サポート

終わりの始まりだな

 

今日(昨日)、

一つの企業様のサポートが

終了したのだが、

 

終わりの始まり

 

というのは

やはりいいなぁ、

と思う。

 

私はいつも

サポートをさせて

いただくにあたり、

 

大団円で

サポート終える、

 

というのを

極力なくしたいと

思っている。

 

「いいサポートでした!

ありがとう!」

 

というのを

極力なくそうと

している。

 

それよりも、

いつの間にか

私がいなくなる。

 

いなくなっても

何の影響もない。

 

あれ?

そういえば最近、

たけうちさんいないね。

 

とか

 

そういやー、

たけうちさんって人

いたよね。

 

とか

 

たけうちさん、

いてもいなくても

あんまり関係ないね。

 

とか。

 

そんな状態で

スーッと引くことが

できたら最高だな、

いつも思っている。

 

そこにいる方達と、

その組織が、

自然に自律し

調和し、

自走している状態で

いつの間にか

いなくなるのが

最高のサポートだと思っている。

 

もちろん、

そうなる時もあれば、

そうならない時も

あるけどね。

 

・・・・・・

 

サポートとは、

松葉杖の

ようなもの。

 

最初は

なかなか一人では

歩けなくても、

 

それをちょっと

支えて、

 

できるだけ短期間で

普通に歩けるように

する。

 

普通に歩ければ

松葉杖のことなど

忘れてしまえば

いい。

 

それよりも、

歩く先にある

願いに意識を向け、

 

そこに

突き進んで

行ってほしい。

 

それが

私の願いだ。

 

とはいえ、

今日は

最後に慰労会を

開いていただき、

 

会の終わりには、

トップの事業部長さんが、

酔った勢いで

 

バンザ〜イ!!

 

とやってくださったのは、

とてつもなく

嬉しかったな。

 

完了感のある

終わり方ができて

よかった。

 

あとは

祈るだけだな。

 

つづく

 

何としてでも止めたいのに

 

正直に言おう。

 

私には

決して癒えることのない

悲しみがある。

 

私自身のこと

ではない。

 

この仕事をしていると、

「止まってしまう人」

どうしても

見ることになる。

 

人が

自分の人生を

止めてしまう。

 

それは

自殺という

わかりやすい例

だけでなく、

 

心も体も

実際には

生きているのに、

しかし

ほぼ死んだのと同じくらいに

 

人生を

止めてしまう。

 

進化を

自ら拒絶する。

 

人生の目的を

破棄する。

 

自分の真の幸せを

放棄する。

 

・・・そう決めて

止まってしまう

人がいる。

 

数としては

ほんの数えるくらいの

ものなのだが、

 

それでも

そのような状態に

なってしまう人を

見ると、

 

それに対して

他者は何もできず、

 

何もできない

という事実を

見ると、

 

私は

あまりにも深い

悲しみに落ちる。

 

そして

わかるのだ。

 

この悲しみは

ずっと癒えることは

ないな、と。

 

・・・・・・

 

今。

 

かつてないスピードで

進む人は

急増している。

 

嬉しいことに、

私のクライアントさん達は

皆、

とてつもない魅力を

高めながら

 

前に前に

進んでいる。

 

しかしその一方で、

クライアントさんの

周りには、

 

まるでその反動の

ように、

 

止まってしまう人が

出る。

 

先ほど書いたように

数としては

ほんのわずかなのだが、

 

それでも、

たまに

そんな人が出る。

 

その人に対し、

もちろん

私のクライアントさん達は

最大のサポートをする。

 

時には

私も直接

サポートする。

 

しかし。

 

人が人にする

サポートには

「限界」

がある。

 

その「限界」とは、

能力的な限界という

意味もあるが、

 

「他者がこれ以上

その人を助けてはならない」

 

という

言ってみれば

尊厳上の「限界」も

ある。

 

もしその「限界」を

踏み越えてしまえば、

 

サポートする側も

される側も、

 

その後に

とてつもない「不調和」が

待っている。

 

例えば、

とてつもない

依存

とか。

 

とてつもない

禍根

とか。

 

とてつもない

混乱

とか。

 

だから、

サポートには「限界」が

あることを知り、

 

その「限界」を

きちんと守ることこそが

真の「サポート」なのだが、

 

でも正直私は

止まってしまう人を

見るたびに、

 

あぁ、私に

魔法が使えたら。

 

思ってしまうのだ。

 

しかも私は

その人の

心と魂の痛みや苦しみを

そのまま

感じ取ってしまう。

 

時には

本人は麻痺して

痛みを感じなくなって

しまっていても、

 

私はその

麻酔薬が切れてしまった

かのような、

 

阿鼻叫喚のような

 

その人の苦しみや

悲しみを

あるがままに

受け取ってしまうのだ。

 

そしてそれを感じる時、

私自身も、

 

あぁこれは

癒えることはないな

 

と実感するほどの

深い悲しみに

落ちる。

 

これは

どうしようもない。

 

私の宿命だと

思って

あきらめている。

 

