一点を
どこに
定めるべきか?
今また
この問いが
とても重要な
局面だ。
いつもの
3倍以上の
力を
出さねばならない。
私だけでは
ない。
みんな
そうだ。
300%の
力。
そのためには
一点を
定めなければ
ならない。
そこにのみ
集中し、
あとは極力
力を抜く。
集中力と
瞬発力。
今はこれが
肝。
つづく
一点を
どこに
定めるべきか?
今また
この問いが
とても重要な
局面だ。
いつもの
3倍以上の
力を
出さねばならない。
私だけでは
ない。
みんな
そうだ。
300%の
力。
そのためには
一点を
定めなければ
ならない。
そこにのみ
集中し、
あとは極力
力を抜く。
集中力と
瞬発力。
今はこれが
肝。
つづく
もし気球に
乗って、
上昇して、
その上昇が
止まらなく
なったら、
どうする?
まぁ、
慌てふためく
だろうが、
もう
どうしようもない、
と
わかったら、
あきらめる?
それとも
最後まで
何とかしようと
する?
どうするかは
人それぞれ
だろうし、
もちろん
正しい答えは
ない。
こういう発想を
する時、
私の場合、
いつも
私自身思うこと
なのだが、
私は実に
あきらめが
早い。
きっと私は
すぐに
あきらめて、
私が果たして
どのような
最期となるのか、
その最期を
迎える
心の準備を
すぐに整え、
あとは
そこに向かって
まっしぐら。
ほんの
数十秒かも
しれないが、
その
数十秒を
最高のものに
しようと
するだろう。
いや、
まったくもって
格好のいい
生き方じゃないと
思うし、
そんな心構えは
どうなの?
とか
もっと命を
大切にしようとする
気構えはないのか?
とか
言われそうだが、
現に
私自身が自分に
そのように
突っ込んでもいるのだが、
でもやはり
私は
きっとそうする。
抗う
ということを
いつの間にか
私は
忘れてしまったのかな。
いや、
違うな。
今、この流れに
抗おうと
もし決めたら、
きっと
とことん
それこそどれだけ
みっともなくても
抗う気もする。
気球で
私がきっと
思うのは、
ほんの僅かな
時間でも
良いので、
私が愛し、
本当に
良くしようと
日々、思い詰めるだけ
思い詰めて
毎日を
頑張った
地球を
できだけ高い
ところから
できるだけ
広い範囲で
眺めたい、
見つめたい、
その上で
さよならを
言いたい、
ということ
だろうな。
つづく
ジェットコースター
のように、
グッと降る感覚が
くると、
私はまるで
異なる世界に
一瞬で移動したかの
ようになる。
しかし
身体は
ここにある。
そして
クライアントさんは
目の前に
いる。
現実は
何も変わらない
のに、
私の意識だけ
別の世界にいる。
そして
面白いことに
こんな時の方が、
目の前の
クライアントさんの
ことが
より
ありありと
わかるのだ。
別世界と
言いながらも
実は
本当の世界に
いるのかも
しれない。
いつもいる
現実の世界の
方が
夢のような。
クライアントさんの
一言一言が
私の胸に
染み渡る。
波長の波が
実際に
観えるようだ。
その波の
最中に
わずかだが
不純物が
生じている。
私はそれを
拾い上げ、
クライアントさんに
告げてみる。
するとその人は
ハッとしたような
表情となり、
その後に
気づきがくる。
その
気づきの言葉は
たった一言
なのに
私の胸を
ダイレクトに
壊す。
その破壊力で
もって
それがその人の
真本音だと
わかる。
そう、
私は
破壊される人。
それが私の
役割。
私はいつも
クライアントさん達に
よって
破壊され、
何度も
破壊され尽くし、
その度に
生まれ変わる。
それが
私にとって
コーチという
仕事。
つづく
様々な事象を
3次元で
認識しよう、
体系化しよう、
というのが
科学であり、
そこにこそ
科学の意味が
あるのだが、
人の心
というのは
もともと
3次元レベルの
ものではないので、
それを
科学しようと
しても
土台、無理が
あるのは
仕方ないことだ。
そもそも
すべてを
3次元でカタをつけよう
というのが
傲慢な気もするが、
3次元に
住んでいる以上、
そこで実証するしか
確かな方法はない。
心は
見えないもの
だから、
とにもかくにも
想像しながら
仮説を立てるしか
ない。
確信したものを
仮説として、
現実的に
確かめてみる。
しかもそれを
人の
目に見える
振る舞い・行動レベルで
確認するしか
ない。
その不確かさ
の連続で、
それなりの
法則化を
してみる。
法則化したものを
皆さんに
提示してみて、
皆さんなりに
自分としては
どうか?
