嫌い

好き? 嫌い?

 

あなたは

自分のことが

好きかな?

 

自分の

どこが好きかな?

 

自分の

どこが嫌いかな?

 

ちょっと

挙げてみて

くれないか。

 

全部、

紙に列挙して

ほしい。

 

そしてそれらを

じっと

眺めてほしい。

 

素直にね。

 

その上で。

 

その奥を

感じてほしい。

 

「好き・嫌い」

の、

その奥だ。

 

意味

わからんかな。

 

まぁこれは

理屈ではなくてね。

 

列挙されたものを

じーっとただただ

見つめてほしいんだ。

 

見つめながら

その奥を

感じてほしい。

 

「好き・嫌い」

の、

向こう側。

 

そこには

何があるかな?

 

実はそこにも

「好きか・嫌いか」

あるんだ。

 

その奥の答えは

一つだ。

 

好きか?

嫌いか?

 

の二つに一つ。

 

どちらかの

明確な

答えがある。

 

もし、

その答えが

「好き」

であったなら、

 

あなたは

真本音に素直に

生きているね。

 

もし、

「嫌い」

であったなら、

 

もう少し

自分に素直に

生きた方がいいね。

 

自分の

本当の願いを

大切にした方が

いいね。

 

つづく

その人のことが嫌い?

 

誰にだって

好きな人と

嫌いな人が

います。

 

嫌いな人は

その人の存在が

なくなってしまえば

いいのに、

 

と、ついつい

思ってしまうのが

人情ですね。

 

しかし

「嫌う」とは、

非常にエネルギーを

使う行為です。

 

「無関心」とは

根本的に

異なります。

 

「無関心」は、

その人に一切の

エネルギーを

向かわせないことを

言います。

 

それに比べれば

「嫌う」というのは、

少なくとも

その人にエネルギーを

向けています。

 

そういった意味では

「好き」というのと

同じです。

 

「好き」と「嫌い」は

表裏一体。

 

表面上の感情は

違っても、

エネルギーという

視点から見れば、

実は、

同じようなものなのです。

 

・・・・・・

 

それだけ

その人に

エネルギーを使う

ということは、

 

それだけ

その人が

気にかかる

ということ。

 

気にかかる

ということは、

人生において

大事な存在

だと言うことです。

 

嫌いな人の

ことなど、

考えたくもない、

 

と思うかも

しれませんが、

どうしても

気になるのなら、

 

いっそのこと、

 

徹底的に

その人と

向かい合って

みましょう。

 

もちろん、

現実のその人と

向かい合えれば、

それが理想

ですが、

 

さすがに

それはちょっと

キツいですよね。

 

そこでまずは、

イメージで

向かい合って

みます。

 

目の前に

その、嫌いな人が

いるイメージを

するのです。

 

ほんの目の前

に、

その人の顔が

あるイメージ

です。

 

とても

イヤですよね。

 

気持ちは

わかります。

 

でもそこを

がんばって我慢して、

 

じっと

その顔と

向かい合いましょう。

 

全身は強張り、

心は震え、

感情は湧き上がり、

 

本当にいやな

時間になると

思いますが、

 

すべての感情を

存在承認しながら

じっと

向かい合います。

 

かなりの時間を

要するかも

しれませんが、

それを続けると、

ある時ある瞬間に

 

ふっと

楽になる時が

来ます。

 

すべての

反応本音を

存在承認することで

ふっと

楽になるのです。

 

その、

楽になった状態で

その人のイメージと

さらに

向かい合い続け

ましょう。

 

これまでずっと

嫌いで嫌いで

しょうがなかった

その人なのに、

 

なぜか、

その人への

重要なメッセージが

自分自身の心の

奥の奥から

浮かび上がって

くる可能性が

高いです。

 

それが、

高い次元の

自分自身の

声です。

 

真本音の声

と言っても

よいでしょう。

 

・・・・・・

 

嫌うということは、

その人に

エネルギーを

使う、という

選択を

自らしているという

ことです。

 

そこには

何らかの意味が

あります。

 

その意味は、

表面上に現れる

反応本音の中には

残念ながら

見出せません。

 

反応本音を

すべて出し切った

その後に

残るものこそに、

 

真の意味が

埋もれています。

 

そしてその意味に

気づくために、

自分はその人の

ことを嫌って

いたのだ、と、

いうことも

わかるでしょう。

 

嫌うことを

無理に止める

必要はありません。

 

しかし

せっかくエネルギーを

かけている

その人なのだから、

 

自分がそれだけ

エネルギーをかける

意味は

知りたいですよね。

 

そこには

より自分らしい

人生を創り上げる

ヒントが

あるはずですしね。

 

つづく

 

嫌いになるのは悪いこと?

