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ある一つの視点から
観たとき、
私は
人の成長には
二つの段階があると
思っています。
一つは、
「本来の自分を
取り戻す」
段階です。
もう一つは、
それを成し遂げた上で、
「本来の自分を
さらに進化させる」
段階です。
現時点では、
私がサポートさせて
いただいている
ほとんどのケースは
前者です。
そして
本当に数えるほどの
ケースとして
後者に入っている段階の
人がいらっしゃいます。
・・・・・・
「本来の自分を
取り戻す」
段階で大切なことは、
自分の中の
余分なものを
手放し続ける
ことです。
私達はともすると、
成長とは
どんどん新しい服を
重ね着していくこと
であると
勘違いします。
しかしそれは
まったくの逆。
本来の自分を
取り戻すためには
着ている服を
どんどん
脱ぎ捨てていくことです。
変な表現ですが、
ある意味
素っ裸に近づいて
いくこと。
するとその人は
とても自然体になり、
本当に自分を
取り戻します。
そして、
なんで私は
あんなことに
悩んでいたのだろう?
何をそんなに
こだわっていたのだろう?
もっと
大切なことがあったのに。
同じ悩むのであれば、
もっと私の人生にとって
充実した悩みが
あったのに。
・・・と、
ふと我に返る
感覚となります。
そして本当は、
我に返ってからが
スタートラインです。
ここから
本来の人生が
スタートします。
ですので現時点では
多くの方々が
まだ、
人生のスタートラインにも
立っていません。
極端な表現ですが。
・・・・・・
本来の人生とは
一本道です。
自分で決めている
道があるのです。
真本音の道です。
我に返ると
その道が
ありありと
観えてきます。
と同時に、
こんなにもはっきりとした
太くてまっすぐな
一本道があるのに、
自分がわざわざ
その道を外れ、
まるで獣道のように
心もとない脇道ばかりに
入っては戻り、
入っては迷い、
していたことを
自覚します。
進んでいるようで
肝心な方向には
ちっとも進んでいなかった、
そんな自分を
認識します。
ただし、
そんな自分が
ダメだ、
と思う必要はありませんし、
そう思う感情も
湧いてきません。
あっそっか、
ああやって脇道に
入り続けてきたからこそ、
本当の一本道を
見つけることができたのだな、
と自然に思えます。
・・・・・・
一本道を進むことは
とてつもなく充実し
楽しいことです。
もちろん課題や問題は
たくさん来ますが、
それらに取り組むこと
そのものが
幸せです。
“進んでいる感”
が半端ないからです。
やはり私達は
進むべき方向に
進んでいる時が
最も幸せなんです。
それこそ人間。
そして。
その一本道を
ズンズンと進むと、
一つの「ライン」が
観えて来ます。
その「ライン」まで来て
ようやく悟るのです。
あぁそうか、
ここでようやく私は
「本来の自分」に
戻れたのだな、と。
そしてこの
ラインから先は
未知の領域
なのだな、と。
この、
未知の領域こそが、
そこを進むことこそが、
恐らく、
私達の人間としての本能が
最も悦ぶ段階です。
「本来の自分を
さらに進化させる」
段階。
早く、
多くの人達が
そこまで来れるといいなぁと
願っています。
つづく
こういったお仕事を
続けていますと、
いやでも
「私って何だろう?」
ということを
考えますね。
毎日毎日、
人と向き合い続けて
いますと、
ある時は、
人の心なのか、
自分の心なのか、
区別がつかなくなって
しまうこともあるんです。
自分の中に
強烈な悲しみが
芽生えて、
人生の道を進む気力が
なくなってしまう。
いったいどうしたことだろう?
と思いながらも
必死に自分と向き合って
いると、
その悲しみは
その日にコーチングさせて
いただいたAさんのもの
であることがわかったり。
コーチングやっている
最中も、
自分がAさんなのか
自分なのかが
わからなくなる時も
あります。
以前に、
一度に数十人規模の
研修を、
それも、真本音出し研修を
20日間くらい連続で
行なったことがあります。
確か20日間ほぼすべてが
別々の企業様だったと
思います。
ですので、毎日
新しい方々と向き合いました。
当時の真本音出し研修は
朝から晩まで
かけてやっていましたし、
今ほどの実在の力も
私にはまだありませんでしたので、
毎日が
無我夢中。
本当に夢の中に
いるみたいになりました。
「私を生きる」
という実感が
まるでなくなった状態。
自分の体はここに
あるけど、
自分はどこにも
いない、
という感覚。
そしてある時、
新幹線に乗っての移動中、
ウトウトと眠りかけて、
ハッと目を覚まし、
目を開けました。
ところが、
目を開けても
そこには
何もなかったのです。
ほんの一瞬、
恐らく
0.0001秒くらいの一瞬
でしたが、
確かにそこには
何もなかった。
しかし直後に
普通の新幹線の中の
光景に戻りました。
しかしそれが
何だったのか?は
今の私にはわかります。
それは何もない
状態ではなく、
「すべてがある」
状態でした。
それを私のこの
3次元の目で
一瞬でも見ることが
できたのは、
大変に意義深いこと
でした。
その時に、
強烈に
何かがわかったのです。
自分の知りたかった
ことを
言葉ではなく、
一つの明確な答えとして
知り得たのです。
「私って何だろう?」
の答えです。
今ではそれを
言葉にすることも
やろうと思えば
できますが、
でもそれはやめて
おきましょう。
言葉で説明する
ものではないからです。
・・・・・・
時々こうやって
わけのわからない文章を
書きたくなります。
しかしそれも、
どなたかが
わけのわからない文章を
読みたがっている
からでしょう。
私達は
つながっています。
私は
幸いでした。
数多くの方々と
毎日次々に向き合い続ける
という環境に
身を置くことが
できたから。
おかげで
いやでも
人について
自分について
考えさせられました。
人は
つながっているので、
そのつながりの中で
想像を超えた影響を
お互いに与え合っています。
その影響の与え合いを
できるだけそのまま
顕在化すれば、
この現実世界でも
つながり合える
社会になれるのですけどね。
それをまずは
企業という組織で
実現するのが
私の目標です。
つづく
似て非なるもの。
という言葉が
ありますね。
一見すると
同じように見えて、
実は本質は
まったく異なるもの。
真逆なもの。
そういったものが
世の中には
たくさんあります。
例えば、
将来への
「ビジョン」。
ビジョンとは
未来に対する願いを
描いたものですが、
本当に真本音の願いの
もとに描かれたビジョン
もあれば、
ただの夢想で
あったり、
現実逃避をするために
未来に意識を向けた
結果であったり、
そんなビジョンも
あります。
同じ「ビジョン」でも
本質は
まったく異なります。
当然ですが、
後者のビジョンは
私達自身の真本音が
とても嫌がります。
ですから
そのようなビジョンを
描いたり、
未来にばかり目を
向けている人には
私は、
「今ここに集中しなさい」
とか、
「今すべきことを
しっかりしなさい」
とお伝えします。
逆に、
真本音のビジョンを
描いている人には、
「徹底的にそのビジョンを
大切にするといいですね」
とか
「もっともっと自由に
そこに向かいましょう」
とご提案します。
ビジョンは
描けばいい、
というものでは
決してありません。
同じビジョンでも
真本音から外れた
ビジョンは
人生の足を引っ張ります。
・・・・・・
似て非なるもの、
の真逆もあります。
一見すると
全然違うのに、
実は本質は同じだった、
というものです。
例えば、
私のあるクライアント企業様の
営業部長さん。
彼は、
「我社には新商品は
必要ない。
既存の商品をいかに
売るか、が最重要だ」
と、
いつも言われていました。
その一方で、
同じ企業様の
経営戦略室の部長さん。
彼は、
「我社に今、最も必要
なのは、
新しい商品だ」
と、
いつも言われていました。
で、二人は
いつもぶつかって
いました。
俗にいう
「犬猿の仲」
というやつです。
そのため、
その会社では
二人を「会わせないようにする」
ということが
行われていました。
二人が顔を合わせれば、
間違いなく
ぶつかり、会議にならないからです。
そして、
経営戦略部長さんが
新商品をせっかく開発しても、
営業部隊のトップである
営業部長さんが
それを真面目に売ろうと
しない。
そんな状態が
何年も続いていたようです。
二人を何とか
できないか?
という社長からのご依頼で、
私はその企業様の
サポートに入りました。
詳細は省きますが、
私はお二人の部長さんと
一人ずつお話をし、
「なんだ、
似た者同士じゃん」
とすぐにわかりました。
「同じ真本音の想いを
持っているじゃないか」
と。
あえて言葉にすれば、
お二人の真本音の
共通の想いというのは、
「お客様の期待を
超える仕事をしたい」
ということでした。
それがお二人の
本質。
しかし、
お客様の期待を超える
ためには、
「自己満足の商品開発
など要らない。
それよりも、お客様の
声に耳を傾け、
できる最大のサービスを
行なうことが大切」
というのが、
営業部長さんの考え。
それに対して、
戦略部長さんは、
「既存の商品に
捕らわれているようでは
お客様の本当のご期待
以上のことはできない。
もっともっと新たなものを
生み出せる私達で
あるべきだ」
というお考え。
これ、
どう見ても、
相乗効果を起こすでしょ。
でもお二人は
恐らく、ずっとお互いを
否定し合ってきたのでしょう。
反応本音レベルの
拒絶感がすごく、
最初は大変でした。
でも、
真本音の想いは同じ
です。
結局、今ではお二人は
「同志」
となっています。
「社内で最も
理解し合える仲」
なんだそうです。笑
そりゃそうです。
真本音の想いは
同じなのですから。
・・・・・・
似て非なるもの。
まったく似ていないように
見えて、
実は同じもの。
そういったものが
世の中には
溢れています。
表面上だけで
判断するのは
やめたいですね、
もったいないから。
本当は
どうなんだろう?
本質は
何だろう?
という視点が
もっともっと
必要ですね。
つづく
広い広い大地の上に
ポツンと一人で
立っている自分を
イメージしてください。
大地は、
前にも後ろにも
右にも左にも
延々と果てしなく
続いています。
遮るものは
何もありません。
あなたの他には
誰もいません。
あなたは
一人です。
たった一人で
立っています。
そして、
風を感じています。
しばらく、
できれば3分くらい、
その状態を
味わってみてください。
・・・・・・
3分ほどイメージすることで、
あなたは
どんな気分になりましたか?
楽しい気分ですか?
寂しいですか?
孤独を感じましたか?
不安がありましたか?
それとも、
満たされた感覚でしたか?
大地に
立っている感覚は、
時間と共に
より強くなりましたか?
時間と共に
安定度は増して
いきましたか?
それとも、
時間が経つと、
大地が崩れたり、
足元が揺らいだり、
大地の存在が
なくなってしまったり
しましたか?
要するに
あなたにとって
その「世界」は
居心地の良いものでしたか?
あなたにとって
その「世界」は
地に足が生えたような
安定感がありましたか?
あなたにtとって
その「世界」は
充実した素敵なもの
でしたか?
・・・・・・
その「世界」が
自分にとって
「いいなぁ」と思えるもので
あったり、
安定度の増すもので
あったならば、
今のあなたの毎日は
しっかりと自分の足で
立ち、
自分の意志と意思で
前に進むもので
あるはずです。
これを、
「自立」であり
「自律」であると
私は表現します。
一見孤独に見える
その「世界」も
実は、自分自身の選んだ
「世界」であり、
自分自身の望んだ
「世界」であると
自然に思えるからです。
もしかすると
人によっては、
その「世界」が
自分そのものに同化した
かもしれませんね。
もしそうであれば、
その人はかなり
次元の高い毎日を
送っています。
しかしもし反対に、
その「世界」に
強い孤独を感じたり、
不安定さや
逃げ出したくなる気持ちに
なった場合は、
残念ながら
あなたは「自立」「自律」とは
言えない日々を
送っているのだと思います。
何かに依存したり、
自分以外の誰かから
何かを与えてもらって
初めて、
自分で動くという
受け身の生き方や、
他の何者かに人生の
ハンドルを預けてしまって
いる可能性があります。
・・・・・・
私達人間に
依存はつきものです。
というか、
私達は必ず何かに
依存しながら生きています。
しかし本当の依存とは、
自分が「自立」「自律」
できた状態で、
行なうものです。
自立している人、
自律している人は、
自分の役割を
よくわかっています。
わからないまでも
わかろうとし続けます。
その結果、
自分が何に依存すれば
良いか?が
よくわかります。
それによって
生じる「依存」は
調和と相乗効果を
生み出します。
・・・・・・
経済的な自立は
別として、
精神的な自立も自律も
特別なことでは
ありません。
例えば、
4歳や5歳の子供でも
自立・自律してるなぁ
と感じることがあります。
経験を積まなければ
自立・自律できない
というものでは
ありません。
私達の真本音は
当然ですが、
自立・自律した自分の
生き方(行き方)を
望んでいます。
自立・自律している人は
あらゆる「世界」が
味方につくのです。
つづく
未来がわからない
というのは
素敵なことです。
1秒後に
何が起こるかわからない
というのは
素敵なことです。
私達は
3次元という世界に
生きていますが、
いつも申し上げることですが、
3次元世界独特の魅力の
大半が
この、未来がわからない
ということです。
最近、
ちょっと極端な言い回し
ばかりをしているような
気がしますが、
今回もまた、ちょっと
極端に言いますね。
未来を予測するなんて
まったく意味がない。
と私は思ってるんです。
だって、
せっかく未来がわからない
という魅力的な世界に
いるのに、
予測してどうすんの?