を
実験してもらう。
で、また
声を聴く。
とにかくそれを
粛々と
続けてきた。
見えないが
故に
面白い部分と、
見えないが
故に
キツい部分と。
両方が
あるわけだが、
ここが楽しい
と
思えるならば、
コーチ的な
仕事には
向いているかも
しれない。
ただ、
見えないことの
確認作業は
難しいよ。
自分の解釈を
入れれば
途端に
曇るからね。
解釈だけで
ずっと
進めていければ
良いけど、
それでは
途端に
通用しなくなる。
ボロが
出てしまう。
みんな、
人間、
やってるからね。
知らないこと
とは言え、
皆、本当は
わかっている
からね。
みんな
「人間」の
エキスパートだ。
本当は。
エキスパートに
向かって
説明しても
それが浅ければ、
何となくの
違和感としての
ボロが出る
もんだ。
それは
プロとしての
疑念として
相手には
印象される。
そうなると
もう
仕事には
ならないね。
少なくとも
継続契約には
ならない。
難しいだろ?
それでも
人のサポートを
したいと思うかい?
つづく
何も
遮るもののない
大海原に
太陽の光が
眩しく
照っている。
吸い込まれ
そうだ。
無限の広がり
とは、
自我を
忘れさせる怖さ
がある。
とはいえ、
何とか
踏ん張って
耐えている。
ほぼほぼ
無風状態。
私は
待っている。
それが
起こるのを。
それが
起こるまでは、
何があっても
ここに居続ける。
倒れは
しまい。
こんなに
安定している
海が、
もうすぐ
根底から
暴れ出すとは
思いもよらない。
どうしても
イメージが
できないのだが、
しかし
ほぼ
間違いない。
海底と
海面が
ひっくり返るような。
空と海が
ひっくり返るような。
一見すると
自然の摂理に
反するかのような
現象が
起ころうとしている。
その
予兆かのように
海についに
ヒビが入り始めた。
まるで大地の
ように。
無限に
連なっていくその
裂け目に、
海水が滝の
ように
飲み込まれる。
今だ!
と
私はその裂け目に
飛び込む。
ここしか
ないのだ。
出口は。
私はまだ
生きなければ
ならないのだから。
つづく
電車に
喩えるならば、
各駅停車に
乗って、
ゆっくりと一つ一つ
の駅を
楽しみながら、
途中下車も
しながら
人生を進めたい
という
人はいる。
逆に、
とにかく
目的地があるなら、
まずはそこまでは
新幹線を使って、
一気に
到達したい
という
人もいる。
進み方は
それぞれ。
それぞれの
良さもある。
人生を
どのように
進めるか?
は
自ら選ぶと
いい。
そこを
間違ってしまうと
どのように
進んだとしても、
面白くは
ない。
目的は
大切だが、
プロセスも
大切だ。
時々、
最初は
各駅停車で
スタートしたけど、
やっぱり
新幹線で
行きたい
と
気が変わる
人がいる。
逆も
しかり。
最初は
新幹線だったけど、
やっぱり
各駅停車だ、
と。
途中から
進み方を
変えるのだって
もちろん
アリだ。
変えたくなったら
変えればいい。
今、
前者のように
人生の進み方の
スピードを
一気に高めたい!