この悲しみは、

次のエネルギーに

転化できるような

生易しいものではなく、

 

目を閉じれば、

いつも

私の背後にあり続ける

ものだが、

 

この仕事を

始めた時から私は

そこは

あきらめている。

 

この悲しみは

ずっと

増え続けるのだろう。

 

でも

それをすべて

受け入れながら進むのが

私のすべきこと

なのだろう。

 

結局はいつも思うのだが、

 

そう思えるところまで

私は

とことん、自分を

悲しませてあげることに

している。

 

・・・・・・

 

こういうことを

ブログに書くのはどうか

とも思うのだが、

 

なんか今は

書いた方が良い気がして

書いてしまった。

 

かつてないスピードで

進もうとしている人が

急増する一方で、

 

自分の人生を

止めてしまおうとする

人も

 

今は、

 

一人、また一人と、

増えている。

 

私は

これを

止めたい。

 

何としてでも。

 

でも。

 

人間としてできる

ことには

 

限りがあるんだ。

 

私達は

人間なんだ。

 

つづく

 

約束は守るよ

 

私はコーチとして、

最低限のサポート

しかしない、

決めている。

 

しかもその

最低限のサポート

とは、

私自身が決める

のではなく、

その人の真本音が

決めることだ。

 

・・・・・・

 

その人は、

 

今、

 

片膝をついている。

 

目を瞑り、

両手を合わせ、

祈りの姿勢のまま

動かない。

 

じっとしたまま

もう

何日も

動かない。

 

私はその人の

強い意志を

知っている。

 

人生を

超加速させようと

決意していることも、

その覚悟を

すでに持ち合わせている

ことも

知っている。

 

だからこそ

私は

慎重にその人に

問うている。

 

今は

私のサポートが

必要ですか?

 

と。

 

その人は

無言のまま、

しかし

とても明瞭な意志を

言葉ではなく

ダイレクトに

伝えてきた。

 

「何もしないで

ください」

 

と。

 

「今は自力で

すべてをやります」

 

と。

 

では私は

何もしませんね。

 

その人に告げ、

私はその人から

離れた。

 

・・・・・・

 

人生とは

自力で進むものだ。

 

しかし、

自力で進むために

どうしても

サポートが必要になる

ときがある。

 

「自力で進む

ためのサポート」

 

私は

これしかしないと

決めている。

 

これしかしない

のが、

コーチであると

思っている。

 

その人との

約束であると

思っている。

 

つづく

 

ここは自力で進んでください

 

コーチというお仕事を

する上で、

最も大切なことは

何ですか?

 

というご質問を

いただくことがある。

 

もちろん

様々な視点から

様々な答えがある

のだが、

 

そんな時に

私がよくお答えするのは、

 

「サポートしては

ならない時に、

決してサポートしないこと」

 

ということだ。

 

私はこれを

本当に大切にしている。

 

人は、

自力で進まねば

ならない時が

ある。

 

人からの

サポートを

受けてはならない

時がある。

 

その見極めは

残念ながら

本人がすることは

とても難しい。

 

コーチである私が

せねばならないことだと

思っている。

 

だから私は

コーチングのご依頼を

お断りすることが

時々ある。

 

特に多いのが、

以前のクライアントさん

から、

「もう一度、コーチングを

お願いします」

と言われる時だ。

 

もちろん、

サポートさせていただくことが

最善のこともある。

 

しかし、

私のコーチングをご卒業

された方は、

基本的にはもう

私のコーチングは

必要ない。

 

どれだけ

苦しくても、

どれだけ

混乱しても、

ちゃんと自らの力で

道を開く力を

すでにお持ちだからだ。

 

真本音で生きる

ということの本質を

もう

会得しているからだ。

 

もし今、

かつてないような

混乱に見舞われていたと

しても、

 

それは、

自らの真本音が

自らに

与えているもの。

 

次のステージ進むために

自らに

課しているもの。

 

そこは

自力で行かねば

ならない。

 

自力で行かねば

先はない。

 

同じ場所を

堂々巡りするだけだ。

 

それをわかっていて

サポートをしてしまう

というような

ひどいことを

私はどうしても

することができない。

 

コーチとして

というよりも、

人として

することができない。

 

・・・・・・

 

手を差し伸べては

ならない時に

 

手を差し伸べて

しまったら、

 

私はその時点で

コーチを

辞めるだろうな。

 

つづく

 

本当に人をサポートしたい?

 

私はよく

「調和」

という言葉を使うが、

 

であるが故に

誤解も

多いようだ。

 

調和とは、

上手く進むこと、

もしくは

物事を上手く進めること、

思われがちだ。

 

が、

実は

「上手く進めよう」と

思えば思うほど、

不調和が起きる

というのが

現実だ。

 

ある企業の

管理職のAさん。

 

Aさんは管理職として

あらゆることを

「上手く進めよう」

とされていた。

 

ある意味

それが彼の

理念とも

言えた。

 

しかしAさんのもとでは

問題ばかりが

日々、起こっていた。

 

上手く進めたいのに、

なぜ、

問題ばかりが

起こるのだ?

