えば、昨晩、

長年、共に歩んできた

ある社長さんと

食事をした。

 

バーに行って

一緒にお酒を飲んだが、

 

その会話の中で、

ちょっと俺、ここまで

がんばり過ぎたかな、

 

と思ったのだ。

 

ここまでの人生、

特に今の仕事を始めての

23年、

決して美しい道では

なかったが、

 

回り道ばかりだったが、

我ながら

本当によくがんばって

きたと思った。

 

こんな風に自分を

振り返るのは

ひょっとすると初めて

かも。

 

それだけ年を取って

しまったということかも

しれないが、

 

いや〜、しかし今も

本当に

日々、これだけ真剣に

生きているのは

我ながら

ちょっと凄いな、と

 

ひょっとすると

初めてこのように

自分を褒めたかもしれない。

 

まだまだこれから

やることは

いっぱいあるし、

 

むしろ

ここからが本番

なのだが、

 

ここから先は

「素直にいただく」

ことを

テーマにすると良いのだな、

思ったのだ。

 

そして今日、私は

その社長さんと

食事をしながら、

その社長さんから

ずっと

抱擁されているような

感覚になっていた。

 

もちろん

実際にそんなことは

ないのだが、

感覚、ね。

 

実に幸せな

時間だったのだが、

その幸せ感を

素直にいただく、

のが

これからの私の

テーマなのかな、と。

 

で、

浮かんだのが

『慶』

という文字。

 

私はこれからも

たくさん

皆様に私のできることを

ご提供するが、

 

皆様からも

たくさんの『慶』を

いただき、

それを素直に感じ、

私自身も慶に満ちることを

あえて

これからのテーマに

しよう、と、

 

そう思ったのだ。

 

もちろんこれまでも

「慶」は得ていたが、

これからは、

もっともっと

そこに身を委ねてみよう、と。

 

で、

がんばり過ぎないで

おこう、とも思った。

 

あと27年は

私は最速で進みたい

のだが、

 

最速で進むためには

がんばり過ぎないことが

これからは

大事だな、と。

 

「進め!」

よりも

「慶を得る」

の方が、

私は速く進めそうだ。

 

という風に

気づいたわけさ。

 

あなたの

これからの

一本道は

どうだい?

 

どんな

名前かな?

 

どんな

テーマかな?

 

つづく

 

だいぶ自由になってきた

 

ふと、昨日、

ちょうど一年前のこのブログの

記事を読んでみた。

 

実は私は

自分の書いた過去記事を

ほとんど読み返さない。

 

だから、

ブログを毎日

お読みいただいている

クライアントの皆さんの方が

私よりも

ブログの内容に詳しかったり

する。(苦笑)

 

以前もあるクライアントさんが

「たけうちさん、

こんな文章を見つけたんですよ」

と、

コーチングセッションの最中に

その文章を私の前で

朗読された。

 

「へぇ、なかなか

いい文章ですね。

その人に会ってみたいですね」

 

と私が言うと、

 

「何言ってるんですか。

たけうちさんのブログの

文章ですよ」

 

と、

笑えない冗談のような

やりとりがあった。

 

まぁそれはともかく、

 

珍しくもふと昨日、

ちょうど一年前の自分の

文章を読み返して

みたのだ。

 

すると、

内容云々ではなく、

ある重要なことに

気づくことができた。

 

今の私は

一年前よりも

随分と自由に

文章を書いているな。

 

気づいたのだ。

 

・・・・・・

 

これ、

実は、とても重要な

ことだ。

 

私が躊躇なく

文章を書けるということは、

 

世の中全体の

真本音度合いが

高まっている

ということなのだ。

 

正直、

今の私が完全に

自由か?

と問われれば、

 

まだまだ

躊躇しながら

この文章も書いている。

 

不特定多数の方々が

読まれる文章なので、

当然と言われれば

当然なのだが、

 

私としては

いつも

自分の中にある文章を

そのまま表出している、

というよりも、

 

この文章を書くときは、

常に意識は

「外」に向かっており、

 

「外」との

無意識レベルでの

キャッチボールを

丁寧に行ない、

 

その結果としての

文章を書いている。

 

だからおかげさまで

よく、

「昨日のあの記事、

私のことでしょ」

クライアントさん達から

おっしゃっていただける。

 

それはとても

嬉しいことだが、

でもいつも

誰かを特定して

書いているのではなく、

 

世の中全体との

キャッチボールをしながら

書いている

イメージなのだ。

 

今日も、

そうなんだけどね。

 

そして

その結果として

私が自由に書けるように

なってきたということは、

 

取りも直さず、

世の中全体の

自由度合いが高まっている

ということだ。

 

それが単純に

嬉しい。

 

ただ、

まだまだだけどね。

 

・・・・・・

 

そう言えば最近、

やたらと私の頭の中に

 

「自由」

 

という言葉が

浮かんでくる。

 

自由度合いが

高まる

 

ということと、

 

真本音度合いが

高まる

 

ということは

私はイコールであると

思っているのだが、

 

しかし、

 

「自由」という言葉を

使うと、

とてつもない誤解を

与えることもある。

 

例えば、

最近よく

若い人達から聴く言葉

として、

 

「私は自由に生きたい。

だから

好きなことしかやらない」

 

というものがある。

 

しかしその言葉を

聴くたびに私は、

 

「あぁこの人は

不自由な人だなぁ」

 

と思ってしまう。

 

自由を

履き違えているのだ。

 

だから、

「自由」

ということについて、

 

このブログでは

これから頻繁に

扱っていきたいかな、

とも

思っている。

 

・・・・・・

 

世の中は

本質的な意味で

今、

 

自由度合いを

高めている。

 

・・・と実感している。

 

だからこそ

本来の自由が

広まるように、

 

そんな願いを込めて、

さらにこのブログも

続けていきたい。

 

つづく

 

もっとちゃんと生きようよ

 

私達は、

今この瞬間、

 

「今ここ」

 

にいる。

 

他のどこにも

いない。

現実のレベル

では。

 

体は

一つしかない

からだ。

 

「今ここ」

 

が唯一の

現実。

 

人生を大切にする

とは、

現実を大切にする

こと。

 

つまりは、

「今ここ」を

大切にすること。

 

・・・・・・

 

ところが、

 

「今ここにいる自分」

「本来の自分ではない」

言う人がいる。

 

いやいや、

あなたは

あなたでしょ。

 

「本来の自分」として

「今ここ」に

いようよ。

 

そう言うと、

 

「ここでは本来の自分を

出せないから」

 

と返ってくる。

 

もちろん

出せないことも

あるよね。

 

でもちょっと

環境のせいに

し過ぎてないかい?

 

この会社では

〜〜できない。

 

この仕事では

〜〜できない。

 

この人とでは

〜〜できない。

 

・・・

 

それを言っている内は

どの環境にいても

同じことだ。

 

ずっと

「本来の自分」で

生きることはできない。

 

なぜなら、

環境のせいにする

生き方は、

私達の真本音が

望んでいない生き方

だから。

 

私達の真本音は、

「環境は関係ない」

と思っている。

ちょっと短絡的に

言えば。

 

「どの環境でも、

自分らしく生きよう」

 

と思っている。

 

「どの環境でも、

本来の自分として

生きよう」

 

と思っている。

 

もちろん

難しいこともある。

 

でも、

 

「本来の自分として

今この環境で、

今ここの現実に

向かっていこう」

 

という

意志をとても

大切にしているんだ。

 

これを大切にする人は、

真本音が活性化し、

 

真本音度合いが

著しく高まる。

 

どんな環境でも

「今ここ」を

大切にする。

 

それが

人生を大切にする

ことだ。

 

自分を大切に

することだ。

 

そして

それができる人に

こそ、

 

結果として、

 

現実が

開かれていく。

 

環境が徐々に

自分の味方に

なっていく。

 

自分と環境の

調和が

起こり、

 

自由が増えていく。

 

・・・・・・

 

この仕事は

私が選んだ仕事

じゃない。

 

この仕事は

与えられたから

やっていることだ。

 

だから

私らしくは

仕事できない。

 

いやいやいや。

 