私達人間には誰しも、

好き・嫌い

があります。

 

嫌いなものがあった場合、

それを

「好きになろう」

とする人がいます。

 

例えば、

嫌いな人がいたとしても

その人のことを

好きになろう、

とします。

 

そういった生き方をしている人を

見ると、

私は素直に、いいなぁ、と

思います。

 

が、その生き方を

無理にし過ぎている人にも

これまで多く出会いました。

 

無理にし過ぎることで、

その人は自分の中の

「嫌い」

という気持ちにフタをして

しまいます。

 

そんな気持ちはないのだと

自分で自分をごまかして

しまいます。

 

その上で、

「好きであろう」

としますので、かなり心に

無理が生じ、

その無理無理感が

おかしな空気を生みます。

 

その空気感は実は

誰もが感じ取っていて、

その人の

「好き」

は、実はとても不自然なものだと

誰もが薄々わかってしまいます。

 

「好きになろう」

という気持ちは大切ですが、

「好きであらねばならない」

までいってしまうのは

苦しいです。

 

そういった人を観ると私は

「不自由な人だなぁ」

と思います。

 

ちょっと極端に言いますが、

私は思うのです。

 

嫌いなのものは

嫌いでよいではないか。

 

・・・と。

 

「好きだ」

「嫌いだ」

という、自分から湧く

素直な気持ちは

人間として当たり前のものなので、

それはそれでよいではないか、

と。

 

そこを否定することは

人間そのものを否定して

しまっている気がします。

 

ただし、・・・ですが。

 

「嫌いなものは嫌いだから、

そこは避けて通る」

とか、

「嫌いな人とは接しない」

とか、

「嫌いなものはすべて

拒絶する」

とか、

そういった人も私は

「不自由な人だなぁ」

と思います。

 

そこには

「選択肢」

がないからです。

 

「嫌い」

だから、

関われない。

 

「嫌い」

だから、

離れずにはいられない。

 

「嫌い」

だから、

受け止められない。

 

というのは、

その選択肢でしか

生きられないということです。

 

つまり

「嫌い」なものに

翻弄されている。

 

自分以外の何かに

翻弄されている。

 

・・・ということ。

 

それは、

人生のハンドルを

自分以外の他の何かに

握られているということと

イコールです。

 

一つの視点から言えば、

私は、自由とは

「選択肢の多さ」

にあると思っています。

 

つまり、

選択肢が多ければ多いほど

自由である、と。

 

どのような環境においても、

どのような状況においても、

自分の選択肢を

たくさん創ることのできる人こそが

自由ではないか、と。

 

「嫌いだから、関われない」

というのは、

たった一つの選択肢しか

ありません。

 

その選択肢以外の選択肢を

得られるようにすることが

より自由になるということでは

ないでしょうか。

 

それを「問い」として表せば、

次のようになります。

 

もし何か嫌いなものに遭遇した

として、

 

「嫌いなことはわかった。

では、その嫌いなことに

私はどのように関わろうか?」

 

ということですね。

 

その関わり方に

多くの選択肢があればあるほど

自由です。

 

選択肢が多い、

ということはそれだけ

「最善の選択」

をしやすいということです。

 

選択肢が少ないと、

そこには

「妥協」

が発生しやすいです。

 

「妥協」とは

自分が本当は納得していない

答え。

 

「最善」とは

理想とは違いますが、

今の状況においてはこれが最高だな、

と自分で納得できている

答えです。

 

妥協の道ばかりを

行く人は

自由ではありません。

当然ですが。

 

最善の選択のできる人が

自由なのだと

私は思います。

 

真本音で生きる度合いが

高まると、

単純に言えば、

その、最善の選択の度合いが

高まります。

 

つまりは、

今、自分は何を

最善と思っているか?