と
急に思い始めて
いる人が
増えている。
ところが
そのやり方が
わからない、
と。
そうだなぁ。
確かにこれまで
ずっと
各駅停車で
来て、
急に
新幹線に乗ろうと
しても、
まずはその
乗り方が
わからない。
何とか
乗れたとしても、
あまりの
スピードで
怖くなってしまう。
空気感が
全然異なるので、
我を失って
しまう。
新幹線なりに
楽しもうと
思っても、
何をどう楽しめば
良いのか、
わからない。
などなどの
ようになる人も
やはり多い。
結局私は
そういう人の
ための
サポートをしている
のだと思う。
早く
最初の目的地に
到着したい人。
でも
単に移動する
だけでなく、
そのプロセスを
楽しみたいし、
そのプロセスの
中でこそ
成長したい人。
そして、
最初の目的地から
さらに
先に進もうと
する人。
その
「さらに先」
というのは
未開の地だ。
誰も
入ったことが
ない。
そんな人達を
私は
サポートしている
し、
サポート
したいのだ。
数は
そんなに多くない。
むしろ
そういう人達は
「変態」
とも呼ばれる。
でもやはり
私は
「変態」君達と
共に
進みたいのだ。
つづく
昔、地球は
平坦だと
考えられていた。
まるで
丸テーブルの
ように。
そして
丸テーブルの
果ては
超巨大な滝が
あり、
海の水が延々と
落ち続けている、
と。
世界には
果てがある、
と。
もちろん
今の我々から
すれば、
そんなはずはない
と
知っているが、
それはただ
知っている
だけだろう。
映像や写真
などで
球体の地球を
見ただけで、
実際に
生で見たわけでは
ない。
情報がない時代
は、
自分達で
想像するしかない。
その想像力が
昔の人達は
豊かだったのだと
思う。
世界の果ての
滝。
それが実際に
あるかどうか、
ではなく
そういったことを
みんなが
信じていた、
その
みんなの中に
存在した
“果ての滝”。
それを私は
実在で
感じるのだ。
いや、
逆に言えば、
実在のレベル
では
確かにその
“果ての滝”
は
存在する。
だからこそ、
昔の人達は
それと
繋がるようにして、
世界の果てを
そのように
想像し得た、とも
言えるのではないか。
今の時代、
わからない
ことに対して、
すぐに
情報を得ようと
する。
それって
本当に
人間が
豊かになっている
という
ことなのだろうか?
わからないから
攻略本を
調べる。
・・・という
だけのことでは
ないか。
そこに
“人生”は
本当にあるのか?
私達は
わからないこと
について
もっと想像して
良いのではないか。
未来は
わからない。
自分の
人生のことだと
しても。
じゃあ
未来像を
ネットで調べる
のではなく、
もっと純粋に
自分の想像で、
豊かに
自由に
描いてみては
どうだろう?
ここから
歴史を創るのは
私達だ。
攻略本で
創るわけには
いかないでは
ないか。
つづく
巨大な樹が
水面に
映っている。
小波に
揺れている。
トツーン
トツーン
と
音にならない
音が聴こえる。
樹のように
見えて、
あれは
私自身を
映し出している
のだな、
と
わかる。
大樹は
大きいのだが、
自分からは
動かない。
動けない。
ただその
存在を
示すのみ。
そして
魂に響く
音を
震わせる。
遺す。
それ以上の
ことは
しない。
しては
ならない。
大樹を
活かすのは、
大樹を
活かそうと
する者
のみ。
その者が
現れて
くれるのを
ただ
待つのみ。
少し大きな
波がきた。
大樹の姿は
波によって
揺れて消えた。
振り返ると
そこに
大樹はなし。
私が
いるのみ。
やはり
私はこの生き方で
いよう。
ただ、
もっともっと
大きくありたい。
つづく
背後に
引っ張られるような
感覚があり、
思わず後ろを
振り返ったら、
彼がいた。
彼もちょうど
振り返った
ところだ。
同時に
目が合った。
久しぶり
ですね〜!
と彼。
どうして
ここに?
私は
首を傾げる。
いえね、
私もたまたま
なんです。
東京に来るの。
こういう偶然って
あるんですねー!
びっくりです。
あれから
いかがでしたか?
大変だったでしょう。
本当は
ゆっくりその後の
お話を
お聴きしたいの
ですが、
今ちょっと
急いでますんで。
またぜひ
ご連絡ください。
お待ちして
ますんで!
とてもにこやかな
笑顔。
あれは
社交辞令じゃ
ないな。
本当に
嬉しそうだ。
少年のような
キラキラの目。
彼は
足早に
去っていった。
あの感じじゃ、
本当に
連絡してあげたいなぁ。
で、
誰だっけ?
きっと
初対面だ。
つづく
昔、インドの
ガンジス川で見た
赤い月を
忘れられないのだが、
どうしても
あの月から
あの時、
私に何らかの
メッセージがあったように
思うのだ。
しかしそれが
わからないままに、
30年近く
経ってしまった。
あの時、何か
音楽に似た
旋律が
流れていたようにも
思う。
あれは
単なる風の音
だったか?
