真の自由を語る

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水の落ちる
ツルッツルの
垂直の
岩。

本来は
登れるはずは
ないのに、

私の手足は
その岩に
ピッタリと
吸い付く。

まるで私は
ヤモリ
になったようだ。

昔、
インドを旅した
時に、

安宿では
壁にヤモリが
無数に
くっついていた。

ヤモリと共に
寝起きして
いた。

今の私は
その
ヤモリそのものに
なったようだ。

岩に張り付く
こと
自体が
目的であり
幸せであるかの
ように、

私は
ピッタリと
垂直の岩と
同化している。

・・・

落ちてくる
水は、

時々は
激しい。

私の
あらゆるものを
洗い流して
くれる。

浄化して
くれる。

次第に私は
意識そのものを
手放し、

無の状態
となる。

すると、
私なのか
岩なのか
水なのか
それとも
それ以外の
あらゆる存在
なのか、

よくわからなく
なる。

個である
私と
全体である
世界との

区別が
わからなく
なる。

重力という
存在も
私の中からは
完全に
消える。

・・・

するともう
岩も
必要と
なくなる。

私は自由に
飛び回る
ことができる。

完全なる
自由。

しかし
その状態の
時にはすでに

私は
私という
個ではない。

自由
とは、
個として存在
している場合に
感じるもの。

個ではない
私にとって
自由か否か
などは
どうでもいい
ことだ。

しかしその
どうでもいい
状態こそが、

真の自由。

・・・

気がつけば
私は
地面に
落ちていた。

大地に
仰向けに
寝そべり、

自我を
忘れていた。

個に
戻ると、
私は
言いようのない
窮屈さを
感じた。

しょうがない
な。

ここで
生きるためには
なくては
ならないものだ。

個となり
分離も
できる。

全体と
一つにも
なれる。

それこそ
また
真の自由。

ヤモリじゃ
ない、
私は人間だ!

などと
言っている
うちは、

自由は
手に入らんよ。

つづく

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