2017年 12月 の投稿一覧

表面を観察し、その奥にあるものを理解する

前芝さんには実は、先天的に

リーダー的要素や、開拓者としての性質が

備わっているにも関わらず、

まったくそれに気づかず、

むしろムードメイカーや縁の下の力持ち、

もしくは、人のサポート役としての彼を

ずっと育てようとしていたことに、

木村さんも弓江さんも少なからず

ショックを受けたようです。

(→前回記事)

 

しかしそれは

本当によくあることなのです。

 

表面にいつも現れる個性が、

その人のすべてではありません。

しかし、

そんなことはわかっているにも関わらず、

私達はついつい、

その人の表面上の振る舞いのみに

目を奪われます。

 

その振る舞いが、その人そのものである、

と勝手に思い込みます。

 

私が、どこの企業様のサポートに入っても

必ず、

『真本音と反応本音』

という概念をお伝えするのは、

その「思い込み」を超える目的が

あるのです。

 

「人の心には、

真本音と反応本音がある。」

・・・これは、視点を

与えているわけです。

 

この視点を持つだけで、

表面上に現れる振る舞いのほとんどは

「反応本音だな」

という見方になります。

すると、その後に必ず、

「では、その人の真本音は何だろう?」

という、一歩理解を深めようとする

眼差しが自然発生します。

 

もしくは、

「今のこの人の振る舞いは、

真本音によるものだろうか?

反応本音によるものだろうか?」

という目線で、

人を見ることもできるようになります。

 

こういった「区別」をしようとする

視点を持つだけで、

物事の見え方は随分と変わります。

 

そして、

真本音と反応本音という言葉自体を

社内の共通言語とすることによって、

ミーティングなどの議論も、

明らかに深まります。

 

例えば、営業ミーティングでも、

お客様の声にそのまま御用聞きのように

お応えするのではなく、

「あのお客様は真本音では

何を望んでいらっしゃるのだろうか?」

ということを徹底的に発想し合います。

すると、

非常にシンプルでかつ、奥の深い

ご提案につながります。

 

ただし、

その人の真本音を理解するためには

その人の反応本音と

反応本音に基づく振る舞いを

あるがままに観察することが重要です。

 

観察によって、

直観的に、その人の真本音を

キャッチすることができるからです。

 

その人の真本音とは、こちらの解釈によって

明らかになるものでは

決してありません。

 

「その人の真本音とは何だろう?」と

考え続けることは大事ですが、

考えながら理屈で導き出すものでは

ありません。

思考と観察を繰り返しながら、

自然に直観として明らかになるものです。

 

こういった、

真本音キャッチの方法も訓練が

必要です。

が、コツさえわかれば、誰もができるように

なります。

 

私は、すべてのビジネスマンが

これができるようになれば、

世の中にはもっともっと

本質的に人が幸せになれるビジネスが

増えるはずだと確信しています。

 

木村さんと弓江さんは

少し自信をなくしてしまったようですが、

こういった一歩一歩も訓練の内です。

 

私たちは、さらに真本音の視点から、

前芝さんについて

発想を続けました。

 

つづく

 

本来の個性とは別のものを、自分であると思い込む

どうも前芝さんは、側から見ていても

人生のテーマがわからなくなってしまうくらいに

真本音度合いが低まっているようです。

 

「前芝さんの本来の個性、

天性の個性、

先天的な個性

は何だと思いますか?」

(→前回記事)

 

「先天的な個性ですか・・・。

ここまで考えていると、

彼については何が何だか

わからなくなってきましたね。

私が個性だと思っていたものも、

とても表面的なものだと

感じてしまいます。」

・・・と、弓江さん。

 

「ちなみに、

その表面的な個性というのは

どのようなものですか?」

 

「はい、

先ほど申したのと同じになってしまいますが、

素直さとか、明るさとか、

ムードメイカーの力とか。」

 

「でも、どうもそれは今となっては

本質的な個性ではないということですね?」

 

「そうですねぇ。

彼の本当の個性は何だろう?・・・」

 

ここで木村さんが

口を開きました。

 

「実はですね、

ちょっと私は彼に関しては

感じていることがありまして・・・。」

 

「どのようなことですか?」

 

「はい、今ふと思ったんです。

今の今まで明確に気づいていたことでは

ないのですが、今、

あっそっか、とちょっと思ったことがあります。」

 

「ほう。」

 

「実は私は、

彼は笑っている時よりも、

真剣な表情をしている時の方が、

魅力的ではないか、と。」

 

「おぉ、なるほど!」

 

「本当に時たまですが、

ハッとするくらいの魅力的な顔をする時が

あるんです。

もちろんその逆に、

暗さの漂う表情をする時もあります。

そのギャップが激しいですね。」

 

「彼はどんな瞬間に、

その真剣で魅力的な表情を見せるか、

わかります?」

 

「う〜ん、どんな時でしょう・・・。」

 

「一番最近で、その表情を見たのは

いつか思い出せます?」

 

木村さんはしばらく

じっと考えていました。

 

「・・・、あぁそうか。思い出しました。

先日、前芝と一緒にあるお客様と

打合せをしていたのです。

その時に、お客様が前芝のことを

頼りにしている、というようなことを

おっしゃったんです。

その言葉を受けた瞬間の彼の表情が

とても良かったのです。」

 

私はこの時、

前芝さんの「実在」に意識を向けながら、

木村さんのお話を聴いていました。

 

すると木村さんのその言葉の直後に

前芝さんの先天的な個性が

直観的に、彼の「実在」から伝わってきました。

 

「あぁ、わかりました。

彼の先天的な個性が!」

 

「ホントですか!」

 

「なるほどぉ。

これはなかなか・・・。」

 

「何ですか? 彼の個性は?」

弓江さんはとても興味深げな表情です。

 

「開拓者、です。」

 

「開拓者!?」

 

「はい。

道なきところに道を創ろうとするのが、

彼の本当の個性であり、強みです。

恐らく、これは間違いありません。」

 

「へぇ・・・、そうなんですか。

まったく、今の彼とは真逆ですね。」

 

「はい。

先ほどわかった彼の人生のテーマである

“純粋に人をリードする”

というのも、この個性に基づいている

ものだと思います。」

 

「そうかぁ・・・。」

と木村さんは深い溜息をつきました。

 

「いやぁ・・・。

彼自身もそんな個性が自分にあるとは

思ってもいないと思いますが、

私もまったく気づいていませんでした。

でも、今言われると、一方では

確かに!と思えるから不思議です。」

 

「私も、今言われて、

まったく違和感がありません。

やはり何となくわかっていたんですね、

私達も。」

 

「しかし、ついさっきまで私は前芝の個性を

リーダーとは真逆なものだと

思っていましたら、その真逆なものを

育てようと思い続けていました。

本来の彼の個性ではない部分を、

周りが育てようとしていた、ということですね。

こういったことはよくあることなのですか?」

 

「はい、とても多いです。

本来その人が持っている個性とは

まったく別のものを、

本人も周りも育て続けるケースですね。

残念ながら、企業ではとても多いです。

で、その別のものを

自分の個性だ、と誤解しながら生きるのです。」

 

つづく

 

現実逃避に真剣になっている人がいる

「前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

との問いに、木村さんと弓江さんは

ほぼ同時に

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

と答えました。

(→前回記事)

 

弓江さんが言います。

 

「真本音がない人というのは

いるのでしょうか?」

 

「それはないですね。

真本音がなければ、人間として

ここに存在すること自体ができません。」

 

「でも、真本音のテーマ、と問われて

わかったのですが、

彼から真本音をまったく感じないのです。」

 

木村さんも頷いています。

 

「それは恐らく、

真本音が反応本音の中に完全に

埋もれてしまっているのでしょう。

それだけ彼の状態や

これまでの生き方が

彼にとって良くないということですね。」

 

私は前芝さんの「実在」に意識を

向けました。

 

完全に埋もれてしまっている真本音でも

確かに存在はするのです。

 

しばらくじっと彼の「実在」に意識を

向け続けていると、

何となく、彼の真本音のテーマが

伝わって来ました。

 

「前芝さんの実在から直観的に

わかった彼の真本音のテーマですが、

それは恐らく、

”純粋に人をリードする”

だと思います。」

 

「リード、ですか!」

と、二人はびっくり。

 

「今の彼と真逆ですね。」

 

「だから真本音が隠れてしまった

のでしょうね。」

 

「ということは、彼の真本音度合いは

今はかなり低いということですね?」

 

「そうです。

低いです。」

 

「ということは、

彼が要(かなめ)になるということは

あり得ないということですね?」

 

「いえ、そうとも限りません。

真本音度合いの低い人が

真本音度合いを高めることで、

一気に開花し、

組織の要となって大活躍した、

という例がいくつかはあります。

反動が大きい分、影響も大きいのです。

ただし、それはあくまでも

稀なケースですが。」

 

すると、

木村さんが言いました。

 

「たけうちさん、

埋もれてしまっている彼の真本音を

掘り起こすことはできるのでしょうか?」

 

「それはもちろんできますよ。

ただし、どれだけ時間がかかるかは

未知数です。」

 

真本音が完全に埋もれてしまっている人

というのは、実は結構います。

そういった人は皆、

「現実逃避」

に入ります。

 

変な表現ですが、

「現実逃避に真剣になる」

のです。

 

そうなるともう、

自ら真本音度合いをどんどん

落としていくことになります。

 

ただし前芝さんの場合は、

まだそこまでのひどさは感じませんでした。

 

彼の場合はまだ、

ある程度の刺激によって

真本音が顔を覗かせそうです。

 

しかし、どのような刺激を

入れれば良いか?については

直接お会いしなければわかりません。

 

私はもう一つ、

お二人に訊きました。

 

「前芝さんの本来の個性、

天性の個性、

先天的な個性

は何だと思いますか?」

 

つづく

 

見せかけの人生は苦しいだけ

「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

この唐突な私の問いに、二人は

えっ?という顔をされました。

(→前回記事)

 

弓江さんが口を開きました。

 

「多分、もうちょっと前に同じ問いを

私が受けていたら、

前芝は、人のことが好きです、

と答えていたと思います。」

 

「でも今は違うと?」

 

「はい。

前芝に対する印象が、私はかなり

変わった気がします。

極端な言い方になってしまいますが、

彼は、人が嫌いなのではないかと

今は思ってしまいます。」

 

「なぜ、彼は人が嫌いなのでしょう?」

 

「恐らく、自分のことが

嫌いなのではないかと・・・。」

 

「でも、彼自身はそのことに

気づいていないわけですね。

自分が自分を嫌っていることに

フタをしている・・・。」

 

「はい、そう思うと、

いろいろと合点のいくことがあります。」

 

「例えば?」

 

「いつも彼は明るい雰囲気なのですが、

ふとした瞬間に、暗さが漂うことが

あるのです。

ちょっとした表情に現れるんです。

険しさとか、深刻さとか。

これまで別段、それを私は気にして

いませんでしたが、

今は、そこに違和感を覚えます。」

 

「なるほど。」

 

「それから、ミーティング時や報告を受ける時に

彼の意見が、ちょっとおかしくなることが

あるのです。」

 

「おかしくなる?」

 

「はい。上手く説明できませんが、

本質とズレズレの意見が突然、

彼の口から出ることがあるのです。

そんな時は一瞬、

なんで今ここでそんなことを言うのだろう?とか

なんでそんなに話をズラすのだろう?とか

少し私はイライラすることもあります。」

 

「なぜズレるのでしょう?」

 

「これも想像ですが、

恐らく彼は、人から叱られるのが

とてもいやなのだと思います。

叱られないための無難な意見を言おうとして

的外れになるのだと思います。」

 

ここまでの弓江さんのその分析は

私もかなりしっくり来るものがありました。

 

人は、何かを避けるためにものを言ったり、

何かを誤魔化すための意見や、

その場しのぎの刹那的なやりとりをすると、

ほぼ必ず、「的外れ」になります。

 

意識が相手に向かわないからです。

上手くこの場をやり過ごそうとする

自分自身の意図にばかり

意識が向くからです。

 

そう考えると、どうやら前芝さんは

人からの評価を気にし過ぎる傾向に

あるのかもしれません。

 

そしてこの傾向は、

本来の自分を包み隠して、

自分を演じることをする人ほど

顕著に現れます。

 

かなりひどい言い方をすれば、

見せかけの自分で生きる人は、

見せかけのコミュニケーションを取ってしまう、

ということになります。

 

実は、前芝さんだけでなく、

一見、いつも明るい雰囲気や

素直さを出している人の中にこそ、

そういったタイプの人がいることを、

私は数多く見てきました。

 

そしてそのタイプの人は概して、

非常に濃いストレスを内面に抱えている

可能性があります。

 

私は、次の問いを

投げました。

 

「では、前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

木村さんも弓江さんも

しばらくじっと考えていましたが、

二人はほぼ同時に

同じことを言いました。

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

つづく

 

それは本当の素直さだろうか

「素直な自分であろう」

とすることと、

「本当の素直」

は、

実は根本的に似て非なるもの、

まったくの別ものです。

 

私達人間が、「本当の素直」を手に入れれば、

すべてが楽になります。

自由になります。

何の気負いも無理もなくなります。

 

しかし、「素直な自分であろう」とすると、

私達は疲れます。

「あろう」とすればするほど、

心の奥にストレスが生じ続けます。

 

一見、表面的には両者は

似ているかも知れません。

しかし、

見る人が見れば、

真逆であることが、感じ取れるはずです。

 

残念ながら、前芝さんは、

「素直な自分であろう」タイプのようです。

(→前回記事)

 

「弓江さんは前芝さんに

どんな風に成長してもらいたいですか?」

 

「そうですね・・・。

私は彼はムードメイカーだと思っています。

彼がいると場が明るくなります。

そういった部分はそのままで、

でも、もっと強くなって欲しいですね。」

 