それやっていると

一生、

天職には出会えないから。

 

どんな仕事でも

自分らしく

取り組もうと

しようよ。

 

「今ここ」

にある

自分のすべきことに

対して、

 

魂を

込めようよ。

 

つづく

 

良いセルフコーチングをするには

 

私はよく

セルフコーチングを

する。

 

つまりは、

自分に問うて

自分で答えを出す、

ということを

じっくりと落ち着いて

する。

 

それは

街中にあるカフェで

行なうし、

電車の中でも

行なう。

 

私の場合、

結構、雑踏が好きだ。

 

周りがガヤガヤしていて

人の気配があって、

いろんな「人生」が

私の周りに

溢れている状況が

良い。

 

電車に乗るときも、

ガラガラよりも

ある程度混み合って

いた方が良い。

 

そうだな。

 

一番いいのは、

座席がすべて埋まっていて、

立っている人が

チラホラいる。

 

これくらいが

ちょうどいい。

 

私はいつも電車では

立って

セルフコーチングをする。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングを

するときは、

 

まずは、

 

自分の中に今、

「どんな問いがあるか?」

を探る。

 

探る、と言っても

頭で考えるわけではない。

 

自分自身の

「等身大」

を感じながら、

「無心」

になるのだ。

 

「ただそこに在るだけ」

 

という状態に

なる。

 

そして、

待つ。

 

ただ、

待つ。

 

すると、

私の中にある問いが

自然に

浮上してくる。

 

それはまさに

「浮上」

という言葉がピッタリだ。

 

別の表現を使えば、

「思い出す」

感覚に近い。

 

つまりは、

「問いを創り出している」

わけではないのだ。

 

「そこに在るものを

見つける」のだ。

あくまでも。

 

そういった問いが

見つかれば、

自動的に

「答え」もわかる。

 

なぜなら

「そこにある問い」には

必ず、

「最善の答え」がセットで

ついているからだ。

 

「最善の答え」がわかれば、

人生も仕事も

実に楽に

進むことができる。

 

・・・・・・

 

しかし

セルフコーチングの前提である

 

「等身大で無心になる」

 

というのが、

一般的には

難しいようだ。

 

これができるように

なるためには、

 

心の中の

状態管理ができなければ

ならない。

 

心がいつも

混沌・混乱していては

 

もしくは、騒がしい状態で

あっては

 

なかなか「無心」には

なれない。

 

じゃあどうすれば良いか?

と言うと、

 

これはやはり

「真本音度合いを上げる」

しかない。

 

真本音度合いの

高い人ほど、

 

心や魂は

静かになっていくからだ。

 

だから、

セルフコーチングのやり方を

お伝えする場合には、

 

まずはどうしても

真本音度合いの高め方を

お伝えしなければ

ならない。

 

真本音度合いが

高まらずして

良いセルフコーチングは

できないのだ。

 

と同時に、

良いセルフコーチングが

できることで

真本音度合いは

さらに高まっていく。

 

その好循環を

創り出すことが

重要だ。

 

・・・・・・・

 

というわけで、

そろそろ

セルフコーチングの講座を

再開しようかと

思っている。

 

11月くらいに

開講できると

いいかなぁ。

 

そこでは

真本音度合いの高め方

から

入っていくことになるだろう。

 

そのうち、

募集動画を創ると

思いますので、

 

ご興味ある人は

コメントください。

 

動画が出来上がりましたら、

お送りします。

 

つづく

 

その美しさに泣く

 

大の大人が

泣く姿を

私は随分と見てきた。

 

その姿の多くは、

美しかった。

 

なぜならそれは

解放・開放の

涙だったから。

 

泣くのは決して

悪いことではない。

 

私も真本音度合いが

高まってから

本当に涙もろくなった。

 

自分の心が

形になって現れるのは、

決して

悪いことではない。

 

・・・・・・

 

真本音の涙

というものがある。

 

心が泣く、

というよりも

魂が泣いている

場合だ。

 

この違い、

わかるだろうか?

 

よく、

「なんで自分が

泣いているのかさっぱり

わからない」

言いながら

泣き続けるクライアントさん

がいる。

 

この場合は大抵、

魂の涙だ。

 

・・・・・・

 

私は人前では

泣かないことにしている

のだが、

 

どうしても

堪えられないことが

ある。

 

それは、

クライアントさんが

ずっと超えられなかった

壁を

乗り越えた瞬間、

というケースもあるが、

 

それよりも多いのは、

 

人と人が

関係性を本質的に

大きく塗り替える瞬間

だ。

 

人というのは

本当に大変で、

 

心のレベルではなく、

魂のレベルで

憎しみ合っている

関係がある。

 

それが

会社の幹部さん同士

というケースも

実に多い。

 

そういった関係は

もう、

誰もが修復は無理だ

と思い込んでいる。

 

もちろん

何をしても不可能な場合も

あるのだが、

 

それでもそれを

乗り越える人達も

いる。

 

あらゆる憎しみを

乗り越えて、

再び繋がり合う人達。

 

それを目の当たりに

した時、

 

私は自分の涙を

堪えられなくなる。

 

・・・・・・

 

憎しみほど、

超えるのに大変な

ものはない。

 

でも、

それを超える人々を

私はたくさん

観てきた。

 

目に

焼き付けてきた。

 

その度に

私は、

 

人の美しさ

 

を実感した。

 

人は

醜い部分は

いっぱいある。

 

その醜さ故に

私も

死にそうになったことは

何度もあるが、

 

それでもやはり、

人は

美しい。

 

そこに私は

目を奪われるのだ。

 

つづく

 

真本音度合い100%とは

 

真本音、真本音、と

もう16、7年言い続けて

いるので、

もちろん私は

真本音100%で

生きている。

 

ただ、100%になれたのは

わずか9年ほど前だ。

 

2010年3月のことだ。

 

ある企業様での

研修の真っ最中。

 

ちょうどミッションについて

講義をしている

最中だった。

 

皆さんの前で

喋りながら、

 

あっ、今、100%に

なれたな、

 

と明確にわかった。

 

そしてその瞬間に

よ〜く理解できた。

 

真本音100%になる

とは、

別人になることでも

特殊な自分になることでも

何でもない、と。

 

「普通の自分」

になることだ、と。

 

「本来の自分」

に戻るだけのことだ、と。

 

と同時に

わかったのは、

 

あぁそうか。

みんな、「本来の自分」では

ない状態で

生きているのだ、と。

 

余分なものを

いっぱいいっぱい

持ちながら

生きているのだ、と。

 

もっと

シンプルに生きれば

いいだけなのに。

 

余分な一言を言い、

余分な行動をし、

余分な寄り道をし、

余分な波紋を広げ、

余分な波に自ら

溺れてしまう。

 

今この瞬間の

ちょっとした

振る舞い。

 

ちょっとした

言動。

 

それらを

本来の自分として

シンプルにすれば

良いだけのこと。

 

ということが、

感覚で理解できた。

 

なんだ、

極めて普通のことじゃ

ないか、

と思えた。

 

そして、

誰もがそれは

できるはずだ、と

確信した。

 

だから私のサポート

とは、

皆さんが

「本来の自分」に戻る、

そのきっかけを

与えることなんだ、と

明確にわかった。

 

その時から私は

それ以上のことは

何もやっていない

気がする。

 

だって、

「本来の自分」に

戻れたら、

その人は

本来の人生を自然に

歩み始めるし、

 

その人の願いは

自然に

成就されていくから。

 

だから私は

その人の願い実現のサポート

をしている

わけではない。

 

あくまでも、

その人が

日々の一歩一歩を

本来の自分として

踏み出すための

サポートだ。

 

その人が

真本音100%になるための

サポートだ。

 

・・・・・・

 

真本音100%になってからは、

私の毎日は

極めて「普通」になった。

 

今日、やろうと思うことを

やる、

だけ。

 

今日、やらないと思うことは

やらない、

だけ。

 

一日一日を

淡々と過ごすだけなのだが、

なぜか

幸せ度合いは

毎日、とてつもなく

増していく。

 

それは

今でもそうだ。

 

状況も変わった。

 