が、

すぐに明確になります。

 

そういった人生は

楽ですし、

自由ですね。

 

つづく

 

想いをカタチにできない人がとても多い

弓江さんとの初めてのコーチング。

 

彼女の真本音度合いを高さを直観した私は、

あえて通常では考えられない問いから

スタートしました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

 

すぐさま、まっすぐな答えが返ってきて、

私は笑い出しそうになりました。

(→前回記事)

 

この人は本当に面白い。

 

どうやら初っ端から真本音コミュニケーションが

できそうです。

 

しかも次の問いが非常に重要であると

私は直観しました。

次に私がどのような問いを投げるか?で

展開は大きく変わります。

 

こんな時はすべての意図を手放して、

ただただ相手の真本音に委ねます。

 

自然に私の口は開きました。

その結果、以下のような展開となりました。

 

「弓江さん、

木村さんのこと、嫌いですか?」

 

「はい、嫌いです」

 

「でも、本当は好きなんでしょ?」

 

「・・・そう言われると困りますが、

はい、私は木村のことが好きでした。

もちろん、人間として、ですよ。」

 

「どんなところが好きだったんですか?」

 

「木村がロックバンドやっているのを

ご存知ですか?」

 

「はい、存じ上げています。」

 

「以前に私、木村のライブに行ったことが

あるんです。

感動しました。

そこから好きです。」

 

う〜む。

なるほど、そうだったのか。

 

「どんなところに感動されたのですか?」

 

「彼の自由奔放さ、です。

仕事では絶対に見せないような無邪気な

顔をしていました。」

 

「そうですね。なかなか彼は、そういった自分を

仕事では見せないですよね。」

 

「はい。でも、時折、仕事でも顔を覗かせて

いたんですよ。あの自由奔放さが。」

 

「へぇ、そうなんでか。」

 

「ほんのちょっとですけどね。」

 

どうやら弓江さんは本当に木村さんのことが

好きなようです。

もちろんそれは、異性としてではなく、

人間として、だと思いますが、

それでも、木村さんのことをよく観察しています。

 

いや、ひょっとすると、木村さんだけでなく

すべての人をよく観察しているのかも知れません。

 

「でも、いつからそんな木村さんのことを

嫌いになってしまったんですか?」

 

「新規事業プロジェクトからです。」

 

「なぜまた?」

 

「・・・なぜかとてもイライラするんです。

木村の判断、行動、振る舞いのすべてに

イライラするんです。」

 

「特に、イライラした瞬間で思い出せる

場面はありますか?」

 

しばらく弓江さんは考えて、

 

「ミーティングでよく彼は、

みんなが主役だ、俺はコーチ役だ、

みたいなことを言うんです。

その度に、とてもイライラします。」

 

なるほど。

だいぶ見えてきました。

 

「あぁそれは、私がちょっと変な影響を

与えちゃってるかなぁ。

私がコーチングスキルなどを教えてしまって

いますから。」

 

「いえ、コーチングのやり方をとること自体は

いいんですよ。

みんなの意見や想いを自由に出し合って

進めること自体は私も賛成です。

でも、なぜか木村がそれをすると、

腹が立つんです。

なんか、猿真似、というか、形だけ、というか、

中身がない、というか。」

 

「そういえば、木村さんから聴いたのですが、

お客様のクレーム処理の時に、弓江さんは

木村さんに『甘いです』という意見を

言われたそうですね。」

 

「そうなんですよ。甘いんですよ。

あのクレームのお客様の担当は私だったんです。

だから私にクレーム処理を言いつければいいのに、

自分でやろうとして。」

 

「あっ、そういうことだったんですか?」

 

「そうです。

まぁ、私に任せておくとちゃんとクレーム処理

できないんじゃないか、って不安だったのだと

思います。

でも彼は、コーチの真似をしながらも、

肝心な部分は全部自分でやろうとします。

部下やメンバーを本当には信じていないし、

信じようとしていない。

信じているフリはしてますけどね。

そこが、甘い、と思うんです。

一緒にメンバーとしてやっていこうと思うなら、

もっと私達に厳しくしなければならないし、

もっと毅然としていてほしいんです。

あのロックバンドの時のように。」

 

「要するに、今の木村さんを一言で表現すると

どうなりますか?」

 

弓江さんは、しばらくじーっと考えていました。

そして、

 

「生ぬるい、ということでしょうか。」

 

この言葉が、私にゾワーッと伝わってきました。

つまりこれは、弓江さんから木村さんへの

真本音メッセージなのです。

 

弓江さんは、木村さんのことが本当は

好きです。

木村さんの「本来の魅力」をよくわかっています。

 

しかし新規事業プロジェクトリーダーの木村さんは

その魅力を出さないどころか、

「生ぬるい」

のです。

 

本来素晴らしいものを持っているのに

それを出さない木村さんに対して、

弓江さんは怒っているのです。

 

