好き

好き? 嫌い?

 

あなたは

自分のことが

好きかな?

 

自分の

どこが好きかな?

 

自分の

どこが嫌いかな?

 

ちょっと

挙げてみて

くれないか。

 

全部、

紙に列挙して

ほしい。

 

そしてそれらを

じっと

眺めてほしい。

 

素直にね。

 

その上で。

 

その奥を

感じてほしい。

 

「好き・嫌い」

の、

その奥だ。

 

意味

わからんかな。

 

まぁこれは

理屈ではなくてね。

 

列挙されたものを

じーっとただただ

見つめてほしいんだ。

 

見つめながら

その奥を

感じてほしい。

 

「好き・嫌い」

の、

向こう側。

 

そこには

何があるかな?

 

実はそこにも

「好きか・嫌いか」

あるんだ。

 

その奥の答えは

一つだ。

 

好きか?

嫌いか?

 

の二つに一つ。

 

どちらかの

明確な

答えがある。

 

もし、

その答えが

「好き」

であったなら、

 

あなたは

真本音に素直に

生きているね。

 

もし、

「嫌い」

であったなら、

 

もう少し

自分に素直に

生きた方がいいね。

 

自分の

本当の願いを

大切にした方が

いいね。

 

つづく

なんでこんなに好きなんだろう

 

恋愛だけに

限らず、

 

人が人を

好きになる

 

というのは

とても尊いことだ。

 

それにしても、

 

『好き』

 

という感覚は

これは一体

何だろうね。

 

考えたことある?

 

本当に不思議な

感覚だね。

 

この感覚って

多分、

人間だけが持つ

ものではないよね。

 

動物もみんな

持っている

ある意味、

 

宇宙普遍

 

 

宇宙不変

 

感覚だね、

きっと。

 

これがあるから

私達は、

人生がとても

幸せなものになるし、

 

豊かなものに

なる。

 

似たものとして

「愛」

というのがあるけど、

 

愛とは

エネルギーだ

 

と私は

思っている。

 

バラバラだったものが

一つになろうとする

エネルギー。

 

でも、

「好き」という感覚は

それとはまたちょっと

違う気がするね。

 

「好き」と「愛」が

絡み合い

融合するとき、

 

なんか

実在のレベルでは

とてつもないことが

起きている

気がする。

 

これは

何だろうね。

 

それが

この世の中を、

宇宙を

動かしている

のではないかな。

 

・・・・・・

 

気がつけば、

 

とても

ありがたいことに、

 

私の周りは、

私が「大好き」な

人達ばかりである。

 

一緒に仕事をする

仲間も

お客様も

みんな

大好きな人達

ばかりだ。

 

今日は

◯◯さんに

会える。

 

明日は

△△さんに

会える。

 

・・・と

手帳のスケジュールを

見ているだけで、

幸せになる。

 

いつの間に

こんなに幸せな

毎日になれたのだろう?

不思議に

思う。

 

私は昔は、

人間が嫌いな

人間だった。

 

心の奥では

自分のことも

他人のことも

すべて

嫌いだった。

 

もし、

人生を

誰にも会わずに

生きることができるなら、

 

一生、

誰にも会いたくない、

くらいに

思っていた時期も

あった。

 

そんな私が

いつの間にか、

人間が

大好きになっており、

 

そして

大好きな人達と

一緒に進んでいる。

 

なんでこんな現実が

起きているのか?と

最近は特に

不思議に思うのだ。

 

もちろんそれは、

真本音で生き続けた

という結果である

 

というのは

わかってるんだけど、

 

そうじゃなくて、

何と言うかな、

 

そうそう、

 

もっと根源的な

もの、

 

「好き」という

感覚の奥にある

根源的な何か、

 

それを私は

理解したい。

 

そのためにも

私は

もっともっと

この

 

『好き』

 

という感覚を

大事にしようと

思う。

 

この

あまりにも

人間的な

気持ちをね。

 

つづく

 

好きなんだなぁ

 

本当は、

人の創造性は

計り知れない。

 

ゼロからイチを

生み出すことは

難しい、

と、一般的には

言われるが、

 

しかし本当は、

ゼロからイチを

生み出すことこそ

人の本分。

 

今のお仕事を

ずっと続ける中で、

いつしか私は

自然にそう

思えるようになった。

 

その一方で

多くの人が

 

「いやいや、

私には無理です」

 

と、

平気で言う。

 

自分に勝手に

制限や

リミッターを

加える。

 

これもまた

人の性分。

 

引き出そうと

思えば、

どこまでも

引き出せるのが

人の可能性。

 

しかし、

引き出そうと

本気で

思わなければ、

 

決して姿を

現さないのも

人の可能性。

 

そこが

人の面白み

だとも言える。

 

・・・・・・

 

好きなことを

やれ!

