経験

経験させよ

 

私達には

「経験」しなければ

ならないことがある。

 

「経験」しなければ

先には進めない。

 

いや、

「先には進まない」

決めているのだ。

 

その「経験」を

させよ。

 

自分自身に

させよ。

 

・・・・・・

 

自分に必要な

「経験」が何か?

真本音で決めていて、

 

しかもその「経験」が

できるように

そのチャンスを自らに

与え、

 

実際に「経験」の

一歩手前まで来て、

 

その時点で、

 

「経験」から

逃げてしまう人が

いる。

 

もちろんそういった

「経験」は

勇気が必要なケースが

ほとんどで、

 

であるが故に

怖気づいてしまうので

あろうが、

 

それは実に

もったいないことだ。

 

そこで勇気の一歩を

踏み出せば、

 

その後、

一気に加速ができ、

道は拓き、

自由度は圧倒的に

増すと言うのに。

 

その一歩が

ないが故に、

もと来た道を随分と

戻らねばならなくなる。

 

それによって

人生の展開が

数年から数十年遅れる

こともある。

 

出会える人とも

出会えなくなる。

 

そんな人が

残念ながら多い。

 

しかも

増えている。

 

今、どうしても私達は

環境や状況のせいに

したくなる。

 

思うように経済活動も

できず、

皆が鬱積している。

 

しかし今だからこそ、

真剣に

考えないか?

 

このチャンスに

自分にどのような「経験」を

与えようか?

 

と。

 

つづく

 

上手くやろうなんてすんな

 

どうせ進むなら、

自分らしく

進んでほしい。

 

どうせ挑戦するなら、

自分らしく

挑戦してほしい。

 

良い結果を

望むのは

当然のこと。

 

わざと失敗する

必要はないが、

 

上手く手際よく

ぶつからずに

進もうとは

しないでほしい。

 

長い目で見れば、

 

どれだけ

ぶつかったか?

 

どれだけ

転んだか?

 

どれだけ

痛い思いをしたか?

 

によって

本物かどうかが

決まってくる。

 

もちろん

経験すればよい

というものでも

ない。

 

未経験者は

経験者には

勝てない、

などと

古いことを言うつもりも

ない。

 

だが、

君の真本音が

望んでいる経験が

ある。

 

それがあることで、

超加速できるんだ。

 

真本音が望む

経験は

存分にしよう。

 

恐れてもいい。

 

間違ってもいい。

 

挫けてもいい。

 

でも、

自分が真に

自分自身に必要だと

思っている経験は

 

存分にしよう。

 

未熟だからこそ、

できる経験があり、

 

未熟だからこそ、

得られることがあり、

 

未熟だからこそ、

開拓できるものが

ある。

 

そう。

 

人生は

開拓だ。

 

年を重ねても

開拓し続けることに

変わりはない。

 

であれば、

全力で開拓する

という経験を、

 

その気持ちの

良さを、

 

今のうちに

知った方がいい。

 

人生は

開拓だ。

 

どのレベルに

いるか?

ではない。

 

どれだけ

開拓できたか?

だ。

 

それにより

人生の満足度は

決まってくる。

 

だから、

行け。

 

私も、

行く。

 

共に

進もう。

 

つづく

 

未知の世界に向かう覚悟を

 

未知の世界

というものに対して、

不安や恐れの気持ちが

出るのが普通ですが、

それらはすべて

反応本音です。

 

私達の真本音は

未知の世界に向かう

ことに対して

至福の悦びを

得ます。

 

それが

人間の本質だから

です。

 

では、

反応本音というのは

真本音を阻害する

存在なのでしょうか?