それは、「真本音の怒り」と言ってよいでしょう。

 

私が弓江さんのことを「面白い」と直観したのは

大当たりでした。

弓江さんという存在は、木村さんの真本音度合いを

高めるための力強いサポートとなるでしょう。

 

「そんな木村さんに、本来の彼の魅力や力を

発揮してもらうために、弓江さんには何ができますか?」

 

「う〜ん・・・。

私は私なりに言いたくもない意見を伝えていますが、

それが機能しているようには思えません。

むしろ木村を萎縮させているというか。

木村の行動を妨害してしまっているというか。

あまりよい結果は出ていないように思います。

でも、どうしたらよいか、自分にできることが他には

思いつきません。」

 

やはり。

弓江さんは弓江さんなりに、

木村さんの力になろうと思って、あえてきつい意見を

伝えていたようです。

 

さて、では、

弓江さんにも単刀直入な切り込み方をしましょう。

こういった、真本音度合いが高く、想いも強い人には

単刀直入なのがよいです。

 

「弓江さんは、ご自分の魅力や能力を

まったくもって理解してませんねぇ。」

 

「えっ、そうなんですか。

私に能力なんてありますか?」

 

少し余談ですが、

真本音度合いのもともと高い人ほど、

「私に能力なんてありますか?」という類のことを

言う人が多いです。

自分を低く見ているのですね。もったいない。

 

「ありますよ、もちろん。

何だと思います?」

 

「えぇ〜、わかりませんよ。

自分に特別な力があるなんて思いもしません。」

 

「そう言わずに、ちょっと真剣に

考えてみてください。

弓江さんの、天性の力は何だと思いますか?」

 

弓江さんはしばらくじーっと考えてくださいました。

 

「・・・ダメです。わかりません。

私に天性の力なんてあるんですか?」

 

「はい。

でも、弓江さんはそれをこれまでの人生でほぼ、

使ってこなかったと思います。

でもこれからは、それを使うといいですよ。」

 

「ダメです。ギブアップです。わかりません。」

 

「コーチング力です。」

 

「へっ?」

 

「弓江さんは、プロのコーチになれますよ。

それだけの力があります。

私が保証します。」

 

つづく

 

人間関係を壊すもの

平井さんの変化について、

さらに深掘りをしていきます。

(→前回記事)

 

「実は、私はあなたのことが嫌いでした」と

平井さんに告白した生田さんという部下がいます。

 

私は生田さんにお訊きしました。

 

「平井さんが最も変化されたのは

どこですか?」

 

生田さんは、じーっと考えた後で、

こう言われました。

 

「上手く言えませんが、

以前は、私は平井から全否定をされていたような

気がするんです。」

 

「全否定?」

 

「はい、そうです。

自分のすべてを否定されていたような。」

 

「どんな時に、そんな風に感じられたんですか?」

 

「多分、彼は全否定をしている気はなかったと

思います。

でも私は、彼のちょっとした一言一言に、

あぁこの人は私にいてほしくないんだ、

私のすべてが嫌いなんだ、という印象を受けました。」

 

「何か具体的なやりとりの場面を思い出せます?」

 

「う〜ん、一つ一つは本当に小さなことなんですよね。

でもその積み重ねで、私は平井のそばにいることが

本当に怖くなりました。

まぁ、いい大人ですし、仕事ですから、

そんなことは言っておれないのですが。

でも、会社に来て、平井の顔を見るのは

本当に嫌でしたね。」

 

実はこのようなケースは生田さんだけでなく、

とても多いです。

 

思い出せないくらいに小さな一つ一つの

積み重ねで、心を深く傷つけてしまうケースです。

 

「今はどうなのですか?」

 

「今はまったく変わりましたね。

大袈裟ではなく、私は平井という人間が、

一度、死んで生まれ変わったか、

体だけ同じで、中身がまったく別人と

入れ替わったか。

そんな感じがしています。

部下で年下の私が言うのもおこがましいですが、

平井を見ていると、人は変われるんだ、と

希望を持てます。」

 

生田さんの言われていることは

私にもよくわかります。

 

私は第三者ですから良いのですが、

もしこの人の部下になったら、

かなりキツイだろうなぁ、というのが

出会った頃の平井さんへの印象でした。

 

時折、彼からふっと漂ってくる空気感が、

とてつもなく冷たかったからです。

 

それを言葉で表現するのは難しいのですが、

あえて言えば、

「人間嫌い」

「人間不信」

の塊のような空気感です。

 

それが今はまったくない。

どころか、常に平井さんから感じるのは

「すべてを受け止めるあたたかさ」

です。

 

人間不信の冷たい空気感を持った人が、

ほんの些細なことでも人を叱ったり注意をすれば、

それをされた人は、

自分が全否定された、という印象を得ます。

 

それに対して、まったく同じ言葉で

注意を受けたとしても、

もし、あたたかい空気感を持った人からの

言葉であれば、

人はそこに愛を感じます。

 

管理職研修などで、

部下を上手く叱るにはどうすればよいでしょうか?

