空気感

波長の視点から

 

よく私は

「空気感」

という言葉を使うが、

 

これを別表現すると、

 

「波長」

 

とも言える。

 

私達人間だけでなく、

この世のあらゆるものは

独特の「波長」を

持っている。

 

すべてはエネルギー体

であり、

それぞれがそれぞれなりの

振動を続けている。

 

その中でも特に

人間は、

その「波長」をよく

変える。

 

それを私は

「空気感が変わる」

と表現している。

 

しかしとは言え、

変わらない波長も

ある。

 

私達人間には

変わらない波長と

変わる波長が

ある。

 

正確に言えば、

本当はすべてが

変わっていくのであるが、

変わりづらい波長

と言えばよいのかな。

そういうものがある。

 

私は人と向き合う時、

その両方の波長を

あるがままに

感じ取る。

 

そしてほぼほぼ

その「波長」によって

私自身の対応を

決めている。

 

こうやって書くと

なんか動物みたいだが、

人間も動物であり、

そういった感性は

本当は誰もが持っている。

 

私はおかげさまで

本当に多くの人達と

向き合い続けてきたので、

いつしかそういうことが

できるようになった。

 

はっきり言うと、

見た目よりも

波長を捉えた方が

本質を千倍も捉えることが

できるのだ。

 

そして

次のようなことも

実感できる。

 

「波長と波長の共振」

だ。

 

つまりは、

同じような波長を持つ

人同士は

やはり近づいていく。

 

そして時には

それが共鳴、共振し、

相乗効果を発揮しながら、

まったく新たな波長を

生み出すことさえ

ある。

 

それが人間関係の

面白さであり、

組織の面白さ

とも言える。

 

私はその、

相乗効果を発揮する

人同士のペアを

探し当てるのが

得意だ。

 

人生においても

仕事においても。

 

お互いが無理に

波長を合わせながらも

頑張る人達がいるが、

 

その場合は、

変わらない波長と

変わる波長の

両方を感知しながら、

 

その人達が協力をし合う

タイミングは

今が本当に良いのだろうか?

「直観」する。

 

そしてタイミングが

今ではないと感じた時は、

あえて

距離を離すことを

ご提案する。

 

人と人の

距離感は

とてつもなく大事だ。

 

近ければいい、

というものではない。

 

今はどの距離感で

どう関わるか?

今後のあらゆる物事の

進展度合いを大きく

左右する。

 

こういったところこそが

本当にサポートの必要な

部分ではないかと

いつも思っている。

 

波長や空気感の話を

し出すと、

止めどがなくなるくらいに

無限に話が広がっていく。

 

しかしそれは

「直観」というテーマに関しては

とても重要な要素となるので、

 

そんな視点からも

ポツポツと

ここで書いていこうかと

思っている。

 

つづく

 

この人はきっと幸せになるな

 

きっとこの人には

良いことが

あるだろうな。

 

そう思える人は

そう思える空気感を

まとっている。

 

もちろん

逆もある。

 

この人は苦労する

だろうな、

とすぐわかる。

 

これは私だけが

わかるのではなく、

誰もがそういうの

何となくわかるよね。

 

その違いは

一つには

その人のコミュニケーションの取り方、

もしくは

人との接し方や向き合い方

を見ていればわかる

というのもあるし、

 

もっと直観的なもの、

本当にただただ感じる

空気感そのもの

でもわかるよね。

 

この人はきっと

幸せなことがたくさん起こる

人生になるな。

 

この人がすることは

きっと上手くいくことが

多いだろうな、

 

と思える人の

空気感は

あえて一言で言えば

 

「オープン」

 

ということに

なるのかな。

 

でもこれは、

自分の感情を

表に出すとか、

声が大きいとか、

そういった表面的な

ことではない。

 

別の言葉にすれば

 

「取っつきやすいな」

 

とか

 

人として

「可愛らしいな」

 

とか

 

「軽くて明るいな」

 

とか。

 

・・・わかりますよね。

 

「この人とはずっと

一緒にいたいな」

 

「この人と一緒に

いるとなんか

幸せだな」

 

「この人は

居心地いいなぁ」

 

と、何となく

こちらは思うし、

何となく

 

「この人好きだなぁ」

 

となる。

 

あの空気感は

どこから来るのだろう?

