大自然の前で

人は無力だ。

 

ということを

私は学生時代に

登山を通じて

いやというほど

知った。

 

私はもともと

人間嫌いだった

のだが、

 

その理由の

一つは

人間が無力だから

だ。

 

大自然の

素晴らしさ。

そして

人間の小ささ。

 

なんで自分は

人間などという

小っぽけな存在として

生まれてしまったのだろう?

という疑念。

 

私は私が

嫌いだったし、

 

それはきっと

私という存在そのもの

があまりに

無力なので

嫌いだったのだろう。

 

今も

人は無力だな

と思う。

 

しかし一方で、

人の無尽蔵さも

いやというほど

見てきた。

 

かと言って

人には皆、

可能性がある

とは

安易に言いたくない。

 

そんなに簡単な

ことではないと

思うのだ。

 

自分の無力と

向き合う。

 

自分の無力と

向き合う。

 

自分の無力と

向き合う。

 

私は自分が無力だと

思っていたが、

 

本当にそうなのだ、

つくづく諦めたのは、

もっと何年も

後のことだ。

 

それまでは

無力だと言いながら、

どっかで可能性を

信じていた。

 

でも、

本当に無力だと

思い知った時、

 

それを

受け入れて

無力そのものに

なった時、

 

そこで初めて

何かが

開けた。

 

何かが軽く

なった。

 

そこから私は

自分が何に

努力すれば良いかが

きっと

わかるようになったのだ。

 

無力な自分が

それでも

できること。

 

それは

何だろう?

 

という問いに

なった。

 

そしてそれを

コツコツと

ずっと一つずつ

積み上げてきた。

 

だから今は、

自分の無力さを

感じても

何とも思わん。

 

・・・いや違うな。

 

何とも思わん

ことはない。

かなり

落ち込む。

 

かなり落ち込む

けど、

その落ち込むこと

そのものが

 

どうってことは

ない。

 

無力だが

歩みは

止まらない。

 

可能性がある

などと、

安易には

言わない。

 

可能性は

ないかもしれない。

 

でも、

止まらない。

 

無力だろうが

可能性が

なかろうが、

 

それは

私が止まるための

理由には

ならないのだ。

 

つづく