・・・と。
これは私の体験上の
ことですが、
未来を予測すればするほど、
反応本音が
たくさん発生します。
そして
肝心なことが、
観えなくなってしまいます。
肝心なことの
代表的なものが、
「次の一歩」
です。
自分が本当は
どのような「次の一歩」を
踏み出そうとしているのか。
それが
わからなくなって
しまうのです。
未来とは、
予測するものでは
ありません。
・・・・・・
しかし、
未来に意識を向けることは
とても大事です。
「未来に向かって
いきましょう!」
というメッセージは
すべての方々に
お伝えしたいことです。
なぜなら私達は
紛れもなく、
未来に向かって生きて
いるからです。
未来とは、
予測するものではなく、
願うものです。
心から、
というよりも
魂から願うものです。
そして
その願いに向かって
未来とは
自ら創り上げるものです。
予測をして
それに合わせて、
自分の道を決める。
小賢しい!
と、私は思います。
・・・はい、
かなり極端な言い回しです。
すみません。
でも、
そこから自由になれると
その人は本当に
毅然と
「今」
に集中できるんです。
最も大切なのは
「今」
に生きることです。
「今」
に集中することです。
未来の予測は
そこを阻害します。
「今」
には、
「すべて」
があります。
本当は、
「今」
には
「過去」も「未来」も
すべてが
融合されています。
私達の高い次元では、
過去も今も未来も
すべてが「一つ」です。
これを
3次元的な表現で言えば、
高い次元の私達は
未来をわかっています。
未来を
知っています。
すべてを
知っています。
その、
高い次元の私達の意識が
発動する唯一の条件が
「今」に
集中することなんです。
「今」に生きる
ことなんです。
ですからそこに
淀みが起こることは、
自分が本来創り上げる
未来を
創り上げられなくなる
ということにつながります。
3次元の世界に住む
私達にとって
最も大切な生き方が
「今」に生きる
ことです。
・・・・・・
素直な気持ちで
「未来」を
願いましょう。
できるかどうか?
実現できそうかどうか?
ではなく、
自らの純粋な想いが
大切です。
その願いをいつもいつも
大切にしながら、
「今」に
向かいましょう。
「今」に向かうとは、
「今、何をするか?」
をとことん大切にする
ということです。
淀みのない
「今の行動」を
決めるということです。
その「淀み」が
いつも完全になくなっている
状態を
真本音度合い100%と
私は呼んでいます。
この状態には
本当は
すべての人が
なれるのです。
私の願いは、
そういった人が
一人、また一人と
増えること。
そして世の中の
1割以上の人が
そうなれること。
1割の人がそうなれば、
世界は間違いなく
変わります。
それが私の
未来への願い
です。
つづく
私は常に
人や組織の「成長」というものを
・進化
・膨張
という二つに区別しています。
かなり極端な言い方で
書きますと、
私は
「膨張」では
まったく意味がない
と思っています。
そして、
膨張のためのサポートは
頼まれてもやらないと
決めています。
まぁ本当は
私の中では全然、極端では
ないのですが。
「進化」とは
次元を高めていくことを
言います。
面白いことに
このブログでは、
次元を高めることを
幾度となくテーマとしながらも、
これまでに一度も、
次元そのものについては
詳しくご説明していません。
ちょっと、かじる程度の
説明はしてるんですけどね。
恐らく近々
きちんと説明させて
いただくと思います。
取り急ぎここでは
「進化」とは
次元を高めること
だとしておきます。
そして、
「膨張」とは
次元は一切高まっていない
状態です。
同じ次元、
同じ場所にずっと
います。
その状態で、
規模が大きくなったり、
能力のみが高まったり、
経験のみが積み重なったり
する、という
そんな状態です。
つまりはですね。
規模のみが大きくなること、
能力のみが高まること、
経験のみが積み重なることに
私は
何の価値も置いて
いません。
ごめんなさい。
本当に極端な
言い回しです。
でも、私の中では
本当にそう思って
いるのです。
・・・・・・
これもよく書かせて
いただくことですが、
私達人間の本能の中心
(もしくは、根底)
にあるのは、
進化への欲求です。
もちろんそれが
顕在化している人も
いれば、
していない人も
います。
しかし根底には
必ず、これがあります。
そして
私達の真本音は
「いかにしたら、私は
進化できるか?」
という視点からの
発想と行動を望みます。
つまり、
真本音度合いを高め、
真本音に素直に
日々を過ごすことで、
自然に私達は
進化を続けます。
真本音度合いを高める
とは、
進化度合いを高める
こととイコールです。
ですから、
先ほどの私の考え方を
別の言い方で表しますと、
どれだけ規模が大きくなっても
どれだけ能力が高まっても
どれだけ経験を積んでも、
真本音度合いが
高まらなければ意味がない、
ということになります。
・・・・・・
これも、いつも私が
書かせていただくことですが、
真本音度合いが高まる
ということは、
調和性も高まる
ということです。
人との調和。
現実との調和。
それらが
高まります。
ですから、
真本音度合いの低い
人達同士が集まれば、
戦いや争いや
足の引っ張り合いや
自己主張のし合いが
多くなります。
まったく同じメンバーでも
真本音度合いが高まれば、
共に向き合い、
共に新たな何かを
創り出せるようになります。
一般的に
協調性が高まるという
状態ですが、
それは表面的なものではなく、
本質的なものですので、
ただの仲良しこよしでは
ありません。
共に、刺激をし合い、
良い意味での
競争をし合い、
共に相乗効果を発揮し合う
ようになります。
それが、
調和性が高まる
ということ。
一人一人が
自分自身の真本音に
素直に生きれば生きるほど、
そういった現象が
起こります。
・・・・・・
つまり、
何が言いたいかと
言いますと、
真本音度合いが高まり
進化度合いが高まる
ことで、
調和は起きやすくなり、
それが組織であれば、
結果的に
成果につながりやすくなる
ということです。
逆に言えば、
真本音度合いを高めず、
進化もせず、
成果のみを上げ続ける
というのは
至難の業です。
難易度が
高いのです、
こちらの方が。
ですからもう、
難易度の高いことは
やめましょう。
・・・・・・
人も組織も
「変えよう」
なんて、傲慢なことは
私は思いません。
というか、
思えません。
ただ、
その人の「本来」が
そのまま表に出る。
その組織の「本来」が
そのまま表に出る。
そんな状態を
目指して
私はサポートを続けます。
つづく
難しいな、
と思うことは
世の中にたくさん
ありますね。
人生のいろんな
場面で
遭遇します。
しかし、
難しい、と感じるものにも
タイプがあります。
本当に難しい
ものと、
それにあえて
立ち向かうために
「難しい」と
感じるもの、
の二つです。
後者の場合、
それに立ち向かう覚悟を
持ち、
実際に立ち向かうことで
それは一気に
「なんだ、こんなに
簡単で、楽しいものだったか」
に変貌します。
この見極めをすることが
人生ではとても重要で、
それができる唯一の存在が、
自分自身の真本音
です。
・・・・・・
真本音度合いが
高くないことで、
なぜ自分の望む人生から
遠のいてしまうか?
その最も多い理由が
ここにあります。
つまり、
本当は難しくないのに、
「難しい」と感じるものから
逃げてしまうのです。
それにより、
望む道とは異なる道に
入ってしまいます。
でも実は、
こういった人生の分岐は
私達が想像する以上に
多いようです。
逆に言えば、
私達の真本音は
わざとこういったことを
しながら
自分自身を
試します。
「難しい」と感じながらも、
「でも、なんか気になるな」
と思い続け、
「気になるから、
とても嫌だけどちょっと
挑戦してみよう」
と思えるかどうか?
そこでそう思えて、
実際にその選択が
できたとしたら、
それは
「準備完了」
の合図なのです。
それができない
ということは、
まだまだ心の中に
様々な「余分なもの」が
あり、
その「余分なもの」を
取り除くまでは
本当に望む道には
進まないぞ、という
これは
真本音の意図
なのです。
・・・・・・
私はよく、
「楽な道を行きましょう」
という表現を
使います。
しかしそれは決して
「難しい道を避けましょう」
という意味では
ありません。
「難しい」と「楽」は
対義語では
ありません。
私がお伝えしたいのは、
難しい道でも
難しくない道でも
どんな状況にも関わらず
楽に進めますよ、
ということなんです。
「真本音で生きる」
とは、
状況に左右されない
生き方です。
こんな状況だから
こうした。
こんな状況だから
こうするしか
なかった。
こんな状況だから
この道を
選択した。
・・・ということは
「状況」がまずありき
の人生です。
「状況」に左右される
人生です。
私はそこから
「自由」になることを
ずっとオススメ
しています。
状況に左右される
のではなく、
本当に自分の望む
道を常に
選び続けること。
それが本当の
「自由」だと
私は思っています。
そんな生き方なんて
無理でしょ、
という認識が
今のところ一般的です。
しかし、
真本音で生きることを
日々、続ければ、
自然にその束縛からは
抜け出せます。
私は、
すべての人がそうなれると
いいな、と
願っていますが、
まずは目標としては、
全体の1割の人が
そうなれること。
それにより、
社会も組織も
大きく変わっていけると
思っています。
つづく
あなたの
心のどこかに、
ほんのわずかで
いいのですが、
心のどこかの
ちょっとの部分に
掻きむしりたいくらいの
ジレンマは
ありませんか?
心の全体から見れば、
0.0001%以下かも
しれない。
でも、
そこだけに焦点を
当てると、
ウオーーーーッ!!
と、
叫び続けている
自分がいませんか?
こんな私じゃ
いやだ。
こんな人生じゃ
いやだ。
こんな毎日じゃ
いやだ。
私にはもっと
何か
できることがあるはずだ。
私にはもっと
別の人生が
あるはずだ。
私には本当は
もっとすべきことが
あるはずだ。
私には
人生の目的があり、
そこに向かうはず
だったのに、
全然、向かって
いない。
こんな私では
ダメなんだ。
こんな私では
我慢ならないのだ。
今の私は
いやだ。
いやだ。
いやだ。
・・・そんなジレンマ。
そんな葛藤。
そんな、
言いようのない
魂の叫び。
ほんのわずか
0.0001%以下かも
しれませんが、
そういった
掻きむしりたくなる
自分は
あなたの中には
いませんか?
もし、
そんな自分が
いるような気が
するのであれば、
ちょっと勇気を持って
その自分と
しっかり
向き合うことを
お勧めします。
そこにこそ、
あなたの本当の
幸せの原点が
隠されている可能性は
大いにあります。
思えば、
これまでの私は
そういった自分を
お持ちの皆さんを
サポートし続けてきた
のだと思います。
そしてこれからも
そういった方々を見つけ、
全力でサポートしたいと
思っているのです。
なぜなら
そういった人には
必ず、
その人ならではの
人生の目的と、
自ら決めた
「使命」
があるからです。
それは、
誰かから与えられた
使命では
ありません。
自分が自分自身に対して
「約束」した
使命です。
自分自身との
約束。
それを思い出し、
その推進をサポート
するのが、
私の本来の役割の
一つであると
私は認識しています。
0.0001%の中にこそ
あなたの
真実があるのかも
しれません。
つづく
どうでもいいじゃん。
なるように
なっていくから。
私が守りたい
そのこだわりの
ために、
今ここにある
流れを止めることは
もうやめよう。
私の全身に
広がっている
この
恐れの気持ちの
正体は何だろう?
私は何のために、
こんなにも
全身を強張らせ、
こんなにも
踏ん張って
いるのだろうか?