 

いえ、

違います。

 

反応本音があるからこそ

私達の真本音は

より的確な

次への一歩を

選択することができるのです。

 

なぜなら

もともと反応本音とは

真本音が生み出した

ものだから。

 

現実と

より的確に向き合い、

より誠実に

関わり合うために

生み出したものだから。

 

つまり、

私達の心の中には

本当は

余分なものなど

一つもないのです。

 

私はよく

「手放す」という

表現を使います。

 

「余分なものを

手放すことで

本来の自分に戻っていく」

という

言い方もします。

 

しかし本当は

それすらも

「余分なもの」では

ありません。

 

それは、

「手放されるもの」

であり、

「手放されるという

役割を担うもの」

という

存在だからです。

 

そういった意味で

余分であるという

役割を演じる

必要なもの

なのです。

 

・・・・・・

 

先日、

私のあるクライアント企業様の

社員さんの一人が、

お仕事で大きなミスを犯して

泣いていました。

 

全力で仕事をしたのに、

お客様にまったく

認められないだけでなく、

ミスまで犯したと。

 

「私はこの仕事を

辞めようとまで

思いました」

 

と言いながら、

涙を流しました。

 

「でも、

そんな自分ではいけない

ことはわかっています。

辞めたいなどと考える

弱い自分ではいけないことを。

それではプロでは

ありませんから。

私はもっと強くあらねば

なりません」

 

と、その人は

言われました。

 

そして、

平静を装おうと

していました。

 

いやいやいや・・・、

 

私はそれを

止めました。

 

「あなたは健康ですよ。

何の問題もありません。

 

お仕事で失敗

したのでしょ?

 

全力を尽くしたのに

認められなかった

のでしょ?

 

ミスまでしたんでしょ?

 

泣きたくなるのは

当たり前じゃないですか。

 

私でも泣きますよ。

 

そして、

辞めたくなるのも

当たり前じゃないですか。

 

くじけるのも

当たり前。

 

そういった反応本音が

わっと出て来ている

のだから、

まったくもって健康です。

 

ですから、

もっと、きちんと

落ち込んでくださいよ。

 

中途半端に

浮上しようなんて

思わないでください。

 

ダメですよ。

前向きになっちゃ。

 

せっかくひどい心の状態に

なってるんだから、

そのままひどい状態で

あり続けてください。

 

しっかりと

超マイナス思考になって

とことんまで

落ち込んでください。」

 

そんなことを

申し上げました。

 

必要な現実が

目の前に来て、

必要な反応本音が

湧き起こっているのです。

 

ちゃんとこの経験を

「経験しきる」

ことこそが大切です。

 

それを私達の真本音は

望んでいます。

 

そして

この経験をしきることで、

必ず真本音は

発動します。

 

次へのパワーは

必ず湧き出します。

 

そして、

自分の進化のために

次に自分が

何をすればよいか?

必ず観えて来ます。

 

・・・・・・

 

私達は

私達の真本音を

もっと信じた方が

いい。

 

私達の真本音は

未知の世界に

突き進もうとしています。

 

そのために

自分にとって

最も必要な経験を

プレゼントし続けます。

 

何が起きても

自分自身の

真本音を信じ、

 

あらゆる現実と

真正面から

向かい合い続ける。

 

その生き方(行き方)を

する覚悟を持てば、

 

流れは

あっという間に

始まるのです。

 

つづく

 

これまでの経験は役に立たない

自信のある人ほど、

そろそろ

「自分の論理」を

超えましょう。

 

これまで

培ってきた経験、

経験からくる智慧、

そして

智慧に基づいた

必勝パターン。

 

それらを今は、

壊すときです。

 

これまでは、

それをすることは

人として

極めて難易度が高く、

素晴らしい経験と

素晴らしい智慧を

持った人であればあるほど、

「その先」に行くことが

ほぼ、不可能でした。

 

ところが今は、

本当に

変わったようです。

 

それは

「時代が変わった」

という表現をすれば

普通ですが、

私なりの表現を

ダイレクトにさせていただければ、

 

「実在が変わった」

 

ということになります。

 

私達の「実在」。

つまりは心の中の世界。

 

それらは深いところでは

すべてが繋がっています。

 

そして、

深くなればなるほど、

次元が高まります。

 

その、

高い次元における

私達の実在の世界の

様相が、

大きく大きく

変わったのです。

 

しかも

短期間に。

 

いえ、

正確に言えば、

それは決して「短期間」ではなく、

長い長い準備と

試行錯誤を経て

きたのですが、

「よし、もう変わってよし!」

というレベルまで来て、

変わる決断をしてからが

速かったです。

 

