拒絶しちゃうだろ

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拒絶感

ですら、

 

真本音と結びつく

ことがある。

 

祈りと拒絶感の

融合だ。

 

するとそれは

驚くような展開で

 

「愛」として

発現することがある。

 

もちろん

意図してできる

ことではない。

 

私達は

「愛そう」

という意図と意志を

持つことはできるが、

 

本当に「愛」そのものが

発現するかどうかは、

私達の意図の範疇

にはない。

 

なぜなら「愛」とは

エネルギーだから。

 

そのエネルギーが

発するかどうかは、

 

私達の顕在意識が

調整できることでは

ない。

 

それよりも

普段の自分自身の

生き方と生き様こそが

 

それを左右する。

 

・・・・・・

 

嫌いな人を

愛することが

できるだろうか?

 

普通は

できないだろう。

 

「できます」

と言う人はむしろ

危うい。

 

それは

自己満足か自己愛に

陥っている可能性が

高い。

 

私達人間は

そんなにも

出来は良くない。

 

ということを

ちゃんと見つめて

おいた方がいい。

 

出来の良くない自分を

見つめることの

できない人は

残念ながら

「愛」というエネルギーは

あまりに脆弱となる。

 

それはともかくとして

嫌いな人を

愛そうとすることには

かなりの難しさが

ある。

 

ましては

拒絶感を手放すことは

なかなかに

至難のわざだ。

 

だから、

そのままでいい。

 

やはり、

 

そのままで

いいのだ。

 

ただ、

 

普段の自分の生き様

として、

常に真本音を大切に

するといい。

 

自分の願いや祈りと

今ここにおける

行動を、

結びつける努力を

続ける。

 

それを日々

大切にする人は、

 

いざという時に、

 

拒絶感すらが

真本音と結びつく。

 

真本音が

自分自身の拒絶感を

活用するのだ。

 

そして

その多くの場合は、

 

自分自身の

空気感として

その場で勝手に

発現される。

 

そしてその空気感は

お互いの関係を

癒していく。

 

それはもちろん

劇的というよりも

徐々に、だろう。

 

でもその

徐々に、

 

ある時ある瞬間に

ある境界を超え、

 

劇的な展開を

見せることも

ある。

 

それを期待しては

ならない。

 

でも、

地道にいくんだ。

 

人間としてね。

 

つづく

 

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