意図したわけでは

ないのに、

次々と願いが叶うように

なった。

 

願いと言っても

大きな願いだけでなく、

日常のほんの些細な願いも

いつの間にか

一つ一つ着実に

叶っていく。

 

もちろん、

上手くいかないことは

ある。

 

失敗したな、

と思うこともある。

 

でもそれを

後悔することはない。

 

すべてが必要な

試行錯誤だと

よくわかる。

 

そこで得られるものが

必ずその後に

活かされる。

 

着実に

人生の願いに向かって

進んでいる実感が

毎日、ある。

 

先日、

私の仲間の一人から

 

「たけうちさんって

いつも飄々としてるでしょ」

 

と、

さもそれが当たり前の

ように言われたが、

私としてはまったく

自覚がなかった。

 

「飄々」なんて、

私の真逆の生き方だと

ずっと思っていた。

 

でもよく考えたら、

確かに

余分な力は入っていない

かもしれない。

 

昔はいつも

「肩に力が入り過ぎ」

と言われたもんだが。

 

・・・・・・

 

飄々としているのは、

私の本来の個性で

あって、

 

真本音100%になったから

と言って、

すべての人が

飄々とするわけではない。

 

その人には

その人の

本来の個性がある。

 

それが出るだけで、

周りの人達からは

「自然体」

と見られるのだろう。

 

私は

すべての人が

自然体で生きることが

できたらいいなぁ、と

本当に思う。

 

今の世の中じゃ無理だよ、

と思われるかも

しれない。

 

いやいやいや。

 

自然体とは、

環境には寄らないものだ。

 

どの環境でも

自然体でいられるのが

本来の自然体だ。

 

そして自然体とは、

「穏やか」

ということとも限らない。

 

怒ったっていい。

 

気が短くても

いい。

 

ただ、

自然体ではない状態で

怒ったり、気が短い人が

多いのが

今の世の中。

 

自然体であれば、

「すべて」と

調和する。

 

真本音100%とは、

自然体の生き方

だ。

 

つづく

 

進む方向に進もう

 

一つの方向に

まるで吸い込まれる

ように、

人生の展開が

進むことがある。

 

そっちに行くのは

まったく意図してないし、

むしろ

そっちに行くのは

気が進まないのに、

 

なぜか

その方向に

進んでしまう。

 

そんな時は

委ねてしまおう。

 

個人の

自分の

思惑を

手放してしまおう。

 

これは

迎合ではないし、

優柔不断でも

ない。

 

自分自身の

真本音と

顕在意識が

乖離してしまっている

だけのこと。

 

私達の顕在意識は

やはりどうしても

「クセ」

がある。

 

これまでの人生経験の

中で培ってきた

クセだ。

 

だから

反応本音レベルのクセ

が多い。

 

その「クセ」からすると

今は絶対に

右に進むべきだと

思うのに、

 

なぜか

展開はすべて

左に進んで行く。

 

いやいやいや

ここは右でしょ!

 

と思うのだが、

どうしても左に

進んで行ってしまう。

 

それは、

これまでの「クセ」を

超える時期に来ている

ということだし、

 

それを強い意志で

(つまりは真本音の意志で)

あなた自身が

進めようとしている

ということだ。

 

顕在意識レベルの

思惑や意図は

手放し、

 

自らの真本音の

意志に

委ねてしまおう。

 

そうして

新たな自分を

開拓しよう。

 

つづく

 

大地に立て

 

本当は、

不安定なのは

良いことだ。

 

思いっきり

不安定になる

ということは、

 

思いっきり

不安定になれるだけの

土台がある

ということだ。

 

土台が強固に

なればなるほど、

存分に

不安定になれる。

 

それが

私達の心の

真実だ。

 

ところが、

私達の多くは

この不安定さが

すべてであると

思い込む。

 

そして

不安定であることを

恐れすぎ、

 

不安定の波に

完全に呑まれてしまう。

 

溺れてしまう。

 

海に海底が

あるように、

 

どれくらい不安定な

心にも

海底が(大地が)

ある。

 

その心の大地を

常に

感じ取れるように

なれば、

 

どのような不安定も

安心して

観ていられる。

 

不安定さを

そのままに

しておける。

 

その

心の大地のことを

私は

『真本音』

呼んでいる。

 

・・・・・・

 

「大地」には

意志がある。

 

願いがある。

 

大地の願いを

叶えるために

大地は様々な

「不安定」を

自らに与える。

 

それは

不安定の中に

自分を溺らせる

ことが目的ではない。

 

自らを

「進化」させることが

目的だ。

 

「大地」は

進化を望んでいる。

 

「大地」は

常に

自らを進化させようと

思っている。

 

「固定」から

進化は生まれない。

 

「混沌」から

進化は生まれる。

 

だから

混沌(不安定)は

決して悪いことではない。

 

むしろ

そのまま受け止めれば

いい。

 

どれだけ混沌が

起きようとも、

 

自らは

大地にしっかりと

立ち、

 

ただただ

混沌を見つめれば

いい。

 

そのうちに

混沌そのものを

楽しめるようになるだろう。

 

・・・・・・

 

荒れ狂う海を

鎮めようと

してはならない。

 

海はそのままに

自らは

海底(大地)に

立てばいい。

 

すると、

海が荒れ狂って

いるからこそ、

 

そんな状態だから

こそ、

 

いや、

そんな状態でしか

 

できないことが

あるのだ、

と理解できるだろう。

 

不安定の

今しか

できないことが

ある。

 

それを

するんだ。

 

それをするためには

大地に立つ

しかない。

 

つづく

 

たまらなく面白い

 

定期的継続的に

お客様のところに

通っていると、

 

時々通うが故に

そのお客様の

「変化」が

とてもよくわかる。

 

「変化」はまず、

本人が

決して気づかない

ところから始まる。

 

顕在意識、潜在意識

という観点から言えば、

 

まずは

潜在意識の変化

から始まり、

それはすぐにその人の

「空気感」

として現れる。

 

空気感なので、

本人には

わからないのだ。

 

しかしそれが

ガラッと

とてつもなく大きく

変わることがある。

 

あぁ来たなぁ、

 

私は内心で

ニッコリする。

 

この人達の

本質的変化が

始まった、と。

 

あとはその変化が

どのように

「顕在化」

するかを楽しめばいい。

 

ここからが

コーチとしての

この仕事の醍醐味だ。

 

「顕在化」は

多くの場合、

私の想像もしない展開で

成されていく。

 

おぉ、そう現れるのか。

 

と、

びっくりすること

ばかりだ。

 

逆に言えば、

こちらの意図通りに

変化したり、

思惑通りの成長

であるならば、

 

それは

本質的な変化とは

言えないと

私は思っている。

 

ただ

表面上だけが

形だけが

チョロっと

変わっただけのこと。

 

そういうのはすぐに

もとに戻ってしまう。

 

しかし本質的変化は

文字通り

「変質」

だ。

 

しかもやはり

本人がそれに

気づいていない。

 

こんなに変わったのに

あまりに自然なので

本人にとっては

「普通」なのだ。

 

でも、

その変化は明らかに

現実も変えていき、

気づけば

 

あれ?

なんでこんなに

いいことばかりが

起こるのだろう?