窓にガラスすら
はめ込まれて
いない
安宿のすぐ下に
ガンジス川が流れ、
向こう岸の
さらに向こうから
赤い月が昇る。
月の光が
そのまま
水面に映る。
一筋の道の
ように。
その光景は
リアルに
ここにあり、
今ようやく
メッセージが
浮かび上がって
きた。
メッセージは
水面を
伝わってくる。
・・・
この旋律を
君はいつか
思い出す時が
くるだろう。
これを
思い出したら、
それは合図だ。
その時は、
旋律に意識を
委ねれば、
自ずから答えは
わかるよ。
・・・
今、その旋律が
流れ出して
いるんだ。
私はこれから
どんな問いの
どんな答えを
出すのだろうか。
つづく
目の前に
水平に漂う
何かがあって、
これは何だ?
と
目を凝らして
みると、
海だった。
水中と
水面上と
両方の視点から
観える海。
海は激しく
揺れていた。
なぜこんなに
激しく?
と
問いかければ、
海の苛立ちが
伝わってきた。
何を苛立って
いるの?
しかし
海は答えない。
しょうがないので
しばらくじっと
観察していた。
無言で
向き合うだけ。
すると
海の底の方に
ボーッと
赤いような光が
観え始めた。
あれは
何だ?
と、また目を
凝らすと、
あまり観て
ほしくないんだ、
と
海が言う。
なぜ?
と
問うても
答えてくれない。
観るなと
言われれば
観たくなってしまう
のが
人情というもので、
半ば強引に
その赤い光に
意識を向けて
しまったよ。
そうしたら、
すげー怒り。
海の怒り
の塊。
だから観るな
って
言ったのに。
・・・と海。
懐深い海が
こんなにも
怒ってるんだ。
並大抵では
ないなぁ、
と呟くと、
そろそろ私も
怒ろうかな、
と、
怒りを解放しても
よいかな、
と、
そう思うんだよ、
と、海。
そろそろ何の
怒りか
教えてくれよ、と
頼み込むと、
やっと
答えてくれた。
二つに
分かれちゃった
でしょ、
君たち人間は。
進む者達と
進まない者達に。
何やってんだよ!
と
怒ってるんだ。
確かに。
それは
面目ない。
弁解のしよう
もないよ。
ただ私は
詫びた。
私は
分かれないけど
いいかい?
と、海。
それは
むしろありがたい。
君が一つの
ままで
いてくれるなら、
人はまた
一つに戻れる
かもしれない。
進まない者達も
本当は
進みたいのだから。
じゃあ私は
私のやりたいように
するよ、
と、海。
なんかちょっと
海と和解
できたかのような
気分だ。
つづく
風が吹く中を
歩いている
のだが、
追い風に
なると
ついつい
走ってしまう。
その方が
楽だから
というのもある。
追い風に
身を委ねるのも
良いのだが、
しかしやはり
基本は
一歩一歩。
追い風の
時こそ。
追い風のうちに
できるだけ
遠くまで
進んでいたい、
という
気持ちも確かに
あるが、
しかしやはり
基本は
一歩一歩。
永続性を
求めるならば。
調子が
良くなると
どうしても
一歩一歩は
雑になる。
わずかな
雑さでは
何も現実は
変わらない。
が、
そのわずかな
ものは
ちゃんと
積み重なる。
雑さは
次の雑さを
生む。
気がつけば
一気に
不調和となって
それは
現実化する。
一つを
丁寧に決め、
一つを
着実に実行する。
追い風の
時ほど
大切にしたい
基本だ。
つづく
一人
膝を抱えて
眠る私がいる。
今は
休め。
疲れた
だろう。
無理をして
でも
休め。
そう、
自分に
命令する。
あなたも
同じだろう。
その疲れは
必然的な
疲れ。
実在のレベルで
誰もが
共有する
もの。
実在のレベルで
大きな変革
のために、
どうしても
やらねばならない
ことを
私達はやった。
そして
ほぼ
完了した。
だから
今は
休もう。
しっかり
眠り、
英気を
養う時。
休むのが
仕事だ。
つづく
燃え盛る
炎。
頭が
燃えている。
それと共に
徐々に
思考が
消えていく。
たくさんの
思考達。
よく
考えた。
よくぞ
考え尽くした。
徹底的に。
あれも
これも。
もう
これ以上は
考える意味は
ない。
・・・と、
感覚的な
完了感が
きた。
それと共に
頭が
燃え出した。
その炎を
客観的に
見つめながら、
徐々に
際立ってくる
その
奥からの
光の粒を
私は
見出した。
炎の後に
残る
光。
すべてが
ザーッと
洗い流された。
すべてが
消えた。
その後に
唯一
残る光。
私から
あらゆる力が
抜けた。
そのまま
私は
光の中に
入る。
そこに
「答え」
は
あった。
「答え」と
一つになる
私がいる。
いつから
始める?