「それは、どのような強さですか?」

 

「揺るがない大木のような

強さです。

何が起きてもビクともしないような。」

 

「今はその要素はあまり

ないのですね?」

 

「そうですね。

今日この場で初めて気づいたのですが、

いつも彼はビクビクしているのかも

知れません。

そういった雰囲気は出しませんが。」

 

「なぜ彼はビクビクしているか

わかりますか?」

 

すると木村さんが言われました。

 

「これはちょっと以前の私に

似ているのかも知れません。

自分を演じている、というか。

仕事の中での自分を形作っている

というか。

それを良かれと思ってやっていると

思うのですが、それは実は

とても辛いことです。

自分を演じる、って

どこかにいつも後ろめたさを伴うものですから。

私はそれを身をもって知ったわけですが。

彼も同じかも知れません。」

 

「なるほど。

彼は何か趣味はあるのかな?」

 

「そういえば、そういった話をしたことが

ないですね。

彼のプライベートなどはよくわからないです。

一緒に飲みに行って、馬鹿騒ぎをすることは

ありますが、よく考えたら、

馬鹿騒ぎするだけで、私は彼のことを

何も知りませんね。」

 

恐らく前芝さんは、

意図的に仕事とプライベートを区別して

いるのでしょう。

それはそれで悪いことではありませんが、

区別し過ぎて、自分自身が苦しくなるのは

勿体無い話です。

 

人は、どんな時も

本来の自分を発揮しながら活躍できることが

自然な喜びとなる生き物です。

 

「弓江さん、

ここまでの話以外で、彼の長所は他に

ありませんか?」

 

「う〜ん・・・。

彼は、敵をつくらない、というところでしょうか。」

 

「誰とでも連係できる?」

 

「はい。

でもそれは一方から見れば、

短所にもなってしまいますね。

ただの八方美人になる場合もありますから。」

 

弓江さんは最初、

前芝さんのことを「要になり得る」と

言われていましたが、少し

自信がなくなってきたようです。

 

ただ、ここではそういった結論は

あえて出しません。

 

ここで私は直観的に

一つの質問を口に出しました。

 

「前芝さんって、

人のことが好きなのでしょうか?」

 

二人は、

えっ?という顔をされました。

 

つづく

 

心は込めているのに、魂が込められない

新規事業プロジェクトメンバー一人一人について

私は、木村さんと弓江さんと

語り合っています。

 

まずは、日下部さんについて

充分な語り合いができたと、

私達の中で、完了感が生まれました。

(→前回記事)

 

「たけうちさん、

次は、前芝(まえしば)について

考えたいのですが。」

 

「じゃあそうしましょう。

どんな方ですか?」

 

「まだ若いです。25歳の男性社員です。

しかし私は、彼がどう頑張るか?で

新規事業プロジェクトだけでなく、

全社に与える影響が大きい気がしています。」

 

「ということは、弓江さんからしてみれば、

彼こそが、要となる社員だと思うんですね?」

 

「そうです。」

 

「どんなところで、

そう思われるのですか?」

 

「彼はとにかく、素直なんです。」

 

「へぇ。」

 

「若い、ということもあるでしょうが。

でも、根っからの素直さがあるように

思うんです。」

 

「なるほど。

具体的にはこれまで、どんな場面やどんな瞬間に、

彼の素直さを感じましたか?」

 

「例えば彼は、お客様からの受けが

とても良いのです。

みんなが彼のファンになります。

彼の力になりたい、と思うようです。」

 

「おぉ、それは凄いですね。

彼のどんな振る舞いが、そうさせていると

思いますか?」

 

「たけうちさんの言葉を借りて言えば、

彼は、向き合う、ということが

できるのだと思います。

いつも堂々とお客様と向き合って、

しかも、相手の話を親身になって聴いて、

しかも、言われた期待には必ず答えようとします。

自分が言ったことも、必ず実行します。」

 

「それは、なかなか期待できる人ですね。」

 

「ただ・・・。」

 

「ただ?」

 

「はい、ただ・・・、私はなんかちょっと彼が

無理をしているようにも思うんです。」

 

「どんな風に?」

 

「ちょっと、従順過ぎると言いますか・・・。」

 

この辺りで私は、

前芝さんの「実在」を感じ始めました。

 

まるで、本人が目の前にいるかのような、

感覚があります。

 

私は、その「実在」に意識を

向けました。

 

そして私も感じました。

あぁ彼は、相当に無理をしている、と。

 

「なるほど。

私も直観的に、彼はかなり無理をしている

気がしますね。」

 

「はい。

彼の素直さは、本当に素晴らしいと

思うのですが、実はかなりストレスを

得ているのではないかと、

少し心配になります。

いつも前向きだし、笑顔も絶やさないし、

ムードメイカーなんですけどね。」

 

「では、

直観的にお答えいただきたいのですが。」

 

「はい。」

 

「彼の真本音と、今の行動は、

ズレがありますか?」

 

一瞬、弓江さんは目を閉じました。

 

そして明確に答えました。

 

「ズレズレです。

・・・そうか。

ズレズレなんだ。

あれだけ頑張ってるのに・・・。」

 

「木村さんは、どう思われます?」

 

「そうですね。

彼はある意味、とても器用なんだと

思います。

時々、世渡りが上手いなぁ、若いくせに、

と思うことがあります。

でも、かと言って、不快に思うことは

ほとんどないのですよ。

彼の素直さの方が強調されている

気がします。」

 

恐らく、前芝さんという人は、

軽薄な人ではないのでしょう。

一つ一つの物事に、心を込めて

取り組むことは間違いないと思います。

 

しかしそこには、

魂が入っていない・・・。

 

心は込められているのに、

魂は、入っていないのです。

 

実は、こういったタイプの人を

私は随分と多く見てきました。

 

実は、こういった人ほど、

若いうちはまだ良いですが、

年齢を重ねるに従い、

かなりの強烈なストレスに

苛まれるようになるのです。

 

つづく

 

人生のテーマからずれた生き方は、人を疲弊させる

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

(→前回記事)

 

しかしさすがに弓江さん。

私の唐突な問いにも慣れてきたようです。

 

私が問う、ということは、

その人から今、答えが出る、という

確信を持った上での投げかけです。

どれだけ唐突に感じる問いでも、

必ず答えが出るはずだ、

・・・と、

弓江さんは信じられるようになったようです。

 

彼女は、一度目を閉じてから、

心を落ち着かせ、

すぐに答えました。

 

「ちょっと意味不明なのですが、

“夢”という言葉が浮かんできます。

夢に向かう、ということでしょうか。」

 

それを聴いて、私はピンと来ました。

 

「日下部さんという人は、

探究心が旺盛な方ですか?」

 

「あっ、そうですね。

それは言えると思います。」

 

「夢に向かう、ということよりも、

“夢の探究”ということではないでしょうか?」

 

「“夢の探究”・・・。

それは、どういうことでしょうか?」

 

「日下部さんは、恐らく、

物事の本質を突き詰めることに

喜びを感じる人だと思うのです。

ですから例えば、

夢とは何だろうか?

とか、

我々のチームは、どのような夢を持つことで

活性化するだろうか?

とか、

少し客観的に、夢というものを

突き詰めていく。

そんなテーマを持っている人のような

気がします。」

 

「それは、単純に自分の夢に向かいたい!

というのとは少し違うのですね。」

 

「そうですね。

彼からは、客観性を感じます。

客観的になればなるほど、彼は力を発揮する

のではないでしょうか?」

 

「あぁなるほど! それは確かに言えます。

彼はいつも、参謀的な立場に立つと

いつもイキイキしていたように思います。

ということは、彼は今、

客観的になれていないのかな?」

 

「その可能性はありますね。

チームのメンバーが半分になってしまった

からなのか、それとも

他の何かしらの理由があるのか。

それはわかりませんが、

今の彼の心の立ち位置は、本来の彼のものとは

異なっている可能性はありますね。」

 

すると木村さんが

口を開きました。

 

「あぁ、何となく、すごく腑に落ちます。

彼には今、このチームの未来が

見えなくなってしまっているのかな?

ひょっとすると、売上云々のことだけでなく、

もっとチームの未来について、

我々は語り合った方が良いのかもしれません。」

 

「それは良いですね!

あとは単純に、日下部さんに、

このチームは、どんな夢に向かっていけば

良いと思う?

・・・という問いを投げ続けるのも

彼の活性化につながるかもしれません。」

 

ここまでお話しできた時点で、

私の中に「完了感」が湧いて来ました。

 

日下部さんに関しては、

ここまでの語り合いでOK、という

真本音レベルでの合図です。

 

あとは、実際に日下部さんとお会いして

そこで何を感じるか?を

大切にすればよいでしょう。

 

日下部さんについて、

この二人コーチングの場で見えて来た

仮説としては、

まとめると、以下のようになります。

 

・・・・・・

日下部さんはどうやら、

チームのメンバーが半分に減らされた辺りから、

真本音度合いを落としているらしい。

具体的には、

物事に対して逃げ腰になり、

助けを求めるような精神状態にありそうだ。

そうなってしまった根本的原因として考えられるのは、

彼自身の真本音のテーマである

『夢を探究する』

という意識が、薄れてしまっている状態であり、

彼自身の特性としての、

『客観的な視点を持つ』

という本来の立ち位置から

今の彼はズレてしまっているから。

・・・・・・

 

これはあくまでも仮説です。

しかし、彼の「実在」を感じ取った上での仮説

ですから、

彼と向き合う上での一つの重要な視点には

なるでしょう。

 

あとは実際に彼と向き合うことで、

見えてくることは多いと思いますし、

その視点から彼と向き合うことで、

彼がチームにとっての「要」となり得るかどうか?が

判別できるはずだと、私は読みました。

 

つづく

 

ほんの些細な変化の奥にこそ、何かがある

「ところで弓江さん。

日下部さんは、何かから逃げているようにも

私は感じるのですが、

心当たりはありませんか?」

 

「どうしてわかるんですか?」

 

弓江さんはまた同じセリフを

吐きました。

(→前回記事)

 

「今、たけうちさんから『逃げている』という

言葉を聴いて、あぁなんかぴったりだ、

と思いました。

最近の彼は、確かに逃げている感じが

します。」

 

「どんな時にそれを感じますか?」

 

「これもちょっとしたやりとりの中で

感じることですが。

仕事の役割分担の打合せをする時などに

何となく、逃げ腰なんですよね。

木村リーダーは感じません?」

 

木村さんが答えます。

 

「確かにそうですね。

ちょっと前まで彼はもっと積極的だったと

思うんだけどなぁ。

私が指示を出せば、もちろんそれは

きっちりとやってくれるんですが、

何と言うか、・・・あっそうそう、

覇気がないんですよ。」

 

「それはいつ頃からですか?

最近ですか?」

 

「そうそう、最近ですね。

やはりプロジェクトメンバーが半分に

減らされた後からかなぁ・・・。」

 

「と言うことは、彼は、

メンバーが半分になってから、

何となく逃げ腰になり、しかも

助けを求めているような雰囲気になった、

と・・・。」

 

「あからさまに彼の態度が変わった

と言うのではありません。

ほんのちょっとした感覚に過ぎないですが、

そのような変化は確かにありますね。

どうしたんだろう? 彼は。」

 

ここでも私は、

日下部さんの変化には、

プロジェクトのメンバーが半分に減ってしまった

ということ以外にも原因があるように

直観しました。

 

いずれにしても、

日下部さんの「実在」からは

淀みを感じます。

 

するとここで突然、

弓江さんが呟きました。

 

「たけうちさん、

日下部の真本音は何でしょうか?」

 

私は内心、

おっ!、と思いました。

 

「どうしたのですか?」

 

「いえ、ふと気になったんです。

彼は今、自分の真本音を大切に

できているんだろうか?って。」

 

実は、どうやら日下部さんは

最近になって、真本音度合いが

著しく落ちているのではないか?ということを

私も感じたのです。

私がそう感じたのとほぼ同時の、

弓江さんのその一言でした。

 

どうやら弓江さんも

日下部さんの「実在」を感じ取り始めている

ようです。

もっとも、弓江さん本人に

その自覚はないでしょうが。

 

そうなると、このやり取りは

さらに一歩深めることができます。

 

私はさらに一歩深い問いを

弓江さんに投げてみました。

 

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

 

つづく

 

気づいていることに、気づいていない

「弓江さん、

実は、今私が直観的に感じたことなのですが、

今、日下部さんは何か助けを求めていませんか?