 

と、

よく言われる。

 

でも、

「好きなこと」とは

何だ?

 

たまたま

今、好きなこと?

 

昔からずっと

好きだったこと?

 

それとも

これから新たに

好きになるで

あろうこと?

 

だいたい、

「好き」という気持ちは

どこから来るの?

 

・・・・・・

 

私のクライアントさん

は、

 

私が「好き!」と

思える人達

ばかりである。

 

一人ひとりのお顔を

ほぼ毎日

思い浮かべたり、

意識を向けたり

しているが、

 

それをするだけで、

魂と心が

ホッコリする。

 

私の場合は、

この「ホッコリ」が

重要な気がする。

 

「好き」というのは

理屈では

ないのだと思う。

当たり前のことだが。

 

私は

ホッコリする人を

全力で

サポートする。

 

・・・・・・

 

「好き!」

という気持ちで

向かうと、

 

面白いことに

多くのクライアントさんが

自らの可能性を

自ら開くようになる。

 

私は

「好き」という言葉を

実際に使うわけでは

ないが、

 

恐らく私の

「好き」という気持ちは

空気感として

伝わっているのだと

思う。

 

そして、

私もそうだが、

人から「好き」という

空気を受けると

実に幸せであり、

 

この幸せ感は

自分を

自然に開いてくれる。

 

私が特に

注意しているのは、

 

無理に好きに

なろうと

しないこと。

 

「好き」は

自然に

やって来るから。

 

そのためには

私自身が

オープンでいることだ。

 

「好き」というのは、

きっと

オープンでいることで

 

私の中から

というよりも

 

その場で、

その現実で、

 

生み出される

ものなのだろう。

 

それこそ、

私達人間が

ゼロからイチを

生み出す

その代表的なものの

一つなのかも

しれないな。

 

つづく

 

嫌いになるのは悪いこと?

私達人間には誰しも、

好き・嫌い

があります。

 

嫌いなものがあった場合、

それを

「好きになろう」

とする人がいます。

 

例えば、

嫌いな人がいたとしても

その人のことを

好きになろう、

とします。

 

そういった生き方をしている人を

見ると、

私は素直に、いいなぁ、と

思います。

 

が、その生き方を

無理にし過ぎている人にも

これまで多く出会いました。

 

無理にし過ぎることで、

その人は自分の中の

「嫌い」

という気持ちにフタをして

しまいます。

 

そんな気持ちはないのだと

自分で自分をごまかして

しまいます。

 

その上で、

「好きであろう」

としますので、かなり心に

無理が生じ、

その無理無理感が

おかしな空気を生みます。

 

その空気感は実は

誰もが感じ取っていて、

その人の

「好き」

は、実はとても不自然なものだと

誰もが薄々わかってしまいます。

 

「好きになろう」

という気持ちは大切ですが、

「好きであらねばならない」

までいってしまうのは

苦しいです。

 

そういった人を観ると私は

「不自由な人だなぁ」

と思います。

 

ちょっと極端に言いますが、

私は思うのです。

 

嫌いなのものは

嫌いでよいではないか。

 

・・・と。

 

「好きだ」

「嫌いだ」

という、自分から湧く

素直な気持ちは

人間として当たり前のものなので、

それはそれでよいではないか、

と。

 

そこを否定することは

人間そのものを否定して

しまっている気がします。

 

ただし、・・・ですが。

 

「嫌いなものは嫌いだから、

そこは避けて通る」

とか、

「嫌いな人とは接しない」

とか、

「嫌いなものはすべて

拒絶する」

とか、

そういった人も私は

「不自由な人だなぁ」

と思います。

 

そこには

「選択肢」

がないからです。

 

「嫌い」

だから、

関われない。

 

「嫌い」

だから、

離れずにはいられない。

 

「嫌い」

だから、

受け止められない。

 

というのは、

その選択肢でしか

生きられないということです。

 