 

ようやく本人も

気づき始める。

 

そして言うのだ。

 

「たけうちさん、

周りの誰々さん達が

変わったんですよ!」

 

と。(笑)

 

いやいやいや、

あなたが変わったから

みんなも

変わったんだよ。

 

それをフィードバック

する時がまた

たまらなく

面白い。

 

この仕事は

本当に

面白い。

 

それは、

「人間」が

面白いからだ。

 

つづく

 

後悔かぁ、なくなったなぁ

 

たとえ今日で

人生が終わって

しまっても、

 

私には

後悔は一つも

ないだろうな。

 

いやいや、

やり残したことは

たくさんあるし、

 

これからやりたいこと

実現したいことも

たくさんあるし、

 

何よりも

家族もいるし、

仲間もいる。

 

いろんなことを

残して

去って行くのは

とても悲しいことだが、

 

でもやはり

「後悔」には

ならないだろうな。

 

え? いや、

ご安心を。

 

私はあとまだ少なくとも

27年は

生きるから。

 

でも、今日

ある社長さんの

コーチングをしながら

ふと

そう思えたんだ。

 

本当に私は

今、

「後悔」というものが

ない、と。

 

「ああしとけば良かった」

が、

一つもないのだ。

 

・・・・・・

 

もちろん

上手くいかないことは

たくさんあるし、

試行錯誤

ばかりだ。

 

でも、

ちゃんと

試行錯誤すべきを

試行錯誤して来た。

 

経験すべきを

経験して来た。

 

と思うんだ。

 

たとえ今から

タイムマシンで

過去に戻ったとしても、

 

今日までの記憶が

あるままに

過去に戻ったと

しても、

 

私はきっと

過去と同じ選択を

し続けるのだと

思う。

 

それが

「最善」

だから。

 

・・・・・・

 

な〜んて

本当に思えるように

なったのは、

 

この7〜8年

くらいかな。

 

でもこの7〜8年は

そういう日々が

続いている。

 

これが

真本音で生きる

ということだ。

 

もちろん

今も私は

未熟だ。

 

真本音で生きる

とは

「完成された人生を生きる」

ということではない。

 

「完成」などないし、

人間はずっと

未熟だし、

 

だからこそ

「進化」を

し続ける。

 

真本音で生きる

とは、

その「進化」を

存分に楽しむ生き方

だ。

 

最大に味わう生き方

だ。

 

だからこそ

「後悔」がない。

 

とはいえ、

「後悔のない人生を

生きよう」

などと

意気込む必要もない。

 

真本音で生きれば、

自然に

そうなるのだからね。

 

つづく

 

決断の時が来たよ

 

もうそろそろ、

答えを出しても

よい頃では

ないかな。

 

これまでずっと

あえて

決断せずに

きたことの

答えを。

 

何度も何度も

決断を試みたけれども、

何度決断しても

決断し切れなかった

ことを。

 

・・・・・・

 

決断には

準備が要る。

 

覚悟ができた

とは、

準備ができた

という

ことでもあるんだ。

 

準備ができたら

一刻も早く

決断をし、

 

先に進んだ方が

よい。

 

・・・・・・

 

私は常日頃、

いつも口癖のように

言い続けている

ことがある。

 

それは、

 

「決断は

タイミングだ」

 

ということ。

 

決断すべき

その瞬間を

逃さないこと。

 

あらゆる決断には

ベストタイミングが

あり、

 

それを掴むこと

こそが

真の決断に

結びつくと。

 

言うまでもなく、

真の決断とは

真本音による決断

ということだ。

 

・・・・・・

 

あなたの真本音は

今、

次に進もう

しているんだ。

 

つづく

 

それはあなたのエネルギーだ

 

あなたの心は今、

静かだろうか?

 

静寂だろうか?

 

そうではない、

のではないかな。

 

あなたの中には

「叫び」

があるはずだ。

 

しかしそれは

決して

悪いものではない。

 

その「叫び」は

エネルギー開放(解放)

によるもの。

 

あなたの中心からは

今、

言いようのない

エネルギーが

溢れ続けているのでは

ないかな?

 

・・・・・・

 

それは

これまでのあなたの

努力の結晶だ。

 

これまで粛々と、

一歩一歩を

誠実に生きてきた

証だ。

 

ひょっとするとあなたは、

そのエネルギーの

あまりの凄まじさに、

 

あまりの強さに

怯え、

 

それを観ないように

しているかもしれない。

 

その気持ちは

わかる。

 

でもそれは

紛れもなく

あなた自身の

エネルギーであり、

パワーだ。

 

あなたのこれまでの

生き方が

生み出している

ものだ。

 

正確に言えば、

あなたと宇宙との

共鳴による

新たな波動だ。

 

だから

恐れることなく、

それを

観ればいい。

 

存分に

浴びればいい。

 

委ねれば

いい。

 

・・・・・・

 

しばらくの間は

あなたはそのエネルギーを

制御できないかも

しれない。

 

あなた自身が

エネルギーに

呑み込まれてしまうかも

しれない。

 

それでも

いいじゃないか。

 

たまには

いいじゃないか。

 

でも何がどうあっても

そのエネルギーは

あなた自身が発している

ものであり、

あなた自身だとも

言えるのだから。

 

新たな自分

とも言える。

 

だからいっそのこと

諦めて

すべて

呑み込まれてしまっても

良いのではないか。

 

・・・・・・

 

呑み込まれても

それは

一時的なものだ。

 

すぐにそれは

コントロール可能と

なる。

 

そのエネルギーは

あなたがあなたの

人生の願いを叶える

ためのもの。

 

あなたの

味方だ。

 

そのエネルギーを放ちながら、

あなたは

これまでとは

ステージの違う

人生を始めるだろう。

 

それは

もうすぐだ。

 

楽しみだ。

 

応援するよ。

 

つづく

 

考えても答えは出ないよ

 

自分が何をすれば

よいか?

わからなくなったら、

 

まずはいったん

止まってみよう。

 

そして

周りの「現実」の

一つ一つを

じっと見つめてみよう。

 

「現実」の中に

すべてがある。

 

これまで自分が

たどって来た道。

 

これまで自分が

行ない続けて来た

足跡。

 

それらが

「現実」に

刻まれている。

 

私は

何をすれば

よいか?

 

その答えは、

自分の中には

ない。

 

「現実」の中にこそ

ある。

 

それは、

自分の意思を無視して

周りに合わせなさい、

ということとは

真逆の意味だ。

 

あらゆる「現実」に

あなたの意思は

ある。

 

あなたはもう

それだけのことを

やってきたはずだ。

 

きっと今、

「現実」達は

あなたに教えて

くれるだろう。

 

ちょいと

無茶なことを。

 

これまでの自分を

大きく超えることを

やってほしい、

あなたに対して

欲求してくるだろう。

 

えぇ〜っ!

あなたはたじろぐ

かもしれない。

 

でもその

たじろぐことを

スタートするために

 

今、あなたは

あなたのやるべきことが

わからなくなっているのだ。

 

あなたはこれから

「現実」の世界で

あなたを大きく

超えていく。

 

心の中の世界では

もう

準備は整って

いるんだ。

 

つづく

 

真本音、とはね・・・

 

最近、多くの方々との

出会いがあり、

私のこのブログを

読み始めていただいている

人も増えているようだ。

 

大変、ありがたいこと。

 

こんなマニアックで

大衆受けの対極のような

内容のものを

読んでいただけるとは。

 

このブログでは私は

『真本音』

という言葉を

当たり前のように

使っているので、

 

この「真本音」について

改めて解説するような

記事を

今後は増やしていこうかと

思っている。

 

・・・・・・

 

「真」

 

という文字を辞書で

引くと、

 

・まこと、本当、本物、真実

・真理

・真剣なこと

・嘘偽りのない、真実の

・正確な、ぴったりでズレのない

・混ざりけのない

・美しい

・ありのまま

・自然のまま

 

などの言葉が並ぶ。

 

まぁ要するに

そういうことだ。

 

私の会社の社名は

そのまんま

『株式会社真本音』

なので、

初対面の人の多くは、

 

「真本音って何ですか?」

 

と訊いてくださる。

 

そんな時、私は

一言でお答えするように

している。

 

「本当の本当の本当の

本音です」

 

と。

 

すごく短絡的な表現だが、

このくらいが

面白い会話になるからだ。

 

「ということは、

本当ではない本音

というのもあるのですか?」

 

と、それこそ真剣に

訊いてくださる人も多い。

 

「はい。その通りです。

ご本人は

本当の本音だ、

と思っていても

実はそうではない本音

というのが

いっぱいあるんですね」

 

と、

大概の場合は

お答えすることにしている。

 

「でも、本当の本当の本当の

本音に基づいて

行動する人は、

とてつもないエネルギーが

出るんですよね」

 

というお話をすると、

この時点で

ご興味をいただける人と

そうでない人が

明確に分かれる。

 

ご興味をいただける

人とは、

ここからかなり

深い話に入っていける。

 

・・・・・・

 