それほどまでして
私が守りたいもの
とは何だろう?
それほどまでして
私が抗いたいもの
とは何だろう?
それほどまでして
私はどのような
人生を創り上げたいと
思っているのだろうか?
我を張る。
頑張る。
意固地になる。
私は
何のために
何に
こだわってるのだろう?
私は
何者?
本当は、
何者?
・・・どうでも
いいじゃん。
なるように
なっていくから。
この踏ん張りを
やめて、
力を抜いて、
もっとお気楽に
進んでみないか?
ここに今、
流れがあるのならば、
川底から
足を放し、
流るるままに
自分の身を
預けてみないか?
川の先には
必ず
海がある。
海まで一度、
出てみないか?
すべてを深く
包み込んで
くれる、
あの海まで。
海は広いし、
大きいな。
本当は、
あの海が
私自身では
ないのか?
本来のところに
戻るだけでは
ないのか?
私は、
「願い」であり、
「祈り」そのものでは
なかったか?
私は、
「流れ」
そのものでは
なかったか?
つづく
人はそれぞれ
唯一の存在である。
と、言われますよね。
本当にそうだと
思います。
多くの方々と
向き合えば向き合うほど
そう実感します。
本当にそうなのに、
どうしてみんな
自分を消そうと
するのでしょうね?
どうして
周りばかりに合わせ、
「画一」の中に
入ろうとするのでしょうか?
いや、
その理由はもちろん
わかります。
自分の「唯一」を
出しづらい世の中で
あることも、
「唯一」を出すことに
皆がリスクを感じて
しまうことも
よくわかります。
自分が
「唯一」を出せば、
調和が崩れてしまう、
と
考えることも
わかります。
だから皆、
「画一」の中に
入ろうとするのですが、
しかし本当は
「画一」を目指せば目指すほど
不調和が
生じてしまいます。
なぜなら
私達の真本音は
誰も「画一」を
望んでいないから。
「調和」は望みますが、
「画一」と「調和」は
真逆の行為です。
本当の、
そして、本来の
「唯一」が交わることで
初めて
「調和」は生まれるのです。
・・・・・・
自分の想いは
100%、表明すると
よいです。
と、私が言うと、
ほとんどの人が
え〜、それは無理ですよ、
と言われます。
私が自分の想いを
言ってしまえば、
メチャクチャになりますよ、
と。
それに、
キリがありませんよ、
と。
それは
わかりますし、
それは
そうです。
なぜならそれは
反応本音の想い
だからです。
確かに
反応本音レベルの想いは
キリがありませんし、
それを表明することで、
混乱や争いが
起こるかもしれません。
私もそれは
オススメできません。
私がオススメするのは、
真本音の想いを
100%表明する
ということです。
私はそれを
毎日、しています。
そして
それをすればするほど、
物事がびっくりするほど
スムーズに
抵抗なく進みます。
なぜなら真本音は
皆、つながっている
からです。
ただし、
100%伝える、とは
言いたいことをすべて
その場で言い尽くす
という意味では
ありません。
言いたい瞬間に
言いたいことを
言う、
という意味です。
「言いたい瞬間に」
というのが
ミソです。
つまり、
タイミングです。
真本音の想いを
100%表明しようと
決めると、
この「タイミング」に
とても敏感になれます。
今は、
本当に言いたいな。
今は、
まだ言いたくないな。
というのが
よ〜くわかるように
なるのです。
そして、
今、言いたい!
と思えた瞬間に、
それを言う。
・・・という実に
単純明快なことをするのが、
100%表明する
ということなのです。
これをすることで、
あらゆる「現実」が
調和を始めます。
もし、チームで
すべての人がこれが
できるようになれば、
そのチームは
完全調和します。
私はいつも、
その状態創りを
目指しています。
・・・・・・
そうなるための
必須条件があります。
言うまでもないこと
ですが、
それは
その人の真本音度合いを
高めることです。
その人自身に
真本音の想いが
顕在化しなければ
それは絶対にできません。
真本音の想いが
顕在化することと、
そしてできれば、
その人自身が
自らの
真本音と反応本音の
区別をつけられること。
これができれば
よいのです。
しかし、
組織やチームが
実に面白いのは、
全員がそうならなくても
何とかなるという
ことなんです。
私の現場経験で
言いますと、
組織やチームの中の
1割以上の人が
真本音度合いが
ある一定以上に高まれば、
その組織(チーム)は
調和を始めます。
これが
チームの面白さであり、
人と人の
関係の面白さですね。
・・・・・・
まずは、
1割の人が
真本音の想いを
自ら知り、
自ら表明できるように
なること。
あなたも
その一人に
なりませんか?
つづく
<ご案内>
真本音度合いを高め、
調和を起こす人になる
ための
セルフコーチング法。
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今日までです。
ご興味ありましたら、
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『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私は、
人の美しさ、って
どこに感じるか?
と言いますと、
その人の一貫性
に感じます。
つまり、
その人の本当の想い
があって、
その想いが
そのまま普段の行動や
振る舞いに現れていて、
さらにその想いが
何らかの結果として
カタチとして
結実している。
そんな人を見ると、
格好いいなぁ、
と感じるのと同時に
美しいなぁ、
と思うのです。
実際、
そういった人の空気感は
とても居心地がよく、
一緒にいるだけで
幸せな気分になります。
真本音度合いが高まる
とは、
言葉を変えれば
一貫性度合いが高まる
とも言えるのです。
・・・・・・
逆に言えば、
どれだけ想いが強くても、
それが想いだけで、
普段の行動に現れず
カタチになっていないまま
そのままを放置している人
を見ると、
私は美しさを感じません。
むしろ
想いが強い分、
そのギャップに対して
気持ち悪さを感じます。
その気持ち悪さは
本当は
本人もよく感じていて、
それがエンティティに
なったりします。
ちなみにエンティティとは、
ストレスがある一定以上の
濃度になり、
実体化したものです。
日本語に訳すと
「生き霊」となります。
ちょっと怖いですが、
これは人間であるならば
ほぼ全員の人が常に
持っています。
エンティティの強い人は
それをまるで風邪のウィルスのように
周りに伝染、伝播させます。
すると周りの人達は
そのエンティティを受け取り、
みんな、心の調子が
悪くなります。
私は組織活性化の
ご支援に入る場合、
まずはこういったエンティティ対策を
します。
まぁ、この辺りのお話は
別記事で書かせていただきますね。
とにかく、
人は自分自身の一貫性を
大切にしており、
一貫性のない自分を
感じると、
かなり大量のエンティティを
発生させます。
私はまずは
お一人お一人の
一貫性の度合いを
高めることを
人や組織のサポートの
ファーストステップと
しています。
・・・・・・
要するに、
想いだけでは
ダメなんです。
想いだけで
何もやらない人のことを
悪い意味での評論家と
言います。
組織において
悪い意味での評論家が
増えれば、
その組織は間違いなく
落ちて行きます。
ですので、
①まずはその人の
真本音の想いを
明確にすること。
これが大事ですが、
次に必須なのが、
②その想いを
カタチにすること。
が超重要です。
そしてもし、
お一人お一人が
②ができるようになれば、
ある意味、
自然に組織は調和を
始めます。
そして
③その調和を助長して
さらなる相乗効果を起こす。
のが、組織活性化の
次のステップとなります。
・・・・・・
さて。
②に関しては、
私はいつも結構、
かなり厳しいと思います。
厳しい、というのは、
私が厳しくなる
という意味です。
想いがあるのに
それをやらない人に
対して、
私は厳しいです。
厳しくなければならない
と思っています。
真本音の想いに
気づく前の人に
厳しくすることは
できません。
なぜなら、
その人の心はまだ
脆弱だから。
自分自身の真本音と
出会っていない人の
心は、
脆弱です。
弱い人に厳しくしても
潰れてしまいます。
しかし、
自身の真本音の想いや
願いに気づいた人は
まるで「大地」に
ガッシリと立ったかのような
安定感と強さを
得ます。
そうした人には
厳しくできるのです。
その厳しさが
具体的にはどのような
ものか?については
今回は触れませんが、
(もちろん、怒鳴ったり
するような類のものでは
ありません。)
その人の真本音が
求めている厳しさ
というものが
必ずありますので、
私はそこに素直に
お応えするのですね。
もちろん、
そういった厳しさは
本来私が行なうことではなく、
その組織を構成している
人達同士ができるように
なると本当に素晴らしいです。
そんな状態にすることが
私のサポートの
目的の一つですね。
美しい人が増え、
美しい人達が
さらに美しい人達を
育成していける。
そんな組織にするのが、
私のサポートの
基本です。
つづく
ちょっと極端なことを
書きますよ。
よく、
「プロとは、
自分のできないことを
できない、と
きちんと言える人のこと」
と言われますよね。
そうだよな、とは
思うのですが、
しかし一方で
私は、いつも
こう思っているんです。
「あぁ、もうダメだ。
私の手に負えない」
と思ったところからが
本当のプロの仕事の
スタートだ、
と。
逆に言えば、
「もう自分の手に負えない」
と思っていない
ということであれば、
それは
その時点では、
まだ私はプロとしての
仕事をしていないのだ、と
ちょっと極端かも
しれませんが、
そう思うのです。
だって、
プロって、
その道では
誰よりも「進化」を続ける
存在だと思うから。
プロというのは
能力があるのは
当たり前。
期待に応えるのも
当たり前。
100%がんばるのも
もちろん
当たり前。
結果を出すのも
当たり前。
そういった当たり前の
さらにプラスアルファを
し続ける存在。
そして、
そのプラスアルファとは
これまでのやり方や
これまで培ったものを
すべて壊すくらいの
もの。
前と同じやり方を
しました。
・・・なんてのは
その時点で私は
プロではない、と。
前の仕事よりも
今の仕事の方が
明らかにレベルアップしている
こと。
進化を
続けていること。
誰よりも
進化の度合いが
高いこと。
速いこと。
そうなれている時に
初めて私は
「その道のプロである」
と言えると
思ってるんです。
極端?
いやでもこれって
当たり前ですよね。
・・・・・・
私は企業様のサポートに
入らせていただいた場合、
そこにいらっしゃる社員さんの
どなたよりも
私自身が成長(進化)しよう
と思っています。
公開講座をやる場合も
同じです。
参加されるいかなる受講生さん
よりも
自分の方が進化度合いが
高い、
ということを
私自身の存在意義の
必須項目として
決めています。
それが実際に
できているかどうかは
わかりませんが、
この本気の意欲がなくなったら、
その時点で私は
この仕事をプロして
辞めようと
いつも思っています。
私は、
少なくとも
人の心や人の成長に
関わる仕事をしている人間は
これが当たり前だと
思っています。
厳しすぎる?
いやぁ、やっぱり
当たり前のことでしょ。
だって、
これがなければ
毅然と皆さんに
何も伝えられないからねぇ。
私が毅然と
していられるのは
私の能力云々ではなく、
私は自分の進化意欲の高さを
知っているからだと
思うのです。
現時点の自分が
どうなのか?
よりも、
どれだけ今、
進化し続けようと
しているか?
実際に進化が
できているか?
これこそが大事だと
思うのです。
そしてそれは
決して辛いことでは
なく、
そう思いながらお仕事が
できるのは、
とてつもない幸せです。
なぜなら、
人の本能の根底は
この「進化意欲」
ですから。
・・・・・・
真本音度合いが
高まることで、
どのような変化が
起きるか?と言いますと、
それは
いろいろありますが、
私がいつも感動するのは、
真本音度合いが
高まることで、
その人の「進化意欲」が
目を覚ます瞬間です。
もっと成長したい。
もっと進化したい。
今のままの自分では
もの足りない。
もっと挑戦して
まだ知らない自分を
発掘したい。
そういった自分の欲求に
素直になり始めるのです。
それがグングン高まる
様子を拝見していますと、
本当に感動します。
で、
私もそうあろうと
余計に思えます。
そして、
自分の進化意欲に
素直になっている時、
人は本当に
心も魂も穏やかになり
安定し、
安寧を得るのです。
つづく
自己犠牲は
決して
美しいとは
思いません。
でも、
どのような時にも、
誠実に
人と向き合い、
自分がどのような
状態であっても、
ただ、
目の前の人に
すべてのパワーを
注いでいく。
そんな潔さを
私は
美しいな、と
思います。
一日を終え、
すべてのパワーを
使い切り、
ボロボロの状態で
倒れ込むその姿は、
決して格好いいものでは
ないけれど、
でもその生き方に
私は
美しさを感じます。
自己犠牲では
ここまでのことは
できません。
自己犠牲とは
自己満足だから。
人は、
どこかで自分自身の
ことを
とてもよく
わかっています。
自分が本当に
潔く生きているか、
そうではないか。
潔く生きている人は
自分自身を
毅然と見つめることが
できます。
人を毅然と
見つめることが
できます。
そして、人を
毅然と助ける
ことができます。
人を助ける、とは
本来
自己犠牲ではなく、
自分自身をも
助けることに
なります。
人に対する
救いの手は、
自分自身に対する
救いの手でも
あるのです。
だから、
救う時は
全力で救う。
救ってはならない時は
決して
救わない。
その判断を
毅然と下すその
生き方が、
私は美しいと
思います。
やはり、・・・
人は美しく
あってほしいと、
私は願います。
あなたの
ように、ね。
つづく
明日の今頃は、
私は
どんな気持ちで
いるのだろうか?