 

ということなんだけど、

これは実は

私の中では実にシンプルな

答えがある。

 

そうそう、

「真本音度合いが

高いかどうか」

ということだ。

 

つまり、

「その人自身が

自らの真本音に

素直に生きているか」

ということで、

ほぼすべてが決まる、

 

のだ。

 

これが私の

現場(人生や仕事の現場)

で得た結論で、

これは変わらないな。

 

これ以外の答えは

ない、といっても

言い過ぎではないと

思えるな。

 

・・・・・・

 

私は何のために

人や組織のサポートを

させていただいているか?

問われれば、

 

「真本音度合いを

高めるため」

 

というこれまた

実にシンプルな答えを

私は持っている。

 

はっきり言って、

これ以外のことは

実は何もやってないんじゃ

ないか、と

 

最近、改めて

思うようになった。

 

というのも、

最近、本当に

クライアントさん達が

一気に真本音度合いを

高めている。

 

そのちょっと劇的な変化を

ここのところ

毎日のように

体験している。

 

コツコツと

サポートし続けてきたことが、

一気に花開く

という瞬間が

いつかは来るものだが、

 

今はそういう人達が

重なっているという

ことなのだろうけど。

 

それにしても

日々、

あまりにも気持ちが

いい。

 

「真本音度合いを

高める。」

 

・・・ほんと、

もうこれしかないね。

 

これさえできれば

何とでもなるような

気がするな、

みんな。

 

つづく

 

変わり始めはここから

真本音度合いが

高まり始めた人は

すぐにわかります。

 

まず、それは

目に出ます。

 

目の輝きに

出ます。

 

どのように出るかと

言いますと、

 

一番近い表現は、

 

「無邪気になる」

 

・・・かな。

 

目の輝きが

無邪気に

なるのです。

 

ある意味、

まるで子供のような

純粋な目。

 

最初は

常にそういった目を

するわけではありません。

 

最初に現れるのは

笑ったその瞬間です。

 

大笑いの必要も

ありません。

 

ほんのわずか、

クスッと笑ったり、

かすかに

微笑んだり。

 

その瞬間に、

無邪気な輝きが

放たれます。

 

そこを私は

見逃さないように

しています。

 

その輝きが

生まれた瞬間から

私のサポートは

次のステップに

入ります。

 

・・・・・・

 

目の輝きの次は、

その人の

「空気感」

となって現れます。

 

空気感とは、

その人の全身から

放たれ続ける

雰囲気のようなもの。

 

それがやはり、

「無邪気」に

なるのです。

 

すると途端に、

その人のそばに

ずっといたくなります。

 

人として

その人を

好きになって

しまうのです。

 

真本音度合いが

高まると、

多くの場合は

ご本人は自分の変化には

気づきません。

 

それよりも、

「なんか、周りの私への

関わり方が変わった

気がします」

と言い始めます。

 

時には面白いことに、

「最近、周りの人達が

良くなったんですよ。

みんな、

成長してるんですね」

なんて、言い出します。

 

いやいやいや、

あなたが変わったんですよ、

と私は笑って

お答えします。

 

その瞬間はいつも

とても幸せですね。

 

つづく

 

自信がないからできない? 傲慢だねぇ

「ラポール」という言葉があります。

 

臨床心理学で使われる用語なのですが、

コーチングの世界では「信頼関係」と訳されます。

 

もともとは、「心と心がつながる」とか「心が通い合う」

という意味だそうです。

 

私は、いつもこれをあえて

「本能的信頼関係」

と表現しています。

 

人が人を信頼する多くの場合は、

何らかの理由があります。

 