という

Aさんの悩み。

 

次々に新たな問題が

起こり、

その対処のための

時間ばかりが

過ぎていく。

 

生産性は

極度に低く、

当然

実績も上がらない。

 

私はこんなに

頑張っているのに。

 

なぜ

こんなにも

部下達は

非協力的なんだ?

 

という

Aさんの悩み。

 

「あなたのその

上手く進めようという

在り方が

すべての元凶です」

 

私ははっきりと

Aさんに伝えなければ

ならなかったのだが、

こういったことは

本当によくある

ことだ。

 

・・・・・・

 

「調和」「調和」と

言いながらも、

本当のことを言えば、

私は普段、

「調和」のことなど

これっぽっちも

考えていない。

 

私が考えているのは

ただ一つ。

 

今ここで

何をするか?

 

である。

 

そしてそれに

集中すると

決まって、

 

「これはどう見ても

波乱しか

起らないだろう」

 

と思われる行動を

私は取ろうと

してしまう。

 

私の顕在意識は

私も人間なので、

その「波乱」を

恐れる。

 

「いやいやいや、

そんなこと

したくないよー!」

いつも心の中で

叫ぶことになる。

 

しかし

私の真本音が

それを望んでいるので

あれば、

やはり私は

真本音通りの行動を

選択する。

 

波乱は

起きてもいいや。

 

何が起きても

最後までしっかり

向き合いきるぞ。

 

私はいつも

覚悟を決める。

 

そして

何の淀みもなく

その行動を

私は取る。

 

すると、

びっくりするくらいに

すべてが

「調和」する。

 

実はこれは

ほとんど毎日の

ことである。

 

しかし、

毎日これを体験

しても、

慣れることがない。

 

常に私は

「波乱」の恐れを

抱いている。

 

しかし

それは単なる

恐れに過ぎず、

私は私の真本音の

通りに動く。

 

毎日、

ヒリヒリする。

 

これがある意味、

「コーチ」の

仕事である。

 

・・・・・・

 

「コーチ」は

サポート役である。

 

しかしよく、

 

「私はリーダーに

向いていないから、

サポート役に

徹します」

 

という声を聴く。

 

正直言って、

サポート役というのは、

そんなに

生易しいものではない。

 

サポート役

だからこそ、

その人の人生の

生き方がそのまま

ダイレクトに

サポートの仕方に

反映される。

 

曖昧な生き方を

している人は

曖昧なサポートに

終始する。

 

すると

サポートを受ける側

にとってみたら

たまったものではない。

 

サポート役とは、

本当の意味で

自分自身を

リードできる人、

つまりは

「自分自身のリーダー」

となれる人でないと

難しい。

 

・・・・・・

 

「サポート役」

人生の目的と

している人がいる。

 

その人へ、

私は今こそ

メッセージしたい。

 

まずは、

自分の中の

その意志に

気づいてほしい。

 

あなたにしか

できない

「サポート」が

ある。

 

それを見つけ出し、

それを発揮する、

という

人生の道に

入る勇気を

持ってほしい。

 

もう始める時だ。

 

私は思う。

 

つづく

 

本当にサポートしていいの?

 

その人の

にこやかなお顔の

奥から

 

「助けてください!」

 

の声を

私は聴いた。

 

最近は、

毎日だ。

 

会う人会う人

皆が

助けを求めている。

 

特に

初対面の人に

多い。

 

そして、

企業でも

組織の上層にいる

人ほど多い。

 

皆、

苦しみ悩んで

いる。

 

しかもそれは、

自分だけで

生み出したもの

ではなく、

 

組織のいろんな人達の

苦しみを

一身に受け止めている

苦しみだ。

 

そういった人達からの

SOSを感じると、

まず私がするのは、

 

あなたは

自力でここを

乗り越えたいですか?

それとも

私のサポートが

必要ですか?

 

という

判断だ。

 

もちろん、

そのような問いを

実際に投げたところで

ご本人が正確に

答えられることでは

ない。

 

それよりも

あるがままに

向き合うことで、

自然に

明確に

その判断は自ずと

ついてくる。

 

あぁこの人は

自力突破したいのだな、

とわかれば、

私は

何もしない。

 

頼まれても

何もしない。

 

そこで何かを

してしまうことは、

その人のことを

冒涜しているに等しいと

私は思っている。

 

・・・・・・

 

他者が

絶対にやっては

ならないことが

ある。

 

それは、

その人が

自力で進もうと

しているのを

阻害することだ。

 

しかし

それをしてしまう人が

多いのも事実だ。

 

自力で進むのを

阻害することで

発生するのが

「依存」だ。

 

「ここまで来れたのは

すべてあなたの

おかげです。

ですからこれからも

よろしくお願いします」

 

と、

もしクライアントさんに

私が言われたら、

私は自分の仕事が

二流だったなと

思う。

 

「コーチのおかげで

できました」

 