と考えたことは
ありますか?
私はよく
あります。
特に、
「明日」にとても大きな
お仕事が入っている場合は、
ちょっとした緊張感と共に
そんなことを
考えたりします。
しかし、
そこに「不安」は
ありません。
いえ、
正確に言えば、
反応本音レベルの不安は
たくさんあります。
それは人間ですから
当たり前です。
しかし、
その不安をじっと
見つめると、
本当にそこには何もない
ことが瞬時にして
わかります。
私は昔は
かなりの不安症でしたので、
そのクセが
出ているだけなのですね。
不安感を出すという
反応本音のクセ。
そこがそこにあるだけで、
そこを見つめると、
あれ?
不安、どこ行った?
どこにある?
となり、
どこをどう探しても
見つからなくなります。
そしてふっと
力を抜くと、
そこには
「確信」
しかないのです。
・・・・・・
少なくとも私は
2012年からは
真本音100%の人生を
送っています。
もちろんそれは
何ら特別なことではなく
「普通」のことです。
やっと「普通」の自分に
戻れたな、
という感覚です。
真本音100%と言っても、
反応本音がなくなる
ことはありません。
なぜなら、
反応本音とは
真本音がこの世で
生きやすく(行きやすく)する
ために
発生させるものだからです。
つまりは、
真本音と反応本音は
コラボするために
存在しているのです、
本来は。
ですから、
真本音100%になるということは
その時その時に
最も必要な反応本音が
きちんと発生する
という状態になります。
それは極めて
「自分らしい」
状態です。
「自然体」
です。
何の力みも無理も
そこには
ありません。
そして当然のことですが、
真本音100%になった
からと言って、
未来が予測できるようには
なりません。
むしろ、
ますます予測できなく
なりますし、
ますます思惑通りには
進まなくなります。
なぜなら、
私達の真本音は
「未来がわからないこと
こそが大切なこと」
であると決めて
いるからです。
これがこの
3次元の世界の
ルールであり
摂理であり、
そして
面白味の真髄です。
そして、
未来がわからなく
なるからこそ
「確信」
が湧くようになります。
面白いことですが、
未来を予測すれば
するほど、
「確信」は
遠のきます。
未来は
まったくわからない。
わからないからこそ
面白い。
わからないことを
楽しもう。
となれた時に、
「確信」が
湧き始めるのです。
何が「確信」の根拠
なのかは
わかりません。
根拠のない確信。
しかしこれほど
強いものはありません。
根拠ありの確信は
根拠がもしなくなれば、
もうそれは確信では
なくなります。
しかしそれを本当の
確信とは言いません。
確信とは本来。
根拠のないものです。
・・・・・・
とはいえ、本当は
根拠はあります。
(どっちなんだよ。笑)
私達の高い次元では
「すべては一つ」
ですから。
そこでは、
過去も今も未来も
一つです。
確信とはそこから
来るものですから、
そういった意味では
根拠はあります。
でもそれは
この3次元の世界に
生きている私達の頭では
理解不能な領域です。
・・・・・・
真本音に素直に
生き(行き)、
真本音の度合いを
高めれば、
そういった意味での
確信は
毎日、当たり前のように
湧き続けます。
2012年から今日に
至るまで、
もちろん私にとっては
「成功」ばかりでは
ありません。
その時点だけで見れば、
望まない結果は
出ますし、
想定外の出来事や
辛いことも、
もちろんあります。
でも、
例えば、それらをすべて
経験した後の今の私が
タイムマシンに乗って
2012年に戻ったとして、
今のこの記憶のままに
戻ったとしても、
それでも私は
まったく同じ歩みを
するでしょう。
同じ選択を
するでしょう。
それくらいに
後悔はありません。
悔いはありませんし、
本当に最善の
一日一日だったな、と
思えますし、
あの日は
あれ以上の一日は
ないな、
とも思えるのです。
そんな人生、
素敵だと思いませんか?
で、
なんでこんな
自慢話のようなことを
しているかと言いますと、
こういった日々は、
そして
真本音100%の状態は、
すべての人が
可能だからです。
なぜなら、
先ほども書きました通り、
真本音度合い100%こそが
「普通の状態」であり、
「本来の自分に戻れたな」
と実感できる
状態だからです。
みんながそこに
戻れるといいな、と
本当に強く思うのです。
私のクライアントさん達は
次々に
真本音100%になって
います。
そんな方々は
本当に自然体ですし、
実に魅力的です。
こういった人を
一人、また一人と
増やしていきたいです。
とはいえ、
それをするのは
ご本人です。
私はそのための
やり方を
お伝えするだけ
なんですけどね。
つづく
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真本音度合い100%を
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『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私達人間は
何か新たなものを
生み出すことに
無上の悦びを得ます。
しかし
新たな何かとは
たった一人では
決して生み出せないように
なっています。
人と人が
関わり合い、
先人の知恵と
今の知恵と
様々な経験と
未来への希望と、
本当にいろんなものが
ブレンドされて
「一つ」になれたときに、
まるで突然変異のように
これまでの延長線上からは
逸脱した
まったくステージの異なる
新たな何かが
生まれます。
それを
成し得たときの
私達の心、
・・・というよりも、魂の
悦びというのは
尋常ではありません。
その瞬間を
いつも夢みて
日々を進んでいるのが
私達の共通の
想いの一つです。
・・・・・・
私達は
進化を望む生き物
ですが、
その進化とは
カタチに現さなければ
意味がない、
とも
全員が思っています。
進化をしたい
という想いは、
カタチになってこそ
果たされます。
この
「想いをカタチにする」
ことを私は
「経営」
と呼んでいます。
「人生経営」
という言葉がありますが、
自分の人生を
自らが「経営者」となって
創り上げていく。
そういった意志を
持ちながら
日々を歩んでいく。
そんな状態に、
すべての人がなれると
いいな、と
私は願っています。
・・・・・・
今日(9月1日)、
私は、
実在のレベルにおいて
何かとてつもなく
大きくて、
新しくて、
これまでに観たこともない
「何か」が
生まれた感覚を得ました。
これまで
体験したことがないような
感覚。
ちょっと極端な表現をすれば、
これまで
人類が体験したことのない
くらいの何か、が
生まれた感覚があります。
恐らく私達は
何かとてつもないことを
成し遂げました。
ただし、
あくまでも実在レベルの
話です。
実在はタイムラグを経て、
徐々に現象化されます。
何が具体的に
現象化されるか?は
現時点ではわかりませんが、
恐らくこの現象化は、
この3〜4年のスパンで
行われるのではないか、と
思われます。
あくまで私の
感覚ですが。
・・・・・・
はっきりと明確なことは
まだわかりませんが、
なんか、
とっても
打上げをしたい
気分です。
みんなで何かを
祝福し合いたい。
そんな気持ちばかりが
湧き上がります。
この、
実在の感覚は
今後、私自身が最も
大切にすべきものだと
自覚しています。
この感覚のする
方向へ、
進んで行けばいいのだな、
とわかります。
そういった意味で
大事な指針を
得ることができました。
私達は
どうやら、
本気で変わろうと
しています。
真本音でそのように
決めているようです。
この、
私達の想いを
まずは私自身が
誰よりも大切にしようと
決意した、
そんな今日でした。
つづく
<ご案内>
もっと多くの人達が
「実在」を
キャッチできるようになると
いいな、と
私は本当に思います。
そうすれば、
自分の次の一歩が
迷うことなく
常に明確に観えてきます。
後悔も
なくなります。
この世の現実は
予測不能なことばかり
ですし、
自分の思惑通りに
進むことなど滅多に
ありません。
しかしそうだからこそ
面白いのです。
・・・なんて、
自然に思えるように
なるには、
実在をキャッチする力が
必要です。
現象(現実)の大本に
なるもの、
それが「実在」です。
これが理解できれば、
今のあらゆる現実を
そのまま受け止め、
毅然と進むことが
できるようになります。
実在キャッチ力を
高める。
これも、私の提唱する
真本音セルフコーチングの
目的の一つです。
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
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『人生を真剣に変えたいあなたへ』
よく、
人のせいにしては
ダメだ。
環境のせいにしては
ダメだ。
と言われます。
その通りです。
自分以外の何かの
せいにして、
自分の次の振る舞いや
自分の次の選択を
決めている人は
どこに行っても、
どの環境に入っても、
自分以外の何かの
せいにする人生を
続けるでしょう。
それは
「依存」の人生
です。
自立した人。
自律した人。
人生の覚悟を
もっている人は、
もちろんそういったことは
しません。
・・・ということを
重々に承知した上で、
今日はあえて
申したいのです。
「もっと
人のせいにしたら
どうですか?」
「もっと
環境のせいにしたら
どうですか?」
と。
・・・・・・
もちろん、
すべての人に
そうお伝えするつもりは
毛頭ありません。
私がお伝えしたいのは、
自分のケツは
自分で拭く、
という覚悟を持った
人に対してです。
私のクライアントさんは
そういった方々が多く、
とても
気持ちの良い皆さん
ばかりです。
そういった人は
人生やお仕事で起こる
あらゆる「現実」に対して、
自分自身の責任である
と捉えます。
もちろんそれは
とても潔いことなのですが、
でも、時々ですが、
自分のせいにし過ぎる
人もいるのです。
すると今度は逆に
物事の本質が
観えなくなってしまうことが
あります。
私はよく
組織のサポートをする時に、
その組織に何らかの問題が
起きている場合、
「誰のせいか?」
を明確にします。
もちろんその人のことを
責めるためでは
ありません。
原因の本質を
あるがままに見極める
ためです。
誰がいけないのか?
何がいけないのか?
その事実を
そのままに見つめることこそ
物事の展開を大きく変える
起点となります。
・・・・・・
このような問題が
このように起きたのは、
まずは、
私のここがまずかった。
私のここが原因だった。
と同時に、
あの人のそこも
まずかった。
あの人のあそこが
原因だった。
・・・というように、
自分とか他人とか環境とか
そういった垣根を
取り払った
ニュートラルな視点から
すべてを俯瞰することが
実に大切です。
それができた時点で、
私達は
次元を一つ上がって
います。
誰が悪いんだ?
俺のせいか?
お前のせいか?
ではなく、
すべてを全部俯瞰して、
どこにどのような
問題があったのか?