人の育成や

成長に関して、

本当に真剣に

取り組んでこられた人は、

 

この「真本音」という

言葉に、

すぐに「ピン」と来てくれる。

 

ほとんど私が

何の解説もしないのに、

「真本音」という言葉を

知るだけで、

 

「なぁなるほど」

 

とおっしゃってくださる。

 

と同時に

その時点もう

目がキラキラされる。

 

そういう人は

本当に「現場」を大事に

され、

人といつも向き合いながら

試行錯誤を

続けている人だ。

 

そしてそういう人は

かなり具体的なご体験や

ご質問を

私に投げてくださる。

 

例えば、

 

「人が本当に真剣に

仕事に取り組むには

どうすればよいのでしょうか?」

 

という質問ではなく、

 

「弊社にこんな傾向の社員が

います。

そして、こんな時にこんなことが

あったのですが、

それをどうすれば良いか、

すごく悩んでいます。

これまではこういった手を

打ったのですが、

なかなか効果がなく、

・・・・」

 

というような

かなり具体的なご質問

となる。

 

こういったお話の方が

私はとても嬉しい。

 

具体的なお話や

リアリティのあるお話には

具体的でリアリティのある

お答えができるからだ。

 

もちろん私の答えが

すべて

ではないし、

私が正しい答えを

言えている保証などない。

 

でも、

人の育成や成長について

真剣に

意見交換ができる。

 

その真剣さが

お互いに確認できると、

これが

新たなご縁となって

発展する。

 

・・・・・・

 

「真本音」

というのは

私の造語だが、

 

しかしこれはどう見ても、

私が考えた言葉

のようには思えない。

 

この言葉のおかげで

私は随分と

素敵な出会いを

広げられた。

 

この言葉がなければ、

23年間も

この仕事を続けることは

できなかっただろう。

 

だから私は

この言葉にとても

感謝している。

 

この「真本音」について、

いろんな角度から

語っていく記事を

今後は増やしていこうかと

思っている。

 

つづく

 

変わりたくないからこそ変われる

 

人には

「変わりたくない欲求」

がある。

 

今のままの

自分でいたい、

 

今のままの

環境でいたい、

 

今のままの

やり方でいたい、

 

・・・と。

 

しかしそれらの

欲求達は

 

「変わるため」

にある。

 

「変わりたくない欲求」

を超えてこそ

私達は本当に

「変われる」。

 

抵抗のない

変化は

 

意味がない。

 

・・・くらいに

私達は思っているのだ。

 

・・・・・・

 

あなたは

あなたの何を

今、

変えたいだろうか?

 

それを知るためには、

 

あなたは今、

あなたの何を

最も変えたくないか?

 

目を向ければいい。

 

自分が最も

変えたくないもの

こそが

 

最も

変えたいもの

 

だ。

 

変わることに対して

最も抵抗するものが

 

最も

変えたいもの

 

だ。

 

あなたのその

「抵抗」を

 

じっと

見つめよう。

 

見つめるだけで

いい。

 

あとは

何もしなくて

いい。

 

ただただ、

じっと

見つめることだ。

 

その「抵抗」は

いったい

何者か?

 

それがわかるまで

じっと

観察を続けよう。

 

解釈は

いらない。

 

観察だけを

続けよう。

 

すると

その「抵抗」の

根本にある

「願い」が

自然にわかるだろう。

 

あとは

その「願い」を

素直に

受け取るだけだ。

 

あなたは

先に

進める。

 

つづく

 

人生の楽しみ方

 

私の仕事は

向き合う人達のストレスや

苦しみを

そのままダイレクトに

受け取ってしまうので、

 

もう十数年前になるが、

私は一度、

体を壊してしまったことがある。

 

自律神経がどうも

おかしくなってしまったようで、

ご飯を食べられなくなった。

 

一日に食べられる量は、

確か、茶碗に3分の1くらい

のお米と、

お椀に3分の1くらいの

味噌汁くらい。

 

それ以上は

体が受け付けなくなった。

 

それでも当時は

毎日、

研修などでお客様の前に

立ち続けた。

 

当時はまだ私には

ストレス浄化のやり方も

力もまったくなかった。

 

確か、一気に10kgくらい

痩せちゃったんじゃ

なかったかな。

 

もしあのまま

行っていたら、

間違いなく死んでただろう。

 

当時はもうすでに

真本音の話とかしていて、

「真本音を大事にして

もっと楽に生きよう」

とか、

皆さんに訴えていたのだが、

 

「そう言ってる竹内さんが、

一番苦しそうだよ」

 

などと

お客様から言われたり

した。(苦笑)

 

・・・・・・

 

もともと私はお酒が

好きだったが、

あの時から飲めなくなった。

 

しばらくして

食事は徐々に取れるように

なったが、

お酒はダメだった。

 

確か、

6〜7年くらいは

飲めなかった。

 

ところが、

2011年くらいだろうか。

 

真本音をキャッチする力

とか、

「実在」を感じ取る力が

急速に開花した。

 

と同時に、

自分自身を癒す力も

急激に高まり、

一気に私は健康体に

戻れた。

 

するとまた

お酒を飲めるようになった。

 

そして、ある時から私は

なぜか

ウィスキーが好きに

なった。

 

しかも私は基本的に

ウィスキーを

ストレートで飲む。

 

氷も入れない。

 

この飲み方が

大好きになった。

 

・・・・・・

 

もちろん他のお酒も

好きだし、

ハイボールにしたりして

飲むのも好きだ。

 

しかし

ストレートで飲むと

酔い方

が違うのだ。

 

基本的に、

お酒を飲むと

人の真本音は

出づらくなる。

 

これ、

よく誤解されることだけど、

お酒は

真本音よりも反応本音の

方が

出やすくなってしまう。

 

でもだからこそ

大事だと私は

思っている。

 

そこで反応本音達を

存在承認するから

心が楽になったりできる。

 

それはそれで

良いとして、

 

しかし私の場合、

(あくまで私の場合だと

思うのだが)

 

ウィスキーのストレートは

真本音がより

出やすくなるのだ。

 

だから恐らく、

ウィスキーのストレートに

関しては、

それを飲んで仕事を

したとしても、

仕事のレベルは

下がることはないだろう。

もちろん、

試したことはないが。

 

なんでこれを

書いているかと言えば、

 

別に

ウィスキーのストレートを

皆さんにオススメしている

わけではない。

 

大事なのは、

自分の真本音を

より開花できるアイテムが

人それぞれ何かあるはずだ、

ということだ。

 

例えば、

電車に乗るのも

私にとってはそれだ。

 

私は電車に

独特の乗り方をする。

 

これについてはまた

機会があれば

書かせていただくが、

 

ちょっと

変態的な(笑)乗り方だ。

 

もちろん

人様に迷惑をかける

乗り方ではない。

 

基本的に私は

電車では座らないし。

 

立ったままで

とても気持ちよく乗れる

方法を見つけたから。

 

しかもその状態で

セルフコーチングをすると

とてつもなく

楽に発想が出る。

 

だから私は

電車の移動が大好きで、

電車の移動そのものが

趣味みたいなものであり、

ストレス解消にもなる。

 

まぁ、・・・

 

このように、

(変な言い方だが)

この3次元の世界を

楽しみながら、

かつ

自分自身の真本音を

活性化させる方法は

いくらでもある。

 

これも

人生を楽しむ

ということの一つだと

私は思っているんだ。

 

つづく

 

子は親を見つめている

 

昔、ヒマラヤをトレッキング

した時、

5000m近い高地に住む

人達の中に、

子供達の姿を何人も

見かけた。

 

生まれたばかりで

母親にずっと

背負われている子も

いたし、

 

2歳くらいの

ヨチヨチ歩きの子も

いた。

 

4歳や5歳になる子は

すでに、

大人の我々が運ぶことも

できないような

重い荷物を運ぶ仕事を

していた。

 

皆、当たり前のように

そこで生きていた。

 

人は

どこで生まれるか?