つまり

「嫌い」なものに

翻弄されている。

 

自分以外の何かに

翻弄されている。

 

・・・ということ。

 

それは、

人生のハンドルを

自分以外の他の何かに

握られているということと

イコールです。

 

一つの視点から言えば、

私は、自由とは

「選択肢の多さ」

にあると思っています。

 

つまり、

選択肢が多ければ多いほど

自由である、と。

 

どのような環境においても、

どのような状況においても、

自分の選択肢を

たくさん創ることのできる人こそが

自由ではないか、と。

 

「嫌いだから、関われない」

というのは、

たった一つの選択肢しか

ありません。

 

その選択肢以外の選択肢を

得られるようにすることが

より自由になるということでは

ないでしょうか。

 

それを「問い」として表せば、

次のようになります。

 

もし何か嫌いなものに遭遇した

として、

 

「嫌いなことはわかった。

では、その嫌いなことに

私はどのように関わろうか?」

 

ということですね。

 

その関わり方に

多くの選択肢があればあるほど

自由です。

 

選択肢が多い、

ということはそれだけ

「最善の選択」

をしやすいということです。

 

選択肢が少ないと、

そこには

「妥協」

が発生しやすいです。

 

「妥協」とは

自分が本当は納得していない

答え。

 

「最善」とは

理想とは違いますが、

今の状況においてはこれが最高だな、

と自分で納得できている

答えです。

 

妥協の道ばかりを

行く人は

自由ではありません。

当然ですが。

 

最善の選択のできる人が

自由なのだと

私は思います。

 

真本音で生きる度合いが

高まると、

単純に言えば、

その、最善の選択の度合いが

高まります。

 

つまりは、

今、自分は何を

最善と思っているか?

が、

すぐに明確になります。

 

そういった人生は

楽ですし、

自由ですね。

 

つづく

 

想いをカタチにできない人がとても多い

弓江さんとの初めてのコーチング。

 

彼女の真本音度合いを高さを直観した私は、

あえて通常では考えられない問いから

スタートしました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

 

すぐさま、まっすぐな答えが返ってきて、

私は笑い出しそうになりました。

(→前回記事)

 

この人は本当に面白い。

 

どうやら初っ端から真本音コミュニケーションが

できそうです。

 

しかも次の問いが非常に重要であると

私は直観しました。

次に私がどのような問いを投げるか?で

展開は大きく変わります。

 

こんな時はすべての意図を手放して、

ただただ相手の真本音に委ねます。

 

自然に私の口は開きました。

その結果、以下のような展開となりました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

 

「でも、本当は好きなんでしょ?」

 

「・・・そう言われると困りますが、

はい、私は木村のことが好きでした。

もちろん、人間として、ですよ。」

 

「どんなところが好きだったんですか?」

 

「木村がロックバンドやっているのを

ご存知ですか?」

 

「はい、存じ上げています。」

 

「以前に私、木村のライブに行ったことが

あるんです。

感動しました。

そこから好きです。」

 

う〜む。

なるほど、そうだったのか。

 

「どんなところに感動されたのですか?」

 

「彼の自由奔放さ、です。

仕事では絶対に見せないような無邪気な

顔をしていました。」

 

「そうですね。なかなか彼は、そういった自分を

仕事では見せないですよね。」

 

「はい。でも、時折、仕事でも顔を覗かせて

いたんですよ。あの自由奔放さが。」

 

「へぇ、そうなんでか。」

 

「ほんのちょっとですけどね。」

 

どうやら弓江さんは本当に木村さんのことが

好きなようです。

もちろんそれは、異性としてではなく、

人間として、だと思いますが、

それでも、木村さんのことをよく観察しています。

 

いや、ひょっとすると、木村さんだけでなく

すべての人をよく観察しているのかも知れません。

 

「でも、いつからそんな木村さんのことを

嫌いになってしまったんですか?」

 

「新規事業プロジェクトからです。」

 

「なぜまた?」

 

「・・・なぜかとてもイライラするんです。

木村の判断、行動、振る舞いのすべてに

イライラするんです。」

 

「特に、イライラした瞬間で思い出せる

場面はありますか?」

 

しばらく弓江さんは考えて、

 

「ミーティングでよく彼は、

みんなが主役だ、俺はコーチ役だ、

みたいなことを言うんです。

その度に、とてもイライラします。」

 