そのような気配を感じたことはありませんか?」

 

日下部さんの「実在」を感じ取った私は、

直観的にそのように弓江さんに

投げてみました。

(→前回記事)

 

すると弓江さんは

とても驚いた表情をされ、言いました。

 

「どうしてわかるんですか?」

と。

 

ただし、この「どうしてわかるんですか?」

という言葉は、

あらかじめ弓江さんが

日下部さんが助けを求めていることに

気づいていた、

ということではありません。

 

私からその言葉を聴くことで、

あぁ、そう言えばそうだった、と

その瞬間に気づいたのです。

それは

薄々何となくそう感じており、

薄々気づいていたことを

しっかりと指摘されることで自覚する、

ということです。

 

こういったことは、

非常によくあります。

 

逆に言えば、私達人間は、

薄々感じているが、明確には気づいていない

ということが実に多い、ということです。

 

よく私は、

「気づいていることに、気づいていない」

という表現を使います。

 

私達は日々の中で

本当にたくさんのことに気づきながら

生きています。

にも関わらず、

自分の気づきを、きちんと自分が

拾い上げていません。

ちょっと意識すればすぐに自覚できることを

自覚しないままに進んでしまいます。

それにより、

人生のターニングポイントとなるチャンスを

逸してしまっている人は

とても多いのです。

 

『気づき力』

という言葉も、私はよく使います。

 

「気づいていることに

きちんと気づく力」

です。

 

気づき力が高まれば、

人生も仕事も

一気に質が高まります。

 

そのためには、常に自分自身の心と

向かい合っているという習慣が

必要です。

 

私はそれを

『セルフコーチング』

とも呼んでいます。

 

この時の弓江さんも、

私からの指摘によって

「きちんと自覚していなかったけど、

でも何となく気づいていたことに

今、気づいた」

のです。

 

そして、それが

「どうしてわかるんですか?」

の一言によって現れました。

 

弓江さんは続けます。

 

「そう言えば、

新規事業プロジェクトチームの人員が

半分に減らされてから、

日下部の様子がおかしかったのです。

おかしいと言っても、ほんのちょっとの

ことですが。」

 

「どのようなご様子なのですか?」

 

「時々、ちょっと思いつめたような

表情をします。

何となく、空気が重いですし。

会話をすればいつも通りなのですが。」

 

「日下部さんは、

どんな助けを求めていると思います?」

 

「本人と話をしてみなければわかりませんが、

恐らく、日下部は必要以上に

責任感を持っているのではないでしょうか。

人数が減らされたので、

自分がやらねば、と思っているのだと思います。

それ自体は良いことですが、

ちょっと深刻になり過ぎて、

神経がまいっているのかもしれません。」

 

「木村さんは、どう思います?」

 

「そうですね。

さっき弓江が言ったように、

彼はこだわりが強いところがあります。

それだけ、新規事業プロジェクトにも

彼なりのこだわりがあり、

自分がやらねば、という気持ちがかなり

高まっているのは事実だと思います。

まぁ、私がみんなを鼓舞しましたので、

それを真面目に受け止め過ぎているのかも

知れません。」

 

しかし私は、

このお二人が言ったこと以外にも

彼が助けを求める要因があるような感覚が

ありました。

 

しかしさすがに、これ以上のことは

わかりません。

ここは、実際に日下部さんとお会いすることで

明確になることだと

私は思いました。

 

日下部さんと直接関わる上での

一つのテーマです。

 

このように、

事前にリーダーからの「印象」を聴いておくことで、

実際にその人とお会いする時の

テーマや視点を得られることも多いのです。

 

それが、一歩も二歩も深い

チームコーチングにつながっていきます。

 

私はさらに、

日下部さんの「実在」に

意識を向けました。

 

すると今度は、

彼が何かから目を逸らしている感覚を

得ました。

 

私はまた弓江さんに訊きました。

 

「ところで弓江さん。

日下部さんは、何かから逃げているようにも

私は感じるのですが、

心当たりはありませんか?」

 

「どうしてわかるんですか?」

 

弓江さんはまた同じセリフを

吐きました。笑

 

つづく

 

その場にいなくとも、感じ取ることができる

木村さんと弓江さんの

二人コーチング。

 

私は今、お二人から

新規事業プロジェクトチームメンバー

お一人一人についての印象を

お聴きしようとしています。

(→前回記事)

 

「まずは木村さんにお訊きしますね。

木村さんが今、直観的にお顔の浮かぶ

チーム員はどなたですか?」

 

すぐさま木村さんは答えました。

 

「日下部です。」

 

「年齢は?」

 

「29歳の男性です。」

 

「彼についての印象をざっくばらんに

お話しください。

詳しい情報は要りません。

本当に、印象だけで結構です。」

 

「・・・そうですね。

真面目な人間です。

でもちょっと真面目過ぎるというか・・・。

物事をきっちりとやろうとし過ぎているところが

あります。」

 

「弓江さんは、いかがですか?」

 

「確かに真面目ですね。

ただ、私から見ますと、真面目さよりも

ちょっとこだわりが強過ぎる気がします。

言われたことをそのまま行なうよりも、

自分なりの考え方に歪曲してしまうというか。

頭の良い人だと思いますが、

時々、かなりずれたことを言ったりやったりします。」

 

「良いところはありませんか?」

 

「妥協しないところですね。

サボろうとか、適当にやろうとか、

そういったところがありません。

実にコツコツと、決めたことをやり続ける

というところがあります。」

 

「彼との仕事はやりやすいですか?」

 

木村さんが答えます。

 

「やりやすい時と、そうでない時の差が

大きいかも知れません。

私の意図と、彼の意図が合致する場合は

とてもやりやすいですが、

そうでない場合は、そこを修正するのに

かなりの時間がかかります。」

 

「弓江さんはいかがですか?」

 

「仕事のやりやすさは、何とも言えませんが、

彼としゃべるのは、結構楽しいです。

時々、意見がぶつかることもありますが、

彼は彼なりに考えて、しっかり意見を言うので、

有意義な時間になります。」

 

「彼の仕事における悩みは何だと思いますか?」

 

そこで、二人とも「えっ?」という表情に

なりました。

あまりそういった視点で考えたことが

なかったのでしょう。

 

やはり木村さんから答えました。

 

「う〜ん、そうですね。

どちらかと言えば、彼は自分の考えを

押し通すことが多いですから、

いかに周りを説得させるか?という

悩みが多いのではないでしょうか。」

 

弓江さんが言います。

 

「あまり彼が悩んでいる感じは

私はしません。

悩むことよりも、突き進むことの方を

彼は大事にしているように思いますね。」

 

この辺りから、私は

日下部さんの「実在」を強烈に感じ始めました。

まるで彼が

この場にいるかのような存在感を

覚えるようになりました。

 

これも、いつものことです。

ここからが、「実在コミュニケーション」の

スタートです。

 

私は、日下部さんの「実在」から、

すごく重いものを感じ取りました。

 

そこに意識を向けると、

あえて言葉にすれば

「助けてください」

と言われているような気がしたのです。

 

「弓江さん、

実は、今私が直観的に感じたことなのですが、

今、日下部さんは何か助けを求めていませんか?

そのような気配を感じたことはありませんか?」

 

その瞬間、弓江さんの顔が

驚きの表情となりました。

 

つづく

 

コミュニケーション能力を駆使して進もう

新規事業プロジェクトチーム。

木村さん、弓江さん以外の「要(かなめ)」となる

チーム員を特定するために、

私はチーム員の皆さんとお会いすることに

なりました。

 

しかしその前に、

木村さんと弓江さんのお二人から、

それぞれのチーム員に関しての印象を

聴くことにしました。

(→前回記事)

 

これは、いつも私が行なうことです。

 

まずはリーダーやマネージャーが抱いている

部下の皆さんへの印象をお聴きした上で

その皆さんと実際にお会いするという

ステップです。

 

ひょっとするとコーチによっては、

印象を聴くことで、要らぬ固定観念を

生んでしまう、

それよりもまずは、固定観念のない状態で

本人とお会いしたい、

と考える人もいるかもしれません。

 

しかし私の場合は、

まずは「印象」を聴くことを

大事にしています。

 

なぜならそれは「印象」でしか

ないからです。

 

どれだけ「印象」を聴いていたとしても、

本人と、本当の意味でしっかりと向き合えば、

その「印象」に捕らわれることは

ありません。

 

むしろ、もし「印象」とまったく異なるものを

感じた場合には、

「実際に見たもの」と「リーダーの持っていた印象」の

差が明確になります。

 

その差を知ることが、

チーム(組織)活性化の突破口となることが

往々にしてあるのです。

 

さらに私の場合は、

リーダーの方達がお話しされる「印象」の

内容そのものは、ほとんど気にしません。

 

ちょっと失礼な言い方になりますが、

「印象」そのものは、どうでもいいのです。

 

それよりも、

「印象」を語っていただきながら、

私は、そのリーダーから受ける、その部下の「実在」を

感じ取ります。

 

「実在コミュニケーション」と

私が呼んでいるものの一種なのですが、

リーダーがその人のことを語ることで、

そのリーダーを通じて、その部下本人の

「実在」のレベルにおける

現状把握をするのです。

 

例えば、その部下本人の

現時点での真本音度合いは

どれくらいか?

 

どれくらいの真剣さで

仕事に向かい合っているか?

 

チームへの調和度合いは

どれくらいか?

 

その人は、自力成長(進化)できる人かどうか?

・・・などなど。

 

本人に合わずとも、

感じ取ることができます。

もちろん、本人に実際にお会いしたほうが

よいですが、

人を介しても、ある程度わかることは

あるのです。

 

これは決して超能力的なことではなく、

人間誰しもがもともと持ち合わせている

コミュニケーション能力の一つです。

 

私達人間のコミュニケーション能力は

凄いのです。

その本来の力を

使っている人はほとんどいないのが

残念なのですが。

 

私は、できれば、

すべての人がそういった本来持っている

コミュニケーション能力を

使えるようになればいいな、と

思っています。

 

ですので、私はクライアントさんに対して、

「実在コミュニケーション力」を高めることも

コーチングの大事な目的の一つと

しています。

実際に、

私の継続サポートを受けている人の何割かは

この力が、かなり伸びます。

 

そうすると、

すべての展開が本当に楽になるのです。

 

木村さんと弓江さんから

チーム員の皆さんの印象を聴くというのは、

お二人の「実在コミュニケーション力」を高める

最初のステップという意味もあります。

 

新規事業プロジェクトチームのメンバーは

木村さん、弓江さん以外に

4名います。

 

少人数ですので、

逆に、綿密な実在コミュニケーションも

できるでしょう。

 

目的は、

「戦略」を見出すため。

 

以前にも書かせていただきましたが、

「戦略」とは、

最も楽に進めるであろう道のことです。

 

そのためにも、

「要」となる社員さんを特定するのです。

 

つづく

 

たった一人が変わることで、100人が変わることもある

弓江さんに引き続き、木村さんも

無事に脱皮をしました。

(→前回記事)

 

古い皮を脱ぎ捨てた二人は、

今、極めて「普通」の状態で

私の目の前にいます。

 

私はようやく、今回の二人コーチングの

準備が整ったな、と思えました。

 

ここからがようやく「本題」です。

 

今回の二人コーチングの目的は、

半分の人数で再スタートしようとしている

新規事業プロジェクトチームの

組織活性化戦略を見出すことです。

 

今、二人は脱皮しましたが、

これからはこのチームも

脱皮をするはずです。

 

むしろ、脱皮をしなければ先に進めない

とも言えます。

 

木村さんは、

チームの脱皮を果たすためにも

私(たけうち)に、もう一歩深く

チームと関わってほしいと要望されました。

 

では私は実際に

どのような形で何をすればよいか?

を見出そうとしています。

 

「弓江さん、

チームの脱皮のためには、

まずは木村さんと弓江さんの脱皮が必要、

ということでしたが、

今、お二人は無事に脱皮ができました。

次に必要なことは何だと思いますか?」

 

「・・・それがよくわかりません。

今、ご質問を受けて思ったのですが、

私はチームの脱皮というものがどういうことかを

まだイメージできてないのです。

チームの脱皮というのは通常、

どのように成されるのですか?」

 

「チームとは人の集まりです。

ですから、人が脱皮することでチームが

脱皮します。

しかし、チーム員全員が脱皮しなければならない

ということではありません。

どのチームにも必ず、“要”(かなめ)となる人が

います。

“要”とは、影響力の大きな人のことを

言います。

つまり、その人が変わることで、チーム全体が

変わるくらいの影響力を持った人のことです。」

 

「それは、リーダーということですか?」

 

「もちろん、リーダーという可能性もありますが、

この“要”というのは、現実現象レベルというよりも

実在レベルの話です。

ですから、現実の立場云々には捕らわれない

話です。

例えば、100人の組織でも、

リーダー以外のたった一人が大きく変わることで

組織全体が劇的に変わる誘発剤になる、ということも

充分にあり得るのです。

そういった影響力を持つ人が誰か?

を見極めて、その人の大きな変化、つまりは脱皮を

促します。」

 

「その“要”というのは、

私達のチームの場合、木村と私(弓江)以外の

メンバーの中にもいる可能性がある

ということですね?」

 

「そうです。

ここにいるお二人以外にも“要”となる人が

いると思います。

その人を見つけることは重要です。」

 

ここで木村さんが口を開きました。

 

「私達のチームは、人数が半分になり、

今は我々二人を入れても6名となりました。

こんな少人数でも、“要”と言われる人が

いるのでしょうか?」

 

「はい、います、きっと。

もちろん人数が少ないので、全員が“要”である、

という見方もできます。

しかし実際にそうであったとしても、

それでも、“要の中の要”という人はいるはずです。

まずはその人に強烈な刺激を入れることで

チームの脱皮は非常に楽になります。」

 

「チームが脱皮すると

どうなるのでしょうか?」

 

「個人の脱皮と基本的には同じです。

個人の脱皮は、余分な皮を脱ぎ捨てることで、

これまでの考え方・価値観に変化が起きます。

何を大切にすればよいか?という

考え方の優先順位が変わったりします。

しかもそれは、非常にスッキリと

よりシンプルなものになります。

それにより、その人の行動パターンが変わります。

その人の発揮する能力も変わります。

そして、必然的に成果の出方も大きく変わります。

それと同じことが、

チームとして起こる、ということですね。」

 

「まさしくそれは私の望んでいることです。

私は今ここで、もっともっとチームの

考え方も行動パターンもシンプルなものに

したいのです。

もっと一貫性を持ちたいのです。」

 

「そうなるための最も楽な道を

見出しましょう。

そのためには、“要”社員を特定することです。」

 

弓江さんが言われます。

 

「ということは、次に必要なのは、

私達の次に脱皮すべき、

チームの“要”が誰か?を

見つけることですね。」

 

「ということになりますね。

では、そのためには

どうすればよいと思いますか?」

 

「私は、たけうちさんに

チーム員のことをもっとよく知っていただいた方が

よいと思います。

誰が“要”となり、誰が脱皮すればよいかを

木村と私(弓江)だけでは特定することは

現時点では難しいと思います。」

 

「わかりました。

では、そうしましょう。

つまりは、チーム員の現状把握ということですね。

そのためには、私が実際にチーム員の皆さんに

お会いした方がよいですが、

その前に、お二人から見たチーム員お一人お一人

の印象をお聴きしたいのです。

恐らくそれだけで、誰が“要”か?の

おおよその見当はつけられますので。」

 

つづく

 

目標は、達成するのが当たり前

木村さんと弓江さんの二人コーチングに

話を戻しましょう。

(→【本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む】)

 

弓江さんは、

脱皮を果たしました。

 

弓江さんが脱ぎ捨てた古い皮は、

「正義」

でした。

 

そしてそれを手放した直後に彼女は

「私が皆を引っ張る」

という覚悟を持ちました。

 

彼女は言いました。

「私にしかできないことが

ある気がします」と。

 

その一言を聴いた瞬間に、

今度は木村さんの脱皮が

一気に進んだのを私は感じ取りました。

 

「木村さんも今、

もうほぼ脱皮を完了したようですね。」

 

「あぁ、そうですよね。

何となくわかります。」

 

「木村さんが脱ぎ捨てようとしている

古い皮は、今、実在レベルでは

どのような状態だと思いますか?」

 

「ほとんど脱げましたが、

私の右腕に脱いだ皮がまだ

こびり付いています。

右腕がとても重いです。」

 

「木村さん、よく観察してください。

その右腕についている皮は

いったい何でしょうか?」

 

木村さんは目を閉じて

右腕に集中しました。

 

そして、

「あの、・・・これでしょうか。

“我が想い”という言葉が浮かんできますが。」

 

「へぇ、面白いですね。

“我が想い”を脱ぎ捨てるのですか。

“我が想い”というと、真っ先に思い出すことは

何ですか?」

 

「売上を当初の目標の1.5倍上げてやろう、

という私の気持ちを思い出します。」

 

「木村さんは今、

それを手放そうとしているんですね。」

 

「いや、・・・それはまずいと思います。

それを手放してしまったら、

目標達成できなくなる気がします。

今のモチベーションも消えてしまう気がします。」

 

「本当にそうですか?