によって

人生を大きく左右される。

 

物心つく前から

いる場所が

その人にとっての

「当たり前」となる。

 

人間は、

というよりも生物は、

環境に順応して

進化する。

 

心と環境のコラボ

が人生だ。

 

・・・・・・

 

子どもにとって

影響のある環境とは、

 

生まれた土地も

そうだが、

 

やはり両親の存在は

大きい。

 

両親がどのような人か、

どんな生き方や

考え方をしているか?

ダイレクトに影響する。

 

もちろん

その影響を超えて行く

のが人生、

という見方もあるし、

 

私もその通りだと

思うが、

 

やはり「最初の影響」は

大きい。

 

これからの社会が

進化するかどうか?

 

は、

「親のあり方によって

決まる」

と言っても

言い過ぎではない。

 

実は私は

親子関係のサポートも

よくさせていただく。

 

特に多いのが、

会社の社長や幹部さん達の

ご家族に

お会いさせていただく

パターンだ。

 

家庭訪問をさせて

いただくこともある。

 

そして社長のお子さんを

コーチングさせて

いただく。

 

親子共々の

コーチングも多い。

 

でも、

やることはいつもと

同じだ。

 

親も子も

一人ひとりの

真本音度合いを高める

サポートだ。

 

ご家庭での調和は

会社の調和に

直結する。

 

ご家庭が上手く

いっていない社長さんは、

やはり

経営にも不調和が

起こりやすい。

 

家庭も仕事も

人生だ。

 

・・・・・・

 

子ども達は

じっと親を

見つめている。

 

私達が想像している

以上の洞察をもって。

 

特に最近の

若い子達はそうだ。

 

その視線は

我々の世代には

なかったものだな、と

よく思う。

 

少なくとも私は、

親が自分の人生に

そして仕事に

誇りを持っていてほしいな、

と思う。

 

自分なりの誇りを

語れる親であって

ほしい。

 

いつも前向きで

いる必要はないし、

いつも明るくいなければ

ならないわけでもない。

 

格好いい部分だけを

見せるのは

むしろ私は反対だ。

 

「生き様」そのものを

見せた方がよいが、

 

それはその親の

「等身大」で

あってほしい。

 

「自然な生き方」で

あってほしい。

 

今は残念ながら

本当の「等身大」で

生きている人も、

「自然」に生きている人も

割合としては

かなり少ない。

 

今は残念ながら、

親が子どもを支える

というよりも、

(本質的には)

子どもが親を支えている

という親子が多い。

 

お互いに支え合えば

よいのだが、

親が子に

依存しているのだ。

 

よく

「子どもは親を選べない」

と言われるが、

私はそうは

思っていない。

 

子どもは親を選んで

生まれてくる。

 

最初から、

親と「コラボ」しようと

して

ここに来るのだ。

 

だから「等身大」の自分として、

ちゃんと子どもと向き合い、

コラボしよう。

 

上手くやろうと

するのではなく、

あるがままに

コラボしよう。

 

つづく

 

願いとは、未来を良くするためのもの?

 

私達はどうしても、

 

・目の前にある「現実」

 

 

・自分の中にある「願い」

 

 

分離して

捉えてしまいがちだ。

 

「願い」は願い。

「現実」は現実。

 

「願い」と「現実」には

当然

ギャップがあるわけで、

 

そのギャップが

いやだ、

と感じるし、

ギャップがあるからこそ、

 

まぁ所詮、

「願い」なんて叶うわけ

ないし、

どこかでついつい

思ってしまう。

 

ギャップを埋めることが

生きがいだ!

前向きに考えることの

できる人もいるが、

残念ながら

稀だ。

 

だから人によっては

「願い」を持つこと

自体が

意味がない、

ともなる。

 

そこまでいかなくとも、

 

「願い」は願い。

「現実」は現実。

 

所詮それらは

別々のものだ、

 

となりやすい。

 

そして

「願い」とは分離された

「現実」に向かう。

 

「現実」のための

「現実」に向かう。

 

それはそれで

大事なんだけどね。

 

・・・・・・

 

コーチングの醍醐味

の一つは、

 

「願いと現実をつなぐ」

 

ところにあると

私は思っている。

 

しかもこれは

「ギャップを埋める」

という

意味ではない。

 

将来、「願い」を実現しよう、

という意味ではない。

(もちろん、それはそれで

大事だが。)

 

今、ここで、

 

そう、

今、この瞬間に

 

「願いと現実をつなぐ」

 

のだ。

 

もっと言えば、

 

「願いと現実を

つなぎ続ける」

 

のだし、

ちょっと言葉を換えれば、

 

「今この瞬間の現実に

願いを込める」

 

ともなる。

 

「願い」とは

「願い」であること自体が

素晴らしいし、

意味がある。

 

もちろんその「願い」を

叶えることができれば

尚、素晴らしいが、

 

叶っても叶わなくても

人は

「願い」を持っていること

自体で

エネルギーが湧く

生き物であり、

 

「願い」を持っていること

自体で

幸せになるし

満たされる生き物だ。

 

ただしそこには

一つ重要な条件があって、

 

「願い」であれば

何でもいい、

というわけではない。

 

一言で言えば、

 

「真本音の願い」

 

であることが重要だ。

 

しかも

「真本音の願い」

とは、

私達が新たに創り出す

ものではない。

 

もともと

私達の心の中心に、

(魂に、と言ってもいい)

最初から

あり続けるものだ。

 

それを見つけ、

それを常に自覚し、

 

今この瞬間に

 

大切にし続けること。

 

常に「願い」を

思い出し続けながら、

「現実」に向かうこと。

 

これができると、

その人は

本来の魅力を

パァーーーッと

発揮するようになるし、

 

先天的な能力も

開花し始めるし、

 

先ほども書いた通り

常に

「満たされた状態」

になれる。

 

この状態にまで

サポートするのが

コーチングの

「第一段階」

だ。

 

だから私は

この仕事が大好きだし、

 

でも本当は

コーチングなんぞなくても

みんなが自然に

その状態になれる

社会にしたいな、

 

願うのである。

 

つづく

 

ガムシャラのすすめ

 

何でもかんでも

ガムシャラに

突き進めばいい、

というものではない。

 

無駄なことは

する必要はないし、

常に全力を尽くすこと

だけが

「真剣」ということでは

ない。

 

いかに楽に進むか?

こそが

大切だし、

 

どこで力を抜き、

どこで力を込めるか?

 

について

見極めることこそが

「真剣」だと

思う。

 

そういった前提の

上で、

あえて言うが、

 

「みんな、

もっとガムシャラに

なった方がいい!」

 

ガムシャラを

知らずして、

 

楽もヘッタクレも

ないだろう。

 

どこで力を抜き、

どこで力を込めるか?

 

は、

ガムシャラな経験が

あってこそでは

ないか?

 

・・・と私なぞは

思うのだが、

私は古い人間か?

 

・・・・・・

 

上手く進もうとすることと、

 

楽な道を進むことは、

 

似ているようで

真逆なことがある。

 

例えば、

人間関係。

 

波風を立てずに

上手く立ち回ろう、

とか

自分の本音は抑えて

迎合しながら

ぶつかり合うのを

避けよう、

とか。

 

そのように

上手くやろう上手くやろう

とすればするほど、

人間関係は

本質的に悪化の一途を

たどる。

 

そして気がついた時は、

周りの誰からも

信頼されず、

楽な道どころか

最も茨の道を

進むことになる。

 

一見、大変そうに見えても、

一人一人、

一つ一つ、

丁寧に向き合う人こそが

結果として、

楽に道ができていく。

 

・・・ということが

現実的に起きていることだが、

 

しかしそれが本当に

わかるためには、

人間関係を良くしよう!と

ガムシャラになった

経験を経なければ

無理だろう。

 

頭だけで

楽な道を考えれば、

 

ただの

小賢しいヤツ

 

にしか

ならないな。

 

特に若い人達には

そうなってほしくない。

 

小さく

まとまってほしくない

のだ。

 

・・・・・・

 

とはいえ、

むやみに困難に向かえ、

 

ということでもない。

 

それはそれで

単なる自己満足だ。

 

私のオススメは、

今、目の前にある

現実。

 

例えば、

目の前にある仕事。

 

与えられた

役割。

 

そこに対して一度、

ガムシャラになっては

どうだろう。

 

いや、

モチベーションが

上がらないから。

 

という人もよくいるが、

モチベーションが上がるとか

下がるとか、

この際、関係ない。

 

やる気があろうが

なかろうが、

まずはガムシャラに

なってみるのだ。

 

そんな無茶な。

 

と思うかもしれないが、

それが必要なことも

あるんだ。

 

特に今の

あなたにはね。

 

つづく

 

ふと、気になるんだな

 

今さ、

気になっていることは

ある?