例えば、

仕事ができるから信頼できる、とか、

約束を守る人だから信頼できる、とか、

器が大きいから信頼できる、とか、

物事を必ずやり遂げるから信頼できる、とか。

 

しかし「本能的信頼関係」とは、

そういった理由や根拠はありません。

 

何となく、この人いいな。

何となく、この人好きだな。

何となく、この人と一緒にいたいな。

何となく、この人と通い合いたいな。

何となく、この人と心を開いて話したいな。

 

そのように、明確な理由がないのに、

初対面で会ったその瞬間からそう思える時が

あります。

 

それを「本能的信頼関係」と呼んでいるのですが、

その原因のほとんどは、その人の放つ

「空気感」

です。

 

生田さんが、平井さんのことを

まるで別人に生まれ変わったようだ、と感じた

最大の要因も、

平井さんの発する空気感の変化でした。

(→前回記事)

 

もともと、「人間不信」とも言える冷たい空気感を

持っていた平井さんが、

「人間愛」とも言えるようなあたたかい雰囲気を

醸し出すようになりました。

 

そうなれた最大の原因は、

平井さんが自分自身を許すことができた

からです。

 

言葉を変えると、

平井さんが、自分自身とのラポールを構築できた

からなんです。

 

自分自身とのラポール。

 

私は極端に言えば、人生の8割は

これで決まると思っています。

 

自分のことを自分が信頼できるか?

 

です。

 

ですがこの信頼とは、あくまでも

本能的信頼であって、

私はこんな能力があるから自分を信頼できる、とか

私はこんな経験を積んできたから自分を信頼できる、とか

私はこんな個性だから自分を信頼できる、とか

そういった理由付きの信頼ではありません。

 

ただただ、心の底から

自分を信頼できるかどうか?

です。

 

残念ながら、そういった意味で

自分のことを本当に信頼できている人は

非常に稀です。

 

これはいわゆる「自信」とは

関係がありません。

 

むしろ私の経験から言えば、

自信のある人ほど、

自分自身への本能的信頼感が少ない

という傾向があります。

 

自分自身への本能的信頼感がないが故に

それを満たしたいが故に物事に頑張り

経験を積み、

「自信」を得てきている人が多いのです。

 

しかしどれだけ自信を得ても、

自分自身への本能的信頼は増えません。

本能的信頼が枯渇しているから

自信の持てる自分でい続けよう、とします。

 

そんな人が多いのです。

 

自分への本能的信頼を得ている人の多くは、

自信があるとかないとか、

そんなことは関係ない、という感じです。

 

そういう人は、よく自信のなさからくる不安を

感じ取ります。

ですから、自分は弱いなぁ、という自己イメージを

持っている人が多いです。

 

しかし、自信とはまったく別の次元で、

「確信」が湧いてきます。

 

その確信に基づいて、行動をします。

 

つまり、

自信と確信は、まったくの別物です。

 

確信に基づいて生きている人ほど、

自信のあるなしは、

関係なくなります。

弱い自分だろうが、強い自分だろうが、

関係なくなります。

どちらにしても、自分の行動や選択は

変わらないからです。

 

平井さんは言われます。

 

「以前よりも今の方が私は

自信がないと思います。

正確に言えば、自信のない自分を

あるがままに感じることができるようになりました。

あぁ、自信がないんだなぁ、私は、と。

しょうがないなぁ、私は、弱いなぁ、私は、

と思いながら、でも行動を変えることはしません。笑」

 

私は、これこそが

人の本当の強さ

だと思います。

 

自信があるからできる。

 

というのは、本当の強さではないと

私は思っています。

 

自信があるからできる。

自信がないからできない。

 

その次元で自分の選択をし続ける状態を

私は「傲慢」と呼んでいます。

「独りよがり」と呼んでいます。

「わがまま」と呼んでいます。

 

その次元から抜け出ることは、

すべての人が可能です。

 

その次元から抜け出て、

自分の確信によってのみ生きることで

私達は「自由」になれます。

そして、

本当に望む人生を創り出すことができます。

 

では、どうすればそんなことが

できるのでしょうか?