一気に様々なことが

変わりました。

根本的に。

 

その変わりようを

一言で表現するならば、

「実在の世界は

以前とは比べものに

ならないくらいに

安定した」

ということになります。

 

「実在」が安定すれば

もう怖いものは

ありません。

 

「実在」という

土台の上で

私達は思う存分、

私達自身を

演ずればよいのです。

 

自分の

本当に望むものを

ダイレクトに

望み、

自分の本当に納得できる

一途を

ダイレクトに進めば

よいのです。

 

これまでのあなたの

「必勝パターン」は、

まだ、「実在」が

不安定だった頃に

培ったものです。

 

つまりは、

だいぶ自分自身を

抑えながらも、

慎重に様子を見ながらも

前に安全に進む

方法だったのです。

 

ひょっとすると、

先日書かせていただいた

「真本音優柔不断タイプ」

とは、

そういった

自分を抑えながら進んでいた

人達のことを

言うのかもしれません。

 

自信がある、

ということは、

これまでのこの世においては、

「上手く進める自信がある」

ということでした。

 

失敗せずに、

自分は「実在」が不安定な

世の中においても

上手く進む自信がある、

というのが

根本的な「自信」でした。

 

しかし、

その自信と

その経験に基づいて

先に進むことは、

これからの世界においては

「スピードダウン」

に直結します。

 

これまで上手くいったことが

上手くいかなくなるどころか、

根本的に何かがおかしい、

根本的に

不調和が起き続ける、

という現実を

起こしやすくなってしまいます。

 

ですから、

私は強く申し上げます。

 

自信のある人ほど、

その自信というエネルギーを

「これまで培った

必勝パターンを

壊す」

方向に

使ってください。

 

あなたになら

それができるはずです。

 

・・・・・・

 

そのための準備として

以下のことを

してみてください。

 

まずは

自分の全身に

意識を向けてください。

 

自分の

等身大を感じて

ください。

 

それができたら、

自分の等身大から

一歩だけ

後ろへ抜け出てください。

 

自分の体を

背後から

見ている感じになります。

 

自分の等身大から

抜け出たら、

抜け出た今の自分を

「私は真本音である」

と認識してください。

 

そして真本音である

自分自身を

好きなだけ

巨大化させてください。

 

巨大化すればするほど、

目の前にあった

自分の等身大の体が

小さくなっていくはずです。

 

小さくなってしまった

自分の体を

よく見つめてください。

 

その小ささが

これまでの

あなたです。

 

これまで

あなたが培って来た

経験による智慧とは

そんなちっぽけな

ものなのです。

 

あなたが

そんなちっぽけな

ものの中に

い続ける理由は

もはや

ないのです。

 

今の真本音の

あなたのような

その巨大さこそが

あなたの

「真の等身大」

です。

 

それをよく

実感したら、

あなたの体の中に

戻ってください。

 

そしてこれからは、

自分の背後に

「真の等身大」の自分が

いることを

感じながら、

日々を過ごしてみて

ください。

 

「真の等身大」を

感じ続けることで、

あなたは自然に

これまでのあなたを

壊し、

脱皮をすることが

できます。

 

ぜひ

お試しください。

 

つづく

 

自信のない人生を送ってきた自信がある

今日ふと、

思ったんですよね。

 

私って、

自信があるなぁ、と思いながら

道を進んだことって

あったっけ?

と。

 

いや、もちろん

ありました。

 

でもそれは相当に

昔の話です。

 

いつからでしょうか。

 

ずっと

自信のないままに

生きているのは。

 

皆さんは

どう思いますか?

 

自信って

あった方がいいですか?

 

ない方がいいですか?