をそのまま受け止める
ということですね。
これができる人は
自分にも他人にも
厳しくなりますが、
しかし、
自分にも他人にも
本当の意味で
やさしくなれますね。
・・・・・・
もともと私達の
高い次元の意識では、
すべてが一つ
です。
それはつまり、
私はあなたであり、
あなたは私
なのです。
この本質を思い出せば、
「自分がすべて悪い」
ということは、
あり得なくなります。
なぜなら、
物事はすべて
人と人の関わりと
影響のし合いで
成り立っているからです。
それが
この世の中です。
・・・・・・
世の中は
私である。
私は
世の中である。
すべては
私である。
私は
すべてである。
低い次元で
このように捉えると
それはただの
傲慢ですが、
高い次元では
これが本質であり、
普通であり
当たり前のことなのです。
ですから、
人生の覚悟を持った人、
自立・自律している人にこそ
私は問うのです。
「誰が問題ですか?」
「誰のせいですか?」
と。
つづく
<ご案内>
おかげさまで、
当初私が予想していたよりも
ずっと多くの皆様に
電子書籍と動画を
ご覧いただいたようです。
ありがとうございます。
まだお申込みが
続いているようですので、
配信期間をもう少し
延長しようかと思います。
良いセルフコーチングは、
自分の中にすでに
存在している
高い次元の意識を
思い出すきっかけとも
なります。
もちろん、
高い次元が良くて
低い次元が悪くて、
という単純なものではなく、
私達人間は
高い次元から低い次元まで
あらゆる次元の意識を
内包し、
コラボしているからこそ
素晴らしい存在なのだと
私は思います。
ですからこそ逆に、
多くの皆様に
高い次元の自分自身と
もっともっと出会って
ほしいな、と思うのです。
私達の心の中は
宇宙と同じように
広くて深いです。
心の宇宙の探検を
楽しくしていただくことは、
人生の冒険を楽しむ上では
必須です。
自分としっかり
向き合える人こそが、
現実とも
しっかり向き合え、
人生と
あるがままに向き合えます。
そんなきっかけになると
いいな、と思い、
配信させていただいています。
ご興味ありましたら、
ぜひどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私は
自分の成長意欲の高さを、
誰よりもよく
わかっていました。
とてつもない
スピードで
邁進して行きたい。
と、常に
思ってきました。
今ここに立っていることが
本当に
じれったく、そして
ジレンマで、
本当に早く
スタートを切りたいと
いつもいつも
思っていました。
しかし
そのような状態でも
あえて私は
本気を出さなかった。
なぜなら、
今、本気を出しても
不調和と空回りだけが
起こることも、
また、よくわかって
いたからです。
自分の想いの
そのままに、
行動に移すことは
実はとても簡単です。
しかし、
その行動と想いが
一致するとは
限りません。
自分の想いを
きちんと一致した行動
として
表現できる自分に
ならなければ。
例えば、
想いがあっても
能力が伴わなければ
その想いは
行動と一致しません。
自分の想いを
行動を通じて
エネルギーとして
発することが
できる自分であることも
重要です。
想いだけでは
ダメ。
想いは
カタチにできなければ
意味がない。
想いは
調和をもたらさなければ
意味がない。
ですから、
そういったことの
できる自分になるまで、
そう、
準備が整うまで、
決して
本気は出さないと
決めていたのです。
それはそれは、
全身を掻きむしりたく
なるくらいの
じれったさでした。
早く、
突っ走りたくて
しょうがありませんでした。
でもでも
ずっとずっと
じっとじっと
準備が整うのを
待ち続けました。
でね、
たけうちさん。
やっとやっと
準備が
整ったんですよ。
やっと
本気で走れそうな
気がするんです。
もう、
いいですよね?
本気の
全力で
進み始めても
いいですよね?
・・・・・・
こういったメッセージを
実際に
言葉として
私は聴いたわけでは
ありません。
でも、
その人と向き合っていると、
その人の目が
そう語って
くるんです。
つまりは、
実在のその人、
その人の真本音からの
私への
ダイレクトメッセージ。
上記のような
「準備が整いました」
宣言。
「もう走り出しますよ」
宣言。
この
言葉にはならないけれど、
あまりにも
ダイレクトに
はっきりくっきりと
伝わってくる
想いの溢れたメッセージを
このたった一週間で、
私は
何人もの人から
受け取りました。
ですから私は
今、
感無量です。
あぁやっとみんなの
準備が整ったんだな、
と。
やっと、
共に全力疾走
できるんだな、と。
私こそ。
私こそ、
この瞬間を
ずっとずっと
待っていたのですよ。
・・・・・・
最近、
私とお会いしていない人
でも、
この文章を読んで、
あっこれ、自分の
ことだな。
と思えた人は
恐らく準備が整った
のだと思います。
全力疾走を
始めても
いいんじゃないかな。
もちろん私自身も
全力疾走します。
と同時に私は、
全力疾走をする人を
全力サポート
したいのです。
共に。
共に、ですね。
共に、
スタートを
切りましょう。
つづく
<ご案内>
思えば、・・・
私がご提供させていただく、
セルフコーチングの
すべての手法は、
全力疾走をする人の
ためのものだな、と
今、改めて
思います。
自分の人生の目的に
向かい、
もしくは、
たとえその目的が
現時点ではまったく
わからなかったとしても、
それでも
自分の人生の目的に
向かおうとし、
あらゆる現実の中で
試行錯誤を
繰り返す。
そんな人達が
最短、最速、最善の
道のりを
進めますように。
そんな祈りのもとで
ご提供させていただくのが
真本音セルフコーチングの
手法です。
そういったものが
自分の全力疾走には
必要だな、
と思える方は
ぜひご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
新しい世界に
入る。
未知の世界に
足を踏み入れる。
・・・というのは
あなたにとって
ワクワクすることですか?
それとも、
不安ばかりが
生じることですか?
実はですね。
この仕事を22年やり続けて、
一つ強烈にわかった
ことがあるんです。
新たな世界
未知の世界に
入ることを
恐れ、
「私はこのままでいい!」
と思っている人は、
余程のことがない限りは、
「食わず嫌い」
なんだ、ということが。
「今、このままの
状態が
永遠に続けばいい」
と心底から
願っている人は
ほぼ、
いないのです。
これが
私達人間の本性であり
本能です。
私、
このままでいい。
私、
自分を変えたくない。
というのは
とても不自然な
ことなのです。
人として
不自然なのです。
ちょっと極端に
聞こえるかも
しれませんね。
でも、
人と向き合えば
向き合うほど、
どうしても
そう思えるのです。
みんな、
自分を変えたくて
しょうがないのです。
・・・・・・
あまり経験で
ものを言うのは
どうかな?
と思うのですが、
でもあえて
書きます。
私の体験上、
「私は私を
変えたくありません」
と
言っている人ほど、
いざ、
未知の世界に
足を踏み入れ、
自分の変化を
自分で感じ取ると、
びっくりするくらいに
変化すること自体を
楽しみ始めます。
まぁ、
かく言う私自身が
そうだったのですが。
そして、
どんどん
変わり続けること自体が
自分自身に
安定と安寧を
もたらしてくれることを
私達は知るのです。
安定や安寧を
求めるが故に
自分が変わることを
状況が変わることを
頑なに拒んでいたのに、
そこには
安定も安寧もなく、
ただただ
不安だけが日々
募るだけ。
いざ、
未知の世界に
足を踏み入れ、
自分が変わり始めると、
そこで初めて
真の安定と安寧を
得る。
こんなカラクリ
ありなの?
と私はよく思うのですが、
でもこれが
私達人間なんですね。
進めば進むほど
安定し、
止まれば止まるほど
不安定になる。
進めば進むほど
刺激は増え、
ということは、
「刺激」と「安定」は
比例する
ということです。
本質的には。
・・・・・・
私自身は
と言えば、
私はもっともっと
自分を変えたいです。
自分でも知らない
自分自身を
もっともっと
見たいですね。
そしてそれ以上に
もっともっと
自分の知らない世界を
見てみたい。
これまでも結構
冒険はしてきた方だと
思うのですが、
いやぁ。
本当の冒険は
ここから、かな。
そう思っています。
私は
もっともっと
冒険できるし、
あなたも
もっともっと
冒険できます。
せっかくの
人生なので、
同じところに
留まっていないで、
どんどん
進んでみましょうよ。
これまでの最高速を
遥かに超える
かつてない
スピードで、
あなたも前に前に
進んでみませんか?
つづく
<ご案内>
本当の意味で
自分と向き合う
ことをしますと、
私達人間は
じっとしていられなく
なります。
人生をどんどん
進めたくなるのです。
そして
そのための
具体的な術が
観えるようになります。
いえ、
正確に言えば、
すべてが観えるわけでは
ありません。
時には、
次の一歩のみが
観えるというケースも
あります。
しかしそれでも、
次の一歩は
観えるのです。
そしてその一歩を
素直に
進んでみる。
その連続で
人生はどんどん進み、
どんどん加速します。
これまで
経験したことのない
楽しく充実した
展開を
私達の真本音は
私達自身に
プレゼントします。
そんな人生に
シフトチェンジしませんか?
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
一昨日でしたか。
東京都心で夜、
ゲリラ豪雨が
ありました。
ちょうど
クライアント企業様での
セッションが終わり
歩いて帰路について
いました。
私の頭上には
凄まじい積乱雲と、
(印象では)5秒とか10秒に
一回くらいに輝く
雷光がありました。
光ってすぐに
雷鳴が轟いていました。
凄い光と
凄い音の
連続。
幸いまだ、雨は
ありませんでしたが、
今すぐにでも
降りそう。
私の周りには
樹木が多かったので、
あぁこのまま
ここにいては死ぬな、
と思いながら、
私は空を見上げて
いました。
その時、
眩い光と共に、
雷の落ちる音が
響き渡りました。
後で知ったのですが、
やはり
私のいたところから
わずかな場所で
樹木に雷が落ち、
木が焼け焦げて
しまったそうです。
私は、
学生の頃に
一人で南アルプスに
登り、
雷雲の中に入ってしまった
ことがあります。
そこで1時間、
命からがら
雷をやり過ごした
のですが、
その時の恐ろしい記憶が
蘇りました。
自然の摂理の
前では、
人間は
為す術もない。
ただそこに
身を預けるだけ。
そんな、
あの時の独特の
感覚を
思い出しました。
・・・・・・
私達人間は
随分と
不自然なことを
やってきましたし、
今もやり続けています。
「自然に還れ!」
という気は
ありません。
しかし、
もっと
自然の摂理というものに
対して、
素直になってもよいのでは
ないかと思うことは
よくあります。
『人智』
という言葉があります。
人の智恵、
という意味ですが、
人は時々、
「人智を超える」
展開を起こすことが
あります。
それはほとんどの場合、
自然の摂理に
素直になった時に
起こります。
自然の摂理に
素直になる、とは、
自然と一つになる、
ということ。
自然と一つになる、
とは
「今ここ」と一つになる、
ということです。
「今ここ」と一つになる、
とは
「世界」と一つになる
ということ。
その瞬間、私達は
明らかに
「私」という範疇を
超えています。
・・・・・・
私は
思うのです。
これまでの
人間の歴史と、
人間の歩みと、
人間の試行錯誤が、
本当に
活かされるかどうか?
を決めるのは、
今日からの
私達の進み方に
よるのではないか、
と。
あぁ、
人の歴史は
良い歴史だったと、
今のこの世界を
創るための
必然的な一歩一歩だった、
と。
100年後の人類が
そう思えるように、
100年後の未来が
素敵なもので
あるように、
今日の一日を
人智を尽くして、
人智を超えた
展開にしたいな、と。
私は
強くそう
思うのです。
つづく
<ご案内>
一日一日、
今この瞬間を
自然の摂理に素直に
進むことで、
私達の人生の道は
開かれます。
「現実」は
開かれます。
強引に
命を削りながら
疲弊しながら
不自然な道を
刻むのではなく、
自然に、
そこにある「一本道」を
進んで行く。
そんな生き方(行き方)を
しませんか?
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
今日、私の
あるクライアントさんに
「もっと好きなことだけを
やってください。
やりたくないことは
やめてください。」
とお伝えしました。
「100%やりたい!と
思えることだけをやる、と
決めてください。」
・・・と。
しかしこのアドバイスは
一般的には
非常に危険です。
私は滅多なことでは
こういったアドバイスは
しません。
なぜ私はあえて、
このクライアントさんに
このようにお伝えしたのか?
