本当の自分と出会う方法

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私達の心の中には

自分の観たくない反応本音が

たくさんあります。

 

自分が知りたくない

反応本音のパターン(クセ)も

たくさんあるでしょう。

 

それを観て、

知ってしまったら、

自分のことを

嫌いになってしまうかも。

いや、

嫌いになるだけならまだましで、

自分のことを否定したり、

自分の過去の振る舞いを

後悔したり、

自分を責め続けることに

なるかもしれない。

 

過去の変えることのできない

後悔の事実達を

フラッシュバックしながら

生きていかねばならないかも。

 

・・・そんな恐れが

ほとんどの人にあるでしょう。

 

だから、

観たくないものには

フタをして、

前向きに生きていこう。

 

・・・これも多くの人が

無意識に行なっている

ことです。

 

しかし残念ながら、

こういった生き方は

自分の心をさらに

深刻にするだけです。

 

なぜなら、

フタをしているだけで、

本当は自分のことを

自分はよくわかって

いるからです。

 

自分を責めたくないから

フタをする。

しかし、

フタをしたその中で、

その人は自分をもう

責め続けているのです。

 

しかも、

自分を責めていることに

自分が気づいていない、

という状態ですから

「そこに気づけよ!」

と自分に苛立ちながら、

さらにその「責め」を

増幅させてしまうのです。

 

自分のことを

観ない。

 

その事実だけで、

人は自分を

責めるのです。

 

ですから、

一番楽な生き方とは、

一つ一つを

ちゃんと観察すること。

 

後悔するなら

後悔するでもいい。

 

一つ一つを

ちゃんと後悔しながら

進むこと。

 

一つ一つを

ちゃんと反省しながら

進むこと。

 

一見、その方が

深刻な人生になりそうですが、

それが本当にできている人は

だんだんと自分に対して

「おおらか」に

なっていきます。

 

自分ときちんと

向き合っていることを

自分が一番よく

わかっているからです。

 

そういう人は

自分のことを

自然に許せるように

なります。

 

確かにその行為は

酷かった。

するんじゃなかった。

でも、しょうがない。

私も人間だ。

間違いはある。

次はそうならないように

注意しよう。

 

・・・そんな感じに

なっていきます。

 

そしてそれをさらに

続ければ、

そんな間違う自分を

「可愛らしいな」

と思えるようになります。

 

もちろんそれは

自己満足とは違った

状態です。

 

自己満足の「可愛らしいな」は、

自分の観たくないものに

フタをした状態で

無理にそう思い込もうと

している状態です。

 

しかし、

自分と向き合い続けることで

自然に生まれる

「可愛らしいな」は

愛の一つのカタチです。

 

これができる人は

他人に対しても

同じ目線を向けることが

できるようになります。

 

人のことを

許せる自分になれます。

 

そこにあるものを

そのまま観る。

 

観るだけでよいのです。

 

それをどうこう

しようとしない。

 

それが

『存在承認』です。

 

存在承認を

し続けることで、

私達は初めて

ある一つのことに

気づくでしょう。

 

その気づきとは、

頭で理解する気づきではなく、

感覚として覚える

気づきです。

 

実感する気づき

です。

 

それをあえて

言葉にすれば、

次のようになります。・・・

 

すべての自分の心を

観続ける自分。

 

すべてを

存在承認し続ける

自分。

 

あれ?

 

この観続けている

この自分は

誰だ?

 

すべてを客観的に

観ているこの、

ここにいるこの

自分は

何者だ?

 

私は、

誰だ?

 

・・・ということです。

 

何度も書きますが、

理屈ではなく、

実感として

体感として

それを感じ取ります。

 

すべてを観つめている

その主体である

自分自身の存在を

ある瞬間に

ありありと自覚するのです。

 

そうです。

 

その主体こそが

『真本音』

です。

 

本当の

自分です。

 

つづく

 

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