 

そりゃもちろん、

あった方がいいですよね。

 

私も

そう思います。

 

あった方が

楽ですよね。

 

そう思うんですけどね・・・。

 

でもそれは

顕在意識の私が

そう思っているだけで。

 

実は、

これはあくまでも

私の経験上での話ですが、

私の場合、

自信のある道を行く方が

結果として

楽ではなかったんですよね。

 

なんでかと言うと、

自信があると

余分な自分が

どんどん出てきてしまうのです。

 

こうやれば

こうなるな。

 

こんな場合は

こうすればきっと

上手く行くぞ。

 

・・・自信のある場合は

過去の経験則が

役に立ちます。

 

しかし私の場合、

そういった

過去の経験則に沿って

物事を進めると、

大概にして

ドツボにハマるんですね。

 

まぁそれは

人と向き合うお仕事を

させていただいているから

かもしれません。

 

人と向き合う私のお仕事は

過去の経験則が

ほぼ使えません。

いや、

本当は使えるのですが、

経験則で物事を進めようとすると、

大切な何かが

失われるのです。

 

大切な何か・・・。

 

それをあえて言葉に

すると、

 

「目の前の人と

共に最善の答えを見つける」

 

・・・ということでしょうか。

 

人生とは

現在進行形です。

 

人も様々です。

 

本当は

二つとして全く同じ事象や

現象は

ありません。

 

今、目の前にある一つの現実は

唯一無二

のものです。

 

これまでの人類の

過去のあらゆる場面で

一度もなかった現実が

目の前にあるのです。

 

そしてその現実は

今後の未来において

誰も経験することのない

ものでしょう。

 

すべて、

今この一瞬一瞬は

ただ、ここにあるだけ

のもの。

 

唯一無二のもの。

 

それが、

私達の人生の

尊厳だと思います。

 

唯一無二の

現実を

経験する

唯一無二の

存在が

私達人間

なのです。

 

そんな、

唯一無二に対して、

過去の経験則から

答えを導き出すことは

本来の

今この瞬間でしか生まれ得ない

宝物のような

本当の答えを

掘り起こさずに進む

ということになってしまうのだと

私は思うのです、

・・・これは経験的に。

 

ですから

いつしか私は

自分の中に「自信」という

感情が生まれた時に、

最も気をつけるように

なりました。

 

そしてちょっと

極端に言えば、

自信のない方ない方に

舵を切るように

なりました。

 

その方が

謙虚になれるからです。

 

何に対しての謙虚かと

言うと、

目の前の現実に対する

謙虚さであり、

目の前の人に対する

謙虚さです。

 

とは言え、

普段の私の行動や

振る舞いをご存知の方は

「一体、あなたのどこが

謙虚なんだ?」

と言われるかも

しれません。苦笑

 

なぜなら私は

ほとんど場合、

断定的にものを

お伝えすることが多いからです。

 

よく言われます。

 

「たけうちさんは

いつも断定的に

ものを言いますね。

よく、言えますね」

と。

 

私は、

自己弁護をする気は

毛頭ないのですが、

私の中では、

謙虚さの証が

「断定的振る舞い」

なのです。

 

私の場合、

自信があると

断定的になれないのです。

 

だって、

自信があるということは

目の前の人と

「共に最善の答えを

見つける」

ということが

できている実感が

極度に減るからです。

 

私が断定的になれるのは、

私一人の結論

ではないからです。

 

共に向き合い

共に創り出した

お互いの真本音コミュニケーション

によって生み出された

その場にしかない

唯一無二の

答えだからです。

 

それは

宝物です。

 

そんな宝物だから、

それをそのまま

表現しているだけの

ことなのです。

 

なんだ?

 

今回は、自己弁護のための

文章か?

 

いや、・・・違うな。

 

私が今、

とっても皆さんに断定的に

お伝えしたいことが

あるのです。

 

それは一言で言えば

こうなります。

 

『今はあえて、

自信のない方に進もう!』

 

です。

 

これが、現在、

多くの人達の真本音が

望んでいる

人生の指針です。

 

自信のない方向に

行くからこそ、

すべての現実と

あるがままに向き合う

ことができるでしょう。

 

そこで得られるのは、

これまで見たことのないような

自分の個性と、

自分の力です。

 

自分の

まだまだ隠されていた

可能性です。

 

そういったものを

どんどん自ら

掘り起こしてほしいですね。

 

ですから私も

今まで以上に

自信のない方向に

行こうと思います。

 

皆さんも、ぜひぜひ

そうしましょう。

 