一度、手放してみてはいかがですか?」

 

「いや、しかし・・・」と、

しばらくの時間、

木村さんは拒んでいました。

 

しかしどうにも右腕が

重くなってきました。

 

「いやぁ、もう右腕が不快で

しょうがないです。」

 

「やはり木村さんは、その“我が想い”を

手放したいのでしょ?」

 

「そうなんでしょうか。

・・・いやぁ。でも、もう嫌だなこの感じ。」

 

「思い切って手放してしまっては?」

 

「ちょっと怖いですが、

どうもそうするしかないようです。

わかりました、手放します。」

 

「どのように手放します?」

 

「・・・自分でやります。」

 

そう言って木村さんは、

自身の左手で、右腕にこびり付いているものを

ベリッと引き剥がすようにしました。

 

その瞬間、

フッと私も、体が軽くなった感覚を得ました。

 

「できたような気がします。」

 

「そうですね。できましたね。

どうですか?

“我が想い”を手放した感じは?」

 

「いや、なんか、いたって普通です。」

 

「売上1.5倍については、

いかがです?

どう思いますか?」

 

「あぁ・・・、不思議です。

さっきまで、結構、自分は自然体で

売上1.5倍をやろう、と思えていたつもりでした。

でも今、さらに力が抜けました。

いや、力が抜けるというよりも

力を入れようが入れまいが、どうでもいいような・・・。

だって、達成するのは当たり前のような

気がするんです。

やることをやるだけ。

達成するのが普通のこと。

そんな感じがします。」

 

その時私は感じました。

 

木村さんはニュートラルに淡々とした

表情になっていたのですが、

その奥に、とてつもないパワーが

宿っていることを。

 

あぁこれは、

本当に物事を成し遂げる人の空気感だ

と思いました。

 

何の気負いもなく

淡々と凄いことを成し遂げていく

深いパワー。

 

これこそが、

木村さん本来の空気感であると

私は確信しました。

 

つづく

 

問いと向き合わずして、人生の喜びはない

「自問自答」について

もう少しお話しします。

(→前回記事)

 

通常の「思考」によって導き出すよりも

「自問自答」によって得られる答えの方が

自分自身の真本音に

より近い答えが出やすいです。

 

それはなぜか?と言いますと、

私達の真本音の中には

たくさんの「問い」が詰まっているからです。

 

私達人間の本質とは、

「問いを持った存在」

であると、という言い方もできます。

 

「問い」とは

「願い」です。

 

「願い」とは

「問い」です。

 

一つの強烈な「願い」を持つということは

その願いに近づくための「問い」が

必須となります。

 

その「問い」を大切にし続けることが

「願い」への道を開きます。

 

真本音とは、

「揺るがぬ願い」の結晶体です。

ということは、

そこには様々な「問い」が

セットで存在しているのです。

 

そういう視点で言えば、

真本音で生きるとは、

「自らの問いに素直に生きる」

ということになりますし、

「自らの問いの答えを、

生きることを通じて得ようとする」

ということにもなります。

 

「問いへの探求」。

 

これが私達の根本欲求の一つですし、

それこそが

「進化への道」

でもある、ということです。

 

ですから私はコーチングをする時に

必ず、

「このクライアントさんは

真本音でどのような問いを抱きながら、

生きている人だろうか?」

という見方をします。

 

そして、その問いを

必死にキャッチしようとします。

 

真本音の問いに常に結びつくような

問いを投げるようにします。

 

すると、

そういった問いを投げること自体が

そのクライアントさんの真本音度合いを

著しく高めます。

 

その問いを受けることで、

真本音が喜ぶからです。

 

皆さんの中にも必ず

あるはずです。

 

自分自身がどうしても渇望して止まない、

根源的な問いがあるはずです。

 

あぁ私は、この問いの答えを見つけるために

生きているのではないか?

 

というものがあるはずです。

 

例えば、私の場合、

真本音の問いの一つは

 

『自由とは何か?』

 

というものです。

 

この問いを初めて意識したのは、

19歳の時です。

 

当時、私は登山に夢中になっており、

登山のパーティーのリーダーをした時に、

メンバーの心がバラバラになってしまった

という経験をしました。

 

その原因はリーダーである私自身に

あったのですが、

その時、私が感じたのは、

そこにいる誰もが「自由ではない」

ということでした。

 

全員が好きで登山をしているにも

関わらず、

そして、自らの意志でパーティーに

参加しているにも関わらず、

誰も、自由ではなかったのです。

私自身も含めて。

 

その現実の中で自然に湧いてきたのが

 

『自由とは何か?』

 

という問いでした。

 

あれからすでに30年経っていますが、

今もその問いは

私の探求テーマです。

 

この問いとずっと向き合い続けることで、

私の人生は形創られてきた

とも言えます。

 

そしてそういった問いに素直に

向き合ったからこそ、

紆余曲折の多い人生でしたが、

私は後悔なく、ここにいます。

 

この問いは、

私が人生を終えるまで、

絶えることはないでしょう。

 

問いに向き合うことそれ自体が

私の喜びであり、

内側から自然にパワーが湧いてくる

私のエネルギーの源です。

 

もちろん、

私の真本音の問いはそれだけでは

ありません。

 

人生を進むうちに、

たくさんの問いが明確になってきました。

 

不思議なことに、

真本音の問いは、

増えれば増えるほど、

喜びが大きくなります。

 

問いが増えるということは、

迷いが増えるというようなイメージが

ありますが、全く逆で、

問いが増えれば増えるほど、

私には、「確信」が増えました。

迷いがなくなりました。

 

問いが増えれば増えるほど、

人生が明確になり、

すべきことが明確になり、

ビジョンが明確になりました。

 

それが

「真本音の問い」

です。

 

ですから私が、多くの方々にメッセージしたいのは、

問いから逃げないでください、

ということです。

 

自分の中にある問いから

目を背けずに、

問いに対して真摯に向き合ってください、

ということです。

 

残念ながら、

初対面でお会いする人々の内、何割かは、

私がキャッチしたその人自身の真本音の問いを

そのままダイレクトに投げると、

その瞬間に、拒絶反応をされたり、

「そんな難しいことは、私にはわかりませんから」

と逃げ腰になってしまいます。

 

ですから、

その人の真本音の問いをこちらがキャッチできても

すぐにその問いをご本人にお伝えするわけには

行かないケースが多いです。

 

その場合は、

その人の真本音度合いを上げることによって

その人の「準備」を整え、

その上で初めて、その人自身の真本音の問いを

投げる、ということをします。

 

それでようやく、ご自身の問いと向き合うことに

なるのですが、

その時点が、その人の真本音の人生の

スタートとなります。

ようやくの、スタートです。

 

すぐに問いを投げられない人の割合は、

私の経験で言えば、

約8割です。

 

つまり8割の人が、

自分自身の人生の探求テーマと

向き合っていないということです。

 

真本音の道とは別の道を

進んでいるということです。

 

これが今の世の中の現状です。

 

これを何とかしたいと、

私は思っています。

 

これも私の探求テーマの

一つです。

 

つづく

 

すべては、自問自答から始まる

自問自答。

 

私達現代人にとって

今最も必要なのは、これかもしれないと

最近、私は強く思います。

 

「自問自答」とは、

「思考」とは異なります。

 

まず、「自問」とは

自らに問いかけることです。

 

まるで自分自身を他人のような感覚で

自らに問いを投げます。

 

それが難しいようであれば、

鏡を見ながら、鏡の中の自分に

問いかけるとよいでしょう。

 

そして、「自答」とは、

問いを受けた自分の中から

自然に湧き上がってくる答えを

「待つこと」です。

 

決して、

頭で答えを形作ってははいけません。

 

私達の本当の答え、

つまり、真本音の答えは、

頭の中にはありません。

 

とは言え、

思考は大事です。

 

私は、思考とは

「思考を超えた答えを見つけ出すための

有効な手段である」

と思っています。

 

懸命に思考することで、

思考を超えた答えが見つかります。

 

思考をしながら、

思考の範疇の答えを見つけ出しても

私達人間は本当の意味では

納得できません。

 

確信を伴った直観的な答えに

たどり着いた時に、

初めて納得します。

 

確信とは、

迷いのない答え。

淀みがゼロの答えです。

 

それは、

思考の範疇からは決して

出て来ません。

 

しかし、とことん思考をすることで

思考以外のところからやって来ます。

 

そういった意味で、

思考は大事ですが、

思考に捕らわれてはいけません。

 

そして、

自問自答を毎日のように繰り返すことで、

その、思考そのものもいつしか

必要なくなります。

いえ、正確に言えば、

思考はするのですが、

最低限の思考だけで大丈夫になります。

 

要するに、

確信的な直観を

意図的に引き起こすことができるように

なります。

 

直観力とは、

物事をよく考えない(思考しない)人からは

生まれません。

 

しかし、とことん思考をする人は

思考をそれほどしなくてもよいくらいの

直観力が養われます。

 

そしてそのためには、

自問自答を繰り返すのが

最適・最速です。

 

これまで、頭の中でグルグルと

考えていたことがあれば、

自分をまるでクライアントのように捉え、

自分自身に問いを投げてみましょう。

 

今の自分には

どのような問いを投げることが最善か?

を考えてみましょう。

 

すると、

問いを投げることがいかに重要か?

そして、

最適な問いを見つけることがいかに重要か?

をお分かりいただけると思います。

 

コーチングとは、

その、問いの部分をサポートすることですが、

コーチングを受けることで

自問自答力を増すこともできます。

 

それはつまり、

直観力を増すことです。

 

自らの進化のための自問自答。

 

自らの真本音の答えを

見つけ出す自問自答。

 

そういった力を養うことが

私のコーチングの目的の一つです。

 

そして、

自問自答力のついた人達が集まり、

お互いに問いを投げ合うことで

一人一人の自問自答の範疇を超えた

発想を掘り起こし合う。

これが、チームコーチングの本質です。

 

つまり、

自問自答できるチーム(組織)を創る。

 

これが私が大切にしている

組織サポートの本質です。

 

まずは。

 

答えがすぐに見つからなくてもよいので、

自分自身に問いを投げること。

 

投げ続けること。

 

そのためには、

どのような問いを投げることが

今は最善なのか?を

それこそ、必死に考えること、ですね。

 

つづく

 

無理をしない、とは、勇気を出すこと

私達一人一人の真本音は、

自分の進化のために

次はどのような一歩を進めば良いか?