その理由は
明確です。
彼は常に
「自分の限界を
超え続ける」
という生き方を
日々、実践されている
からです。
猛スピードで
進化を続けている
人だからです。
・・・・・・
逆に言えば、
自分の限界を超えるような
挑戦をしていない人に
このアドバイスをすれば、
その人は
ますます自分の枠に
閉じ込もってしまうでしょう。
そうか、
自分の好きなことのみを
やればいいんだ。
と喜びながら、
自己満足の人生を
進むでしょう。
現実逃避に
入るでしょう。
残念ながらこの世の中は
自分の好きなことだけを
やって生きていける
ようにはできていません。
なぜなら
私達の真本音が
それをさせません。
しかし、
「いや、たけうちさん、
私は自分の好きなことだけで
生きていますよ」
と時々、
言われることがあります。
その場合は
以下の二つのケースの
どちらかです。
一つは、
そうは言っても、
その人には「すべてを引き受ける」
覚悟があり、
好きなことに向かう途上における
あらゆる現実を
しっかりと受け止めている
ケースです。
好きなことに向かう途上において
自分のすべきことを
しっかりと為しながら、
それらを引っくるめて
「好きなことだけをやっている」
と表現しているわけですね。
私自身も実は、
これに近いところがあります。
もう一つは、
「好きなことだけをやっている」
と言いながらも本当は、
その人は
好きなことをやっていない
というケースです。
つまりは、
自分の真本音で思う
好きなことではなく、
反応本音レベルでの
好きなことに
取り組んでいるだけ
ということです。
これはつまり
先程書かせていただいた
自己満足や現実逃避と
同じことです。
残念ですがこのケースは
必ずどこかで
道が閉ざされます。
もちろん
自分自身の真本音が
道を閉ざすのです。
「もっと真剣に生きようよ」
というメッセージとして。
・・・・・・
好きなことのみに
生きる、
というのは
大変なことです。
人生に対する
自律した覚悟も
必要です。
そして、
その覚悟を持ちながら
好きなことに向かう人には
独特の空気感が
漂います。
この人は
自らの足で
歩いている人だな、と
すぐにわかります。
そういった人にこそ
私は
「もっとわがままに
なってください」
と強くお伝えします。
結局はそうなることで、
すべてが調和する
からです。
その人の「わがまま」は
周りの幸せに
必ずつながるからです。
それを、
「次元の高い人」
と私は呼んでいます。
次元の高さとは、
人生を引き受ける度合いと、
すべての現実を
引き受ける度量によって
決まります。
つまりは、
人生に対する真剣さで
決まります。
自分の本当に好きなことは、
自分の次元が
高まることで
初めて観えてくるのです。
・・・・・・
自分の枠から
出ようとせず、
反応本音レベルの
好きなことのみを
やろうとする。
そういった生き方を
している人を見ると、
私は本当に
もったいないなぁと
思います。
あなたは
そんなもんじゃ
ないのに。
と、
どうしても思って
しまいます。
お節介かも
しれません。
傲慢かも
しれません。
でも、
やっぱり。
私達人間は、
そんなもんじゃ
ないのです。
つづく
<ご案内>
人生に対して
真剣になる、
と言うと、
なんかとっても大変そう、
とか
疲れそう、
という印象があるかも
知れませんが、
まったく
逆です。
真剣になればなるほど、
楽になる
のが人生です。
真剣になればなるほど、
心の内側から
エネルギーが湧いてくる
のが人生です。
そして、
真剣になればなるほど、
心も魂も満たされ、
幸せ感いっぱいになるのが
人生です。
そんな状態になるために
どのように自分と
向き合い、
どのように自分の
心を見つめ、
どのように行動に移せば
よいか?
どうすれば
人は、自然に
真剣になれるのか?
そんなことを
お伝えしています。
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
物事には、
スタートを切って
良い時と、
いけない時が
あります。
ここを見誤ると、
後でかなりの
手間がかかります。
不調和の処理を
しなければならなく
なるからです。
しかし
ここさえしっかりと
見極めれば、
物事の展開は
びっくりするほど、
スムーズになります。
『始めどき』
・・・と表現すれば
よいでしょうか。
これが、
及ぼす影響は
測り知れないです。
・・・・・・
「始めどき」を
大切にするということは、
「終わりどき」を
大切にする
ということにもなります。
「終わりどき」
つまりは、
「ここで完了だな」と
思える瞬間。
よく私は
『完了感』
という言葉も使いますが、
私達の真本音は
これも、
とてつもなく大切に
しています。
というよりも、
「完了感がなければ、
先に進んではならない」
くらいに思っています。
「完了感」とは要するに、
「やり切った感」ですが、
例えば、
あるミーティングをした場合に、
私は常に
ミーティングの最後に
皆さんにお訊きします。
「完了感ありますか?」
と。
これでこの場の
目的はきちんと
果たせたと
真本音で思えるかどうか?
を訊くのです。
これもよく言うことですが、
99%でもダメ、
101%でもダメです。
かっきり
100%目的を
果たせたと
自然に思えるかどうか?
この100%の状態で
私達が得るのが
「完了感」です。
スッキリ感
ですね。
これが湧くまで
私はミーティングを
終えませんし、
逆に、
これさえ湧けば、
予定の内容が途中でも
私はミーティングを
「終了しましょう」と
提案します。
もちろんミーティング
だけでなく、
あらゆる物事に
「完了感」は大事です。
一日の終わりに
その一日の完了感が
あるかどうか?
とか。
真本音度合いが高まると、
この「完了感」に
自然に敏感になり、
「完了感」がないままに
先に進むことが
とても気持ち悪くなります。
ということは、
きちんと「終わりどき」を
知ることができ、
ということは、
次に行なうことの
「始めどき」を
知ることもできる
ということです。
・・・・・・
今、
新たな何かを
「始めよう!」
とされている人が
とても増えています。
それはとても
素晴らしいことですが、
そんな人ほど、
ぜひ自分自身に
問うてほしいのです。
「ちゃんと
これまでの自分に対して
完了感はあるかな?」
「これで、次のステージに
進んでも
本当に良いのかな?」
と。
ここで気持ち悪さや
違和感を覚えたら、
その原因、
つまりは
「何がまだ
完了していないか?」
を探ってください。
そしてそれを
必ず、
完了させてください。
その後です。
本当の
スタートは。
つづく
<ご案内>
「完了感」溢れる
人生にしませんか?
そのためには
きちんと
「完了感」を感じられる
自分自身との向き合い方が
必要です。
一日一日をきちんと
「完了」させていけば、
その満足感と
幸せ感は
半端なくなります。
ご興味がございましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
今の自分には
到底無理だとわかっていても、
それでも
立ち向かわなければ
ならないことが
人生にはありますね。
自分の範疇を
超えた
現実。
自分の範疇を
超えた
挑戦。
自分の範疇を
超えた
約束。
頭では
絶対に無理!
と叫んでいても
なぜか、
それをやめる方向に
体が動かない。
まるで最初から
確信を持っているかのように
自分の範疇を
超える方向に
進んでしまう。
自分に対して
「ちょっと待って!」
と止めようとしても
止まらない。
勝手に進み、
「おいおいおい!」
と言いながらも
道が開いて行って
しまう。
そしてある瞬間から
「まっいいか!」
と
あきらめ、
あとはその流れと
自分自身に
委ねてしまう。
それにより
自分が想像し得ないような
素晴らしい道が
次々に拓かれていく。
そういったことを
当たり前のように
日々、続ける人が
います。
それは、
ある一種の「覚悟」を
持ち合わせている
人です。
・・・・・・
その覚悟とは、
『ゼロに戻る覚悟』
と表現できるかな。
いつでもすべてを
「ゼロ」に
できる覚悟です。
例えば・・・、
愛する家族が
いる場合に、
その家族が
今日でいなくなってしまっても
いい、
家族を手放してもいい、
と思える
覚悟です。
いやいやいや。
そんなことは
誰にも無理でしょ、
と言われそうです。
もちろん、
無理でしょう。
私だって
いやです。
一番大切なものを
手放すことは
大抵の人間には
不可能なことです。
でも。
ちょっとそれとは
別の次元に
目を向けて
いただきたいのです。
これまで
培ったもの。
これまで
構築してきたもの。
これまで
手に入れてきたもの。
大事なもの。
宝のようなもの。
それらを私達は
「ゼロ」から
手に入れ、
育て上げてきました。
もちろん、
生まれた瞬間から
手に入っているものは
多いです。
しかし、
「ゼロ」から
手に入れたものも
たくさんあるはずです。
その
「ゼロ」
に戻ってみる。
自分のスタート地点に
戻ってみる。
すると、
何が観えるでしょうか?
・・・・・・
セルフコーチングの力が
強くなると、
ある瞬間から私達は
自分がこの世に
生まれた瞬間の
「決意」を
思い出せるようになります。
その「決意」とは、
何のためにこの世に
生まれてきたか?
の理由であり、
私とは何者か?
の答えであり、
私の人生の目的と
意義、
そのものでもあります。
それを多くの人は
忘れてしまっています。
なぜなら、
「ゼロ」から創り上げたものや、
自分が人生で
培ったものや
手に入れたものを
「守ろう」とするからです。
もちろんそれは
人としてとても
大切な気持ちですが、
そういった大切なもの達を
いったんすべて
自分自身から分離させ、
「ゼロ」に戻った時に
初めて、
私達は
「ゼロ地点」における
自分の意志に
戻れるのです。
そして。
その「ゼロ地点」に
毎日、戻ることで、
逆に、
今、自分の目の前にある
あらゆる大切なものを
どう活かせば良いか?
どう関われば良いか?
どんな距離感を持てば良いか?
などが、ありありと
理解できるのです。
結果として、
大切なものを
より大切にできるように
なります。
面白いものです。
「守ろう」
とするよりも、
「常にゼロに戻ろう」
とする方が、
大切なものを
より大切にできるのです。
しかし、
「ゼロ」に戻るためには、
「すべてを手放してもいい」
という覚悟が
必要です。
つまりは、
「すべてを手放しても
いい」
と思える人ほど、
「すべてを
本当に活かす」
ことができるのです。
・・・・・・
「ゼロ」に戻る勇気は
真本音度合いが
ある一定以上に
高まらないと
出ません。
心の中にある
「真本音」という大地を
実感できる度合いが
高まることで初めて、
私達は
ゆとりを持って
様々な決断ができるように
なります。
「ゼロ」にも
戻れるのです。
真本音度合いが高まり、
常に「ゼロ」から
決断と行動のできる人が
増えれば、
世の中はもっと
調和します。
一人ひとりはもっと
幸せになれるのです。
つづく
<ご案内>
今あるものが
当たり前、
ではなく、
毎日、「ゼロ」に戻ることが
できれば、
あらゆるものの存在が
自分に
次への一歩の
指針を与えてくれます。
自分一人のみで
進む人生ではなく、
「あらゆるもの」と共に
進める人生へと、
次元を高めませんか?
ご興味がございましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
今日、
私の元クライアントさんである
4人の方々と
約3年ぶりにお会いし、
食事をしました。
この3年間、
メール等のやり取りも
ほとんどせず、
音信不通に近かった
のですが、
お会いした瞬間に
実感しました。
あぁ、私は
「実在」のレベルでは、
この人達とずっと
一緒にいたな、と。
しかも私は
この人達に随分と
支えられてきたな、
と。
駅で待合せしたのですが、
人混みの中で
再会したその瞬間から
私達はまるで
昨日も会っていたかのような
会話を始めました。
そこには
3年のブランクが
まったくない。
ゼロ。
皆さん全員、
「実在」を感じ取れる
人達ばかりです。
私達は常に
一緒にいて、
で、
本当に必要な瞬間のみ、
現実のレベルで
お会いすればいい。
誰もそのような
言葉は発しませんが、
そんな共通認識が
その場に
漂っていました。
・・・・・・
現実レベルでの
距離が離れるからと
いって、
実在レベルの距離が
離れるわけでは
ありません。
いえむしろ、
現実の距離を
離すことで、
実在の距離が
縮まった
というケースは
とても多いのです。
私達には
「適切な距離感」
というものがあり、
その距離感を
大切にすることで、
・実在と
・現象(現実)の
両方の距離を
決めていく、
ということを
私達の真本音は
望んでいます。
私はいつも、
個人においても
企業においても
私のサポートの
「終わり」を
とても大事に
しています。
サポートを続けていると、
「現実の距離を
一気に離した方が
いいな」
と思う瞬間が
必ずどこかで来ます。
その瞬間を
私は逃しません。
多くの場合は、
クライアントさん
(個人であっても
企業であっても)
の真本音度合いが
高まり、
真本音の想いと
行動と結果が
一致し、
常にその状態が
続くようになる
一歩手前くらいで
この瞬間が来ます。
すると私は
すかさず、
「私のサポートは
ここまでとしたいと
思います」
とお伝えします。
でもこういった時は
ほぼ必ずと言って
よいほど、
「私もそう思います」
とクライアントさんは
ニッコリと
了承されます。
いっつも
こんな感じ。
で、あとは
「では、もし何か
必要があれば
私を呼んでください。
ホームドクター
みたいなものですね」
となります。
今日、再会した
4人の皆さんとも
そんな感じで
3年ぶりにお会い
したのです。
・・・・・・
私は、
個人のコーチングも
よくお受けします。
「パーソナルコーチング」
というものですが、
その場合、
期間を限定しません。
コーチングを行ない、
「あっ、もうこれで
コーチング必要ないな」
と、
クライアントさんが
思えた時点で
終了です。
ですので、
たった1回のセッションで
コーチング終了
というケースが
実はとても
多いです。
で、コーチング料金は
実施した分を
後でいただくという、
そんな形です。
それが最も
簡単で
私も気が楽です。
しかもコーチングは
定期的に行なう、と
決めてもいません。
1回のセッションを
行なったら、
その終わりに、
「コーチングはこのまま
続けたいですか?」
とお訊きし、
「次回は、いつくらいが
良さそうですか?」
と真本音で決めて
いただきます。
すると、
そのクライアントさんの
真本音の望むペースでの
サポートとなります。
こんな感じですので、
月に何度も
コーチングセッションする
人もいれば、
数年に一度の人も
います。
それが自然な形だな
と私は
思っています。
・・・・・・
「実在」を
感じ取る力が
つけばつくほど、
現実レベルでの
距離をどうするか?
