痛み

痛いな

 

生きる、

ということは

それ自体が

激しいことだ。

 

私達は

自分自身でさえ

気づかない

 

数知れないくらいの

痛みに

晒されながら

生きている。

 

痛いことを

「痛い」と

素直に感じられることが

いかに

健康的か。

 

誰にも

その人にしかない

独特の痛みがあり、

 

私はいつも

その人と共に

その痛みを感じている。

 

痛みつけている

のは誰か?

 

自分を痛みつけて

いるのは?

 

それは、

 

そのほとんどは

自分自身だ。

 

私達は

自分で自分に

痛みを与え、

 

それに耐えながら

生きている。

 

いったい

なぜ?

 

なぜ

そんなことを?

 

この仕事を通じて、

何度、

その問いを

投げたことか?

 

あなたはなぜ

そんなにも

自分を

痛め続けるのですか?

 

そう問いながら

何度、泣いたことか。

 

痛い。

 

痛い。

 

痛い。

 

と、

みんなが呻いている。

 

呻いていない人は

いない。

 

呻いていることを

自覚していない人は

いるけれど。

 

人と向き合う

とは

その人の痛みと

向き合う

ことでもある。

 

しかし、

 

向き合うことでしか、

その痛みは

超えて行けない。

 

向き合って

初めて

痛みは浄化される。

 

人には、

向き合う存在が

必要なのだ。

 

なぜなら人は

向き合うために

存在しているから。

 

向き合う

とは

手段ではない。

 

我々の

目的なんだ。

 

つづく

 

痛いものは痛い

 

全身が

引き裂かれるような

感覚だ。

 

とても

生きていられる

状態とは思えない。

 

しかし

目の前のその人は

生きて、

しかも笑っている。

 

なんという

鈍感。

 

・・・・・・

 

私は、

目の前の人の

抱えているストレスを

そのままに感じ取るという

身体的な特徴を

持っている。

 

先天的に持っている

のではなく、

コーチという仕事を

続けるうちに、

自然に養われてきた。

 

受け取ったその感覚と

向き合うことで、

その人へのサポートの

大きな指針となった。

 

ストレスは、

大きければ大きいほど、

その本人は

気づいていないという

傾向は確かに高い。

 

麻痺させなければ

立っていられない

からだろう。

 

下手をすれば

心がおかしくなって

しまう。

 

身体に大きな負傷を

した時に感覚が麻痺し、

小さなすり傷の方に

痛みを感じる、

というのと同じなのだろう。

 

自己防衛の

一つかもしれない。

 

しかし私はいつも

思うのだ。

 

その鈍感は

本当に危険だ。

 

実際に

命の危険にまで

及んだケースも

いくつかある。

 

私がそのストレスの

大きさに気づかなければ、

いったいこの人は

どうなっていたのだろう、

ヒヤヒヤしたことは

数知れず。

 

我々はもっと

自分自身のことについて

もっと敏感になるべきでは

ないか。

 

といつも思う。

 

・・・・・・

 

苦しいことを

苦しいと感じる。

 

痛いことを

痛いと感じる。

 

これが健康の基本だと

私は思う。

身体も心も。

 

苦しいことを

苦しいと思っては

ならない。

そんなマイナス指向では

ダメだ。

などとは決して

思ってはならない。

 

苦しいことも

痛いことも

すべてわかった上で、

その上で

進んでいくのが私達人間の

本分だ。

 

痛くても

あえてこのまま進むのか、

それとも

いったん止まって

対策を練るのか。

 

そういったことを

自らきちんと判断しながら

進むことが

自律の基本だろう。

 

自分の痛みから

目を反らすことこそが

現実逃避のスタートである

と私は思うよ。

 

つづく