という「最善の一歩」を

常に私達に教えてくれます。

(→前回記事)

 

「最善」とは、「現実的」ということでも

あります。

 

つまり、

決して無理をしません。

 

無理をしないということは、

自分の現時点の能力を使えば、

必ず道を開くことができる

ということです。

 

ところが。

 

真本音で判断する一歩が

わかったとしても、

その一歩を踏み出せない人が

多いのです。

 

なぜならその「一歩」は

かなりの勇気を必要とする場合が

あるからです。

 

つまり、

真本音では「できる」「やれる」と判断しても、

顕在意識では「できないのではないか」と

思ってしまうのです。

 

そこで、

「怖いかもしれないけど、

勇気をもって真本音の選択通りに

動いてみてください」

と後押しするのが私のサポートです。

 

実際に、

そのクライアントさんがもし勇気を奮って

真本音通りの一歩を進んだら、

必ず道は開くのです。

それどころか、

一度その経験をすると、

自分が感じていたその「怖さ」が

どうでもよくなってしまいます。

 

「なんだ、こんな簡単なことだったのか」

と思えます。

 

そりゃそうです。

私達の真本音は

「簡単にできること」

しか選択しないからです。

 

しかし逆に言えば、

そういった「やれば簡単にできること」を

「できない」と思い込み、

「やらない」状態で生き続けている人が

実に多いということです。

 

それこそ、宝の持ち腐れです。

 

宝の持ち腐れをしている人達が

チームや組織を組めば、

もちろんですが、

宝の持ち腐れのチームしかできません。

 

でも同じメンバーが

宝の持ち腐れをやめて、

真本音で進み始めたら、

そのチームの進み方は本質的に

変化します。

 

成果も根本的に変わって来ます。

 

要するに、キーワードは、

 

『真本音に素直になる』

 

であり、そのためには

 

『真本音度合いを高める』

 

のです。

 

それにより、

 

『進化のスピードが加速する』

 

ようになり、結果として

 

『みんな幸せを感じながら進む』

 

という状態に入ります。

 

そうなると、成果が出るのは

あまりにも当たり前のことになります。

 

いついかなる時にも

どんな組織やチームや個人に対しても、

私は以上の基本軸に沿った

サポートをします。

 

これを外すことは

あまりにも不自然であることを

実感しているからです。

 

不自然に成果を出しても

人は疲弊します。

 

疲弊すれば、

長続きしません。

 

進めば進むほど、

加速すれば加速するほど、

パワーが高まるのが

自然の摂理です。

 

ビジネスでこそ、

自然の摂理を大事にしたい、

いや、大事にすべきであると

私は考えています。

 

人が集まり、

組織が成り立ちます。

そして、

組織が集まり、

社会が成り立ちます。

 

すべては、

「人」が原点です。

 

一人一人が

自然の摂理に基づいた

自然の道を進むことが、

社会全体の自然な進化に繋がるのは

当然のことであると、

私は考えています。

 

今、自分は、次の一歩を

どう進むのか?

 

それを自らの真本音で決める

その一つ一つが、

「社会」を左右するのです。

 

つづく

 

加速すればするほど、楽になる

私達人間は誰もが、

「進化をしたい」という本能を持っていますが、

自分が望む進化スピードを実現している人は

ほぼ、いません。

(→前回記事)

 

本当はグングン前に進みたいのに、

思うように進めない、

もしくは、進むことを恐れてしまい

躊躇している自分がいる、

・・・ほぼすべての人がその状態です。

 

私達には「加速」が必要です。

 

しかしどうすればよいのか?

誰もわかっていません。

 

私がコーチとして活動してきた

この21〜2年間は、

その方策を探求し続けてきたという

言い方もできます。

 

もちろん、今も探求中です。

 

ただ、一つ明確にわかっていることが

あります。

 

真本音度合いを高めることが

すべての基本にあるということです。

 

私達人間の揺るがぬ心、真本音とは、

私達の存在意義であり本能の中枢を成す

「進化欲求」に対して非常に素直です。

 

進化のためにどうすればよいか?

を最も大切にしています。

 

しかもそれは理想論ではありません。

 

自分の進化のために、

今の現実に対して、

自分は何をすればよいのか?

を極めて現実的に判断します。

 

その洞察力は

神秘的ですらあります。

 

逆に言えば、

私達人間は誰もが凄い洞察力を

もともと持っているということです。

 

しかしその洞察力は、

真本音度合いが高まらないと

発揮されません。

 

そして、

真本音度合いが高まり、

その洞察によって出された「次の一歩」を

踏み出し続ければ、

私達は必ず、周りと調和します。

 

先ほど書きました通り、

真本音とは極めて現実的な判断をしますので、

真本音で動くことで、

不必要な混乱や混沌は争いや諍いは

激減します。

そこには、必要な試行錯誤が必要なタイミングで

起こるだけです。

 

結果として、その一歩一歩は

進化に対しての最速の道となります。

 

それは「理想」ではありませんが、

「最善」です。

 

つまり、今できる最善、最速の道を

私達の真本音は選択するのです。

 

ですからそういった意味でも、

私は、クライアントさんの真本音度合いを

高めることを、コーチングの要諦としています。

 

そして「脱皮」とは、

そういった真本音度合いの高まった人達が

引き起こす「現実」です。

 

「脱皮」を起こすことで、

ステージが一気に変化します。

 

それは喩えて言えば、

今まで地面を歩いていた自分が、

突然、東京スカイツリーの展望台に

登ったようなものです。

突然に視界が変わります。

今まで見えていなかったものが

見えるようになります。

 

いえ、

本当に大きな脱皮をした場合は、

もっと凄い変化があります。

東京スカイツリーどころか、場合によっては

飛行機の視点とか、成層圏の視点とか、

地球を見降ろす宇宙の視点まで

行ってしまうかもしれません。

 

脱皮とは、それくらいに劇的な

変化があることなのですが、

しかし、本人の顕在意識はその変化に

気づいていません。

 

気づいていないのだけれども、

しかし、視界そのものは

これまでとはまったく比べ物にならないほどに

広がっているのです。

 

ですから、本人の気づかないところで

発想そのものが大きく変化します。

本人は気づいていないのに、

周りから見ると驚くべき発想を

生み出す時があるのです。

 

しかしそれは私達人間にとっては

実に自然な振る舞いです。

 

なぜなら私達は

それだけ大きな進化を望んでいるからです。

でも今のところ、どれだけ脱皮をしても

まだまだ私達の望む進化スピードには

追いつけません。

 

本当に望む進化スピードに

もし追いつくことができたとしたら、

私達人類はとてつもなく素晴らしい世界を

創ることができるでしょう。

 

話があまりに大きくなり過ぎますと

現実味がなくなってしまいますが、

私達誰もにできるのは、

自分自身の「次の一歩」を決めること。

 

その「次の一歩」を

真本音で決めることです。

 

それを粛々と続けることで、

私達は本来私達の望む進化スピードに

近づいていけるでしょう。

 

そのためのサポートが

私のサポートです。

 

そしてそういったサポートのできる人を

私は増やしていきたいのです。

 

真本音で生きること、

進化を加速させること、

それは、決して難しいことではありません。

 

むしろ、それは

最も楽な道のりです。

 

最も自分が自然体になり、

最も自分が自分らしくなり、

最も人間としての幸せを感じることのできる

明るく楽しい道なのです。

 

つづく

 

人の影響力は、ここで決まる

人が人に与える影響力の大きさ

というのは、どこで決まると思いますか?

 

能力ですか?

 

経験ですか?

 

人格ですか?

 

生き方ですか?

 

立場ですか?

 

役割ですか?

 

個性ですか?

 

それらすべては確かに

重要な要素です。

 

しかし私は、

人が人に与える影響度を左右している

要素として、超重要なものとして、

 

「その人の成長度」

 

があると、いつも実感しています。

 

「成長」とは

このブログでも申し上げている通り、

単なる「膨張」ではなく、

「進化」のことを指します。

 

現時点における力の大きさよりも

今、その人がどれだけ日々進化しているか?

によって、私達人間は

本質的な影響を受けます。

 

なぜなら、私達人間の根本欲求は、

・・・つまり、本能の中心にあるものは

「進化」だからです。

 

私達は本能的に

「進化」しているものに対して

畏敬の念を覚えます。

 

どこまで進化したか?ではなく、

どれだけの勢いで進化し続けているか?

に畏敬の念を覚えるのです。

 

それは、

本能的な信頼

です。

 

本能的な信頼を感じる人の言葉は

私達の心、というよりも

魂に響きます。

 

ですから私はいつも

コーチを目指す人達に言い続けています。

 

「クライアントさん以上に

コーチが進化をし続けなさい」

と。

 

クライアントさんの進化スピードよりも

遅い進化スピードのコーチは

クライアントさんに良い影響は

起こせないのです。

 

そういった意味で、人のサポートというのは

非常に厳しいものです。

 

サポートされる側よりも

サポートする側の進化の度合いが

高くなくては、

本質的なサポートができないからです。

 

このように書くと、恐らく多くの人は

うわっ、進化というのは大変そうだ、

そんなのは自分には無理だ、

と思われるかもしれません。

 

しかし先ほども書きました通り、

進化とは人間の本能の中枢です。

 

ということは、

進化とはとても

「気持ちいいもの」

なのです。

 

「進化」とは

安定です。

 

「進化」とは

安心です。

 

止まっている方が安定したり

安心できるのではありません。

 

人は、進化し続けている時こそが

最も安定し、安心できるのです。

 

ですから、

進化し続けている人は

端から見れば

「あの人、凄いなぁ」となりますが、

本人にとってはまったく

凄いことをしているという認識は

ありません。

 

むしろ、自然体で淡々と

普通に毎日を生きているだけであり、

それが最も幸せであり

安定・安心であるのです。

 

そういったことを

クライアントさん以上にコーチは

実感として知っていることが

重要です。

 

私ももうすぐ50歳ですので、

さすがに最近は年下のクライアントさんが

増えてきましたが、

以前は、私のクライアントさんは

10歳も20歳も年上の方ばかりでした。

 

しかも経営者が多かったものですから、

人生経験も、経営経験も

私以上の人達ばかりでした。

 

本当に素直に尊敬できる方達が

多かったです。

 

そんな方々をクライアントさんにするわけですから、

私にできることはただ一つ。

クライアントさん以上のスピードで

自分自身が成長(進化)すること

でした。

 

もちろんそれは

勝った負けた、

ということではありません。

 

でも私は、

自分の進化スピードを加速

し続けました。

 

加速して、加速して、加速して・・・。

 

その中で初めて知ったのです。

 

どれだけ加速しても、

まだ足りない、と。

 

まだ自分は満足できない、と。

 

まだ、自分が本来望んでいる

進化スピードには程遠い、と。

 

それは、

私個人だけに当てはまることでは

ありません。

 

すべての人が、

自分の進化スピードは

まだ遅過ぎる、という

ジレンマを持っていると

ある時に気づいたのです。

 

その時から私のコーチングの

テーマの一つが決まりました。

 

どんなクライアントさんにも

当てはまるテーマです。

 

それは、

「その人の望む進化スピードまで上げる」

ということです。

 

すべての人が、

自分の進化スピードに

満足していないのです。

 

本当に満足している人とは、

現時点ではまだ一人もお会いしたことが

ありません。

 

それだけ私達人間は、

「進化」したい存在なのです。

 

今のスピードは

気持ち悪いのです。

 

もっと気持ちよく

なりたいのです。

 

だからこそ、です。

 

だからこそ、

コーチは、クライアントさん以上の

スピードで

進化し続けることが必要であると、

私は思います。

 

クライアントさん以上に

気持ちのよい人生を送るのが、

コーチの必須条件です。

 

つづく

 

本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む

「脱皮」をするということは、

これまで自分を覆っていた殻や

一つの枠から解放される

ということです。

 

解放されると人は

どうなるでしょうか?

 

実は、

解放されると人は

とても「落ち着く」のです。

 

ニュートラルになります。

 

淡々となります。

 

「普通」の状態となります。

 

自然体です。

 

一見、逆のことが起こりそうですね。

解放されて自由になれば、

もの凄くエネルギーが湧いてくるとか

モチベーションが高まるとか

走り回りたくてしょうがなくなるとか、

場合によっては

自分で自分を制御できなくなるとか、

・・・そんなイメージがあると思います。

 

しかしまったくそうではありません。

 

本人が、「あれっ?」と思うくらいに

「普通」です。

 

本当に脱皮したのだろうか?と

疑うくらいです。

 

しかし確かに、

何となく軽くなりますし、

シャンとします。

 

地に足がついたような

安定感もあります。

 

自分が何か別物に変化することも

ありません。

あくまで、自分は自分。

何も変わりません。

ですので、

多くの人が、拍子抜けします。

 

しかし私は、

そうした「拍子抜けした状態」を見ることで、

「脱皮」が上手く完了したことを

確認できます。

 

ただし、

何も変わっていないのは

表面上だけ。

 

その人の内側のエネルギーは

明らかに高まっていますし、

(深まっている、という表現の方が的確です)

その人の空気感は

安定と共に、「明るくなった」ようにも

感じます。

 

「正義」という古い皮を手放した弓江さんが

まさしくその状態でした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに

質問を投げました。

 

直観的に出た質問です。

 

「弓江さん、

今、弓江さんは立っていますか?

座っていますか?」

 

「座ってますね。」

 

「座って、何をしようと

していますか?」

 

「覚悟を決めようと

しています。」

 

「何の覚悟ですか?」

 

「立ち上がる覚悟です。」

 

「立ち上がるということは、

どういうことですか?」

 

「走り出すということです。」

 

「走り出す、とは?」

 

「私が皆を引っ張る

ということです。」

 

えっ?

と、この答えに弓江さん自身が

驚きの声を上げました。

 

「私が、みんなを引っ張るんですか?」

 

「今、ご自分でそう言いましたね。」

 

「できるんでしょうか?」

 

「どう思います?」

 

「・・・できますね。

そう思えます。

むしろ、私にしかできないことが

ある気がします。」

 

この弓江さんの一言で、

今度は、木村さんが脱皮し始めたのが

わかりました。

 

弓江さんの一言が刺激となり、

彼は一気に古い皮を

自ら剥いだのです。

 

つづく

 

脳で感知できる世界は、とても狭い世界

「実在」と「イメージ」とは

まったく異なるものです。

 

「イメージ」とはあくまでも私達の頭の中で

創り出したもの。

悪い言葉で言えば、妄想と同じです。

 

しかし「実在」は、実在と言うだけあって

実際にそこに存在するものです。

 

ただし、私達が生きているこの3次元の

現実世界の事象としては、

捉えることができない、と言うだけのことです。

 

私達が現実世界で捉えているものはすべて

私達の脳で捉えているものです。

 

視覚・聴覚・体感覚。

つまりは五感と言われるものはすべて

脳という機関を通じて捉えているものです。

 

しかし、私達の脳で感知できる周波数は

非常に限られています。

脳で感知できないものの方が

圧倒的に多いのです。

 

脳では感知できないが、

確かにそこに存在しているもの。

それが「実在」と私が呼ぶものです。

 

それは霊感ですか?