明日、
からだな。
もう
いかなる
躊躇も
ないようだ。
準備は
完了。
直観のままに
私は進む。
つづく
丸い石
がある。
もっと
角張っても
いいのにな。
懸命に
丸くいるんだろ。
もっと
トゲトゲで
いいんだよ。
きっと
誰かを
傷つけないように
と
頑張ってるの
だろうけど、
そうやって
自分を傷つけて
いるんだよ。
そして、
自分を傷つける
人は
結果として
人も傷つける。
必ずね。
本当はもっと
自然の形で
いたいのだろ。
デコボコ
したいのだろ。
大丈夫。
あなたの
真本音は
真ん丸だ。
だから
表面くらい
デコボコで
ちょうどいい。
つづく
もし今、
あなたが
苦しみの
中に
いるのなら、
例えば、
頭の芯が
ギュッと
締め付けられる
ように
痛いとか、
そうで
あるなら、
あなたは
きっと
何かに
依存している。
依存による
苦しみだ。
現実的な
何らかの問題に
より、
心が弱く
なっている
のだろう。
するとどうしても
誰かに
何かに
依存したく
なる。
ところが
その瞬間から
自分の本来の
立ち位置から
ずれてしまう。
自分の本来の
立ち方が
できなくなって
しまう。
それによる
苦しみは
大きい。
苦しいかも
しれないが、
自分で
何とかしよう、
自分の
道なのだから、
と、
意志をもって
決めるしか
ない。
自分を
信じて。
ある意味、
開き直る
しかない。
もし自分の
真本音が
わかっているなら、
自分の
真本音の願い、
想い、
祈り、
を
思い出そう。
それを
自分の中心に
置こう。
自分の足で
進もうと。
すると
スーッと何かから
解放されるはず。
酩酊状態から
脱け出し、
我に返る
はず。
「現実」が
ありありと
目に映るはず。
我に返ったら
始めよう。
今、できること
を
今、わかること
を
一つずつ。
つづく
これまで
青空だと信じてきた
ものが、
単に
青空をスクリーンに
映し出しただけの
映像だった。
・・・それくらいの
インパクトが
あったんだ。
初めて
実在を観た
ときは。
この世は
幻影だと
言われる。
確かにそうだ、
とさすがに
感じたよ。
しかし
幻影には
実体がある。
実体があるから
こそ
映し出される。
実体が
わからなければ、
その能力が
我々人間に
ないのであれば、
幻影と
向き合うしか
ないだろう。
どうせ向き合う
なら、
徹底的に
あるがままを
観よう。
解釈などという
それこそ
幻影の上塗りなど
せずに。
そう思って
生きてきたら、
ある時に
出会えたんだ。
幻影を映し出す
実体の
さらにその奥にある
本質とも言える
世界に。
それを
昔の哲学者の
表現に倣って
私は
実在
と呼んでいる。
これほど
存在をありありと
感じられる存在は
ないからだ。
唯一、
本当に
存在
しているもの。
この世に生きる
私が
幻影の私ならば、
実在の私も
確かに存在する。
幻影のあなたが
いるのならば、
実在のあなたも
確かに存在する。
ところが
実在の私(あなた)
と
幻影の私(あなた)
が
断絶してしまって
いる。
これが今の
世の中の
有様。
本当は
繋がっている
はずのものが。
いや、
本当は
一致している
はずのものが。
実在が
わかった当時は
そのあまりの
断絶さに
絶望さえ抱いたよ。
でもね、
今は
希望を感じている。
実在と幻影が
繋がり出した。
一致とは
言えないけれど。
繋がりながら
生きる人が
急に増え始めた。
この流れは
止めたくないな。
「断絶から
繋がりへ」
これが
ここまでの10年。
「繋がりから
一致へ」
これが
ここからの10年の
テーマだ。
つづく
残念ながら、
人は
人の
足を引っ張る。
本人は
意識して
いなかったと
しても。
その根源に
あるものは、
恨みの
気持ちであり
さらに
その根源には
虚無
がある。
前に真剣に
進もうと
すればするほど、
妨害は
くる。
何をするに
しても。
