昔、
登山をしていた
時代に
いつも思っていた
ことだが、
山は、
一歩一歩
自分の足で
登ってこそ
満喫できる。
そして、
背負っている
荷物が
重ければ
重いほど
その
満喫度合いは
高まる、
と。
ザ・昭和的発想
と言われれば
それまでだけど、
本当にそう
思っていた。
だから、
どうせ山に
入るなら、
日帰りの
ような
短い登山では
なく、
テントも食料も
背負いながら、
一週間以上は
山に埋没し、
縦走を続ける、
そんな登山を
好んでいた。
チームで
行くことも
あったが、
一人で
行くことも
多く、
特に
一人で山に
入ることによる
独特の、
言葉では表現
できない
あの
不安感が、
私にとっては
とても刺激的で
好きだった。
そして
実際に山に
入っている間は、
何だか毎日が
必死で、
思考とか思索は
ほとんど
できないのに、
山から降りて
日常に
戻ると、
途端にそこから
思索が始まった。
それを私は
すべて
文章に残した。
いわゆる
紀行文的な
ものだが、
それを
書きながら、
山の中で
確かに感じながらも
顕在化できて
いなかったことを、
しっかり
明確にできた。
しかも、
その文章を
書きながら、
さらに次の発想
も浮かび、
それをまた
深めることで
様々な気づきを
得た。
それが今で言う
セルフコーチング
の
始まりだった。
そして
その時に気づいた
ことの多くは、
完全に我流
であるが、
私なりの
リーダーシップ論
として、
今もなお
私の中に
残っている。
結局は
こういうことを
通して、
私は自分自身と
向き合い続けて
いたのだな、
と思う。
・・・・・・
向こう見ず
で
捨て身。
その私の
生き方は
登山時代に
ある程度
養われたに
違いない。
私は
2度ほど
山で死にかけた
ことがあり、
その時に
思って
しまったのだ。
人間、
死ぬ時は
死ぬし、
死なない時は
死なないもんだな、
と。
この考えは
決して
人に奨められる
ものではない。
が、
ある種の
開き直りに近い
この感覚が、
私にとっては
とても
力になった
ものだ。
きっと、
この一線だけは
越えてはダメ、
という
境界線を
何となく掴むことが
できたのだろう。
だから逆に、
その一線さえ
越えなければ、
多少の無茶は
大丈夫だろう、
と。
現に、
ここまでは
その通り
大丈夫だった。
が、
じゃあここから
先も
同じか?
と
問われれば、
全くもって
自信はないが。
・・・・・・
死ぬのが
怖いか?
と
問われれば、
正直、
そんなに
怖くなはい。
実在とか
わかるように
なってからは
特にそうだ。
でも、
私が死ぬことで
周りに迷惑を
かけることは、
本当に
怖い。
それが
あるからこそ、
自分を
制御せねば
と
思っている。
逆に言えば
それが
なくなってしまったら、
どうなるか?
を
考えるのも
ちょっと怖い。
いずれに
しても
私にとって
死は
身近だ。
生命エネルギー
レベルでは、
いつ
死んでしまっても
おかしくない
毎日だから。
自分が
死なないように
細心の注意を
毎日、
払っているが、
一方で、
開き直って
捨て身になる
自分も
毎日、現れる。
やはり
今になっても
私は
人生という名の
登山を
しているのかも
しれないな。
つづく