と訊かれることもありますが、

霊感ではありません。

 

もちろん、幽霊というものも

脳では普通は感知できない周波数だと

思いますので、実在の一つかもしれませんが、

私自身は幽霊を感知することはありませんので、

よくわかりません。

 

もし、幽霊というものがあっとしても、

それは恐らく、エネルギーレベルとしては

かなり弱いものだと思いますので、

私が感知できないだけかもしれません。

 

私は、エネルギーレベルの高い実在を

感知することができます。

エネルギーレベルの高い実在というのはつまり、

人の「真本音」です。

 

そしてそういったエネルギーレベルの高いものを

感知する能力は、

本当は誰もが持っています。

しかし、

使わないだけなのです。

使い方を知らない、とも言えますが。

 

「真本音」とは圧倒的にエネルギーの高いものです。

ですから、「実在」を感知する能力がつけば、

「真本音」の存在感は

否が応でもわかります。

 

本当の意味で、

「実在」を感知するためには、

脳を使わずに感知する力を高めることです。

その力が伸びれば、

脳を使わずに物事の本質をつかむことが

できるようになります。

 

脳(五感)を使って捉える物事が、

いかに薄く、淡いものであるか、ということも

まざまざと知ることになります。

 

その能力は、

きちんと訓練をすれば誰もが伸ばすことが

できますが、

そのためには、まずは

五感(脳)を使って実在を捉える、というのが

ファーストステップです。

 

二人コーチングの場で、

弓江さんの脱皮をサポートするにあたり、

弓江さん自身に、古い皮がどうなっているかを

見てもらったり、

木村さんに、その皮をもぎ取ってもらったりしたのは、

「実在」を感知する力を伸ばす訓練の一つ

でもありました。

 

弓江さんも木村さんも

かなり的確に「実在」を捉えていました。

 

そして実際に、

弓江さんは「脱皮」を果たしました。

(→前回記事)

 

弓江さんは、

「正義」という名の古い皮を

手放しました。

 

そこから解放されたのです。

 

結果的に、

弓江さんの古い皮は私が受け取りました。

私は腰がドーンと重くなるのを感じました。

そして、言いようのない苦しみを覚えました。

 

この苦しみは、

無意識に弓江さんが味わい続けていた

ものです。

 

私はすぐに、その古い皮を

浄化しました。

 

今はコーチングのその場で

同時並行で浄化できますが、

以前の私にはそれができませんでした。

 

一日のコーチングが終わって

家に帰ってから必死に浄化をする、

という毎日が何年も続きました。

 

時には、浄化が

次の日の朝までかかることもありました。

いえ、

何日もかかることもありました。

 

浄化力というのも

訓練によってかなり高まります。

 

今はその場で大半のものは浄化できますので、

随分と楽になりました。

 

私は、コーチには、

・「実在」を感知する力

・「実在」に変化を起こす力

・「実在」を浄化する力

が必要であると思っています。

 

そういった力を持ったコーチを

養成するというのも

私の使命の一つだと思っています。

 

つづく

 

正義、って重いんだねぇ

私達人間のほとんどの苦しみは

幻影です。

 

幻影と言っても、

実際に起きている現実は、

現実です。

 

しかし本当は、

その現実が私達に苦しみを与えている

わけではありません。

 

現実とは

どこまで言っても

現実でしかあり得ません。

 

その現実をどう受け止めるか?

を私達は自ら決めています。

 

自ら、解釈をしています。

 

その段階で、

自らに苦しみを与えます。

 

例えば、

とても厳しい現実が目の前にあったとしても、

もし似たような経験が過去にあったとすれば、

その人の苦しみは減退するでしょう。

 

自分は過去に、このような現実を

乗り越えたことがある、

という経験は、私達の苦しみを

減退させます。

 

しかしだからと言って、

今の現実が変わるわけではありません。

 

私達の現実を受け止める解釈が

変わるだけのことです。

 

つまり私達は私達自身の解釈により

苦しみを増減させています。

 

「人生は苦しい」

と思う人の多くは、

自分でその苦しみを創り出している

だけのことです。

 

私達はそういった解釈の世界から

脱け出すことが

本当は誰もができます。

 

ただ、現実をあるがままに

感じ取るだけの日々の始まり。

 

するとその瞬間から、

現実はまったく違った世界を

私達に見せてくれます。

 

現実を、あるがままに感じ取ることが

できればできるほど、

私達は、自分自身がいかに自由であるか?

を知ることになります。

 

脱皮をするというのは、

現実をあるがままに捉えられない原因となる

強い解釈の衣を

一つ脱ぎ捨てることである、

という言い方もできます。

 

今、弓江さんは

「正義」という解釈を脱ぎ捨てようと

しています。

(→前回記事)

 

実在レベルで表現すれば、

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている

「正義」は、

弓江さんの左足に絡みついています。

それを取り払えば、

弓江さんはその「正義」から自由になれます。

 

しかしそれが

なかなか取れません。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

思わず、木村さんが言います。

「えっ、私にできますか?

どうすればいいんでしょう?」

 

「簡単ですよ。

今、弓江さんが言われた“正義”は、

単なるイメージではなく、実在です。

ですから木村さんにもわかるはずです。

意識を弓江さんの左足に

向けてみてください。

何か見えませんか?」

 

「見える、というよりも、

確かに何か異物があるような

感覚がありますね。」

 

「それで充分です。

木村さん、その異物は

どうすれば取れると思います?」

 

「えっ? ・・・そうですね。

どんなやり方でもいいですか?」

 

「もちろん、いいですよ。」

 

「私が、私の手ですくい上げても

いいですか?」

 

「できそうですか?」

 

「はい。」

 

そう言われた木村さんは、

弓江さんの左足の踵の近くに手を伸ばし、

一気にその「正義」をもぎ取ってしまいました。

 

「あっ、軽くなった!」

 

と弓江さんがびっくり。

 

「たけうちさん、

今、私の両手にその“正義”がありますが、

これ、どうしたらいいでしょう?」

 

「どうされたいですか?」

 

「たけうちさん、

受け取っていただけます?」

 

私は笑いました。

 

「しょうがないですね。

じゃあ、私がいただきます」

と言いながら、

私は、木村さんから弓江さんの「正義」を

受け取りました。

 

ド〜ンと腰の辺りが

重くなりました。

 

実はこういった展開、

しょっちゅうあるんです。

 

私はよく、

脱皮をした人の古い皮を

受け取ります。

そして浄化をします。

 

その古い皮があまりにも重く、

苦しいものであればあるほど、

私の場合は、腰に来ます。

 

まるでギックリ腰になったかのような

感覚が来るのです。

場合によっては

立てなくなってしまうこともあります。

 

それだけその古い皮は

その人にとって重いものであった

ということです。

 

これは「イメージ」の話ではありません。

あくまでも「実在」の話ですので、

こういったことが起こるのです。

 

そして、重い皮をもらうたびに、

私はいつも思うのです。

 

人間というのは、

こんなに重いものを抱えながら

生きているんだな、と。

 

つづく

 

本当は、自力で脱皮できればいいんだけど・・・

「脱皮」とは、

大きく「進化」すること。

 

そして「進化」とは、

より「自由」になることです。

 

ですから「脱皮」をすればするほど、

私達は、何かから開放されます。

人としての根本的な幸せを

感じるようになります。

 

しかし「脱皮」そのものについては

不安定さと恐怖心が

伴います。

 

これをたった一人で

乗り越えることのできる人は

なかなかいません。

 

通常は、

「今、自分は脱皮しようとしている」という

自覚はありません。

「脱皮」そのものの概念すら

ないでしょう。

 

何もわからない状態です。

 

ですから、

突如として襲ってくる不安定さと恐怖心を

何とか消そうとするのが

ほとんどの人です。

 

そしてそのための手立てを打ちます。

それにより実際に

不安定さと恐怖心を減退させることも

あるでしょう。

 

しかし、それをしてしまうと

「脱皮」は完了できません。

 

「脱皮」のチャンスを逸し、

「脱皮」をしないままに人生を進む

ということになります。

 

それはそれで一つの人生

かもしれません。

 

しかし、

脱皮のチャンスを逸し、脱皮せずに進む

というのは、

脱皮のチャンス以前の自分に比べて

苦しさが増します。

 

なぜならその人は

「なぜ、脱皮をきちんとしないんだ!」

と自分で自分を責め続けるように

なるからです。

 

もちろんそれは無意識に行われることですから

本人は認識していません。

しかし明らかに

以前よりもその人は人生における苦しみが増し、

その苦しみに耐えながら生きる

ということになります。

 

脱皮のチャンスを逸してしまったことによる

苦しみ。

 

これは私達が想像する以上に大きな

ものです。

 

できれば私はすべての人が、

この苦しみを味わわずに人生を

進ませる、

つまりは、きちんと脱皮を続ける人生を生きる、

・・・そんな状態になればいいなと

思っています。

 

極端に言えば、

それができるだけで、

世界はもっと平和になるのではないかと

私は思います。

 

脱皮には

的確なサポートが必要です。

 

本当は、サポートなしでも行ければ

よいのですが、

現在の世の中においては、

どうしても、サポートが必要です。

 

それが、コーチの存在意義の一つである

と私は思っています。

 

多くの人が健全に脱皮を続け、

世の中の次元がもう少し高まれば、

自力で脱皮できる人の割合も

もっと高まるのではないかと思います。

 

そうなるためにも、

今はコーチが、的確なサポート役が

必要なのだと思います。

 

木村さんと弓江さんは今、

二人コーチングのその場で、

自らの脱皮を完了させようとしています。

 

まずは、弓江さんが

今まさに脱皮しようとしています。

 

実在レベルの表現を使えば、

弓江さんは、これまでの古い皮をほぼ

脱ぎ捨て、

その皮は今、

左足に絡まっている状態です。

 

そしてその皮に意識を向けると、

それは、

「私の“正義”ですね」

と、弓江さんは自覚しました。

(→前回記事)

 

通常のコーチングでは、

「では弓江さん、その“正義”とは

具体的にどういったものですか?」

というような質問をするかもしれません。

 

しかし、脱皮時においては、

あえてそれ以上のことは訊きません。

“正義”という言葉に反映される

あらゆるもの、

というくらいのザクッとした認識で

充分なのです。

 

理屈では脱皮できません。

顕在意識はあまり

働かさない方が良いのです。

 

「弓江さん、

その左足に絡まっている“正義”を、

完全に取り去ることはできますか?」

 

弓江さんはしばらくの間、

左足に意識を向けていましたが、

「う〜ん、難しいですね。

どうしても取り払えません」

と、苦しそうに言いました。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

すると彼女は、

面白いことを言いました。

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「えっ? 私ですか?」

と、木村さんは少しびっくりした表情。

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

つづく

 

古い皮を脱ぎ捨てずして、真の成長はあり得ない

「脱皮」とは、

「実在」と「現象」の一致度合い、

つまりは「一貫性」が

一気に高まること。

それはイコール、

「真本音度合い」が一気に高まること

でもあります。

 

その「脱皮」をサポートするためには

あえて、

「実在」と「現象」の不一致部分を見つけ、

そこに刺激を入れ、

より「不安定」にさせることです。

 

不安定は「自然崩壊」を生み、

これまでの自分が崩壊するからこそ

「脱皮」は成されます。

 

それを、チームとして起こすための

戦略を見出そう、というのが

今回の木村さんと弓江さんの二人コーチングの

目的です。

(→前回記事)

 

その目的を果たすために、

まずは私は木村さんと弓江さんの

悪い意味での不安定さを

抜きました。

二人の自己満足的な「気合い」を

抜いたのです。

(→【自己満足の気合いでは、何も見えなくなる】)

 

話は、そこからの続きとなります。

 

私は弓江さんに問いました。

 

「弓江さん、

今、改めて思うことを教えていただきたいのですが、

今の木村リーダーの状態はいかがですか?」

 

「はい。

木村リーダーご自身がすでにほぼ

脱皮しかかっていると思います。」

 

「何%くらい脱皮できていると

思いますか? 直観的に。」

 

「80%くらいでしょうか。」

 

弓江さんの言葉は

スッと私の中に入ってきますから、

その通りなのでしょう。

 

「では、木村さん。

木村さんからご覧になって、

今の弓江さんの状態はいかがですか?」

 

「弓江も私と同じく、

80%くらい脱皮しかかっていると

思います。」

 

この言葉も

スッと伝わってきます。

 

「わかりました。

では、お二人にお訊きしますが、

お二人の脱皮は、チーム全体の脱皮と

同時並行で行われるべきものですか?

それとも、

まずはお二人が脱皮することで、

それがチームの脱皮につながるという

順番ですか?」

 

「それは後者ですね。」

とすぐさま木村さんが答え、

弓江さんが大きく頷きました。

 

「では、

お二人の脱皮は、

今この場で行なわれるべきですか?

それともこの場では、刺激のみを与え、

今後の日常業務の中で

行なわれるべきですか?」

 

「今もうここで

脱皮しちゃいたいですね。

そのための今日のこの場だと思います。」

と木村さん。

 

私が抱いていたもともとの順番と

一致しています。

 

「わかりました。

では、まずはそれを最初の目的として

この二人コーチングを進めましょう。」

 

私がそう宣言したその瞬間に、

私は弓江さんの脱皮が

一気に進んだ感覚を得ました。

 

ほぼ99%、

脱皮が完了したのだと

直観しました。

 

「おっ、弓江さん、

もうほぼ脱皮が完了しそうですね。

わかります?」

 

「はい、何となくわかります。」

 

「弓江さんの今回の脱皮は

何からの脱皮でしょうね?

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている古い皮とは、

何でしょう?」

 

「う〜ん、何でしょうか?」

 

「まず、今脱ぎ捨てようとしている

古い皮の実在はわかります?」

 

「あっ、わかります!