と言われた時点で

コーチとしては

失格だと

私は思っている。

それよりも、

 

「たけうちさんはもう

必要ないね」

 

と言われる瞬間が

私にとっては

無上の悦びだ。

 

おぉオレ、

いい仕事できたな、

自分で自分を

褒めたくなる。

 

・・・・・・

 

今の私には

あなたのサポートが

必要です。

しかしそれは

今、だけのこと。

私は自力で進む自分に

なるために

一時的に

あなたのサポートを

求めます。

 

・・・そんな真本音の

意志を感じる場合のみ、

私はその人の

サポートの決断を

する。

 

人は皆、

自立と自律を

望んでいる。

 

そこに向かう

サポートならば

徹底的に

したいと思う。

 

本当に

この人を

サポートして

良いかどうか?

 

サポートするならば、

どれだけの

距離感で、

どれだけの

サポートをすることが

本当に必要か?

 

いつ、

サポートを終え、

その人から

離れれば良いか?

 

こんな判断が

的確にできる

コーチを

私は増やしたい。

 

つづく

 

すべての意図を手放します

 

人や組織のサポートを

させていただく時に、

私がいつも

最も気をつけている

ことは、

 

私自身の意図を

まったく持たない、

 

ということです。

 

これは本当に、

まったく

持たないです。

 

私が意図を持ったら、

その時点で、

あらゆるサポートが

意味を成さなく

なるでしょう。

 

もちろん私は

クライアント企業の社長から

「こうしてほしい」

というご要望を

たくさんいただきます。

 

例えば、

「売上の上がらない

管理職を

売上を上げられる状態に

してほしい」

など。

 

当然のことですが、

「結果」を

求められます。

 

そして私も当然ですが、

「結果」を

とても大切にします。

 

「結果」が出なければ

意味がない

とすら思っています。

 

しかし、

だからこそ、

私は、私自身の「意図」を

すべて手放します。

 

・・・・・・

 

ご要望は

すべて受け取ります。

 

私自身に

しっかりと

インプットします。

 

ご要望そのものと

「一体化」

します。

 

その上で、

私は「意図」を

手放します。

 

「意図」を手放すことで

私は完全に

「自由」

となります。

 

その状態で私は

すべての方々と

向き合います。

 

すると、

私が向き合う方々も

徐々にですが

「自由」となっていきます。

 

「自由」とは、

「真本音が自由となっている」

状態を言います。

 

私は

皆さんの真本音を

「自由」な状態に

したいのです。

 

そのために、

まずは私自身が

「自由」になります。

 

すると「自由」は

目の前の人に伝播し、

その人の真本音も

「自由」となります。

 

・・・・・・

 

私の「自由」と

目の前の人の「自由」。

 

自由と自由が

向き合う状態。

 

この状態を

創り上げるのが、

まずは私の目指す

ところです。

 

人は

本当に自由になると、

二つの面白いことを

起こします。

 

一つは、

 

「自分のすべきことを

しっかりしよう」

 

となるのです。

 

迷いなく、

淀みなく。

 

そして

もう一つは、

 

「目の前のこの自由な人を

私は活用しよう」

 

となります。

 

その瞬間から、

「たけうちがその人を

コーチングする」

という場が

本質的に変化し、

 

「その人が

たけうちを活用する」

という場になります。

 

そうなったらもう

あとは、

その人の真本音に

委ねるだけ

です。

 

そうなるとその人は、

自分自身の真本音に

基づいて、

現実と向き合い、

現実に対して

必要な行動を起こし、

自分が望み、かつ

周りも望む結果を

自ら生み出すようになります。

 

私がどうこう

引っ張る必要は

まったくありません。

 

勝手にその人が

現実を創っていくのです。

 

ということはつまり、

私は私の「意図」を

挟む余地が

どこにもないのです。

 

私が何かの思惑を持ち、

その方向に

引っ張る必要は

まったくないし、

それをすればするほど、

それは

「その人自身の場」ではなく

「たけうちコーチの場」

になってしまいます。

 

そして当然ですが、

もしそうなってしまった場合、

望む結果は

出るはずがありません。

 

・・・・・・

 

中途半端な自由は

ただのわがままに

なります。

 

それは

反応本音レベルの

自由です。

 

それは実は

本当は自由ではなく、

わがままという名の

束縛でしかありません。

 

人は

本当に自由になれば、

そして

本当に真本音で生きれば、

自分が

すべきこと、

周りから求められていること、

に対して、

本気で応えようとします。

 

束縛されて

そうしようとするのではなく、

自由な状態で

本気でそうしようと

思うのです。

 

なぜなら私達人間は、

「自分だけの幸せ」

よりも、

「自分も周りも幸せになる」

ことに

本質的な悦びを感じますし、

 

「自分が起点となって

周りが幸せになっていく」

ことに

無上の悦びを

得るからです。

 

それが

人の本質。

 

私はその本質を

どこまでも

大切にしたサポートを

したいのです。

 

つづく

 