がいかに重要か、
もわかるようになります。
そしてその
距離感を大切に
することで、
私達はあらゆる人と
調和します。
人だけでなく、
「世界」と調和します。
すると、
物事が非常に
スムーズに進むように
なります。
距離感の
わかる人になる。
これも私のサポートの
重要な目的の
一つです。
つづく
<ご案内>
実在レベルの距離感と
現実レベルの距離感の
両方をつかみ、
両方を
的確な距離感に
修正する。
これも
セルフコーチング力を
高めることで
実現できます。
あらゆるものと
調和する生き方と
行き方を
しませんか?
ご興味ある方は
以下をどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
人と人は
もっとわかり合えるはず。
そう信じて
努力をしている人ほど、
深い落胆を抱えて
いる場合があります。
まぁ、・・・
私もその一人かも
しれません。
こんなお仕事をして
いますので、
これまで本当に
様々な人間模様を
拝見してきました。
自分自身の心も
含めて、
人間の汚い部分も
随分と目の当たりに
しました。
人に裏切られたことは
たくさんあります。
私が人を裏切って
しまったことも
正直、あります。
特に昔は
たくさんの人を
傷つけてしまいました。
傷つけられたことも
ありますが、
傷つけたこともあります。
被害者としての
痛み。
そして、
加害者としての
痛み。
その両方を
体験しました。
それでも、
人と人は必ず
わかり合える、と
信じてきました。
信じれば信じるほど、
落胆も
大きかったです。
もちろん、
うれしい体験
幸せな体験も
数知れず。
やっぱ、人って
いいようなぁ、
という体験も
数知れず。
・・・・・・
今、
私は
人はわかり合える
と
信じているのでしょうか?
と、
私自身に問うと、
「わからない」
と返ってきます。
「時と場合による」
とも。
じゃあ、
人はわかり合える、
という信念を大事に
していけばいいのだろうか?
と問うと、
「そりゃあ、大事にできればいいけど、
無理にそう思い続けなくても
いいんじゃない?」
という極めて
いい加減な答えが
返ってきます。笑
そう。
「どっちでもいいじゃん」
というのが
本当のところです。
ただ私が信じているのは、
その人の
「真本音の言葉」
です。
いや、
信じている、
というわけじゃないな。
信じるも何も、
自然にこちらの心と
魂に
伝わってきちゃうんですよね。
真本音の言葉は。
信じなきゃ、
も
信じたい、
も
信じよう、
も
何もない。
自然に
伝わってきちゃうんです。
で、
こちらの心と魂が
ビリビリと
震えてしまうんです。
しびれるんです。
感動しちゃうんです。
こういう時です。
私がホントに
自然に、
普通に、
人間ってすごいよなぁ・・・、
思うのは。
で。
私は、単純に
その人の真本音の想いと
真本音の言葉と
真本音の行動が
より出やすくなるように
サポートする
だけなんです。
はっきり言って
あとはひょっとすると
何もしていない、
です。
自慢になりませんが。
でもそれをするだけで、
その人は
周りと調和を
始めてしまうんです。
そこに
私の意図は
ありません。
もちろん、
その本人の意図すら
ありません。
気がつけば、
本人も気づかない内に
調和が起きている
のです。
あえて、
「わかり合える」という
言葉を使えば、
「わかり合える瞬間」が
格段に増えて
いくのです。
・・・・・・
「信じる」
とは、
私は
「意志」だと思っています。
信じるかどうかは、
その人の意志。
そして
信じるかどうかは、
その人の自由です。
信じないからダメ、
とか
ホント、そんなこと
どうでもいい。
信じたいものを
信じればいいし、
信じたくないものは
信じなくていい。
ただ。
その人自身の
真本音度合いが
高まるといいな、と
ここだけは
私は強く
願っていますし、
祈っています。
わかり合えるかどうか?
それは
結果。
その原因は、
真本音の度合いが
高いか低いか?
それだけの
ことなんですね。
つづく
<ご案内>
セルフコーチングの目的を
一言で教えてください。
・・・と、もし問われたら、
「真本音度合いを高める
ためです」
と、私は答えます。
私がご紹介する
セルフコーチング手法の全ては
真本音度合いを高めることに
直結しています。
ご興味ありましたら、
以下の無料動画を
ご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
昔、
私の心の中には常に
「ざわめき」
がありました。
一つの心のつぶやきを
すれば、
それが一石となり、
心の他の部分で
その「ざわめき」は
まるで永遠のように
広がり続けていました。
それは決して
気持ちの良いものでは
ありませんでした。
むしろ、
うるさい感じ、
騒がしい感じ、
そして
鬱陶しい感じ
でした。
恐らく今の私の
セルフコーチングの力で
それらの「ざわめき」を
見つめたとしたら、
その多くは
私の心のつぶやきへの
否定的な声達
だったでしょう。
喩えて言うならば、
あるタレントさんが
ツイッターか何かで
一言をつぶやくと、
炎上することがありますね。
あれに
似ています。
心の中の
炎上。
私が何かつぶやけば
炎上。
私が何か決めれば
炎上。
私の心の中は
奥底の方で
ずっとそれを
続けていた。
しかももちろんですが
それらの炎上は
決して見たくもなく、
私は常に
そのざわめき達に
フタをし続けてきました。
まぁその結果が
体を壊す、
ということだったのですが、
今考えれば
当たり前の結果です。
・・・・・・
なぜ、
ざわめくのか?
その根本的原因も
今となったら
わかります。
私は、
私の中にある
たった一つの「?」を
無視し続けていた
からです。
私の人生にとっては
その「?」は
とても大切なものでした。
しかしそれを
私は無視し続けたので、
それを一番よくわかっていたのは
私自身だったので、
そんな私を私の心達は
非常に否定的に
見ていたのですね。
ですから、
私が何か決めても
すぐに炎上していたわけです。
ではその
「?」とは
何なのか?
実は
とても単純な問いでした。
それは、
『このままでいいのか?』
という言葉になります。
私は本当に
このままでいいのか?
私の人生は
本当に
このまま行けばいいのか?
私は本当に
ここでこんなことを
していていいのか?
それら、
今ここにいる私自身への
疑問符でした。
よく、
自分を承認しなさい。
自分を肯定しなさい。
と、言われます。
もちろんそれは
大事です。
今の自分を承認できなければ、
未来を創ることは
できません。
しかし、
承認することと、
今の自分への疑問に
フタをすることは
まったく別のことです。
いえ、本当は
今の自分に対する
自分自身からの疑問や
疑念。
それらをしっかりと
理解することも
自己承認の重要な
一つです。
・・・・・・
『このままでいいのか?』
実はこの問いを
心の中に今、
強烈に持ち合わせている人が
増えています。
しかしこの問いと
向き合うのには
結構な勇気が必要です。
ですからほとんどの方が
フタをしてしまったり、
問い自体には気づいても、
「まぁ深く考えすぎるのは
よくないな」
「とりあえずは、毎日を
一生懸命過ごそう」
「とりあえずは、今目の前に
あることに集中しよう」
と
なっています。
これは残念ですが、
現実逃避
です。
今の自分にとって
最も重要な問いから
逃げているのですから。
それをすれば、
以前の私のように
心の中の炎上が
始まります。
それは
とてつもなく
自分自身のエネルギーを
奪います。
・・・・・・
『このままでいいのか?』
この問いと
しっかりと向き合うことで
間違いなく、
人生の道が
開かれていきます。
中途半端な
向き合い方は
ダメです。
向き合うならば
100%しっかりと
向き合うことです。
答えがすぐに
出なくてもよいですから、
この問いと
対峙し続けることです。
それができるのは、
自分自身しか
いないのですから。
つづく
<ご案内>
『このままでいいのか?』
という根本的問いを
持っている人を
私はぜひ
サポートさせていただきたいな
と思っています。
そのための
新しい実践型講座を
始めます。
ご興味がございましたら、
まずは無料動画を
ご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
伸びやかな発想が
必要な時って
ありますね。
仕事においても、
仕事以外においても。
コーチングでも
よく行なうのですが、
まずは
何物にも縛られない
自由な発想をした上で、
その発想を
現実的な行動へと
結びつけたりすると、
これまで開かなかった
道が
突然、開かれることが
あります。
「枠」に
捕らわれない発想。
今回は、
とても簡単で手軽な
その発想法の一つを
ご紹介します。
・・・・・・
やり方は実に
単純です。
まずは、
目をつぶります。
そして等身大の
自分を感じます。
自分の体の大きさと
同じ大きさの自分を
感じるということです。
それができましたら、
今度は
そんな自分が
グングンと大きくなる
イメージをしてください。
ただし
「イメージ」と表現しましたが、
実はちょっと
違いまして、
自分の体が
大きくなっていく姿を
頭の中でイメージする
わけではありません。
ではなく、
「感覚」で
自分を大きくしていくのです。
自分自身が
どんどん大きくなっていく
「感覚」を
創り出していただき
たいのです。
ですから
頭の中で映像を創り出し
それを見る
というようなことは
しなくてもよいです。
というよりも、
むしろしない方が
よいです。
感覚だけに意識を向け、
ただただ
感覚的に大きくなって
いけばよいのです。
これをずっとずっと
続けます。
すると、
途中で
何かの「枠」を感じると
思います。
ずっと
大きくなり続けていたのに、
急に壁に当たる感じがしたり、
何かに閉じ込められている
感覚を得たり、
ギュギュウに縛られている
感じがしたり。
ほぼ必ずどこかの段階で
そういった「感覚」が
くると思います。
もしまったく来ないなぁ、
ということでしたら、
まだ「巨大化」が
足りないということですね。
その場合は、
もっともっと自分を大きくして
いきましょう。
で、その閉じ込められた
ような感覚が
「枠」
です。
セルフコーチング力が
高まれば、
その「枠」が何かを
言葉ですぐに表現できる
ようになりますが、
慣れていないうちは、
まだそこまでしなくても
結構です。
で。
その「枠」を
内側から
壊してしまってください。
壊し方は簡単。
エイヤッと
自分を強引に大きくさせ
内側から「枠」を
破ってしまうのです。
卵の殻を破る
感じです。
もちろんこれも
「感覚」で行ないます。
すると途端に
自由になれた感覚や
解放された感覚を
得ると思います。
そうしたらさらに
自分を巨大化させて
いきます。
するとまたどこかで
「枠」を感じます。
で、そこでまたその「枠」を
同じようにして
内側から壊します。
そしてさらに
自分を大きくしていきます。
これをどんどん続け、
「もうこれで充分だな」
と自分が思えたところで
終了です。
その時点では
かなり「感覚的な自由」を
感じていると
思います。
その状態で、
様々な物事の発想を
してみてください。
例えば、
仕事のことや
自分の悩みごと、
自分の目標設定や、
目の前のやらねば
ならないこと、
など。
伸びやかな発想を
してみよう
ということであれば、
何でもOKです。
普段の自分とは
だいぶ異なった
自由な発想が
生まれます。
一度、遊び感覚で
お試しくださいね。
つづく
<ご案内>
発想力や直観力は
100倍くらいに高めることが
できます。
「100倍」と言うと
大袈裟な感じがしますが、
決してそうではありません。
例えば、
これまで一週間考え続けて
出なかった答えが、
たったの5分で
出るようになったりします。
その結果として
生産性は格段に
アップします。
ただしそのためには
的確な練習が必要です。
自分と向き合う力が
必要なんです。
そういった
発想力や直観力を高める
セルフコーチング法に
ご興味ありましたら、
以下の無料動画をどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
もし
自分という人間の
すべての中心が
たった一つの
「祈り」だとしたら、
あなたの中心にある
「祈り」とは
何だと思いますか?
祈りとは、
言葉で表現すれば
「〜〜しますように」
ということになります。
この「〜〜」の部分に
あなたの場合は
何が入ると思いますか?