なんか、ほとんど脱ぎ捨てることが

できているのですが、

左足に脱ぎ捨てた皮がまだ

引っかかっているようです。」

 

これは単なる弓江さんのイメージ

ではありません。

あくまでも彼女は、

実在を感じ取っているのです。

 

ですから、彼女の言うことは

私にもよく「実感」できます。

 

私も弓江さんの左足に

違和感と重さを感じ取っていたのです。

 

これが「イメージ」と「実在」の

違いです。

 

「実在」とはあくまでも、

本当にそこに実在しているものです。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが当たり前のようにそれを

感知することができるようになります。

 

「弓江さん、

その左足に引っかかっているその皮は

何でしょう?」

 

彼女はじっと自分の左足に

意識を向けていました。

 

そしておもむろにつぶやきました。

 

「あぁこれは、

私の“正義”ですね。」

 

つづく

 

融通の効かない人には一貫性がない

前回の記事で

「実在」と「現象」について

述べました。

(→前回記事)

 

私達人間が真の意味で

「自由である」

と感じられるのは、

この「実在」と「現象」が一致している時

です。

 

現実レベルで見て、

どれだけ自由な環境で

自由に動いていたとしても、

それが自分自身の「実在」の想いと

一致していなければ、

その人は決して自分のことを

「自由である」

とは感じません。

 

私はよく、

「実在の自分」

「現象の自分」

という言い方をします。

 

その表現を使えば、

「実在の自分に素直に生きている」

状態にあれば、

私達は「自由」を感じるのです。

たとえ、

どのような環境においても。

 

そして、

「実在の自分」と「現象の自分」が

一致していることを

「一貫性が取れている」

と言います。

 

ですからシンプルに言えば、

一貫性が取れている人は自由

です。

 

私はこの「一貫性」を

コーチングにおいては非常に

大事にしています。

 

ちなみに。

 

「一貫性」と「頑固」は

本質的に異なります。

 

「頑固」とは

一貫性の取れていない人の

振る舞いです。

 

一貫性の取れていない人が

自分を守ろうとするために、

融通が効かなくなり、

「頑固」になります。

 

「自我」と「自己」という視点から言えば、

(→【自我による発想など、たかが知れている】)

「頑固」とは、自分だけを守ることですから

「自我」によるものです。

周りとは分離しています。

だから、

周りに迷惑が及びます。

 

それに対して、「一貫性」とは

柔軟です。

 

「一貫性」の取れている人ほど、

周りの意見をよく聴き、

取り入れ、自分のものとすることが

できます。

 

「一貫性」の取れている人は、

何を大事にすれば良いか?

何を変えてはいけないか?を

本質的によくわかっています。

 

変えてはいけないものを

わかっているからこそ、

それ以外に関しては非常に柔軟に

なるのです。

 

「変えてはいけないもの」を

大事にするために、

あらゆるものを変え続けるのです。

 

そこに執着はありません。

 

組織やチームで言えば、

頑固な組織(チーム)か?

一貫性のある組織(チーム)か?

の見極めが非常に重要です。

 

さて。

 

そろそろ木村さんと弓江さんに

戻りましょう。

 

私は、

新規事業プロジェクトチームが

脱皮をするための、

戦略を見出そうとしています。

 

そのための二人コーチングです。

 

チームメンバーは

半分に減らされました。

しかしそれにより、

チームとしての調和性は上がっています。

 

きちんとした脱皮が成されれば、

チームの生産性は何倍にも

アップするでしょう。

 

脱皮段階は、

個人もチームも非常に不安定に

なります。

 

しかしその不安定こそが

大事です。

 

不安定を助長するくらいの方が

良い脱皮ができます。

 

そのためには、

不安定をさらに不安定にするための

刺激を入れる必要があります。

 

どこにどのような刺激を入れることが

最も効果的か?

・・・それが戦略です。

 

そしてその、刺激の入れ所とは、

チームとしての「実在」と「現象」の不一致点

であることが望ましいです。

 

「実在」と「現象」の不一致点を見出し、

そこを突くことで、

個人にとってもチームにとっても

良い意味での「崩壊」が起こります。

 

脱皮とはある意味、

これまでの自分を壊すこと。

 

壊すべきをちゃんと壊すことで、

これまで以上の「一貫性」を

手に入れることができるのです。

 

そして、

より「自由」になれます。

 

そういった意味で、

コーチとは時には「破壊者」であることが

必要です。

 

私は今、

「破壊者」であろうとしています。

 

つづく

 

虚構の中でどれだけ頑張っても、それは虚構だ

この後の二人コーチングの展開を

語るためには、どうしても

次のご説明をしておかなければなりません。

(→前回記事)

 

「実在」と「現象」、

についてです。

 

以前にこのブログでも書かせて

いただきましたが、

さらに詳しいお話をしなければなりません。

 

簡単に言えば、

「実在」とは、

私達の心の中の世界で起きていること

です。

 

「現象」とは、

私達の現実世界で起きていること

です。

 

「実在」と「現象」とは

本来、繫がっています。

 

「実在」で起きたことが

「現象」で起こります。

 

例えば、心の中で

「こんな家を建てたい」と思うから

現実世界で、

そのような家が建ちます。

 

「実在」で起こらないことは

「現象」化しません。

 

それが原則です。

 

ところが、

今の世の中はそうとも

限りません。

 

「実在」では存在しないことが

「現象」化することが

往々にしてあります。

 

つまりは、

心の中で本当には思っていないことが

現実化します。

 

例えば、

実在では「こんな家を建てたい」と

思っている家とは全く異なる家が

建ったりします。

 

もしくは、

本当は実在では「家を建てたい」などとは

これっぽっちも思っていないにも関わらず、

現実では、家を建てることもあります。

 

なぜならそれは

外からの影響を受けるからです。

 

例えば、自分の知り合いが

家を建てた。

その家に遊びに行った。

その時に、「あぁこんな家を建てないな」と

思った。

その通りに、建てた。

・・・しかし、その人の心の中では

本当は「家を建てたい」などとは

これっぽっちも思っていなかった。

なのに、たまたま知り合いの家を見たがために

それをきっかけとして家を

建ててしまった。

・・・そんなケースです。

 

それはそれでいいではないか、

と思う人も多いかも知れません。

 

しかし、

そう単純な話ではないのです。

 

「実在」で、

・・・つまりは、心の中で、

本当に望んでいるのとは別のことを

「現象」化する、

・・・つまりは、実現することにより、

私達の中では、

「実在」と「現象」の不一致が

起こります。

 

「実在」と「現象」の不一致が起こることで

私達には、多大なるストレスが

発生してしまうのです。

 

もちろんストレスが一概に

悪いわけではありません。

 

私達にとって「必要なストレス」というのも

あります。

 

しかし、

「実在」と「現象」が不一致を起こすことで

発生するストレスは、

私達の人生にとっては

百害あって一利なし、・・・なのです。

 

「実在」と「現象」の不一致によるストレスは

私達自身を混乱させます。

自分を見失う、ということになります。

 

こういった人は、

自分は何のために生きてるのか?

自分は何のために生きていきたいのか?

自分は何のために生きることで

幸せを感じるのか?

などが、わからなくなります。

 

本質的な「幸せ」と「不幸せ」の区別が

つかなくなるのです。

 

すると、良かれと思ってやっていることが

自分にとっても周りにとっても

苦しみしか与えない、ということが

非常にたくさん起こり得ますし、

しかも、自分が苦しんでいることに

自分が気づいていないということも

起こります。

 

麻痺している状態です。

 

一生、麻痺しながら

幸せだと思い込みながら生きる人生も

それはそれでよし、

と考える人もいるかも知れません。

 

しかし、残念ながら

自分が苦しんでいることに自分が

気づいていなくても、

それでも、自分が苦しんでいることは

結局は自分が一番よくわかっているのが

私達人間です。

 

自分の人生は

自分のものだからです。

 

自分の人生を良くしたい、

と願うのも私達の本能です。

 

ですから、頭では自覚していなくても

本能的には、自分の苦しみを

自分が一番理解しています。

 

そして、苦しんでいるにも関わらず

それを改善しない自分自身を

自分は「嫌い」になっていきます。

 

自分で自分を嫌う。

 

言葉で言うのは簡単ですが、

それは想像以上に辛いことです。

 

自分を嫌う人は、

目の前に幸せがあったとしても、

それを「幸せである」とは感知しなくなります。

なぜなら、

自分が嫌いだから。

自分に幸せを与えたくないから、です。

 

それを続けることで、

私達の心と魂は、どんどん疲弊し、

傷ついていきます。

 

実は、

そういった人がとてつもなく多いのが

今の世の中です。

 

心と魂が傷ついた人同士が

チームを組んだとしても、

そのチームで「本当の喜び」を得られるはずが

ありません。

 

「実在」と「現象」の繋がりのないままで

「無理矢理のその場しのぎの喜び」を

作り出すのが、関の山です。

 

そういった組織やチームが

非常に多いです。

 

ですから私がまずはいの一番に

手をつけるのは

「実在」と「現象」の一致

です。

 

つまり、

本当に自分が心の中で思っていることと

現実で起こることを

一致させていくのです。

 

それをせずして、

本質的な人の進化も組織の進化も

あり得ません。

 

非常に残念なことですが、

今の世の中においては、

「実在」のない「現象」で生きている、

つまりは、

虚構の中で生きている人が

多いです。

そんな組織も多いです。

 

足元がないのです。

 

足元がない状態で、

いくら表面だけを取り繕っても

それは、虚構のままです。

 

下半身の弱い力士が

上半身だけを鍛えているのと

同じことです。

 

たまたまの成果には繋がるでしょうが、

本当の、必然的な成果は

あり得ないでしょう。

 

もっと私達人間は

強くなれるはずです。

 

組織ももっと

強くなれるはずです。

 

そのためには

下半身を鍛えるのです。

 

「実在」と「現象」を

一致させるのです。

 

つづく

 

自我による発想など、たかが知れている

「自我」と「自己」の違いって、

わかります?

 

「自我」とは、

自分と他者、

自分と社会、

つまりは、自分と自分以外のすべてのもの

が分離しています。

すべてと分離した上での自分。

自分だけの自分、です。

 

「自己」とは、

他者との繋がり、

社会との繋がり、

あらゆるものとの繋がりの中における自分

です。

すべてとの繋がりを実感した上での自分。

全体の中の自分、です。

 

「自己実現」とは

ここからきている言葉です。

 

私達人間とは、

社会的生き物です。

 

繋がりを前提として

存在しています。

 

繋がりがなければ生きていけない

ということを前提として

生まれた存在です。

 

逆に言えば、

繋がりを通じて進化をしていこう

ということを前提として

生まれた存在です。

 

ところが、

繋がりを無視したり、

すべてから自分を分離させ、

自分だけが幸せになればいい

という想いのもとに行動を続けるケースが

あります。

 

ビジネスにおいても

それ以外においても。

 

概して、そういった人は

疲弊しています。

なぜなら、私達人間の本能や

存在意義に逆行した生き方だからです。

 

自分一人が幸せになるよりも、

自分も家族も幸せになる方が

私達からはパワーが生まれます。

 

大切な人を大切にしたいという気持ちは

私達の、繋がりを求める本能から

来るものです。

 

その本能を、

ビジネスの場でもそのまま発揮すればよい

と私は思っています。

 

その方が明らかに、

皆のエネルギーは高まります。

心の内側からパワーが自然発生するのです。

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチング。

(→前回記事)

 

お二人ともかなりの気合いが入って

いました。

しかしその気合いから私が感じ取ったのは

「周りとの分離感」でした。

 

つまり、自分だけの自分、

「自我」としての気合いだったのです。

 

これでは、いずれ必ず二人は疲弊します。

しかも、分離感の中では

不調和の発想しか生まれません。

 

これは実は

非常によくある現象です。

 

ひょっとすると、コーチによっては

この「気合いの入った状態」を

非常に良い状態である、

と認識し、コーチングを進めてしまうかも

知れません。

 

しかしそれでは、

一時的に良い結果は出せるかも知れませんが、

間違いなくそれは一過性のものとなります。

 

それは、不安定の始まりです。

 

不安定とは、

一時的に良くて、

その後に間違いなく「反動」が来る状態です。

そして一度、落ちて、

そこでまた「気合い」を入れて復活し、

結果を出すけれども

またその後、反動により落ちて、・・・

を繰り返します。

 

つまりそれこそが

反応本音レベルの人生、であり

反応本音レベルの仕事、です。

 

「それが人生だ」と

思っている人も多いようなのですが、

そこから私達は脱け出し

自由になることができるのです。

 

気合いの入った二人から

私が感じ取ったのは、分離感です。

私と二人も繋がっていませんし、

二人同士も繋がっていませんでした。

 

その状態で出て来る発想も行動も

たかが知れています。

 

彼らはもっと

素晴らしい現実を

生み出したいはずです。

 

ですから私は

彼らの「気合い」を

彼らから抜きました。

 

その「気合い」とは、

反応本音レベルの気合い。

 

それを抜けば、

真本音状態となります。

真本音状態となれば、

繋がりは自然発生します。

というよりも、

もともと私達は繋がっているのですから、

もともとある繋がりを、

あるがままに感じ取ることが

できるようになります。

 

その状態で物事を進めることこそが、

チームの、組織の、

本来の意味であると

私は思うのです。

 

つづく

 

自己満足の気合いでは、何も見えなくなる

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

木村さんと弓江さんの2回目の

二人コーチングの冒頭で、

私はそのようにお伝えしました。

(→前回記事)

 

二人にとっては

予想外の一言だったようです。

 

少しの間、二人は無言でした。

私の言葉に戸惑っていたのでしょう。

 

冷静な口調で弓江さんが

言いました。

「私達は今、不安定ですか?