 

どうすれば、自分自身と

本能的信頼関係を結ぶことができるのでしょうか?

 

その答えは極めてシンプルです。

 

つづく

 

人間関係を壊すもの

平井さんの変化について、

さらに深掘りをしていきます。

(→前回記事)

 

「実は、私はあなたのことが嫌いでした」と

平井さんに告白した生田さんという部下がいます。

 

私は生田さんにお訊きしました。

 

「平井さんが最も変化されたのは

どこですか?」

 

生田さんは、じーっと考えた後で、

こう言われました。

 

「上手く言えませんが、

以前は、私は平井から全否定をされていたような

気がするんです。」

 

「全否定?」

 

「はい、そうです。

自分のすべてを否定されていたような。」

 

「どんな時に、そんな風に感じられたんですか?」

 

「多分、彼は全否定をしている気はなかったと

思います。

でも私は、彼のちょっとした一言一言に、

あぁこの人は私にいてほしくないんだ、

私のすべてが嫌いなんだ、という印象を受けました。」

 

「何か具体的なやりとりの場面を思い出せます?」

 

「う〜ん、一つ一つは本当に小さなことなんですよね。

でもその積み重ねで、私は平井のそばにいることが

本当に怖くなりました。

まぁ、いい大人ですし、仕事ですから、

そんなことは言っておれないのですが。

でも、会社に来て、平井の顔を見るのは

本当に嫌でしたね。」

 

実はこのようなケースは生田さんだけでなく、

とても多いです。

 

思い出せないくらいに小さな一つ一つの

積み重ねで、心を深く傷つけてしまうケースです。

 

「今はどうなのですか?」

 

「今はまったく変わりましたね。

大袈裟ではなく、私は平井という人間が、

一度、死んで生まれ変わったか、

体だけ同じで、中身がまったく別人と

入れ替わったか。

そんな感じがしています。

部下で年下の私が言うのもおこがましいですが、

平井を見ていると、人は変われるんだ、と

希望を持てます。」

 

生田さんの言われていることは

私にもよくわかります。

 

私は第三者ですから良いのですが、

もしこの人の部下になったら、

かなりキツイだろうなぁ、というのが

出会った頃の平井さんへの印象でした。

 

時折、彼からふっと漂ってくる空気感が、

とてつもなく冷たかったからです。

 

それを言葉で表現するのは難しいのですが、

あえて言えば、

「人間嫌い」

「人間不信」

の塊のような空気感です。

 

それが今はまったくない。

どころか、常に平井さんから感じるのは

「すべてを受け止めるあたたかさ」

です。

 

人間不信の冷たい空気感を持った人が、

ほんの些細なことでも人を叱ったり注意をすれば、

それをされた人は、

自分が全否定された、という印象を得ます。

 

それに対して、まったく同じ言葉で

注意を受けたとしても、

もし、あたたかい空気感を持った人からの

言葉であれば、

人はそこに愛を感じます。

 

管理職研修などで、

部下を上手く叱るにはどうすればよいでしょうか?

というご質問を、私はよくいただきます。

 

しかしそれは、言葉の言い回しや

テクニックではないのです。

 

自分が、「人間」というものに対して、

どのような空気感を発しているか?

で、ほぼすべてが決まってしまうのです。

 

そしてその、あたたかい空気感は、

「心を大きく持とう」とか

「自分は人格者であろう」とか

「もっと器を大きくしよう」とか、

そういった心構えレベルで出せるようになるものでは

ありません。

 

空気感を決めるものは、

「自己承認」

できているかどうか、です。

 

自分のすべてを、

自分が許せているかどうか?

です。

 

そして、

人が自分のことを最も許せなくなる

最大の要因は、

 

「自分の真本音を自分がないがしろにする」

 

ということなのです。

 

つづく