 

どうしても

気になって

意識からなかなか

離れてくれないこと。

 

ある?

 

普段なら

気にも留めないのに、

なぜか

気にかかること。

 

もしあるのなら、

それ

ちょっと大切にすると

いいよ。

 

特に今はね。

 

今、多くの人が

感性が研ぎ澄まされているんだ。

 

そんな時期だと

言っていい。

 

だからこういう時に

気になるということは

きっと大事な何かがある

という合図だと思うんだ。

 

できれば「それ」に

一歩近づいてみると

いいよ。

 

怖い?

 

怖かったら、

遠まきに観察するだけでも

いいよ。

 

とにかくその

「気になる」という

感覚を

大切にするといい。

 

まぁ本当はこの感覚、

いつも大切にできると

なおいいんだけどね。

 

私の場合?

 

私の場合はよく

「人」が気になるね。

 

そう、

特定の誰かの顔がふと

浮かんだりするんだ。

 

昨日もちょっと印象的な

夢を見たんだけどね、

目が覚めた直後に

ある会社の社員さんの顔が

浮かんだ。

 

で、ちょっと気になったんで、

その社員さんと夢の

関係性について

セルフコーチングしてみた。

 

すると、

その人へのメッセージを

思いついたんだ。

 

だから次回お会いする時に、

そのメッセージを

伝えてみるつもりだ。

 

え?

 

そうそう、いつもこんな感じ

だよ、私は。

 

まぁ、夢がきっかけになることは

あまり多くないけど、

ちょっと気になる、

というのがとても大きな

ヒントや転機に

なることは多い。

 

だからこの感覚、絶対に私は

逃さないことにしてるんだ。

 

「気になる」

ヒントの宝庫だと

思うんだ。

 

つづく

 

自分をコントロールできないとき

 

自分をコントロールできない

とき、

その原因は2種類ある。

 

一つは、

自分自身のエネルギーが

枯渇している場合。

 

もう一つは、

その逆で

エネルギーが高まり過ぎて

制御できていない場合。

 

・・・だ。

 

今、

後者の状態にある人が

増えている。

 

しかし面白いことに

本人は

前者だと思い込んで

いたりする。

 

もちろん

前者と後者では

対応の仕方はまったく

異なる。

 

前者だと思い込めば、

上手な対応ができず、

余計に

コントロールが利かなくなる。

 

・・・・・・

 

エネルギーが一気に

高まる原因は

 

真本音度合いが高まる

 

ところにある。

 

ところがあまりに

一気に高まり過ぎて

自分の制御力を超えてしまう。

 

実は私のクライアントさんに

多いケースだ。

 

その場合、

まずは最もシンプルな

対応の仕方をしてもらう。

 

それは何かと言うと、

 

「エネルギーの源を

自覚すること」

 

だ。

 

自分の体の中全体に

意識を向け、

自分の中の

「とてつもなく明るい部分」

まずは見つけてもらう。

 

例えば、

胸の中心がとても

明るい気がする、

わかった場合、

恐らくそこが

「エネルギーの源」だ。

 

場所がわかれば、

今度はそこに意識を

向ける。

 

場合によっては、

その明るいエネルギーの

中に

自分自身が入り込んで

しまってもいい。

 

エネルギーの源の中を

探検するような感じだ。

 

あまりに明る過ぎて

怖い、

と思われるかもしれないが、

 

いやいや、それ

あなた自身だから。

 

自分自身の内側から

発しているエネルギーだから

大丈夫。

 

思い切って

その中を探検してみよう。

 

エネルギーの光の中に

入っていくイメージで

その光の中心に

向かっていこう。

 

ここが中心かな、

と思える場所に着いたら、

さらにその

中心に入って行こう。

 

中心の中心の

またその中心に

ずっと入り込んで行く感じ。

 

すると

「もうここが本当の

中心だ」

と思える場所に

たどり着くだろう。

 

そこまで来たら

あとはその場で

じっとしていよう。

 

じっとしながら

そこに存在している

「自分自身の声」

を聴こう。

 

場合によっては

「このエネルギーは

私自身のどんな願いから

生まれている?」

問うてみてもいい。

 

そこでじっとしていると

自然にわかるはずだ。

 

あぁそうか、

このエネルギーの源は

〜〜という私の願い

だ、と。

 

人は

真本音度合いが高まる

ことで、

真本音レベルの願いが

浮上し始める。

 

それがある一定以上に

浮上すれば、

そこから強烈な

エネルギーが発せられる

ようになる。

 

エネルギーの源には

必ず、

「願い」があるのだ。

 

その「願い」を

自覚することで、

エネルギーの意味が

わかる。

 

と同時に、

「これは私のエネルギーだ」

合点がいく。

 

合点がいくことで

私達は、

「普通」になるのだ。

 

つまり、

「このエネルギーがあるのは

当たり前のことだ」

と思えるようになる。

 

するとその瞬間から

コントロールが利く

ようになる。

 

なぜならそのエネルギーを

どのように活用すればよいか?

自分自身が最初から

一番よくわかっているからだ。

 

・・・・・・

 

多くの場合、

人は

自分自身をしっかりと

理解することで

 

自分をコントロール

できるようになる。

 

自分を制御できない人は

理解が足りていない

だけだ、

 

と言っても

言い過ぎではない。

 

「自分」

とは、

恐ろしいものではない。

 

「自分」

とはどんな存在なのか?

 

を楽しくいつも

探検しよう。

 

つづく

 

この人はきっと幸せになるな

 

きっとこの人には

良いことが

あるだろうな。

 

そう思える人は

そう思える空気感を

まとっている。

 

もちろん

逆もある。

 

この人は苦労する

だろうな、

とすぐわかる。

 

これは私だけが

わかるのではなく、

誰もがそういうの

何となくわかるよね。

 

その違いは

一つには

その人のコミュニケーションの取り方、

もしくは

人との接し方や向き合い方

を見ていればわかる

というのもあるし、

 

もっと直観的なもの、

本当にただただ感じる

空気感そのもの

でもわかるよね。

 

この人はきっと

幸せなことがたくさん起こる

人生になるな。

 

この人がすることは

きっと上手くいくことが

多いだろうな、

 

と思える人の

空気感は

あえて一言で言えば

 

「オープン」

 

ということに

なるのかな。

 

でもこれは、

自分の感情を

表に出すとか、

声が大きいとか、

そういった表面的な

ことではない。

 

別の言葉にすれば

 

「取っつきやすいな」

 

とか

 

人として

「可愛らしいな」

 

とか

 

「軽くて明るいな」

 

とか。

 

・・・わかりますよね。

 

「この人とはずっと

一緒にいたいな」

 

「この人と一緒に

いるとなんか

幸せだな」

 

「この人は

居心地いいなぁ」

 

と、何となく

こちらは思うし、

何となく

 

「この人好きだなぁ」

 

となる。

 

あの空気感は

どこから来るのだろう?

 

ということなんだけど、

これは実は

私の中では実にシンプルな

答えがある。

 

そうそう、

「真本音度合いが

高いかどうか」

ということだ。

 

つまり、

「その人自身が

自らの真本音に

素直に生きているか」

ということで、

ほぼすべてが決まる、

 

のだ。

 

これが私の

現場(人生や仕事の現場)

で得た結論で、

これは変わらないな。

 

これ以外の答えは

ない、といっても

言い過ぎではないと

思えるな。

 

・・・・・・

 

私は何のために

人や組織のサポートを

させていただいているか?