成功のサポートではなく試行のサポート

人の人生の主導権を

奪ってしまうサポートを

サポートとは言いません。

 

傲慢と言います。

 

傲慢な人ほど、

自分の傲慢さに気づかない

という傾向があります。

 

「傲慢」

とはとても厄介で、

私も随分と

その中にドップリと

陥りました。

 

陥っているときは

気持ちよくてしょうがない。

 

というところが

「傲慢」の

厄介なところです。

 

魂の本当の悦びと、

傲慢さ故の喜びの

区別がなかなかつかないのが

私達人間の性(さが)の

一つです。

 

・・・・・・

 

当たり前のことですが、

すべての人には

各々の個性が

あります。

 

自分とまったく同じ個性を

持った人というのは

世の中には一人も

いません。

 

もちろん、

過去にもいませんし、

未来にもいません。

 

人類の全歴史の中で、

「自分」という人間は

たった一人です。

 

唯一無二の

存在。

 

それが私達です。

 

ではなぜ、

まったく同じ個性が

この世にはないのでしょうか?

 

なぜ私達は

唯一無二の存在

なのでしょうか?

 

その答えは

シンプルです。

 

私達には

「違い」

が必要だからです。

 

「違い」があることで初めて、

私達は進化を遂げる

ことができるからです。

 

「違い」は必ず

多かれ少なかれ

不協和音を生みます。

 

ズレの気持ち悪さを

生みます。

 

それこそが

大切です。

 

ズレの気持ち悪さによって

私達は試行錯誤を

始めます。

 

どうすればこの、

気持ち悪さが

なくなるのだろうか?

 

どうすれば、

私はもっと

楽になれるだろうか?

 

気持ち悪さを

感じれば感じるほど、

その問いは

強いものとなります。

 

その結果、

本気で

試行錯誤に取り組むように

なります。

 

本当は

何が大事なのだろうか?

 

どうすれば、

私達はお互いに

もっと楽になり、

もっと幸せになれるのだろうか?

 

そういった

試行錯誤を繰り返すように

なった意識が

「5次元」

の意識です。

 

4次元の意識とは

「我欲」でした。

 

5次元の意識は

その我欲から一歩踏み出し、

試行に入ります。

 

ですから私は5次元を称して

 

『試行の次元』

 

と呼んでいます。

 

今のこの世の中で

最も主流を占めているのが

この試行の次元、

つまり5次元の意識です。

 

ある意味、

4次元の意識でいる方が

楽です。

 

物事を断定的に

迷いなく捉えることも

できます。

(あくまでも、反応本音レベル

においてでは、ですが。)

 

しかし

試行の次元に意識が上がることで

様々なことに

本気で迷うようになります。

 

悩みが増えます。

 

もちろん

4次元の意識でも

悩みは尽きません。

 

しかし4次元の悩みとは、

あくまでも

自分だけが良くなるには

どうすればよいか?

自分を守るためには

どうすればよいか?

という、

自分本位の悩みです。

 

それに対して5次元の悩みとは

本当に大切なものを

求める悩みです。

 

進化のための

悩みです。

 

進化のための悩みに

正面から向かい合うことで

私達は、

魂レベルでは

パワーが高まります。

 

4次元で生きることは

心のレベルでは

ある意味、元気になるかも

しれませんが、

魂のレベルでは

延々とパワーの枯渇が

続きます。

 

ということで言えば、

魂のパワーやエネルギーを

取り戻し始めるのが

5次元の意識

と言ってもよいでしょう。

 

・・・・・・

 

多くの人達が

5次元の意識で

試行錯誤を続けているのですから、

その人にとって

最も必要な試行錯誤が

できる状態にする。

 

それが本当の

サポートです。

 

しかし、

その人の試行錯誤を奪い取り、

安易に

「この場合はこうすれば

よいのですよ」

と答えを与えてしまうような

サポートをしている人が

多いのも事実です。

 

さきほども書きました通り、

それはサポートとは

言えません。

 

人にとって大切な

試行錯誤を奪い取るのは、

その人の人生や命を

搾取しているのと

同じことなのです。

 

ですから私のコーチングは

いかにその人(その組織)を

成功させるか?

ではありません。

 

いかにその人(その組織)が

最高の試行錯誤ができるか?

こそを、

最も大切にしています。

 

こういった本質を

理解しているコーチが、

世の中にはもっともっと

必要かな。

 

つづく

 

今まさに次元を上がろうとしている人へ

以前にも一度、書かせていただきましたが、

次元を一つ上がる、

というのは相当に大変なことです。

 

ですが、

今はそれを成そうという人が

急増しています。

 

次元が一つ上がるというのは、

私がいつも表現している

「脱皮」

というもののの中でも

最大級のものです。

 

その直前にいる人が今、

急増しているのです。

 

次元が上がる直前まで来ますと、

人は、どんな人であっても

極度の不安定になります。

 

すると、

自分の最も弱い部分が

クローズアップされます。

 

例えば、

以前は新しいことにチャレンジしよう

という場面になると

非常に臆病になり、そこから

逃げ出そうとする、

・・・そんなパターンを持っていた人が

自分の努力によって

新たなことにも躊躇なく

チャレンジできる自分創りが

できていたとしましょう。

 

次元を上がる手前に来ると、

その人は、

まるでこれまでの努力が

まったく水の泡ではないか、と

思ってしまうくらいに

臆病になります。

 

新たなことに対するチャレンジ

どころか、

ほんの些細なことに対しても

気弱になり、

少し極端に言えば、

生きることそのものに対しても

気弱になります。

 

いったい自分は

どうしてしまったのだろう?