残念ながら
それが今の
人間社会の
現状だ。
その妨害に
いちいち
揺らされている
暇はない。
私達は
自分のペースで、
真本音の
ペースで
毅然と
進もう。
虚無たち
と
戦う必要は
ない。
虚無とは
本当は
そのものが
ないのだから。
虚無とは
人間が勝手に
創り出した
それこそ
虚無なもの
だから。
私達は
幻影と戦う
必要はない。
毅然と
進めば
幻影は
自然と
消える。
つづく
祈りは
不明瞭を
生む。
そして、
不明瞭こそが
真の明瞭を
生む。
不明瞭を経ない
明瞭は
ない。
・・・これを
少し表現を
変えると、
祈りは
不安定を
生む。
定期的に。
祈り(もしくは、願い)
が
強ければ強いほど、
必ず
不安定はくる。
より
安定したものを
構築するために。
そして、
構築できた、
完成できた、
と
なったところで
また
次の不安定が
くる。
これに
終わりはない。
疲れるなぁ、
と
思われるかも
しれない。
でも
それは違う。
これは
人間の宿命だ。
宿命であり
摂理だ。
宿命、摂理・・・。
これらを
受け入れる
者は、
無尽蔵の
エネルギーを
得ることができる。
なぜなら
その人自身が
宿命、摂理、の
循環の中に
入りきることが
できるから。
自然のエネルギーは
永遠に
循環を続ける。
その循環に
自らを
委ねることが
できるから。
その時
私達は
知るだろう。
不安定こそが
生きがいで
あると。
自分が
今ここにいる
意味であり、
意義であると。
いや、
自分という
存在そのもので
あると。
不安定を
形にしたものが
人間だ。
不安定を
形にしたものと
して、
素直に生きることで、
私達は
真の安定を
得る。
つづく
目の奥から、
自分の瞼を
内側から
見つめている。
瞼まで
かなりの距離が
ある。
ここは
どこだ?
あの目の形を
した目が、
私のいつも見ている
目か。
あの窓のような
部分から
外の世界を
見ているのか?
狭い窓だ。
あれでは、
見えるものしか
見えないだろうに。
すべての波長の
わずか特定の
ものしか、
察知できない
だろうに。
でも思えば、
人は皆
あのような狭い窓から
世界と接しているんだ。
あの、
目隠しをしているのと
同じような
状態のまま。
しかも
各々の経験によって
各々の目には
フィルターが育つ。
色眼鏡が
育つ。
もうそうなったら
むしろ
目隠しをしていた方が
まだマシだろう。
小さな窓から
わずかに差し込む
光。
薄い光。
しかしここまでは
届かない。
何もわからない。
私は何をすれば
良いのか?
このような状態で
皆、生きているのか。
窓が遠のく。
私はこれから
どこに行くのか?
・・・
自分が感知した
ものが
すべてである
と決めつけるのは
危険だ。
しかし、
それをわかった
上で、
自分が感知した
ものを
自らが愛そう。
「愛す」とは
解釈を加える行為
ではなく、
ただ
意志を持って
意識をそのものを
向けること。
より深く
知ろう!
として。
小さな窓で
生きる我々。
我々にできるのは
それだ。
つづく
夜は明ける
ものだな。
碧い夜の
もとを
行方知れずの
列車で
走り続け、
そのまま
闇に堕ちるのかと
不安に
かられ始めた
ところで、
向こうの方から
夜が
白んできた。
途端に
線路の軋む
音が
この耳に
伝わり出す。
生きている
実感。
これから
生きる実感。
間に合った!
とは
到底言えない。
あまりに
多くの犠牲と
悲しみがあった。
絶望とは
言いたくないが、
人の心として
そう落ちることも
仕方なかろう。
しかしそれでも
なお
夜は明けるのだ。
これを
先人達は
希望
と呼んだのか。
希望
というには
あまりに
切なすぎるが。
これから
夜が明けて
この暗い世界を
忘れる頃、
私は
同じ過ちを
忘れずに
いられるだろうか?
今度はもっと
マシな進み方が
できるだろうか?
もっと
毅然と道を
選べるだろうか?
