感謝

感謝しなければ?

 

自分がいかに

多くの人達から

支えられているかは、

 

自分の足で

立って見なければ

わからない。

 

本当に

自立(自律)できるか

どうかは別として、

 

本気で

自立(自律)しようと

思えば、

 

そういう歩みの

途上では、

 

感謝ばかりが

溢れてくる。

 

だから逆に、

言葉ばかりの

「ありがとう」は

私は要らない。

 

それよりも

私は早くあなたに

自立(自律)して

ほしい。

 

自立(自律)しようと

してほしい。

 

そうすれば

あなたからは

常に

「感謝」の空気感が

漂い続けるだろう。

 

そういう人が

使う言葉だよ。

 

「ありがとう」

 

とはね。

 

「感謝しなければ」

・・・じゃないんだ。

 

「感謝」は自然に

溢れてくる。

 

そこに努力を

するよりも、

 

自ら立つことに

努力しなさい。

 

つづく

 

感謝しながら行けばいい

 

まっすぐな

道があり、

 

レールまでが

引かれている。

 

あとはそこを

気持ちよく

進むだけ

なのだが、

 

なぜか、

そのレールに

乗ることを

しない。

 

それどころか、

道そのものから

外れ、

まったく

見当違いの方向に

向かってしまう。

 

人間であれば、

そういったことは

十分に

考えられるし、

 

誰しも

そのような経験は

あるかもしれない。

 

よく

「レールの引かれた

人生なんて

いやだ!」

という表現が

使われるが、

 

そもそも

そのレールを

引いたのは

 

ほとんどの場合、

その人

自身だ。

 

その人の

真本音だ。

 

レールがあることを

素直に

感謝すればいいのに、

よく私は思う。

 

レールがあることを

素直に

喜べばよいのに、

とも。

 

そうすれば

そのレールも

道も

すべてを

ひっくるめて、

 

楽しめるし、

 

その上での

「冒険」が

できる。

 

なぜなら

「レール」とは

進化をするもの

だから。

 

「レール」そのものが

進化をするのだ。

 

だから

「レールがあるから

つまらない」

というのは、

あまりにも

つまらない

捉え方だ。

 

はっきり言って、

「レールの進化」

とてつもなく

面白い。

 

そしてその

進化は、

 

まったくこれまでに

なかった

新たなものを

生み出す。

 

レールの人生

とは

惰性の人生

ではない。

 

レールをとことん

極めることで、

 

ゼロからイチを

生み出す

ことすら

できるのだ。

 

そして

それができれば、

さらにまったく

新しいレールを

 

この世に

もたらすことが

できるのだ。

 

それこそが

人生の醍醐味

だと

思わないかい?

 

つづく

 

感謝しきれないよなぁ

 

ここのところ、

出会いや

再会が

増えている。

 

そして決まって

想定外の

展開に

つながっている。

 

もちろん

想定外に

素敵な展開だ。

 

こういう時に

感謝

という想いは

溢れてくる。

 

いったい私は

誰に感謝

しているのだろう?

 

ふと思う。

 

もちろん

出会ったあの人、

再会できた

あの人に、

だが、

 

でも、

それだけか?

 

そういう展開に

なった

必然の流れや、

運命的なものや、

 

人智を超えた

様々な力や

摂理や、

 

実在・現象問わず

たくさんの人達の

想いや願いや、

 

恐らく

いろんなものに

私は

感謝している。

 

でも、

その中でも特に、

今気づいたのだが、

きっと私は

 

私自身に

感謝している。

 

私の真本音に

感謝している。

 

私の反応本音に

感謝している。

 

私の

魂に、

心に、

体に、

 

私の細胞の

一つ一つに、

 

私のすべてに

きっと

言いようのない

感謝をしている。

 

のだと

思う。

 

自分が自分に

感謝するなんて、

昔の私には

考えられない

ことだったなぁ。

 

なんで

こんなにも

私は変わることが

できたんだろう?

 

いや、実は

「変わった」という

実感は

あまりない。

 

振り返れば

変わったなぁ、

とは思うが、

 

振り返らなければ、

私はずっと

私のまま

生きてきた

気がする。

 

ただし。

 

やっぱり

真本音を大事に

するように

なってからだなぁ。

 

自分自身の

真本音を大事に

生きる

ということは、

 

結果として、

自分自身のすべてを

大事に生きる

ということに

なるんだなぁ。

 

ということは

それはイコール、

 

自分の周りの

あらゆるものを

大事に生きる

ことに

なるんだな。

 

おかげさまで

そういうことを

自身で

しっかり体験できた。

 

こんな

幸運はないのだろう。

 

体験できたから

こそ、

それを

人のサポートに

活かすことが

できるのだと思う。

 

あぁ、

もともとできの悪い

自分でよかった、

 

苦笑いしながら

思える。

 

・・・ように

なれたんだな。

 

これから、

「令和」

という新しい時代に

入る。

 

ただ名前が

変わるだけじゃん、

思うなかれ。

 

これは

実在の世界の

一つの反映だ。

 

実在の世界は、

・・・つまりは、

私達の心の中の

世界は、

 

根底から大きく

変貌している。

 

これまでも

そうであったが、

その変貌が

一つの境界を

超えた。

 

人の成長で言えば、

「脱皮した」

というのと

同じことが、

実在の世界全体で

起きた。

 

そう、

「起きた」

のだ。

 

すでに

「完了」

している。

 

その反映が

「平成から令和」

への

移行だ。

 

だからこれは

とてつもなく

大きな

節目だ。

 

その節目を

迎えるにあたり、

日々起きている

この

出会いと再会。

 

やっぱ、

本当に

感謝でしょ。

 

つづく