 

これまで自分で自分を

成長させて来たのに、

これまでのがんばりは、

いったい何だったのだろう?

 

・・・とショックを受けることに

なります。

 

しかし本当は

次元を上がるという

滅多にないような脱皮の手前の

不安定期にいるだけのこと

なのです。

 

それを教えてくれる人が

傍らにいればよいのですが、

ほとんどの人が

わけがわからないままに

もがき苦しみます。

 

私はこの時期こそ、

人が人生において

最もサポートが必要な瞬間であると

思っています。

 

もしこの文章を読んで、

ひょっとして自分は

次元が上がる直前かもしれない、

と思われた方は

以下のことをお勧めします。

 

まず、

自分自身の「中心軸」を

意識します。

 

「中心軸」とは

・おへその奥の体の中心と

・頭のてっぺんの中心を

結んだものです。

 

まずは、自分自身のその「中心軸」

を感じ取ってください。

 

そして、

どれだけ心が不安定に

揺れ動いているとしても、

その「中心軸」には

何ら影響がないことを

自覚してください。

 

「中心軸」はとてもしっかりし、

しかもしなやかで柔軟性もあり、

光り輝いているはずです。

 

まずはその安定感を

自覚してください。

 

そしてそれができたら、

常に「中心軸」に意識を向け、

そここそが自分の立ち位置であることを

自覚し続けてください。

 

すべての現象を

「中心軸」から観察するように

します。

 

特に、自分自身の心の動きを

あるがままに観察してください。

 

心は大揺れに揺れている

と思います。

 

その揺れを止めようとせず、

それをそのままに

しておきます。

そして、

ただ観察のみをします。

 

その揺れは、まるで

終わることのない大嵐のように

感じるかもしれません。

しかし

それでよいのです。

 

心の大揺れ具合を

「中心軸」から観察し続ければ、

だんだんと慣れて来ます。

 

どれだけ揺れていても、

その揺れ自体を

「おぉ、すごいなぁ・・・」

と客観的に映画を観るかのように

少しずつ楽しめるように

なります。

 

そこまでできたら

ほぼ大丈夫です。

 

その状態を日々、

維持してください。

 

次元を一つ上がるまでの時間は

人それぞれです。

 

数日で終わる人もいれば、

数ヶ月かかる人もいます。

 

大事なのは、

今のその状態に抗おうとせずに

ただ「あるがまま」を

観て、感じてください。

 

すべての自分の行動は、

「中心軸」にいる自分で

決めます。

 

それだけであとは、

自然の成り行きに

任せましょう。

 

次元を一つ上がることが

できれば、

それまでの大揺れが

嘘だったかのように、

晴れやかで安定した自分に

なれます。

 

パワーも

見違えるほどに内側から

湧き上がって来ます。

 

パワーは湧いて来ますが、

自分自身は

淡々としています。

 

極めて普通の状態。

 

でも、頭はクリアで、

目に映るすべてのものが

輝いて見えるでしょう。

 

すべてを

愛おしく感じるでしょう。

 

無理に、意図的に、

そういった状態をつくろうとは

しないでください。

 

ちゃんと時が来れば

自然にそうなれます。

 

せっかくなので、

滅多にない「今」を

楽しんでくださいね。

 

つづく

 

本当は、自力で脱皮できればいいんだけど・・・

「脱皮」とは、

大きく「進化」すること。

 

そして「進化」とは、

より「自由」になることです。

 

ですから「脱皮」をすればするほど、

私達は、何かから開放されます。

人としての根本的な幸せを

感じるようになります。

 

しかし「脱皮」そのものについては

不安定さと恐怖心が

伴います。

 

これをたった一人で

乗り越えることのできる人は

なかなかいません。

 

通常は、

「今、自分は脱皮しようとしている」という

自覚はありません。

「脱皮」そのものの概念すら

ないでしょう。

 

何もわからない状態です。

 

ですから、

突如として襲ってくる不安定さと恐怖心を

何とか消そうとするのが

ほとんどの人です。

 

そしてそのための手立てを打ちます。

それにより実際に

不安定さと恐怖心を減退させることも

あるでしょう。

 

しかし、それをしてしまうと

「脱皮」は完了できません。

 

「脱皮」のチャンスを逸し、

「脱皮」をしないままに人生を進む

ということになります。

 

それはそれで一つの人生

かもしれません。

 