なるほど。

だいぶ見えてきました。

 

「あぁそれは、私がちょっと変な影響を

与えちゃってるかなぁ。

私がコーチングスキルなどを教えてしまって

いますから。」

 

「いえ、コーチングのやり方をとること自体は

いいんですよ。

みんなの意見や想いを自由に出し合って

進めること自体は私も賛成です。

でも、なぜか木村がそれをすると、

腹が立つんです。

なんか、猿真似、というか、形だけ、というか、

中身がない、というか。」

 

「そういえば、木村さんから聴いたのですが、

お客様のクレーム処理の時に、弓江さんは

木村さんに『甘いです』という意見を

言われたそうですね。」

 

「そうなんですよ。甘いんですよ。

あのクレームのお客様の担当は私だったんです。

だから私にクレーム処理を言いつければいいのに、

自分でやろうとして。」

 

「あっ、そういうことだったんですか?」

 

「そうです。

まぁ、私に任せておくとちゃんとクレーム処理

できないんじゃないか、って不安だったのだと

思います。

でも彼は、コーチの真似をしながらも、

肝心な部分は全部自分でやろうとします。

部下やメンバーを本当には信じていないし、

信じようとしていない。

信じているフリはしてますけどね。

そこが、甘い、と思うんです。

一緒にメンバーとしてやっていこうと思うなら、

もっと私達に厳しくしなければならないし、

もっと毅然としていてほしいんです。

あのロックバンドの時のように。」

 

「要するに、今の木村さんを一言で表現すると

どうなりますか?」

 

弓江さんは、しばらくじーっと考えていました。

そして、

 

「生ぬるい、ということでしょうか。」

 

この言葉が、私にゾワーッと伝わってきました。

つまりこれは、弓江さんから木村さんへの

真本音メッセージなのです。

 

弓江さんは、木村さんのことが本当は

好きです。

木村さんの「本来の魅力」をよくわかっています。

 

しかし新規事業プロジェクトリーダーの木村さんは

その魅力を出さないどころか、

「生ぬるい」

のです。

 

本来素晴らしいものを持っているのに

それを出さない木村さんに対して、

弓江さんは怒っているのです。

 

それは、「真本音の怒り」と言ってよいでしょう。

 

私が弓江さんのことを「面白い」と直観したのは

大当たりでした。

弓江さんという存在は、木村さんの真本音度合いを

高めるための力強いサポートとなるでしょう。

 

「そんな木村さんに、本来の彼の魅力や力を

発揮してもらうために、弓江さんには何ができますか?」

 

「う〜ん・・・。

私は私なりに言いたくもない意見を伝えていますが、

それが機能しているようには思えません。

むしろ木村を萎縮させているというか。

木村の行動を妨害してしまっているというか。

あまりよい結果は出ていないように思います。

でも、どうしたらよいか、自分にできることが他には

思いつきません。」

 

やはり。

弓江さんは弓江さんなりに、

木村さんの力になろうと思って、あえてきつい意見を

伝えていたようです。

 

さて、では、

弓江さんにも単刀直入な切り込み方をしましょう。

こういった、真本音度合いが高く、想いも強い人には

単刀直入なのがよいです。

 

「弓江さんは、ご自分の魅力や能力を

まったくもって理解してませんねぇ。」

 

「えっ、そうなんですか。

私に能力なんてありますか?」

 

少し余談ですが、

真本音度合いのもともと高い人ほど、

「私に能力なんてありますか?」という類のことを

言う人が多いです。

自分を低く見ているのですね。もったいない。

 

「ありますよ、もちろん。

何だと思います?」

 

「えぇ〜、わかりませんよ。

自分に特別な力があるなんて思いもしません。」

 

「そう言わずに、ちょっと真剣に

考えてみてください。

弓江さんの、天性の力は何だと思いますか?」

 

弓江さんはしばらくじーっと考えてくださいました。

 

「・・・ダメです。わかりません。

私に天性の力なんてあるんですか?」

 

「はい。

でも、弓江さんはそれをこれまでの人生でほぼ、

使ってこなかったと思います。

でもこれからは、それを使うといいですよ。」

 

「ダメです。ギブアップです。わかりません。」

 

「コーチング力です。」

 

「へっ?」

 

「弓江さんは、プロのコーチになれますよ。

それだけの力があります。

私が保証します。」

 

つづく