私にはその自覚がありませんでした。」

 

木村さんも口を開きました。

「むしろ、いい状態だと

思っていましたが・・・。」

 

「いい状態、だと感じていた

理由はわかります?」

 

「すごくエネルギーが湧いてきています。

モチベーションが高いです。

集中力もあります。

前向きですし、絶対にやってやろうという

意志が高いです。

今日のこのコーチングも楽しみで

しょうがなかったです。」

 

「弓江さんはいかがですか?」

 

「そうですね。木村リーダーとほぼ同じです。

これまでとは少し違うレイヤーの意識に

自分はいるという気がしていました。」

 

「なるほど。

では、一つ今から問いをお二人に投げますので、

直観的にお答えいただけますか?」

 

「はい。」

 

「お二人の真本音は今、

どこにいますか?」

 

最初に弓江さんが答えました。

 

「あっ、なんか、私から離れている

気がします。

私の後ろの上の方、3mくらいの

ところにいるような気がします。」

 

「木村さんはいかがですか?」

 

「私も離れている気がします。

私は50mくらい後ろの方にいます。」

 

「では、その真本音の位置から、

今ここにいるご自分自身を

観察してみてください。」

 

二人は言われた通りにしました。

 

「どうです?

どのように見えますか?」

 

最初に木村さんが

言いました。

 

「なんか、自分の全身から炎が

上がっています。

その炎の中にいます。

でも、炎の中なので、外の世界がきちんと

見えていない気がします。

自己満足的な・・・。」

 

次に弓江さん。

 

「何でしょうか。

自分は、自分の内側のみを見ている

ような気がします。

外に意識を向けていません。

自分のエネルギーを楽しんでいますが、

それだけのようです。

私も自己満足しているのでしょうか。」

 

「お二人は、

新規事業プロジェクトのメンバーが

減ったことが、本当に嬉しいのですね。

なぜなら、直観的に

これで調和性の高いチームになると

思えたから。

そして、これで実績も上がるはずだと

思えたから。

さらに、人数が減らされたのに、

計画以上の実績を上げることができれば、

我ながら凄い!と思えたのではないですか?」

 

「その通りです。」

と木村さん。

 

「それはそれで、問題はありません。

でも、その直観が嬉しくて、

逆に意識が自己満足的な方向に

向かってしまった。

と同時に、

言った以上は、必ず実績を上げなければ!

と気合いを入れた。

気合いを入れること自体は大事ですが、

それは自己満足的な気合いですね。」

 

二人の心がギュギュッと

固くこわばったのがわかりました。

 

「まぁでもそれも人間でね。

そういった心になることをやめてください、

と言う話ではないのですよ。

大事なのは、

そういったご自分を真本音の視点から

客観的に見て、どうしたいか?ですね。」

 

「いやぁ、自己満足は嫌ですね。」

と木村さん。

 

「私は自己満足をするような人間ではないと

これまで思っていましたが、

結構しちゃうのですね。」

と弓江さん。

 

「自己満足するご自分を責める必要もありませんし、

否定することもありません。

それをあるがままに見つめることが大事です。

では、そういった自己満足的な自分に対して

どうしてあげたいですか?」

 

木村さんが言いました。

「私は自己満足な自分も可愛らしいと

思います。

ただ、その自分の中に閉じこもっているのは

嫌ですね。

そこから出たいです。」

 

次に弓江さん。

「私もなんか、こういう自分がいたのだと

思うと、ちょっと自分を可愛らしく思います。

でも、その中にはいたくないですね。」

 

「じゃあ、どうしましょうか?

その真本音の視点から、今の自分自身に

声をかけてあげてください。」

 

「まぁそんなに力まずに。

やるべきことをしっかりと見出して、

一歩ずつ着実に進もうよ。」

と木村さんが自分自身にメッセージしました。

 

弓江さんは、

「気合い入れ過ぎじゃない?

そんなことでは、本質を外してしまうよ。

もっと楽に力を抜いて進もうよ。」

とメッセージ。

 

その瞬間、お二人から一気に

肩の力が抜けた感覚が伝わってきました。

 

「気合い」が抜けたのです。

 

「では、お二人とも、

真本音を自分の体の中に

戻してあげてください。」

 

二人がそうすると、

その瞬間に、場の空気感が

一変しました。

 

二人の目が「自然体」に

戻りました。

 

そして、まっすぐに私を

見つめてきました。

 

見つめていますが、それは

とても軽やかです。

心地よい風が吹いてくるようです。

 

この瞬間、前回の二人コーチングと同じく、

私達は、「一つ」になっていました。

 

「ようやく元に戻れましたね。

では、コーチングを始めましょう。」

 

つづく

 

人の性は、時として気合となって現れる

「進化」には

「揺らぎ」がつきものです。

 

太陽に黒点があるように、

あらゆる物事に「完成」はありません。

 

なぜなら

「完成」とは

「衰退」の始まりだからです。

 

「完成」した途端に、

それは「進むこと」を止めます。

「完成」なので、

当然そうなります。

 

しかし私達人間の本能は、

止まることを極度に嫌がります。

「進むこと」こそが人間の本質であり、

人間の存在する意味なのですから

当然です。

 

ですから私達は本能的に

「完成」を最も嫌います。

 

必ずどこかに「綻び」を残しておき、

その綻びの不安定さを原動力に

次の進化へとつなげます。

 

それが私達人間のみならず、

すべての自然の摂理です。

 

ところが、その一方で

私達は「完成」を望みますから、

(「完成」を望まなければ「進化」はしませんから)

ある時ある瞬間に、

「完成できた」

と思い込むことがあります。

 

それにより、

これまでの歩みが一気に止まり、

急速に「停滞」から「衰退」に向かう、

ということが頻繁に起きてしまいます。

 

「完成した」と思い込むことを私は

「傲慢」

と表現することがありますが、

急速に「進化」することで逆に

「傲慢」になってしまうというものも、

私達人間の性の一つであると思っています。

 

ですから、コーチの役割の一つは、

「傲慢」からの開放です。

「傲慢」ではなく、「真摯」に進化に向かうこと。

それこそが、私達人間の本能レベルでの

喜びであるということ。

それを日常の取り組みにおいて

実感していただくこと。

そのためのサポートが

コーチングであると私は考えています。

 

木村さんと弓江さんの

二人コーチングを私は再び

行ないました。

(→前回記事)

 

それは、

私の側から見れば、

「チームの活性化戦略を見出す」

という目的がありましたが、

お二人から見れば、

「さらなる進化のための

綻び(揺らぎ)を見出す」

という目的もありました。

 

お二人は今、

急速な「進化」を望んでいます。

今こそ、大きくブレイクスルーする時。

今こそ、脱皮する時。

・・・そうお考えです。

 

ですから、その脱皮の端緒としての

二人コーチングでもありました。

 

前回の二人コーチングから

約1ヶ月ぶり。

 

お二人はかなり、

気合いが入っていました。

 

それはとても

素晴らしいことです。

 

しかし、気合いが入っている場合、

私はそれを「抜く」ことを

大切にしています。

 

気合いは大切ですが、

気合いは時には

「脱皮」を妨げます。

 

気合いとは

「意図」だからです。

 

私達は「意図」を持つことで、

自分の「意図」の範疇でしか

成長できなくなります。

 

私達の「進化」とはもっと

ドラスティックです。

 

意図を超えたところで、

真の「進化」は行われます。

 

まずは二人を

二人の「気合」から解放

しなければなりません。

 

私はあえて、お二人に

二人コーチングの冒頭で

強烈な一言をお伝えしました。

 

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

嘘ではありません。

本当にそうだったので、

その通りに申し上げたのです。

 

つづく

 

直観とは、準備があってこそのもの

私は木村さんからの依頼で、

新規事業プロジェクトチームに

もう一歩深く関わることになりました。

 

そして弓江さんとの面談によって

弓江さんという社内コーチを育成しながら

チームに関わる、という方向性を

見出しました。

(→前回記事)

 

目的は、

チームの「脱皮」を果たすことで、

当初の売上目標の1.5倍を達成する

こと。

それを、木村さんと弓江さん中心に

推進するサポートをすること。

 

そのために私は

具体的に何をすればよいでしょうか?

 

私は、組織(チーム)を活性化したり

育成する上で、必ず

戦略を立てます。

 

戦略とは、

最も楽な道を見出す

ことであると私は考えています。

 

つまり、

目的を果たすための

最も楽で効果的なサポートの道筋は何か?

を、私はあらかじめ見出します。

 

私はそれを、

「組織(チーム)活性化戦略」とか

「組織(チーム)育成戦略」

と呼んでいます。

 

それを基本的な道筋として実行に移しますが、

もちろん戦略通りに物事が進むかどうかは

わかりません。

しかし、

物事に柔軟に対応するためには、

その基本線となる道筋が必要です。

 

基本があるからこそ、

応用が効き、

柔軟性が発揮できるのです。

 

それは一回一回のコーチングにおいても

言えることです。

 

私は仕事柄、

私以外のコーチやコンサルタントの方に

お会いする機会がありますが、

彼らのあまりの準備の少なさに

びっくりすることが、正直あります。

 

彼らは「その場のアドリブや臨機応変さが

大事である」と言うのですが、

本質的なアドリブとか、臨機応変さと言うのは

しっかりとした準備があってこそのものであると

私は思います。

 

最も楽な道は何か?

その答えを、自分の中で確信を持てるまで

準備をする。

その上で、現場に入る。

だからこそ、現場では

自由になれる。

直観も大いに働く。

・・・それは、当たり前のことであると

私は思っています。

 

私は、

木村さんの新規事業プロジェクトチームの

活性化戦略を自分なりに明確にしたかったので、

再び、木村さんと弓江さんの

二人コーチングをすることにしました。

 

正確に言えば、

木村さんと弓江さんが

もう一歩、「脱皮」することが、

真の活性化戦略を立てる上では、

重要だと思ったのです。

 

言葉を換えれば、

もう一歩「脱皮」した木村さんと弓江さんと共に

活性化戦略を見出したいと

思ったのです。

 

これ自体も、

活性化戦略の一端と言えますが。

 

木村さんと弓江さんの

真本音レベルの相性は

実にいい。

一人一人を個別でコーチングするよりも

二人同時にコーチングした方が

恐らく数倍の効果が上がるでしょう。

 

お二人もそれを自覚されていたようで、

なかなかに凄い気合いで、

二人とも私の前に現れました。

 

つづく

 

コーチングより、指導してください

木村さんとお話しした後、

(→前回記事)

私は少し弓江さんともお話をしたく

なりました。

 

あえて1対1で

お話ししたいと思いました。

 

弓江さんはすぐに時間を

取ってくださいました。

 

さっそく私は本題に入りました。

 

「弓江さん、突然の展開でしたね。

プロジェクトメンバーが半分に縮小されることになり、

今はどんなことを感じていらっしゃいますか?」

 

「木村とも話していたのですが、

実はそれほど驚いたわけではありません。

何となくこうなることは

わかっていたような気がします。」

 

「特に気負いもなさそうですね。」

 

「はい。

むしろ、スッキリした気分です。

今の縮小されたメンバーだけの方が

正直言いまして、やりやすいです。」

 

「木村さんは、これで生産性が

上がるのではないか、と言われてました。」

 

「私もそう思います。

もちろん、残されたメンバーは未熟です。

能力も経験も高めなればいけませんが、

それはさほど難しいことのように

思えません。」

 

やはり弓江さんは

今回のこの展開をニュートラルに

受け止めているようです。

 

しかも私は彼女から

一種の覚悟のようなものを感じました。

 

「何となくですが、

今の弓江さんからは覚悟のようなものを

感じるのですが、自覚ありますか?」

 

「覚悟ですか・・・。

それほど大仰なことではないと思いますが、

私は、たけうちさんがおっしゃったように

チームにおけるコーチとしての在り方を

貫こうと思っています。」

 

「具体的にはどういったことに

注力されるのですか?」

 

「まずは、木村リーダーのサポートです。

彼が、これまで以上に本来の彼を出せるように、

私は彼の隣で寄り添います。

そして、メンバー一人一人の育成です。

私自身が前線に立つというよりも、

前線に立つ彼らを育成するということが

私の役割だと思っています。

彼らの成長が、すべてを決めますね。

そう思っています。」

 

一言一言が

とても腑に落ちる感覚がありました。

すべて真本音で語っているようです。

 

「私は木村さんから、

もう一歩深くプロジェクトに関わってほしい

という依頼をいただきました。

チームメンバーにも直接関わってほしい、と。

弓江さんはどう思いますか?」

 

「ぜひお願いします。

私はコーチとしての在り方をしたいと

言いましたが、

そんな私自身がまだまだ未熟です。

たけうちさんにお願いしたいのは、

私を指導してほしいということです。

私をコーチングするというよりも、

私のメンバーへの対し方を現場でご覧いただき、

私を厳しく指導してほしいのです。」

 

なるほど。

 

この一言を聴くために、

私は弓江さんとお会いしたのだなと

思いました。

 

「弓江さん、直観でお答えください。

今のチームの力を数字で表すと

いくつになると思いますか?」

 

「・・・。 7、です。」

 

「では、チームの本来の力を

数値で表すと?」

 

「・・・。 あぁ、大きいですね。

2,470という数字が浮かびます。」

 

「面白い数字ですね。

しかし、7 と 2,470 ですか。

まだ今のチームは、まったく本来の力を

発揮していないのですね。」

 

「そうですね。

確かに、彼らの力はまだほとんど

眠ったままです。

脱皮しなきゃ、ですね。」

 

「その脱皮、弓江さんが起こしますか?」

 

「えっ? 私にできますか?」

 

「はい。

当初は私が直接皆さんの脱皮のサポートをしようと

思っていましたが、

弓江さんが彼らの脱皮をサポートする、

ということを大切にしていこうかな。」

 

「もしそれが可能であれば、

ぜひお願いします!」

 

大事な方向性が

見つかりました。

 

つづく