しかし、

脱皮のチャンスを逸し、脱皮せずに進む

というのは、

脱皮のチャンス以前の自分に比べて

苦しさが増します。

 

なぜならその人は

「なぜ、脱皮をきちんとしないんだ!」

と自分で自分を責め続けるように

なるからです。

 

もちろんそれは無意識に行われることですから

本人は認識していません。

しかし明らかに

以前よりもその人は人生における苦しみが増し、

その苦しみに耐えながら生きる

ということになります。

 

脱皮のチャンスを逸してしまったことによる

苦しみ。

 

これは私達が想像する以上に大きな

ものです。

 

できれば私はすべての人が、

この苦しみを味わわずに人生を

進ませる、

つまりは、きちんと脱皮を続ける人生を生きる、

・・・そんな状態になればいいなと

思っています。

 

極端に言えば、

それができるだけで、

世界はもっと平和になるのではないかと

私は思います。

 

脱皮には

的確なサポートが必要です。

 

本当は、サポートなしでも行ければ

よいのですが、

現在の世の中においては、

どうしても、サポートが必要です。

 

それが、コーチの存在意義の一つである

と私は思っています。

 

多くの人が健全に脱皮を続け、

世の中の次元がもう少し高まれば、

自力で脱皮できる人の割合も

もっと高まるのではないかと思います。

 

そうなるためにも、

今はコーチが、的確なサポート役が

必要なのだと思います。

 

木村さんと弓江さんは今、

二人コーチングのその場で、

自らの脱皮を完了させようとしています。

 

まずは、弓江さんが

今まさに脱皮しようとしています。

 

実在レベルの表現を使えば、

弓江さんは、これまでの古い皮をほぼ

脱ぎ捨て、

その皮は今、

左足に絡まっている状態です。

 

そしてその皮に意識を向けると、

それは、

「私の“正義”ですね」

と、弓江さんは自覚しました。

(→前回記事)

 

通常のコーチングでは、

「では弓江さん、その“正義”とは

具体的にどういったものですか?」

というような質問をするかもしれません。

 

しかし、脱皮時においては、

あえてそれ以上のことは訊きません。

“正義”という言葉に反映される

あらゆるもの、

というくらいのザクッとした認識で

充分なのです。

 

理屈では脱皮できません。

顕在意識はあまり

働かさない方が良いのです。

 

「弓江さん、

その左足に絡まっている“正義”を、

完全に取り去ることはできますか?」

 

弓江さんはしばらくの間、

左足に意識を向けていましたが、

「う〜ん、難しいですね。

どうしても取り払えません」

と、苦しそうに言いました。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

すると彼女は、

面白いことを言いました。

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「えっ? 私ですか?」

と、木村さんは少しびっくりした表情。

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

つづく

 

自力でできることを、サポートしてはならない

新規事業プロジェクトチームの

縮小が正式決定しました。

(→前回記事)

 

そして間もなく・・・。

 

私は木村さんに呼ばれました。

 

「一つお願いしたいことが

あるのです。」

 

「なんですか?」

 

「もう一歩深く、

私達をサポートいただけませんか?」

 

「もう一歩深く、ですか?」

 

「はい。

ここまでは、私や弓江をサポートして

いただきましたが、

これからは、私のチームそのものを

サポートしていただきたいのです。」

 

「そう思われた理由を

教えていただけますか?」

 

「私はこのプロジェクトを必ず

目標達成させたいのです。

しかし残念ながら、メンバーは半分に

縮小することになりました。

しかし私は残されたメンバーが

ポテンシャルをしっかりと発揮できれば

必ず達成できると思っています。

そのためのサポートをお願いしたいのです。」

 

私は木村さんの中に、

わずかですが、淀みを感じました。

 

「今、木村さんがおっしゃったのは、

確かに木村さんの望んでいることだ思いますが、

それは私がいなくても、

自力でできるのではありませんか?

もしくは、これまでと同じように

木村さんのみへのサポートでも

可能ではありませんか?」

 

少し木村さんの目が揺れました。

 

「木村さん、

真本音でお答えください。

新規事業プロジェクトは、

木村さんの自力で目標達成は難しいですか?」

 

直観的に木村さんは答えました。

 

「弓江とも協力しながら行けば、

大丈夫だと思います。」

 

今度は、スッキリ伝わってきました。

 

「ですよね。

では、私に対するご要望が、

他にあるのでは?」

 

木村さんはじっと私の目を

見つめてきました。

 

こういう時の木村さんは、

間違いなく真本音度合いが

高まっています。

 

フッと、心地よい風が

吹いた気がしました。

 

「あっそうか。

たけうちさんにご要望があります。」

 

「何です?」

 

彼はニッコリと笑いました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。

でもそのためには、

全員がもっと加速的に成長する必要があります。

私も含めて。

たけうちさんの言われている脱皮は、

これから始まるんだと思います。

全員が、一人一人が、きちんと脱皮しなければ

このチームの脱皮は完成しません。

たけうちさん、至急、我々の脱皮を

サポートしてください。

一刻も早く、脱皮した我々として、

私は、1.5倍の数値を達成します。

それが、我社の未来にとってとても大事だと

思いますし、

私の人生にも、皆の人生にも大事な

転換点です。」

 