これ。
結構、究極の問いだな、
と思うときが
あります。
たくさんの人と
向き合っていますと、
ある時ある瞬間に
その人の「祈り」を
ダイレクトに
感じることがあるのです。
しかしそれはもちろん
上記のような言葉として
表現できているわけでは
ありません。
それはまるで
エネルギーの塊のような
もので、
それがダイレクトに
こちらに向かって
きます。
そして、
私自身の祈りに
ダイレクトに突進し、
混ざり合い
融合し合い、
一つになったかと思いきや、
すぐに新たな
波のような
渦のような
竜巻のような
すごいエネルギーが
湧き起こり、
それが上昇し
それが私の全身を
包み込み、
私はその渦に巻き込まれながらも
それがとてつもなく
心地よく、
その心地よさの中で、
その人への「問い」が
浮かび、
その問いをその人に
投げることで、
その人は突然に
一気に脱皮をする
という、
・・・実はこんなことが
よく起こります。
祈りと祈りの
共鳴、響鳴。
祈りが祈りを
コーチングする。
祈りと祈りが
共に何かを創り合う。
そんな感覚です。
私はよく
「願い」という言葉を
使いますが、
すべての人の「願い」の
中心には
「祈り」があるのではないか、
と
そんな時はいつも
思うのです。
・・・・・・
あなたの祈りは
何だと思いますか?
それが
中心にある祈りなのかどうか、
は別として、
あなたが心の中で
呟くことで、
あなた自身の心が
豊かになる感覚の、
そして、
静かにエネルギーが
高まっていく感覚の
祈りの言葉を
見つけることは
かなりオススメです。
その祈りを
毎日、いつでもどこでも
呟き続けることで、
私達は
「本来の自分に戻る」
感覚を得ることができます。
その感覚で
一つ一つの自分の行動を
していけば、
真本音度合いは
かなり高まるでしょう。
日本人は
無宗教な国だと
よく言われますが、
宗教を信じるとか
信じないとか、
そういったこととはまったく
別の次元で、
自分の中にある
祈りを
自分自身で大切にすることは
とても
健康的なことであると
私は思います。
つづく
<ご案内>
自分の中心を自ら見つめることが
できる自分になりませんか?
自分と向き合う力を
高めましょう。
ご興味ありましたら、
以下の無料動画をどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
「実在」を感じ取る
と言うことは、
脳を使わずに
あるがままのその存在を
感じ取るという
ことです。
私達がこの世界で
・見る
・聴く
・感じる
のは、すべて
脳を介しています。
あえて言えば、
脳という機関を使った
世界とのコミュニケーションで、
脳に何らかの問題が
起これば、
世界を感じ取れなくなる
ということです。
しかし本当は
脳を使わずに
受け取っていること
感知していることは
私達にはとても
多いのです。
いえむしろ、
そちらの方が
9割以上を占めると
思います。
もちろん、
脳が必要ないとか
脳の感知をやめましょう、
などというお話では
ありません。
ただ、
私達人間が本来持っている
物事を受け取る力
感知する力を
見くびってほしく
ないのです。
・・・・・・
「実在」を
感知する力。
私はすべての人が
この力を伸ばせるといいなぁ
と思っていますが、
しかしやみくもに
誰も彼もすぐに・・・、
とは思っていません。
実在を感知しても
良い人と、
今はまだそれを
しない方が良い人が
います。
その理由は
単純です。
準備ができているか
どうか?
なんです。
「準備」とは何か
と言いますと、
「あるがまま」を
受け取っても
耐えられるかどうか?
ということなんです。
脳を使わずに
「実在」をキャッチできるように
なれば、
自ずと私達は
「あぁ、すべては一つ
なんだなぁ、ホントは」
ということを
理屈ではなく、
実感できます。
それはとてつもなく
幸せな感覚なのですが、
その一方で、
辛いものも
感知してしまうのです。
例えば、
人の「悲しみ」。
それを感知すると、
それがまるで
自分の悲しみであるかのように
こちらも
悲しくなります。
しかし
当の本人は
その悲しみに気づいていない
ということも
あるのです。
なぜなら、
本人は脳を使ってしか
自分を理解できて
いないから。
脳を使っての
範疇でしか
自分の心を知れないから。
でも
よくあるのです。
本人がまったく
気づいていないところで
その本人が
とてつもなく深く
悲しんでいることが。
で、その人と
向かい合っていますと
その悲しみが
モロにこちらに
伝わってきます。
本人は
悲しみに気づいていない
のに、
こちらのみが
気づいてしまう。
しかも、
その悲しみは
非常に深く、
しかも、
本人はその悲しみを
さらに深める方向に
自分の人生の選択を
しようとしている。
・・・そんなケースは
多いのです。
そんな時、
私が
「あなたは本当はとても
悲しんでいるんですよ」
と伝えたとしても、
本人にはさっぱり
わかりません。
こちらは
何もできないのです。
こういったことが
日々、日常茶飯事のように
起こります。
これに
耐えられるか?
ということです。
こういったことに
耐えられる「準備」が
整った人は
「実在」をキャッチする力を
伸ばし、
「実在」をキャッチしながら
人をサポートする
ということを
されると良いでしょう。
その方が
格段に的確な
サポートができますから。
・・・・・・
『ザ・セルフ』
というセルフコーチング系の
新しい講座を
9月の終わり頃に開講する
予定です。
私の言うセルフコーチングとは、
その力を身につければ、
自然に「実在」を
キャッチする力が
伸びていきます。
そういう力を
伸ばしたいな、と
思われる人には
ご参加いただきたいのですが、
先ほども申しました通り、
準備ができているかどうか?
がとても重要です。
そこで、この新講座では
その人その人の
「準備」の状態に見合った
学び方や
実践の仕方、
そして、
セルフコーチング力の伸ばし方
を
かなりキメ細かくご提供
します。
講座ということですが、
実は、講座っぽくなく、
セルフコーチング力を伸ばすための
私のコーチングを受けて
いただく、
というのに近い場となります。
そのため、
少人数制で行ないます。
自分自身の
「実在」を知り、
人の
「実在」を知り、
自分を的確にサポートし、
人を的確にサポートしたい。
そんな方に
ご参加いただきたいですね。
ご興味ありましたら、
まずは無料動画から
ご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
・・・・・・・
「実在」をキャッチする力
は
すべての人に
伸ばしてほしいのですが、
でも、
一歩一歩ですね。
準備を整え
一歩進み、
また次の準備を整え、
さらに一歩
進む。
そういった着実性を
大事にしたいと
私は思っています。
つづく
私は私の人生を
歩みたいと
思っているのに、
どうしても
私ではない意思を
尊重してしまう。
本当は
こうしたい!
と思うのに、
そうではない選択や
行動をしてしまう。
そのうちに、
私が本当は
何を望んでいたのか?
という
自分自身の気持ちすら
わからなくなる。
そして、
今、抱いているこの
気持ちが、
本当の自分の気持ちなのか、
それとも
本当は自分が
望んでいないことなのか、
その区別すら
つかなくなる。
区別がつかないままに
日々、
流れていってしまう。
途中で、
まぁいいか、となる。
深く考えないでおこう、
となる。
そして気がつけば、
妥協ばかりをしていて、
しかし
妥協している自分を
見ること自体が
怖くて。
自分とまったく
向き合わないように
なる。
そして、
人生に対して
無気力に
なっていく。
いや。
無気力だと
自覚すればまだ
まし。
自分が無気力で
空虚感の塊に
なっていることすら
気づかなくなる。
いつの間にか
「自分」が
もう、ここには
いない。
ここには
私の体はあるけど、
心らしきものは
あるけど、
私の本質は
一つも
ない。
私は
どこに行って
しまったのだろう?
私は
本当に
生きているの
だろうか?
私とは
何だろう?
まぁ
いいか・・・。
・・・・・・
とても
傲慢なことであるとは
重々にわかっては
いるのですが、
私は、
人を救いたい。
自分と、
自分の人生を
失ってしまっている
人を
救いたい。
企業現場の中にいると
どうしても
そんな想いが
湧き上がってきます。
本当に
傲慢だと
わかっているのですが。
とはいえ、
私が他の人を
救えるはずが
ありません。
それも
わかっています。
その人を救えるのは
その人自身です。
でも
多くの人が
自分の救い方を
知らない。
知らなさ過ぎる。
私に
人を救うことは
できないけれども、
自分の救い方を
伝えることは
できる。
であれば、
それをどんどん
伝えていこう。
そう思うのですが、
これもやはり
傲慢でしょうか。
でも少なくとも
私は、
私を救うことが
できました。
もちろん
多くの人達の
援助と支えが
ありました。
その人達の
たった一人でも
もし出会えなかったら
私が私の人生を
取り戻すことは
できなかったでしょう。
でも
そういった事実を
すべて自覚した上で
やはり
思うのです。
私を救ったのは
私自身である
と。
そう。
これだけは
絶対的な
真実。
自分を救えるのは
自分だけ
なんですね。
・・・・・・
私は、毎日、
そう、
本当に、毎日、
私のクライアントさんに
お伝えしています。
「自分の思った通りに
生きてください」
と。
特に、
真本音度合いを高めた
クライアントさんには
口を酸っぱくして
伝え続けています。
様々な経験を
積んだ人ほど、
自分で自分を
縛ってしまいます。
私はそういう人が
自由になればいいと
本当に思っています。
真本音度合いの高い
人が、
自由になれば。
そこには間違いなく
調和が生まれます。
しかし、
「自由になっては
ならない」
「わがままは
絶対にダメ」
という「解釈」から
自分で自分を
縛ってしまうのです。
誠実な人ほど。
それは
誠実ではない!
今は、
あなたが
わがままに
自由に
振る舞うことこそが、
誠実なんだ!
と、
私は本当に毎日
全力でお伝え
しています。
・・・・・・
セルフコーチング。
自分と
向き合う方法。
無理に自分と
向き合うのではなく、
自然の摂理に則った
やり方で
自分と向き合い、
自分を理解し、
次の一歩を
決めて、
行動する。
「調和」と
「自由」は
本当は、
同義語です。
それを日々の中で
実感するための
セルフコーチングの
手法。
それを私はやはり
多くの人達に
お伝えしたい。
本当に今、
そう思います。
・・・・・・
ようやく、
セルフコーチング系の
発信ができることに
なりました。
新しい講座も
開講します。
電子書籍という
形をとりましたが、
動画もご覧に
なれます。
ぜひその
動画をご覧
いただきたいですね。
これからいよいよ
本格的に
始動します。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
つづく
あなたの夢は
何でしょう?
はっきり
わかりますか?
それとも
さっぱり
わかりませんか?
はっきり
わかる場合、
その夢は
本当に
あなたの夢ですか?
さっぱり
わからない場合、
あなたは
夢をわかろうと
していないのでは
ありませんか?
・・・・・・
実は、
夢が
・はっきりわかる場合
・さっぱりわからない場合
この二つは、
本質がまったく同じ
可能性があります。
つまりは、
本当の夢に
フタをしている、
という可能性が
あるのです。
夢は
はっきりわかる方が
良いではないか、
と言われそうです。
もちろん、
はっきりわかる方が
良いのですが、
多くの場合、
その「はっきり」が
自分の思い込みで
あったりするのです。
そして
その思い込みに
意識を向け続けることで、
本当の夢に
まったく意識が向かず、
本当の夢に
さっぱり気づかない、
という
そういったケースが
多いのです。
とても残念な
ことなのですが、
「私にはこういった
夢があります!」
と元気に語り始める
人の夢を聴いても、
こちらにスーッと
伝わってくることは
ほぼありません。
ということは
その人の真本音では
ないのです。
下手をすると、
その夢に向かうことによって
現実逃避に走っている
人もいるくらいです。
そういった場合、
夢を持つことで
人生に不調和が
起きます。
自分には夢があるのに、
その夢に向かおうと
しているのに、
さっぱり現実が上手く
進まない。
・・・という場合は
上記の可能性が
高いのです。
・・・・・・
むしろ、
「夢はあるような
気がするけど、
それが何かがよく
わからない」
と言っている人の方が
健全です。
なぜなら、
私達の真本音は
実は、
そうそう簡単に
「本当の夢」を
明確に顕在化
してくれませんから。
自分自身が
成長(進化)し、
ある一定のところまで
準備が整った時点で、
夢の一端を
観せてくれる。
そしてさらに成長し、
次の準備が整った
ところで、
さらに夢の一端を
観せてくれる。
・・・これが
真本音の行なうこと
です。
ですから人生は
まるで
宝探しのようなものです。
大切なのは、
自分自身の人生の
テーマ(課題)を
見つけることです。
もしくは、
探究したいことを
見つけることです。
そしてそこに意識を
向け、
毎日を過ごすことで
本当の夢へのヒントが
現れ始めます。
それは一種の
冒険のようなもので、
とても楽しいです。
自分は本当は
どこに向かっているのか?
何を目指して
いるのか?
わからないことを
素直に楽しみ、
だんだんと
わかるその瞬間を
素直に
楽しみましょう。
つづく