というご質問を、私はよくいただきます。

 

しかしそれは、言葉の言い回しや

テクニックではないのです。

 

自分が、「人間」というものに対して、

どのような空気感を発しているか?

で、ほぼすべてが決まってしまうのです。

 

そしてその、あたたかい空気感は、

「心を大きく持とう」とか

「自分は人格者であろう」とか

「もっと器を大きくしよう」とか、

そういった心構えレベルで出せるようになるものでは

ありません。

 

空気感を決めるものは、

「自己承認」

できているかどうか、です。

 

自分のすべてを、

自分が許せているかどうか?

です。

 

そして、

人が自分のことを最も許せなくなる

最大の要因は、

 

「自分の真本音を自分がないがしろにする」

 

ということなのです。

 

つづく

 

私はあなたのことが嫌いでした

後に、平井チームのナンバー2的な立場になる

生田さん(仮名)という男性社員さんがいます。

彼は、当時まだ20代後半。

しかし、公開コーチングにおける平井さんのメッセージに、

いたく感動しました。

(→前回記事)

 

後に生田さんは私に教えてくださいました。

 

「実は私は、平井のことが嫌いだったんです。笑

何を考えてるかわからない不気味なところが

ありましたので。

それに、社長の顔色を第一に伺っているのが

わかってましたし。

でも、あの一言で見直しました。

偉そうな言い方ですけどね。」

 

そしてさらに言われました。

 

「いつかの飲み会だったと思いますが、

そのことを正直に私は平井に伝えたんです。

私はあなたが嫌いでした、って。笑

そうしたら、平井は何て言ったと思います?」

 

「何でしょう? ごめんなさい、とか?」

 

「いえ、平井は真顔で私の話を聴いた後で、

真顔で言うんですよ。

今の俺は好きか?って。

恋愛じゃないんだから・・・。笑」

 

でもその時に、

あぁこの人は本当に可愛らしい人なんだ、

この人と一緒に会社を良くしていきたいなぁ、と

生田さんは本当に思えたそうです。

 

さて、そんな可愛らしい平井さんですが、

公開コーチングを一度やって

味を占めました。笑

 

社員さん達に何をどうメッセージしようか、

と思うと硬くなってしまうのですが、

コーチング形式で私に向かって自由に喋っていると、

自分でも気づかなかった想いや発想が、

次々に出てくる、と。

しかもそれをリアルタイムで社員さん達に

見せられるので、とても伝わりやすい、と。

 

「でも、特に打合せもせずにやるので、

変なことを口にしないか不安になりませんか?」

と私が問うと、

「いやいや、それよりもあるがままの私を

見てもらう方がよほど良いです。

おかげで、リーダーシップをとるのが

とても楽になりました。」と。

 

ただこれは、かなり覚悟の要ることです。

常日頃から様々なことを真剣に考え続けている

彼だからこそできること。

オープンな彼だからこそできることです。

 

結局彼は、公開コーチングを毎月一回は定期的に

開催するようになりました。

時折、社員さん達に向かってメッセージを投げる

だけでなく、

その場で社員さん達とのキャッチボール、意見交換

なども入れるようになりました。

時には、社員さんの一人に前に出てもらい、

皆の前で議論することも。

 

この場から様々なプロジェクトチームが

自然に発生しました。

新規事業が立ち上がったり、新会社が立ち上がる

きっかけにもなりました。

 

手法が大事なわけではありません。

 

大事なのは、真本音の想いを伝えることです。

最も伝わりやすい方法で。

 

平井さん流リーダーシップとは、

・人と人をつなぐこと

・真本音の想いを伝えること

この2本柱が基本です。

 

「私は、社員を主役にするリーダーになりたい」

という指針を持った平井さんが自然に編み出した

自分流のリーダーのスタイルです。

 

つづく