問われれば、

 

「真本音度合いを

高めるため」

 

というこれまた

実にシンプルな答えを

私は持っている。

 

はっきり言って、

これ以外のことは

実は何もやってないんじゃ

ないか、と

 

最近、改めて

思うようになった。

 

というのも、

最近、本当に

クライアントさん達が

一気に真本音度合いを

高めている。

 

そのちょっと劇的な変化を

ここのところ

毎日のように

体験している。

 

コツコツと

サポートし続けてきたことが、

一気に花開く

という瞬間が

いつかは来るものだが、

 

今はそういう人達が

重なっているという

ことなのだろうけど。

 

それにしても

日々、

あまりにも気持ちが

いい。

 

「真本音度合いを

高める。」

 

・・・ほんと、

もうこれしかないね。

 

これさえできれば

何とでもなるような

気がするな、

みんな。

 

つづく

 

すべてをあきらめよ

 

昔、

山に登っていた頃、

山の上で台風に遭うと、

それはそれはもう

ひどいことになった。

 

しかし、

台風は

あらゆるものを

吹き飛ばし、

さらって行く。

 

だから

台風が去った後は、

霞も塵もすべてが

なくなってしまったような

超純粋な濃い

青空となった。

 

台風は本当に

大変なのだが、

それくらいの

大きなものが来ないと

ここまでの純粋性は

実現できないのではないか、

よく思った。

 

人の心も

よく似ている。

 

心の中にも

台風が起こる。

 

それは私の表現で

言えば、

「脱皮」とか

「羽化」とか

そういった逸脱した

成長の手前で起こる。

 

本人にとっては

たまったもんじゃない。

 

立っているだけで

やっとの状態。

 

あらゆる余裕も

ゆとりもなくなり、

自分を失う。

 

人によっては

人生そのものを

捨てたくなることも

ある。

 

それくらいの

状況を経て初めて

たどり着ける場所が

ある。

 

・・・・・・

 

心の中に

台風が起きた時は、

 

できれば

その台風に

身を任せてしまって

ほしい。

 

間違っても

台風を無くそう

としてはならない。

 

もしくは、

台風がそこにあるのに

「ないのだ」と

必死に自分に

言い聞かせたり。

 

そういった「抵抗」は

してはならない。

 

それをしても

良いことは

一つもない。

 

せっかくの

「脱皮」や「羽化」が

成されなくなる。

 

台風の意味が

なくなってしまう。

 

心の中に台風が

起こるということは、

 

それだけのことが

起きても大丈夫な

自分になれた

ということ。

 

だからそんな自分を

信じて、

どれだけ不安定に

なっても

どれだけ自分を

失っても

どれだけ絶望に

落ちても、

 

ただただ

身を任せてほしい。

 

・・・・・・

 

この7月から8月に

かけて、

「脱皮」や「羽化」を

行なっている人が

多い。

 

ところが

それらの人達は今、

二つに分かれている。

 

「台風」に身を任せ、

すでに「脱皮」「羽化」を

完了させた人と、

 

「台風」に抵抗し続ける

ことで

未完了のままの人。

 

未完了の人はきっと

あまりに

苦しいだろう、今。

 

だからと言って

「台風」から逃げたり

抵抗してはならない。

 

あきらめて

ほしいのだ。

 

すべてを

あきらめれば

いい。

 

すべてを。

 

つづく

 

なんだ、つまらないな

 

私の仕事は

人の苦しみを受け取る

仕事である。

 

と書くと、

自己犠牲のように

思われるかもしれないな。

 

でも、

自己犠牲ではない。

 

自己犠牲ではないが、

確かに

苦しい。

 

今日も、ある人の

コーチングをしていたが、

その人の持つ苦しみを

そのまますべて受け取り、

私は

あまりの苦しみに

意識を失いそうになった。

 

しかしおかげで

そのコーチングで

何をすべきか?を

知ることができ、

 

その通りのことを

することで

その人は苦しみから

解放され、

同時に私も解放された。

 

しかも面白いことに、

その苦しみは

その人本人には

自覚のなかったものだ。

 

自覚がないのに

確かに苦しんでいる。

 

多くの人が

その状態だ。

 

自分の苦しみを

そのまま

苦しめるようになるというのは

なんと健康的なことか、

ということを

私はこの仕事を通じて

知った。

 

潜在的にせよ、

その人は確かに

苦しんでおり、

その同じ苦しみを

私はそのまま感じ取る。

 

それだけを見れば

なんと苦しい仕事か、

とも思うが、

しかしその後の「解放」も

共に感じ合うことが

できる。

 

それはその人にとっては

「本来の自分」に戻る

大切なステップであり、

「本来の自分」に

一歩戻ることが

人としての「最大の幸せ感」の

一つでもある。

 

その「最大の幸せ感」を

私もそのまま

感じることができる、

ということで言えば、

この仕事は

なんと幸せな仕事か、

とも言える。

 

・・・・・・

 

ところで、

「本来の自分」に戻る、

と私達は

どうなるだろうか。

 

今日の別のクライアントさんは

まさしく「本来の自分」に

戻れた直後の状態だった。

 

どんな感じですか?

 

と私が問うと、

 

「それがまったく

普通なんですよね。

ただ淡々としています」

 

というお答えだった。

 

そう、

そうなのだ。

 

私達は「本来」を

取り戻すと、

まったくもって

「普通」

となる。

 

これを

 

『凡』

 

という。

 

平凡の「凡」である。

 

辞書を引けば、

「すぐれ劣りのないこと。

目立つ点のないこと。

ありふれていること。」

などとある。

 

一般的には

つまらない

というイメージがあるだろう。

 

実際に

当の本人は「本来の自分」に

戻ると、

かなりその「つまらない」という

感覚に近いものとなる。

 

しかし実は

その本質は

一般的な「つまらない」とは

まったく異なるものだ。

 

その「つまらない」とは、

言葉を換えれば、

 

「やろうと思えば

何でもできてつまらない」

 

という意味での

「つまらない」なのだ。

 

実はこれも言葉にすると

ちょっと違和感があるが、

これに近い。

 

不安も恐れもあるし、

実際に自分の能力だって

変わっていないが、

しかし

「やろうと思えば

何でもできるし、

自分が望むことは

すべてその通りに叶っていくな」

ということを

「思い出している」のだ。

 

「自然の摂理」を

理屈ではなく「実感」として

思い出している。

 

だから、

「なんだ、つまらないな」

となる。

 

自分の中に

喜びもある。

悲しみもある。

苦しみもある。

嘆きもある。

怒りもある。

憤りもある。

望みもある。

願いもある。

祈りもある。

 

すべてが

ただ、

ある。

 

そのまま、

ある。

 

なんだ。

すべて「そのまま」では

ないか。

 

ということが

そのままわかるのだ。

 

この状態は

さらに言葉を換えれば、

 

「完全に自由になれた」

 

状態でもある。

 

私達は

完全なる自由を手に入れると

「つまらないな」

となるのだ。

 

さらに

実感としてわかるのは、

自分の中にある

無限のエネルギーの

存在だ。

 

正確に言えば、

宇宙全てのエネルギーが

自分と共にある

という実感だ。

 

なんだ。

いつでも無限のエネルギーが

ここにあるじゃないか。

「つまらないな」

という感じだ。

 

これらを一言で

表現すれば

 

『凡』

 

となる。

 

そしてこれが

「本来の自分を取り戻した」

状態であり、

 

私のサポートの目的の

第一段階は

これである。

 

すべてのクライアントさんが

まずはこの状態にまで

戻ること。

 

それが

「第一段階」

だ。

 

つまり、

これができて初めて

私達は

「スタートラインに立てた」

ということになる。

 

・・・・・・

 

なんだ、自分は

何でもできるじゃないか。

 

思い出した時点が

スタートライン。

 

人生の本番は

ここからだ。

 

何でもできるのだから、

何をするか?

自ら決める必要が

ある。

 

何でもできることが

わかっている状態で

道を決める。

 

実はこれこそが

最も難しいことの一つ

だ。

 

本当は

ここからこそが

「コーチング」の

スタートだ。

 

ちょいと

長くなったな。

 

この話、

続けようと思えば

永遠に書き続けられるけど、

 

この続きは、

またその気になったらね。

 

つづく