もう
決して来ないと
諦めていた
朝が、
もうすぐ・・・。
何度も
思ったに違いない
決意を
今また
ここで。
今度こそ・・・。
つづく
両掌で掬った
水の中に
地球が観える。
水の中で
元気そうだが、
水の中で
自分を癒している
ようだ。
疲れたな。
しかし一つ
山場は越えたよ。
今はゆっくり
休むことだ。
今度ばかりは
内側から
崩壊しそうだったな。
人間の心
というのは、
弱いものだ。
強いエネルギーに
弱いのだ。
エネルギー過多に
なると
すぐに内側から
崩壊してしまう。
脆弱な私達の
心。
それを綿密に
守りながら
私達は生きている。
とりあえず
地球に元気が
戻ったのは、
何よりも
ホッとする。
私達は
二つに分かれた。
進む者と
進まない者に。
進む世界と
進まない世界に。
もちろん
その二つは
自由に行き来できるし、
ちゃんと
繋がっている。
だから
二つと言っても
一つのまま
なんだが。
まぁ、でも
分かれたものは
簡単には
戻らないわなぁ。
と
地球は少し
寂しそうだ。
私もちょっと
悲しい。
でも、
今はそれを
よしとしようでは
ないか。
分かれては
また
くっつきながら、
私達は
進化するのだから。
それが
摂理なのだから。
つづく
一点集中、
すべき時。
今は、
それだけに。
他には
一切の
力を
使わずに。
それのみの
ために
自分の全ての
力を
使うべき。
人生において
そんな時期は
ある。
それが
今では?
つづく
人の中心は
祈りだな。
この仕事を
ずっと続けながら、
20数年経っても
変わらない
私の印象、実感。
よく私は
「願い」という表現を
使うが、
実は
「祈り」の方が
よりしっくりくる。
祈りとは
進化とイコールだし、
本当の中心にある
祈りとは
言葉では
表現し得ないもの。
祈りが
カタチとして
現れたものが
人間
ではないかな、
と。
・・・
人がもし
自分の本来の
祈りを
感覚として
思い出し始めたら、
それがその人の
本来の人生の
始まりである。
その人生とは
不明瞭
から
始まる。
祈りとは、
不明瞭を
生み出すもの。
これまで
明瞭であると
思い込んできた
あらゆるものが、
実は
明瞭なものなど
一つもなく、
実は
すべてが不明瞭の
ままに
私は生きてきたんだ、
と
気づいて
しまう。
それを私達は
また
本能的な恐怖として
既に知っているので、
自分の祈りに
触れないように
触れないように
して
生きてきた。
不明瞭への
恐れが、
本来の自分と
向き合うことを
阻害し続けてきた。
しかし、
不明瞭とは
明瞭を
生み出すものだ。
不明瞭とは
問い
そのものだ。
不明瞭とは
「?」
だ
この「?」と
向き合い続ける
ことで、
それが本来の
人生の始まり
そのものであるが、
ある時ある瞬間に
私達は、
真の明瞭
に行き着く。
しかしながら、
真の明瞭は
次の不明瞭を
生み、
その「?」と
向き合うことで、
さらに次の
明瞭を得る。
この繰り返しが
私達に
人生における
真の充実を
与えてくれる。
私は
私の人生を
生きている!
という
内側から
湧き上がるような
悦びとは、
ここから
くるものだ。
祈りは
不明瞭を生み、
不明瞭は
明瞭を生む。
自分の祈りに
素直になれば
いい。
つづく
台風の渦が
激しくても、
その中心は
静かなものなので、
常に
中心にいよう。
周りが
どれだけ混乱
していても、
「私が全ての
中心である」
という
意識で、
すべてを
あるがままに
観察していよう。
無闇に
動く必要はない。
対策が
わからなければ
観察だけで
充分だ。
しっかり
観ていれば、
初めの一手
が
わかる瞬間が
くる。
中心に
いるからこそ。
中心とは
安定だから。
皆、
中心にいることを
恐れるが、
中心とは
安定だ。
環境の中心。
出来事の中心。
人間関係の中心。
自分の人生に
おいては、
すべて、
自分自身が
中心。
それが
摂理。
つづく
天空から
自分を眺めると、
とても小っぽけな
私が
右往左往
している。
まっすぐ行けば
良いものを、
右に行ったり
左に行ったり、
逆走したり、
転んだり。
相当に
余分なことを
やっているな、と
初めてわかった。
自分をどう
変えるか?
よりも
余分なことを
一つずつでも
やめていく、
それだけ
なのだな、と。
そこは
単純な発見
だったな。
・・・
あなたが
やめたいことは
何?
本当は
すぐにでも
やめたいことは?