要約すると、そのような内容を

彼は呟くように私に伝えました。

 

その一言一言が、

私の胸に沁み渡りました。

 

「いいでしょう。

そういうことでしたら、やりましょう。

平井さんはご存知ですか?」

 

「はい、平井からはすでに

たけうちさんがもう一歩深く関わることについては

了解を取っています。」

 

「では、今からすぐに

二人で平井さんのところに行きましょう。」

 

私は木村さんと共に、

すぐに平井さんにお会いしました。

 

そしてその場で、

今、木村さんが宣言されたことを

そのまま木村さんの口から

平井さんに伝えてもらいました。

 

平井さんは真剣な表情で、

「わかった。任せるよ。」

と言われました。

 

「たけうちさん、お願いします。」

と平井さんは神妙な顔で言われましたが、

私は彼が今にも

笑い出しそうなのを必死でこらえているのが

よくわかり、

私も、つい笑い出しそうになりました。

 

つづく

 

心を開き合うだけでは足りません

木村さんと弓江さんの二人コーチング。

(→前回記事)

 

二人とも短時間でオープンマインドと

なりました。

場の空気があたたかくなってきました。

 

ここで私は一気に場の次元を上げることを

しました。

普通では、なかなか投げない質問を

あえて弓江さんに投げました。

弓江さんの真本音の高まりを感じ取った

からです。

 

「弓江さんの人生の目的は何ですか?」

 

虚を衝かれた弓江さんは

一瞬、フリーズしました。

 

しかしさすが弓江さんです。

これまでの私のやりとりの中で、

私の無茶振りに慣れてきていたようです。

こういった時は何も考えず

ただ口を動かせばいい、というコツを

すでに掴んでいました。

 

彼女はとっさに答えたのです。

 

「リーダーのサポートです。」

 

答えながらも、弓江さん自身が

その答えに驚いていたようでした。

 

「どんな意味かわかります?」

 

と私が問うと、

 

「私はずっと探してるんです。

自分が全力でサポートしようとするリーダーを。

それは仕事の上、だけでもない気がします。

例えば私の人生のパートナーとなる人とか。

私は、自分がサポートしたい人を見つけ、

その人を全力でサポートしたいのだと思います。」

 

考えて言葉にしているわけではありません。

言葉が溢れ出ている感じです。

自分で答えながら、自分で驚いている、

という状態です。

 

実はこれは日常茶飯事です。

特別なことではありません。

自分自身が抑えていた想いや願いは、

ほんのちょっとしたきっかけでフタを開け、

一気に溢れ出ることがあるのです。

 

ただしそれができるのは、

真本音度合いが高まっている時に

限ります。

 

「弓江さん、

目の前にいる木村リーダーは、

弓江さんが全力でサポートしたいリーダーですか?」

 

私は単刀直入に訊きました。

 

「はい、そうです。」

 

と答えながら、

弓江さんは目に涙を浮かべました。

 

「でも、今の私には、それをするだけの力が

ありません。」

 

木村さんは茫然とその様子を

見ていました。

 

「木村さん、

実はこれが、弓江さんの真本音です。

弓江さんは真本音で木村さんをサポートしたいと

思ってるんですよ。」

 

「は、はぁ・・・。」

 

「でもね、弓江さん。

木村さんに言いたいことがあるのでしょ?

せっかくなので、全部言っちゃいましょうよ。」

 

弓江さんは、肚を決めたように

喋り出しました。

 

「今の木村リーダーは、全然木村リーダーらしく

ないんです。

私は、木村リーダーがロックバンドをしているのを

ライブで見たことがあります。

あぁこれが、この人の本当の姿なんだと感動しました。

でもそれが全く仕事では出ていません。

特に、新規事業プロジェクトが始まってからは。

いい子ちゃんリーダーになってしまっている感じが

するんです。

でも、私は木村リーダーを尊敬しています。

木村リーダーがあのロックバンドのような姿を見せれば、

みんなついてくると思うんです。

私は、そんな木村リーダーになってほしい。

そのために私ができることがあるなら、

何でもしたいと思ってるんです。」

 

涙を流しながら、

しかし静かに彼女は語りました。

 

その瞬間、

私は、その場の次元が一気に高まったのを

感じました。

 

これは私独自の感覚なのかも知れませんが、

次元が一気に高まると、

私はその場全体がまるで霧がかかったように

真っ白に見えるのです。

と同時に、何かが開放された感覚がします。

 

弓江さんの顔も、木村さんの顔も

何か憑き物が落ちたような自然さが

漂いました。

 

さぁ、実はここまでが準備段階です。

 

私はこの状態にしたいのです。

 

次元が高まることで、

私だけでなく、その場にいる全員が

真本音コミュニケーションを

自然にできる状態です。

 

ここからが

チームコーチングの本当の意味での

スタートなのです。

 

つづく