つづく

 

自信の持てる自分になろう、などと思わなくていい

自分に自信がないのです。

 

・・・そう言い続けるクライアントさんが

時々います。

 

どれだけ真本音度合いが上がっても

そう言い続けるのです。

 

そんな場合、

いつも私はお伝えします。

 

自信など、

ない方がいいですよ。

 

自信など、

余分なものです。

 

・・・と。

 

実際に、

高い次元の私達の意識からすると、

自信のある・なしは、

どちらでもよいことです。

 

自信があるからできる。

自信がないからできない。

ということは

一切ありません。

 

自信のある・なしは

自分の行動に関与しないのです。

 

もし、関与しているのであれば、

それは、

真本音度合いが高まっていない

からです。

低い次元の自分のみで

物事を捉えているからです。

 

ある人は言います。

 

「自信をつけるために

経験を積もう」

と。

 

もちろん経験は大切なことですが、

経験を積んで自信を得なければ

先に進めない、

というのは、現実逃避の

一種です。

 

先に進まない言い訳に

過ぎません。

 

ですから私は

「私には経験がないから進めません」

とか

「私には自信がないからできません」

と言っている人を見ると、

いつも

傲慢だなぁ、と思います。

 

もちろん、

自信満々な人を見ても

傲慢だなぁ、と感じることは

多いですが。

 

いずれにしても

自信のある・なしによって

物事の判断や選択を変えることを

私は「傲慢」と感じます。

 

今日、コーチングさせていただいた

あるクライアントさんは、

「いやぁ、私、本当に

自信ないんですよねぇ。

困ったもんですね」

と笑いながらも、

自分の決めたことをすべて

やり遂げていました。

 

やり遂げたと言っても

それが自信につながるわけでは

ありません。

相変わらず、ずっと

「自信ないんですよね」のままです。

 

そのクライアントさんに関して言えば、

自信がないが故に

すべての物事に謙虚に真摯に

対することができています。

 

その「自信のなさ」は

その人の真本音が

選んでいることだからです。

 

真本音と反応本音は

敵対するものではありません。

 

反応本音とは、もともと

現実世界で生きやすいように

という目的で

真本音が生み出したものです。

 

私達の心の中には

様々な反応本音が存在していますが、

私達の真本音は

それら反応本音を活用しながら

生きていこうとします。

 

そのクライアントさんの真本音は

「自信がない」という

自分自身の反応本音を

活用しているのです。

 

わざと「自信がない」という

心の状態をつくりながら、

すべての物事と真摯に向き合おう

とされているのです。

 

もちろん、人によっては

「自信がある」という反応本音を

真本音が活用するケースもあります。

 

大事なのはこのように、

真本音と反応本音が

つながっていることです。

 

どの反応本音を活用するか?は

真本音の自由です。

 

どれを活用するとしても

真本音が選ぶ反応本音であれば

すべて、物事は調和の方向に

進みます。

 

ですから反応本音だけを見て、

これは良い、これは悪い、

これを直さなければ、・・・

などと考えるのは、

まったく意味がないということですね。

 

ですから、

面白いです。

真本音度合いが高まれば高まるほど、

自信をなくすクライアントさんが

よくいるのです。

 

その人にとっては

自信のない状態こそが、

調和を生むのですね。

 

これまでの自分の

反応本音のパターンのみを

評価判断し、

そのパターンを変えよう、とすることは

まったく意味がありませんし、

そこにエネルギーを費やす必要は

ありません。

 

それよりも、

自分の真本音を理解することです。

 

自分の本当の想い

本当の願いを

自分自身が理解することです。

 

つまりは、

真本音度合いを自ら上げる

ことです。

 

私達の真本音は、

・・・つまりは、現時点で最も高い次元の

私達の意識は、

低い次元の意識達を

活用します。

 

高い次元から低い次元まで

様々な意識に溢れるのが

私達人間です。

それこそが、

人間の面白さです。

 

低い次元を否定するのではなく、

そこにあるすべてを活用することが、

人として生きることを

楽しむことではないでしょうか。

 

人間を味わう、

ということではないでしょうか。

 

つづく