・・・
とはいえ、
やめたいから
と言って
すぐにやめられるなら
それほど簡単な
ことはない。
しかし、
やめたいことを
しっかり自覚し、
まずは
「やめよう!」
と
決めること。
一瞬でも
100%の気持ちで
決めること。
それによって
私達は余分なものを
一つずつ
手放すことが
できる。
自己変革とは、
そういった一つ一つの
積み重ねだ。
まずは、
一つから。
まずは、
やめたいこと
から。
つづく
問いがたくさん
出てくるな。
こういう時は
きっと
もうすでに
とても大事なことを
私は
掴んでいる。
重要な指針
として。
答えとして。
・・・
山の向こうに
あるものは
何だろう?
大海原の彼方に
観える
あの炎は
何だろう?
鈴の音が
風の最中に
聴こえるが、
何を伝えている?
ゆっくりと
天から地表に
降り立とうとしている
存在があるが、
あれの影響とは?
大勢の人々の
ざわめきがあるが、
皆、何を同じように
呟いている?
中心核と
中心核の
融合により、
今、私は新たに
何を望み始めている?
・・・
こんな感じで
一見すると
訳がわからないような
問いが、
私の場合は
多いが、
答えの多くは
とてもシンプル。
そして
それらはさらに
重要な気づきへと
導いてくれる。
実在の
問い。
実在からの
投げかけ。
そして
メッセージ。
答えはこの世に
満ちている。
つづく
縦の線と
横の線の
交わるところ。
そこに
私達はいる。
人間が
いる。
縦と横の
交差。
これが
人間の本質。
そして
この世の中も
現実のレベルで
縦の線と
横の線で
出来上がっている。
ところが、
その
「交差」の場所に
いない人が
ほとんどだ。
だから
不調和が起こる。
不必要な
混乱が起こる。
本来は、
「交差」では
ない場所にいると、
それだけで
気持ち悪い
ものなのだが、
その感覚が
麻痺して
しまっている。
私のサポート
とは、
要するに
その気持ち悪さに
敏感になること
なのかもしれない。
そうすれば
放っておいても
その人は
「交差」の場所に
い続けることになる。
そんな人は
周りに調和を
もたらし、
そういった人達が
増えることで、
社会全体の
調和性が高まる。
多くの人が
常に意識できている
のは、
横の線、だ。
もっとみんなが
縦の線、を
意識できるように
なるといい。
可能であれば、
その人が
縦の線
そのものとなること。
縦の線
そのものになれる人
は、
必然的に
横の線、そのものにも
なれる。
縦と横、
両方の線、そのものに
なり、
その上で、
「交差」の一点に
自分を置く。
自分の個性を
置く。
自分の力を
置く。
みんながそうなると
すごいよなぁ。
つづく
そろそろ
良いタイミングだ。
自分の知り合いを
すべて
列挙してみよう。
紙に書き出して
みよう。
古い知り合いも
全部だ。
人生で出会った
人達全部。
全部書き出す。
全部吐き出す。
これをやり切ると
スイッチが
変わる。
この知り合い
リストを
眺めてみよう。
ふと直観的に
会いたくなる人が
いるだろう。
「誰にいつ
会おうか?」
・・・この問い。
今はこの問いが
超重要だ。
そしてその
答えを素直に出し、
会いに行って
みよう。
ここからの人生での
重要な「始まり」と
なるだろう。
・・・などと
重くは考えず、
気軽に行くのが
いいよ。
つづく
何かが
溶けていっている
のがわかった。
凝固していた
何かが。
表情が、
ピンボケするような
感じで
崩れていく。
ガチガチ
していたものが
溶け、
柔らかな眼差しが
その向こうから
現れた。
それがあなたの
本当の
顔だ。
本当の顔に
なった時、
初めてその人の
本当の個性が
目を覚ます。
これまでとは
真逆のものが
多い。
こんなの
私では
ない、
と
最初は
思うかもしれないが、
それこそまさしく
あなただ。
本来の。
照れるような
くすぐったいような、
何とも言えない
感覚と共に、
新たなその人、
本来のその人と
出会う。
再会のような
感覚だが。
さて、
ここからは
早い。
速い。
阿吽の呼吸の
ような
キャッチボール。
必要な時に
必要な刺激
のみを
与え続ける。
お互いに。
必然的なペースで
必然的なものが
生み出されていく。
もはや
コーチ・クライアント
ではない。
パートナーだ。
あなたと私の
本来の関係だ。
つづく