平井さんの変化について、

さらに深掘りをしていきます。

(→前回記事)

 

「実は、私はあなたのことが嫌いでした」と

平井さんに告白した生田さんという部下がいます。

 

私は生田さんにお訊きしました。

 

「平井さんが最も変化されたのは

どこですか?」

 

生田さんは、じーっと考えた後で、

こう言われました。

 

「上手く言えませんが、

以前は、私は平井から全否定をされていたような

気がするんです。」

 

「全否定?」

 

「はい、そうです。

自分のすべてを否定されていたような。」

 

「どんな時に、そんな風に感じられたんですか?」

 

「多分、彼は全否定をしている気はなかったと

思います。

でも私は、彼のちょっとした一言一言に、

あぁこの人は私にいてほしくないんだ、

私のすべてが嫌いなんだ、という印象を受けました。」

 

「何か具体的なやりとりの場面を思い出せます?」

 

「う〜ん、一つ一つは本当に小さなことなんですよね。

でもその積み重ねで、私は平井のそばにいることが

本当に怖くなりました。

まぁ、いい大人ですし、仕事ですから、

そんなことは言っておれないのですが。

でも、会社に来て、平井の顔を見るのは

本当に嫌でしたね。」

 

実はこのようなケースは生田さんだけでなく、

とても多いです。

 

思い出せないくらいに小さな一つ一つの

積み重ねで、心を深く傷つけてしまうケースです。

 

「今はどうなのですか?」

 

「今はまったく変わりましたね。

大袈裟ではなく、私は平井という人間が、

一度、死んで生まれ変わったか、

体だけ同じで、中身がまったく別人と

入れ替わったか。

そんな感じがしています。

部下で年下の私が言うのもおこがましいですが、

平井を見ていると、人は変われるんだ、と

希望を持てます。」

 

生田さんの言われていることは

私にもよくわかります。

 

私は第三者ですから良いのですが、

もしこの人の部下になったら、

かなりキツイだろうなぁ、というのが

出会った頃の平井さんへの印象でした。

 

時折、彼からふっと漂ってくる空気感が、

とてつもなく冷たかったからです。

 

それを言葉で表現するのは難しいのですが、

あえて言えば、

「人間嫌い」

「人間不信」

の塊のような空気感です。

 

それが今はまったくない。

どころか、常に平井さんから感じるのは

「すべてを受け止めるあたたかさ」

です。

 

人間不信の冷たい空気感を持った人が、

ほんの些細なことでも人を叱ったり注意をすれば、

それをされた人は、

自分が全否定された、という印象を得ます。

 

それに対して、まったく同じ言葉で

注意を受けたとしても、

もし、あたたかい空気感を持った人からの

言葉であれば、

人はそこに愛を感じます。

 

管理職研修などで、

部下を上手く叱るにはどうすればよいでしょうか?

というご質問を、私はよくいただきます。

 

しかしそれは、言葉の言い回しや

テクニックではないのです。

 

自分が、「人間」というものに対して、

どのような空気感を発しているか?

で、ほぼすべてが決まってしまうのです。

 

そしてその、あたたかい空気感は、

「心を大きく持とう」とか

「自分は人格者であろう」とか

「もっと器を大きくしよう」とか、

そういった心構えレベルで出せるようになるものでは

ありません。

 

空気感を決めるものは、

「自己承認」

できているかどうか、です。

 

自分のすべてを、

自分が許せているかどうか?

です。

 

そして、

人が自分のことを最も許せなくなる

最大の要因は、

 

「自分の真本音を自分がないがしろにする」

 

ということなのです。

 

つづく